●短編 #0362の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
エルビスプレスリーを見ているとダビデ像とか自由の女神に似ているし、歌って いるのはゴスペルみたいなものだから、あれは一種の賛美歌ではないのかと思う。 そういうものがアメリカにはいっぱいあってディズニーランドとか。 ところでポストモダンはこんな風に現代を説明する。今まで(ニーチェ以前)は 理念(キリスト教)があって物質(マリア像など)があった。マリア像のありが たみはあくまでもその背後に神様という理念があってのものだった。でも神は死 んだ。となればマリア像であろうがなんであろうがとにかく「より快楽の大きい もの」をどんどん作ればいい時代になる。それが現代。その典型がディズニーラ ンド。(なんでニーチェが「神は死んだ」と言った途端にみんなが膝を打って 「そうだったのか」となるのか。なるわけない。まあ、これはニーチェ→ハイデガー →クロソフスキーみたいな感じでジャン・ボードリヤールを説明しているという 文脈があるらしい)。 神が死んで「楽しければいい」となったものをシミュラクルという。神の生きて いる時代に神無きマリア像を作ってもそれはただのコピーだけれども、もう神は 死んだのだから、本物性を担保するものがないのだから、なんでもありになったと。 だけれどもディズニーランドにしろエルビスにしろ本当にシミュラクルなのか。 やはりその背後にはキリスト教的なものを感じる。 全く感じないのが戦後エルビスを真似た日本のロカビリー(平尾昌晃、ミッキー カーチスなど)だ。あれはシミュラクルではなくて完璧な劣化コピー。そう考え ると手塚治虫などもディズニーの劣化コピーではないのか。 日本のサブカルには「萌え」だの「かわいい」だのシミュラクルが大量にあると いうが本当なのか。全部アメリカ産の劣化コピーではないのか。そしてアメリカ では別に「神の死」なんてなくてえんえんみゃくみゃくとキリスト教の伝統が生 きていると思える。 そもそも明治維新の時に西洋から取り入れた文明は劣化コピーだったんじゃない のか。明治時代の「ハイカラさん」とか日露戦争時の軍服を見るとほとんどコス プレに見える。明治維新が「神の死」だとすれば文明開化のスキヤキだのザンギ リ頭などはシミュラクルと言えそうだがただの劣化コピーでしょう。 そして終戦で又「神の死」を経験して。またまた和製エルビスという劣化コピー。 その後全共闘運動の挫折で「なんとなく、クリスタル」的劣化コピー。プラザ合 意の後の円高時代にJ-WAVEだの渋谷系だの。まあいいや。 よくないのは。元幕僚長の田母神さんが「貧乏人が兵器を持つと困る」と言って いたがそれは本当で。核を持っていいのはキリスト教的伝統で成熟した人間に限 られるのではないか。だってデカルトと前後してライプニッツが出てきたのだか ら人間の道徳的進歩(あると仮定して)と科学の進歩は車の両輪のようなもので、 馬鹿が科学だけ手に入れると悲惨な事になる。例えばタイの軍事政権とか。或い はフィリピンで臓器移植をやっている病院なんていうのもそういう感じがする。 そりゃあフィリピン人でもアメリカの医学部に留学して医学と病院経営を学んで くればフィリピンに移植の出来る病院を作る事は出来るんだろうが。ドナーの人 権はどうなんだと。それは成熟した市民社会でないと扱いきれない問題でしょう。 日本の和田移植を思い出す。 日本の制度のほとんど全てがフィリピンの病院のようなもので、欧米から引き写 してきただけで。とかおもいますた。
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