●短編 #0085の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
夕闇が迫りつつある。 西の空は真紅に染まり、東の空は濃紺に沈んだ。 迷路のような住宅街は、濃い影を湛えて静まり返っている。 おれは、人がすれ違うことができないような裏路地を、かの子の手を引きながら歩 いていた。空を見上げる。真紅の空を暗い爪あとのような雲が、引き裂いていた。お れは、もう自分がどちらへ向かって歩いているのかよく判らなくなっている。 東京の住宅街は、少し中のほうに入ると車は通れないような細い道ばかりだ。おれ は、その闇に沈みつつある迷路のさらに奥深くを目指す。 遠くでサイレンの音がする。 しかし、おれにはそのサイレンの音が単なる幻聴なのか、おれたちを探す本物のパ トカーが鳴らしている音なのか判断できない。ただ、執拗に耳の中でその音は鳴り続 けていた。 時折、佇む影のような人を見かける。 おれにはその姿が警官のように見えた。もしかしたら、単に制服を着た警備員なの かもしれない。おれは、とにかく人目を避け、暗い路地裏を急ぐ。 どこかへ行くあてがあるわけではない。 そもそも、自分のいる位置自体がよく判っていなかった。おれに手を引かれるかの 子が、喘ぎ声とともに呟く。 「痛いよ、啓ちゃん」 おれは、立ち止まりかの子を見る。かの子は肩で息をしていた。随分な距離を歩い ていたような気がする。立ち止まると、疲労が身体の中に蹲っているのが判った。汗 が額を伝ってゆく。 「どこかに、身を隠さなくては」 おれの言葉に、かの子は眉をひそめる。 「どこかって、どこ?」 おれはかの子の手を引く。そして、コンクリート塀の上へ、素早く登る。そこから、 木造アパートの二階にある窓へ、手がとどく。おれは、かの子も塀の上へ引き上げ、 アパートの窓から二階の部屋へと入り込んだ。 無防備な部屋だった。開け放された窓。そこから六畳程度の和室へ入る。 おれは脇に吊るしたホルスターから拳銃を抜く。一応、サイレンサーは装着してあ るが、この住宅街で発砲すればおそらく音は響き渡るだろう。できれば、使用したく ない。 部屋は障子によって、奥の炊事場らしきところと仕切られている。炊事場らしきと ころには、人の気配があった。 おれはかの子に目で指示を出し、障子に手をかけさせる。おれが拳銃を構えた状態 で、かの子が障子を開いた。そこにいた、和服姿の人間がこちらを向く。 白髪の老女だ。おれは、安堵の溜息をつく。銃は使わなくても済みそうだ。 割烹着を着て、包丁を持った老女は落ち着き払って言った。 「何の用だい」 「特にあんたに危害を加えるつもりはない。あんたが、おれたちの指示に従うのなら な」 老女は、ふんと鼻で笑う。 「どうでもいいけどね、用が無いなら料理を続けさせてもらうよ。うどんを作ってい たとこなんだ」 おれの答えを待たず、老女はくるりと振りかえると炊事場を向く。湯気のたつ鍋へ、 うどんをほうりこんでいった。 老女は、少しぼけているのだろうか。状況をよく認識できていないような気がする。 おれはかの子に指示を出し、電話のコードを切断させた。おれはテレビのスイッチ を入れる。テレビは相変わらず臨時ニュースを流し続けていた。 暫くして、老女は盆にどんぶりを三つのせて部屋へ入ってくる。おれは溜息をつい た。 「なんのまねだ」 「うどんを作ったんだ。あんたらも食うといい」 「どういうつもりだ」 老女は鼻をならす。 「どうもこうも、夕食時にあがりこんできた客にはとりあえず夕食をふるまうもんさ ね、それとも腹は減ってないのかい?」 「啓ちゃん、あたしお腹空いた」 そういうかの子の前に、老女はどんぶりに入ったうどんを置く。そして、おれの前 にもひとつ置かれた。 「やれやれ、リボルバーにサイレンサーなんかつけているのかい。拳銃なんかしまっ たらどうだい。こんな老いぼれ一人、いい若いもんならなんとでもできるだろうよ」 おれは拳銃をホルスターへ戻す。 老女はおれの前に、正座した。姿勢のいい、立ち居振舞いがしっかりした老人だ。 見た目は七十は越えている感じがする。 顔立ちは整っており、目には知的な光があった。おそらく若いころはさぞかし美人 だったろうと思わせるものがある。 「啓ちゃん、あたし食べるよ」 「好きにしろ」 かの子は割り箸でうどんを食べ始める。