●短編 #0507の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
新幹線の駅を出て程近い公園の横を通り掛かったとき、若い男性が同じ年頃の男性の 胸板を突くのが見えた。 「何で分からないんだっ。ほんとおまえは空気読めない奴だな!」 マスク越しだというのによく通る声だ。どちらも同じ白シャツ・ジャケットにノーネ クタイで、漫才師か何かに見える。足下には二人ともそれぞれそっくりの黒いボストン バッグを置いているし、意識的にお揃いにしているのは間違いない。 などと思っていたら。 「いちいちうるせえよ。俺のセンスに文句付けるな。不満あるならコンビ解消しよう ぜ」 胸を押された方が言い返したその台詞。どうやら本当にお笑いをやっている人達らし い。周囲に誰もいないと思っているのか、やり取りは簡単には終わらない。 「何だと?」 最初の男性Aが胸を反らせて詰め寄ると、二人の目の男性Bも負けじと同じポーズを 取る。もしかして、ネタ合わせの練習? そんな想像がよぎったが、外れだということ は次の瞬間に分かった。BがAに足払いを掛けて転がし、バッグを指に引っ掛けてるよ うにして持ち上げたかと思うと、そのまま相方を置いて立ち去ってしまったのだ。公園 の外に出ても振り返らずに、ずんずんと歩いて行く。やがて見えなくなった。 転がされた方は足首をどうにかしたらしく、起き上がろうとしてしかめ面になった。 二度目のトライで立ち上がったものの、相方を追い掛ける気にはなれなかったみたい。 そのまま肩を落とすようなため息をつき、立ち尽くしている。 私があんまりお笑いに詳しくないせいなのか、知らないコンビだけど、芸人さん達が 喧嘩しているところを初めて目撃し、ちょっぴり興奮した。このあとどうするんだろう と、つい残されたAの方を見つめていると、その人が顔の向きを換えた。おかげで目が 合ってしまった。 「――ごめんなさい」 覗き見行為を咎められそうな気がして、先に謝っちゃえと頭を下げる。その姿勢のま まきびす返して遠ざかろうとした。けれどもAは思いのほか俊敏で、足首を痛めたんじ ゃないの〜?と疑いたくなるほど素早く、私のいるところまで飛んできた。 「ちょっと待ってーや。ずっと見とったん?」 「は、はい。ずっとというか、あなたがもう一人の人の胸を押したところから」 「あちゃー、じゃあほぼほぼ聞かれとったんか」 額に片手を当て天を仰ぐAさん。と、そのポーズを急に辞めて私に視線を合わせてく る。 「撮影してへんよね?」 「してないです。動画も写真も。そういう趣味ないし」 ふるふると首を左右にすると、Aさんはやや安心した顔つきになる。 「このこと、誰にも言わんといてほしいんやけど。家族とかだけならともかく、ネット に書き込むのだけは」 今度は腰を若干かがめ、手を合わせてお願いしてくる。 「そういう趣味もないので……」 「ああ、よかった」 「あの……失礼ですけど、有名な方なんですか」 悪い噂を立てられるのをこんなに恐れるということは、そこそこ名前が売れている漫 才コンビなのかも。そう閃いて、聞いてみる。 「えっとどう言うたらええんやろ。……うん、深夜枠やけどテレビ定期的に出てるし、 知ってる人は知っている」 「そうだったんですか。お笑いのことにはまるで疎くて……すみません」 「謝られるようなこっちゃないからかまわんけど。そーかー、まだ俺らの知名度そんな もんか。そやったら、一人でも知ってもらおうと努力せんと。俺ら、“ちびりちびり” いうコンビでやってる。略してちびちびって言われてるわ」 Aさんも、いなくなったBさんも結構背の高いのに。そんな感想が顔に出たのかし ら、Aさんは私を見て「今、でかいのにとか思った?」と聞いてきた。曖昧に返事する と、今度は眉根を寄せて「あら、おもろなかったか」と落胆の仕種を分かり易くする。 「こんなことなら、ほんまにあいつと組むの、解消した方がええんかも」 「あいつというのは、今さっき立ち去っていった……」 「そう、平田《ひらた》。あ、名前言ってへんかったな。俺は直木《なおき》。直木賞 の直木と同じ字やから、すぐ覚えられると思うわ」 平田さんと直木さんが組むのなら、コンビ名はひらたなおきでもよかったのでは、な んてことを考えた。 直木さんは袖を少しまくって腕時計を見る仕種をし、「まだこんな時間か」と呟く。 