●短編 #0012の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
こんにちは、作者の寺嶋です。 読者の皆様におきましては、『そばいる』シリーズを始め、つたない作品を ご愛顧いただき、感謝に堪えません。 堅苦しい口上はここまでとしまして。 昔、読者の方からこんなご指摘を受けました。『そばいる』がまだ中学校編 の頃です。 「白沼さんは、どうして調理部に入らないんですか?」 ――どきっ。なかなか痛いところをつかれました。 続きに耳を傾けてみましょう。 「相羽君を追い掛けて入部するのが当然だと思うのに、そうしないなんて変。 ひょっとすると、茶道部は部活動の掛け持ち禁止なのでしょうか。相羽君の 調理部入部よりも先に、茶道部に入っていた白沼さんは、だから調理部に入れ なかった……でも、おかしいです。白沼さんのあの執念深さ(笑)から考えた ら、茶道部を退部してでも、調理部に入るんじゃないでしょうか」 なるほど、ごもっともです。 だけど、あの当時(中学一年生)の白沼さんは、相羽君の他に、立島君にも 狙いを付けていたんですよ。お忘れかもしれませんが(笑)。 だから、安易に、調理部に入るような行動には出られなかったんじゃないで しょうか。たとえば「やっぱり立島君がいいわ」なんて思っちゃったら、バス ケ部に入らなきゃいけない。その都度、退部と入部を繰り返すなんて節操のな い真似は、さしもの白沼さんもしたくなかった。 それならいっそ、一番慣れ親しんで自信のある茶道部に入り、自分をさらに 磨こうという魂胆だったんですね。 さて、ここで話を打ち切ってしまっては、面白くありません。と言うよりも、 作品になりません。折角ですから、ちょっとしたエピソードをお届けします。 そう、白沼絵里佳メインのお話を。 『そばいる』本編につながる予告編とも言えるかもしれません。 * * 「まったくもう!」 二年生になっておよそ一ヶ月。晴天の下、白沼絵里佳は立ち往生していた。 休日の工場街を通り抜けようとしていたところだった。 (こんなときに限って、チェーンが外れるなんて! どんな整備をしているの かしら) 自転車でのお出掛けは、白沼にしては珍しい。これがそもそもよくなかった のかもしれない。 と言っても、彼女は気まぐれで自転車を選択したわけではなく、車で送って もらうつもりが故障のため、やむを得ず自転車で行くことにしたのだから、避 けようのない事態であった。 (サイクルショップとは行かなくても、これだけ工場があるんだから) 周辺を見渡す。どこもシャッターを降ろし、しんとしている。目つきが悪く なった。 (誰かに助けてもらうこともできないみたいね。ふん) 外れたチェーンを元に戻す術を、白沼は知らない。たとえ心得ていたとして も、手の汚れる作業を彼女が積極的にやるとは考えにくいが。 (このまま自転車を置いて、徒歩で行くには、少々厳しい距離ね。それに、自 転車を誰かに持って行かれてしまうかもしれない。冗談じゃないわ) 高校生が乗るにしてはかなり高級な部類の自転車だ。お洒落かつ頑丈、つい でに軽量。色々とオプションも付いている。 (仕方がないわね。押して行くしかない。その内、サイクルショップが見えて くるに違いない) ハンドルに左右の手をそれぞれ添え、スタンドを倒すと、自転車をゆっくり と押し始める。 風が強い。自転車に乗っている間は、スピードのせいと考えて気にしなかっ たが、実際に本日は強風であった。砂ぼこりが舞うほどだ。 (こんなとき) 少しばかりうつむきがちになって、自転車を押しながら、白沼は想像を始め た。どうでもいいのだけれど、比べてしまう、そんなことを。 (もしもあの子が−−涼原さんがこういうピンチに陥っても、きっとすぐ近く に親切な人がいて、助けてもらえるんだわ。