かの子は無邪気に微笑んだ。 「おいしいよ、おばあちゃん」 「そうかい」 おれも、結局そのうどんに手をつけた。味はほとんど判らない。老女はおれのつけ たテレビのほうに、顎をしゃくる。 「これをやったのは、あんたらかい」 「そうだ」 「やれやれ、新都庁の爆破とは豪儀だねえ」 老女はうどんをすすりながら、皮肉な笑みを浮かべる。おれはなぜかその笑みに、 酷く苛立ちを感じた。おれは老女に向かって言う。 「アメリカの進めるグローバリゼーションに追随するしか能の無い日本政府と日本人 は、血の制裁を受ける必要がある」 「あきれたね、罪の無い人間を殺してそのいいぐさかい」 「判っていないな、アメリカの遂行するグローバリゼーションがアジア各地でどうい う状況を引き起こしていると思っているんだ。結果として民主主義は解体しつつある。 アジア諸国はファッショ化しマフィアと結託した政府組織は多くのイスラム教徒を虐 殺し、それを正義の裁きと評価している」 おれは、自分で自分の感情を制御できなくなりつつあった。ここで話をしても仕方 のないようなことを、しゃべり始めている。 「アジア各地の政府は自由市場の展開とともに、マフィアと結託した企業に買収され、 同時に社会基盤となるインフラ設備を私的に独占し、民衆を搾取し逆らうものを虐殺 していく。アジア各地の貧富の差はどうしようもない状態になっている。それはあの 中国ですら同様だ。中国政府は収賄によってまともに機能していない。それら全ては アメリカのグローバリゼーションによって引き起こされたことだ。それになんの自覚 もなく追随している日本人は、そのことによって血を流しているアジアの人々の苦し みを知るべきだ」 老女は鼻で笑う。 「だから、日本人にも血を流させたっていうのかい」 「そうだ」 おれは、いつのまにか夢中になってしゃべっている。老女は冷たく冴えた目でおれ を見ていた。 「アメリカは圧倒的な軍事力によって世界を、そして自身をも抑圧的な支配力で覆い 尽くそうとしている。イスラム圏へ軍事侵攻を行い、それを正義の戦いと称している。 馬鹿な話だ。戦争に正義もくそもない。全ての戦争は愚かしく無意味だ」 「変わらないねえ」 老女は首を振る。 「何と変わらないというんだ」 「あんたの論理は戦前の大日本帝国の論理ととてもよく似ているよ。西欧物質主義の 頂点に立ったアメリカと、東洋的精神主義の頂点に立った大日本帝国が黙示録的最終 戦争を行う。それが第二次世界大戦における日本側の論理さ」 「おれは戦争を肯定する気はない。全ての戦争は悪しきものだ。おれたちは黙示録的 最終戦争なんて戦う気はない」 「判ってないね」 老女は冷たく言い放つ。 「戦争を全否定する。つまり自身の論理を極論化し、相手の論理も極論化している。 ブッシュの言う我々の味方か、さもなくばテロリストの味方かの二者択一を迫る論理 と同じだし、立場を二極化した戦前の日本の論理とも同じだよ。そもそも、戦争は悪 だとでも思っているのかい」 「全ての戦争は悪だ。当然だろう」 「馬鹿げたことを。戦争は悪でもなければ正義でもない。戦争はそもそも善悪のメタ レベルなんだよ。戦争こそ、何が正義であり何が悪であるを、決めているんだ。だい たい、戦争が悪という論理は、アメリカが第二次世界大戦後に日本を占領統治する際 に用いたイデオロギーだ。つまり第二次世界大戦という戦争が結果として、戦争は悪 という正義の概念を成立させたんだよ。戦争は何が正義で、何が悪かを決定する。負 けたものが悪で勝ったものが正義だ。そもそも正義という概念自体が、占領統治にお いて支配者がふりかざす自己正当化の論理にすぎない。いいかい、望もうが望むまい が正義を語りたければ戦争に勝つ必要がある。そういうものだ」 「ふざけるな、それならおれたちには語る権利は無いという気か」 「そうさ」 老女はせせら笑う。 「だいたい、ブッシュをアメリカと等しいものと考えているようだけど、ブッシュは タカ派にコントロールされている低能な傀儡だろう。タカ派がいまのまま政権を握り コントロールし続ければ、アメリカの財政は破綻する。やつらに中長期の展望は無い からね。アメリカを崩壊させたければむしろブッシュのやりくちを肯定すべきだよ。 