●短編 #0527の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
これが恋なんだと初めて知ったのは一年以上前、中学二年生の春だった。 タイトルそのままに初恋を歌ったあの曲を、もし仮に聴かないままでいたなら、今で も恋だと知らなかったかもしれない。 ――というわけで、僕は帰宅部にもかかわらず、今日も放課後の学校に残り、校庭を 走る、もとい、向かいの校舎二階の一室、確か視聴覚教室で何かを一生懸命書いている (もしくは描いている)であろう彼女を探していた。 ちなみに今日の天気は五月雨模様だが、その色は緑色ではなく、校舎の壁と同じ灰色 をしているように見える。 そしてその雨のおかげで、僕は彼女の姿をはっきりとは捉えられずにいた。窓が閉め られているから。ただでさえ、真向かいの校舎の教室は廊下があるせいで見えづらいと いうのに、ガラス窓が一枚あるだけでもうどうしようもなくなる。せいぜい、シルエッ トが確認できるかどうかといったところだ。 それにしても今日は特に見えづらい。光の具合や角度がよくないのか、シルエットさ えも判然としない。彼女は視聴覚教室のどこかにいるんだろうな、と想像することしか できなかった。 彼女――榊菜恵《さかきなえ》さんは月曜から金曜まで、何かしらの用事があって放 課後は向かいの校舎のどこかの教室で過ごすのが決まり事のようになっていた。 月曜と木曜は委員会活動で一階の生徒会議室、今日火曜と金曜は古典文学研究会とい うサークル活動で視聴覚教室、そして水曜日は女子友達のつながりから、映画研究会 (こちらは正式な部として認められている)に助っ人で関わっている。 僕からすると榊さんは美人の部類に入るのだけれども、映画研究会での役割は女優で はなく、お針子さん――要するに衣装などの製作だそうだ。納得が行かないと僕が憤慨 してもしょうがないと、頭では理解している。 それでも林間学校の夜、男子みんなの雑談の最中、「女子の中で誰がいいか」という 話題になったとき、誰も榊さんの名前を出さなかったのには、理解に苦しんだ。どうし て誰も榊さんのことをいいと思わないのだろう? よさに気付かないんだろう?って。 だけど、あるときから考え方を切り替えた。榊さんのよさに気付いているのは僕だけ だってね。すると今度は逆に、もう誰も気付くなよって思えてくるから、おかしなもの だ。 こんなこと言っている僕自身、いつ、どんな理由で彼女のことを好きになったのか、 覚えていない。いつの間にか好きになっていた。だからこそ、曲を聴くまで気が付かな かったんだろうと思う。 僕は自分が奥手だとは思っていなかったんだが、少なくとも好きになった相手に告白 する勇気は持てないでいる。この一年、ずっとだ。高校受験を意識せざるを得ない学年 になり、勉強に集中できるようにするためにも、思いを伝えてはっきりさせたい。そう 考えてはいるものの、実行に移せないでいる。断られてそのダメージが受験に響くと困 るとか、いい返事をもらえたらもらえたで舞い上がってしまい、やはり受験に悪い影響 が及ぶかもしれないとか、あれこれ理由を作り出して、先延ばしにしている。いや、本 気でそう思うんなら二年の内に告白しとけよって話になるんだけど、当時は当時で、別 の理由を捻り出して先延ばししていたんだ、うん。 我ながら情けなくはあるんだが、今でも、こうして榊さんの姿を探し、見付けただけ でもそれなりに満足するし、好きだと強く念じていればその内想いは伝わるんじゃない かと空想している。ああ、さすがに榊さんの方から僕に告白してくる、なんて場面は考 えもしないけど。 そんな雨の日から数日経った木曜日。僕はまたいつものごとく、榊さんの姿を探して いた。天気は快晴とまでは言えずとも、雲が少し浮かぶ程度の堂々たる晴れ。夏が近付 くこの季節だし、窓は当然、開け放たれている。 だから榊さんの姿を見付けるのは容易かった。彼女もまたいつものような、何か書き 物をしているようだ。古典文学研究会っていうのは、絵も扱うらしくて、視聴覚教室を 使うのはそれが理由だとか、噂で聞いた。会員は榊さんの他に下級生が二人か三人とい うから、非常に小規模なサークルで歴史も浅いと言える。なのに視聴覚教室を貸し切り で使えるのは、榊さんの交渉術の賜物なんだろう、きっと。 