そういう星の下に生まれてる) 自分でした想像がおかしくって、笑った。自嘲気味になる。 (いいえ、それよりも、相羽君が通りかかるんじゃないかしら、偶然にも。今 さら遅いけれども、私にもそういう機会が巡ってきたって、罰は当たらなかっ たと思うわ。不公平なのよ。神様がいるかどうか知らないけど、何事も公平に してもらいたかったわね) 考えごとに夢中になって、前方への注意が若干疎かになっていた。ちょうど 角に差し掛かったとき、出会い頭に人とぶつかりそうになったのだ。白沼がブ レーキを引くとともに、徒歩の相手は両腕を肩の高さまで上げ、爪先立ちをす ることで衝突を回避できた。 「危ないわね。気を付けなさいよ」 それまでに積もった苛立ちが、白沼に非難めいた言葉を吐かせる。相手はし ばし面食らったように立ち止まった。 白沼はこのときになってようやく、相手をしげしげと見る余裕ができた。背 は低いが、歳は自分と同じくらいの男だった。 「あ」 その男子が指差してくる。何よ失礼ねと、白沼の表情がきつくなる。 「白沼さんだ」 間の抜けた調子でそう言われた。知らない相手から名前を呼ばれるのは、あ まりいい気分でない。 「どうして知っているの。私、あなたのことを全く知りませんけど」 「あ、怪しくありませんよ。僕、緑星高校です。一年二組」 同じ高校の生徒なら、知っていても不思議ではない。何しろ、白沼は校内で はそこそこ有名人であり、他の学年にまで知られている存在なのだから。本人 もそれを十二分に意識しており、警戒心も多少緩んだ。 「富平(とみひら)っていいます。びっくりしたなあ、こんな場所で白沼さん を見掛けるなんて。あ、先輩と呼ばなきゃいけませんでしたね。失礼しました、 白沼先輩」 「……」 ここを自転車で通るのは数年ぶりよとか、あなたはこの辺りに住んでいるの とか言いそうになった白沼だが、やめた。何故、そんな話をしなければならな いのか、理由がない。こうべを垂れた富平を見ながら、軽くため息をついた。 「そう。じゃ。覚えていたら、学校で」 素気なく言って視線を外し、自転車を押す。数メートル進んだところで、後 方から質問が飛んで来た。 「パンクですか?」 「――チェーンが外れたのよ。見て分からない?」 足を止めはしなかったが、振り返って答える。すると、富平が小走りに駆け てきて、追い付いた。 「ほんとだ。チェーンが外れている。直しもしないで押しているから、てっき りパンクだと思ってしまいました」 富平ののんびりした話し方に、白沼は一瞬目を伏せ、いらいらをこらえた。 同じ高校の同学年であっても今日知り合ったばかりの相手に頼むのはみっとも ないと考え、さっさと立ち去ろうとしたのに。 「分かっていたのなら、もっと早く声を掛けてくれないかしら」 「あ、いや、ごめんなさい。でも、白沼先輩がチェーンを直せないとは思えな い……」 「――手が汚れるものね」 知らないわ、人任せだからとは答えられず、機械油のせいにした。白沼が意 識せずとも、口調はクールミントガムみたいに冷たくなる。 「だったら、僕が直しますよ」 「……お願いするわ」 白沼はわずかばかり、お辞儀をした。意識の奥底では、富平の口から助け船 の申し出があることを待っていたのかもしれない。 「端っこに寄せて、と」 いちいち声に出しながら、白沼の自転車を道端に寄せる富平。しゃがみ込む 刹那、彼の横顔が白沼にはっきり見えた。悪くない、整った容貌だが、どこと なく軟弱に思える。子供っぽい顔つき。後輩という意識のせいだろうか。 富平はゆったりめのズボンの尻ポケットから、文字通りポケットティッシュ を出した。そこから四枚を抜き取ると、両手の人差し指と親指それぞれをくる む。いよいよ修理に取り掛かり――。 手際がよいのはそこまでだった。準備万端整えた富平は、このあと十分余り、 チェーンと格闘することになる。完了する頃には、道路にちり紙の山ができて いた。 