AWC ●短編



#547/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/01/09  19:38  ( 94)
主の八八のお祝いに(米寿祝宴殺人事件)   永山
★内容
「――という訳で、刺殺された被害者は、血文字で『88』と書き遺していました。い
わゆるダイイングメッセージなる代物です。間違いなく本人が書いており、また、何者
かが手を加えた可能性もありません。
 冒頭お伝えの通り、荒天で警察本体の到着が遅れています。事件関係者は、パーティ
出席者である招待客やゲストタレント、会場スタッフを含めると、総勢九十名に上る。
現時点で手掛かりはダイイングメッセージのみですが、本体到着前に少しでも容疑の枠
を絞り込むことを目的に、メッセージに関係ありそうな方をピックアップし、話を伺う
ことにします。次に名前を呼ぶ方々、こちらに出て来てください。八十八に関連付ける
理由も併せて説明します。
 最初は、八十八歳になったばかり、この集まりの主役である白石初太郎《しらいしは
つたろう》さん。お願いします。
 二人目は、米寿とくれば次は米に着目しない訳にいかないので、米田規世《よねだの
りよ》さん。さらにグレッグ・ライスさん、オール・ベーカーさんも。――あ、ベー
カーさん、意味が分からないと思いますが、こちらで部下に説明させます。ご辛抱くだ
さい。
 米作りという観点から、田上《たうえ》さん。漢字が違いますが、念のため。同様に
稲垣《いながき》さん、穂積《ほづみ》さん、俵《たわら》さん、糠田《ぬかた》さ
ん。下の名前にも注目して、油井耕作《あぶらいこうさく》さんも含めましょう。
 続いて、一九八八年生まれの加藤友助《かとうともすけ》さん。平成二十五年生ま
れ、昭和に換算すると昭和八十八年になる徳森未来《とくもりみらい》君も、お母さん
同伴で結構ですからお願いします。
 え? 生まれ年まで関連付けるのは無茶苦茶だ、ですと? そりゃあね、普通なら
我々だってここまで含めやしませんよ。でもさっき皆さんが言ったじゃありませんか。
米寿の祝いの席上で、八十八に関係する事柄を出し合って、盛り上がったと。その際に
徳森未来君が昭和で言えば八十八年生まれになることを見付けて、大いに湧いたそうで
すね。そういったことどもが被害者の印象に残っていたのかもしれない。そういう可能
性を無視する訳にはいかないし、公平を保つ意味でもご協力願います。いいですね?
 続けます。次は星野《ほしの》すばるさん。もう言う必要はないかもしれませんが、
星座です。全天にある星座は八十八個。
 それから芸人の木売麻里《きうりまり》さん。ラジウムの原子番号八十八にちなんだ
ものです。あなたの芸名の元になったマリー・キュリー、ラジウムの発見者の一人なの
はご存知でしょう。
 次、那智伸也《なちしんや》さん。自分は初めて知ったんですが、88はアルファベ
ット八番目の文字Hを並べたHHを示唆し、これはハイル・ヒトラーの隠語だそうで。
ご不快でしょうが、その話題もパーティで出たとのことなので、何卒。
 あと、チェスチャンピオンとオセロチャンピオンのお二方。そもそもが8×8の盤上
で競うゲームのチャンピオンというだけの理由で、ゲストに呼ばれたと来ました。ご面
倒でしょうがお付き合いください。
 次は誰だったかな。そうそう、8×8は64、虫に通じるということで、昆虫博士の
野呂昭彦《のろあきひこ》さん。
 心苦しいのですが、被害者のお母さんとおばあさんにも出て来てもらいましょう。8
8は“はは”“ばば”にも通じますので。
 そう、察しがよくて助かります、馬場《ばば》さんも候補に入っています。どうぞ。
 次は、無限二真流《むげんにしんりゅう》の師範、蜂須賀八雲《はちすがやくも》さ
ん。流派のシンボルが、8を寝かせた形に似た無限大のマーク二つを並べた物ですし、
お名前を略すと『はちはち』と言えなくもない。
 似た理由になりますが、八重島英人《やえじまえいと》さん。八重は“はちじゅう
”、英人はエイト、8の英訳に通じますので。
 茶道の家元である万代《ばんだい》さんも。“夏も近付く八十八夜”と唄われるのは
茶摘みのことだとか。
 88をかけ算の九九と捉えると、はっぱと読める。草津葉一《くさつよういち》さ
ん、あなたのことかもしれません。おいでください。木漏れ日写真で名をなしたカメラ
マンの大黒雅実《おおぐろまさみ》さん、同じ理由でお越しを。
 この調子だと時間がいくら合っても足りなくなるので、スピードアップしていきま
す。
 末広がりの八が二つということで、末広双樹《すえひろそうき》君。
 第八十八代のプロレスNWCヘビー級王者、的場雷剛《まとばらいごう》選手。
 今年で創業八十八年になる老舗漬物屋さん、上地高秀《かみじたかひで》さん。それ
から――」
 先乗りの刑事はこんな調子で名前を読み上げていった。
「最後、これが最も広範囲の網になりそうですが……ベージュ色の服やアクセサリーを
身に付けている人は、前に出てください」
 ざわつく会場。それでも抗議の声は上がらず、該当者がぞろぞろと指示された側へと
歩いて行く。
 というのも、名前を読み上げられた人数がとうに過半数を超していたからである。多
数派にならないと不安を覚えるのかもしれない。そして今、少数派だった自分がベージ
ュのアイテムをに見付けていたことで多数派に転じられて安心した、といったところ
か。
「以上です。カウントしていたのですが、出て来てもらった方の総数はなんと、八十八
になりました。偶然とは言え恐ろしい。
 そして、計算するまでもなく、この会場を見れば分かることですが、ダイイングメッ
セージとの関連性が見当たらないのは、たった一人」
 関係者は全部で九十名、被害者が一人。前に出てきてもらったのが八十八人。90−
1−88=1。
「九十九《つくも》七五三太《しめた》さん、あなただけはどう想像を膨らませても、
八十八とは結び付けられなかった。だからお帰りになって結構ですよ、と言いたいとこ
ろですが、天気はまだ荒れ模様だし、一人だけ除外されるというのもかえって怪しく見
えなくもない」
「そんなあ」
「もしかすると被害者の方は、あなただけが八十八に関係しないことを把握した上で、
『88ではない者が犯人』とでも書き遺したかったのかも」
「まさか。いや、もう、一人だけ特別視されている感じが、凄く嫌なんですが」
「だったら、がんばって八十八に関連付けてみては?」
「それでそちらに仲間入りさせてもらえるのでしたら、努力します。……計算してもい
いですかね?」
「計算、とは」
「私の名前の数字99753の間に四則演算の記号を入れて計算するんです。たとえ
ば、9×9+7と5+3に分ければ、前者は88、後者は8になる」
 どうです?と迫らんばかりに目を見開く九十九。
 刑事は顎に片手をやり、少しの間、沈思黙考。程なくして口を開いた。
「惜しいけれども、やっぱり無理」

 おしまい





#548/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/02/08  17:40  ( 61)
ゴールラッシュ   永山
★内容
※小説投稿サイトでのお題企画に応じた物です。タイトルは変更しております。


「『クイズ・ゴールを目指せ』、続いてのチャレンジャーが本日最後の方となりそうで
す。ご存知の通り、全十三問連続正解で“ゴールラッシュ”を達成した挑戦者には素晴
らしい賞品を獲得するチャンスが与えられます。が、今回もまだ達成者は出ておりませ
ん。次のチャレンジャーは座間味蓮《ざまみれん》さん。**高校で教鞭を執っておら
れるとのことです。座間味さん、自信の程はどのくらいありますか」
「この日のために色々と勉強してきました。不言実行をモットーにがんばります」
「それを言っちゃうと、有言実行と変わらない気もしますが、まあいいでしょう。心の
準備はよろしいでしょうか」
「――はい」
「結構ですね。では始めます。――問題です。テニスの四大大会及びオリンピックのす
べてで優勝を達成することを何スラムという?」
「《《ゴール》》デンスラム」
「正解。問題です。栗本薫の小説『グイン・サーガ』にて、ゴーラ三大公国の内、最も
新しい国は?」
「モン《《ゴール》》」
「正解。問題です。一八四八年頃からアメリカ合衆国はカリフォルニア州にて起きたと
される現象を何ラッシュという?」
「《《ゴール》》ドラッシュ」
「正解。問題です。化学式C10H18O、メンソールを合成する際にできる物といった
ら?」
「イソプレ《《ゴール》》」
「正解。問題です。ウクライナ出身の格闘家でありながら得意技にロシアンフックと名
付けられたのは?」
「イ《《ゴール》》・ボブチャンチン」
「正解。問題です。柑橘類の呼び方で、みかんとオレンジ類の交雑種を何という?」
「コン《《ゴール》》」
「正解。問題です。パラグライダー競技の一つで、数キロから数十キロ遠方に設定され
た目標への到達を競うのは?」
「《《ゴール》》タスク」
「正解。問題です。突起のある円盤を用いた物はディスク、金属の円筒を用いた物はシ
リンダー。これ何?」
「オル《《ゴール》》」
「正解。問題です。フィクションの中でプロの殺し屋ジャッカルに命を狙われた、実在
のフランスの有名人は?」
「シャルル・ド・《《ゴール》》元大統領」
「正解。問題です。細菌の感染によって植物にできる腫瘍で、根頭がんしゅ病を別の言
い方で言うと?」
「クラウン《《ゴール》》」
「正解。問題です。主に江戸期に編まれた分類体実用辞書のことを何と呼ぶ?」
「《《ごうる》》いせつよう(合類節用)」
「正解。問題です。複方ヨード・グリセリンを考案者の名前を取って別名何という?」
「ル《《ゴール》》液」
「正解。最後の問題です。次の三つの言葉から連想されるのは? マウス、ライン、ホ
スト」
「《《ゴール》》!」
「おっと、座間味さん残念。不正解です」
「え? 全部、ゴールが付く言葉なのでは?」
「ゴールマウス、ゴールラインはありますが、三つ目が違います。ゴールホストもホス
トゴールもないでしょう。あるのはゴールポスト」
「ええ? じゃあ、正解は……」
「IT、インフォメーションテクノロジーです。マウス、ラインはそのまま。ホストは
ホストコンピュータですね」
「ず、ずるい」
「――という訳で、今週もゴールラッシュ達成者は出ませんでした。新たなる挑戦者に
期待するとしましょう。ではまた次回! さようなら。司会は角楡新地《かくにれにい
ち》でした」

 終わり




#549/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/03/27  10:29  (140)
幸運にUNが付いたらアンラッキー   永山
★内容
 7は幸運の数と、小さな頃から教わってきた。
 無邪気だった頃の俺は微塵も疑わずに信じたものだ。何かを選ぶときに、選べるので
あれば7を取りに行った。ただただ愚直なまでに。
 結果、どうなったか。ちっとも幸運じゃなかった。
 たとえば幼稚園のとき。八つに分けた先生手作りのケーキを九人でくじ引きして、一
人だけ食べられないというゲームをやった。園の全員が参加して、最後の一人になるま
で繰り返し行われたのだが、俺は悉く外れを引いた。みんなが7を選ばないのをいいこ
とに、常に7を採っていったら、この有様だ。結局、俺一人だけがケーキにありつけな
かった。
 小学生のときは、班分けだった。林間学校と修学旅行、それぞれで班分けのためのく
じ引きが行われた。俺はどちらの場合も7を選んだが、思い通りの結果は待っていなか
った。というのも同じクラスに片思いしている女子がいて、その子と一緒の班になりた
いと強く願っていたのだけれども、まったく当てが外れてがっかりした。
 中学のときも修学旅行。ただし、班分けは機械的に出席番号順に前から数名ずつに分
けられたから関係ない。泊まったホテルの部屋番号が777だったのだ。これは御利益
ありそうだと期待が膨らんだが、修学旅行中、特にいいことが起きるでもなく、淡々と
進んだ。自分には関係ないが、引率の先生の一人が夜、宿を抜け出してパチンコをして
いたのがばれ、何らかの処分を食らったというおまけが付いた。
 高校では三年間、出席番号が7だった。今度こそ、高校生活はラッキーセブンの恩恵
に与れるかも、と期待を抱いたのだが、甘かった。出席番号7は何の因果か、各教科の
先生からやたらと当てられる順番だった。数学の先生は素数番目を当てていくのを好
む。英語の先生は七番目と言えば日曜日、日曜日は学校が休みで当てられることが少な
いだろうからという謎理論を持ち出して、公平を保つためにと出席番号7を多めに指名
する。国語の先生は教卓に張ってある座席表の上で右手人差し指を構え、目を瞑って、
えいやと下ろしたところにある番号を指名するのだけれども、この人の癖なのか、7が
当たる確率が滅茶苦茶高かった。とまあこんな具合に、高校時代はサボれる授業が一つ
もなく、少なくとも予習だけはバッチリこなしておかねばならず、大変だった。
 そして今年迎えた大学受験。本命校の受験番号が7777だった。
 この頃になるともうラッキーセブンを当てにするのはやめよう、と考える気持ちも大
分大きくなっていたが、それでもなお信じてみようという気持ちも残っていて。それだ
け大学受験という関門は、人生にとってかなり重要だってことなのかもしれない。

 そんな大事な試験の直前になって、不思議なことが起きた。
 周囲が暗転したかと思うと、他の人達の気配が消えた。同時に、目の前に、といって
も7メートルくらい離れた先に、赤ん坊くらいのサイズの人型が浮かんでいるのを認識
する。その人型にどこから来たのかスポットライトが当たり、俺からもはっきり見え
た。
 何というか、外見は古代ギリシャの哲学者って風貌なんだが、若い人が付け髭や白髪
のかつらを被って、がんばって年寄りを演じていますという雰囲気があった。
「未成年の内は助けてあげてたけど、今日からは自分で判断してね」
 人型がいきなり言った。俺は辺りを横目で見やったが、誰からも反応がない。という
か、ずっと人の気配、ざわつきが消えたままだ。
「勉強ばかりしてきて、ぴんと来てないのかな? これよくあるパターンなんだけど」
 続けて人型の台詞。
 いや、俺だって暗転の瞬間から少しして、思わないではなかったさ。でもまさかとい
う頭もあったし、仮に“例のアレ”だとしても、そっちが説明を始めるのが筋だろう
と。
「えっと。あれか。あなたは神様か何かで、ここは異空間、みたいな?」
「そう、分かってるじゃないの」
 ちっちゃい神様は手を叩いて喜んだ。
「で、試験の直前に邪魔して悪いんだけど、手っ取り早く終わらせるから少しの間、辛
抱して聞いて頂戴。さっきも言った通り、これまで僕はあなたが間違った道に行かない
よう、サポートをしてきた。特に、7という数が関わるポイントで」
「……サポートって言った?」
 物事の理解を急速に進め、次に相手の言葉の意味を飲み込もうとする。
「サポートって普通はよくなる方に導いてくれるんじゃないの? 俺、7でいい思いを
した覚えが一個もないんだが。ラッキーセブンを信じるのをやめようかと思うくらい、
縁がなかったぞ」
「かもしれない。けど、それはそういう結果だから。あと、僕が言うサポートって、よ
くなるとか凄くよくなるに限らないんだ。あくまでも、悪くならないように持って行く
のがメイン」
「……よく分からないな。じゃあ、そうだな、幼稚園のとき、俺だけ先生の手作りケー
キを食べられなかったことあったが、あれって何だったんだよ」
「あー、あれね。もしあのときあのケーキを君が食べていたら、そばアレルギーの激し
い反応が出て、命に関わっていたから」
「はい?」
「あのケーキには、ほんのちょっぴりだけど、そば粉が混じっていたんだ。もちろん幼
稚園の先生がわざと入れたんじゃあないよ。自宅でケーキを焼く前日、手打ちそばを作
ったんだ。そのときの粉がごく微量だけど、ボールやめん棒などに残っていて、意図せ
ずしてケーキに混入した。ちょっぴりと言ったって、当時、そばアレルギーを完全には
克服していなかった君にとって、危険な量だったんだよ」
「まさかそんな。だったら、小学五、六年のとき、好きな女子と同じグループになれな
かったのは何でだ? 絶対に一緒になれた方が楽しい」
「あれは君の将来を見越してのこと。もしもあのとき同じ班になっていたら、君と彼女
はどんどん仲よくなっていた」
「ほら見ろ。どうして邪魔を――」
「待った。最後まで聞いてよ。小学生のときは分からなかっただろうけど、彼女はとん
だわがままなんだよ。君を彼女の好み通りに仕立てようと強制してくるんだ」
「そ、それくらい受け入れる。仮に俺の趣味と多少ずれていても、我慢するさ」
「よくないよ、そういうのって。それに中学以降の彼女について、噂は耳に入ってない
のかい?」
「それは……まあ、ちょっとは。悪い噂だから信じたくなかったっていうか」
 中学は同じだったが、高校は別々になった。だから本当に噂話でしか知らないのだ
が、高校二年の時にその女子は付き合っていた男子とトラブルになり、通学途中の駅
で、彼氏をホームからレール側へ突き飛ばそうとしたらしい。そのあとどうなったのか
は知りたくもなかったので、聞いてない。
 僕は気持ちを切り替える意味も込めて、話題を換えた。
「中学の修学旅行で、部屋が777だったのに何もなかった。あれは?」
「ああ、僕的にはあれが一番苦労した。あのときはいいことが起きる寸前だったんだ。
それを食い止めるためにそれなりに力を使ったからね」
「いいことを食い止めた? 何で」
「いいことと言ったって大した話じゃない。777のプレートを見た先生が、その部屋
の君達男子を誘ってくるんだ。パチンコに連れて行ってやろうか、と」
「はい?」
「旅先で高揚していたせいか、誘いに乗った君達、というか君はパチンコで大勝ちす
る。それだけだ。直後に見付かって、こってり絞られて、休学させられるよ」
「それじゃああのとき、先生が一人だけで行って、一人だけ処分を食らったのは」
「そう、僕の尽力のおかげ」
「それが事実なら助かったけど……あんまりありがたみを感じないな。実際には体験し
てない訳だから」
「実際に起きてしまったら、僕程度のクラスの力ではどうにもならないからね。ついで
に高校三年間の件にも答えようか。出席番号7になったばっかりに、授業で当てられる
ことが激増したっていう」
「あ、ああ」
「あれは逆に僕は何もしないでよかった。だって、君にとって確実にプラスに働いたん
だから」
「……もしかして、勉強に熱心に取り組んだこと?」
「そうそう。そのおかげで成績が上がり、やりたいことを学ぶために、こうして高いラ
ンクの大学を狙えるところまで来た。でしょ?」
「……確かに」
 そこは認めざるを得ない。高校生活を通じて、勉強量が半分以下だったとしたら、進
学を選んでいたかどうかすら怪しい。
「分かってくれた? ならよかった。僕も嬉しい」
「ありがたい神様が今日このタイミングで姿を現したのは、どうして」
 感謝の気持ちが少々沸いてきて、言葉遣いが若干丁寧になっていた。と同時に、疑問
をぶつける。
「いい質問だね。けど、最初に答を言ったようなもんなんだけどな」
「未成年とかどうとかってやつ?」
 僕に限らず、大多数の受験生は十八歳になっている。
「そう。なんやかんやと手助けできるのは、未成年のときだけなんだ。だから今日のテ
ストの受験番号が7777と7揃いであることをどう受け止めるかは、君の自由。ラッ
キーセブンなんてないんだと無視してもいいし、僕の話を聞いて過去の7にはそれなり
の意味があったんだなと解釈するもよし」
「それって……正解とか間違いとかあるのかな」
 迷う気持ちを素直に出す。答が返ってくると期待はしてないが、念のために聞いてみ
た。
「もう僕は何もしないから」
 小さな神様は淡々と返事する。が、続けてこうも言った。
「ただ最後に一つアドバイスを送るとしたら、前向きでいること、だね。僕が何の神様
か分かる?」
「さあ……」
「7に関わること全般扱っていることから、想像付くんじゃないかな。その中ではまだ
まだ下っ端なんだけど」
「7に関わる、ねえ」
 7といえばやっぱり、ラッキーセブン。てことは。
「福の神?」
「正解。その調子で試験に臨むといいよ。笑う門には福来たると言うしね」
 そう言って満面の笑みを作った福の神さまは、徐々にフェードアウトしていった。

