#566/569 ●短編
★タイトル (AZA ) 25/07/01 19:40 ( 77)
映像収集のお仕事 永山
★内容
家から出て来たのは髪を引っ詰めにした、多分主婦だ。私は営業スマイルで話し始め
る。
「突然お邪魔してすみません。私、“デジタルメモリレコード”の梶原信樹《かじわら
のぶき》と言います。今日はご自宅にあるテレビ放送の映像を買い取らせていただけな
いかと参った次第です」
「デジタルメモ……?」
会社名を途中まで呟き、きょとんとする主婦。
「デジタルメモリレコード。ありとあらゆる映像をデジタル化して、後世に残すとの目
的で活動する、個人の非営利組織です。テレビ局にも残っていない映像、または残って
いても門外不出の映像を発掘すべく、回っています。ご自宅にビデオテープ、ございま
すか」
「それなら結構あるわ」
「一九九〇年までのテレビ番組を録画した映像を、一時間百円を基本に買い取ります。
ここで言う一時間とは可能な限り良質な画像で換算した数値、たとえばVHSなら標準
録画での時間になります。三倍録画で三百六十分なら、標準録画に直すと百二十分にな
りますので二時間、つまり二百円です」
「中身はチェックするのかしら」
「確認した上で値付けし買い取ることは著作権法に触れる可能性が高いですので、あく
まで中古テープを再利用目的という形に」
「そうは言ってもレーベルが貼ってある物は内容がだいたい分かるわ」
「今のは建前でして、ざっとですが中身を確認させていただくこともございます。その
場合、『お客様は内容を消去したつもりだったが実際には消せていなかった』としてお
ります。現実問題、すべての映像を買い取るのは無理です。映画やドラマ、アニメなど
物語の番組はNG。ニュースやワイドショー、スポーツ中継などは無条件で買い取りま
す。年によっては多少割増できるかと」
「悪くない話だけど、実はうちにはもうビデオデッキがないのよね」
「心配無用、車に積んできています」
私は少し離れた路地に止めた大型バンへ視線を振ってみせた。
「VHS、βは無論、オープンリールや8ミリビデオその他希少な規格の機種をすべて
取り揃えており、確認のための再生も車内で行えます」
「じゃあ、お願いしようかしら」
「ありがとうございます」
私は最上級の笑顔でお辞儀した。
* *
「木村《きむら》さん、ただいま戻りました」
雇い主である木村|浩一《こういち》氏の豪邸に入り、彼の書斎の前に立つとドア越
しに声を掛けた。
「ああ。いつものように関連ありそうな物を選り分けておいてくれるか」
「もちろん。今日のお宅は息子さんが思春期だった頃にため込んだテープがどっさり」
「それは期待できるな。あっ」
不意に声の調子が変わった。しばらく待ったが会話は打ち切られたまま、再開の気配
がない。これはもしや。
「ついに見付かりました?」
「分からん。とにかく入って来たまえ」
ノブをそっと回しドアを押し開けた。中は薄明かりが灯され、窓にはカーテン。この
方が映像がより鮮明に見えるらしい。
木村氏は机に覆い被さらんばかりに前のめりになっていた。真横まで来ると、モニ
ターを食い入るように見つめているのが分かる。
「記憶に間違いはなかった」
ぽつりと言った木村氏。満足げな口調だ。画面は、深夜お色気番組の素人参加コー
ナー。
最初にこの件を依頼されたとき、ご老人の思い出のアダルトビデオでも探すのかと思
った。関西ローカルの深夜お色気番組映像をかき集めてくれというのだから。
だが、詳しく聞けばまるで違った。木村氏は一人息子を亡くしている。関西弁を使う
水商売風の女と付き合い、大金をだまし取られたのを親にも言えず、気に病んで自殺を
