●長編 #0416の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
夜になって、右足首は河田玉恵だと断定されたとの報道があった。彼女の部 屋にあった何らかの身体的資料と、小屋で見つかった右足首のDNAが一致し たということだろう。やけに早く鑑定結果が出たようだけれど、かつての誘拐 被害者が猟奇的な犯行に巻き込まれた恐れありと見て、最優先で行われたのか もしれない。 「右足首が河田玉恵の物となると、とりあえず二つの可能性を検証しなければ いけない」 十文字先輩は夜遅くに電話をしてきた。明日も学校があるのに、わざわざ掛 けて来るなんて、ワトソン役相手に喋りたくてたまらないんだろうか。 「一つは河田玉恵が死んでいる場合。これは、他殺か自殺か事故かに分けられ る」 「それ以外に何があるんです?」 「決まってる。二つ目は、河田玉恵が生きている場合だ」 「……云ってる意味が分からないんですが……」 「右足を失っただけで死ぬとは限らない。もしかすると、右足首を置いて死ん だように見せ掛け、実はどこかに隠れているのかもしれないってことさ」 「……」 この人は何て発想をするんだろう。いや、これぐらいの発想は名探偵なら当 たり前かもしれない。が、一介の高校生、それも女子生徒が実行するイメージ は、僕には持てない。 「医者、というか、医療の知識と技術を持つ者の協力がないと、死んでしまい ますよね」 「いなくても死なない可能性はあるが、いた方がいいだろうねえ」 「河田さんにそんな協力者がいたと? 信じられません」 「そりゃ今後調べることだよ」 「生存説を先に調べるんですか」 「無論。よりありそうにない仮説を先に潰しておけば、もう一つの仮説に専念 できる」 そう語る先輩の口ぶりは、ありそうにない仮説が真実の的を射抜いているこ とを期待する響きがあるように感じられた。 「どこから手を着けるんでしょう? 僕にできることは何があります?」 「一ノ瀬君に頼んでくれないか。市内及び近隣の病院で、少なくとも右足首を 欠損した女性が入院もしくは来院した記録の有無を調べるように。きちんとし た病院で治療を受けている可能性も皆無ではないからね」 「それってつまり」 ハッキングをしろと。 「それぐらいは警察がすでにやってるのでは」 「いやいや、分からないよ。報道を見聞きする分には、ほとんどの場合、遺体 と表現している。警察が右足首の持ち主の死亡を確定事項として扱っている証 拠じゃないかな。恐らく、現場に残された灰からもそれが人体であることを示 す証拠が出たんだよ。河田玉恵の死亡を前提に動いている警察が、右足首をな くした女性を捜すとは思えない」 「仮に入院しているとして、病院は河田玉恵の身元を把握した上で治療に当た るのが普通でしょう。ならば、警察に届けるはず。そうなっていないのは、病 院が河田玉恵を匿っていることになりませんか。だとしたら、ばか正直に記録 しているとは考えにくい気がするんですけど」 「名前や年齢等は変えたとしても、症状についてはありのままを記録するはず だ。でないと、治療や管理がしづらい」 理屈は分かった。それにしても方法が乱暴だ。もう少し穏やかなやり方、た とえば河田玉恵が関係したことのある病院をピックアップするとか。そこから 絞り込んでも充分なんじゃないかというニュアンスの意見を述べた。 「やるのは一ノ瀬君だ。彼女のやり方に任せればいい」 「分かりました……」 「僕の方は、右足を河田玉恵のものだと判断するに到った過程を知ろうと思う。 五代君は動いてくれそうにないが、何とかなるだろう。それと同時並行して、 美馬篠高校へ出向き、河田玉恵の友人から話が聞きたい。百田君、同行を頼め るかな?」 美馬篠は早恵子さんの通う高校で、当然、河田玉恵もそこの生徒だったこと になる。僕と先輩はこの六月、文化発表会を見物する目的で足を運んだ。そこ で事件に巻き込まれたのだが。 「女子を連れていった方が役立つんじゃありませんか。女子に話を聞くことに なるだろうから」 「誰がいるんだね」 「えーと、七尾(ななお)さんとか」 美馬篠高校に知り合いがいて、僕らとも顔見知りの一年生の名前を挙げた。 