それから続けて「君は?」と聞いてきた。 「え、な、名前ですか?」 「え? あ、違う違う。時間ええの?って意味」 勘違いがおかしかったようで、柔和な笑みを見せながら言った。 「でも君が教えたいって言うのなら、是非聞かせてもらうねんけど、名前」 「いえ。そんなことはないので……でも時間ならあります」 「そうなん? そやったらどこかでお茶せえへんかと思いまして。新幹線で帰って来た んやけど、あいつと隣り合わせで弁当食う気になれへんかって、腹空いとるし。ああ、 隣言うても実際には間に一つ空席挟んどったけどね。ソーシャルディスタンス」 「私もお昼はまだなんです、けど……」 迷うそぶりを見せると、直木さんは続けて尋ねてきた。 「若いけど学生さん? 俺らまだ若手いうても一応稼いどるからファミレスレベルなら おごれるよ」 「学生ですが、知り合ったばかりの方からおごられるのは」 「じゃ、おごるかどうかは後回しにして、一緒に食事をどーですか、お客さん?」 台詞の最後の方は物真似らしい。お客ではないんですけど。でも笑ってしまった。 「笑《わろ》うてくれたってことはOK?」 「うーん、お店に入るのはちょっと。この公園でお弁当を食べるくらいなら、周りにも 人の目がありますし」 「お店にかて人の目はあるねんけど」 不平そうにへし口を作った直木さんだったけど、次の瞬間、 「あ、弁当って言うたら。食べんかったの忘れとったわ」 くるりとその場で向きを換えようとするも、つんのめって前に両手を着いてしまっ た。 「だ、大丈夫ですか」 「あかんみたい。今になって足、痛《いと》うなってきた。あの鞄、駅弁入っとるの思 い出したんやけど、さっきのあいつと揉めたときにへしゃげたかもしれん」 「見てきましょうか。じゃなくて、持って来ましょうか」 「お願いするわ」 私は小走りでボストンバッグを取りに行き、引き返して来た。 「ありがと」 「いいえ。それよりも足の方は」 「足首? 平気平気。これくせになっとる。よくぐにゅってなるんよ。放っといたら直 るから」 「でも」 直木さんは手近のベンチに座り、ズボンの裾を少し上げた格好をしているのだが、そ こから覗く足首は多少腫れているように見える。 「湿布薬か塗り薬、買って来ましょうか」 「――よかった、弁当無事や」 話を聞いているのかいないのか、直木さんはボストンバッグから牡蠣飯のお弁当を取 り出し、私にも見せてきた。 「あの、お薬」 「そんなに言うんやったら、さっき話してたお弁当を買《こ》うて来て、ここで一緒に 食べるんはどう? もちろんおごる」 「……薬代も出してください。それなら買って来ます」 「あらま。うーん、しゃあないな。言うとくけどナンパと違うから。俺らのコンビのど っちがおかしいんか、一般の方の意見を聞きたい思うて。お笑いに詳しくないっていう 人の方がより一般的やろうし」 直木さんは二つ折りの財布から一万円札を出して、私の手に握らせた。 学生手帳でも“人質”に取られるのかなと思っていたが、そんなことはなし。このま ま持ち逃げしたらどうするつもりだろうと考えながら、買い物をして戻った。 「これ、お釣りと薬です」 残ったお金と塗り薬及び貼り薬を渡す。そのあと私はレシートとともにペットボトル を差し出した。 「飲み物も買いました。直木さんの分もありますけど、いらなかったですか」 「いや、もらう。気が利くんやね」 「自分が必要だったから。ついでに思い出しただけです」 「それはそれでええとして、食べよ。お昼だいぶ過ぎとる」 「その前に薬」 私は半ば無理矢理直木さんの足首に湿布を貼った。 「固定したければハンカチでやれますけど?」 「いや、そんな大げさな。とにかく腹減った、いただきますしよ」 言葉の通り、両手を合わせる直木さん。私も彼の隣に少し間隔を取って座った。お弁 当は好きな物を遠慮なく買わせてもらった。けれど広げると、やっぱり駅弁の方が美味 しそうに見える。 「牡蠣好きやったら一つ二つ、あげるけど?」 「いえ。そんなことよりもお話を早く」 「ああ、そうやった。――平田の奴は思い付きをすぐ口にしてまう悪い癖があるみたい でなあ」 一旦話を区切り、口を使って割り箸を割って、食べ始める直木さん。 「今日もアドリブで入れて来よったんよ。えっと、俺らのネタがどんなんかは知らんよ ね、当然」 「はあ。すみません」 「いや、ええねん。