 終わり




#550/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/04/11  19:34  ( 95)
横溝でもカーでもないけど夜歩く   永山
★内容
 異境のこの地にこれだけの数の日本人が暮らすようになったんだからと、今度の大晦
日は皆で集まることになった。もちろん、日本人以外も歓迎するけれども、とりあえず
初詣は日本式に雰囲気出したいからと和服推奨という通達が出された。
 そして迎えた当日。
「まだちょっと早いかもだけど、どうする?」
 木山《きやま》が斜め上を見つめながら言った。視線の先には壁時計がある。
 集会所に近いという理由で、僕の家に立ち寄ったのが午後十時前。そこから二時間足
らず、経っていた。
「そろそろいいんじゃないか。なにも午前0時ジャストに着かなくちゃ行けないって訳
でもないし」
「いや、初詣って言うからには、年を越してないとだめだろ」
「そうじゃなくて、集会所に着くのがだよ。時間を潰すことくらいできるだろう。食べ
物や飲み物もあるって聞いてるし、他の友達もいるかもしれない。ショー目当てで」
「そうか、そうだな。珍しいショーもあるんだっけ」
 そう、確かに珍しいには違いないのだが、僕ら二人は日本にいるときに、二度ほど見
ているので、気分はさほど盛り上がっていない。ちらっと見ればいいぐらいのつもりで
いる。それでも、友達に会いに行くと思えば、腰も軽くなる。
 仕度を整え――と言っても防寒着を重ね着するだけだ――、さっさと家を出た。冷た
い空気に息が白くなる。
「おまえん家に来るとき、思い出したクイズがあってさ」
 なかなか唐突に、木山が切り出した。
「何だ、クイズ?」
「うん。だいぶ昔、人から出題されたやつなんだけど、多分、おまえじゃないよな」
「聞いてみないことには分からない」
「だよな。えっと、先に思い出すきっかけについて言っておく。それで出題したのがお
まえなら、ぴんと来るかもしれない」
 集会所までの道程の暇つぶしのためか、この話題で引っ張るつもりらしい。僕はやれ
やれとため息をつきつつ、覚悟を決めた。
「このコートのボタン、黒いだろ」
「ああ」
 木山は自らの羽織るコートのボタンを指差した。四つ穴の割と大振りなボタンだ。
「予備のボタンがポケットに入っているのを忘れてて、携帯端末を取り出した拍子に落
としてしまったんだ、その予備のボタン」
「よくあるとは言わないが、あっておかしくないことだ。それで?」
「足元を見ろ。アスファルト道路、黒っぽいだろ」
 言われるがままに下を見て、うなずく僕。
「ボタンの色に近い」
「だから?」
「……ここまで言ってピンと来ないか。てことは、例のクイズを俺に出したのはおまえ
ではない。それどころか、そもそもこのクイズ、おまえは知らないみたいだな」
「どうやらそのようで」
 クイズやパズルの類は嫌いじゃない。けれども、相手をするのが疲れてきた。
「早く言ってくれよ」
「じゃあ、言うぞ。細かい表現は違っているが、だいたいこんな感じだった。――『黒
いアスファルト道沿いに真っ黒な壁があった。空には星が瞬くこともなく、外灯は一つ
も点っていない。と、黒い壁の向こう側から男がぬっと姿を現した。男は黒い帽子に黒
いシャツ、黒ズボンを穿き、黒いジャケットを羽織っていた。靴も靴下も黒一色。そん
な黒尽くめの男は道をしばらく歩いて、ぴたっと立ち止まった。真っ黒な小銭入れを落
としたと気付いたのだ。男は周囲を見渡すと、問題の財布をすぐに見付け、難なく拾う
とまた元のように歩き出した。さて、黒尽くめ男はどうやって財布をすぐに見付けるこ
とができたのだろう?』」
「なるほど。確かに、状況は似ているみたいだね。当然、懐中電灯のような灯りも持っ
ていない。携帯端末の光を頼りにしたのでもない、という条件付きなんだろうね」
「ああ、もちろん。ついてに補足しておくなら、靴で踏んづけた感触で分かった、とい
うのもなし。靴底が分厚くて、踏んだ物の感触は伝わらないことにする」
「だったらいっそ、落としたのは財布じゃなく、真っ黒な名刺とかにすればよかったの
に。財布を踏んで気付かないってのは、なさそうだ」
「じゃあ名刺でもいい。何にしたって、“すぐ”見付けるという条件が厳しいはずだ
ぜ」
「……木山は今晩、黒いボタンを楽々見付けることができたよな?」
「当然。何たって、今のシーズンはここら一帯、《《白夜》》だもんな」
 歯を覗かせ、きししと笑う木山。僕もつられて、ちょっと笑った。初めて白夜を体験
したとき、面白いと思ったし、長い間慣れなかったな。
「ということは、だ」
 僕はクイズを考えることに舞い戻った。
「クイズを聞いていて、黒くろクロとやたら出て来るから、てっきり夜だと思い込ん
で、暗闇の情景を脳裏に描いていたけれど……ひょっとしたら違うんじゃないか? 思
い返すと、問題文では夜とは一言もいってなかったし、時刻についても言及がなかった
ような気がする」
「お、正解。真っ昼間だったのさ。簡単だったか」
「いや、前振りがあったし、今の僕らは白夜を知っているから、割と早く解けたんだと
思う。何にもなしでいきなり出題されたら、間違いなく苦戦してた」
「ははは、フォローをどうも。それにしても、誰から聞いた問題だったのかな。気にな
り出してしまった」
「これから友達と会うんだから、聞いてみたら」
「いや、聞いたのは日本にいるときだ。だからこっちにいる友達の中で当てはまるの
は、おまえの他には――あ」
 不意に間の抜けた声がした。僕は木山の声の方を向いて、「どうかした?」と尋ね
た。
「まずい。コートのボタンが取れた! 落ちて転がったみたいだ」
「へ?」
「予備じゃなく、使ってる方のが。ちょっと深呼吸しただけなのに」
「ダイエットを考えるか。ははは」
「笑い事じゃない。黒ボタン、どこにある? 一緒に探してくれ」
「はいはい。でも、当てずっぽうで探すより、ここに立ったまま、しばらく待つ方がい
いかもしれないぞ」
 僕は提案しながら、空を見上げた。
 改めて確認するまでもない。真っ暗だ。

 今年の大晦日は白夜、そして日食が重なった。今まさに《《皆既日食》》の真っ只
中。

 珍しい天体ショーに、多くの人達が黒サングラスを手にしていた。

 おしまい




#551/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/05/23  13:29  ( 64)
旦那は私だけのヒーロー   永山
★内容
※小説投稿サイトのお題に応じて書いたものになります。

「約束したわよね。もう浮気はしませんて」
 僕は妻の前で正座をさせられていた。
「あなたって人は、何度言ったら分かるのかしら」
「申し訳ない……」
 頭を垂れる。すぐには上げないで待っていると、さらなるきついフレーズが降ってき
た。
「聞きたいのはそんな言葉じゃないの。今のは質問よ。答えて。これで何度目になるの
かなー?」
「えっと」
 これはマジな質問、いや詰問だなと察知した僕は、指折り数えてみた。えーっと、彼
女と結婚してから五年になるから、単純計算すると……でも年末年始はしないことが多
かった気もする。
 いや、そもそも問われているのは、彼女にばれた回数なのだろうか? それとも洗い
ざらい白状しろという命令として受け止めるべきか。僕は考えあぐねて、結局は黙って
手のひらを広げて示した。
「そんなものじゃないんじゃないの? あなたの立場からすれば、そうねえ、週一ぐら
いやっていても全然不思議じゃないんだけどっ?」
「ま、まさか、そんなには行かないよ」
「本当かしら。そういえばあなた、前にワイドショーを一緒に見ていたとき、浮気と本
気は違うとかどうとか、言ってたわよね。もしかして浮気の数だけを申告したってこと
なのかな?」
「い、いや。その……僕は……常に……」
 これを言ったらぶっ飛ばされるか、それと同等の罵詈雑言が突き刺さってくると分か
っている。分かっていても、僕は嘘をつけない。立場上というのもある。約束を破るの
はいけないことだが、それ以上に嘘をついてはいけない場面もあるのだ。
 と、心の中で理屈なのか言い訳なのか判然としないことをもごもごとやっている内
に、妻からは「え、何、聞こえない。常に何?」とやや挑発的な響きの声。僕は意を決
した。
「僕は常に本気だ」
「この――頑固者がー!」
 妻の怒声に顔を起こすと、スリッパの底が見えた。ぐんぐん迫ってきて、当たる!」
という刹那に軌道が逸れ、耳をかすめるようにして床をドン!」と踏みしめる。彼女の
細くて綺麗な足のどこに、こんな野生のカモシカみたいな脚力が秘められているのだろ
うと不思議になる。
「すべて本気だったと。譲らないのね」
 はあはあと乱れた呼吸を整えようとしながらも、妻は聴取をやめないでいる。
 顔面に蹴りを入れないでくれた気遣いに感謝しつつ、僕は立ち上がると、妻を真正面
から見つめた。
「あ、ああ。そこだけは譲れない。だって、本気にならずに怪人・怪獣・侵略者その他
諸々を倒せやしないよ」
「……約束したのに」
 妻は不意に俯いたかと思うと、涙声になっていた。
 そこから先は、僕も聞くのが辛い。というか、正直、激しく後悔してしまうのだ。あ
んな約束、しなければよかったと。
 今を遡ること、十五年ほどになるだろうか。妻がまだ小学校中学年ぐらいの頃に、僕
は彼女と初めて出会った。一人で留守番していたところを怪人に襲われ、絶体絶命の窮
地に陥った彼女を、颯爽と現れた“マスクド燕尾服マン”こと僕が救出、怪人どもをな
ぎ倒して退散させたのだ。そこで切り上げて、さっさと巨大化して、飛び去っていれば
よかったのだけれど、泣き止まない彼女を見てつい、色々と話し込んでしまった。挙げ
句、
「私だけのヒーローになって!」
 とせがまれ、何の気なしにオーケーした。
 それがまさか、十年ほど経って、彼女と結婚することになるとは運命なんて分からな
い(ちなみに僕の年齢は変身巨大化ヒーローによくある何万何千歳レベルだから、地球
人は誰であろうと物凄く年下になるのは確定事項。決してそういう性癖なんかではな
い)。
 その上、彼女が約束をきっちり覚えていて、僕が正義の務めを果たすべく、他の人達
を助けに出動することが許せないなんて。
「本気にならずに悪者を倒せるようになってよ〜、お願いだから」
 参ったな。

 おしまい




#552/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/06/09  20:15  (100)
ダイイングメッセージ、漢字で書くか?かなで書くか?   永山
★内容
 七月に入ったばかりの時季だった。
 ワイン醸造元の息子で高校生の勝山健太郎《かつやまけんたろう》が、自宅兼醸造工
場に隣接する畑で殺害された。凶器は鋭利な刃物で、敷地内にある小さな沼からは条件
に合致するナイフが見付かっている。
 犯行推定時刻の午後一時から午後三時の間、醸造工場に通じる道は工事が行われてい
たため、人の出入りがなかったことが分かっている。
 敷地内にいた面々で、勝山健太郎を殺害する動機があり、犯行時刻にはっきりしたア
リバイがないという条件で絞っていくと、三人の容疑者が残った。
 健太郎の同級生、草薙尊《くさなぎたける》。健太郎とは遊び仲間で、お互いに軽微
な悪事を知っている。将来のことを考え、悪友を口封じしたのかもしれない。
 元従業員の木村竜人《きむらたっと》。解雇の原因は、未成年の健太郎に酒の味を覚
えさせたためで、戻れるように懇願に来ていた。話がまとまらず、かっとなって?
 健太郎の女友達、一つ年上の高校生、児玉利穗《こだまりほ》。恋人気取りで、最近
健太郎の浮気を疑るようになっていた。
 この中で警察が一番に目を付けたのが、草薙だった。何しろ、殺害現場の地面には、
文字が残されたいてのだ。“尊”と。
「そんなもん、知らねえって。今日は健太郎に頼まれて、児玉さんの疑いを晴らすって
いうか、仲立ちを頼まれてたんだ。なのに健太郎を殺すはずないでしょ、刑事さん。動
機だって、そりゃあ言いふらされたらまずいことはあるけど、健太郎はそんなことする
奴じゃないって分かってたし」
 主張には一理あるが、ダイイングメッセージがずばり名前であることに加え、児玉が
来ていると知っていた草薙は、彼女に容疑が向くことを期待して犯行に及んだのかもし
れない。
「坊ちゃんの死んでいたそばに“尊”って文字が? へえ。何でそいつが私と結び付く
んです? え、“尊”に送り仮名“ぶ”を付ければ、『たっとぶ』と読む。そこから“
ぶ”を取れば『たっと』になり、私の下の名前になるって? 無理矢理だなあ。だいた
い、自分は坊ちゃんに会えもしなかったんだから。他にもっと怪しい人がいるんじゃな
いんですかね? ――坊ちゃんの同級生で草薙? いや、知らない。事件の起きた日、
来てたのか、それも知らなかった。あ、尊って名前なんですか。じゃあ、そいつがやっ
たんじゃあないんですか。……そういや、たけちゃんと呼ぶ悪友がいると聞いたことが
あった。てっきり、“たけだ”か“たけし”って名前なんだろうなと思ってたが、尊だ
ったとはね」
 木村は健太郎に懇願に行くことを予告しておらず、いきなりの訪問だった。特に作戦
もなく、正面から来たので工場の者にすぐに見付かり、事務所脇の空き部屋に閉じ込め
られている。もちろん牢屋でも何でもない部屋で、見張りが立った訳でもなかったの
で、しばらくして木村は部屋を抜け出し、敷地内をうろうろしていた。行動面だけで言
えば最も怪しい。
「私なんかに時間を使ってないで、早く見つけてよ、ケンちゃん殺した奴を! 私馬鹿
だから、あんた達の警察にすがるしかないんだよっ。草薙君も情けないんだから。同じ
時間にいてむざむざ友達を殺されるなんて! え、木村? 誰それ? あー? 現場に
“尊”って書かれてたっていうの? じゃあ草薙君が、草薙が怪しいって! 私でも分
かる、早く捕まえろ!」
 児玉利穗は当初は泣いてばかりでちっとも話が聞けなかった。話せるようになったと
思ったら警察の捜査に文句を付けてくる始末。学校の成績は中の中レベルだが、勉強嫌
いだと言って憚らないだけあって、言葉の端々に短絡的な思考が滲んでいるようだ。

 草薙が最有力容疑者ではあるが、地面に書かれた“尊”という文字は明瞭で、サイズ
もそれなりに大きく、見逃すとは思えない。彼が犯人なら字を放置して立ち去るとは考
えにくい。裏を掻いて敢えて字を残したとも考えられなくはないが、実際にそんな賭け
に出られる犯罪者がどれほどいるだろうか。
 他の二人の容疑者のどちらかが犯人で、草薙に濡れ衣を着せるためにやったんだと仮
定するにしても、決め手がない。
 停滞するかに思えた捜査状況に、新たにいくつかの情報が加わったのは、丸一日以上
経ったあとだった。
 まず、“尊”という字は地面に書かれていたが、その痕跡を仔細に調べても血が一切
検出されなかった。一方、被害者の聞き手である右手の指は血にまみれていたことが分
かっている。右手人差し指を使って地面に文字を書いたら、土にできた溝に必ず血が残
るのではないか。こんな仮説をたて、実験してみたところ、仮説の正しさが立証され
た。被害者の手の爪には土が入り込んでいたが、ダイイングメッセージと合わせて、犯
人の細工である可能性が極めて高いことになる。
 さらに、勝山健太郎の家庭教師をしていた大学生・剣崎《けんざき》の証言が得られ
た。
「健太郎君が“尊”と書くなんて、信じられません。彼は幼い頃、親御さんからワイン
樽の“樽”の字を教わったそうなんですが、その際に『樽は木に尊いと書くんだ。だか
らこそ樽からは尊い酒が生まれる』という風に習ったとか。よほど印象深かったんだろ
うな、樽の字を覚えたのはいいが尊の字を間違って、樽から木を取った字だと思い込ん
でしまった。まあいわゆる異字体で間違いではないが、一般的ではない。そのままずっ
と癖になっていたから死の際に瀕して、書き慣れていない方を書くとは思えないなあ」
 これが突破口になった。そもそも、健太郎は草薙をたけちゃんと呼ぶ場合がほとんど
だった。その観点から言っても、わざわざ“尊”と漢字で書き残すのは理に合わない。
恐らく時間だって平仮名よりも掛かる。
 すでに、ダイイングメッセージは犯人による小細工だと判明している。それなら“尊
”と書き残す者は誰か。
 草薙ではあるまい。もし彼が“尊”と偽装工作をしたのなら、先にも書いたように裏
を掻くことを狙う訳だが、そんな危険な賭けに出られるとは思えない。
 木村でもないだろう。木村は事件当日、草薙が被害者宅を訪れていたことを知らなか
った。また、“尊”という名の知り合いが健太郎にいることも同様に知らなかった。も
し木村が偽装工作をするのなら、少なくとも“たけ”と書くはずだ。
 では児玉はどうか。彼女は草薙の来訪を知っていたし、草薙の下の名前が尊であるこ
とも知っている。勉強嫌いの児玉が、健太郎と漢字の話題で盛り上がるとは考えにく
く、健太郎が“尊”の字を誤って覚えている事実を知るまい。
 この点を当人にそれとなく聞いてみると、まさしくその通り。まったく興味を持って
いなかった。

