●短編 #0034の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
これで最後にしようと私は思った。 固い決意の元に、最後となるフルーツケーキを作りながら。 もうこれでお菓子作りは終わり。 もう最後なんだから。 もともと、毎週末に用事がなければお菓子を作るのが趣味だった。 さすがに売り物にしている訳ではない。だが、ホームページに作った「家でできるお 菓子づくり」は、自作品の写真入りでいろいろなコツを掲載しているせいか結構な人気 がある。 そのための一連の作業すら楽しくて、その感想などを貰うとさらなるお菓子づくりの 励みになっていた。 だけど、もうお菓子は作らない。 だって、私はそのせいで彼に振られたんですもの。 『別れよう』 いつものようにお菓子持参で彼のアパートを訪れた私は、部屋にも入れてもらえずそ う宣告された。 冷たい彼の言葉が信じられなくて呆然としていると、彼は見事なお腹を撫でてその理 由を言った。 『お前とつきあっていると際限なく俺の体重が増え続けるんだ』 『だ、だって……食べてくれるから。いつだっておいしいって』 私と同じで甘党で大のお菓子好きな彼だから、ずっとつきあってきたのだ。 『確かにお前の作る菓子はおいしい。だがそれも毎週、食事ができなくなるほどの量は 問題だろ。昼飯や晩飯の替わりにお菓子を食べ続けるなんて』 『だって、そんなの休みの日だけだし』 なおも言いつのる私に、彼は首を横に振った。 『休みの日だけだろうが、確実に俺の体重は増えているし、お前の菓子づくりは止まら ない。それに……』 ふっと言葉を切った彼は、私の前に一枚の紙を突きつけた。 『見ろ。ここを。医師の所見欄だ』 <要請密検査 血糖値異常> そんな単語が目に飛び込んできた。 『え……』 『今日、精密検査を受けてきた。糖尿病だと』 『糖尿病?』 その言葉に呆然と目の前の彼を見遣る。 確かにつきあい始めた頃はもっとスリムだったような気がする。 彼が着ている服は一年前に買ったシャツだけど、あの時はもう少しゆったりとしてい た それが、今はぴちぴちだ。 『別にお前の菓子のせいだけとはいわないがな。それを際限なく食べていた俺にも責任 があるだろう。だが、お前が菓子づくりを趣味にしている以上、もう俺はお前とつき あえない。お菓子づくりをとるか、俺をとるか……』 つきあえない……。 その言葉が頭の中をぐるぐると回る。 持っていた袋がぱさりと落ちたのは気が付いた。 お互いに『さようなら』だけは言いあった記憶はある。 だが、はっきりと意識が戻ったのは自分の部屋だった。 ぽろぽろと際限なく流れ落ちる涙が頬を伝いブラウスを濡らし続ける。 まさか、あんな理由で別れが来るとは思わなかった。 ずっと恋して、結婚して、子供を生んで……。 子供が帰ってきたら必ず私の手作りお菓子が食卓を飾っていて、誕生日ともなれば子 供のリクエスト通りの手作りケーキにキャンドルを灯すんだから。 そう話し合ったは、ついこの前ではなかった? なのに、もう彼とは結婚できない。 こんなにも好きだったのに。 だけどその原因が私のお菓子なんて。彼を病気にしてしまった私の……責任。 もし彼とヨリを戻したければ、もうお菓子は作れない。 彼の病気が治るまでカロリーをコントロールした食事だけの生活をして。 その生活にはお菓子はない。 でも、それでも私は彼とヨリを戻したかった。 こんなにも私は彼を愛しているんですもの。 「もうお菓子は作らない。替わりにカロリーコントロールできる献立を考えるわ。そう すればまた、前のようにつきあえるわよ」 本当にそれで彼がヨリを戻してくれるかどうかは難しいとは判っていた。 だがそうでも考えないと奈落の底まで落ち込んだ心が這い上がりそうになかったの だ。 「証明してみせるわ。お菓子づくりだけが私ではないことを」 その決意の証として、次の日の日曜日にフルーツケーキを焼いて10年以上続いたお 菓子づくりに終止符を打ったのだ。 打ったはずだった。 何で……。 適度な照り具合といい、焼き上がりの色といい、これ以上に無いというほどにおいし そうに焼けたアップルパイ。直径25cmの形も匂いも申し分ないできあがりのそれを 私は呆然と見つめていた。 だけどいつのまにこんな物を作ってしまったのだろう? いや、それは確かに私が作ったのだ。辿ってみればその記憶はある。 第一、その表面を飾る独特の網目模様は私自身が考案したオリジナルの模様だし、だ いたい、私は一人暮らしだ。 ここにある今パイを取り出したばかりのオーブンも、流しに突っ込まれた数々の料理 器具も全て私のものだから、私以外誰がこの部屋でパイを作るというのだろう。 判りきった問いかけは、判りきった結論で締めくくられる。 だけど……。 信じたくなかった。 あれほどの胸の痛みを経験して、もうお菓子を作るまいと固く決意をしたのは先週の 日曜のことだったというのに。 