図った。一時は命を取り留めるも回復に至らず、およそ半年後に帰らぬ人となったそう
だ。放任主義だった木村氏は息子からその女を正式に紹介されたことはなく、二度ほど
見掛けた程度だったが顔は覚えていた。また、息子が遺書めいた走り書きに、「彼女が
あんな深夜のアダルト番組に出るような女と分かっていればもっと警戒したものを」と
遺していた。
息子の死から時が経つに連れてかえって恨み辛みがうずたかく積もっていった木村氏
は、女がどこの誰なのかを突き止めると決意し、深夜お色気番組の映像を徹底的に集め
始めたのだ。
木村氏ぐらいお金と地位があればテレビ局に問い合わせて何らかの有益な返答はもら
えそうだが、そうしないのは恐らく私的な復讐を果たすつもりだからだと思う。私は素
知らぬふりで頼まれた仕事をこなすだけだ。
「おお、名前が出たぞ。昭和は個人情報の管理意識が緩かったのは分かっていたが、こ
こまでとはな。ありがたいことだ」
一時停止ボタンを押した木村氏は、画面の文字を書き取りながら私に言った。
「梶原さん、ビデオテープ集めの仕事はもうおしまいだ。だが、次の仕事を頼まれても
らいたい」
女の現在の居場所を突き止めてくれと言うのだろう。どこまで深入りしていいのや
ら、私は判断を迫られていた。
終
#567/569 ●短編
★タイトル (AZA ) 25/08/15 17:19 (126)
クラスのアイドルが僕の親友の〇タマを舐めた? 永山
★内容 25/08/15 17:21 修正 第2版
親の仕事の都合で、転校が多かった。でも高校入学を前にして、「これで最後だ」と
いうことで生まれた地元に戻ってこられたのはよかったと思う。偶然なのか縁なのか、
小学校時代の親友、鎌田俊光《かまたとしみつ》も同じ高校で、しかも同じクラスにな
ったのには正直嬉しかったし、懐かしさ混じりでちょっと感動もした。おまけに、席が
隣同士になるなんて。
そういった昔の友達との再会とは別に、ラッキーなことがもう一つあった。
鎌田は僕の席の左なんだけれども、では反対の右はどんなクラスメートかというと、
女子。それもとびきりかわいい。いや美人・美女と言って差し支えない整った顔立ち
で、スタイルもいい。ついでに勉強もできるし、運動も人並み以上にこなせる。もし仮
に校内美人コンテストをやったら、学年で一位は確実で、ひょっとすると全校でもトッ
プ3に入るんじゃないかと思う。
人には好みがあるから「当然」とは言わないが、僕もその他大勢の男子と同じく、彼
女――吉岡麻美《よしおかあさみ》さんに好意を持った。隣の席ということで、他の連
中に比べたら会話する機会は多く、順調に距離を縮めていくことができそうな感触があ
った。
けれども、ちょっと予想外のことが起きた。いや、発覚した。
一学期が始まってしばらくしてから、鎌田が急に吉岡さんと親しげに喋るようになっ
たのだ。最初は、密かにアプローチして成功したのか鎌田の奴うらやましいぞ、なんて
勘繰ったのだが、よくよく会話を聞いてみると、中学が同じで同クラスだったこともあ
るらしい。何で高校に入ってすぐにそのことを言わなかったんだよと、鎌田に聞いてみ
たら、「男連中がどういう風に吉岡さんに接するか、観察してみたかっただけさ」など
とさらっと言われ、ちょっぴり立腹したね。
尤も、そういう鎌田だって、吉岡さんの彼氏とかではもちろんなく、少し親しい友達
にすぎない。吉岡さんの友達(男子)のランク付けをすれば一番だろうけど、僕とそん
なに差がある訳ではないと感じた。
そんな訳で、吉岡さんを巡って多少の牽制はし合っても、鎌田との親友付き合いが壊
れることはなかった。
しかし、七月に入って定期考査がもうすぐ始まるという頃合いの昼休み、僕は校内で
