●短編 #0270の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
電話が鳴った。問題集から顔を上げて時計を見ると、21時50分。風呂上がりに問題集 に手をるけてから1時間も経っていない。私は首を軽く回してから、気を取り直して再び 問題集に視線を落とした。 「真琴、電話よ」 居間で母が叫ぶ。机の脇で充電中の携帯に目を向けた。着信に気付かなかったのかと 思ったのだけれど、携帯の画面に着信を示す表示はない。 とすると、誰かが家の電話にかけてきたという事になる。けれど、八方美人ではな い、言い換えれば友人の多くない私に、しかも携帯ではなく家の電話にかけてくるよう な心当たりはなかった。 「誰?」 居間で受話器を受け取りながら母に尋ねる。 「クラスの男の子。杉原君だって」 杉原。 その名前を聞いて、私は不覚にも動きを止めてしまった。それを見て、母はすかさず 「彼氏?」と聞いてくる母に、「そんなんじゃないわよ」と答えつつも、心がどこか穏 やかでない。私は逃げるように部屋へ戻ると、電話の保留を解除した。 「もしもし、お電話代わりました」 「あ」 彼はまるで私が出る事を予期していなかったような声をあげた。しばらく間があって 「1-Aの杉原ですけど」と絞り出すような声。 「こんにちは、いや、こんばんはと言うべきかな」 「夜だし、こんばんはが適当でしょうね」 どうでもいいやりとりで、私はようやく冷静さを取り戻した。 「それで、何の用?」 ちょっと単刀直入すぎるかなと思ったけれど、彼は気にする様子もなく本題に入る。 「年明けのさ、三が日は忙しいだろうから、4日か5日くらいに何か予定はある?」 壁に掛かったカレンダーに目を向けた。12月という大きな文字。もう年の瀬だからそ ろそろカレンダーを来年のものに取り替えないと。 いや、それよりも今は来年のカレンダーだ。私は鞄の中から手帳を取り出した。こち らには早々と来年のカレンダーが入れてある。 元旦は家族で初詣。2日は親戚の集まり。そして7日から学校。今のところその間に書 き込みはない。 「今のところは特に何もないわ」 「そう」 自分から聞いてきたにもかかわらず、彼はそれきり黙ってしまう。正確に言うと「 あー」とか「うー」という声は出すのだけれど、それに続く言葉が出てこない。 沈黙が続くうちに、なぜか私の方が落ち着かなくなってきた。早く続きを言って欲し いはずなのに、その続きを聞きたくない、そんな気持ち。続きを聞いてしまうと何か良 くない事になるかもしれないという不安。 次の言葉をうながす事も出来なくて、私はただ受話器を握る。 「あのさ」 どれくらいそうしていたのだろう。受話器から思い詰めたような声が聞こえた。 「良ければ、一緒に初詣に行って欲しいんだけど」 これはもしかしてデートのお誘いなのだろうか? そんな事を考えながら、私はどう でもいい事を口走っていた。 「でも私、元旦に家族と初詣に行くから"初"じゃないわよ」 ああもう、自分で自分に幻滅だ。せっかく人が誘ってくれているのに、色気のかけら もない返事。 「あはは、そうか、そうだよね」 けれど、彼は笑った。まるで、今まで我慢していたものを一気に解放するかのよう に。きっと電話の向こうで、涙を拭きながら笑っているに違いない。 「ちょっと、何がおかしいの?」 さすがにむっとして私が言うと、彼は相変わらずひいひい言いながら、ようやくとい った様子で声を出した。 「だってさ、普通は年始に神社仏閣に行ったら初詣だよ。でも字の意味から言えば君の 言うとおり、"その年に初めて詣でる"から初詣なんだよね。そんな当たり前の事を、当 たり前に指摘できるなんてすごいよ。さすが鶴舞だ」 そこまで言うと、またこらえきれずに吹き出す。 私はほめられたのかけなされたのか判断に困って、結局何も言えなかった。 大晦日から三が日までは、瞬く間に過ぎていった。 家族での初詣。親戚の集まり。そういった公式行事の他は、テレビのくだらない特番 を横目で長めながらの読書。本当は部屋で読みたいし、冬休みの宿題をこなしたいのだ けれど、「三が日は家族で過ごすものだ」という旧態然とした父親の方針で居間にいる しかなかったのは辛かった。嫌々ながら一緒にいても意味がないと思うのだけれど、父 親はとりあえず一緒にいるだけでも満足らしい。 