「できました!」 汗の浮いた鼻の頭を手の甲で拭いながら、富平が腰を上げた。起こした顔が、 やけに嬉しそう。 正面から見守っていた白沼は、手首を返して腕時計をこれみよがしに示しな がら、嫌味を含んだ調子で応じた。 「随分と時間が掛かりましたこと」 「すみません。こういうがっちりしたカバーが着いた自転車は初めてだし、他 人様の物だから緊張しちゃって」 「そんな違いがあるとは思えない。苦手なら、最初から言い出さなければいい のよ、まったく」 言い訳をする後輩を一くさりやりこめて、白沼は片足でペダルを半周ほど回 してみた。スタンドを立てたまま、後輪がゆっくりと動き、やがて勢いを得る。 確かに直っているようだ。 「ま、いいわ。一応、ありがと」 「てへへ。どういたしまして。あー、僕のことなんか放っといて、行ってくだ さい。急いでたんでしょう?」 にこにこした表情のまま、白沼が目指していた方角を腕で差し示す富平。白 沼はハンドルに両手を掛けたまま、ほんの一瞬、虚を突かれた。 「――言われなくても、そうさせてもらうわ」 スタンドを二回蹴って倒し、片足をペダルに掛けて、車体を前に押し出す。 勢いを付けてから、もう片方の足を前を通して跨る。 「気を付けて行ってくださいねー!」 変な子。 白沼は振り返らずに、口の中でつぶやいていた。 (マスコミ、マスコミ、マ……) 棚の上方を見つめながら、口中で唱える。その姿勢のまま、横向きにゆっく りと移動する白沼。 図書室の中は、寒くもなく暑くもなく、快適な空間だった。時折、ドアの開 閉する音や極短い囁き声の会話が聞こえる程度で、落ち着いた静かさに包まれ ている。 もうすぐ、書架の端から、反対側の端までたどり着きそう。 (案外、ないものね。アナウンサーの資料がないのは分かるとしても、マスコ ミの本まで。仕方がないから、職業選択の本で我慢) 白沼があきらめて視線を戻した瞬間、誰かとぶつかった。その岸壁のような がっしりした感触に、白沼の方が弾き飛ばされる。 「あ」 よろめいて、床にへたり込んだ。自然と、いわゆる女座りのポーズを取って しまった。 そこに人がいることを見逃していた白沼は、驚くと同時に、慌ててもいた。 この場合、こちらに非があるのは明白だから、なおさらである。 「すまない。大丈夫だったかい」 ところが、先に謝ったのは相手の方だった。白沼へ手を差し延べた男子生徒 は、すらりとした体躯だが肩幅は広かった。ノンフレームの眼鏡を掛けたその 容姿は、頼りがいのある落ち着いた雰囲気を漂わせる。 「立てないほど、強くぶつかったかい? ごめん」 レンズの向こうの瞳が、わずかに困惑した。白沼は即座に首を横に振った。 「いいえ。大丈夫です」 恥ずかしさもあって、白沼は相手の助けを断り、一人で立ち上がった。この とき、襟の学年章が目に入った。男子生徒が三年生だと分かり、恐縮の度合い を増す白沼。何より、自分の失敗が許せない。 「こちらこそ、すみませんでした。本を探すのに夢中で」 「お互い様だよ。僕の方も注意力が散漫になっていた」 左手に厚手の本を保持していた。表紙に「CM史」という単語が覗いた。人 差し指を差し込んで、ページを覚えている。 「邪魔をしてごめんなさい」 平静さを取り戻した白沼は、指を揃えてお辞儀をし、立ち去ろうと向きを換 えた。ところが、二、三歩進んだところで、三年生に呼び止められる。 「あ――君」 少しだけボリュームを上げていた。意識して聞くと、耳に障らないよい声だ。 「何でしょうか」 「スカートに、綿ぼこりのかたまりが。倒れた拍子に付いたんだろう」 言われてすぐ、身体をねじって後ろを見る。だが、指摘された物は発見でき なかった。 「腰の辺り」 三年生の声に従い、目に見えないまま、手を動かす白沼。スカートの上の方、 ウェストラインの真下を指先が通過した直後、灰色をした丸いかたまりがゆら ゆらと落ちていった。 