思わぬ場面を目撃する。
そこは僕ら一年生があまり出向くことのない第二校舎の三階に続く階段の踊り場で、
実際そのとき、周りには僕ら三人――僕と、鎌田と吉岡さん――以外には誰もいなかっ
た。もっと言えば、鎌田と吉岡さんは僕が見ていたことを知らなかっただろう。最初か
ら内緒の話をするつもりだったのか、鎌田が吉岡さんを誘い出したのだ。それを察した
僕は、二人のあとを付けたというわけ。
声はよく聞こえなかったけれども、鎌田は写真らしき物を吉岡さんに見せながら、何
かを頼み込んで約束を取り付けようとしている風に、僕の目には映った。対する吉岡さ
んは、いつもの落ち着いた表情が見る見るうちに赤く染まり、俯きがちになってしまっ
た。最後の方はうんうんと頷きながら、分かったから早く行ってとばかり、鎌田をちょ
っと押す仕種すらしていた。
目撃者たる僕は、あまりにも意外なシーンが繰り広げられたことに、しばし呆然とし
てしまった。あとから思い返せば、すぐに飛び出していってでもことの真相を突き止め
るべきだったかもしれない。けれどもそのときの僕は行動に移せなかった。幸か不幸
か、吉岡さんや鎌田に姿を見られることなく、僕はその場をそっと離れた。
同じ日の午後の授業で一コマ、思い掛けず自習になった。と言っても、もちろん自由
にお喋りしていいはずはなく、みんな静かに試験勉強に精を出す。僕としては、鎌田に
さっきのことを問い質したかったんだけど、できない。でもそんなもやもやを抱えたま
まじゃあ、勉強に集中できない。結局、思いあまって、鎌田にメモ書きを渡した。『昼
休み、吉岡さんと何の話をしてた? 何を見せてた?』と。
紙切れを受け取った鎌田は一読し、一瞬ぽかんとしたようだったけれども、じきにニ
ヤリとして、返事を裏面に書き始めた。程なくして、僕に紙切れを寄越してくる。
僕は右隣の吉岡さんを横目でちらっと見てから、鎌田の返事に目を通した。次の瞬
間、思わず「何っ」と声を上げてしまった。
何事?とみんなに注目され、焦ったけれども、無論正直に事情を言う訳にはいかな
い。黙ったまま両手を拝み合わせ、四方に「ごめん」のポーズをしてやり過ごす。
僕に声を出させた、鎌田からの答。それは、
『中学のとき、僕の〇タマをなめてる吉岡さんを写真に撮った。それを使ってちょっと
からかっただけ』
というものだった。
僕のもやもやが晴れることはなく、かえって悪化した。もやもやに悶々が付け足され
たくらいだ。
そもそも、鎌田が書いたことが真実なのか? 本人に再度、聞いてみたが、例によっ
てにやにや笑いながらはぐらかされるだけ。ならばと、吉岡さんに聞いてみるなんて真
似、できるはずもなく。もやもやを抱えたまま受けた定期試験は、よい成績だったとは
とても言えなかった。
そんな僕とは対照的に、鎌田はそこそこよい点を取れたらしく、ご機嫌だった。英語
だったか古文だったか。とにかくその辺のテストが返却されたあと、恨み言の一つでも
言ってやりたいと、先に教室を出た鎌田を追い掛ける。と、その行き先があのときと同
じ題に校舎三階じゃないかと直感した僕は、声を掛けずに、つかず離れずの距離を取っ
て尾行した。案の定、着いたのは例の場所。しかも吉岡さんが先に来ていた。
僕は前と同じように身を隠し、二人の様子を伺う。今度同じことが繰り広げられた
ら、絶対に飛び出してやるんだと決意を秘めて。むしろ同じことが起きろと、念じてい
たかもしれない。
すると現実に、同じように展開した。またも写真を取り出した鎌田。赤面する吉岡さ
ん。
もう辛抱できない。僕は身を潜めていた手すりの影から、すっくと立ち上がり、素早
く鎌田へと駆け寄る。そしてすかさず、あいつの手から写真を奪い取った!
