●短編 #0297の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
わかり易すぎる上に、鈍感な男は考え物だ。 その上、頑固で根っこのところだけは見せないなんて、手に負えない。 なんだってこんな男を好きになってしまったんだろう。 少々茹ですぎのアスパラを齧って、明石祥子はちいさく息を吐いた。 「……確信犯だったら、最悪よね」 「ん、どうした?」 手に負えない彼氏の、坂田一哉が首をかしげる。 やわらかそうな茶色の髪。端正な顔の一部と化している眼鏡は、知的というより物柔 らかな雰囲気を醸し出している。そういえば、最初に惹かれたのはこの容姿だったと思 い出した。そして、彼との仲を深めるのを急ぐようになったその原因も。 ミートソースのパスタを機嫌よく食べる姿に、溜息が出そうになる。 「なんでもないわよ。で、菜月ちゃんがどうしたって?」 「あ、そうそう、野々村面白いんだ。ほら、ハゲ長いただろ? いかにもなカツラな係 長。そのヅラがずれてたんだけど、誰も注意しなくて遠巻きにしてたんだ。そしたら 野々村真面目な顔して、『係長、鏡で毛髪の具合を確認された方がいいと思います』っ て」 ……危うくアスパラを噴きそうになった。 普通じゃないよなぁ、と笑う一哉。まぁ、確かに、普通じゃない。 祥子の脳裏に、昔祖母から貰ったこけしみたいな娘の姿が浮かぶ。肩先まで伸びた漆 黒の髪と、大きな瞳。美人、という評価は当てはまらないが、どこか和む愛らしさがあ った。 月に一度は美容院に行き、肌のお手入れもメイクの研究にも余念がない祥子は、自分 が綺麗とか美人と賞賛されることを知っていたしその努力も払っていた。だが、同時に 彼女のような愛らしさとは縁がないこともわかっていた。 一生懸命大人ぶろうとしているけれど、純朴で一昔前の女学生といった佇まいの後 輩、野々村菜月。 まっすぐで生真面目で、どこか抜けている菜月のことは、祥子も嫌いではない。仕事 の飲み込みも悪くなかったし、何より手を抜かない一途な姿勢は気に入っていた。菜月 も祥子を慕ってくれて、懐いてくる様子が可愛かった。 だが、一哉が絡むとその関係が変化する。 一哉は、自覚していないだろう、まだ。 菜月のことを話す表情、声音、それに見え隠れするもの。 「係長に怒られて、憮然としてたよ。何で怒られるのかわからないって。ほんと、ばか だよなぁ」 一哉が、笑う。 ひどく甘く、まるい口調で「ばか」と口にして。 楽しそうに、嬉しそうに、とてもとても、大事そうに。見ているこっちが恥ずかしく なるような顔で。 恋人である自分に、他の女のことをそんな表情で語るなと、正直思う。 きっと、一哉は気付いていない。 自分が菜月のことを、どんな表情をして話しているのか。彼女にどんな感情を寄せて いるのか。 それが、可愛いがっているただの後輩に対しては、あまりにも逸脱していることも。 「バカはあんたでしょうが」 呟く声は聞こえなかったのだろう。 再びパスタの攻略にかかった一哉は、無邪気にフォークを操っている。細身の割り に、いい食べっぷり。それは、付き合うようになってから好きになったところ。 「ねぇ、一哉」 「なに?」 「あたしの……」 こと、好き? 聞きたかったけれど、虚しくなってやめた。 一哉はたぶん、祥子の問いを肯定するだろう。 でも、それにどれだけの意味がある? 「なんだよ、祥子。言いかけてやめると、気持ち悪いぞ」 あっけらかんと言われて、祥子の目付きが険しくなる。 どうして自分がこんな思いをしなければならない? 胸焼けするような表情で、甘さを潜ませた声で、菜月のことばかり喋る彼氏。無自覚 が免罪符になると思っているようで、そのずるさが、腹立たしい。 