「掃除当番が手を抜いたな」 歩き出していた三年生は本を持ち換え、立ち止まることなくそのゴミを拾う と、白沼の横をすり抜けて、貸し出しカウンターの方向へと急ぐ。どうするの かと思ったら、カウンター手前のくずかごに綿ぼこりを投じた。 「重ね重ね、ありがとうございます」 追い付いた白沼は、再度、丁寧に頭を下げた。お礼や謝罪をし慣れない彼女 ではあるが、先輩への礼儀は心得ているつもりだ。 「大げさな人だね」 三年生は本を小脇に挟むと、手を軽くはたいた。それから本をカウンター向 こうの係の者に差し出すと、手続きを済ませる。 身元を示すために生徒手帳を開いたとき、名前の一部が白沼の目に飛び込ん できた。“隆一”とあった。「りゅういち」と読むのだろう。 「じゃ、僕はこれで。君も本を選ぶのなら、暗くならない内にね」 子供扱いされたようだが、白沼は不思議と気にならなかった。 三年生が図書室から出て行くまで見送って、ほっと吐息する。 (最初は気が動転していたので気付かなかったけれども、とてもよい感じの人 じゃない? 年上も悪くないわ) そんな風に考えて、次の瞬間にはかぶりを振った。 (まだ吹っ切ることができていないのよね。相羽君……) 一週間か十日ほど経っていただろうか。 「本当に後輩だったの」 白沼は学校の中で、一年生の富平と再会した。廊下でばったり。その瞬間、 思わず口をついて出た台詞がこれだった。 「そうですよ。あのとき、僕が嘘を言ったと思ったんですか」 心外そうに頬を膨らませる富平。わざとらしさ満開で、怒っているようには ちっとも見えないが。 「嘘ついたとは思わなかった。ただ、あのあと、全然見掛けないから、おかし いわねって不審に思っていただけ」 「わー、僕のこと、探してくれてたんですか、嬉しいなあ」 「探してなんかない」 言い置き、すたすたと立ち去ろうとする白沼。すると、富平も方向を換えて 着いてくる。 「どうしたの。次の授業、始まるわよ」 「いえ、折角の再会を果たして、これでおしまいっていうのは、実に寂しい気 がしますから」 「再会ってねえ……。要するに何? お礼を言ってほしいわけ?」 「いいえぇ! 自転車を直したとき、すでにお礼を言ってもらいましたから」 「だったら」 「あのあと、どこに行かれたのか、教えてほしくて」 「あぁ? 何故、そんなことを君に言わなきゃいけないのかしら」 速度を上げても、富平はしっかり着いてきた。もう二年生の教室の前だ。 「だめならいいんです。ちょっと気になっただけだから」 瞬間接着剤で糊付けされたみたいに、ぴたりと立ち止まると、富平は小さく 頭を下げた。 白沼は教室に入る間際、肩越しに振り返り、 「物凄く急いで戻らないと、遅刻ね」 と後輩に声を掛けた。 慌ただしい足音が遠ざかっていった。 次に富平と顔を合わせるまでに、大した期間は必要なかった。廊下での再会 の翌日だった。 「茶道部って、男でも入れるんですよね」 「何ですって」 部室に向かう途中でつかまった白沼は、富平の質問に思わず目を剥いた。当 然ながら、入部を希望しているのだと受け取れる。 先輩部員として、とにもかくにも、真面目に応対せねばならない。足を止め て、立ち話を始めた。 「男女の区別はないわ。代わりに、制約があるわよ」 「制約?」 「がさつな人はお断り。冷やかしもお断り。飲むだけ、食べるだけが目当ての 人もお断り」 指折り列挙して、最後に白沼は言い足した。 「不純な動機の人もね。入部希望者の中からそういう人達を取りのけるために、 簡単な入部テストみたいなことを設けている」 「あのー、ちょっと戻っていいですか。不純な動機って?」 「君も想像した通り、茶道部は女子が圧倒的に多い。男子生徒の中には、女子 目当てで入ってくる人もいるようだから」 あとは言うまでもあるまい。白沼は肩をすくめてやった。 「分かりました。