「え、あ――」
鎌田の間の抜けた声を耳にしつつ、僕は再び距離を取り、写真を一気に破こうとし
た。が、どうしても気になってしまい、ひと目だけと、写真に焦点を合わせる。
「……え?」
このときも僕は思わず声を出していた。
映っていたのは確かに、タマを舐める吉岡さん……なんだけど、詳細かつ正確に言う
と、『調理器具のお玉を舌先で舐めている吉岡さん』を遠くから収めたショットだっ
た。
「それな、中二だったか、林間学校に行ったときのやつ。シチューが思いの外絶品の味
に仕上がってさ。班のみんなで争奪戦になるレベルだったんよ。で、食べ終わったあ
と、洗い物をする役目に立候補したのが吉岡さん。一人に任せていいのかなと気になっ
たもんで、見に行ったら、そこにあるように、お玉をペロっとしてたんだよ。うぉ、な
にあれかわいい〜って、持っていたカメラで思わずパシャリ」
「もう、思い出させないでよっ」
僕に説明した鎌田。その背中をぺしっと強めに叩く吉岡さん。何なんだこれ。ちなみ
に問題の写真は、すでに僕の手にはない。吉岡さんが回収していた。
「このあとすぐ気付かれたんで、写真は一枚しか撮れなかった。赤い顔をして恥ずかし
がる姿も撮っておきたかったな〜」
「だまれ」
吉岡さん、今度はグーで、鎌田の脇腹辺りをドスっとやった。
「え、でも、鎌田。おまえ、こう書いてたよな。『僕の〇タマ』って。これ、キャンプ
場のお玉だろ?」
僕は僕で、勘違いした&騙された恥ずかしさから、鎌田に詰め寄った。
「嘘は言ってない。そこのキャンプ場は感染症対策で自己責任というのを打ち出してい
たんだよな。調理道具は持参するようにって。つまりそのお玉は、俺が家から持って来
た物なのである」
「マジか……。じゃあ、この間は写真見せて、吉岡さんと何を話してたんだ? 本当に
からかっていただけか?」
「あー、それはテストの予想を聞き出すために」
「鎌田君てば、高校に入ったあとは自力で勉強するって約束したのに、前期の定期試験
があんまりよくなかったからって、また中学のときみたいに教えてくれって」
鎌田のあとを引き取り、吉岡さんが早口で喋る。
「約束と違うから断ったら、こんな写真を持ち出して来て……一回だけの約束で、教え
てあげたのよ」
「写真を渡すって約束したから、いいじゃん」
「ま、まあ、これで終わりだと思えばよかったと言えなくはないかもだけど……」
喜んでいいのかどうか迷う、複雑な顔つきになる吉岡さん。
その様子から判断するに、恐らく彼女は知らないんだろう。
鎌田がその林間学校に持って来ていたのは、どうやらフィルムカメラだったようだ。
そして何故か、吉岡さんはフィルムカメラで撮影した写真が焼き増しできることを知ら
ないみたいだ。今の便利なデジタルカメラと違って、昔の物はコピーなんてできないと
信じ切ってる?
僕はそのことを教えていいものかどうか、ちょっと考えたかった。
おしまい
#568/569 ●短編
★タイトル (AZA ) 25/09/01 17:51 (117)
雨一文字 永山
★内容
「今日はまたどんな用件ですかね、吉野《よしの》刑事」
「言わなくても分かっておるでしょう。お知恵を拝借したくて来たんですよ」
「ふむ。まあ、税金ドロボーと呼ばれない程度には勤めをこなしているあなた方の頼み
なら、聞く耳を持たないでもない。つい最近もS区の殺人事件で、有力な容疑者を見付
けたとかニュースになっていましたねぇ。被害者の金森《かなもり》氏が何故か、コン
タクトレンズ着用の上に普段使っていない予備の眼鏡まで掛けていたという奇妙な状況
には、ちょっと興味を惹かれたな」
「おお、実はまさしくその件で足を運んだんです。デイトレードで成功した投資家、金
森|満夫《みつお》が自宅で殺害された事件。最有力容疑者の身柄を押さえたのはいい
が、面倒な成り行きになっとりまして」
「被害者の恋人、雨谷直美《あめたになおみ》で決まりみたいな報道がなされていまし
たが、あれはマスコミの先走りだと」
「うう、そうとも言い切れないところが……いわゆるダイイングメッセージってのが現
場に残されていて、そのことを外に漏らした輩が捜査班の中にいたらしくて」
「ほう、ダイイングメッセージがあったとは初耳だ。吉野さんも私に、同じように情報
漏洩してくれるんですかね」
「じ、自分は一般国民に捜査協力をお願いしているだけであって、やましいところは一
切ない……なんて苦しい建前を言わせんでください」