僕はその日出された宿題をちょっとずつ片付けながら、ちらちらと彼女の様子を見て いた。向かいの校舎とノートを交互に見ている感じだ。何度目かに顔を上げて横を向い たとき、榊さんが席を立つのが見えた。珍しい。一時間なら一時間、ずっと座って作業 に没頭していることがほとんどだったのに。……トイレかな? だとしたら目で追っか けるのはよそうなどと思いつつ、彼女の行き先が気になって結局目で追う。 榊さんは隣の小部屋、コントロールルームに入った。何らかの映像を再生して、プロ ジェクター投影するのかなと思ったが、違った。その小部屋のドアを開けて、廊下に出 て来た。あれ? どうして視聴覚教室から直接廊下に出なかったんだろう。小さな疑問 が好奇心を膨らませ、僕自身も席を立った。そうしないと、榊さんの姿を視界に捉えら れなくなるからだ。 窓から多少乗り出す格好になり、彼女の行き先を見定める。一階に向かったのは分か った。敢えてコントロールルームから廊下に出たのが最短距離を行くためだとしたら、 目的地は……校舎裏にある体育倉庫? いや、そうとは言い切れない。目的地は校内に 限らないかもしれない。外に用があるとしたら、西門がある。 考えていてもらちがあかない。僕も廊下に出た。しばらく目を離さざるを得なくなる が、とりあえず一階を目指す。体育倉庫に行ってみて、そこにいなければ辺りを探して みよう。 先生に見付かったら怒られること必至の猛スピードで階段を駆け下り、校舎一階から 地面に踏み出したときには息が切れ切れになっていた。運動は苦手ではないが、ウォー ミングアップなしでいきなりのダッシュはきつかった。 その瞬間、幸運にも榊さんの後ろ姿を視界の端に捉えられた。僕と違って榊さんは走 らず、せいぜい早歩きくらいのスピードだったんだろう。それでも彼女はちょうど体育 倉庫の影に隠れるところだ。ここで離されたら、見失う恐れが高い。僕は気力を振り絞 り、なるべく音を立てないようにしながら、あとを追った。 程なくして倉庫の角まで来て、折れた先をそろりと覗いてみる。と、いた。 日中、ほとんど陽の差し込まないじめっとしたスペース。その突き当たりと言える奥 の方で、榊さんの姿を確認。僕は心の中でやったと叫ぶ。 が、次に目を見張らされた。 榊さんは人と待ち合わせをしていたと分かったのだ。そしてその相手が誰なのか、知 ったとき、僕は思わず声を上げそうになった。 倉庫の壁にもたれていた身体を起こし、榊さんに片手を振ったのは先生だったのだ。 河野孝二《こうのこうじ》先生。僕らが入学する直前に結婚した若い教師で、割と人 気がある。目鼻立ちのくっきりしたちょっと厳つい系の二枚目で、厳しいことは厳しい けれども話が面白くて、教え方がうまい。名前が「こう・こう」となっているのは入り 婿だからで、結婚相手は社長令嬢だとかいう噂も耳にしたが、否定されないところを見 ると事実なんだろう。 そんな二枚目既婚者が榊さんの何の用だろう……。 僕は急に不安に襲われた。 榊さんはどうしてここに来たんだ? 校内放送で呼び出されたんじゃあない。前もっ て約束していたにしては、サークル活動中というのが変だ。恐らく、携帯端末を通じて 呼ばれたんじゃないだろうか。教師と生徒間で、携帯端末の類を用いて個人的にやり取 りするのは、校則で禁じられている……。 僕は空つばを飲んでいた。まだ背中しか見えないから、榊さんのがどんな表情で先生 と相対しているのかは分からない。ただ、彼女の足取りは軽く、決していやがっている ようには思えなかった。 まさか。 さっきから否応なしに膨らむ悪い想像。 ついに榊さんは河野先生の隣に立ち、同じように倉庫の壁にもたれ掛かった。やっと 横顔が見えた。 彼女は――笑っていた。楽しげに河野先生とおしゃべりを始めている。距離があるの と、周囲から聞こえる運動部などの活動する音が騒がしいこともあり、二人の会話の内 容は、ちっとも耳に届かない。聞こえないだけに、僕の頭はか彼らの台詞を勝手に作っ てしまう。それはどう転んでも、恋人同士のやり取りになった。 そして榊さんの普段見られない楽しげな顔が、僕の妄想じみた想像を裏付ける。あん な風に、きゃっきゃうふふとはしゃいだ雰囲気の彼女を目にするのは、これが初めてだ った。 校則違反だの不倫だのという考えはどこかに消えていた。河野先生を責める気持ちが 起きなかったのは、榊さんの立場を考慮したためかもしれない。 