 これにより、勝山健太郎を殺害したのは児玉利穗と特定された。
 ただ、一つだけ解せない点が残っていた。
「なあ、児玉さん。どうしてわざわざ漢字で書いた? 簡単な平仮名か片仮名で書かな
かったのには理由があるのか? 被害者が草薙君を『たけちゃん』と呼んでいたことだ
って、君は知っていたろうに」
「あー、それ? ない知恵を絞ったつもりだったんだけど、裏目っちゃったな」
 さばさばした口調で犯人は答えた。
「共通の友達に、武田《たけだ》っていうのがいるの。野球部のレギュラーで、筋肉馬
鹿なところあるけれど、いい奴でさ。中学までは健ちゃんと一緒に野球してたみたい。
何が原因か分からないんだけど、今は仲違いしてて。刑事さんの捜査でもちょっとは網
に引っ掛かったんじゃない? まあどうでもいいけど。武田に万が一でも疑いが掛かっ
たら悪いなと思ったから。だって今うちの野球部、予選で頑張ってるでしょ。野球のこ
とはよく分かんないけど、好きなことをやりたいっていう気持ちは尊重したいんだ、
私」

 終わり




#553/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/07/11  13:17  (168)
“私”に捧げるエール   永山
★内容
 その作品『魔法を喪失《なく》した魔法使い』を一読して、私は思わず呟いた。
「確かに、一発退場させるには惜しいな」
 記憶喪失で魔法を使えなくなった魔法少女が、日常の謎を中心に不可思議な事件を解
き明かしていくライトミステリ。連作短編プラス中編で構成され、最後に全ての話がつ
ながって明らかになる意外なオチ。若書きではあるものの、爽やかさとちょっぴり苦み
のあるラストはこの作家の個性と言えよう。
「さて、どうするかな」

 ことの始まりは、高校大学と通じて一個下の後輩で、今は部下でもある多野《たの》
が出してきたメモ的レポートだった。
 私や多野は某出版社系小説投稿サイトの社員で、サイトでは現在、年間を通じて最大
のイベントである部門別長編コンテストを催している。賞としては賞金の他、優秀な作
品はウチのレーベルから紙媒体で出版されるのが目玉だ。年々、参加作品が増加傾向に
あり、盛り上がりを見せているのは大変結構なことである。
 結構でないのは、規約をよく読まずに参加してくる作家さん達が一定割合いるという
現実。まだ規模が小さく、参加作品も少なかった頃なら対処も容易かったのだが、昨今
は万全の対応は難しくなっている。
 現在、コンテストは作品募集期間かつ一次審査の段階。この段階では応募作は完結し
てなくていい。規定の下限となる十万文字に達していなくてもかまわない。誤字脱字そ
の他訂正もし放題だ。締め切り日までに条件をクリアすれば問題ない。
 毎年大なり小なり物議を醸すのが、一次審査の方法。審査員が判断するのではなく、
読者選考に全てを委ねる方式を採っている。といっても読者が限られた票を投じるので
はない。一作品につき1〜3個の範囲で自由に付けられる“星”による評価を、読者選
考の軸としている。
 コンテスト期間中にどれだけ星を獲得したかが、一次審査を突破する上で重要だが、
ただ単に何位までを通過させると機械的に決めるのではなく、規定を満たしていない物
を先に除外する。さらに、明らかに|部門違い《カテゴリーエラー》の物、完結したと
は言い難い物、露骨な字数稼ぎをしている物などはできる限り、気付き次第弾く。
 そういった作品自体に何らかの問題点がある場合はまだ判定がしやすい。面倒なの
は、読者からの評価自体に疑念が持たれる場合だ。
 詳細は省くが、今、『魔法を喪失した魔法使い』に対して向けられている疑念は、当
サイトのアカウントを一個人が複数取得し、それぞれのアカウントから星を投じたので
はないかというもの。一個人が持てるアカウントは一つまでとサイトの規約で定められ
ている。当然、コンテストにも適用されるルールであり、違反した場合は退会処分もあ
る。
 多野が提出したレポートでは、作品そのものの長所を認めつつも、読者評価について
以下の疑念を呈していた。

・獲得しているちょうど百個の星の内、九十個が怪しい。三十人が三つずつ投じている
が、一月十二日に集中している。

・その三十人のIPアドレスを見ると、全てが同じ回線業者の同じ地域になっている。

・同じく三十人の登録日をチェックしたところ、コンテスト前から登録しているのが二
名、コンテスト開始から約三週間後の十二月二十四日前後に登録しているのが十八名、
あとの十名はその後ぽつんぽつんと、一月四日までに登録。カムフラージュにしてはや
や変な気もします。

・三十人の中で、自ら作品を書いているのは三名。うち二名はコンテスト開始前から登
録済みのユーザー。

・三十名の内、十二名が当該作品を読んだ形跡なし。十名は最初から最後まで時間を掛
けてしっかり読破。残る八名はおおよそ後ろ半分を最後まで読み通していました。これ
もやや変な振る舞いです。

・読んだ形跡のない十二名全員が、好意的なレビューを付けている。うわべだけでな
く、読んでいないと絶対に書けない感想。さらにその内の半数が細かいだめ出しもして
いる。自作自演のカムフラージュ?

・作者の槍中詩緒《やりなかうたお》は十一月二十四日に登録。十二月一日スタートの
コンテストに合わせて登録したようにも思えます。登録作品は『魔法を喪失した魔法使
い』の他は短編一つのみ。

・読者からのコメントにはまったく反応なし。最初期にあった誤字の指摘にも無反応
で、訂正もしていない。ユーザーとしての活動も、二作品を上げただけで他になく、作
品を読みに行くこともしていない。

・SNSを利した投票呼びかけの形跡はなし。そもそもSNSを使っていない模様。

・よその小説投稿サイトから読者を引き連れてきた可能性も考え、調べてみましたが同
名作品、同名作者はなし。題名を変えた同一作品も見付かりませんでした。


「基本的な調査は済んでいるよな」
 私はほとんど無意識レベルで、ため息交じりに独りごちた。
 全体的な印象では黒に近いグレー。一発退場に処するのは無理だが、警告を出すレベ
ルと言えるかもしれない。それを躊躇させるのは、やはり作品に可能性を感じるから。
警告を出されてへそを曲げ、サイトを離れる人も時折いるから、慎重に扱いたい。
 そもそも、本当に規約に反した行為をやっているのか、部分的に引っ掛かりを覚える
箇所がある。
 特に、後半だけ読んだユーザーがそれなりにいる点は気になった。通常、こういう傾
向が現れるのは、よその小説投稿サイトで前半までを読んでおり、コンテスト開始に当
たって、どうせなら読者選考に有利になるだろうからとウチのサイトで残りを読んだ、
っていうパターン。だが、多野の調べではよそのサイトに掲載していた痕跡はなかった
という。サイトから削除してもある程度の情報はネット上にしばらく残るから、見落と
しはないと思いたい。
 私は作品に付けられたコメントを眺めながら、他にどんなケースがあり得るのか検討
してみた。
 SNSによる宣伝はしていない、呼び水となるレビューがあった風でもない。知り合
いに手当たり次第頼みまくったのなら、登録日がもっとばらけていいはず。それに三十
人の知り合いの誰一人として、『魔法を喪失した魔法使い』に関してSNSで発信しな
いのも何だか不思議な気がする。SNSの類を一切やらない人ばかりの集まりでもある
のか?
「――ん?」
 コメントを読む内に、ある傾向に気付いた。
 ですます体の丁寧な文章が多い。それ自体は特段、おかしくはない。知らない作者を
相手に初めてアプローチするのだ、常識ある人なら丁寧語で書くだろう。
 ただ、『魔法を喪失した魔法使い』に書かれたコメントは、文章全体から幼い印象を
受ける。加えて、コメントの終わり頃になると急に砕けた言葉遣いが混じる人が、ちら
ほらいるのだ。「ごちゃごちゃ書いたけど、めっちゃ面白かった!」とか「ヒロインは
理想の恋人(笑)?」とか。
 ……あー、分かったかもしれない。
 これは、学校のクラスの友達が入れてくれたんじゃないか? といっても小学生はさ
すがにないだろうし、大学では年齢が高すぎる。誰もSNSを使わないのは、使わせて
もらえないのかもしれない。中学か高校ならあり得る。三十という数は一クラスの大半
だ。
 IPアドレスの地域が同じなのは当たり前。接続業者が同じというのは、もしかする
と学校にあるパソコンから登録したのかも? 登録日がクリスマスイブ前後に集中して
いるのは、二学期の終業式のあとみんなでまとめてやったから。そのあと冬休みに入る
が、休み中も設備を使えるよう、開放していたと考えれば辻褄は合う。
 サイト上で読んだ形跡がない面々は、すでに作者からプリントアウトした物を読ませ
てもらっていたから。後半だけネットで読んだ人は、同じく前半を紙で読んでおり、残
りをサイトで読んだってことか。
 冬休みの間に全員が読み終えて……星を入れたのが一月十二日になったのは、三学期
が始まってすぐ、みんなで感想を言い合って星三つで行こうと決めたのかな?
 あれやこれやと想像が膨らむ。確証はまだ全然ないが、ある程度当たっている気がし
た。

 当たっているとしたら規約違反ではない。だからといってこのままスルーするのでは
なく、確認はしておきたい。そこで運営からのメールの形で、連絡を取ろうとしたがこ
れにすら反応がない。
 さすがにおかしい。仕方がないので、登録時に記入を義務づけられている電話番号を
社内開示し、槍中詩緒のスマホに直に電話した。
 出たのは、槍中詩緒のお母さんだった。

 話によると、先に登録していた友達二人に誘われて、槍中詩緒――本名は兼谷詩子《
かなやうたこ》という女子中学生――も登録し、コンテストに挑戦してみる気になって
いた。
 だが、登録した二日後、彼女は病にたおれる。元々、何とかという珍しい病気に掛か
っていて、休みがちな学校生活を送っていたらしい。確かな治療法のない難病で、全身
の倦怠感に始まり、突如人事不省に陥って半日から二日、意識がないまま過ごし、目覚
めると意識はしっかりあるのだが、倦怠感は続く。これを繰り返す内に症状は徐々に悪
化、意識をなくす期間も長くなっていき、最終的には死に至るケースがほとんどだとい
う。
 詩子さんの場合、進行が早く、学校を休んで入院をするようになったあと、程なくし
て長期の意識不明に陥ったそうだ。
 命に関わる病と知った友達二人が元気づけるために、クラスのみんなで詩子さんの応
募作『魔法を喪失した魔法使い』を応援しようと呼び掛けると、大半が応じてくれた。
ちなみに応じなかった同級生数名も、小説を読むのが苦手で、読まないのに評価するの
はだめだろうからと辞退した者ばかりだったらしい。
「どうして病気のこと、槍中さんのプロフィールに載せなかったんですか?」
 お見舞いに出向き、直に会った際、気になって聞いてみた。
「病名まで明かさなくても、大変な状況にあることくらいは書いてもよかったんでは…
…」
「そんなことをしたら詩子が怒ると思ったもので」
 お母さんは割と明るい表情で答えてくれた。
「たとえ褒められても、本心からの評価なのか病気に同情したものなのか分からなくな
るって。そういうところのある子なんです」
 なるほど。でも友達の組織票はOKなんですね――と、意地の悪い質問を続けて聞け
たのは、このとき詩子さんの症状がだいぶ落ち着いていたからに外ならない。
「クラスの皆さんは詩子の小説に真剣に向き合って、正直な感想をくれたものだと信じ
ています。深島《ふかじま》さん、あなた様もお涙頂戴を当てにして、今度の話を持っ
て来られたのではないのでしょう?」
「もちろんです」
 私は書籍化の打診をしていた。コンテストからは取り下げてもらうつもりでいる。規
約違反を犯しているからだ。
“作品の公開は、登録した本人のみが行うものとする”とある。
 翻って、槍中詩緒はサイト登録しただけで、作品はまだ公開していない時点で、病に
倒れていた。彼女の作品をサイトで公開し、コンテストに応募したのは彼女の友達によ
る。
 意思確認は取れていたのだし、この規約を四角四面に捉えると身体の不自由な人はウ
チのサイトを使えない可能性が高まる。だから不問にしても全然かまわないんだが、こ
こは敢えて降りてもらい、別枠で出したい。
 コンテストとは別枠にするからには、強力な売り文句が欲しい。“難病と寄り添って
生きる女子中学生がしたためたライトミステリ”なんて惹句がちらつくが、我慢我慢。
 そうしないと、詩子さんが快復したときにどやされてしまうから。

 おわり




#554/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/08/16  13:41  ( 64)
時駆け二人称   永山
★内容
「会って間もないけれども、信用できそうだから話すとします」
 私はあなたに向けて穏やかに言った。
「いいんですか」
「ええ。あなたを気に入りました。話を聞いてもらいたい気分なんです」
「あのー、念のため窺いますが、しらふですよね?」
「もちろん。こんな昼日中から飲みはしませんし、昨日の酔いが残っている訳でもな
い。完全に正常な精神状態で、私は私の秘密を話す。保証しますよ」
「はあ、分かりました。聞きましょう」
「まず……あなたは私を初めて見掛けたとき、非常に疲れているようだなと感じた。そ
うでしたね?」
「ええ。確かにそういった意味のことを話しました。あなたにお声掛けして、一緒に飲
んだ席でのことですが」
「よく覚えておいでだ。実は私は組織から追われているのです。端的に言って、命を狙
われている」
「そそれはまた剣呑な……。一体全体、何があったんです?」
「私はね、未来から来たんです」
 私のその言葉を、あなたはどう受け止めただろう? 表情から真意は読めない。
「だいたい三十年後ぐらいの世界から、タイムマシンに乗って来ました。ただし、ポン
コツのね。場所はほぼ正確に指定できるんだが、年月日と時間がいまいち、いや今二つ
も三つも信用性がない。今回、本当は一九七〇年代に設定したんですが、大きくずれて
しまいました。でもまあ、あなたと知り合えたのだからよしとしましょう」
「それよりも、非常に疲れている理由がまだですが」
「もちろん話します。私は逃亡者だが犯罪者ではない。濡れ衣を着せられて刑を食らう
直前に逃げ出したのです、おんぼろタイムマシンで。でも当然、追っ手の捜査官がいま
す。捜査官は最新式のタイムマシンで私のマシンが残す痕跡を辿ってくるんですよね。
だからどの時代に逃れても追い付かれる。ただ、やつらも私を見るなり捕縛したり処刑
したりはできない。曲がりなりにも私はその時代時代にお邪魔することで、過去に影響
を与えているため、連中はその痕跡を消す必要がある。そのためにはターゲットである
私に、最低でも六時間は接触し、観察せねばならない。裏を返せばその間を使って、私
は追っ手を見破る機会が与えられる訳だ。あ、捜査員と言っても格好はその時代にいて
おかしくないなりをしていますからね、見破るのは大変だ。こっちも必死です。接触し
てきた相手をよく観察し、口を滑らせないか神経を行き届かせるんです」
 私は今思い出したという風に、伸ばした右の人差し指を振った。
「そう、『神経』で思い出しましたよ。一七五〇年代の日本は江戸に着いたとき、知り
合った人がいました。その人はなかなかうまく大工に化けていましたが、大工仲間が腕
を怪我して医者を呼んだときに、ミスをした。『こいつの腕の神経、切れてねえですよ
ね』と口走ったんです。もちろん、誰も反応しませんでした。何を言ってるのか、医者
でも理解できなかったはず。というのもね、あなたがご存知かどうか知らないが、神経
という言葉は昔っからあるものではなく、一七七四年に翻訳・刊行された『解体新書』
という医学書に初めて載った、いわば新語なのです」
「はっはあ、なるほど」
「私は追っ手と思しきその男のそばをそっと離れましたよ。武器は持っているが無駄遣
いしたくないし、周りには人が結構いたんでね。
 でももう一つの場合では、ちゃんと始末しました。一九一五年だったかな、ヨーロッ
パに着きました。ご存知の通り、戦争の只中で、えらいところに来てしまったなと正直
焦りましたねえ。そんなときに彼女は親切にしてくれたので、命を奪いたくはなかった
んですが、うっかり屋さんだったようです。食事を摂っているときにこんなことを言う
んです、『いつ終わるのかしら、この第一次大戦』と。どう考えても未来人の言葉です
よね。第二次世界大戦が後に起きるかどうかその時代の人には分かるはずがないのに、
わざわざ第一次と付けるなんて。そっと彼女を殺しました。こう語っていると簡単に人
を殺めているようで、私はやはり重罪人じゃないかと錯覚しそうだ。だが、大人しく捕
まる気も、処理されるつもりもありません」
 私はあなたの目を覗き込んだ。
「さて、翻ってあなただ。あなたは追っ手ではありませんか?」
 あなたの顔の上で微笑が固まった。
「今までの同僚の失敗を知っているから言葉数を少なくしたのでは? だけどかえって
不自然だと気付きませんか。いい年した大人がいきなり、タイムマシンで未来から来た
と語り始めたんですよ。この時代の人ならあなたのような反応はしない。私を危険人物
と見なしてこの場を離れ、即刻警察に通報でしょう」
 私は武器を取り出し、テーブルの下であなたに向けた。
「あなたと会ってまだ六時間経っていない。だから私が確実に勝つ。命が惜しければこ
こは一旦退いてくれません? その間に私は別の時代に逃げるので」

 了




#555/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/09/06  19:58  (198)
ダイイングメッセージはササくレ   永山
★内容
 夕日が射し込む教室の窓際の席に、女子高校生探偵マリと女子高校生ワトソン役ミキ
が前後して座っていた。
「――ふうん、ミキちゃんて、冬場でも冷たい水でお手伝いしているのね。ところでパ
ンダの妖怪って知っているかしら?」
「何その藪から棒の話題転換。パンダの妖怪なんて聞いたことないなあ。どんなの?」
「今、ミキちゃんの指先の辺りにできているものだよ、ワトソン君」
「ミキちゃんかワトソン君かどっちかにしてくれ。で、私の指? 何のこっちゃ」
「パンダ妖怪・笹くれ〜、なんていうのはどう?」
「つ、つまらん」
「奥さんは走って逃げた。妻RUN」
「しょーもないって言ってるとこへ、重ねてくるかい?」
「ショー・モアイは、イースター島で開催するショー……ちょっと苦しいかしら」
「だいぶ苦しい」
「ダイブと言えば――」
 てな具合に、放課後の教室に二人残って、取るに足らない話を長々と続けているとこ
ろへ、唐突に依頼人が飛び込んで来た。
「あ、まだいた。よかった」
「田端《たばた》さん、どうかしたの? だいぶ前に帰ったはずでは」
 お下げ髪の同級生にミキが話し掛けるも、すぐには返事がない。乱れた呼吸が整うの
を待つ。
「依頼、したいことができて。飛んで、引き返して来た、の」
「そんなに慌てて戻って来るからには、よほどの大事件みたいね。殺人とか」
 マリとミキは依頼受け付け専用の携帯端末を持っている。だから、犯罪と呼べないよ
うな案件は、そちらで受け付け、さらにふるいに掛けている。要は選り好みをするの
だ。
「まさか殺人だなんて」
 ミキがマリの言葉を打ち消そうとするのへ、田端は首を左右に大きく振った。
「そのまさか。私の叔父さんが殺人の容疑を掛けられて、警察に話を聞かれてるって、
今日家に帰ったらお母さんから教えてもらって。お母さんはお父さんから電話で聞いた
って。ほら、私のお父さん、記者してるから。叔父さん凄く優しくていい人だから、信
じられなくて」
「ちょっとストップ。私の直感が当たってしまったのがよくなかったようね。順序立て
て話しましょうか」
「え、ええ」
 そうして田端が語った事件の概要は次の通り。
 叔父は二十六歳、名は佐々木呉之介《ささきくれのすけ》と言う。名付け親がある男
優の大ファンであり、まったく同じは畏れ多いからと、こんな微妙な名前にされたらし
い。大学を出たあとは会社勤めだが、現在軽めの鬱症状が出て、休職中だった。
 亡くなったのは、土井垣珠恵《どいがきたまえ》という大学院生で、呉之介の元恋
人。市の屋内運動施設の廊下で倒れているのを他の利用者が見付け、救急車で運ばれた
が死亡が確認されたという。
 捜査の詳細までは、さすがに田端家に伝わっていなかったが、呉之介が重要参考人扱
いで連れて行かれたのは、現場である廊下にあった血文字、いわゆるダイイングメッ
セージが理由だった。
「実物がどんなのか、写真なんかはないけれども、こういう具合だって」
 田端が出したメモ書きを、マリとミキで見入る。そこには、