「分かっていますよ。すでに漏れている情報なら、罪の意識も軽いでしょう。さあ聞か
せてもらいましょう」
「シンプルに“雨”の漢字一文字が、被害者自身の血で書かれていました」
「“雨”か。その写真、見せてもらえますか」
「いや、今回は無理。さっき言った情報漏洩があったのが分かって、皆ぴりぴりしてい
て、簡単に持ち出せる雰囲気じゃない。私と親しい同僚までならともかく、お偉いさん
の耳に入ったらどんな叱責を食らうか分からんので、勘弁を」
「仕方がないな。そのダイイングメッセージ、“雨”の他に読みようはありませんでし
たか」
「ええ、まったく。まごうことなき“雨”でした。あとから何か書き足された風でもな
く、消された風でもなかった」
「被害者自身が書いた確証は?」
「ほぼ100パーセントと言ってよいでしょうな。ご存知と思いますが、金森は自宅近
くの屋外で刺されて、急いで家に逃げ込み、鍵を掛けたあと絶命した。逃げ込むまでの
様子は、防犯カメラに残っている。さらに金森は一人しかいない密室状況下で死んだの
だから、彼以外に血文字を残せる者はいない。まさか、犯人が被害者の行動を予測し
て、この辺で死ぬだろうから先に偽のダイイングメッセージを書いておこう、なんてこ
とができるはずもない」
「なるほど。それじゃ本題。雨谷が犯人かどうか怪しくなったようですが、その理由を
聞かせてください」
「彼女、本名の雨谷を名乗らないまま、金森と付き合っていたようなんですよ。容疑者
自身が言っているだけでなく、雨谷や金森の関係者の証言を集めると間違いない」
「何と名乗っていたんです?」
「『雨』の代わりに『天』の字を使って、読みも“あめたに”ではなく“あまたに”で
通していました。なんでも、雨女の気《け》がある雨谷は、子供の頃によくからかわれ
て、本名が嫌いになったとのことで、『天谷』と称するようになったらしい。改名はし
ておらず、あくまでも通り名ですがね」
「ふむ……雨谷直美が被害者には本名を打ち明けるか、あるいは被害者が彼女の免許証
などを見て、知っていた可能性は」
「言ってないと思いますよ。被害者のパソコンを調べると、簡単な日記が見付かりまし
て、恋人に関しても度々書いていた。そこには“天谷さん”か“直美さん”呼びしかな
く、また、本名を知ったならそのことを日記に書きそうなものだが、実際にはそんな記
述はなかった。ああ、日記が改竄された形跡もなかったですよ」
「さすが、吉野さん。先回りしてくれてありがたいです。それにしても被害者は恋人を
呼ぶのに、さん付け止まりだったんですね。殺人の疑いを掛けられるくらいだから、結
構深い仲だと勝手に想像していた」
「交際を始めて半年くらいでしたかな。意外とと言っていいのか、健全なお付き合いを
進めていたようで、金森が天谷を自宅に上げることも滅多になかったそうです」
「ああ、ということは当然、自宅の合鍵をもらっているような関係ではなかったと。だ
ったら仮に雨谷が犯人だとしても、金森の家に上がり込んで、完全に息絶えたかを確認
することはできないし、ダイイングメッセージなどを遺されていないかを確かめる術も
ない訳だ」
「そうなりますな。元々、金森は自身のスペースを守りたがる性質だったらしく、唯一
の近い肉親である姉にさえ、スペアキーを渡してはいなかった。そのせいで、遺体発見
まで手間取ったんだよな」
「最初に異変に気付いて、通報したのは姉でしたっけ」
「ええ。いくら電話しても出ないし、家を訪ねても応答がない。やむなく、救急を呼ん
だところ、中で死んでいたのが分かったという流れです」
「そのとき、金森の姉もいたんですよね」
「そりゃまあ、通報者だし、実の姉だから、いてもおかしくないというよりもいなきゃ
まずいでしょう」
「……吉野刑事。仮に、あなたが金森と同様の状況で刺され、自宅に駆け込んで鍵を閉
めたあと、助けを求める余裕もなくこれは死ぬ可能性が高いなと感じたら、どうしま
す?」
「ん? もちろん、犯人の手掛かりを残そうとします。ダイイングメッセージを書くか
もしれないが、先に電話を掛けるでしょうな。あ、金森と同じ状況というのでしたら、
電話は無理だ。固定電話はないし、携帯端末はバッテリー切れを起こしていた」
「じゃあ、ダイイングメッセージ一択ですね。その場合、犯人について知っていたら、
直接名前を書きますか」
「ええっと、家は密室状態なのだから、犯人に関与される恐れは極めて低い。だった
ら、直に名前を書く」
