#568/569 ●短編
★タイトル (AZA ) 25/09/01 17:51 (117)
雨一文字 永山
★内容
「今日はまたどんな用件ですかね、吉野《よしの》刑事」
「言わなくても分かっておるでしょう。お知恵を拝借したくて来たんですよ」
「ふむ。まあ、税金ドロボーと呼ばれない程度には勤めをこなしているあなた方の頼み
なら、聞く耳を持たないでもない。つい最近もS区の殺人事件で、有力な容疑者を見付
けたとかニュースになっていましたねぇ。被害者の金森《かなもり》氏が何故か、コン
タクトレンズ着用の上に普段使っていない予備の眼鏡まで掛けていたという奇妙な状況
には、ちょっと興味を惹かれたな」
「おお、実はまさしくその件で足を運んだんです。デイトレードで成功した投資家、金
森|満夫《みつお》が自宅で殺害された事件。最有力容疑者の身柄を押さえたのはいい
が、面倒な成り行きになっとりまして」
「被害者の恋人、雨谷直美《あめたになおみ》で決まりみたいな報道がなされていまし
たが、あれはマスコミの先走りだと」
「うう、そうとも言い切れないところが……いわゆるダイイングメッセージってのが現
場に残されていて、そのことを外に漏らした輩が捜査班の中にいたらしくて」
「ほう、ダイイングメッセージがあったとは初耳だ。吉野さんも私に、同じように情報
漏洩してくれるんですかね」
「じ、自分は一般国民に捜査協力をお願いしているだけであって、やましいところは一
切ない……なんて苦しい建前を言わせんでください」
「分かっていますよ。すでに漏れている情報なら、罪の意識も軽いでしょう。さあ聞か
せてもらいましょう」
「シンプルに“雨”の漢字一文字が、被害者自身の血で書かれていました」
「“雨”か。その写真、見せてもらえますか」
「いや、今回は無理。さっき言った情報漏洩があったのが分かって、皆ぴりぴりしてい
て、簡単に持ち出せる雰囲気じゃない。私と親しい同僚までならともかく、お偉いさん
の耳に入ったらどんな叱責を食らうか分からんので、勘弁を」
「仕方がないな。そのダイイングメッセージ、“雨”の他に読みようはありませんでし
たか」
「ええ、まったく。まごうことなき“雨”でした。あとから何か書き足された風でもな
く、消された風でもなかった」
「被害者自身が書いた確証は?」
「ほぼ100パーセントと言ってよいでしょうな。ご存知と思いますが、金森は自宅近
くの屋外で刺されて、急いで家に逃げ込み、鍵を掛けたあと絶命した。逃げ込むまでの
様子は、防犯カメラに残っている。さらに金森は一人しかいない密室状況下で死んだの
だから、彼以外に血文字を残せる者はいない。まさか、犯人が被害者の行動を予測し
て、この辺で死ぬだろうから先に偽のダイイングメッセージを書いておこう、なんてこ
とができるはずもない」
「なるほど。それじゃ本題。雨谷が犯人かどうか怪しくなったようですが、その理由を
聞かせてください」
「彼女、本名の雨谷を名乗らないまま、金森と付き合っていたようなんですよ。容疑者
自身が言っているだけでなく、雨谷や金森の関係者の証言を集めると間違いない」
「何と名乗っていたんです?」
「『雨』の代わりに『天』の字を使って、読みも“あめたに”ではなく“あまたに”で
通していました。なんでも、雨女の気《け》がある雨谷は、子供の頃によくからかわれ
て、本名が嫌いになったとのことで、『天谷』と称するようになったらしい。改名はし
ておらず、あくまでも通り名ですがね」
「ふむ……雨谷直美が被害者には本名を打ち明けるか、あるいは被害者が彼女の免許証
などを見て、知っていた可能性は」
「言ってないと思いますよ。被害者のパソコンを調べると、簡単な日記が見付かりまし
て、恋人に関しても度々書いていた。そこには“天谷さん”か“直美さん”呼びしかな
く、また、本名を知ったならそのことを日記に書きそうなものだが、実際にはそんな記
述はなかった。ああ、日記が改竄された形跡もなかったですよ」
「さすが、吉野さん。先回りしてくれてありがたいです。それにしても被害者は恋人を
呼ぶのに、さん付け止まりだったんですね。殺人の疑いを掛けられるくらいだから、結
構深い仲だと勝手に想像していた」
「交際を始めて半年くらいでしたかな。意外とと言っていいのか、健全なお付き合いを
進めていたようで、金森が天谷を自宅に上げることも滅多になかったそうです」
「ああ、ということは当然、自宅の合鍵をもらっているような関係ではなかったと。だ
ったら仮に雨谷が犯人だとしても、金森の家に上がり込んで、完全に息絶えたかを確認
