●短編 #0361の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
だいたいラカンとハイデガーの写真をちらっと見た瞬間に「こいつら怪しい」と思った です。泥棒の顔をしている。ラカンはフロイトとソシュールから、ハイデガーはキルケ ゴールやらニーチェから。別に検証したわけでもないしどーでもいいのだが。だいたい 一人の人間(ラカン)が言っている事を丸で経典のように学ぶのは科学的な感じはしな いし。それに私には症状(病気じゃなくて)があるので、「自分ではこう感じるがラカ ンがこう書いているからその様に感じるべきだ」とは絶対に思わない。やはり自分の症 状に誠実であるべきだ。そうは言ってもラカンの理屈と重なる部分も多いので、その部 分に関しては実感した事だから分かりやすく説明出来ると思う。「それはラカンの理屈 じゃない」と言われればそうなんだろうが。ですからこれは私が自分の症状から感じた 理屈です。 下はボディービルのやりすぎで最後は脂肪を落とす為に低血糖症で死んでしまったマッ スル北村氏の写真です。
http://www.ironman-japan.com/products/ironmanmag/bokuno-rirek isho.html
10年ぐらい前に六本木のガスパニックの入口で短パンにタンクトップ姿でもぎ りをしているマッスル北村を見た。女の子に筋肉を触らせてニコニコしていたが 気の良さそうな奴だった。彼が東大を中退して東京医科歯科大も中退してのめり こんで行ったボディービルとは何か。 彼はある日ある時「ああなりたい体」を見たんじゃないのか。それがラカンの言 う鏡像段階で幼児が鏡の中に発見する像なんじゃないの?。だけれどもマッスル 北村の「ああなりたい体」は空想の産物でそれが象徴なんじゃないの。で、彼が それを手に入れる為の動力となっている欲望が対象aなんじゃないのか。 もし仮に(実際にはそれを手に入れる前に死んでしまったのだけれども)「ああ なりたい体」を手に入れたとして彼の求める女とはどんな女だったのだろうか。 六本木のクラブの入口でマッスル北村は思っていた(に違いない)。「あの女だっ たら偏差値55だな。その隣の女は60だ。その隣は65…」という具合にバー ベルの重さを増す様に女の偏差値もどんどん上げていく。そこには最早具体的な 女などいなくて「女の象徴」みたいなものがいるだけで。 てな具体にこの世の中は全て象徴であふれているんじゃなかろうか。それが対象A なんじゃないの。(だんだん自信がなくなってきた。間違っていたら誰か指摘し て下さい)。
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