今日の仕事は営業で、別にテレビとかネットとかで流すもんやな い。だからテレビなんかではやれんようなネタもできる。女の人の前でアレやけど、下 ネタとかね」 直木さん、こちらの反応を窺ったみたいだけど、私がスルーすると続けてしゃべり出 した。 「あと、替え歌。テレビなんかの番組で替え歌のネタをやるのは、手続きがあって色々 と面倒なんよ。著作権関係ね。でも営業でその場限りだと緩いから、割とぶっ込んでく るみたいなところがあって。俺らもそれやってる訳。お笑いには詳しくのうても、今年 流行っている歌なら分かる?」 「歌ならだいたいは」 「じゃあ、当然知っとるはず」 直木さんは箸を置くとわざわざマスクをし直してから、ハミングでメロディを奏で た。それは動画配信で人気に火が着いた曲で、様々な有名人が真似をしている。私もも ちろん知っていた。 「これを替え歌にして披露したんやけど、あいつ、打ち合わせにない歌詞で歌い出しよ って」 マスクを外した直木さんはそのときのことを思い出したらしく、苦虫を噛み潰したよ うな表情をした。 「一体どんな替え歌だったんです?」 「気ぃ悪いから、フルでは言えへん。なんやかんやと災害の状況を挙げて最後に“洪水 《こうずい》のせいだよ〜”って。どう思う?」 「それは……デリカシーを欠いていますね」 でもお笑い芸人なら多少は常識外れな部分があってこそ、より面白い発想ができるの かも、なんていうフォローも考えた私。しかし直木さんの次の言葉の方が早かった。 「それだけやない。営業、どこでやったか分かる?」 問われた私は彼の駅弁に視線を落とした。牡蠣と言えば……あっ。 「もしかして広島ですか?」 「うん。それも数年前に水害に遭《お》うた地域での応援イベントで」 「本当に? だったらその平田さん、確かにひどいです」 「そうよな、やっぱり……。今ってコロナがまだ燻ってる中、俺らの仕事がやーっと再 開されつつある大事なときやん。信じられへんと思わん?」 「お客さんの反応はどうでした?」 「せやなあ、凍り付いた感じ? よう石投げられんかったなって思うわ。そこに至るま では結構うけてたからやろか」 半分ほど駅弁を食べたところで、大きくため息をついた直木さん。 「ほんま平田にはこれまでも似たようなことされて、何べん注意しても直らん。もうし んどいわ」 「他にもってたとえば」 怖い物見たさ(聞きたさ)もあって、尋ねてみる。 「最近で言えば、やっぱ替え歌であった。流行ったのは少し前からやけど、今でも子供 の定番ソングみたいになっとるんちゃうかな」 再びハミングする直木さん。聴く前から予想した通り、ピーマンによく似た野菜の名 前が何度も出て来る、あの歌だった。 「前から営業でよう使《つこ》うとったんよ。一番最後のフレーズを“母ちゃん やり 過ぎ その辺にしとけ”にしたりとかさ」 状況は分からないがそこはかとなくおかしい。身振り手振りを交えれば、小さな子供 にはきっと受けるんじゃないかしらと想像した。 「言うてみれば営業での鉄板ネタの一つなんや。それをあいつ、今年の一月頃、まだ新 型コロナが今ほど広まってへんかった頃に突然“パプリカ”の部分を“コロナ渦”に換 えて歌い始めよった。花は鼻水の洟に置き換えて、せきだの熱だの何か付け足してた わ」 「うわぁ」 「でもな、そんときはまだましやったんよ。あんまり流行ってなかった、どっかよその 国の話やみたいな感じで、笑ってくれたお客も結構おったわ。考えてみたらあれがよう なかったんかも。これで笑い取れる思たんか、ネタを四月辺りから動画配信するように なったにゃけど、そこでもやらかしよった。ネットやから自家の反応は分からへんねん けど、俺は背中が冷やーっとなったわ。平田は隣でご満悦やったけど。その後、世間の 反応が分かって、ちょっとは落ち込んだみたいやと思ってた。それやのに、今日みたい なことがあったら安心してお笑いできへん」 「……直木さんが言ってだめなら、それこそお客さんが直に声を届けるしかないかもし れませんね」 「うーん、どうなんやろ。ごく少数なんやけど、今言ったようなラインはみ出したよう なネタを支持するお客もおるんよ。平田に言わせたら『俺の笑いが分かってくれるファ ンがおる』いうことになって、つまり逆に抗議してくるようなお客さんは、『笑いが分 からんあほな客や』ってことになる。