   ササ
   くレ

 という風な字が記してあった。レの字だけは他に比べるとかすれており、平仮名の
「ん」や漢字の「人」にも見えなくはない。
 マリは右手人差し指を立て、「先に確認しておきたい点が一つ」と質問を始めた。
「このメッセージは、間違いなく土井垣さんが遺したと言えるのかしら。犯人やその他
第三者が書いたり改竄したりした恐れがあるのなら、それを考慮に入れなくては」
「だね。普通、被害者が書いたかどうかなんて、誰にも言い切れないもんだし」
 ミキが期待しない口ぶりで言い添えた。けれども、田端からの返答は違った。
「土井垣という人が書いたもので決まりみたい。というのも、廊下には防犯カメラがあ
って、ちょうど書くところが映っていたと聞いたわ」
「え、待って待って。防犯カメラがあったのなら、犯行の模様や犯人自体も映っていた
んじゃあ……」
「ううん。廊下のすべてをカメラはカバーしていなくて、一部だけなの。レンズの向い
た範囲に、土井垣という人がふらふらと歩いて入って来て、ぱたりと倒れて、それから
血文字を書いて動かなくなった、という状況」
「ふうん、分かりました。では血文字の検討に移ります。ささくれと読めるけれども、
これが根拠なの? 田端さんの叔父さん、あだ名で“ささくれ”とでも呼ばれていたの
かしら」
「ううん、そんなことはなかったはず。私が知っている限りじゃ、全然」
「でもあまり嬉しいニックネームではなさそうだから、身内には隠していたのかも」
 ミキが穿った見方を示すと、田端は「そんな」と反応したものの、完全には否定しき
れない様子を見せた。
「動機はあるのかしら」
 マリが切り替えて聞く。
「元恋人の関係にあるからって、何でもかんでも殺意が芽生えるものではないでしょ
う?」
「うん、そうなんだけど」
 二人の別れは呉之介の大学卒業を機としたもので、特に後を引くものではなかったと
周囲は見ていた。けれども、ある理由から警察は佐々木呉之介に動機ありと踏んだ。
「土井垣って人、簡単な日記を手書きで付けていたらしいのよ。研究や勉強とは無関係
の、日々の雑記みたいな内容で、そこに何度も出て来るのが『ササくん』って書かれて
いる、多分男性がいて。痴話喧嘩っぽいことを愚痴っていたとかどうとか」
「そのササ氏が田端さんの叔父さんだという確たる根拠はあるのかしら」
「さあ、そこまでは。でも確たる根拠と呼べるレベルじゃないと思う。日記から、土井
垣って人はササ氏と割と頻繁に会っていると読めるのに対し、叔父さんは別れて以来、
ほとんど会ったことないはずよ」
「ならば、そもそも別人である可能性が高そうだけれど、警察はそう取ってはくれなか
った……」
「みたい。被害者の知り合いに、他に“ささ”と関連付けられるような人がいなかった
らしくて、やむを得ないと思われている」
「関係者、他に動機のあるそうな人物って分かります?」
 探偵に問われた田端は、ほとんど間を置くことなく強くかぶりを振った。
「無理。だからこそと言ったら変だけど、あなたに依頼しに来たのよ。知り合いに刑事
さんがいるんでしょ?」
「まあ、いるにはいますが、土井垣さんが殺された事件の捜査に関わっているかどうか
分かりませんし、仮に関わっていたらいたで、簡単には教えてもらえません」
「そんなあ」
「いえ、もちろん努力はします。この依頼、受けます」
 分かりづらい小さな笑みを浮かべたマリは、手のひらを胸の真ん中に当てて請け合っ
た。

「――で、いた?」
 翌々日、学校の裏庭の片隅にて、女子高校生探偵マリと女子子高校生ワトソン役ミキ
は二人でひそひそ話をしていた。
「ええ、幸いにもいました。小川《おがわ》刑事が関わっていて、素直に教えてくださ
いましたよ」
 にっこりと笑って、小首を傾けるマリ。ミキは知っている、この笑みが悪魔の微笑
と、一部で言われていることを。何せマリは、複数の刑事の弱味を掴んでおり、それを
ネタにして、捜査の情報を少々漏らしてもらっているのだ。解決できた場合、手柄はそ
の刑事に譲るし、見返りは求めていない。あくまでもマリの探偵活動欲求を満たすため
に行っている。
「土井垣さんが残した日記の一部と、関係者のリストをコピーしてもらったわ。その中
で土井垣さん殺害の動機がありそうな人の情報についてもね。とりあえず全員を対象
に、ササ氏及び“ささくれ”に当てはまりそうな人をピックアップしてみたの」
「あら? ダイイングメッセージは“ササくレ”じゃなく、“ササくん”と読むんだと
考えたんじゃあないの? マリってば、日記にあったササ氏探しに焦点を絞ったみたい
な口ぶりだったから、てっきり……」
「もちろんそうよ。けれども、可能性がある内には、“ささくれ”と読む場合も除外し
ない。もっと言えば、田端さんの伯父さんがそのまま犯人だったとしても、不思議じゃ
ない。呉之介さんて休職していて独り暮らしだから、アリバイがないのよね」
「なんともはや……。ま、いいけど。該当者はどれくらいになりましたかね、名探偵さ
ん?」
「関係者について与えられた情報は、名前の他には職業、性別、年齢、大まかな所在
地。これらの項目を見て、被害者からササと呼ばれるか、“ささくれ”と認識される要
素があれば、該当者として見なすことにして、半日ほど費やした結果、呉之介さんを除
くと三人に。いずれも結局は名前に絡んでの理由付けでね」
「三人とは凄い。って元が何人いたのか知らないけど。んで、何て人がリストに残った
の」
「十川《とがわ》、酒向《さこう》、草薙《くさなぎ》の三名よ」
 生徒手帳の一頁に、名前をすらすらと書き付けるマリ。ミキは「えーと、詳しい解説
を求む」と戸惑いの色を見せた。
「十川は被害者が意識朦朧として、十の字を四回も書いてしまったと想定してみたの」
「……ああ、十十十十でササ!」
「川という字も、虫の息で書けば曲がったりつながったりし、“くレ”という形になっ
てしまうかも」
「うーん、なかなかユニークだけれど、可能性は低そう」
「私自身、そう感じていたので、何か打ち消す材料はないかしらと、日記をこまめに読
んでみたわ。するとソガワという人物がよく出て来ることに気付いた。どうやら土井垣
さんは、十川をソガワと記すようにしていたみたいなのよね」
「何でよ。片仮名にするのはいいけど、普通にトガワでいいじゃないの」
「同じ疑問を持ったから、理由を想像しながらまた読んでみたわ。すると、トガクとい
う表記が前の方にいくつかあった。彼女の知り合いに富岳《とがく》先生がいたわ」
「えっと、つまり、トガワと書くとトガクと見誤るかもしれないから、わざとソガワっ
て書いていたってこと?」
「だと思う。確証はないけれども、この土井垣という人は、よくそういう置き換えをし
ているのよ。とにかく、この十川という人物は犯人じゃなさそうだと判断した。日記に
あるササ氏とは明らかに別人だし、ダイイングメッセージに当てはめるのにも無理が大
きい。加えて、これはまだやってもらっていないのだけれども、防犯カメラの映像を仔
細に調べれば、きっと書き順の違いが分かると思うの。十十十十とササではね。警察が
ササで通そうとしているからには、ササの書き順なんでしょう」
「なるほどね。次の酒向は何で?」
「指にできるささくれを、別名何というか知っている?」
「はい? ええっと、さかむけ、だっけ?」
「その通り。もしも土井垣さんが酒向という知り合いを、“さかむけ”と認識していた
としたら、ダイイングメッセージには“ささくれ”と残す可能性がわずかながらある、
でしょ?」
「そ、そうかな。少なくとも知り合いの人名を、どう発音するか知らずにいるなんて、
なかなかなさそうな状況だと思うよ」
「面白いことに、土井垣さんはこの酒向とはメールでのやり取りしかして折らず、実際
に会ったことはもちろん、電話で話したことすらないそうよ」
「へー。でも、だからってねえ」
「そこで調べてもらおうとしたの。酒向という人のネット関連のIDが、名前の読みを
示唆しているかどうか。たとえば@sako みたいな。返事は早かったわ。その人物は海外
在住でアリバイ成立しているから無視してよい、って」
「な、何それ。完璧なアリバイのある人は外したリストをくれればいいのに」
「ほんと。まあ、三人目が最も怪しいと睨んでいたから、問題はなかったわ」
「そうだわ、草薙はどうして該当者になったのよ」
「難しい漢字かつ、二文字ともくさかんむりだから」
「え」
「土井垣さんから見て大学の後輩で、顔見知りになったのは、日記にササ氏が登場する
少し前で辻褄が合う。草薙をいちいち漢字で書くのを面倒に思ったとしたら、どうする
か。くさなぎ・クサナギと仮名にするのもありでしょうけど、それ以上に簡単なのはく
さかんむり二つを並べてササと書いちゃうことじゃない? 他にササと間違えるような
知り合いがいないのであれば、充分に合理的でしょう」
「ふむ。マリがそういうからには、他にササと間違えてしまいそうな人はいなかったん
だろうね。あ、でも、田端さんの叔父さんは? 佐々木呉之介なんだから」
「日記では一貫してゴノと綴っていたみたいよ」
「ゴノ? そっか、呉《くれ》を読み替えたわけだ」
「多分ね。警察ったら、このことを把握しておきながら、ササを佐々木呉之介さんと結
び付けようとしていたのね。大方、一旦別れたのだから呼び方を変えたんだろうとでも
解釈していたんでしょ。
 それで、ミキちゃん。いつものようにあなたの意見を聞きたいのだけれど」
「うん、いいんじゃないの。該当者の絞り込みが適切に行われたというのが条件だけれ
ども、マリならその辺りの遺漏はないだろうから」
「よかった。残る心配は、リストそのものに漏れがあった場合ね。施設の職員の名前が
一人もリストにないのが気懸かりで、念のために調べたんだけど」
「そこまでやる?」
「だって、気になるでしょう。実際、佐々勝夫《さっさかつお》という中年の男性職員
がいて、焦ったのよ。幸いと言ってはなんだけれども、事件発生当時は、足首を骨折し
て車椅子生活だったから、犯行は無理と結論づけられたわ」
「はあ。とにもかくにも、マリの徹底ぶりがよく分かるわ」

 その後、マリは小川刑事から事件解決に多大なる貢献をしたお礼だとして、二つの品
物を受け取った。
「危うく誤認逮捕するところだったのを忘れず、教訓とするため、レシートは僕が大切
に保管しておく」
 小川刑事がそう言って置いて行ったのは、笹かまとクレヨンだった。