適任と思ったのだが、名探偵から即座に却下された。 「だめだよ。学園長から、事件に巻き込むのは万やむを得ない場合を除き、極 力やめるようにとお達しを受けている」 「あ、そうでした」 七尾弥生(やよい)の祖父は七日市学園のオーナー兼学園長。生徒の活動に ついて寛大で、たいていのことは口を挟まないが、孫娘が関わるとなると別。 危険を伴い得る探偵活動となれば、なおさらだ。 「百田君。どうも今回は非協力的だね。何か事情があるのかい」 「そういう訳では」 いつもいつも、十文字先輩から強引にワトソン役を押し付けられて事件に関 わっているようなものだ。もう慣れた。ただ、今回は、八月に待ち受ける“ご 褒美”――音無の招き――が頭にあって、身が入らないのかも。 「ならば、明日の終業式、美馬篠に行くぞ。夏休みに入ると、生徒を掴まえに くくなるからね」 勝手に決められてしまった。さすがに自校の終業式を休みはしないようだが、 果たして間に合うのだろうか。 「右足の件だが、比較に使われたのは毛髪だそうだよ」 携帯電話を切った十文字先輩は、今し方の通話内容を話してくれた。美馬篠 高校まで、あと徒歩三分といった地点に僕らはいる。 「河田玉恵の暮らすマンションの部屋から採取した物らしい。室内はきれいに 掃除してあったから、髪の毛を見つけるのも楽だったと言っていた」 「あの、誰からの情報ですか」 気になったことを尋ねる。五代先輩は柔道の合宿準備で忙しいし、そもそも 情報の内容から、電話の相手は携わった刑事という気がする。 「八十島(やそじま)刑事だよ」 矢っ張り。針生徹平が関わったとされる事件で捜査に当たった一人だ。今度 の事件の捜査にも加わっているのか。 「どうやって聞き出したんです?」 「早恵子さんにちょっとつついてもらった。親友の死を信じられない女子高生 として、身元確認の詳細を教えてくださいと、八十島刑事に頼んだんだ。そし てその報告がこちらに来るようにしてもらったのさ。ついでに、笠置なる女性 の行方が判明すれば、こっそり教えてくれる手筈になっている」 「なるほど」 美馬篠の校門前に着いた。当たり前であるが、とうに終業式は済んでおり、 何割かの生徒は帰宅したあとであろう。 「入る前に聞いておきたい。百田君の方の成果は?」 「あ? ああ、まだです。一ノ瀬は旅の準備で大わらわみたいで、こっちが頼 んだときも生返事でしたから、ちゃんとやってくれてるかどうか」 「今日、クラスで話をしなかったのかい?」 「朝はやり残したことがあるとかで、コンピュータ室に籠もりきり。終業式が 終わると、さっさと帰ってしまいました」 「やれやれ。彼女には彼女の事情があるとは言え、参ったな。出発は八月頭だ っけ? まだ日数があるが、期待しない方がよいだろうね」 苦笑を浮かべた名探偵は、今一度美馬篠高校の本館校舎を見上げると、足を 進め始めた。学校への出入りにチェックが厳しい昨今だけれども、学生服姿だ とハードルが下がる。 「ところで、こんな時間に来ても遅かったんじゃないですか。クラスは分かっ ていても、どれだけの人が残っているか」 「手抜かりはないよ。早恵子さんに頼んでおいたから、何名か集めてくれてい るはずだ」 それならそうと言ってくれればいいのに。まさか、僕を付き添わせるために、 わざと伏せていたんじゃないだろうな? なんて考えてる内に、三年二組の教 室に到着。ここって確か、早恵子さんのクラスだ。 開け放してある戸口から顔を覗かせ、「失礼します」と様子を窺う。室内に は三人が残っていた。一人はもちろん早恵子さんで、あとは男女が一人ずつ。 「二人ともこのあと予定があるそうだから、手短にお願いね」 挨拶もそこそこに、早恵子さんは河田玉恵の友人二人を手で示した。まずは 自己紹介。先にこちらが順に名乗って、今日の訪問の目的を伝える。 相手は男の方が小比木進次郎(おこのぎしんじろう)といい、三年生なのに 背は僕より若干低いぐらい。身だしなみに気を使っているのが分かるが、生白 くて痩せているせいで、ともすれば病人じみて見える。女の方は稲沢梨穂(い なざわりほ)といい、小比木とは対照的に日に焼けて健康そのものといった印 象。瓜実顔の早恵子さんに対し、丸くて愛らしい顔立ちをしている。