聞く耳持たへん場合がほとんどやねん」 「お客さんですらない、お笑いのことを知らない私みたいな一般人が言ったら?」 ちょっと期待を込めて、思い切って提案してみた。だけど、直木さんはほんの数瞬だ け考えて、じきに首を左右に振った。 「だめやろうな。あいつは若い頃、お笑いを好きじゃない人間は人間やない、みたいに 息巻いとったくらいでねえ。今はだいぶ丸くなったやろけど、根っこは変わってないと 思うわ。だからほんまの一般の人に批判されたって、素直に聞かんやろね」 あきらめ気味に、淋しく笑う直木さん。足首を痛め、背を丸くしているこの人を見て いると、ますます気の毒に思えてきた。 「だったらお笑いをよく知っていて、しかも平田さんの笑いのセンスも理解している人 が注意すれば効果あるかもしれないですよね」 「あ? う、うん。まあ、そういう見方もできんことはないわな」 「だったら私、今からでもお笑いを観始めます。平田って言う人のセンスを理解するの には時間が掛かるかもしれないし、理解できるかどうかさえも確かじゃないけれど、が んばってみます。そういう条件をクリアできたと思えたとき、平田さんとお話しする機 会をください」 「……えっと」 初めて素を見せたような、きょとんとした表情になった直木さん。私が真剣な眼差し を向けるのへ、やがてふっと微苦笑した。 「いいねえ、お笑いのファン、俺らのファンを一人増やせたっちゅうわけや」 「私、本気で言ってるんですが」 「分かってる。俺も本気やで。ファンが増える見込みなんは嬉しい。そいでも、俺らの ことをお客さんに尻拭いしてもらうんは筋違いや。だから丁重にお断りします」 「そう、ですか」 「気持ちは嬉しいんやで。ありがとう。ただ、やいのやいの言うたけれど、あいつにも 言い分はあるやろうし、実際、少しは分かっとるつもりなの、俺。世間様には言うてへ んことやけど、平田の親族が何人か、阪神淡路大震災で亡くなっとるんや。あいつ自身 も生まれて間もなかったけど、被災者やし」 あの震災の頃に生まれた? そういう人が相方っていうことは、この直木さんも見た 目よりも年齢がだいぶ上なのかもしれないと気付かされた。 「震災の何周年かの復興イベントで、お笑いライブがあったらしいわ。そのときに震災 を笑い飛ばすネタを見て、元気づけられたって懐かしそうに語っとったことがあった。 せやからきっとあいつは、そのとき受けた勇気とか感動が頭にあって、自分でも人に同 じように勇気や感動を与えたいいう願いが強いんとちゃうかな」 「そんな経験をされているのなら……分からなくはありません」 「ただ、それが現状、空回りしとるんがイタいところやで」 苦笑いの顔から声を立てて笑った直木さん。駅弁はまだ少し残っていたけれども、も ういいらしく蓋を閉じると、当人もマスクをした。 「繰り返しになるけど、ありがと。愚痴を聞いてくれて、すっきりしたわ」 「いえ、そんな……ごちそうさまでした」 時間がだいぶ経過していると意識して、携帯端末の時計を見る。ぼちぼち動かないと いけない。 「あの私、そろそろ」 「うん、ええよ。あ、今日見たことや話したことはほんまに他言無用やで」 「はい、それはもちろん」 ありがとうございました、お笑い番組見るようにしますねと言って向きを換えた私 を、直木さんが呼び止めた。 「あー、やっぱり動かれへんから頼む。タクシーつかまえてきてくれへん? 俺のスマ ホに配車アプリ、入ってへんねん」 しょうがないなぁ。 直木さんと話をした翌々日ぐらいだったか、家でテレビのチャンネルを適当に切り替 えていると、いきなり直木さんが映った。 笑顔だけれども、松葉杖をついている。隣には、公園で揉めていた相方の男性、平田 さん。ちょうどテロップでコンビ名が表示された。どうやらお二人は改名したのか、ち びりちびりではなかった。けれども不思議なことに、他の出演者は誰も改名について言 及しない。 それにもっと不思議だったのは、直木さんと平田さんが前に聞いたよりもランクが高 いらしいこと。何たってゴールデンタイムのお笑い番組を仕切っている。これはもう大 御所扱いに見えるんだけど……もしかして私、うまくごまかされてたのかな? 超有名 な人だということを隠して、直木さんは一般の声を聞きたかったのかもしれない。 終わり
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