 おしまい




#556/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/10/01  19:20  (226)
今なら言える恋   永山
★内容
「誰これ?」
 借りようとしていた本の間にその写真を見付けて、私がまず感じたのは、「なんて愛
らしくてきれいな人!」だった。屋外で白い丸テーブルを前に腰掛けていて、後ろから
声を掛けられんだろう。上半身ごと振り向いたところを、見事に捉えている。ちょっぴ
り驚きを残しつつ、楽しそうな笑顔。何でも言うことを聞いてくれそうな優しげな眼差
しも印象的だ。
「ああ、それ、どこにあったの」
 私のおばあちゃんが言った。昔の本をいっぱい所蔵していて、中には絶版本や、電子
書籍化されていない物もたくさんあるから、本好きの私は折を見てこうして借りに来
る。今日は友達も誘ったんだけど、都合で少し遅れてくることになっている。だから、
プライベートそうな話を聞くなら、今の内。
「本棚に。というか本と本の間にあったよ。えーっと、二冊とも誘拐物のミステリみた
い」
 私の答を聞いて、おばあちゃんは「そう。じゃあ、あのときかしら」とある程度得心
がいった様子。今度は私の質問に答えてもらう番よね。
「それで、写っているのは誰? 古い写真みたいだけど」
「目の前にいますよ」
「うん? え、まさか」
「まさかじゃないの。そこに写っているのは私」
 自身を指さしてそう答えたおばあちゃんの顔は、確かに写真の人と重なって見えた。
それでも、えー!と叫ばずにはいられなかった。
「おばあちゃん、こんなに美人だったの?」
「美人かどうかはともかく、こういうなりをしていましたよ、昔は」
 私から写真を受け取ったおばあちゃんは、目を細めながら写っている人を指先でとん
とんと叩いた。
「昔って、何年前」
「さあ、五十年か六十年ぐらい前になるのかしら」
 幅がありすぎ。十年の差は大きいよ、この写真の若い頃なら特に。
「二十代後半てことはないと思うよ、おばあちゃん。化粧っ気が全然ない訳じゃないけ
どあんまり感じられないし、せいぜい二十歳ぐらいに見えるわ」
「だったらそれくらいなんでしょうね。……あ、思い出してきたわ」
 今度は目を見開き気味にしたおばあちゃん。朧気な記憶ではなく、しっかり思い出し
た風に見えた。
「このテーブルや背景の感じは、|真名塚《まなづか》さんの別荘ね」
 別荘? 別荘を持っている知り合いがおばあちゃんにいたなんて、聞いたことがな
い。真名塚さんて誰?
「知らない? そうかぁ、時代の移り変わりを嫌でも痛感させられるわね」
 ため息交じりにおばあちゃん。やや寂しそうに頬を緩めたけれども、じきに気を取り
直したようだった。
「真名塚|朝美《あさみ》さんといえば、昔は知らない人がいなかったくらい有名な方
よ」
「勿体ぶらずに教えてよ」
「はいはい。女優さんよ」
「女優」
 思い掛けない単語がおばあちゃんの口から出て来て、またびっくり。女優さん、しか
も有名な女優の知り合いがいたなんて、初耳もいいところ。
「な、何でおばあちゃんが、そんな大女優さんの別荘に招かれているわけ?」
「それは――あなたがいみじくも言ったように、私の見た目を認めてくれた人がいて
ね。その頃、私は芸能人をしていたのよ」
「――」
 もう声にならない、高い悲鳴のような反応をしてしまった。驚きの三連発に、次の質
問がすぐには出て来ない。
「|津優千秋《つゆちあき》という芸名でね。ほんの一瞬、売れっ子だった記憶がある
わ」
 いつの間にか紙とペンを用意していたおばあちゃんは、芸名がどんな字なのか実際に
書いて教えてくれた。本名にかすりもしていないけど、由来は何なんだろう? でも雰
囲気があって、いい名前だわって感じた。
「売れっ子ってどのくらいのレベルだったの? テレビ出た?」
「ええ。ドラマやコマーシャルでいくつか出ていたわ。映画にも出させてもらった」
「凄い」
「もちろん、脇役での話よ。主演が真名塚さん。私に目を掛けてくれていたみたいで、
何度か指名されて、脇役に」
「そんな力があるっていうことは、だいぶ年上の人なんだ?」
「そうね。とてもお若く見えたけれども、当時、私の親くらいの年齢だったはず」
「じゃあ、いまはご存命では……」
「お亡くなりになっているわ。この写真のときから十二年後でした。まだまだお若いの
に、癌でね」
 おばあちゃんは数える素振りなしに答えた。少し空気が湿っぽくなった。そう感じた
私は、殊更に明るい口調で、雰囲気を変えるべく次の質問をした。
「そもそもおばあちゃんが芸能界に入ったのは、何がきっかけなの? オーディション
を受けたか、スカウトされたか、それともいきなり真名塚さんから声を掛けられたとか
……」
「最後のはさすがにないわね。答はオーディション。当時はオーディション番組が流行
っていて、私の知らない内にクラスの友達が出していて。興味がない訳じゃなかった
し、本選のゲストに大好きなタレントさんが予定されていたので、やってみる気になっ
た。それで運よく勝ち残って、レコード会社に拾われたわ。その会社が、真名塚さんが
歌手活動をされるときレコードを出していたところで、その縁でご挨拶する機会があっ
て。オーディションのときの私の即興演劇を見ていてくれていたそうで、俳優の方が向
いているんじゃないかって引っ張られたの」
「へぇえ。何だか凄い、シンデレラストーリーみたい」
「芸能活動をしているときは自分の知らないところで勝手に進んでいく物事と、自分が
やらなきゃどうしようもないところが両極端で、思い返せば、楽なのと大変なのを一度
に味わった気がする。でもやっぱり、大変なことの方が多かったかしら。だから、こん
な風に休みのときに別荘に招かれていくのは、とてもいい息抜きになったし、とても楽
しかった。この頃の感覚だと、十七、八歳もまだまだ子供で、初めの内は親が着いて来
たのよ。しばらくしてマネージャーさんだけになったけれども、あれは恥ずかしかった
わ」
「ふうん。それで、この写真だけ分けてあったのは何で?」
「それはね、好きな男性が撮ってくれた写真だから、仕事場に向かうときは肌身離さず
持ち歩いていたのよ。お守り代わりね」
 懐かしげに話すおばあちゃん。その口ぶりがすーっと流れるようだったので、私もス
ルーし掛けたけれども、ふと気になった。
「男の人? てっきり、その真名塚さんが撮ったものだとばかり」
「違うわ。真名塚さんはカメラに触ったことすらなかったかも。撮ってくれたのは、真
名塚さんのお子さん。この方もタレントで|仲前昭一《なかまえあきかず》さんといっ
て、次男に当たる人よ」
 おばあちゃんの恋バナが聞けるかも。っていうか聞きたい。私は好奇心丸出しで、
「それで?」と続きを急かした。
「それでといわれてもね」
「いやいや、好きな人と別荘にいるんでしょ。何かあるでしょ。せめて一緒に散歩する
とか。あ、その前に、年の差はどのくらい? あと、その人も売れっ子?」
「年齢は私の一つ上。歌手活動が主で、真名塚さんのお子さんだということを隠しては
いなかったけれども、大っぴらには言っていなかった。それでも人気はあったわよ。あ
なた世代でも知っている曲が、一つぐらいあるんじゃないかしら」
 そう前置きしてから、おばあちゃんはいくつかの曲のサビを口ずさんでくれた。さす
がに知らない曲が多かったけれども、確実に聞き覚えのある曲が一つあった。
「じゃあ、ライバルが多そうだね」
「それがね、そうでもなかったみたいなの」
 微妙な言い回しに聞こえた。
「私が彼に惹かれたのは、別荘で過ごす際にとても親切にしてもらい、気遣ってくれた
のがきっかけだけれども、その時点ですでに相手の方も私に対して、好意を抱いてくれ
ていたみたい」
「へえ。ていうことは、親の目を盗んで?」
「私の方は違いますよ。彼と親しい仲になった頃にはもう、親は着いて来ていなかった
のだから。それにね、親しくすると言っても今の基準だと全然大したことじゃないんじ
ゃないかしら。さっき言ったように散歩とか、一緒の席でお茶を飲むとか、夜、星空を
見上げるといった程度。芸能人同士という意識からセーブしていたのかもしれないけれ
ども、そんなの関係なく、それだけで充分楽しかった」
「そっか、芸能人同士……じゃあ、芸能週刊誌の記者に追い回された?」
「そうなる前に、真名塚さんがね」
「ああ」
 別荘の主でもあるもう片方の親の目を盗むのは、難しかったに違いない。
「たいした触れ合いでなくても気にされて、それとなく別れるように言われたわ。だけ
どその頃の私達は若いせいもあって、簡単には折れなくってね。彼から見て母親に、私
から見て大恩人に対して、結構反発したものよ」
 目の当たりにしているおばあちゃんからは、とても想像できない。
「冷戦状態がずっと続いたわ。同じ時期に、私は真名塚さん主演の映画にまた出演させ
てもらっていて、撮影現場で顔を合わせる機会がいっぱいあったのだけれど、仕事場で
は息子さんとのことを一切出さず、それどころか私に対しても過去の仕事と同じように
接してくれた。もっと言うなら、真名塚さんほどの地位であれば、撮影途中であろうと
私ごとき小娘を降板させるくらい難なくできたはずなのに、そうもしなかった。そんな
ことがあって私、ますます真名塚さんに敬意を抱くようになって、仕事に真摯に打ち込
めたと思うの。だからといって、息子さんとの話がいい方向に転がった訳じゃなく―
―」
 おばあちゃんは少しためを作った。思い出すのが辛いのかもしれない。
「――結局、昭一さんの方がしびれを切らし、お家を出たの」
「えっ。同棲生活に突入?」
 私が先走るのへ、おばあちゃんは首を横に振る。
「ううん。私には家を出る正当な理由も、無理をする勇気もなかったから。ただ、彼が
意地を張ったことで、真名塚さんも少し折れてくださって、それでも二年は経っていた
かしら。昭一さんが成人した頃合いに、基本的には仲を認めてくださったの」
 あれ? おかしいな。このままおばあちゃんと仲前さんとが結ばれたら、現実とは違
うことになるんじゃあ……。
「認めたと言っても、条件があったわ。『芸能人として今は大切な時期だから、十年間
は大人しくしていなさい。交際はかまいませんが絶対に表に出ないようにすること。も
し仮に露見したらその時点で、この話はなかったことにしましょう。十年後、二人が現
在の気持ちと変わらず付き合っていることを、私の前で見せてくれれば、そのとき初め
て、正式に認めることにしたい。これでどう?』という具合だったわね。昭一さんも私
も迷ったけれども、他の家族のことも考えて受け入れたの」
 でも何らかの理由で、昭一さんとは結ばれなかったのよね。何だろう? 聞いた限り
では昭一さん、若さ故の向こう見ずな面はあるとしても、誠実な人柄で、周りの状況も
見えている人って印象だけど。昭一さんかおばあちゃんのどちらかに、他に好きな人が
できたとは考えにくいし、考えたくもない。うーん、だけど、現実にはおばあちゃんは
……。
 思わず頭を両手で押さえて唸った。そのとき、あることを思い出した。
「待って、おばあちゃん。真名塚さんが亡くなったのって、この写真の頃の十二年後っ
て言った?」
「ええ。気が付いたみたいね」
 おばあちゃんは一層寂しげに微笑んだ。
「真名塚さんと約束をしたのは、写真の二年後。それから十年が経つ直前に、真名塚さ
んは逝ってしまわれた」
 そうか。つまり、昭一さんとおばあちゃんは、真名塚さんとの約束を果たそうにも果
たせなくなった。誰の責任でもない、どうしようもないことだけど、それでも約束を尊
重したんだわ。守れなかったから、十年後の自分達の仲を真名塚さんに見せられなかっ
たから、結婚をあきらめた……。現代の感覚では、いやきっと当時の感覚でも理不尽
さ、割り切れなさはあったと思う。なのに約束を重視したのは、大女優であり母であり
恩人である真名塚さんへの敬意故なんだろう。
「昭一さんて、いい人だったんでしょう? 惜しいと考えなかったの、おばあちゃん」
「そりゃあね。思いましたよ。だけど口に出して言えるもんですか」
「昭一さんの写真はないのかな。芸能人なら、ネット検索で見付かるかもだけど、現物
の写真があるのなら、手に取って見てみたいわ」
 私の希望に、おばあちゃんは何故か目をぱちくりさせ、きょとんとした。明らかに戸
惑っている。そして数秒後、何かを把握したみたいに得心顔になって、笑った。微笑み
レベルではない、大笑いだ。
「お、おばあちゃん? 私、変なこと言ったかな?」
「いいえ。変じゃないわ、仕方がないことよね。まだ全部話していないんだし、勘違い
させるような言い方になっていたかもしれない」
 おばあちゃんは笑いが収まるのを待ってそう言うと、壁の一方向を指差した。私から
見て右斜め上の辺りだ。
「仲前昭一さんの顔写真なら、あなた、幾度となく見ているんですよ。あの人がそうな
のだから」
 おばあちゃんが指差していたのは、数年前に亡くなった祖父の写真だった。太めの眉
毛が印象に強い、きりっとした男前。若い頃はさぞかしもてたに違いないと想像させる
だけのものがある。
「……え?」
「私が結婚したおじいさんは、仲前昭一さんその人よ」
「嘘でしょ? 芸能人じゃなかったよ、おじいちゃん」
「もちろんあなたが物心着いた頃には、とうに引退していましたからね。私よりは長く
やっていましたけど」
「え、えっと、でも、真名塚さんとの約束は?」
「一周忌で親族の方々が集まった折に、弁護士の先生が真名塚さんから生前託されてい
たお手紙を開封したの。手紙には色々書かれていて、その中に昭一さんと私との仲を認
めるとはっきり明言なさっていたのよ」
「な、なーんだ、びっくりしちゃった」
 亡くなってからの手紙に導かれて、自ら課していたしこりが溶けたってことね。それ
にしてもそれならそうと、もっと早く言って欲しかった。芸能人の知り合いがいただろ
うから、その伝で、今の芸能人にもつながるかもしれないじゃないの。
「でもおばあちゃん。おじいちゃんが撮ってくれたのなら、ますます大切な思い出の写
真よね。何でこんな、言っちゃあ何だけど、埃を被り掛けの本の間に……」
「それも思い出しました」
 手を合わせて、にこにこするおばあちゃん。
「結婚後も肌身離さず保っていて、時折、この写真を見て昔を懐かしんでいたの。若い
自分のことだけでなく、おじいさんや真名塚さんのこともね。それであるとき、写真を
眺めているところをおじいさんに見られちゃって」
 照れたように頬が赤らむ。おばあちゃんは写真を机にお気、その上に手をかざした。
ちょうど、撮影者たるおじいちゃんがいたであろう辺り、かな?
「以来、おじいさんはそのことでしょっちゅう、私を冷やかしたの。本当はおじいさん
自身の照れ隠しもあったんでしょうけれどね。おかげで私は以前よりもさらにこそこそ
と隠れて見なければいけなくなったわ。あの人も本好きで、推理小説好きだからどこに
隠そうか迷ったのだけれども、唯一、子供が誘拐されるお話は苦手で読まないと言って
いたのよ。それであなたが手に取った二冊の間に挟んでおくことに決めたの」
 おばあちゃんは写真にかざした両手で、見えない何かを包んだようだった。
「おじいさんが亡くなってからは写真を見ることもなくなり、忘れそうになっていたけ
れども、あなたが見付けてくれて、いっぺんに思い出したわ。実は、もう一度、写真だ
けでもおじいさんに見付けて欲しいなと願っていたことまでね」
 見付けて欲しいって、どういう意味? 私が首を傾げると、おばあちゃんは写真に視
線を落とし、「裏返してみて」と言った。そういえば、若いおばあちゃんのきれいさに
見とれて、表しか目をやっていない。
「あ」
 私は写真の裏から面を起こすと、おばあちゃんを見た。今までにないくらいほころぶ
顔があった。


    わたしを また 見つけてくれて ありがとう

 終わり




#557/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/11/13  14:47  (150)
タマが先かトルが先か   寺嶋公香
★内容                                         24/11/13 14:48 修正 第2版
※本作は某小説投稿サイトに別名義で公開中の物と同じ内容です。原則的に同じ一つの
作品を異なるサイトで同時期に公開するのはなるべく避けるようにしていますが、本作
は時事ネタということもあり、早めに出しておきたかった次第。登場人物が以前からの
持ちキャラなので大丈夫でしょう。(^^)



 涼原純子《すずはらじゅんこ》がいつものように登校して、いつもの教室に入ると、
いつもとはちょっと違う光景が繰り広げられていた。
(相羽《あいば》君と唐沢《からさわ》君が言い合いをしてる……珍しいかも)
 二人の方をちらちらと見やりつつ、自分の机に学生鞄を置いた。
 相羽と唐沢は中学に入ってからの知り合いで、仲のよい友達関係と言っていい。おち
ゃらけ成分多めな唐沢に対し、相羽は比較的真面目でクールなタイプ。だから、普段よ
く見掛けるのは――。
(唐沢君がくだらないことを言い出して、相羽君が聞き流すか訂正を入れるというパ
ターンが多いのに、今日はどうしたのかしら)
 言い合いといっても、唾を飛ばして強く主張し合うという激しいものではない。た
だ、ノートとペンまで持ち出して、何やら書きながら熱心に話し込んでいる。主張が対
立しているのは、彼らの仕種からだいたい想像がつくのだが、朝の教室、いや学校全体
がざわざわとしているせいもあって、内容の方がさっぱり耳に届かない。
「純、おはよ」
 斜め後ろからした町田芙美《まちだふみ》の声に振り向き、「あ、おはよ」と返す。
 座ったまま見上げると、町田も相羽と唐沢の方へ視線を向けていた。
「あの二人の話、まだ続いているのね。意外と長引いている」
「芙美は知ってるの、何の話をしているのか」
「まあね。私がさっき聞いたときは、『鶏が先か卵が先か』について話していたわ」
「……そんなこと? 有名な言い回しだけど、今さら言い合いをするようなことでは…
…」
 鶏が先か卵が先か。
 日常的な場面で使うとしたら、意味合いは「堂々巡り」とでもなるだろうか。
 生物学的には結論が出ている(と、生物の授業で先生がこの前言っていた)。いわく
――徐々に進化していって鶏という種が誕生する。その鶏が出て来た卵は、産んだのが
鶏とは呼べない種の鳥ではあるが、鶏が生まれたからには鶏の卵と言える――みたいな
話をしていた。
「違う違う。誤解させる言い方をしちゃったけど、あの二人が言い合いしていたのは、
『鶏が先か卵が先か』か『卵が先か鶏が先か』、どっちが正式な言い回しなのかってこ
と」
「ん?」
 音声で聞いても、一発では理解できなかった。町田にもう一度言い直してもらって、
飲み込めた。
「つまり……多分どこか外国語の表現が最初なんだろうけど、その言い回しが『鶏が先
か卵が先か』なのか、それとも『卵が先か鶏が先か』なのかっていう話なのね」
「そうそう。改めて問われると、自信を持って言い切れないよね」
「確かにそうかもしれないけど」
 そんなことで延々と議論するくらいなら、図書室かどこかで調べた方がいいんじゃあ
……と思った。と、そんな純子の気持ちを表情から読み取ったか、町田が言い足す。
「でね、その鶏か卵かっていうのは話が脱線した産物であって、元々は違う話をして
た。というか、今はまたその話に戻ったみたいだよ」
「え、そうなの」
 町田には聞こえてるんだと察し、純子は耳をすませた。それでもしかとは聴き取れな
いため、立ち上がって町田と同じ高さに耳を持っていく。
「……野球の話、してる? 大谷選手とか50−50って聞こえた」
「ええ。落札額でまた話題になってるからねえ」
「お金の話なのね。あれ? でもそれが鶏が先か卵が先かに、どう結び付くんだろ?」
「そこまで気になるんなら、直に聞いたら?」
 それもそっか。話し込んでいる様子を目の当たりにしていたから、何となく割って入
りにくかったけれども、話題が野球、それもオークションに掛けられた記念ボールにつ
いてなら、そこまで遠慮する必要はなさそう。
 純子はそのまま席を離れ、二人のいる方へと足を運んだ。
 すると話し掛けるまでもなく、相羽が気付く。
「おはよう」
「おはよう、相羽君。唐沢君も」
「お? あ、すっずはっらさん、おはよ」
 相羽の朝の挨拶に返そうとする純子の台詞と、遅れて純子に気付いた唐沢の声とが重
なった。わずかな間と同じくわずかな笑いを挟んで、本題に入る。
「今、いい?」
「もちろん、涼原さんのためなら、こいつとの話ぐらいいつでも中断するよん」
 向き直った唐沢が笑いながら応じる。一方、相羽も話の中断そのものはまったく気に
していないが、唐沢の言い方が引っ掛かったようだ。
「論じるにはなかなか面白いから、あとで続きを」
「オーケー、オーケー。次の休み時間にでもな」
 了解し合った二人に、「あの、私が聞きたいのはその話のことなの。ほとんど聞こえ
なくて。気になって」と流れを引き戻すようなことを告げる純子。ちょっと申し訳なく
なる。
「そうなんだ? じゃあ手短に」
 相羽と唐沢は間を空け、机に置いたノートを見せる。時系列を示すらしい横線に、
「49」だの「50」だのの数字と、「ト」「ホ」といった片仮名一文字が記されてい
る。
「まず、メジャーリーグ――米国のプロ野球で、日本の大谷翔平選手が大活躍して、記
録を作ったことは知ってる?」
 相羽が聞くのへ、純子はすぐに頷き返した。
「うん。50−50でしょ? 達成したことをニュースで見たし、最近も、五十本目の
ホームランになったボールが、オークションに出品されて高額で落札されたって」
「よかった。話が早い」
「ここからが長くなるぞ」
 唐沢が混ぜっ返すように言った。そのまま、相羽から話の主導権を受け取る。
「えっと、涼原さんは五十本塁打と五十盗塁、どちらが先に届いたか知ってる?」
「本塁打ってホームランのことね。確か盗塁の方が早かったわ」
「その通り。で、大谷選手が五十本目のホームランを打った。そのときのボールがすげ
え値段を付けられた訳だ。その話をしていたら、相羽の奴が変な仮定を出してきたから
ややこしくなった」
「変ではないと思う。純粋な疑問だよ」
「一体どんな仮定の話をしたの?」
 続きを早く聞こうと、純子が改めて質問する。何せ、朝の休み時間もそんなに長くは
残っていない。答えるのは再び相羽。
「もしも先にホームラン五十本を達成し、盗塁が五十個になるのを待つ状態だったとし
たら、どうなるんだろう?っていう疑問、想像だよ」
「実際とは逆に、ホームランが先……」
「記録達成の象徴になるのは、ボールではなく、五十個目の盗塁をしたときのシューズ
になるのか? それともやっぱりボール? ボールだとしたら、五十本目のホームラン
ボールなのか、それとも五十一本目のホームランか」
「えっ。途中までは分かったわ。けれども、最後の五十一本目のホームランて? わざ
わざ持ち出す意味が」
 首を傾げる純子。目の前では、唐沢が「な、ほら」とつぶやき、相羽を見やる。
「少し考えてみて。五十本目のホームランボールは、果たして50−50達成の記念と
言えるかどうか」
「50−50ということなら、そうね、五十本目のホームランを打ったとき、盗塁の方
はまだ五十に届いていなかったという話をしているのだから、達成してない。つまり、
五十本目のホームランボールは、50−50の記念にはならない?」
「と、僕は考えた。唐沢は違う意見みたいで」
 相羽につられて、純子も唐沢を見る。
「そりゃそうさ。五十一本目のホームランボールは、50−50を達成したその瞬間に
は関係してないんだぜ」
「そこは僕も理解している。だから五十一本目のホームランボールをメモリアルにしろ
とは言ってない。達成した瞬間に拘るのなら、シューズじゃないのかという、まあ提案
だよ」
「いや〜、ホームランボールに比べたら、靴ってのは様にならない。シューズはしばら
くの間使い続けるのが普通だしさ。ボールは、ホームランされたら御役御免だろ」
「結局、論点はそこに行き着く。ホームランボールを記念の品にすべきとの前提に立つ
なら、僕は五十本目よりも五十一本目の方が理にかなっていると言いたい」
「理屈は合っていても、きりが悪い。五十本でいいじゃん。記録の名称が50−50な
んだし」
 お互い、それそれの主張を述べて、純子の方を向いた。そして「どっちが正しいと思
う?」と声を揃える。
「……私に判定しろと?」
 苦笑交じりに返すと、それもそうかと思い直した顔つきになった男子二人。
「じゃ、純子ちゃんはどう思うか、参考までに聞きたい」
 相羽が言い方を変えて尋ねると、横で唐沢が渋い表情になった。
「おまえ、それはなしだぜ。涼原さんに聞いたら相羽が有利に決まってる」
「どうして」
「どうしてもだよっ」
 新たなことで言い合いになりそうな二人を、純子は急いで止めた。
「待ってまって。ちゃんと公明正大に考えてみるから。ね、唐沢君?」
「涼原さんが言うのなら」
 純子は予鈴の時刻が迫るのを意識しながら、ぎりぎりまで考えた。
「こういうのはどうかしら。仮定の話の場合、五十一本目のホームランが出ないことも
あり得るんでしょう?」
「え? ああ、うん、そうだね」
 相羽も現実に引きづられて想定していなかったらしく、一瞬戸惑いを浮かべたもの
の、認めた。純子は微笑を浮かべ、考えを伝える。
「だったらホームランが五十本で終わったなら、五十本目のホームランボールが記念の
品でいい、というよりもそうするしかない。五十一本目が出たときは、そのボールを記
念の品とする。だめ?」
「なんていうか……悪くはない」
 相羽と唐沢は顔を見合わせ、各々頷いた。そうして唐沢が「駄洒落、言っていい?」
と場に問う。対して純子が首を縦に振ったあと、相羽がすかさず言った。
「ひょっとして、『これがほんとのタマ虫色の回答』とか?」
「おい、先回りするなよな〜」