もう一つ、質問が……」 「何? 急いでいるんだけど」 茶道部の本日の活動は、略式とは言え作法に則った会が催されることになっ ている。まだ間に合うものの、ゆとりを多く取れる方がいい。 「正座が苦手な人は、入れるのかなって」 「――」 吹き出しそうになったが、手のひらで口を覆って、何とか我慢。しかし、肩 が小刻みに震えてしまう。 「僕の家系は、どうも正座ってやつが苦手でして、一番慣れてるはずのお婆さ んでさえ、五分と保たないんですよねえ。僕なんか、正座の格好をしただけで、 足が吊りそうな気がして恐くて……あれ? おかしなこと言いました?」 「――言った」 笑いを飲み込み、目尻に涙を滲ませた白沼は、裏返った声で答えた。 「正座の苦手な人が、茶道部に入ろうと考えるなんて、前代未聞だわ。さすが に、そんなことまでは、入部テストの項目にない」 「それじゃ、正座できなくても」 「だめよ。と言うよりも、無理ね」 笑いの感情がどうにか収まり、白沼は冷静に断言した。 「もういい?」 「は、はあ。しょうがないですね」 きびすを返して急ぎ足になりかけたが、振り返る刹那に、富平の沈んだ表情 が視界に入る。数歩進んでから、ストップし、後輩へと向き直った。 「茶道を体験したいのなら、文化祭まで待つことね。十一月よ。よかったら来 れば?」 「はいっ、どうもありがとうございます」 飼い主に誉められた子犬のごとく、富平は返事した。 それを見て、白沼は少しだけ後悔した。 (こういうのって、私のペースと違うのよねえ。なんか、調子狂う……。どう せなら、あのときの三年の人とばったり再会したいわ。あの人となら、もっと 実りのある会話ができそうなのに) 三年生はそろそろ本格的な受験態勢に入る頃で、それを考慮した白沼は巡り 合わせをかすかに期待しつつも、三年の教室があるフロアまで探しに行くよう な真似には及んでいなかった。 (……そうだわ) 再会を演出できるかもしれない。そんなチャンスを見つけた。 図書室であの三年生にぶつかったときから、ちょうど二週間目に当たるこの 日、白沼はやはり図書室にいた。 (貸出期限は二週間。あの厚手の本を読み終わって、返しに来る可能性が最も 高いのは今日) かなり独善的傾向の強い推理ではある。本を読むスピードは人それぞれだし、 一冊を隅から隅まで読むかどうかも分からない。ほしい部分だけコピーして、 翌日には返却することもままあるだろう。 だが、白沼は自信を持って、待っていた。放課後になるや、早々に図書室に 飛んで来て、戸口を見通せる位置の机に陣取り、ずっと待つ作戦。 手元には、二冊の本を確保していた。一冊は、以前から探していたマスコミ 業界、特に女子アナウンサーの仕事について詳しいムック。もう一冊は、全国 寺院を写真で紹介する豪華本。こちらは全く興味はないが、顔を隠すのにちょ うどいい大きさだし、内容に熱中して待ち人が来たのを見落とすこともあるま いとの読みで選んだ。 しばらくして、白沼は袖を引き、腕時計の文字盤に視線を落とした。五時前。 三年生の時間割がどうなっているかぐらいは、もちろん前もって調べてある。 補講などの臨時の場合までは掴めていないが、最後の授業が終わって直行すれ ば、時期に姿を見せていい頃合。 だが、時計の針が五時を回っても、あの三年生は現れない。他の生徒がちら ほらやって来る度に、本の上端から目を走らせ、落胆と苛立ちの息をつく。こ れを何度か繰り返したあと、もはや期待しないようになってしまった。 利用者を見ると、三年生は少ないようだと気付く。今はまだ追い込みの時期 でなく、さすがに、自宅に帰ってリラックスして勉強しようという者がほとん どなのかもしれない。 あきらめようとする気持ちと、あと一人待ってみようという気持ちが相半ば する。ただ、白沼自身、何故こんなに執着するのか、自分を理解できなかった。 そのとき、図書室のドアが開いた。