僕はその場をそっと離れた。 〜 〜 〜 体育倉庫裏の目撃以来、僕は榊さんの姿を追うことをやめていた。知らなくていいこ とまで知ってしまいそうだからという理由からだ。もちろん完全に断ち切るのは難し く、彼女の行動を気にする気持ちは残っていた。なので、河野先生と榊さんが言葉を交 わす機会があれば、なるべく見届けてやろうという気構えでいたのだが……あまりにも 回数が少なく、何だか変だなと思い始めていた。二人きりでいる場面を見掛けるチャン スは一度もなく、榊さんを含めた女子何人かと河野先生が話しているところを数度見た くらい。しかも、そのときの榊さんと来たら、以前倉庫裏で見たのとほぼ同じ態度で、 河野先生に接するのだ。他の女子の目が気にならないのか? あるいは女子は全員、事 情を把握しており、知らんぷりをしてあげているのか? そういった疑問を抱えたま ま、答を見出すことなく高校受験に挑んだ。 “真実”を知ったのは、高校に無事合格し、もうすぐ卒業式だという頃だった。 たいした用事もなく学校に来ていた僕はその帰り際、職員室前を通った。と、向こう から榊さんが歩いてくるのが見えた。ほぼ同時に職員室から出て来たのが河野先生。僕 は足を止め、柱の陰に隠れるようにしてから聞き耳を立てた。 「河野センセ、まただって? 切れ目ほとんどなしじゃない」 弾んだ声で榊さんがなにやら問うと、先生の方は後頭部に片手をやり、気恥ずかしげ に表情を歪めた。 「あんまり言ってくれるなよな。もう他の先生には知れ渡っているんだからいいとして も、生徒の間で言い触らされるのは多少ばつが悪い」 「何でよ? 社会貢献だから胸を張れると言ってなかったっけ」 「言ったが、あれは受け狙いで。まあ、幸いにも卒業してくれるから、からかわれるの もほんの短い間で済むよな」 「じゃあそうならないよう、高校に行ってからも私が噂を流してあげよう。先生に二人 目の子供ができるってことを」 「やめてくれ。日数を計算すれば分かるだろ。受験シーズンに被り気味なのは、外聞が 悪いんだ」 ええ? 河野先生に二人目の子供? そういえば一人目が生まれたと聞いたのが去年だったっけ。それに二人目が生まれた ってことは、先生と社長令嬢の奥さんは仲睦まじいまま? 「あれ? 霜倉《しもくら》君?」 榊さんの声が僕の名を呼んだ。しまった。二人の目の子供が生まれたという話を聞い て、驚きのあまり驚きが本当の声になっていたみたい。僕は鼻の頭をこすりながら、柱 の陰を離れた。 「ごめん、何か聞こえてしまって」 「そうなんだ? じゃあ、分かるよね? 一緒に噂を流そう!」 「は、はあ?」 こうして榊さんと踏み込んだ話をするのはこれが初めてで、僕は物凄く戸惑い、緊張 し、そして嬉しさも感じていた。 「あれ。ノリが悪い。霜倉君て、うちの兄貴に目を付けられていたかしら?」 「……兄貴?」 しゃっくりみたいな口調で僕は聞き返した。榊さんは何を今さらと、呆れ顔で付け足 した。 「そうよ。知らなかった? 河野先生は私の兄。とあるお嬢さまと結婚して、榊から河 野に変わったけれども、私とは正真正銘、実の兄妹だよ」 「ていうことは」 ほぼ無意識の内に榊さん、先生の順に指差した僕は、続けて聞く。 「二人がこそこそ会っていたように見えたのも、携帯端末でやり取りするのが許されて いたのも……」 「兄と妹だから、だね。って、やだわ、霜倉君。そんなことどうして知っているの」 「それは……」 答に窮しつつ、僕は別のことでも辻褄が合うのを理解した。僕以外の男子はきっと、 榊さんが河野先生の妹だと知っていて、だから好きな女子の候補に榊さんの名を出さな かったんだろう。先生の目があると付き合いづらいと考えたに違いない。 弱小サークルなのに視聴覚教室を思いっ切り使えたのも、榊さんが先生の妹だから か。先生の奥さんの家が大金持ちなら、学校にいっぱい寄付するだろう……ってこれは 邪推になるけれども。 「霜倉君、何か隠しごとがあるのなら、正直に白状した方が身のためだぞ。我が妹は大 人しい外見に反して、非常に鋭いところがあるんだよ」 河野先生が笑いながら言った。先生自身へ向いていた矛先をかわすためかもしれない が、おかげで僕はきっかけを掴めた。 「分かりました。――榊さん、実は僕、榊さんのことが」 終わり
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