それともブッシュを否定して、ニクソンからクリントンへ至るリベラル路線でも支持 するかい? それこそ破綻しつくした手法だけどね。あんたに語るに値する、今の世 界へ提示可能な理念があるとでもいうのかい」 「あたりまえだ」 「はっは」 老女は笑う。その冷たく人を見下したような目が、おれの苛立ちを募らせる。 「馬鹿をおいいでないよ」 「何が、馬鹿か。おれたちはあらゆる西欧近代のイデオロギー、思想、哲学の外側に 立つものだ」 「おかしなことをいうね」 「いいか、近代という選択そのものが人類史上最大のあやまちだった。おれが否定す るのは近代における絶対戦争だ。前キリスト教世界における戦争は、近代戦のような 無差別殺戮を行っていない。それは供儀と一体化した神聖な儀式だった。人間の生そ のものを全否定するような近代的絶対戦争はデカルトから始まる西欧近代理性が引き 起こしたものであり、その歴史の終焉に、そうヘーゲルが予言したあの終焉にアメリ カグローバリゼーションがある。おれの敵は西欧近代そのものであり、おれは戦争の 論理、戦争の正義そのものを否定し解体するポジションに立っている」 老女は面白がっているように、おれを見る。 「あんた、じゃあ、どこに立っているんだい」 「おれたちはエゾテリスム的、つまり魔術的秘密結社である神聖アシュバータ教団に 属している」 「あっははははは」 老女は声をあげて笑う。そして、怜悧な瞳でおれを貫く。 「あんたは、前近代をあの俗流経済人類学者の文脈に従って、安定したシステムだっ たとでもいう気じゃないだろうね。そんな馬鹿げた迷信は捨てちまいな。前近代こそ、 暴力が荒れ狂っていた。その自然が振るう暴力の中に、魔術があった。それを肯定す る気かい。馬鹿な。人間は自然の中に満ち溢れている暴力に耐えきれないからこそ、 それを上回る暴力的システムを開発したのさ。それがいわゆる近代だ。人間はそのシ ステムの中に隠れる道を選んだというわけさね。いいかい、近代を捨ててもより苛酷 な暴力へと向き合うだけだ。そんなことをするには、人間はあまりにも脆弱なんだよ。 途方も無く、人間は弱い。いうなれば人間は呪われた存在だね」 「あんたは一体」 問いかけの言葉を発しようとするおれを無視して、老女はかの子へ目を向ける。 「嬢ちゃん、あんたはなぜここにいるんだい」 かの子は、汁をすすっていたどんぶりを置いて、驚いた顔で老女を見る。 「あの、あ、あたしって、その、啓ちゃんについてきただけで」 「そうかい」 老女は静かに頷く。かの子は暫く俯いていたが、突然喋りだした。 「あ、あの、あたし、啓ちゃんみたく難しいことは、よく判らないんだけど。でも、 なんていうか、その」 老女は黙ってかの子を見ている。かの子は言葉を続けた。 「あたしのお父さん、大手電気メーカのエリート社員だったの。それでもの凄いスピ ードで出世して間違いなく将来はその企業の役員になるっていわれてたわ。それで東 南アジアにその企業が進出したときに陣頭指揮をとるため、お父さんは東南アジアに 出張したの。でも、お父さんそこで現地の女の人と恋におちてそのまま駆け落ちとち ゃったの。それでお母さんは三回自殺未遂して今は病院からでてこれなくなっている。 これって何かおかしいわ。何か間違っている。啓ちゃんみたいにちゃんといえないけ ど。啓ちゃんに連れていってもらった教団の人も言ってた。今の世の中は、システム 自体がよじれておかしくなってしまっている。そのシステムを修正してなんとかしよ うとしても、よじれが酷くなるだけだって。スクラップ・アンド・ビルドしかないん だって。あたし、そのとき、難しいことはよく判らないけど、色んなことが腑に落ち たのよ」 ふふっと老女は、笑う。 「嬢ちゃんのほうがまだまともだね」 「おい」 おれは、老女に言った。 「あんた一体なんなんだよ」 「あんたと似たような生き物さ」 老女は、投げ遣りに言った。 「ただ、あんたのように理想を持つほど愚かではなかったけどね。私たちはあらゆる 帝国よりもハイスピードな戦争機械だと思っていた。私たちは帝国を愚弄し、そのシ ステムを嘲弄することにより自己矛盾を露呈させ続けることができると思っていた。 私は人間の脆弱さを理解していなかったんだね。結局私がコントロールしていた組織 はテロ組織に成り下がった。だからいったん日本の司法機関に私は身を委ねた。