私が嫌々ではなく一緒にいたい人はいるのかな。視線は本に落としたまま、そんな事 を考える。 親戚は単なるつきあいだし、アルバイトもしていない。学校の友達はそもそも少ない し、一緒にいたいとまで思えるだろうか。きっと卒業した後には連絡も取らないに違い ない。 ふと、杉原の事が脳裏をよぎった。昨年の夏に図らずも秘密を共有する事になってし まった彼。クラスの中でも敬遠されている私を初詣に誘った、風変わりな人。 初詣は5日じゃなくて4日にすれば良かったかな。 そんな事を考えた自分に驚く。 私は彼に会いたいのだろうか。百歩譲って会いたいとして、それは何故だろう。 後から思えば、三が日で居間にいたから良かったのかもしれない。そうでなければ、 きっと部屋にこもって悩み続けていただろうから。 日本晴れ。そんな形容の外に言葉もないほど見事な天気。私はいつもより寝不足な体 に活を入れるために、どんよりとした空を窓越しに眺めながら軽くのびをした。鏡を見 て、隈はできていないことを確認。高校入試の時でももう少し眠れたと思うのだけれ ど。 こんなに眠れなかったのは、あの夏の日以来だ。 実は前日、私は迷っていた。初詣にはいつも和服を着ていくし、元旦もそうした。小 さい時からそうだったし、何より和服が好きだ。2回目だろうと何回目だろうと、いわゆ る初詣に類する行事なら和服を着て行きたい。 けれど相手は杉原だ。女友達となら「おめかししてきたね」で済むけれど、男友達で もそうなのかしら。和服に対して一歩引かれてしまわないだろうか。 結論の出ないまま夜を迎えた私は、ふと気づく。いつもの私なら相手の出方をうかが ったりしないで自分が正しいと思う道を迷わず進むはず。今回何故か杉原相手にあれこ れ迷っているけれど、つまりは友達と出かけるだけなんだからいつも通りでいいに決ま っている。 そう決意した頃には、迷い始めてから半日が過ぎようとしていた。 彼が行こうと言ったのは、小さな山の麓にあるお寺だった。家に近いこともあって、 元旦に家族で初詣に行ったのも同じお寺。初詣は何となく神社に行くような印象がある のだけれど、この辺りには神社がないし、字義としても「神社・仏閣」に行けばいいみ たいだから、我が家は毎年お寺に詣でている。 待ち合わせ場所に指定された参道の入り口は、三が日を過ぎてさすがに人影もまばら だった。ましてや和服姿の人は一人も見あたらない。 どことなくのどかな風景の中に一点の違和感を覚えて、私は目をこらす。 待ち合わせより5分早く付いた私を待っていたのは、スーツを着たと言うよりはスーツ にくるまれたと言った方が似合いそうな杉原だった。 緊張した様子の彼は、私を見つけると一瞬目を丸くし、少ししてからほっとしたよう な表情を見せた。 「あけましておめでとうございます」 私がお辞儀をしながらそう言うと、彼はあわてたように一礼して同じ言葉を繰り返 す。 「良かった」 うれしそうな表情を見せる杉原。 「何が?」 「正直言って、服装に困ったんだよね。昨日までは何も考えてなかったんだけど、夜に なって急に普通な服じゃいけないような気がして」 私は内心のおかしさをかみ殺して、「服なんて別に何でもいいじゃない。友達と初詣 に行くくらい」と言った。 「最初はそう思ったんだけどさ」彼は私を上から下までしげしげと眺めながら答える。 「鶴舞が初詣に私服で行く姿が想像できなくて。正月だし和服だろうと思ったら、本当 に和服で来るんだもんな。スーツにしておいて正解だったよ」 心底そう思う、とうなずく姿に私は吹き出しそうになった。 「でもさ、この格好で立っていると通りがかる人がみんなじろじろ見るんだよな。居心 地悪かったよ。で、何で笑ってるの?」 「だって、私も昨晩服に悩んでいたのよ。似たようなことをしてるのね、と思って」 もっとも、私は自分の信念を貫いて、彼は私に合わせてくれたのだけれど。 「何だ、あれこれ悩んで損をしたかな」 そう言いながら、私に物珍しそうな視線を向ける。 「鶴舞もそんな風に笑うことがあるんだね」 「何よ、私が笑ってはいけないの?」 「いや、そう言う訳じゃないけど、今まではどこか陰のある笑い方しかみたことがなか ったから」 失礼な、そう思って口がすべる。 「嘘よ、あなたが見ていないだけでしょう。