おでこの 左端にあるニキビを気にしてか、そこを手のひらで隠す仕種を繰り返す。 全員が適当な椅子に座ったところで、質問開始。 「最初に早恵子さんに聞きたいんですが、どういう基準でこのお二人に残って もらったんでしょう?」 十文字先輩の質問が意外だったらしく、早恵子さんは大きな動作の瞬きのあ としばらくきょとんとした。 「玉恵の友達で、特に親しかったのが梨穂――よね?」 当人に目を向け、確認を取るかのように云う。稲沢さんは「まあ、そのつも りだったけど。少なくとも誘拐に巻き込まれる前は」と応じた。僕は早恵子さ んの表情を窺ったが、特段の変化は見つけられなかった。 「小比木君は、玉恵と小学校からずっと同じで、いわゆる幼馴染みってやつ。 別に付き合ってた訳じゃないけど、男子の中では一番玉恵と話をする仲だった」 「そうだね」 小比木さんは外見に似合わない、低音の渋い声で答えた。声優向き。 「事件後、近所だし見舞いに行ったよ。男子では自分だけかな。けど、笠置っ て人が現れるようになってからは、もう大丈夫かなと思って、やめた」 「笠置さんに会っているんですね?」 小比木さんは「一度きりだけどね」とうなずき、稲沢さんは「私は玉恵から 話に聞いただけ」と答えた。そして言葉を重ねる。 「占いがよく当たるって。笠置って人が云うには、占う側と占われる側の類似 点が多いほど、当たりやすい。体型や生年月日、血液型、好みの色や食べ物と かね。実際、玉恵と笠置さんは靴のサイズや血液型が同じだったんだって」 占い好きな女性は多いが、それでも河田玉恵と笠置なる女性が意気投合して いる様が想像できる話だ。 先輩は大きく頷き、質問の相手を変えた。 「それじゃ小比木さん、笠置さんの印象はどうでしたか」 「どうと云われても……河田さんのお姉さん的存在? いや、これはあとから 河田さんが好印象を持っていると分かったから、その影響を受けてる気がする。 ただ、似た空気感を持ってたのは確かだ。顔や髪型は全然違うが、身体の輪郭 が近いっていうか」 「旅行中の笠置さんが、次に向かう予定なんて、聞いてはいませんか」 「そこまでの話はしなかったな」 予想通りの答。笠置なる女性と複数回会った早恵子さんでも分からないのだ。 一度会っただけではまず無理だろう。 「お二人から見て、最近の河田さんに何らかの変かを感じたことは? ただし、 ネットでの中傷を見て落ち込んでいたという点は除いて」 「うーん……その落ち込みから回復しつつあったように見えた」 「そうね。二学期からまた出て来るつもりと云っていたし」 小比木、稲沢の順に答える。と、稲沢が思い出したように付け加える。 「あ、そう云うのを聞いて私が、二学期まで待てない、夏休み中に海にでも行 こうよって誘ったら、まだ海みたいなとこはちょっとって感じだったわ」 「人目が多いのはだめということ?」 十文字先輩が聞く。 「多分。でも学校には来るつもりだったんだから、知らない人の目が多いと怖 さを感じるという意味かも」 「なるほど。分析的だ」 「だから私、だったら川にしようって。五月の半ばに行った話を持ち出したら、 玉恵、何かもう懐かしそうにしてた」 「川っていうのはN川のことで、ここから少し北東に行ったところにちょっと 開けた場所があるの」 早恵子さんが補足した。N川なら知っている。我が校の生徒の仲にも足を伸 ばして遊びに行く者がいる。僕は行った経験ないけれど。 「その川に、特別な思い出でも?」 「特別ってほどじゃないわね。記憶鮮明だったからじゃない? 玉恵、あのと きは絵の具を踏んづけちゃったし」 「絵の具?」 意表を突く単語に、先輩も僕もおうむ返しをしてしまった。 「河原で絵を描いてる子がいて、ああ、確か七日市学園の一年生だった。うち らは裸足になって、水辺できゃあきゃあやってたの。で、何の弾みだったか、 追いかけっこみたいになって……絵を描いていた子はちょうど、絵の道具の所 から離れていたのね。それで玉恵が絵の具を踏んづけて、しかもその足で画用 紙まで踏んで」 どたばたコメディか。これでバケツに片足を突っ込んで、川の中へ転倒した ら完璧だ。 僕は十文字先輩を見た。名探偵としてはこんな寄り道をせず、先に進みたい と考えるに違いない。