でも、 一度組織を構築した私には、もうそんなことは許されなかった。組織は私を司法機関 から奪回した。馬鹿げた話さ」 「言っておくが」 おれは、老女の瞳を真っ直ぐ見詰める。 「おれたちの教団は脆弱ではない。マルクスはあらゆる思想は生産手段という下部構 造に規定されるといいながら、その生産手段を奪取する方法論を展開できなかったと ころに欠点がある。おれたちは違う。おれたちは、生産手段を秘教的に取得する方法 論を構築している。エゾテリスムを身体に刻み込み、それを生そのものと直結させる ことによってあんたのいう人間の脆弱さを克服している」 「ふざけるのも、いいかげんにしたらどうだい」 ぴしり、と老女は一喝した。 「あんたらの語っているのは所詮妄想さ」 「そうだ」 おれは、真顔で答える。 「しかし、おれたちのすべきことは妄想をコントロールすることだ。違うか」 「観念によって革命戦士を創り出そうとして、ただのリンチを行った連中と大差はな いね。妄想をコントロールだって。馬鹿をいうんじゃない。あんたらの妄想は暴力と して無制御のまま溢れ出ているじゃないか」 おれは、必死で食い下がる。どこか敗北を予感しながら。 「血の制裁。それによって民衆を覚醒させる。今は暴力の氾濫だが、血を流すことに よって民衆は覚醒し世界を変えるんだ」 「違うね。あんたは自分の妄想で世界を覆うことを望んでいるだけさね。あんたには、 本質的な覚悟が無い。自身の血を流しながら、圧倒的暴力へ向かい合う覚悟が」 「違う」 おれは、夢中で叫ぶ。老女は冷酷に言った。 「じゃあ、ここで私を殺してみるかい。あんたは遠隔地から爆破することはできても、 自分の目の前にいる人間を撃ち殺せない。遠隔地からの爆破は、妄想を維持し続ける。 でも、目の前の人間を殺すという暴力の氾濫にはあんたは耐えられない。結局、脆弱 さは克服されていない」 「くそっ」 そんな挑発にのる必要は無いと判っていた。でも、おれは拳銃を抜いてしまう。拳 銃を眉間につきつけられても、老女は冷静だ。 「撃ちなよ」 そういいながら、老女は無造作に拳銃の輪胴弾倉を掴む。おれは、トリッガーを引 いた。しかし、銃は作動しない。 「馬鹿だね」 老女はせせら笑う。 「本気で撃つなら、撃鉄を起こしておくこった。ダブルアクションのリボルバーは弾 倉を掴まれちゃ、撃てないだろうが」 おれは、拳銃を無理やり引く。老女はおれの力に逆らわず拳銃を差し出したため、 おれは体勢を崩した。老女は空いた手で割り箸を折り、尖った先をおれの目へ突き出 す。 おれは顔をひねってよける。意識が拳銃からそれたその瞬間、拳銃は老女の手へと 移っていた。 老女はなれた手つきで弾倉をスウィングアウトさせる。弾を抜くと、一発を残して 弾を捨てた。老女は器用に一発だけ残った弾倉を回転させると、銃を一振りして弾倉 を元に戻す。 「さあて」 老女は楽しげに笑った。 「あんたと私。この論争には言葉じゃ決着つかないと思わないかい? 賭けをしよう じゃないか。ロシアンルーレットってやつさ。どちらが正しいかは神様が決める」 「おい、待て」 おれの言葉を老女は無視し、拳銃をおれに向け無造作にトリッガーを引く。カチン、 と乾いた音がして撃鉄は空の薬室を打った。 老女は、にっこりとどこか満ち足りた笑みを見せる。 「さてと、次は私だね」 老女は撃鉄を起こすと、銃口を自分のこめかみに当てた。 トリッガーが引かれる。 どん、と鈍い音とともに二十二口径弾は発射され柱へめりこむ。老女の腕にかの子 がしがみついていた。老女は、乾いた声で言う。 「嬢ちゃん、馬鹿なことを」 「だって」 かの子は、ぽつりと言った。 「だって、うどんが美味しかったから」 老女はあははと笑う。かの子は老女の手を離して言った。 「お母さんの味だったの」 「あきれたね、これは」 老女はおれの前に拳銃を投げ出す。そして、押し入れをあけた。押し入れの床を開 くと穴が現れる。 「この梯子を下っていけば、地下通路がある。戦時中の防空壕だ。そこをまっすぐい けば、廃屋の古井戸へ出る。そこから逃げな」 「なぜ」 老女は、喉の奥で笑った。 「賭けに負けたのは私だからさ。嬢ちゃん」 老女はかの子に笑みを見せる。 「また、うどんを食べにおいで」
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