和音の方ばかり見ていたから」 その言葉が出たとたん、場の空気が凍った。 和音。 今はもうここにはいない和音。 あの夏の日、彼女がいなくなったその時、私たちはその場に居合わせたのだ。 誰からも愛された和音。誰もを愛していた和音。強くなろうとしていた和音。 まさかあんな形でいなくなってしまうなんて、誰が想像しただろう。 あの日の夜、私は一睡もできなかった。 どのくらいたたずんでいただろう。きっとほんの一瞬。でも、私の脳裏を走馬燈のよ うに和音が駆け抜けるには充分な時間。彼も同じような事を考えたのかしら。 そろそろ行こうか、という彼の声で私は現実に引き戻された。それがなかったら、私 は日が暮れるまで立ちつくしていたかもしれない。 止まっていた時間が動き出す。 「和服って歩きにくそうだね」 心なしか彼の声に力がないように思う。だから私は「大丈夫」という言葉を飲み込ん で、彼が差し出した手をそっと握った。 お参りを済ませる頃には、私たちは落ち着きを取り戻していた。まだ半解凍のような ぎこちなさは残っていたけれど。 「何をお願いしたの?」 「学業成就」 「嘘よ、神仏に頼らなくても成就しているのに」 杉原は常にクラスで1、2を争い、学年でも上位5指に入る実力の持ち主だ。 「いやいや、運も実力のうちだからね。運ばかりは自分の力ではどうにもならないか ら、こういう機会があればしっかりお願いしておかないと」 「はいはい、それで何をお願いしたの?」 私が取り合わないと彼は少しがっかりしたような仕草を見せたけれど、すぐに言葉を 続ける。 「恋愛成就」 その言葉に私は耳を疑った。聞くところによれば高校入学前から和音一筋。高校入学 後も本人たちは否定していたけれど、彼と和音の間には虫一匹も入り込む余地はないよ うに見えていたのに。和音がいなくなって半年で、もう恋愛成就を神様に祈るなんて。 「成就したい相手がいるのね」 何故か動揺した心の手綱を引きながら問いかけると、「まあね」という答えが返って くる。 『和音がかわいそうよ』 そう言おうとすると、彼の方が口を開いた。 「行きたい場所があるんだけど、つきあってもらえる?」 少し寂しそうな、それでいて毅然とした視線。その先には海。 彼がどこに行きたがっているかを悟って、小さくうなずく。彼が言わなければきっと 私が言っただろうから。 彼との手はつないだままだった。 冬の海は痛い。 夏のうだるような暑さの中なら優しく包んでくれるような海も、冬の寒さの中では肌 を切り裂かれそうな威圧感がある。 けれど杉原は海へ近づいて行った。和服の私を気遣って手を離した後も、自分だけは 波打ち際まで歩み寄る。そして靴を脱ぎ、裾をまくってくるぶしまで水につかった。 彼が足を踏み入れると同時に、波が少し弱まったように見えたのは気のせいだろう か。 あの夏の日まで、「神様のいない海」と呼ばれて海難事故の多かった海。 あの日沖に流された杉原を助けようと、和音が対峙した海。 そして和音の姿をかき消してしまった海。 海はそれ以来、表情豊かになった。異常気象の影響だと言われる中で、私と杉原だけ が本当の理由を知っている。 彼が戻ってきた。持っていた小さなカバンから、用意周到なことにタオルを取り出 す。 「ごめんね、和服なのに砂浜に連れてきて」 靴を履きながら謝る彼に、私は何と答えていいのか分からない。 今思えば、とても当たり前なことだ。あの日和音は竜となって海に入り、それ以来こ の海に神様が戻ってきた。そして初詣の主旨からすれば、神様にお参りするのは当然の こと。 「良かったの?」 「何が?」 彼はタオルをしまいながら首をかしげる。 「初詣は初めて詣でるから初詣よ。本当はここに先に来たかったんじゃないの?」 そう言うと、彼は鼻の頭を指でかきながら、困ったなという顔をした。 「確かに迷ったのは事実だよ。そんなに遠くないんだから、元旦にだって来られたんだ けどさ。電話であんな事を言われたら、普通に初詣に行かないといけない気になるっ て」 「あんな事?」 「初詣は、初めて詣でるから初詣」 思いがけず、自分が言った言葉が返ってきた。 「私、元旦に家族で初詣に行くって言ったわよね?」 私にとっては、どこに行こうがすでに初詣ではないのに。言外にそう言う私に、彼は 少しためらってから言った。 「鶴舞と初詣に行きたかったから。普通に」 「物好きね」 反射的に言い返してしまう。 