することはできないし、ダイイングメッセージなどを遺されていないかを確かめる術も
ない訳だ」
「そうなりますな。元々、金森は自身のスペースを守りたがる性質だったらしく、唯一
の近い肉親である姉にさえ、スペアキーを渡してはいなかった。そのせいで、遺体発見
まで手間取ったんだよな」
「最初に異変に気付いて、通報したのは姉でしたっけ」
「ええ。いくら電話しても出ないし、家を訪ねても応答がない。やむなく、救急を呼ん
だところ、中で死んでいたのが分かったという流れです」
「そのとき、金森の姉もいたんですよね」
「そりゃまあ、通報者だし、実の姉だから、いてもおかしくないというよりもいなきゃ
まずいでしょう」
「……吉野刑事。仮に、あなたが金森と同様の状況で刺され、自宅に駆け込んで鍵を閉
めたあと、助けを求める余裕もなくこれは死ぬ可能性が高いなと感じたら、どうしま
す?」
「ん? もちろん、犯人の手掛かりを残そうとします。ダイイングメッセージを書くか
もしれないが、先に電話を掛けるでしょうな。あ、金森と同じ状況というのでしたら、
電話は無理だ。固定電話はないし、携帯端末はバッテリー切れを起こしていた」
「じゃあ、ダイイングメッセージ一択ですね。その場合、犯人について知っていたら、
直接名前を書きますか」
「ええっと、家は密室状態なのだから、犯人に関与される恐れは極めて低い。だった
ら、直に名前を書く」
「ですよね。一方、金森は“雨”と書いていたが、該当する有力な容疑者は雨谷ただ一
人で、彼女も天谷と名乗っていたので除外せざるを得なくなっている」
「そうです。他に“雨”と結び付けられる容疑者がいればいいんだが」
「いや、かえって助かるかもしれませんよ」
「何だって? 容疑者がいなくなるというのに?」
「逆です。絞り込める。さっき言われたような状況下であったにもかかわらず、“雨”
という字に当てはまる有力容疑者がいない。裏を返せば、被害者は犯人にダイイングメ
ッセージを改竄されることを危惧していたんじゃないか?と、こうなりませんかね」
「いやいや、家は密室状態にあった、だから犯人はダイイングメッセージに手出しでき
ないと、先ほど言ったじゃないか」
「他の者にはできないが、犯人にはできるとしたら?」
「犯人にはできる……言い換えると、犯人には密室を破る術があったと言うのか」
「そこまでは言いません。でも、密室を破る場に高確率で居合わせることができる人物
なら、思い当たる関係者が一人、いるでしょう」
「金森の姉?」
「はい。無理がありますか? 少なくとも動機は、遺産絡みでありそうですが」
「待った待った。先走らないでくれ。動機はあとで調べるから。えーっと? 姉が犯人
だとしたら、刺された金森は普通、“姉”か姉の本名をダイイングメッセージにする。
だけどいくら現場を密室状態にしても、姉は発見者の一人になり得る。下手すると、ダ
イイングメッセージに気付かれて、消されるか改竄される。それを防ぐために、捻った
メッセージにした、という理解でいいのか?」
「ええ」
「だが、“雨”が姉につながらないとお話になりませんぞ。“あめ”と“あね”で似て
はいるが、違う」
「そこで考えるべきは、眼鏡ですよ」
「眼鏡……って、もしやあれもダイイングメッセージだってか」
「普段使っていない眼鏡を掛けていたのだから、ダイイングメッセージである可能性を
検討すべきなのは当然でしょう。じゃなきゃ、警察はどう解釈してたんですか、眼鏡
を」
「それは、犯人の顔をよく見ようとしたんじゃないかとか。コンタクトレンズが多少ず
れていたから、そういうこともあるかと」
「うーん、まあ、しょうがないということにしておきます。眼鏡もダイイングメッセー
ジの一部と見なせば、答は簡単に導き出せる。いいですか、紙に書くまでもないですが
――こう、“あめ”とあって、《《“め”が“ね”になったら》》どう変わりますか
?」
「“あめ”の“め”が“ね”に……“あね”だ」
終
#569/569 ●短編
★タイトル (AZA ) 25/10/02 17:44 ( 68)
OSHI−KATSU 永山
★内容
日本にやって来て七年目、初めて一人で定食屋に入った途端、「はい、オシカツドン
二人前、お待ち!」と威勢のよい声が轟いて、身体がビクッとした。自分に向けられた
ものかと思い、焦ったが、実際は違った。
若い女性の店員さんがどんぶり料理を二つ、お盆に載せて運んでいく。ちら見してみ
ると、どんぶりの蓋から平べったく伸ばされた豚肉らしきかつが大きくはみ出してお