「……あっそ。じゃあ聞くわよ。あんた」 壊す予感はあった。 でも、一度滑り出した言葉は止めることが出来なかった。 「菜月ちゃんの事、どう思ってるのよ?」 一哉の表情が、固まる。 まるで、鳩が豆鉄砲を食らったような顔。 「どう……って、後輩だろ?」 嘘吐き。 「ふうん、そ」 「なんだよ、それ以外何があるって言うんだ?」 焦った声音。何に対する焦りなのか、いっそのこと悟ってしまえ。 半ばやけになって、祥子は笑う。 「言ってもいいの?」 それは、慎重に並べてきたドミノを倒すのにも似た、快感だった。 初めから、不安だった。 昔、祥子と付き合う前に、菜月をからかっていた一哉の横顔に、自分にしかそれまで 見せなかった色があった。 だから、まだ祥子に分があるうちに、恋人同士になるよう画策した。強引に、菜月に 知らせる形で。菜月の性格なら、恋人のいる男にどうこうしようとは思わないだろう し、相手が先輩である自分なら、尚のことだった。 転職したのを契機に同棲をはじめた時も、わざわざ伝えた。それも、一哉の口から伝 えさせた。常に二人の間に一線を引くように努力していた。 他人に知られれば、ずるいと言われるかもしれない。でも、構わなかった。好きな男 を手に入れるための努力だ、しないほうがバカだとすら祥子は思う。 菜月より自分の方が美人だという自覚もある、職場と家という違いこそあれ、共に過 ごした時間の長さは負けていない。まして、一哉は今祥子の恋人なのだ。 だけど。 「祥子?」 自分の名を呼ぶ一哉の声。それに、菜月の名を呼ぶときのような、昔は祥子を呼ぶと きにもあった甘い響きは、存在しない。 時間を重ねれば重ねるだけ、馴れ合いという情は発生しても、それ以外のものは生ま れなかった。恋人ではなく、家族のように穏やかに、祥子を見る一哉。 祥子は静かに、室内を見た。 クリーム色の壁紙、通販で買った組み立て式の家具、二人用のダイニングテーブル。 お揃いのカップや、茶碗、一哉がプレゼントしてくれた壁時計。 生活の跡はあるのに、思い出もあるのに、それらは箒で掃けば消え去る埃みたいに軽 く思えた。 今、最初のドミノを倒してしまえば、全部全部消えてなくなってしまう。 「……やっぱり、言わない」 「なんだ、それ?」 不審そうな、それでいて安堵したような、一哉を見つめる。 言ったら、気付いてしまうだろう。 そして、気付いたら終わってしまうことも、わかっていた。 あれだけ努力しても、こうなったのだ。もう、繋ぎとめられない、きっと。 「あんたはもっと悩んだ方がいいと思うし」 それくらいはしてくれてもいいだろう。 せめて、別れる前に。祥子の気持ちを考えて、深刻な顔の一つ位して欲しい。 「一哉はバカだから、もっと頭を使いなさい」 「ひっでー」 苦笑する一哉に合わせて、笑う。 目の前のバカな恋人が自分の本心に気付いた時に、祥子が祥子らしく振舞えるよう に。 幕を開けたのが自分なら、引くのも多分自分の役目だ。一哉はバカだけど、優しくて ヘンなところで頑固だと知っている。自分の気持ちに気付いて悩んでも、別れようなん て言えないだろう。その方が残酷だってことまでは、気付けないに違いない。 倒れたドミノが描き出す絵に、祥子の姿がないことがわかって。それでも、最後の一 つを上手く倒せなくて、苦しむのだ。傷つけずに別れるなんて、出来もしないのに。 だから、最後の一つは祥子自身の手で倒す。 泣いて縋るなんてマネは、プライドにかけて真っ平ゴメンだ。 その時にしゃんと立っていられるように、覚悟を決めるために、祥子は艶やかに笑っ た。
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