「それに、普通って何よ。私たち二人が詣でるとしたら、初でも初でなくてもここが一 番なのではなくて?」 そう、信仰心を持たないで詣でるくらいなら、友人に会いにここに来る方がよっぽど 自然だと思う。和音だって杉原を待っているに違いないのに。 「手厳しいね」 苦笑する彼は、それでも「ごめん」と続けた。 雲の切れ目から陽が差した。それが和音の笑顔だなんて考えすぎかしら。 私と杉原は、しばらくまぶしく輝く太陽を眺めていた。 「鶴舞は何をお祈りしたの?」 少し陽が陰ったのをきっかけに、彼が尋ねる。 「そうね、平穏な生活、かしら」 「高校生は波瀾万丈くらいの方がいいと思うけどな」 でも、と私は昨年の出来事を思う。 「そう祈りたくなる気持ちは分かるけどね」 そう言う彼の目は、まだ海の方を向いている。そこから視線を外さずに、彼は続け た。 「また、ここに、一緒に来てくれる?」 それは何気ない誘いのようでいて、もっと重大な意味が含まれていることに私は気づ いていた。だからこそ、彼に言わないといけないことがある。 「そういうことは、相手の目を見て言うものではなくて?」 彼はなかなかこちらを向こうとはしなかった。それは単に恥ずかしいのか、私の言い たいことを悟ったのか。 昨年までの私。 人に見えない物が見えていた私。 不規則に体に表れる鱗を、包帯で隠していた私。 畏怖の目で見られていた私。 和音はそんな私を変えてくれた。解放してくれたと言ってもいい。 あの日、和音が竜になった時、彼女は私の中にいた竜も連れて行ってくれた。和音が そうしたかったのかどうかは分からない。でも結果として私の中の、あの人外のものは 消え去ってしまった。 見えていたものが見えない。 自分が弱くなった。 その事が新鮮だった。 陽は少し傾いていた。 「鶴舞」 首だけ振り返りながら、呟くように口を開く。夕日を背負いながら、体ごと向き直っ た。 「また一緒にここに来てくれる? ううん、来て下さい」 「私はもっと他の場所にも一緒に行きたいわ」 微笑みながら、憎まれ口を叩いてみせる。 「君が行きたいなら、もちろん他の場所にも」 そう言う彼も、微笑んでいた。 この雰囲気いいな。温泉につかっているような、マッサージチェアに座っているよう な、そんな気分。 でも、これだけは聞いておかないといけない。 和音のこと。 「和音に何て言うの?」 「ちゃんと言うよ。分かってくれるし、喜んでくれるよ」 彼は海の方を振り仰ぐ。そこに後ろめたさや気負いのようなものは感じられなかっ た。 「響一に好きな人ができたら、私はそれを応援してあげたいな」 不意に和音の声がする。 高校入学当初の和音は、幼なじみの杉原が好きだの、いや杉原の方が和音を好きだ の、興味本位の噂に取り囲まれていた。隙あらば本音を聞き出そうとするクラスメート に、笑顔で言っていたのがこの言葉だ。 「えー、私だったら我慢できないけどな」 「そうそう、失ってから初めて分かっても遅いんだよ」 周りはそう言っていたけれど、きっとあれは和音の本音。そうでないと、今の杉原の 自然体が理解できない。 逆に言えば、2人の関係は「好き」とか「つきあう」を超越していたのだろう。 そんな2人が、私にはうらやましい。 でもね、心の中で和音に呟く。 そうだと分かれば遠慮なんてしないんだから。あなたが後から「やっぱりダメ」と言 っても遅いのよ。 そうは言っても、あなたは生身の人間ではないんだから本当にずるいわよね。 「そろそろ戻りましょう。ここで風邪をひいたりしたら、きっと私が和音に怒られる わ」 「そうかな、僕が怒られると思うけど。海辺に連れてきて風邪をひかせるなんてひど い、ってね」 そう言いながら、彼は手を差し出した。 「和服で砂浜は歩きにくいでしょう。ごめんね」 「手をつなぎたいなら、素直にそう言ってくれてもいいのよ?」 「それもあるけどさ」 何かを言いたげに、ひときわ大きな波が打ち寄せた。私たちは手をつないだままあわ てて砂浜を走る。 振り返ると、夕日に照らされた海は何事もなかったかのように穏やかだった。 ※ 本作品は拙作「水底の天使」と同一シリーズを形成しております。 興味のある方は、ぜひそちらもご一読下さい。
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