り、そこそこインパクトがあった。程なくして席に案内され、メニューに目を通す。さ
っき見たのは押しカツ丼という料理らしい。
オシカツつながりで、頭の中が一杯だったため、必要以上に驚いてしまった。今、僕
は“オシ”のことばかり考えている。今日、初めて顔を合わせるのだけれども、緊張が
どんどん高まっている。どうしたらいいか分からないほどだ。
「お待たせしました。お席の方はこちらで大丈夫でしたか」
「はい、問題ありません」
「よかった。ご注文はお決まりですか?」
まだ決めていなかった僕は、店の壁に貼ってある写真パネルを指さした。大柄な黒人
男性が店主らしき年配男性と肩を組み、一つのどんぶりを支えるようにして持ってい
る。黒人男性は僕も知っている有名な格闘家、オーガ・ヌーだ。どんぶり料理が美味し
そうなのはもちろんのこと、二人のにこやかな笑顔が非常にいい。
「あれは何という料理になりますか」
「あー、はい。あれはですね、こちらのメニューで言うと」
メニューを手に取るとページをめくって、一つの料理を指先で押さえた店員さん。
「これになります。牛カツ丼ビーフカレー」
「この、あとから書き足されているのは何ですか」
メニューの料理名のすぐ上に、“オーガ・ヌー、一推し”とあるのだけれども、“一
推し”が読めない、意味が分からない。“ひとすいし”だとしたら人間が溺れ死んだよ
うに聞こえるが……?
「それはあの外国人が強い格闘家で、あの人もイチオシしている、つまりえっと、推薦
している、おすすめしているという意味になります」
「ああ、分かりました。ではこの牛カツ丼ビーフカレーを一つ、お願いします」
「大盛りにもできますが、いかがいたしましょう?」
僕の体格を見てのことか、おすすめしてきた――イチオシしてきた?――店員さん。
今よりもっと子供だった頃は、外見だけで判断されていわゆるOTAKU扱いを受けて
いたが、それに比べたら随分とましだ。
「ライスを増やすだけなら無料、具も増やすのでしたらプラス百円、多めに頂戴するこ
とになりますけれども」
験担ぎだと思い、具も増やしてもらうことにし、注文をすませた。
お水やおしぼりなどはセルフサービスのシステムだという説明を受け、理解して、店
員さんを見送る。さて水とおしぼりを取りに行くかと、腰を上げたところ、店のドアが
がらりと開いて、ほぼ同時に「おーい、せきとり頼むよ」という声が遠くから聞こえ
た。
僕がまたびっくりして、出入り口の方を振り向くと、入って来たばかりの人が外に向
かって「大丈夫ですよ、先輩! 幸い、席は空いています!」と返した。
何だ、せきとりって席取りのことか。僕は自分を見て言ったのではないと分かり、何
となくほっとした。そうして改めてお水とおしぼりを一つずつ取って来ると、元の席に
収まった。
太い指でおしぼりを広げ、手を拭きながら、考えることはまたも“オシ”について。
どうやったら“オシカツ”ことができるのか、堂々巡りが続いている。
同じ部屋の先輩で部屋頭の豊羽島《とよはしま》関とは、稽古でもなかなか勝てな
い。僕も豊羽島関も突き押しを得意とし、立ち会いから一気に押し勝つのが身上。わず
かだけれども確実にある押しの差が、稽古場での差につながっているのは分かってい
る。幸い、同部屋だから本場所で当たることはなかった。けれども今日は地方巡業で、
同じ部屋の関取同士でも対戦が組まれる場合がある。土俵上で勝負する日がいつか来る
と思っていたけれども、ついに来てしまった。取組決定を知らされたのが昨日で、以
来、ずっと考えているのだが、よい対策が浮かばない。戦う相手と顔を合わせるのすら
精神的にしんどいから、ちゃんこの食事は早々に退席して、こうして食べに出て来たく
らいだ。
「おまえそれ、太い信者だと思われてるだけなんじゃね?」
「いや、そんなことない」
また新たなお客が来店した。今度は僕と同じぐらいの若い男二人組だ。
「俺の拝金のおかげで、クビにならずに済んだって、推しから直接、お礼のメールが来
たんだから」
「いやいや。それ、おまえ宛だけじゃねーから、絶対」
聞くともなしに聞いていた二人のやり取りに、何故かしらヒントを見出した気がし
た。オシカツためのヒント、光明。それは“太い”“クビ”じゃないか? 豊羽島関の
首はとてつもなく太くて頑丈だが、先場所、土俵下にもつれ合って落ちたときに傷めた
はず。完治していないとすれば……僕は自分の右手をじっと見つめた。
太い首を喉輪押しでとらえる、はっきりとした手応えを予感した。
終わり