「ですよね。一方、金森は“雨”と書いていたが、該当する有力な容疑者は雨谷ただ一
人で、彼女も天谷と名乗っていたので除外せざるを得なくなっている」
「そうです。他に“雨”と結び付けられる容疑者がいればいいんだが」
「いや、かえって助かるかもしれませんよ」
「何だって? 容疑者がいなくなるというのに?」
「逆です。絞り込める。さっき言われたような状況下であったにもかかわらず、“雨”
という字に当てはまる有力容疑者がいない。裏を返せば、被害者は犯人にダイイングメ
ッセージを改竄されることを危惧していたんじゃないか?と、こうなりませんかね」
「いやいや、家は密室状態にあった、だから犯人はダイイングメッセージに手出しでき
ないと、先ほど言ったじゃないか」
「他の者にはできないが、犯人にはできるとしたら?」
「犯人にはできる……言い換えると、犯人には密室を破る術があったと言うのか」
「そこまでは言いません。でも、密室を破る場に高確率で居合わせることができる人物
なら、思い当たる関係者が一人、いるでしょう」
「金森の姉?」
「はい。無理がありますか? 少なくとも動機は、遺産絡みでありそうですが」
「待った待った。先走らないでくれ。動機はあとで調べるから。えーっと? 姉が犯人
だとしたら、刺された金森は普通、“姉”か姉の本名をダイイングメッセージにする。
だけどいくら現場を密室状態にしても、姉は発見者の一人になり得る。下手すると、ダ
イイングメッセージに気付かれて、消されるか改竄される。それを防ぐために、捻った
メッセージにした、という理解でいいのか?」
「ええ」
「だが、“雨”が姉につながらないとお話になりませんぞ。“あめ”と“あね”で似て
はいるが、違う」
「そこで考えるべきは、眼鏡ですよ」
「眼鏡……って、もしやあれもダイイングメッセージだってか」
「普段使っていない眼鏡を掛けていたのだから、ダイイングメッセージである可能性を
検討すべきなのは当然でしょう。じゃなきゃ、警察はどう解釈してたんですか、眼鏡
を」
「それは、犯人の顔をよく見ようとしたんじゃないかとか。コンタクトレンズが多少ず
れていたから、そういうこともあるかと」
「うーん、まあ、しょうがないということにしておきます。眼鏡もダイイングメッセー
ジの一部と見なせば、答は簡単に導き出せる。いいですか、紙に書くまでもないですが
――こう、“あめ”とあって、《《“め”が“ね”になったら》》どう変わりますか
?」
「“あめ”の“め”が“ね”に……“あね”だ」
終
#569/569 ●短編
★タイトル (AZA ) 25/10/02 17:44 ( 68)
OSHI−KATSU 永山
★内容
日本にやって来て七年目、初めて一人で定食屋に入った途端、「はい、オシカツドン
二人前、お待ち!」と威勢のよい声が轟いて、身体がビクッとした。自分に向けられた
ものかと思い、焦ったが、実際は違った。
若い女性の店員さんがどんぶり料理を二つ、お盆に載せて運んでいく。ちら見してみ
ると、どんぶりの蓋から平べったく伸ばされた豚肉らしきかつが大きくはみ出してお
り、そこそこインパクトがあった。程なくして席に案内され、メニューに目を通す。さ
っき見たのは押しカツ丼という料理らしい。
オシカツつながりで、頭の中が一杯だったため、必要以上に驚いてしまった。今、僕
は“オシ”のことばかり考えている。今日、初めて顔を合わせるのだけれども、緊張が
どんどん高まっている。どうしたらいいか分からないほどだ。
「お待たせしました。お席の方はこちらで大丈夫でしたか」
「はい、問題ありません」
「よかった。ご注文はお決まりですか?」
まだ決めていなかった僕は、店の壁に貼ってある写真パネルを指さした。大柄な黒人
男性が店主らしき年配男性と肩を組み、一つのどんぶりを支えるようにして持ってい
る。黒人男性は僕も知っている有名な格闘家、オーガ・ヌーだ。どんぶり料理が美味し
そうなのはもちろんのこと、二人のにこやかな笑顔が非常にいい。
「あれは何という料理になりますか」
「あー、はい。あれはですね、こちらのメニューで言うと」
メニューを手に取るとページをめくって、一つの料理を指先で押さえた店員さん。
「これになります。牛カツ丼ビーフカレー」
「この、あとから書き足されているのは何ですか」
メニューの料理名のすぐ上に、“オーガ・ヌー、一推し”とあるのだけれども、“一
推し”が読めない、意味が分からない。“ひとすいし”だとしたら人間が溺れ死んだよ
うに聞こえるが……?