そう思ったのだが、案に反して、先輩は顎に手をやり、 沈思黙考のポーズ。関心を持ったようだけど、一体どこに? 「――十文字君?」 黙り込んだ先輩に、早恵子さんが声を掛ける。先輩はさらに五秒ほど沈黙を 通し、やおら口を開いた。 「河田さんが絵の具を踏んだ足は、左右どちらでしたか?」 「え?」 「役立つかもしれないことなんです。意識して覚えてはいないでしょう、。で も、当時の状況を思い描き、どちらからどちらの方向に走ったか、絵の具を踏 んだあと、河田さんはどんな風に行動したか、イメージしてもらえればきっと 思い出せる」 「そう?」 自信なげな稲沢さんだったが、目を瞑り、十文字先輩に云われた通りに思い 返したのだろう。やがて答を出した。 「……右、だった気がする」 十文字先輩は聞いた途端、「それはラッキーだ」と手を打った。 美術の特待生はそれなりの数がいるが、一年生には三名だけ。だから調べる のは簡単だった。無論、一般の生徒が趣味で絵を描きに出掛けていたとも考え られるけど、優先順位は勘案しないとね。 「それなら六本木さんに間違いない」 最初に聞いた一年の美術特待生が、あっさり断定した。「色んな手法を試す のは、彼女だけだから。他は誰も水彩をやらない」という。 絵を認められて入ったのなら夏休みも学校に来ていると思い、どこにいるか と尋ねたら、普段から来ないことの方が多いとの返事だったからびっくり。 「病気がちなのかな?」 「ううん、それはない。世捨て人とか自由人て呼んでる人がいるくらい、行動 が勝手気ままで、分からないんだ」 しょうがない。住所を調べるも、直接会うのが早そうだ。電話連絡網がない ため、住所を把握するのも一苦労。そこへ助け船を出してくれたのが、七尾さ んだった。学園長の孫として、不登校気味の生徒を放ってはおけないとの名目 で、住所と電話番号を聞き出して、僕らに教えてくれた。 「美馬篠高校には、僕の友達もいます。大切な奇術仲間のみんな。同じ高校の 生徒が巻き込まれる事件が相次いで、大なり小なり、不安に駆られていると思 う。一刻も早く、安心できるようにしてください」 七尾さんはそう云って、十文字先輩に解決を託した。 こんな成り行きを経て、まず六本木家に電話を入れたのだが、音信不通が続 いた。 「嫌な予感がするぞ。家族揃ってレジャーに出掛けることだって、充分に考え られる」 先輩はそれでも該当住所への訪問を即断し、行動に移った。電車とタクシー を乗り継いで着いてみると、少しばかり圧倒されてしまった。そこには古めか しい屋敷があったのだ。レンガ造り風の洋館で、敷地内に生える木々が建物の 周囲を鬱そうと飾り、そのせいか二階建てなのに三階建て以上の大きさに感じ られる。 「お金持ちっぽいですね。ここから見ると、車を停めるスペースが二台分はあ ります」 門から中を覗きつつ、庶民的な感想を漏らす僕。先輩は僕を無視して、何や らきょろきょろ。利き手の人差し指がボタンを押す形になっているところを見 ると、インターフォンを探しているようだ。 「ないな。勝手に入れってことらしい」 と、勝手に判断した名探偵は金属製の格子門の隙間から手を入れ、閂を外す。 ぎっと短い軋み音を立てて、門はゆらりと外側に開く。 「防犯カメラも見当たらない」 あまり手入れされていない様子の石畳の上を歩きながら、玄関に辿り着く。 そこにもインターフォンや呼び鈴の類はなかった。代わりに扉にはノッカーが 付いている。蛇の意匠を凝らした、ちょっと不気味な代物だ。十文字先輩は意 に介さず、ごんごんと扉を叩いた。 「ごめんください!」 十五秒ほど無反応が続いたかと思うと、不意に扉が開けられた。白のエプロ ンをした若い女性で、第一印象はこの家のお手伝いさん風。 「真由さんに会いたいのですが、いらっしゃいますか」 僕が尋ねると、相手の女性は首を横に振った。矢張り不在なのか。そう思っ たとき、女性は続けて自らの耳を指差し、さらに両手の人差し指で小さなバツ を作った。 「あ――すみません、僕らは手話はできません」 あまりないシチュエーションに慌てたのだろう、十文字先輩は耳の聞こえな い人に口頭で応じた。すると女性はエプロンの前ポケットから、メモ帳と鉛筆 を取り出し、すらすらと書き付けた。