 ――「そばにいるだけで」番外編『タマが先かトルが先か』おわり




#558/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/12/21  17:36  ( 93)
そのはなしははなさないで   永山
★内容
 笑い話と言えるか分かんないけれども、あれは小学校、多分、六年生の頃だ。
 秋に町内運動会があってさ。毎年、家族揃って出ていたせいで、そろそろ飽き始めて
いた。子供が出られる種目なんて限られていたからね。小さな町だったから顔ぶれも毎
回、ほぼ変わらないし、種目が同じなら順位もだいたい固定されてくる。
 でもそのときは、当日になって急に一人増えたんだ、女の子が。引っ越してきたばか
りで身辺が慌ただしく、、落ち着くまでどれくらい時間が掛かるか分からなかったらし
くて、町の行事にも出られるかどうかぎりぎりまで決められなかったみたいなんだな。
ま、町の運動会なんて緩いから、当日飛び入りでも問題ないんだろうけどさ。
 それで、女の子は同学年ではなく、年下だったな。一つか二つ、ううん、覚えていな
い。不通なら覚えてるものなんだろうけれど、あのときは強く印象に凝ることが他にあ
ったからしょうがない。
 印象に残ったことが何かって? 簡単だ、彼女は外国人だったんだ。金髪碧眼白い肌
っていうやつ。西洋の白人を生で見たのは、そのときが初めてだったよ。で、当然と言
っていいのか分からないけれども、言葉がほぼ通じない。その頃は小学校で英語なんて
習わなかったし、僕自身も塾や家庭教師で英語を習うようなタマじゃなかった。相手の
女の子にしても、親の都合で越してきただけで、日本が殊更好きって訳ではなく、恐ら
くは言葉も嫌々ながら覚え始めた段階だったと思う。それでも自己紹介くらいはした。
親だったか違う大人だったか覚えてないけど、教えられたとおりに、マイネイムイズ高
明《たかあき》・御郷《みごう》って言ったんだ。でも発音がよくなかったみたいで、
すぐには伝わらなかった。名前のことだと分かっても、うまく発音できない風だった
な。
 女の子はエリス・コロンといった。何故かよく覚えている。エビコロッケを連想した
のかもしれない。とにかく僕らは組んで、障害物競走に出場することになった。一人で
もできる障害物競走を二人組でやるからには、意味がある。一部、二人で協力しないと
クリアできない障害が用意されてるんだよ。
 二人三脚とかおでこ同士で一つのボールを挟んで運ぶといったものを経て、ゴール手
前、最後にあるのが壁登り。木製の板が二枚……あれは高さ何メートルあったのかな
あ? 二メートルもなかったんだろうけど、小学生の自分には高い壁に見えた。一枚目
を乗り越えて、上に渡された橋を一メートルほど渡って、反対側の二枚目を飛び降りる
なり何なりして、着地。残りちょっと走ったらゴールインてな具合。
 で、僕とエリスは言葉が通じない割にそれまで順調に来てたんだけれども、最後の壁
には大苦戦。普通なら僕がエリスを押し上げるか肩車するかして先に行かせてから、僕
が壁にジャンプしてしがみつき、引っ張ってもらう、みたいな段取りが常道だと思うん
だけど、エリスは小さくて腕力なさそうだった。だからって、彼女を土台にして僕が先
に行くなんてのも無理。そもそも、作戦を正確に伝えるのすら難しい。しょうがないん
で、僕が何度か必死にジャンプして壁の上端に飛びつき、どうにか這い上がり、それか
ら今度は橋のウエイに腹ばいになって、エリスに手を伸ばすという方法を採った。そ
う、今説明したところまではうまく行ったんだ。いや、エリスが僕の右腕にしがみつく
のにも一発で成功した。
 ところがその次、エリスを引っ張り上げようとして、気付いた。腹ばいの姿勢で腕に
力を込めるのがこんなにしんどいなんて、それまで経験なかったというのもあって、な
かなかうまく行かない。もう片方の腕や足、それに腰を使ってこそ力を込めやすいんだ
なと今なら分かる。当時は焦りもあって、がむしゃらに力を入れるばかりだった。手間
取っていると、エリスが悲鳴を上げだした。下を見てしまったらしい。ヘルプ!とか何
とか言ってた気がする。怪我をするような高さだったかどうかは分からないけど、元か
ら手を離すつもりはなかった。だってレースに勝ちたいから。何度かトライする、けど
うまく行かない。
 どうすりゃいいんだ、左腕に持ちかえるか、両腕でやってみるか、でもそのことをエ
リスに伝える方法が……なんて考えが、頭の中をぐるぐるしてた。
 そのとき。不意に大きな声が、僕の耳をつんざいた。
『粘れ、御郷!』
 確かにそう聞こえた。観客席からの応援の声じゃなかった。
 エリスが言ってるんだ。
 そのあとも続けざまに『粘れ、御郷!』『粘れ、御郷!』って繰り返し叫ぶ。不思議
なもので、こっちもパワーが漲ってきた、気がした。そして一呼吸してから試してみる
と、本当に力が出たんだ。エリスを一気に引き上げる。勢い余って橋から落ちないよ
う、抱き留めた。腕がちょっとしびれていたけれども、これくらい平気さ。そのまま彼
女を先にやり、僕もすぐさま続いた。
 実はこの時点で一位だったらしいんだけれど、少なくとも僕は分かっていなかった。
分かっていたら、前で立ち止まったエリスを急かしていたかもしれない。彼女は高いと
ころが苦手なんだろう、飛び降りるのにも躊躇していた。察した僕は彼女を後ろから脇
に抱えると、「せーの!」のかけ声とともに一気に飛び降りた。
 そしてゴール。僅差の二位だった。
 「せーの!」の意味がエリスに伝わっていない可能性に思い至ったのは、三分ぐらい
経ってからだった。エリスはいきなり一緒に飛び降りさせられたのがよほど怖かったの
か、しばらく震えていた。
 幸い、僕を怖がるようなことはなく、二位という結果にもそれなりに満足しているよ
うだと、その強張り気味の笑顔からも分かった。
 レース後少ししてから、エリスのお父さんが現れて、やや固い日本語で僕らのレース
結果を祝福してくれたのには、こっちも嬉しくなったな。それでお別れするところだっ
たんだけど、ふっと気になったことを思い出して、慌ててエリスのお父さんに尋ねてみ
た。
「エリスさんはまだまだ日本語を勉強中だと思いますけど、『粘る』という単語をもう
覚えているのにはびっくりしました」
 要するに、数ある日本語の中で、小学生の女の子に教えるなら、『粘る』は優先順位
がもっと低いんじゃないかって、そのときの僕は不思議に感じた訳だ。
 するとエリスのお父さんは首を傾げた。『粘る』も『粘れ』も教えておらず、多分、
先生からも教わっていないだろうとのこと。僕が「いや、レース中にこういうことがあ
って」と食い下がると、エリスのお父さんが当人に聞いてくれた。
 父娘の英語によるやり取りがいくらか続いたあと、不意に、父親の方が「ハハハ」と
大きな笑い声を立てたから、僕はぎょっとさせられたよ。
「あ、あの……?」
「いや、ソーリー。意図せざるユニークな聞き違いが起きていたと分かり、つい笑って
しまったのです」
 エリスのお父さんは笑いをかみ殺していた。
「ボーイ、君の名前は御郷と言ったね? エリスはこう言ったんです。“Never l
et me go!”」
 ネバーレットミーゴー。小学生の僕には、訳してもらわないと分からない。
「意味は『私を離さないで!』だよ、御郷クン」
 これを聞かされ、僕ももちろん声に出して笑った。しばらくぽかんとして、それから
苦笑いを浮かべたあとだったけれどね。

 おしまい




#559/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  25/01/29  17:14  ( 76)
『十角館の殺人』を殺す方法   永山
★内容
「『十角館の殺人』を殺す方法」
 〜 もしもこうなっていたら、あの“衝撃の一行”はなかった? 〜

※小説『十角館の殺人』(綾辻行人 講談社ノベルス他)の真相を知っている人向けで
す。同作を未読の場合、まず意味が伝わらないと思います。
 また、同作の具体的なネタばらしをしている訳ではありませんが、拙作を読んだ上で
『十角館の殺人』を読むと、その構造を見抜きやすくなる恐れは非常に高まります。
 ご注意くださいますよう、お願いします。

※カクヨムでも公開済みです。タイトルは変えています。


             *           *


 推理研の面々が角島に向かう漁船の上にて。
「あんたら、あんなところに行って、一週間も何をするんだね? そもそも満足に寝泊
まりするところがあるのやら」
「その点は大丈夫なんですよ。僕らと同じ推理研の一人が先に行って、あれやこれやと
準備万端整えてくれた上で待っていましてね」
「へえ、そうなのかい」



 館にて第一の殺人が発覚した直後。
「なあ、みんな。思うんだが、とりあえずこのニックネームで呼び合うの、やめない
か」
「え、どうして?」
「人が一人死んだんだ、それも仲間が。いくら我々がミステリ好きだからといって、こ
の状況下でニックネームを使うのは不謹慎のそしりを免れない。違うか?」
「……そうね、その方がいいわ。これからは本名で」



 島田と守須とが初めて会い、互いに自己紹介をしたあと。
「そういえば、君は推理研では何て呼ばれているんだろう?」
「……何だと思います?」



 第二の殺人が起きる直前、皆でコーヒーを飲む場面。
「うん? ……ひぃ、ふぅ、みぃ……」
「どうかしたか。コーヒーカップを見つめて、ぶつぶつと」
「いや、何か昨日と手触りっつーか、感触がちげぇって感じて――ああ、やっぱりな。
このカップ、違うぜ」



 口紅に仕込まれた毒で被害者が出たあと、三人で会話するシーン。
「――待て。煙草はやめといた方がいい」
「ん? どうしてだ。気持ちを落ち着かせるために――」
「そういうことじゃない。毒だよ、犯人が煙草に仕込んだかもしれないじゃないか」
「これに……?」
「そうさ。ミステリマニアとして恥ずかしいよ、何故、今の今まで疑いもしなかったん
だ?ってね」


 〜 〜 〜


 犯人が最初の犯行としてオルツィを殺しに行く直前。
(……待てよ。本当に今、部屋にはオルツィ一人だけなのか? 推理研のメンバーで、
恋人がいるのは自分だけだと思っていたけれども、それが正しいなんて根拠どこにもな
いぞ。実際、自分は皆には内緒で彼女と付き合ってきて、ばれなかったんだし。うー
ん、オルツィに恋人がいるとしたら、あいつ辺りか。もしいたら、まずい。ドアをこっ
そり開けて、中を覗いて確かめる……のはリスクありそうだよなあ。参った。今夜の犯
行開始は中止して、明日一日掛けて、みんなに探りを入れてみるか。恋人がいるかどう
かって……いや、たった一日で正確なところを把握できる気がしない……)
 犯人は今回の合宿での計画殺人をあきらめた。
(次の機会までに、部内の人間関係を調べ上げるとしよう……)


 〜 〜 〜


 終わり




#560/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  25/02/27  10:27  ( 34)
掌編:色きちがいだが仕方がない   永山
★内容
「色きちがいだが仕方がない、か」
 まどろんでいた小島悠子《こじまうゆうこ》が、ふっ、と意識を取り戻すと同時に、
その声が聞こえてきた。
「叔父さん何て?」
 座卓に向かっていた叔父の高梨辰彦《たかなしたつひこ》の背に、思わず聞く。
「おっ、起きたか。相手をしてあげる時間が取れるか、怪しくなってきた。時刻はまだ
早いけど、雨が心配だ」
「それより、叔父さん今さっき何て言ってたの?」
「うん? 独り言をたまに口にしたかもしれないが……『色きちがいだが仕方がない』
かな」
「そう、それ。やっぱり聞き違いじゃなかったんだ。小学三年生のテストを採点しなが
ら、“色きちがい”ってどういうこと?」
 高梨は小学校教師で、三年生を受け持っている。中二の悠子は暇つぶしに高梨の自宅
アパートに寄ったのだが、テストの採点が終わるまで待っているように言われ、ついう
とうとしてしまった次第。
「答案にすっごくエロいこと書いてたとか?」
「あのな。仮にそうだとしたら、“仕方がない”なんて思わない。注意して直させる」
「そっか。じゃあ何?」
「推理小説の古典の一つに、有名なフレーズがあるのは知ってるかな? 『きちがいじ
ゃが仕方がない』って」
「聞いた覚えはあるけど、意味は知らない。放送禁止用語だから面白がっているのかし
ら」
 そう答えた悠子に、高梨は簡単に説明をした。
「――で、それを踏まえて呟いただけだから、たいした意味はないんだよ。個人情報な
んで見せられないが、国語でその子は九十九点だった。たった一つ、漢字の読みの問題
で『色気』に“いろき”と解答してた。惜しいな、この間違いがなければ百点なのに、
でも仕方がない、と」
「そういう意味だったの。――色で思い出した。誕生日に買ってくれるっていうイヤリ
ング、やっぱり青がいいと思い始めてて」
「え? もう注文しちゃったよ。……色違いだが仕方がない、とはならないよね?」
「ううん、大丈夫。届いたあと交換できるはず。余分にかかる送料も払ってね」
「仕方がないな」

 おしまい




#561/566 ●短編
★タイトル (sab     )  25/03/25  15:20  (126)
『双影館の殺人』
★内容
プロローグ
 荒れ狂う海の向こうに、黒く沈むようにそびえ立つ古びた洋館があった。そ
の名は「双影館」。二十年前に火災で焼け落ち、廃墟となったまま忘れ去られ
ていたはずの場所だ。しかし今、その館には明かりが灯り、七人の男女が佇ん
でいた。彼らは大学のミステリ研究会のメンバーで、合宿としてこの館に集まっ
たのだ。

 夜半過ぎ、波打ち際に一つの小瓶が投げ込まれた。青緑色の硝子瓶。その中
には血文字で書かれた一枚の紙が入っていた。

 「私は全てを終わらせる。決して許されることはない――J・K」

一日目
 七人は館の中に入った。館は左右対称の造りで、廊下も扉も、そして階段ま
でも鏡に映したように対になっている。そのため「双影館」と呼ばれていた。

 参加者は以下の通り。

エリオット:研究会のリーダーで冷静沈着な性格。

クリス:皮肉屋だが洞察力が鋭い。

マリア:繊細でおとなしい女性。昔、ある事件に関わっていたという噂がある。

ダグラス:酒好きで粗暴な男。過去に暴力沙汰を起こしたことがある。

ノエル:明るく無邪気なムードメーカー。

ローラ:孤独を愛する文学少女。

ジェイク:無口で存在感が薄い青年。彼だけが初対面のメンバーだった。

 七人はそれぞれの部屋に荷物を置き、夕食を終えると、居間に集まって酒を
飲み交わす。その晩、彼らは談笑したが、やがて一人、また一人と部屋へ戻っ
ていく。最後まで残ったのはエリオットとクリスだった。

二日目
 朝になり、ダグラスが姿を消していた。彼の部屋に行くと、ベッドはもぬけ
の殻。誰も見ていない間に外に出たのだろうか。やがて、裏庭で彼の遺体が発
見される。喉には細い針金のようなものが巻き付けられていた。絞殺体だった。

 部屋には「第一の犠牲者」と書かれたカードが置かれていた。奇妙なことに、
ダグラスの指には小瓶の破片が握られていた。

三日目
 二人目の犠牲者はノエルだった。彼女は館の東翼にある浴室で死んでいた。
毒殺。湯船に浮かぶ彼女の唇は黒く変色し、指先は紫色に染まっていた。

 事件は混迷を極める。彼女の枕元には、「第二の犠牲者」と書かれたカード
が置かれていた。

四日目
 三人目の犠牲者はローラだった。彼女は書斎で冷たくなっていた。頸動脈を
切り裂かれていた。傍には彼女の手書きの詩が残されていた。

「ふたりの影は重なり合い、やがてひとつになる」

 そして、机の上には「第三の犠牲者」のカードが置かれていた。

五日目
 生き残ったのはエリオット、クリス、マリア、ジェイクの四人。だが、この
日、彼らはある異変に気付く。ジェイクが姿を消したのだ。

 彼を捜索するが、どこにもいない。その夜、クリスとマリアは部屋で恐怖に
震えながら夜を過ごした。

六日目
 翌朝、マリアが姿を消していた。そして、地下室で彼女の遺体が発見される。
首を吊った状態だったが、後の検死で彼女は他殺であることが判明する。

 カードには「第四の犠牲者」と記されていた。

七日目
 クリスは、誰もいないはずの地下室で誰かがいたような物音を聞く。恐る恐
る地下室へ降りると、そこには失踪していたはずのジェイクがいた。

 しかし、彼はすでに死体となっていた。遺体のポケットからは「第五の犠牲
者」と記されたカードが見つかった。

 館にはついにエリオットとクリスの二人だけが残された。

終幕
 夜、二人はお互いに相手を疑いながらも、共に脱出することを決意する。し
かし、扉は施錠されていて開かない。二人は決死の覚悟で非常階段を駆け下り、
やがて館から逃げ出す。

 そしてその直後、館は炎に包まれた。

エピローグ
 事件から数日後、警察は生き残ったクリスから話を聞く。彼はエリオットが
犯人だったと証言する。クリスは涙ながらに「彼が全員を殺して、私も殺そう
とした」と語った。

 しかし、事件の真相は異なっていた。

答え合わせ
 真犯人はクリスだった。

 ジェイクは元々クリスと同一人物だった。ジェイクの存在は完全に架空のも
のであり、館で目撃されたジェイクはクリスの変装だった。彼は入れ替わりな
がら自作自演の被害者を装い続けた。

 すべては自分以外の6人を殺害し、エリオットに罪を着せるための計画だった
のだ。

ラストシーン
 事件から数週間後、海辺でひとり佇むクリス。彼は事件が無事に終わったこ
とに安堵していた。

 しかし、砂浜にはあの日、海に捨てたはずの硝子瓶が打ち上げられていた。

 中にはクリスが書いた手紙が入っていた。

 「私は全てを終わらせる。決して許されることはない――J・K(クリスのイ
ニシャル)」

 彼はそれを拾い上げ、冷たい波に沈めると、誰にも気付かれぬようにその場
を去った――。


以上は、ChatGPTによって生成された文章です。
事前に、ChatGPTに「十角館の殺人」のあらすじを読ませ
(あらすじは以下から抜き出しました
https://rakutonohondana.com/jukkakukannosatuzin-with-spo/)
これに類似したミステリを書きなさいと命じました。
出来はどうでしょうか。