「それはあの外国人が強い格闘家で、あの人もイチオシしている、つまりえっと、推薦
している、おすすめしているという意味になります」
「ああ、分かりました。ではこの牛カツ丼ビーフカレーを一つ、お願いします」
「大盛りにもできますが、いかがいたしましょう?」
僕の体格を見てのことか、おすすめしてきた――イチオシしてきた?――店員さん。
今よりもっと子供だった頃は、外見だけで判断されていわゆるOTAKU扱いを受けて
いたが、それに比べたら随分とましだ。
「ライスを増やすだけなら無料、具も増やすのでしたらプラス百円、多めに頂戴するこ
とになりますけれども」
験担ぎだと思い、具も増やしてもらうことにし、注文をすませた。
お水やおしぼりなどはセルフサービスのシステムだという説明を受け、理解して、店
員さんを見送る。さて水とおしぼりを取りに行くかと、腰を上げたところ、店のドアが
がらりと開いて、ほぼ同時に「おーい、せきとり頼むよ」という声が遠くから聞こえ
た。
僕がまたびっくりして、出入り口の方を振り向くと、入って来たばかりの人が外に向
かって「大丈夫ですよ、先輩! 幸い、席は空いています!」と返した。
何だ、せきとりって席取りのことか。僕は自分を見て言ったのではないと分かり、何
となくほっとした。そうして改めてお水とおしぼりを一つずつ取って来ると、元の席に
収まった。
太い指でおしぼりを広げ、手を拭きながら、考えることはまたも“オシ”について。
どうやったら“オシカツ”ことができるのか、堂々巡りが続いている。
同じ部屋の先輩で部屋頭の豊羽島《とよはしま》関とは、稽古でもなかなか勝てな
い。僕も豊羽島関も突き押しを得意とし、立ち会いから一気に押し勝つのが身上。わず
かだけれども確実にある押しの差が、稽古場での差につながっているのは分かってい
る。幸い、同部屋だから本場所で当たることはなかった。けれども今日は地方巡業で、
同じ部屋の関取同士でも対戦が組まれる場合がある。土俵上で勝負する日がいつか来る
と思っていたけれども、ついに来てしまった。取組決定を知らされたのが昨日で、以
来、ずっと考えているのだが、よい対策が浮かばない。戦う相手と顔を合わせるのすら
精神的にしんどいから、ちゃんこの食事は早々に退席して、こうして食べに出て来たく
らいだ。
「おまえそれ、太い信者だと思われてるだけなんじゃね?」
「いや、そんなことない」
また新たなお客が来店した。今度は僕と同じぐらいの若い男二人組だ。
「俺の拝金のおかげで、クビにならずに済んだって、推しから直接、お礼のメールが来
たんだから」
「いやいや。それ、おまえ宛だけじゃねーから、絶対」
聞くともなしに聞いていた二人のやり取りに、何故かしらヒントを見出した気がし
た。オシカツためのヒント、光明。それは“太い”“クビ”じゃないか? 豊羽島関の
首はとてつもなく太くて頑丈だが、先場所、土俵下にもつれ合って落ちたときに傷めた
はず。完治していないとすれば……僕は自分の右手をじっと見つめた。
太い首を喉輪押しでとらえる、はっきりとした手応えを予感した。
終わり