それを僕らに見せる。 『くちびるの動きでおおよそ分かります。発声もできますが聞き取りにくいと 思います。お急ぎのようですから、私は筆談でよろしいでしょうか』 文を読んで、僕らは即座に「お願いします」と頼んだ。 「僕は六本木真由さんと同じ高校に通う生徒で、十文字という名前です。同じ く彼は百田君。僕の知り合いの身の上に関わることで、真由さんに会って確か めたいことがあります。真由さんは在宅ですか?」 心なしか、普段よりも口をはっきり動かす十文字先輩。女性は上がり框の方 を振り返り、すぐさま返事を書いた。 『お待ちください』 彼女が下がってから三分近く待たされ、閉ざされたドアを見つめていると、 不意に開いた。 「お待たせ。何か?」 ドアを開くなり、六本木真由(と思しき少女)は聞いてきた。小柄故、上目 遣いになっている。絵に取り組んでいたのだろう、肌のところどころに絵の具 の撥ねた痕跡が見受けられた。 明らかに急いている六本木さんに、十文字先輩は五月頃に彼女がN川の河原 で体験したであろうことを確かめた。もちろん、河田玉恵の写真を見せて、こ の人に間違いないとの答も得た。 「――それで、足跡の着いた紙を保存していないだろうかと思ってね」 「そんなことでわざわざ来るぐらいだから、よほどの事情が……。捨てたとは 思わなかった?」 六本木さんは一年先輩に対して、同い年の友達相手みたいな言葉遣いをする。 もしかして、先輩と認識していないのだろうか。 「望みは薄くても、確認しておきたいんだ。それで答は?」 「ある。絵になると信じて、閃くまで取っておくつもりだった」 答えるや、六本木さんはきびすを返して奥に引っ込んだ。今度はドアを開け 放したままであるせいか、どどどっという足音が聞こえる。じきに戻って来た。 「これ」 彼女が手にしていたのは、一冊のスケッチブック。厚紙でできた表裏の表紙 の間は、いやにすかすかだ。開いてみると分かった。他のページを全て取り払 い、足跡の着いた分だけを保管していたのである。 「下処理をしていない紙だったから、濡れて乾いたあと、しわになってしまっ てるけれど、大丈夫?」 先輩はその言葉に耳を傾け、次いで紙の上の足跡を凝視した。紙を水平にし て目の高さに持ってくると、顔を傾け、じっと見つめる。 「――充分。これを借りたいのだが、かまわないね?」 「何日ぐらいで戻るんでしょう?」 「うーん、三日あれば確実に返せる」 「了解しました。役立てば嬉しい、です」 六本木さんの視線が、先輩のカッターシャツの襟元に向いていた。刺繍され た学年章に気が付いたようだ。 「ありがとう。成果があろうがなかろうが、協力に感謝するよ」 十文字先輩は言い置くと、足早に外に出た。僕は六本木さんに黙礼し、続こ うとした。そこへ六本木さんの声が届く。 「留守にしているかもしれないから、そのときは預かっておいてほしい」 「――了解したよ」 「こんな手柄を立てられては、情報提供しない訳にいかないな」 喫茶店に現れた八十島刑事は、僕らのテーブルに着くなり、呆れ気味に云っ た。 「手柄ということは、絵の具による足跡の指紋は、現場にあった右足のそれと 一致しなかった?」 十文字先輩が尋ねると、刑事は「そう急かさんでくれ」と云い、ウェイトレ スにアイスコーヒーを注文した。お冷やを飲み干してから、やっと答えてくれ る。 「絵の具の足跡と、問題の右足は別人だ」 「矢っ張り」 「でもな、先ほどは手柄を立てられたと云ったが、是非とも確認しておかねば ならん点がある。あの画用紙に付着した足跡は、正真正銘、河田玉恵によるも のなのか?」 「友人の証言があり、あの紙の持ち主にも顔写真で確認済み。絵を得意とする から、観察力は確かでしょう」 「うーむ。認めざるを得んようだ」 アイスコーヒーが八十島刑事の前に置かれた。刑事が口を付けるのを見て、 僕もつられる形で、目の前のジュースをすすった。 「そうなると、別の問題が生じる」 「他人の足なのに、どうして河田玉恵と判断されたか、ですね」 「ああ。被害者の部屋、いや、被害者と思われる河田の部屋から採取した毛髪 を資料とし、検証したのだからな」 「つまらない小細工でしょう。