#562/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  25/03/31  17:26  (149)
モー探偵のモー推理   永山
★内容
※小説投稿サイトでのお題イベントに沿った作品です。時間が経ち、書いた本人もよく
分からなくなっています。(^^;


 夜の帳が降りた。
 もー。
 空はよく晴れており、星がいつもに比べればきれいに見えている気がする。今だけじ
ゃなく、ここ数日は晴天続きだ。
 もー。
「皆さん、ご静粛に願います」
 探偵が声を張った。もー。宿泊客が集まれる広間は、外の様子がすぐに分かるよう、
窓の一つが細く開けられている。なので、音がちらほらと入ってくる。もー。
 とにかく、皆、息を飲んで探偵の次なる発言を待った。
「先ほど、改めて説明したように、我々は閉じ込められました。このペンションから出
ることは難しい、少なくとも現状では無理だと言えましょう。しかも、外部との連絡手
段も断たれている。これが何を意味するか」
 もー。
 探偵は相方の私に視線を当ててきた。私はワトソン役らしく振る舞うことに努めると
する。
 もー。
「いわるゆクローズドサークルというやつだね? 殺人が起きているのに、警察に通報
できないし、避難もできない」
「その通り」
 以心伝心、ツーと言えばカー、打てば響くとはこのこと。
 もー。もー。
「何故かは分かりませんが、今夕になって突如、牛、恐らくバファローの大群が東方よ
り現れ、何もかもなぎ倒しながら西、言い換えればこのペンションのある方角へと行進
を始めました。行進と形容するのは違うかもしれません。バッファローを猪にたとえる
のも変ですが、猪突猛進と呼びたくなるほどの勢いがあったので。彼らの鳴き声及び地
響きに気が付いたときには、もはや手遅れ。ペンションごとバッファローの波に飲み込
まれるかと思われたほどです」
「このペンション、見かけは古い割に、防音と免震は気合いが入っているから」
 鳴き声や振動がなかなか伝わってこない、という意味である。今だって窓を開けてい
るのは、バッファローの動向をちょっとでも早く知るためだ。
「そうだね。ああ、神戸《かんべ》さん、すみません。決して設備のせいだと言ってい
るのではありませんので、あしからず」
 探偵はペンションのオーナーたる男性に、ぺこりと頭を下げた。
「気にしちゃいません。バッファローの大群が出現するだなんて、想定外の事態。実際
に被害が出て、私らに責任があると言われても、認めやしませんて」
「でしょうね。それに、現実には被害は出ていない。これまた理由は不明ですが、彼ら
はペンションを避けてくれた。おかげで建物の倒壊は免れたものの、辺りはバッファ
ローだらけ。牛の泥流に襲われたとでも言いたくなります。そしてその泥流は途切れる
ことなく、今も尚続いている。こうしてこのペンションは、はからずもクローズドサー
クル物の舞台と化してしまいました」
 もー。
「オーナー、ついでに伺います。松坂《まつざか》氏は硬質ガラス製の灰皿で殴打さ
れ、亡くなったと見られますが、あの灰皿は? 他の部屋には備わっていないようでし
たが」
「ご宿泊の皆さんの中で、松坂さんが唯一の喫煙者だと聞き、用意しておいたんです」
「今日で宿泊三日目になりますが、灰皿の交換は?」
「朝、お訪ねして吸い殻だけ回収してましたよ。洗わなくていいと言われましたし」
 オーナーの神戸の解説に探偵はもー、基、にこっと微笑して続ける。
「ありがとうございます。さて、松坂氏は彼にあてがわれた部屋の中で、頭部を硬質ガ
ラス製の灰皿で殴打され、窓際に据えられたベッドの上で事切れていた。灰皿はこのペ
ンションの物であり、犯人が用意して持ち込んだ物ではない。今のご時世、宿泊先に灰
皿が常備されていることを期待する人は少ないでしょう。このことから、恐らく衝動的
な犯行だと見なせる」
 確認を取るかのように、台詞を区切る探偵。みんな黙って頷き、静かなものだ。も
ー、もー。
「結構。――被害者がいつ亡くなったのかを特定できないまま、皆さんには今日一日の
行動を伺っていた訳ですが、証言を比べる内に、ふと閃いたことがあります。
 仮の話をしましょう。もしも皆さんが今この状況で、誰かを殺すのであれば、いかな
る手段を執るのが最も有効か、考えてみてくれませんか」
 探偵の投げかけた問いに、関係者一同は素直に応じた。侃々諤々、喧々もーもーと意
見を交わす。そしてたいした時間を掛けずに、一つの結論に至った。
「事故死に見せ掛けるのが一番よ」
 代表して米沢《よねさわ》さんが言った。
「どこか手頃な窓を選んで、外に突き落とすの。無数のバッファローにあっという間に
もみくちゃにされて、助かりっこない」
 期待していた答えだった。もしこの答が出ないようであれば、私がワトソン役として
“補助線”となる言葉を出すつもりだった。
「ありがとうございます。私も同意します。たとえ他殺を疑われたとしても、遺体はぼ
ろぼろに踏み荒らされ、証拠もへったくれもない状態になっている可能性が高い。翻っ
て、現実に起きた松坂氏殺しはどうか。遺体はそのままにしてあった。凶器すら、現場
に残している。この事実から、犯行があったのはバッファロー襲来前だったと言えるの
では?と推理したのですが、如何でしょう」
「悪くはないと思うが」
 但馬《たんば》さんが即応してきた。もー。
「折角なので反論してみよう。凶器のことはさておき、犯人は体格的・腕力的に、松坂
君を落とせなかったのかもしれない」
「なるほど。ですが、現場をご覧になれば分かる通り、松坂氏は窓際のベッドに倒れて
いた。羽毛布団のかさを足すと、ベッドの高さと窓枠の高さはほぼ同じ。非力な人でも
両足を使って押せば、押し出せたはず」
「ふむ。認めざるを得ないか。僕自身、部屋に入ってまず感じたのが、ベッドが高い、
寝ぼけて窓から落ちないかなという心配だったからねえ」
 但馬さんの台詞に、神戸オーナーが「相済みません」と謝罪した。
「では、犯行時刻はバッファロー襲来前としていいですね? この前提に立つと、非常
に興味深い事実が浮かび上がるのです。すなわち、最後に松坂氏の生きている姿が目撃
されてからバッファロー襲来までの区切った時間帯において、アリバイのない人はたっ
た一人に絞られる。あなただけにね」
 探偵が指差した先、そこにはたくましい身体付きをした若者がいた。
「美濃太郎《みのたろう》さん、私の推理に対して、何かご意見は? ああ、物証がま
だない点は勘弁してください」
「ご意見も何も……僕はやっていないとしか」
「あなたが犯人でなければ、誰でしょう?」
 もー、もー、もー。
「知るものか。大方、外からやって来た奴がぱぱっと殺して、さっと逃げたんじゃない
のかな」
「おかしいな。あれだけのバッファローに囲まれているというのに、そんな発想が出て
来るなんて、やはり犯行はバッファローが現れるよりも前だったと認めているも同然で
はないでしょうか」
「言葉尻を捉えるなよ。さっきあなたが披露した“めい”推理につられただけさ。い
や、妄想推理かな」
 もー。
 挑発的な笑みを浮かべる美濃。だが、どこか強がっているようにも映った。
「うーん、どうなんでしょうね。バッファローの群れが来ようが来まいが、このペンシ
ョンの交通の便は決してよくない。途中で車を降りて、おんぼろな吊り橋を含んだ山道
をてくてくと歩かなきゃならない。そんなペンションに、密かに忍び込んで人を殺し、
また逃げ出すのはよほど奇特な方ですよ」
「何とでも言え。バッファローの群れに突き落とさなかった理由自体、確定はしていな
いだろうが。犯人が、たまたま思い付かなかっただけかもしれない。それか、僕に濡れ
衣を着せるために、敢えて遺体を残した可能性だってある。違うか?」
「可能性を追い始めれば、きりがありません。現状ではいかなる名探偵・名刑事であろ
うと、蓋然性を重視するしかないんですよ。そこで提案です。あなたの手を始めとする
身体及び服、それからあなたの部屋の洗面台を調べさせてもらいましょうか」
「……」
 美濃は調べる理由を聞き返すことさえせず、黙り込んだ。心当たりがあると見える。
 そんな若者に代わり、近江《ちかえ》さんが声を上げた。
「彼の身体に、犯行の痕跡があると言うんですね? 洗面台まで調べるのは、洗い落と
した可能性を考えてのこと」
 ああ、用意していた台詞を全部言われてしまった。ワトソン役の出る幕がないじゃな
いか、まったく。
 もー。
「はい。駄洒落になってしまいますが、『灰』が決め手になるんじゃないかなと。え
え、煙草の灰です」
「……凶器の灰皿には、吸い殻も灰もなかった。発見時に、その場にいた全員で確認し
た」
 美濃が声を絞り出す。
「ええ。ですが、少し前に神戸オーナーが話されたように、松坂氏が逗留を始めてから
喫煙をしていたのは間違いない。また、吸い殻を回収はするが灰皿そのものを洗いはし
なかった、とも。これらが何を意味するのか。灰皿の表面には灰が付着したままだった
可能性が非常に高い。灰皿を凶器として用いた際に、犯人の手に灰が移ったでしょう
し、灰皿を振り上げたからには、少ないながらも灰を頭から被ったかもしれない。そう
いった灰を犯人が認識できていなかったら、手や指先、頭髪などにまだ灰が着いている
と期待できる。仮に認識できていたら、多分、自室にある洗面台で洗い落とそうと試み
るに違いない。共同の風呂は、夜を待たなくてはいけないですからね」
「……灰を調べれば、煙草のものかどうか、判別できるのかい、探偵さん?」
「うん? 灰の状態にも拠るが、目視でもある程度は可能だろうね。警察の科学力を借
りれば、より確実だ」
「そうか」
 美濃は窓の方へ目をやった。地響きはまだ強めだが、もーもー声はようやく遠ざかり
始めたようだ。
「分かった。認める。迷宮にはまった僕には、“アリアドネの糸”はなかったようだ」
 美濃太郎の自白のあとの発言は、何だか唐突に聞こえた。

 が、ことの顛末をまとめているときに、はたと思い当たった。
 美濃太郎とミノタウロスを掛けたんだな、と。

 おしまい。




#563/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  25/04/10  13:51  ( 88)
やたらとボックスの出て来るクイズ番組   永山
★内容
「はい、始まりました、クイズ『その英語、どんなカンジ?』。司会のスリーボック
ス、スリーラインこと品川品三《しながわぴんぞう》でございます。もうお馴染みとな
ったでしょうこの番組。ルールなんかは説明しなくてもお分かりと思います。知らない
という向きにも、追々と分かるようになっているのでご心配なく。では前置きはこれく
らいで切り上げて、第一問。早押し問題です。タクシーに乗ってきた外国人に、“スタ
ックトスリーボックス、アポストロフィエイト”駅に行って欲しいと言われた。さて何
駅?」
 ぴぽん。
「川藤《かわふじ》さん、どうぞ」
「目白駅」
「正解! 重ねた三つの箱で“目”、エイトは8でデジタル文字に置き換えると“日
”。これにアポストロフィを付けると“白”ということで、二つ並べて、目白になりま
す。ということで正解は目白駅。川藤さんには三ポイント入ります。
 では第二問。早押し問題です。外国人から“クロスブレイクスルーボックス”と“ゼ
ット”は対義語ですかと質問された。何のことを言っているのだろうか。……さあ、ど
うだ。まだかまだか。制限時間が迫るっ」
 ぴぽん。
「おっと、ぎりぎりで来た。田野倉《たのくら》さん、どうぞ」
「甲と乙、じゃありませんか?」
「正解! どうやって正解に辿り着きました?」
「最初の“クロスブレイクスルーボックス”ってのが、いまいち形にならなかったの
で、後者の“ゼット”から考えたら、アルファベットのZは“乙”しかないよねと。そ
れで乙の対義語っぽい漢字を連想していったら、“甲”かなって。そう思って考える
と、十字がボックスを上から下へ突き破ったような形だし」
「お見事。それでは続いて第三問。記述問題です。外国人から、『ワンライン パイ、
スタックトツーボック アンダーライン』の習わしについて尋ねられた。どのような習
わしがあるのか、一つでいいので、教えてください。ただし解答は、質問者の流儀に合
わせたものにしてほしい。制限時間は三分、それではスタート!」
   ・
   ・
   ・
「――はい、そこまで。ペンを置いて、フリップをお立てください。おや、やはり時間
的に厳しかったか、何も書かれていないか試行錯誤のあとだけの方が結構いますねえ。
それじゃあ、井本《いもと》さんから見ていきましょう。『フラッグインロングヘアウ
ィッグ』、これは何ですか」
「えっと、凧、です。空に浮かぶ方の」
「うーん、なるほどなるほど。かぜかんむりをかつらに見立てて、その中にある巾を旗
と言い表したと。それじゃあそもそもの『ワンライン パイ、スタックトツーボックス
 アンダーライン』をどう解読したのか」
「元旦でしょう。横線一本にπで“元”、二つの箱を重ねた“日”にアンダーラインを
添えると“旦”」
「正解です。あとは凧をどう評価するかに掛かってきます。凧揚げはお正月の風習の一
つで間違いではないが、元旦に限った物ではないですので、その辺りがどう響くか。次
は……竹山《たけやま》さん、行ってみましょう。あなたも“元旦”は分かっていたみ
たいだ」
「はい。それで答が『スタックトツーボックス スタックトマウンテン』で“日出”、
つまり日の出。初日の出にしたかったんだけれど、“初”や“の”は難しすぎて」
「ちょっと苦しいかなあ。漢字の“山”の形をマウンテンと認識してくれるかどうか。
横倒しにしたEを重ねたとかの方が、“出”の形状は伝わるような気もしますねえ。“
の”にしても、数字の6を俯せにしたと表現するとか……。でもなるべくシンプルな英
語表現にするのが難題か。何はともあれ、苦心の跡が忍ばれます。
 さあ三人目は……木部《きべ》さんと川藤さんは同じですね。『ゲート アップア
ローインハット マスタシュ エー』。説明を……木部さんに伺いましょう」
「これはもう、今までこの番組で何度か出て来たのを使おうと思いました。認められて
いる訳だから。ゲートはそのまま門。木偏を表すのが帽子を被った上向き矢印、マスタ
シュが八の字髭で、その下にアルファベットのAを置くと、松の字に似た形になる。二
文字で門松になります」
「なるほど。川藤さんも当然、同じですね。はい、分かりました。安全パイなのは悪く
ないけれども、ここは新たな創造性を見せて欲しかった気がしないでもない」
「だったら時間をもっとくれなきゃ」
「おお、そうでした。えっと、他に解答されている方はと」

「――今回、予選を勝ち抜いてファイナルステージに進まれたのは、田野倉|薫《かお
る》さんとなりました。田野倉さんにはこれから最後の問題に挑んでいただき、見事に
正解された場合は豪華賞品を手にする権利が得られます。
 当番組をご愛顧なさっている皆様には言うまでもありませんが、ラストの設問と言っ
ても、さほど難しくはありません。どうぞ、気を楽にして挑み、勝ち取ってください。
田野倉さん、心の準備はよろしいですか?」
「はい。よろしくお願いします」
「よろしく。では、最後の問題です。ノリとハサミ、そして『コンマプラスボックス
』、これら三つから連想される生物を、英語と漢字でフリップに書いてください。制限
時間は二分、早ければ早いほど賞品の中身が豪華になります。では始めます」
「――はい、できました」
「早い! 早速拝見しましょう、どうぞ出して。……これは……正解! sparro
wと雀。ミスはないと確認されました。おめでとうございます、田野倉さん。さすが」
「いえ。問題を読まれているときから考えていたら、閃いただけです。コンマとプラス
とボックスを上から下になるよう順番に並べると、舌という字に似た形になる。ノリに
ハサミに舌ときたら、日本人なら昔話の『舌切り雀』を連想するのは難しくないです」
「いや、それにしてもお見事でした。所要時間、たったの五秒。これ、記録ですよ。お
っと、そろそろおしまいの時間が近づいてきました。尻切れトンボにならないよう、豪
華賞品獲得のチャンス、選択の時間です。今回はラストの問題にちなんだ形で用意しま
した。そこからご覧になって、お持ち帰りになる一つをコールしてください!」
 品川品三が腕を振った先では、幕がばさりと落とされ、司会者の言葉の通り、三つの
物体が現れた。
 手のひらに載る小さな箱と、腰掛けられる程度の中くらいの箱、そして一台の軽トラ
ックに匹敵する大きな箱が。

 終わり




#564/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  25/05/18  20:42  (140)
証拠は雲間を抜けて   永山
★内容
 |岸上東《きしがみあきら》、前から気に入らない奴だった。
 見た目も性格もおとなしく、異性にがっつくこともない、いわゆる草食系男子に分類
されるんだろうけど。
 何故かあいつには勝てない。勉学やスポーツではよくて引き分け、俺が好きになった
女はたいてい岸上になびく。
 岸上には天才肌っぽいところがあるからかもしれない。本の大まかな内容なら一度読
めば覚えるし、詳しい内容でも三度読めば充分。初めて来た町でも地図が頭の中にイン
プットされているのか、近道や抜け道を簡単に割り出す。何かの飲み会の余興で、みん
なが苦戦していたマッチ棒パズルを、あとからやってきた岸上があっさりと解いちまっ
たこともあった。
 唯一、勝てそうなのは、電化製品に関して詳しいかどうかぐらいか。それとて岸上は
使えないのではなく、必要性を感じないと使わないタイプというだけらしい。初めて触
れる音楽プレーヤーや録画機器でも、説明書をちらと見ただけで、一通り使いこなす。
変わっているのは、パソコンは小さな子供の頃から使っていたのに、携帯端末となると
未だにガラケーすら持っていない。奴の中ではデメリットの方が大きいと判断されたよ
うだ。
 まあ、そんな奴だから頭がよくて、試験やレポートではだいぶ助けてもらった。俺と
しちゃあ、うまく利用しているつもりでいた。
 ところがあるときを境に、俺の内には岸上への殺意が芽生えた。それには訳がある。
所属するサークルに入ってきた一年生を、俺はいいなと感じたんだが、いつものように
岸上になびくんだろうなと思っていたら、案の定だった。その一年生は積極的にアプ
ローチし、岸上とのデートを取り付けたようだった。珍しいことなので驚いたし、岸上
を冷やかしもした。手応えはなかったが。
 だが、岸上の奴、デートの約束をすっぽかしやがった。何か趣味でやっている研究に
没頭して、完全に忘れていたんだ。ファミレスで一人、お茶をしているときにいいアイ
ディアが閃いたらしく、夢中になってしまったという。ファミレスにいたおかげで、一
年生の方から岸上へは連絡が取れず、岸上は岸上で完全に失念していたから、一年生に
連絡を取ろうなんて思いもしない。
 それだけならまだましだ。問題は、すっぽかされた方の一年生が夜、帰宅する途中に
暴漢に襲われて性的被害に遭った末に、亡くなったことだ。犯人逮捕が早かったことが
せめてもの慰めだが、殺人での立証は難しく、傷害致死になるのではないかという噂
だ。
 岸上は常識を持ち合わせているから一年生の葬儀には出たし、遺族へ謝罪もした。だ
が、金銭的にも道義的にも責任を取ろうとまではしなかった。
 自ら責任を取ろうとしない輩には、何十倍もの責任を負ってもらう。岸上の場合、そ
れは死だ。
 俺の判定は厳しすぎるという向きもあるに違いない。一方で、それくらいは当然だと
いう考えの人も必ずいると信じている。

 岸上の住居は、川がすぐそばを流れる眺望のよい六階建てマンションの五階にあっ
た。
 近くにある大学へ通う者にとって立地条件は最高によいのだが、設備が少々古く、防
犯カメラは一階エントランスホールを映す一台しかないという古くささ。
 だが、このおかげで、俺は非常階段を通れば防犯カメラに写ることなく、岸上の部屋
に出入りできるのだ。
 俺の立てた計画は、特に凝ったトリックを弄する訳ではない。いたってシンプルに、
見咎められないように岸上の部屋を訪ね、奴を自殺に見せかけて殺害、その後速やかに
立ち去る。決行日は、あの一年生が被害に遭った日からちょうど三ヶ月後とする。
 可能であれば、遺書を用意したい。もちろん偽造だが、本人に書かせる。といって
も、長い文章は無理だろう。「ごめん」とか「すまない」の一言でいい。それが書き遺
してあれば、あとは一年生の月命日に死んだという事実と結び付けて、警察は勝手に、
「岸上東は後悔から自殺を選んだ」と解釈してくれるだろう。
 繰り返すが、遺書は絶対条件ではない。月命日に死ぬ、これこそが肝心だ。

 当日は雨が降り、風もそれなりに強かった。天誅を下すのにふさわしい荒れ模様と言
えなくもない。
 サークルに顔を出さなくなった岸上を心配してやって来た、という体で俺は奴の部屋
を訪問した。これまでに何度か訪れているので、別に不自然な行動ではない。
「よう。大丈夫か」
 手土産にたこ焼きを買ってきた俺を、岸上はすんなり迎え入れてくれた。上がり込ん
だらこっちのもの。あとは可能な限り手早く、後ろから首にロープを回して地蔵背負い
で奴の身体を担ぎ上げ、一気に絞殺。その後、部屋のドアノブにロープを結わえて自殺
したように装うのが段取りだ。部屋の構造上、梁がないので、こうするしかない。
 しかし。
 岸上の見た目から、俺はこいつの実力をつい軽く見積もってしまっていた。首にロー
プを掛け、背中合わせになるまでは思惑通りだったが、次に奴を背負おうとした途端、
手応えがなくなった。岸上は自ら跳ぶことで、俺の頭越しに床に着地し、しかもロープ
からの脱出にまで成功した。
「何のつもりだい」
 どこか余裕を感じさせるその言い種に、俺はちょっとかっとなった。と同時に、すで
に自殺に見せ掛けるのはあきらめるしかないなとも思った。
 幸い、このマンションは防音がほぼ完璧で、ちょっとやそっとドタバタ乱闘しても、
よそに聞こえる心配はない。だから俺は用意し、また練習もしておいた予備の凶器、ナ
イフ二本を取り出し、相手めがけて投げつけた。一本は右の肩口、もう一本は右の太も
もに命中。特に太ももの方は、ナイフが深く突き刺さっている。岸上は膝をつき、動き
が止まった。
「やはり、|烏丸《からすま》さんのためか?」
 動けない岸上は、時間稼ぎをするためか、一年生の名を口にした。
「僕には分かっていたよ。烏丸さんがサークルの部屋に入ってきた当初から、君が彼女
に心を奪われたことを」
 それがどうした。
「あの日――ちょうど三ヶ月前に、デートをすっぽかしたのは、君の気持ちを台無しに
してしまうことを避けたかったから。こう言ったら信じてくれるだろうか?」
 ……。俺は首を横に振った。信じられるかよ。
「ではどうしても僕を痛めつけ、命を奪ってあの世に送ると?」
「そうなるな」
 俺は返事と同時に動き出した。ナイフを抜いたり、拾ったりして武器に使われると面
倒だ。一気に片を付けるべく、距離を詰め、第三の刃物――出刃包丁で奴の腹を狙っ
た。
 手応え、あった。
 岸上はどうっ、と床に倒れた。うつ伏せの姿勢で、うう、と呻き声を上げている。
 俺はとどめに喉を掻き切ってやろうと、岸上の首根っこを押さえ、こちらに向かせよ
うとした。
 そのとき――目の前がまぶしくなった。
 何も見えない状態になったが、直前にかしゃっという機械音を聞いた。これはまさ
か。
「岸上、貴様。携帯端末を買ったのか?」
 俺の問い掛けに答は返って来ず、岸上のいる方向からは窓を開ける音が聞こえた。
  ようやくフラッシュの光によるダメージを脱し、俺は窓の方を見た。
 岸上は右足を引きずりつつ、広くはないベランダにまさに出ようというタイミングで
あった。
 と、岸上が振り返って、苦しげな声で俺に告げる。
「これでも後悔したんだ。僕がこんな物を使い始めようと決心したのは、烏丸さんのこ
とがあったから。もう二度とあんなことは起こさないと決めた。それがまさかこんな形
で役立とうとは。ダイイングメッセージを」
 まずい。電話を掛けられてもまずいし、外に向かって叫ばれるだけでも、どの程度聞
こえるのかまでは調べていない。焦りを覚えた反面、雨足が強まっており、雫が地面や
川面を叩く音も当然大きい。これはまだ運がある。外のこの騒がしさが、岸上の騒ぎ立
てる声をかき消してくれるに違いない。電話に関しても、岸上の奴、まだ使い慣れてい
ないせいか、掛けるのに手間取っているようだ。
 俺は今度こそ終わりにしようと、ベランダに奴を追った。
「観念しろ」
 低い声で言い放った。だが、岸上もあきらめない。
 奴は俺の顔に、購入して間がないらしい携帯端末を向けた。
「君、まさか気付いていないのか。僕は君の姿を写真に撮ったんだぜ。殺人犯がまさに
殺人をやろうという瞬間の形相をな!」
 言うが早いか、岸上は携帯端末を持った腕を振りかぶった。
 こいつ、外に放る気だ! ますますまずいぞ。
 地面に落ちれば何とか見つけ出せるかもしれないが、川まで届いて水没したら、この
水の濁り具合からして発見は無理だ。だが、警察なら見つけるだろう。どの程度水にや
られたデータが壊れるのか知らないが、たとえ壊れても復元させる技術は国内最高水準
のはず。
 絶対に投げさせてはいけない。そう判断したときには、岸上の指先から携帯端末が離
れる瞬間だった。
「させるかよっ」
 俺は岸上の身体を押しのけ、携帯端末に飛びついた。
 それから――落ちた。
 五階のベランダから、地面へ、真っ逆さま……。

            *           *

 岸上の携帯端末に飛びついた挙げ句、死んでしまった犯人であったが、そもそも岸上
の携帯端末を手中に収めても無駄なんだと、早々に悟ってしかるべきであった。
 何故なら岸上東は写真に収めた犯人の顔を、手早くメールで知り合いに送り、イン
ターネット上にもできる限り貼り付けていたのだから。彼にとって初めての家電でも説
明書を一読さえすれば、楽に使いこなせる。
 そんな岸上東が、命を取り留めたかどうかは……話の本筋ではないので、別の機会が
きたとき綴るとしよう。

 終わり




#565/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  25/06/05  17:31  ( 98)
書き出し指定の対処法   永山
★内容
※カクヨムにてお題「書き出し指定」に対応した作品です。


“〇〇には三分以内にやらなければならないことがあった”
「何それ?」
 ユキは思わず、口走った。

 休日のお昼過ぎ、ユキこと木川田雪奈《きがわだゆきな》はかねてからの約束通り、
高校の同級生(男子)の堂本《どうもと》宅を訪れた。
 このあと出掛けるという堂本の母との挨拶などを経て、彼の部屋に向かう。前まで来
ると、パソコンに向かって何か打ち込む姿が目に入った。また何か書き始めたなと、遠
目に画面を覗き込むとそこに示されていたのが、冒頭に記した“〇〇には三分以内にや
らなければならないことがあった”の一文だった。
 声を上げたユキに対し、堂本は振り向きはせず、ディスプレイの反射を通じて、じろ
っと見てくる。
「……木川田さん、ノックをしてくれと何度言えば」
「だってドア、開いていたから、つい」
 ユキは、開け放したままのドアを指差しながら抗弁した。
「開いていても、ノックで音を立ててくれって前にも言ったよね?」
 キャスター付きの椅子ごと身体の向きを換え、堂本|浩一《こういち》は上目遣いに
見据えてくる。けれども、ユキは意に介さない。
「ごめんごめん、忘れてた。ていうかおばさんに言われて呼びに来たんだけど、何か集
中してるみたいだったから。こっそり入って、驚かすつもりだったんだよっ。けれど
も、ふと目に入った画面に、変な文が書かれていたから気になって」
「変な文? これのどこが変?」
 画面の方を指差しつつ、ちょっと怪訝そうに眉根を寄せる堂本。
「〇〇って、普通じゃないでしょ? それとも、いつものように小説書いてるんじゃな
かったの? 穴埋めのクイズを考えていた、とか」
「いや、小説だよ」
 合点が行ったせいか、堂本の頬が緩む。
「とある小説投稿サイトで催されている企画だ。こういうお題で書いてっていう」
「オダイって『お代は見てのお帰り』の?」
「違う。『課題』の題と同じで、テーマみたいなものだよ。っていうか、『お代は見て
のお帰り』なんていう言い回し、よく知ってるなぁ」
「時代劇で見たんだよん。で、お題っていうのは落語の三題噺みたいなニュアンスでい
いのね」
「三つじゃないこともあるけどね。実際、今回はこれ一つ」
「これがテーマと言われても……どういう風に解釈すればいいの?」
 分かり易く小首を傾げるユキ。一拍遅れて、堂本も首を捻った。
「解釈って。あ、テーマという言い方がよくなかったかな。今回は、書き出し指定とい
うやつ。つまり、この文で小説を始めろってわけさ」
「ふうん。〇〇は〇〇のまんまで?」
「いやいや、それはない。〇〇の箇所には、自由に言葉を入れていいんだ」
 顔の前で手を振る堂本に、ユキは重ねて質問。
「なーんだ。じゃ、字数は? 二文字に決められている?」
「それもない。何文字でもかまわないはず。普通に考えれば人名だよな。まあ、ピカソ
のフルネームみたいに長くして、意味なし、字数稼ぎなんていうのはひんしゅくを買う
んだろうけど」
「なるほどー。それで、堂本君はまだアイディアが湧いてないのかな?」
「どうしてそう思ったのさ」
 堂本は気を悪くした風でもなく、首を少し前に出し、興味深げに聞き返す。
「だって、思い付いていたら、〇〇の部分を埋めた形で書き出すでしょうが」
「ふふん。普通はそう思うのが当たり前。勘違いしてもやむを得ない」
 にやりとする彼に、ユキはちょっと反発を覚えた。
「何よ、本当はアイディアは浮かんでいるって?」
「ああ。面白いかどうかは棚上げにして、一応の案はある」
「おっかしいなあ。アイディアがあるのなら、どうして〇〇が空白のまんまなのかな
?」
 率直に疑問を呈すると、「これでいいんだ。むしろ、こうじゃなきゃいけない」と予
想外の返答があった。ユキは頭を抱えるポーズをした。
「うーん、分からん。学年トップの秀才の考えることには追いつけない〜」
「はは、そんな大層なアイディアじゃないって。要するに、今みたいなシチュエーショ
ンを物語にすればいいってだけだよ」
 快活に笑う堂本。その説明で、どうにかぴんと来た。
「うん? それってつまり……お題を出されて書こうとしている状況をそのまま小説に
するって意味?」
「正解」
「むー。いい考えだとは思うけど、それってずるくない?」
「ずるい、かな」
 どこがずるいとは返さず、ずるいかなと言う辺り、堂本本人も自覚はあるのかもしれ
ない。
「ええ。だってオールマイティじゃないの。どんな文の書き出し指定だとしても、当て
はめられる」
「ばれたか」
 舌先をちょっぴり出して、堂本は照れたような気まずそうな笑みをなした。
「他にアイディアが浮かぶまで、とりあえず形にしておきたくてさ。実を言うと、昔か
らこの手は使っている。出オチ感があるのが難だけど、それなりにうまく書けるんだ
よ」
「キャリア、長いんだからそんなことだろうと思ったよ、まったく」
 ユキは呆れたとばかり、肩をすくめてみせた。少しやり込められた形の堂本は、やり
返す糸口を探していたようで、ふと思い出したように聞いた。
「そういえば木川田さん。何でここに来たの?」
「何でって、約束してたでしょうが。ネタ作りに協力するって」
 これまた分かり易くぷんすかして見せたユキ。もちろん冗談交じりにだ。
 ところが堂本は、真顔で首を左右に振った。
「違う、それじゃなくって。母さんに言われて、呼びに来たって言ってなかったか? 
でも変なんだよな。母さんはもう出掛けていなくちゃならない時間のはず」
「あ」
 思い出したユキは、途端に冷や汗を感じた。
 何故なら、呼んできてくれるように頼まれたのは、堂本の遅めの昼食の準備ができた
からだと知っていたから。より詳しく述べると、堂本の母はカップラーメンにお湯を注
いで、三分間を計り始めたところだった。
「木川田さん?」
 ユキの反応に、堂本が訝り声で名前を呼んだ。
 次の刹那、ユキは両手を拝み合わせ、深々と頭を垂れた。
「――ごめんっ、三分以内にやるべきことがあったのはあたしの方でした……」

 おしまい




#566/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  25/07/01  19:40  ( 77)
映像収集のお仕事   永山
★内容
 家から出て来たのは髪を引っ詰めにした、多分主婦だ。私は営業スマイルで話し始め
る。
「突然お邪魔してすみません。私、“デジタルメモリレコード”の梶原信樹《かじわら
のぶき》と言います。今日はご自宅にあるテレビ放送の映像を買い取らせていただけな
いかと参った次第です」
「デジタルメモ……?」
 会社名を途中まで呟き、きょとんとする主婦。
「デジタルメモリレコード。ありとあらゆる映像をデジタル化して、後世に残すとの目
的で活動する、個人の非営利組織です。テレビ局にも残っていない映像、または残って
いても門外不出の映像を発掘すべく、回っています。ご自宅にビデオテープ、ございま
すか」
「それなら結構あるわ」
「一九九〇年までのテレビ番組を録画した映像を、一時間百円を基本に買い取ります。
ここで言う一時間とは可能な限り良質な画像で換算した数値、たとえばVHSなら標準
録画での時間になります。三倍録画で三百六十分なら、標準録画に直すと百二十分にな
りますので二時間、つまり二百円です」
「中身はチェックするのかしら」
「確認した上で値付けし買い取ることは著作権法に触れる可能性が高いですので、あく
まで中古テープを再利用目的という形に」
「そうは言ってもレーベルが貼ってある物は内容がだいたい分かるわ」
「今のは建前でして、ざっとですが中身を確認させていただくこともございます。その
場合、『お客様は内容を消去したつもりだったが実際には消せていなかった』としてお
ります。現実問題、すべての映像を買い取るのは無理です。映画やドラマ、アニメなど
物語の番組はNG。ニュースやワイドショー、スポーツ中継などは無条件で買い取りま
す。年によっては多少割増できるかと」
「悪くない話だけど、実はうちにはもうビデオデッキがないのよね」
「心配無用、車に積んできています」
 私は少し離れた路地に止めた大型バンへ視線を振ってみせた。
「VHS、βは無論、オープンリールや8ミリビデオその他希少な規格の機種をすべて
取り揃えており、確認のための再生も車内で行えます」
「じゃあ、お願いしようかしら」
「ありがとうございます」
 私は最上級の笑顔でお辞儀した。

             *           *

「木村《きむら》さん、ただいま戻りました」
 雇い主である木村|浩一《こういち》氏の豪邸に入り、彼の書斎の前に立つとドア越
しに声を掛けた。
「ああ。いつものように関連ありそうな物を選り分けておいてくれるか」
「もちろん。今日のお宅は息子さんが思春期だった頃にため込んだテープがどっさり」
「それは期待できるな。あっ」
 不意に声の調子が変わった。しばらく待ったが会話は打ち切られたまま、再開の気配
がない。これはもしや。
「ついに見付かりました?」
「分からん。とにかく入って来たまえ」
 ノブをそっと回しドアを押し開けた。中は薄明かりが灯され、窓にはカーテン。この
方が映像がより鮮明に見えるらしい。
 木村氏は机に覆い被さらんばかりに前のめりになっていた。真横まで来ると、モニ
ターを食い入るように見つめているのが分かる。
「記憶に間違いはなかった」
 ぽつりと言った木村氏。満足げな口調だ。画面は、深夜お色気番組の素人参加コー
ナー。
 最初にこの件を依頼されたとき、ご老人の思い出のアダルトビデオでも探すのかと思
った。関西ローカルの深夜お色気番組映像をかき集めてくれというのだから。
 だが、詳しく聞けばまるで違った。木村氏は一人息子を亡くしている。関西弁を使う
水商売風の女と付き合い、大金をだまし取られたのを親にも言えず、気に病んで自殺を
図った。一時は命を取り留めるも回復に至らず、およそ半年後に帰らぬ人となったそう
だ。放任主義だった木村氏は息子からその女を正式に紹介されたことはなく、二度ほど
見掛けた程度だったが顔は覚えていた。また、息子が遺書めいた走り書きに、「彼女が
あんな深夜のアダルト番組に出るような女と分かっていればもっと警戒したものを」と
遺していた。
 息子の死から時が経つに連れてかえって恨み辛みがうずたかく積もっていった木村氏
は、女がどこの誰なのかを突き止めると決意し、深夜お色気番組の映像を徹底的に集め
始めたのだ。
 木村氏ぐらいお金と地位があればテレビ局に問い合わせて何らかの有益な返答はもら
えそうだが、そうしないのは恐らく私的な復讐を果たすつもりだからだと思う。私は素
知らぬふりで頼まれた仕事をこなすだけだ。
「おお、名前が出たぞ。昭和は個人情報の管理意識が緩かったのは分かっていたが、こ
こまでとはな。ありがたいことだ」
 一時停止ボタンを押した木村氏は、画面の文字を書き取りながら私に言った。
「梶原さん、ビデオテープ集めの仕事はもうおしまいだ。だが、次の仕事を頼まれても
らいたい」
 女の現在の居場所を突き止めてくれと言うのだろう。どこまで深入りしていいのや
ら、私は判断を迫られていた。

 終




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