最後にフルーツをたっぷり使ってのフルーツケーキを20cmのサイズで焼き上げ て、朝昼晩と3日間かけて食べ終えた。 それがつい先日のことだ。 さすがに胸焼けするほど食べ続けたせいか、「お菓子なんか見るのも嫌」と思ったは ずなのに。 なのに、なぜ私はまた作ってしまったのだ? 間違うことなく自作のアップルパイを前に、私は力無く床に座り込んだ。 「もう作らないって決めていたのに」 あの固い決意は何だったのだろう。 だが、実際にはアップルパイがテーブル上にある。 「小人さんでもやってきたのかしら……」 そんなことはないと思いつつも、昔読んだおとぎ話を思い出して口にしてしまう。 だが、幾ら現実から目を背けようとしても、それはやはり自分が作った物なのだ。 がっくりと肩を落として、ぼんやりとそれを眺めた。 「……きっと、材料がまだ残っていたから惰性で作っちゃったのよね」 まだ冷蔵庫に残っているバターやベーキングパウダーを思い描き、溜息をつく。 「捨てよ」 のろのろと立ち上がって部屋のあちらこちらにある材料をゴミ箱へと放り込んでいっ た。 ついでにケーキ型やクッキー型も金属ゴミの袋に放り込む。 これでもう作れない。 と、ほっとしたところでアップルパイのおいしそうな匂いが鼻孔をくすぐった。 もう食べまい、と誓ったお菓子。 だが、そのできばえはどう見ても最高の物だ。 「もったいないし……これを食べて終わりっていうことにすればいいわよね」 そうやって自分自身を納得させると、パイを一切れ口に運んだ。 「おいしっ!」 パイ生地のさっくり感もさることながら、中のリンゴジャムも適度な甘酸っぱさで申 し分ない。 我ながら何というできばえだろう。 自画自賛しながら、つぎつきとパイを口に運ぶ。 焼け具合も文句なし。食べてみればそれがよく判る。 こんなおいしくできるなんて……。 何が良かったのかしら? やっぱりパイ生地のこね具合かしら? だが悔しいことに、どんな風に作ったのか綺麗さっぱり記憶から抜け落ちているの だ。 「ああん、悔しいっ!今日のレシピをサイトに載せたかったわ。あ、でも写真はOKよ ね。綺麗に切り分けなきゃっ」 るんるん気分で捨てたケーキナイフを引っ張り出してパイを切り分ける。 お気に入りのお皿にパイを載せ、いつも写真撮影用に使っている小さなテーブルにク ロスを敷いて飾り付けた。その中心にケーキ皿を置く。 「そうね。このフォークを添えて」 とっておきの銀のフォークを添え、光の加減を慎重に調整してデジカメのシャッター を切った。 パソコンの画面に表示されたアップルパイ。 それをずっと見ていた。 やっぱりお菓子づくりは止められない。 一週間前の悲壮な決意はなりを潜め、お菓子づくりのさらなる高みを目指したいとさ え思う。 最高傑作とも言えるこのアップルパイを作れるこの腕を、むざむざ埋もれさせても良 いのか? 結婚なんて……。 気が付けぱそう考えていた。 無意識の内にお菓子を作ってしまう私に、この後ずっとお菓子づくりを我慢するなん てできる? そんなこと無理に決まっているじゃない。 ぐっと握りしめた拳が、私の決意を現していた。 結局、私はお菓子づくりが止められなかった。 そして、私が止められなかったように、彼もまた私のお菓子を食べるということ止め られなかったのだ。 しかも市販のお菓子類は不味くて堪らないと言って、我が家を訪れたのは別れを宣告 されてから1ヶ月もたっていなかった。 「ごめん」 困ったように顔を歪める彼を私は招き入れた。 そこにはできあがったばかりのフルーツゼリー。 「カロリー控えめで、ビタミンたっぷりなの。私もちょっとダイエットしなきゃいけな いことに気がついてね」 戸惑い気味の彼に安心させるように、70kgの大台に乗ってしまった体を揺すって 笑いかける。 「だからあなたでも大丈夫だから」 そうだ、と気がついたのは、いつものサイズが入らなかったとき。 彼が太るのであれば自分も太っていてしかるべきなのだと。 だったら、お菓子づくりも考えなきゃいけないと、そして出した結論だった。 もう作らないとは考え無かった。 自分が作るお菓子の目的が変わっただけ。 ノンシュガーで低カロリーの、カロリー制限が必要な人でもOKでおいしいお菓子の レシピを考案すること。 実体験を元に次々と生み出したそのレシピ達は、インターネット上で注目を集め、つ いにその集大成ともいえる本を出版することになった。 今は旦那様となった彼と2人の子供。そして私。 一時期のような丸々とした体型は今はもうどこにもない私たち。当然食事制限だけで 糖尿病を克服した旦那様は、年一回の定期検査で異常なしを記録していく。 絵に描いたような幸せに包まれて、あの時、最後にしなくて良かった……と、つくづ く思っている。
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