部屋を一旦きれいに掃除した上で、別人の女性 の髪の毛を点在させたとすれば? 疑問は氷解します」 「そりゃ理屈だが、実際に可能だろうか? 血液型も一致していたんだ」 「血液型は調べればすぐに分かるから、問題にならない。部屋を掃除して新た に髪をばらまくのは、部屋の主が行ったと考えれば、さほど困難な作業じゃな い」 僕は持っていた食べかけのサンドイッチを、思わずぎゅっと握った。ある程 度予測できていたとはいえ、十文字先輩が河田玉恵関与説を明言したのは今が 初めてだ。 八十島刑事の方は、絵の具云々の話を知って間もないせいもあってか、僕以 上に驚いたようだ。 「……被害者と思えた河田が実は加害者だと云うのかね」 「仮説の一つです。共犯を強制されているのかもしれないし、河田玉恵に罪を 被せたい真犯人がいるかもしれない。ただ、現段階において、河田玉恵が犯人 である可能性は有力な説と見なすべきでは」 「うーん。その点はひとまず横に置いてだね、もう一つの問題がある。右足の 主は一体誰なのか」 「女性で、河田玉恵と血液型が同じで、靴も合うという条件に当てはまる人を、 僕は一人知っていますよ」 「えっ、誰だい?」 勢い込む八十島刑事。グラスを押し退け、前のめりになった。対する十文字 先輩はジュースを一口飲み、落ち着いた調子で応じる。 「その人で決まりって訳ではないが……前にも云った笠置という女性が、条件 にぴたりと当てはまります」 先輩はこれまでに聞き込んだことを、刑事に話して聞かせた。 「そんなことが……。とりあえず、納得した。当てはまるのは間違いない。事 件前から河田と接触を持っていた事実と合わせ、今まで以上に笠置某の足取り 捜索に力を注がんといかん。河田の行方も同様だな」 腰を浮かし加減にして、そわそわする八十島刑事。一刻も早く行動に移りた いのは明白だが、十文字先輩は素人名探偵の立場から、もう少し情報を引き出 そうと試みた。 「質問が五つほどあります。まず、発見に至る過程。鉄工所近くの小屋なんて 普通は誰も気に留めないような場所をどうして調べたのか。そもそも、河田玉 恵を捜すきっかけは何だったのか」 「発覚当日の未明、五時前後に、公衆電話から最寄りの警察署に直接、匿名の 通報があったと聞いた。『製鉄所に通じる線路に沿って歩いていたら、脇の小 屋から悲鳴が聞こえ、続いて火の手が上がった』というような内容を一方的に 喋ると、切れてしまったらしい。性別すら判然としない、くぐもった声だそう だ。製鉄所という言葉から、製鉄所正門へつながる大通りに設置されている公 衆電話に向かったが、すでに無人だった。ちなみに、そこから現場の小屋は見 えないし、五分は歩かねばならない」 「ふふっ。雨の中、歩いて公衆電話に辿り着き、一方的に切るなんて、怪しさ 満点だ。次、河田玉恵の携帯電話の記録、照会済みでしょうね? 何か判明し てないんですか」 「どこまで伝わっているのか知らないが、河田の携帯電話は現場に放置されて いた。右足発見当日は使われた形跡がない。着信は何件かあり、その内の一つ が笠置某からと推測されている。最後の使用は前日の夜十時過ぎで、笠置と思 われる番号からの通話だ。音声は残念だが記録されていない」 「右足の人物が死んでいるとしたら、死亡推定時刻はいつなのか分かるもので すか?」 「詳しくは無理だ。発見までの状況等を考慮し、当日の午前0時以降と云える 程度らしい。生体反応もはっきりしない。付け加えておくと、小屋に残ってい た灰や燃え殻は、人体一人分とするには若干少ないかもしれない。尤も、燃え 方次第であまり当てにはならないようだが」 「切断場所や凶器は見つかっていない?」 「残念だがまだだ。発見現場の近くと睨んでいるんだが、何しろ当日は大雨が 降ったからな。流されちまった恐れが強い。もういいな?」 八十島刑事は返事を待たずに席を立つと、伝票を掴んでレジに向かった。 「あまり有益な情報は得られなかったな」 急ぎ足で飛び出す刑事の背中を見送ると、十文字先輩は呟いた。 「切断面について、追加の質問が頭に浮かんだんだが、仕方がない」 ――続く
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