音が閑静な室内によく響く。男子生徒だ。 白沼は男子の姿に見覚えがあった。そして思わず苦笑を浮かべていた。 富平だった。入室するなり、学生鞄を胸元に抱え、蓋を開けて中から本を取 り出そうとしている。大方、借りていた本を返しに来ただけなのだろう。急い だ様子からして、用が済めばさっさと帰るに違いない。 白沼は念のため、見つからないようにと、頭を低くして本の陰に隠れようと した。が、富平が鞄から取り出した本に、目が吸い寄せられる。 「CM史?」 距離はあったが、確かにそう読めた。大きさや色、デザインも二週間前、あ の三年生が手にしていた本と似ている。いや、全く同じ物かもしれない。 そう考えたとき、白沼は席を立っていた。 カウンターまでつかつかと一直線に歩み寄ると、返却寸前のその本を真上か ら押さえつける。 係の生徒が呆気に取られたように、口を開けていた。 富平も一瞬、目を丸くしたが、じきに愛嬌のある表情を見せた。 「ちょっと待っててね」 上品に取り繕った声と笑みで係の生徒に告げると、白沼はCM史の本を手に 取り、富平の腕を引っ張った。閲覧席の一角まで連れて来て、座らせると、小 声で詰問する。 「どうして君がその本を持ってくるのかしら」 「し、白沼先輩……何なんですか、いきなり。びっくりしたなぁ、もう」 「いいから答えなさい。これは、別の人が借りていたはずよ」 「この本、借りたかったんですか? それは悪いことを」 「答えなさいって言ってるのよ」 富平は首を縮こまらせ、震えるポーズをした。 「見ておられたんでしょう? だったら、分かりそうなものじゃないですか。 返しに来ただけです」 「だ、か、ら。いつ、君がこれを借りたのか――」 本の表紙をぽんぽんと指で叩く。 「聞いてるんだけれど?」 拘るのは、富平がこれを借りた曜日が分かれば、そこから、あの三年生が返 しに来た曜日もある程度想像できるとの考えが頭にあったから。個人の一週間 の行動パターンが似通ったものになるとすれば、その曜日も張り込む価値があ る。 「あー、借りたのは僕じゃありません」 富平はあっけらかんと言った。 「どういうこと」 「兄です。兄が借りたんです」 「お兄さんなんかいたの? じゃあ、お兄さんが借りたのはいつなのかしら」 「えっと、多分、二週間前。今日返さないといけないって言ってましたから」 「……間違いないでしょうね」 そう尋ねる白沼の眉間に、軽くしわが寄る。富平は鞄を両手で抱えたまま、 黙って二度、首を縦に振った。 「ちょっと聞くけど」 白沼はこめかみを押さえつつ、富平の隣の椅子に腰掛けた。 「はい、何でしょう?」 「君のお兄さん、三年生?」 「そうです。あれ、ご存知なんですか?」 「お兄さんの下の名前って、もしかして……隆一さん?」 「そうです、そうです。何だぁ、やっぱり知り合いなんじゃないですか」 「黙ってて」 頭を抱え、白沼は目を瞑った。 (ほとんど似てない兄弟ね。眼鏡を取ったところを想像しても……やっぱり似 ていない) まだ信じられない。念押ししておこうと思い直した。 「眼鏡を掛けていて、すらっとしていて、結構ハンサムで……」 「そうですね。ま、ハンサムかどうかは、意見の分かれるところかもしれませ んけどね」 「りゅういちって、どんな字を書くのかしら」 白沼の矢継ぎ早の問い掛けに、富平は怯むことなく応じる。生徒手帳を取り 出すと、とあるページに「隆一」と書き付けた。 「……」 次の言葉が出て来ない。頭に片手をやり、考え始めた。 紹介してもらうかどうかを。 ――『そばにいるだけで 〜 一途さでは負けない 〜』おわり
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「●短編」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE