●長編 #0457の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
天ざるをメインとした昼食が一段落し、和のデザートが出てきたところで、 三鷹さんがいささか唐突に話を切り出した。 「十文字さん、パズルにはマッチ棒パズルというのがありますでしょう?」 「ああ。何本かのマッチ棒で数式や図形等を作った上で、限られた本数を加減 することにより、数式を成り立たせたり、別の図形をこしらえたりするパズル だね」 「実は、問題を持ってきました。ここにはマッチ棒がありませんので……爪楊 枝で代用するのは邪道でしょうか」 「かまわないだろう。ただし、マッチ棒と違って、爪楊枝はパズルに使ったあ と、元に戻す訳にいかないが」 触りまくった爪楊枝を、店の楊枝入れに戻すのは確かによくない。 「マッチ棒なら、ここに」 僕と背中合わせに座っていた運転手の田中さんが、遠慮がちに口を挟んだ。 一人、別のテーブルについて食事を摂っていたのだ。マッチ箱を持っているの だが、白手袋を外したその両手は、ごつごつしたイメージが強かった。 「使ってください。折ろうが燃やそうが、お構いなく。飲み屋でもらった物で すが、私は煙草を吸いませんし」 「ありがとう」 席を立った音無が、腕を伸ばして受け取ると、そのマッチ箱を三鷹さんに渡 した。朱色に店名らしきアルファベットが金文字で踊るデザインは、よく目立 つだろう。開けると、中のマッチ棒の頭も朱色だった。ぎっしり詰まっている から、数が足りないことはあるまい。 「では、お借りして……」 細長くて器用そうな指で、テーブルの上にマッチ棒を並べていく三鷹さん。 十二本で正方形を三つ作り、それらを「品」の形に配置した。 「最初の形は何でもいいんですけれど、この十二本のマッチ棒のみを用いて、 正三角形を三つと正方形を三つ、作ってみてください。ただし、マッチ棒を折 ったり曲げたり燃やしたり、あるいは重ねたりしてはいけません。また、完成 した時点でマッチ棒に触れていてはいけません」 「――なるほどね」 眼を細める十文字先輩。口元も愉快げだ。 「触れてはいけないとは、つまり立体的な構造を禁じることだ。まあ、うまく 燃やせばマッチ棒同士をくっつけることができなくはないが、燃やすこと自体 も禁じられているからね。正方形と正三角形を三つずつ、まともに作るとした ら、九本足りない。折ったり曲げたりもだめなんだから、一本で二辺を兼ねる 箇所を作るしかない……」 先輩は語るだけで、マッチ棒を動かそうとしない。頭の中で、図を描いてい るのだろうか。だとしたら、僕には真似できない。 「三鷹さん。マッチ棒、僕にも」 十二本、出してもらい、試行錯誤をし始める。すると、七尾さんや音無も続 いた。 「……できそうで、できない」 適当に並べるだけでも、正方形二つに正三角形二つぐらいなら簡単に作れる。 だからか、超難問という感じはしない。でもそこからが進まないのだ。 「三鷹君。質問をいいかな」 口元に右手を当て、目を伏せがちにして黙考していた十文字先輩だったが、 不意に視線を起こして云った。 「どうぞ」 「正三角形三つと正方形三つ以外に、何らかの形ができていてもOK?」 「問題文が全てです。つまり、かまいません」 三鷹さんは微笑しながら答えた。極めて自信たっぷりに、というか全ては思 惑通りという顔にも見える。 「なるほど、明確だ。じゃあ、答の一例として、こういうのはどうかな」 十文字先輩は口元から手を離すと、素早くマッチ棒を並べた。その形状を描 写するのは、少々難しいのだが、これも練習と思いやってみよう。 まず、七本で正三角形三つを作る。上向きを二つとそれらに挟まれる格好で 下向きを一つ。残りの五本で、「田」の上辺を取り払った形を作り、さらに真 ん中の縦棒を半分の長さだけ上にずらす。その突き出た中棒が下向きの正三角 形の頂点からすっぽり収まるよう、両図形を配置する。これで正三角形が三つ、 正方形が三つできた。ただし、正方形のサイズは、大きな物が一つと、その内 部に小さい物が二つという具合になっていた。 「さすがです。正解です」 三鷹さんは、今度はにっこりと笑った。 「解けたのは、君がフェアに問題文を提示してくれたからこそだ。禁止事項が 逆にヒントになった」 「お気に召しましたか、このパズル?」 「素直すぎるきらいはあるが、なかなかの良問だった」 その言葉は世辞ではないようだ。先輩は満足げに首肯している。そうしてお もむろに云った 「今度は僕から出題していいかな。オリジナルじゃないんだが」 パズラー、特にプロポーザーとしての資質が疼いたか、先輩が云い出した。 無論、僕らに異存があるはずもない。先輩は少し上目遣いをして、何かを考え ているようだ。やがて、「百田君、君の手元のマッチ棒をもらうよ」と、僕の 前にあったマッチ棒十二本を取り、最初から先輩の前にあった十二本と合わせ た。 それから急に席を立つと、通路側に出た十文字先輩。何をするんだろうと思 っていたら、マッチ棒を並べ始めた。そうか、テーブルにつく全員にとって見 易いよう、位置を変えたんだ。 「これでよし」 数式ができあがっていた。僕らから見て、9−5+6=8と読める。各数字 は、いわゆる電卓数字表示だ。計算すると、すぐに成り立っていないと分かる。 「この数式を成立させるには、マッチ棒を最少で何本動かす必要があるだろう か? プラスとマイナス、それにイコールの部分は触ってはいけないものとし て考えてほしい」 「当然、ここに新たにマッチ棒を加えたり、使わないマッチ棒があってはいけ ないと?」 三鷹さんが即座に質問した。「そうだね」と先輩。続いて七尾さんが、小さ く挙手して尋ねる。 「あの、プラスとマイナスを触ってはいけないというのは、全く動かしてはい けないという意味ですか。つまり、たとえばプラスを少し斜めにして、かけ算 の記号にするとか」 「ああ、なるほどね。そういうのもなしで頼むよ」 「そうですか……。プラスとマイナスを入れ替えたら、すぐなんだけどな」 七尾さんのつぶやきに、誰もが頷いた。プラスの縦棒を取って、マイナスに 重ねてプラス記号にすれば、9+5−6で答は8だ。でも、これはだめらしい。 「ということは」 音無が手を伸ばし、式の一点を指さした。 「この6の左下の一本を取って5にし、取ったマッチ棒を手前の5の左下に置 いて6とする。これで9−6+5=8になる。どうですか?」 声に合わせて指を動かした音無。ちょっと見とれてしまった。 「確かに成立するね」 十文字先輩はそう認めたが、何故か意地悪そうな笑顔になっている。 「だが、残念ながら最少の本数じゃないん」 「ええ? 一本しか動かしていませんが」 声の大きくなった音無。そこへ三鷹さんが、すかさず云う。 「一本も動かさずに、成立させる方法があるんですよ」 「その通り」 にやにやとチェシャ猫のような笑みを見せた十文字先輩。 「まだ掛かるようですね? 私は一服してきます」 運転手の田中さんが席を立ち、先輩の後ろを通った。すると不思議なことに、 先輩は笑みを消して、テーブルに身体を密着せんばかりに寄せた。まるで、マ ッチ棒パズルを田中さんに見せまいとするかのようだ。 それでも田中さんからは見えたらしく、テーブルの上を一瞥すると、軽く首 を傾げてから通り過ぎ、店外へ出て行った。 「おお、危なかった」 先輩はわざとらしく云い、胸をなで下ろす。ひょっとすると、今の動作もパ ズルのヒントではないか? そう直感した僕は、田中さんからはパズルがどう 見えたかを思い描いた。 と、次の瞬間、「あ、分かった」と呟いていた。 「ほう。百田君、答えてみてくれ」 「一本も動かさずに式を成り立たせるには、こうすればいいんです」 僕は立ち上がり、通路に出た。それから先輩と同じ方を向く。 「どういう意味だ?」 音無がその瞳を怪訝さいっぱいにする。ちょっといい格好ができると気付い て、緊張した。 「逆から見れば、この数式、そのままで成り立つ」 そうなのだ。天地を逆にすれば、式は8=5+9−6になる。田中さんがさ っき首を傾げたのは、何が難しいんだと思ったせいかもしれない。 コンマ数秒後、おおーっという感嘆が起きた。なかなか気持ちがいい。 「さすがだ、百田君。僕のそばにいて、成長したのかな」 先輩は短く拍手しながら云った。冗談なのか本気なのか分からない。 「ただ……それだけかい?」 「それだけ、とは?」 「君の答は合っている。だが、正解の一つに過ぎない」 「まだあるんですか?」 「うむ」 「しかし……一本も動かさずに、成立させる方法が他にもあるなんて」 「方法と云うよりも、解釈の仕方だね。ヒントを出そうか」 先輩は窓の外を見てから云った。多分、田中さんがどのぐらいで吸い終わり そうかを計っているのだ。 「お願いします」 「そうだな、電卓数字であることがヒントだ」 出題者の言葉に、しばらく考えを巡らせる。二分経ったかどうかの頃、三鷹 さんが口を開いた。 「数を数と認識せず、形や集合体として捉えることで、解決できます?」 「小難しい表現だねえ。うん、まあそれで合っているかもしれないな」 「だとしたら、こういう解釈はいかがでしょうか」 三鷹さんは音無と同様に、ぴんと伸ばした指でマッチ棒の数式を示した。 「各々の数字を形として見なす、すなわちマッチ棒の並びと捉えれば、9は六 本のマッチ棒からできています。同様に、5はマッチ五本、6はマッチ六本」 面白い見方だと感じた。しかし、6−5+6では8にならない。 「さらに、マッチ棒の位置にも着目します。そう、まさしく電卓の液晶に表示 される形として。すると、9の形から5の形をマイナスする――言い換えると 取り除く、ですよね――右上の縦棒一本が残ります。そこへ6の形をプラスす ると、右上の空白が埋まり、8の形になります」 「ご名答。複数通りの正解があるパズルは珍しくないが、本問は作者が出題時、 正解を一つしか認識していなかったんだ。予期せぬ正解が見つかることを、そ のパズルが『パンクした』と表現するんだけど、僕がそのことを知った事例が このパズルなのさ」 「ふうん。どっちが作者の用意していた正解だったんですか」 七尾さんの質問に、「どっちだと思う?」と返す先輩。 「普通に考えると、より簡単に思い付けそうな答だから、逆さまに見る方?」 「それが、逆なんだ。作者は電卓文字の方を正解のつもりでいた。用意してい た物よりも、もっとシンプルな正解を見付けられる方が、よりパンク度が高い と言えるかもしれない。どうしてこんな簡単な答を思い付けなかったんだ情け ない、とね」 解説し終わったところへ、田中運転手が戻ってきた。 思わず、声が漏れる。 「おお、凄い」 音無の別荘は大きかった。 事前に、コテージ風の建物を想像していたから、尚更だ。今、眼前にあるの は、明治か大正の香りを感じさせる、洋館である。多分、二階建て。「多分」 というのは、窓のサイズが大きく見えるし、装飾が凝っているため、区切りを 判別しづらく、断言できないのだ。 隣の家、なんて物も見当たらず、山肌に建つ一軒家といった趣だ。 「最初に伺った折に、自分も予想外だと感じました」 三鷹さんも同感だったらしい。よかった、仲間がいて。 「音無さんのお人柄から推して、純和風の日本建築が拝見できると思っていま した。それがこのような洋風の建物とは驚かされました」 え、そっちの方。 「自宅が日本家屋であるから、こちらも同じにしてはつまらぬと考えた、祖父 からそう聞いている。が、正直なところ、私は自宅の方が好きだ」 だろうな。音無は椅子に腰掛けるより、畳に正座する方が似合う。服はドレ スよりも着物……等とそれぞれの場面を想像していると、中へ通された。 「両親は不在です。後日――二日後の昼に来る予定なので、皆とはすれ違いか、 顔を合わせるとしても極短い時間になるはず」 音無が十文字先輩に告げるのが聞こえた。少し、緊張が解ける。 「ただ……兄は早めに来ると云っていたので、もしかすると、今日にも姿を見 せるかもしれません」 「へー、お兄さんがいるんだ?」 音無は主に十文字先輩を相手に話しているのだが、僕は割って入った。 「ああ。云ってなかったから、知らぬのは無理もない。だいたい、積極的に紹 介したいと思える人種ではないのでな、真名雄(まなお)兄さんは」 「マナオ?」 どういう字を書くのかと問うと、真の名の英雄、と教えられた。 「紹介したくないとは穏やかじゃない。何か事情でも?」 先輩が尋ねる。音無はしばらく黙していたが、程なくして意を決した風に口 元に力を込めるのが分かった。 「――顔を合わせたときに驚かぬよう、前もって伝えておきましょう。兄は、 まず、髪の毛が黄色です」 「は?」 「私が前回会ったときは、そのように染めていました。音楽を、バンドを趣味 としているせいらしいです。背が190センチほどあるように見えるかもしれ ませんが、その場合、シークレットブーツで底上げしています。実際はそれで も185センチ近くあるはずですが。年齢は、もうすぐ二十一。まだやめてい なければ、一応、大学生。腕っ節は強いが、気は優しい方です。少々、だらし ないところもあります。あらゆる面で、移り気というか……」 列挙する内に声が小さくなる音無。つらいのか恥ずかしいのか。聞く限りで は、ちょっと変わったお兄さんて感じだけれど、音無家の家風には確かに合わ ないとも思える。 「兄のことはこれぐらいにして、あとは来てからでいいでしょう。部屋に案内 します」 気を取り直した風にかぶりを振って、音無はポニーテールを揺らした。彼女 自ら案内してくれるようだ。先輩と僕は荷物片手に付き従い、二階へ向かう。 階段を上りきったところで右に折れると、廊下が続いている。その左右に部屋 が三つずつ。廊下を挟んで部屋のドアが向き合わないよう、少しずらして配置 されている。 「十文字さんは一番奥の部屋、百田君はその隣の部屋を」 「ありがとう」 「鍵をお渡ししておきます。スペアはありますが、大切に扱ってください」 革のストラップ付きのキーを受け取る。旧い代物なのか、結構、無骨な感じ の鍵だった。 「鍵、必要かな?」 「念のためです。あ、今は開けてある」 鍵穴にキーを差し込もうとした僕に、音無が声を掛けた。なるほど、ノブを 回すと、ドアはすっと押し開けることができた。 「テレビやパソコンはありません。どうしても必要でしたら、運び込むことも できますが」 「いや、いいよ。ただ、ニュースや天気予報のチェックぐらいはしたいな。ど こかでテレビ、見られないのかな」 「居間に一台、食堂に一台あります。要するに、共用ですが」 「充分だよ。それよりも、僕にはこの部屋になくて寂しい物が別にある」 十文字先輩が目配せしながら云うと、音無は戸惑ったように眼を泳がせた。 室内を覗く仕種をしながら、「な、何が不足でしょう?」と問う。 先輩は笑いながら答えた。 「ドアの上の方にね。プレートがあったら気分が出たんだが。そう、部屋番号 を示すプレートがね」 何とも、名探偵っぽいジョークだ。でも、音無は真面目に受け取ったらしい。 「宿泊施設ではないので、部屋番号は付けられていません。しかし、どうして も必要でしたら、テレビと同様、用意できると思います」 「いやいや、大丈夫。冗談だよ。音無さん、我々を緊張させまいと気を遣って くれるのは、うれしいよ。でも、代わりに君が緊張しちゃあ意味がない。気疲 れで参ってしまうぞ」 「はい。すみません」 まだ完全に緊張を解いた訳ではないようだけれど、率直に云われて、少しは 肩の荷が下りた。そんな感じに見えた。 「それで、このあとはどうするんだろう? 部屋で休んでいていいのかな」 「今日このあとは特段、予定を立ててませんので、自由に過ごしてかまいませ ん。三時頃にお茶の時間を設けているくらいです。あとは夕食が七時に。ああ、 外に出るときは、声を掛けてください。連絡が取れるとは云っても、急に姿が 見えなくなると不安になりますから」 「分かった。それじゃ、早速だが、外出するとしよう。天気も雨は去ったよう だし、この別荘の周りを歩いてみたい。おっと、案内はいらないよ。迷子にな るようなジャングルや、危険な底なし沼なんかがあると云うなら、話は別だが」 「そんな物はありませんが、三時までに戻ってくださいね」 「了解した。百田君はどうする?」 不意に聞かれて、即答できなかった。事件の依頼を受けたときなら、僕も成 り行き上、先輩と行動を共にすることが多いけれども、今回の旅行では音無の 近くにできるだけいたいような。 「お供しますよ」 第一希望と違うことを口にした訳は、僕も別荘の周囲を見ておきたいと思っ たからだ。音無の別荘に招かれるなんて幸運、次にあるとしても、何年後にな ることやら。 真夏とは思えぬ快適さ。雨上がりのため、多少の湿気を覚えなくもないが、 緑の中を半時間ほど歩き回ったにしては、汗はほとんど出ていなかった。 「それにしても意外でした。先輩がこんなに自然好きだなんて」 「自然が格別に好きという訳じゃない」 ちょっとした小川、せせらぎに出て、手頃な石に腰を下ろして僕らは話をし ていた。 「環境を普段と変えるのは、謎解きで疲れた心身をリフレッシュできるし、パ ズルのヒントを見付けられる期待もある」 「のんびりするのなら、釣り道具でも用意してきたらよかったかもしれません ね。さすがにそこのせせらぎじゃ小さすぎるでしょうが、適当な川か池が近く にありそう」 「君は釣りをするのかい」 「したことは何度かあります。趣味ってほどじゃなく、ほんの遊び感覚で。最 初の頃は、釣ってやろうと躍起になっていましたが、段々と悟ったというか、 文字通り、のんびり構えるようになりましたね」 「骨休めには、なかなかよさそうだ。しかし、僕の一つ下の若い者が、そんな 老成した物言いはどうかと思うぞ」 「老成はひどいなあ。それなら先輩だって、割と時代がかった言葉遣いをする じゃないですか」 「あれは名探偵を目指しているからさ。形から入るってやつだね。言葉遣いと 云えば、あの三人の女子も相当、特徴があるな」 「三人て、音無さんと三鷹さんと七尾さんですか」 「他に誰がいる」 「いえ、僕と先輩共通の女子の知り合いって、他にも個性的なのが多い気がす るので」 たとえば一ノ瀬とか。 「認める。だが、今、三人の女子と云えば決まっているじゃないか。もしや、 君。音無君のことを話題にされたくなくて、とぼけたんじゃないだろうね」 「とぼけてなんかいませんよ。そもそも、音無さんの話題を避ける理由があり ませんたら」 「そうか? 音無君が僕に好意を抱いているように映って、気にしているんじ ゃないのかな?」 「そ、それは……ないと云えば嘘になりますが」 「心配しなくとも、今回の招待は、純粋に彼女からのお礼だ。僕に対して音無 君が過度の緊張を覗かせるのも、彼女の性格故だろう。この二泊三日が過ぎれ ば、きちんと礼をしたとして、普通の接し方になるはずとにらんでいる」 「でしょうか。だといいんですが。僕にとっても」 あ――っと、口が滑った。僕の音無への好意を、先輩が察しているのは間違 いないとは云え、認めるようなことをこっちから喋りすぎると、弱い立場がま すます弱くなる。 「どうだろう、百田君。僕に依頼をしてみないか」 「何をですか」 不意に立ち上がった先輩を、僕は見上げた。逆光で分からないが、今の先輩 は多分、例のいたずらげな笑みを浮かべていそうだ。 「君と音無君との仲を取り持つことをさ。恋のキューピッドなんて、僕も経験 がないから、いかに名探偵でも成功の確約は無理だがね」 「……お断りします」 先輩の能力云々ではなく、自分の力でやりたいじゃないか、こういうのって。 と、僕も立ち上がって答えたとき、せせらぎとは反対方向から声がした。 「十文字君に百田君、そっちにいるかー?」 呼んでいる声に、僕らは聞き覚えがなかった。顔を見合わせている間に、足 音が近付くのが分かる。じきに、少し高くなった土手の上に、茶色のサングラ スをした男性の姿が。 「ああ、いるじゃない。君達だろ、十文字君に百田君てのは?」 「あなたは?」 先輩が誰何する。相手は僕らより少し年上、二十歳前後くらいか。体格はか なりいい。もちろん肉付きは分からないが、バネのある格闘家タイプのように 思える。 男は僕らを見下ろしながら云った。 「音無亜有香の兄、真名雄だ。聞いてるよね?」 「ああ……」 髪の毛は黄色じゃなかったが、云われてみれば兄と妹とで似ている箇所があ るようなないような。 「迎えに来た。さっき別荘に着いたら、もうすぐお茶の時間だと云うのに、君 らが戻ってないから、探しに来た訳。車があるから、すぐだ」 「あの、どうしてここにいると分かりました?」 「あん? 適当に探したら、足跡があった。何だ、疑ってる? さすが探偵だ なあ。ほら、免許証」 向こうは僕らを信用しているらしく、運転免許証を投げてよこした。そこに ある顔写真と、当人とを見比べる。髪型は全然違うが、確かに同じ人物だ。氏 名の欄には、音無真名雄とある。 「信用したか?」 「しました。どうも、初めまして」 先輩と僕は自己紹介をした。 別荘に引き返すと、すぐにティータイムとなった。その席には、真名雄さん の他にもう二人、新しい顔が加わっている。ともに真名雄さんと同じ大学に通 う友人とのこと。 「高校生探偵が来てるっていうから、楽しみにしていたのよ。面白い話が聞け そう」 芝立香(しばたてかおる)は、やや舌足らずな物腰で云った。髪のせいで頭 部が逆三角形に見えて、ダチョウのそれを想起させるフォルムなのだが、目鼻 立ちは整っている。見慣れれば美人と分かる、そんな感じ。座ったままだけど、 多分、スタイルもよいのだろう。黄色を主としたサマードレスが似合っている。 少し寒そうだが。 「矢張り、家族や知り合いに警察関係者がいるとか? ドラマや漫画でよくあ るみたいに」 笹川亜久人(ささがわあくと)、丸顔で太って見えるが、喉仏が出ている身 体の方は痩せているのだろうかと想像していると、ちょうど立ち上がってくれ た。想像通り、細い。上はタートルネックタイプの白いシャツに薄紅色のジャ ケットを羽織り、下はパンタロンみたいな黒っぽいズボンに大ぶりなバックル 付きの革ベルトを通していた。袖から覗く腕時計は、全体が黄色をした安物の ようだ。おしゃれが成功しているのかどうか、微妙な線。 「いるにはいます。でも、警察の捜査情報を、ぺらぺら喋ってはくれませんね」 「だろうな」 十文字先輩は、この席で与えられた役に快く応えるつもりのようだ。 さて、僕はと云えば、密かに喜びをかみしめていた。やっと音無の私服姿を 拝めたので。 上は眩しい程の白いブラウスに、葡萄茶色のリボンが首元にアクセントを施 す。下は黒のスカートのようだ。少し古いドラマに出てくる、音楽教師のイメ ージが浮かんだ。教師っぽくないのは、スカートが若干短めであること。さっ き、靴下を直すふりをして確かめた。 「――百田君、君から話してくれないか」 「え?」 聞いてなかったのが丸分かりの反応をしてしまった。話し掛けてきた先輩が、 やれやれと云わんばかりに肩をすくめ、もう一度繰り返してくれた。 「今までに携わった依頼の中で、話しても差し支えのないもの、さらにここに いる皆さんが知らないようなものを選んで、君の方から話してくれないか」 「あ、はい」 そうだった。名探偵が事件を自ら語るとは限らない。下手すると、ただの自 慢になってしまう。そういうことを十文字先輩も意識していて、普段、打ち合 わせをしていたのに忘れていた。 「僕が関わったのは、どれもまだ起きてから日が浅いですから、語れるのは少 ないですが、一つだけ……」 そうして、僕は語り始めた。こういうときのために話せる、架空の事件につ いて。 お茶会は意外と長く、二時間余りも続いた。僕の語りが終わったあとも、話 題は多岐に渡り、真名雄さん達の話に聞き入ってしまった。素人の感想だけれ ど、真名雄さんは喋りがうまいと感じた。 お手伝いさんらしき女性が食堂に顔を出し、そろそろ夕飯の支度に掛かるこ とを伝えに来てくれたので、それを機にようやくお茶会は終わった。 「あーあ、どうしよう。思ってもいない展開〜」 部屋に戻る途中で行ったのは、七尾さん。 「マジックをやるつもりじゃなかったから、あんまり準備してないのに」 夕食後、マジックを披露してくれと真名雄さんにせがまれ、押し切られてし まったのだ。 「プロだったら、いざっていうときに備えて、常に準備しているというけれど、 僕はまだそこまでの器じゃない」 「すまない。兄はああいう性格で……本人は、頼まれてもできなければきっぱ り断るんだが」 音無が項垂れながらも詫びた。続いて口を開いた三鷹さんは、対照的に明る く云う。 「よろしいんじゃないですか。ある物だけを使って、精一杯やれば」 「他人事だと思って」 「何でしたら、自分も協力を惜しみません。必要なときは声を掛けてください。 サクラにでも何にでもなりましょう」 「……考えておきますから、声を小さくしてください」 夕食が予定されている七時まで、一時間半ほどある。それなりに見られるシ ョー構成を考え、準備を整えるのに充分なのかどうか、僕には分からない。 「十文字さんと百田君は、先にお風呂、どうでしょうか?」 音無に云われて、僕と先輩は目を見合わせた。 「二人一緒に?」 「一人でも、二人でも。広さは問題ないはず」 「――百田君は普段の入浴時間、何分ぐらいなんだ?」 「えっと、二十分くらいですかね」 「僕も同じぐらいだ」 だから一緒に入ろうということなのかと、ちょっと焦った。時間がないのな らともかく、一時間半あるのだから、一人で二十分を要しても問題あるまい。 「どちらが先に入る?」 あ、順番を気にしていたんですか。 「先輩が選んでくださいよ。冬場なら一番風呂より、二番以降の方が暖まって いていいと聞きますけど」 「ここの風呂は、室温の制御もできる」 これは音無。僕は苦笑を浮かべ、頭を掻いた。 「じゃあ、先に入るとしよう。僕が入っている間、みんなで楽しく遊んでくれ たまえ」 そう云われて、僕は約二十分間、女子三人に囲まれる場面を想像した。 無論、実際はそんなことにはならない。七尾さんはマジックの構成を考える のに一生懸命だし、三鷹さんは七尾さんに頼まれたら協力する気でいるから、 落ち着けない。残るは音無だけだが、いきなり二人きりになっても何が起こる という訳もなく。 「百田君、護身術の心得は?」 「知ってると思うけど、何もない。せいぜい、格技の授業ぐらいだよ」 「前と変わりなしか」 応接間みたいな部屋で彼女と二人になったけれども、何故かこんな話を始め ていた。 「十文字さん自身は、武術か何かを身につけているのだろうか」 「いやあ、聞いたことない。シャドーボクシングって云うのかな? ボクシン グのパンチを出すポーズを、暇なときはよくやっているけれど」 先輩自身の弁によると、シャーロック・ホームズがボクシングを身につけて いたことに影響を受けたらしい。先輩のボクシングの腕前がどれほどのものか は、全くの未知数。 「探偵を続けるのなら、護身術の一つでも習得しておくべきだと思う」 「同感だ」 「私が云っているのは、君のことだ。同道する機会が多いのであれば、君が十 文字さんの足手まといになってはいけない。身を挺して先輩を守りなさいなん て、もちろん云わない。自分の身は自分で守る、これが鉄則」 「……そうだよね」 はっきり云って、僕は先輩に半ば巻き込まれる形で、強引にワトソン役に収 まってしまった。だから、悪漢と対峙して身を守るなどという発想は、ほとん どなかった。だが、必要を感じなかった訳でもない。実感がなかっただけで、 十文字先輩の身に降りかかったいくつかの危険を思い返せば、自分は危険な目 に遭わないなんて楽観論、とても持てない。 「ひょっとして、何か有効な剣道の技を教えてくれるとか?」 「いや、私は……。兄が格闘技をやっているそうだから、聞けば教えてくれる と云いたいだけだ」 「ええ? 真名雄さんが格闘技って、そんなこと全然聞いてないんだけど」 「ああ。私も今日、兄の口から初めて聞いた。移り気故、どれほど続けている のか、はなはだ怪しいが、あの体格であるし、そこそこ使えるらしい」 「教えてもらえるのはありがたいけれど、風呂の前は遠慮しておくよ」 「それはそうだ。……素人が刀剣を手にして戦わざるを得なくなった場合、一 般に有効とされるのは、突きだ」 「え?」 「無闇に振り回したり、振りかぶるよりはましという程度だが、相手が使い手 でない限り、逃げるまでの時間稼ぎにはなるだろう」 「――分かった。いざというときのために、心に留めておくよ。ありがとう」 「言葉で教わっただけでは、だめだ。練習し、身体で覚えることこそ肝要」 厳しい口調だったけれども、心配してくれているのが伝わってきた。僕は再 度、礼を述べた。 ――続く
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「●長編」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE