●長編 #0402の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
――テッドからの質問に対し、フロイダーはしばし思い起こす風にこめかみを 自らつついていた。程なくして記憶が鮮明になったようだ。難しい表情が明る いものに一変すると、すらすらと答え出す。 「あの人は普段の見目と違い、大変な剣幕、形相でした。私も圧倒されて、即 座に渡しましたよ」 「そうでしたか。じゃあ、異変が生じて以降、扉が開かれるまでの間、フロイ ダー先生はあの扉が内側から施錠されていたことを、確認したでしょうか」 「うーん……した記憶はない。だが、そこは重要ではないと思いますよ。内側 にいる人物には、鍵がなくても自由に開閉できるのですから」 「その通りですが、重要視しなくてかまわないんでしょうか……ん?」 首を捻ったテッドの視線の先、透明なガラスの壁越しに、巨漢の刑事が捉え られた。そのすぐ後ろには、眼鏡の刑事もいる。ともに見覚えがあった。 テッドは、刑事二人の登場に、これは幸運だと偶然に感謝した。追い出され ぬよう愛想よくしていれば、新しい情報を得られるかもしれない。と同時に、 こちらの推理をぶつけて反応を見たい気持ちも起きた。 「これは、ご苦労様です、アーリントン警部にセクストン刑事」 「……メイムさん。あなたの記事、読みましたよ」 「そりゃどうも」 すっくと席を立ち、テッドは握手を求めた。が、アーリントン警部はそれに 応じず、壁のように立ちふさがる。 「臨時増刊で雑誌を出すとは、売れると踏んだんでしょうな。事件の起きた当 日の様子を詳しくレポートされていて、なかなかに興味深かった。新しい発見 はなかったがね」 「はあ」 「それで今日はここに何用だ? 続報として紙面を飾る特ダネ探しかね」 「特ダネなら常に求めてますが、ここへ足を運んだのは、事件について語り合 ってみたかったからですよ。森での事件に関しては傍観するほかありませんが、 城の事件なら私は重要な関係者、発見者の一人ですからね。発見者同士で再検 証し、この不可解な状況に光明を見出そうとしている訳ですよ」 「ふん。一筋でも光明は差しましたかな」 「まあ、警察の先を越せるもんじゃないのは分かってますから、恐らく、刑事 さん達にはとっくに承知のことなんでしょうが」 「……」 アーリントンとセクストンは顔を見合わせ、今度はセクストンが言った。 「念のため、伺いましょう」 「そちらからも何か特別な話、お願いしますよ。できれば、森で見つかった首 なし死体の身元とか。やはりケンツでしたか?」 「あなたの話に値打ちがあると思えば、我々も手の内をいくらか明かすことを 考えないでもありません。さあ、どうぞ」 セクストンの穏やかだが決然とした物言いに、テッドは先に情報を出させる のは疎か、確約させるのもあきらめた。アーリントン警部以上に難しい相手か もしれない。 「実は、経歴を洗ってみたんです。ケンツとグラハンズの」 「それぐらいなら、警察も――」 「ええ、ええ、分かっています。ケンツが今よりもっと若い頃、奇術師の修行 をしつつ、大道芸人をやっていたことぐらい、突き止めているのでしょう」 「当然です。グラハンズにしても、奇術を学んだ経歴の持ち主だと判明した」 「では、ケンツの大道芸とは何か、具体的に調べは付いていますか」 「ん?」 セクストンの目が丸くなった。アーリントンはと見ると、首を傾げている。 「そこまでは調べていないが、事件に関係あるとは思えん」 「ケンツは鉄の胃袋を売りにしていました」 「鉄の胃袋って、何なんです?」 今度は目を激しくしばたたかせるセクストン。どうやら、大道芸に接するこ とのない人生を送ってきたようだ。 「何でもばりばり食べてみせるんですよ」 「ガラスや釘なんかを食うあれか」 テッドの説明に、アーリントンがすぐさま反応した。彼の方は、よく知って いるものと見える。 「はい。ケンツは人間ポンプ芸を兼ねていて、食べた物を口から戻すこともや っていたそうです。戻すのは、金魚限定だったそうですがね」 黄ばんだ切り抜き記事やチラシを取り出すテッド。背が高く、厚い胸板の男 が小さな写真に収まっていた。顔立ちは、ケンツを想起させるものがあった。 切り抜きを見て、刑事達は納得した様子になった。 「この事実から、あなた方はどんな絵を描いてみたのですか」 「朧気ながら、ちょっとした仮説をフロイダー先生と一緒に構築しつつあった ところです。まだはっきりした形になっていません。それについて触れる前に、 今度は刑事さんから、何かお願いします」 セクストンは求めに応じ、早口で答えた。 「森で見つかった遺体の身元は、まだ分かっていません。ケンツの可能性も、 そうでない可能性も五分五分」 「――それだけ?」 きょとんとするテッド。あんまりだとばかり、両腕を開き、肩を竦めてみせ る。 「殺生というものです。何も聞いてないのと同じだ。頼みますよ、刑事さん」 「――アーリントン警部?」 セクストンは警部を振り返った。警部は無言で首を縦に振った。 「では、毒の入手経路について。グラハンズ邸の書斎、鍵の掛かる書棚で、ほ ぼ空になった瓶が見つかりました。わずかに残る液体の成分を分析し、彼自身 の命を奪った毒と非常に似ているとの結果が出ています。異なるのは、濃度の 差ぐらいだという見込みです」 「ケンツでなく、グラハンズの。はあ……。あ、重要で有益な情報をありがと うございます」 礼儀正しく頭を下げたテッド。上からアーリントンの声が降ってきた。 「重要ではあるが、有益とはあまり思えん。事態の混迷がますますひどくなっ ただけだ」 「そうでもないと思いますが。フロイダー先生と話していた朧気な推理に、ち ょうど当てはまりそうです。ねえ、先生?」 テッドの呼び掛けに、フロイダーは居眠りをしていた訳でもあるまいに、び くりと身体を震わせた。それから落ち着きを取り戻し、「ええ」と答えた。 「矢とナイフの両方に付着していた毒が、グラハンズの用意した物となれば、 色々とすっきりします」 「ふん。勿体ぶられるのは好きじゃない。早いとこ話してもらいたいものだ」 「では……どうしましょう?」 フロイダーはテッドの方を向くと、遠慮する素振りを見せた。テッドは首を 左右に振った。 「フロイダー先生の方から話してください。情報を持ち込んだところ、先生が 思い付いたのですからね」 指名されたフロイダーは、一瞬戸惑った風に、椅子の上で身体を震わせた。 だが、咳払いをして落ち着くと、話し始めた。 「私が推測した事件の構図は、次の通りです。ケンツとグラハンズは危険な勝 負を行うほど憎み合っているように見せて、実は裏で通じていた」 「何と。どういうことだ?」 声を上げたのはアーリントン。異論を唱えようとしているのが、表情から分 かる。が、実際に異を唱えたのはセクストン。 「ケンツとグラハンズが通じていたという証拠は? 言ってみれば、最有力容 疑者と被害者がつるんでいたとは、ちょっと現実的でない」 「証拠はありませんが、過去を洗えば接点が見えてくるかもしれません。とも に奇術を学んだなら、顔を合わせたことがあっておかしくない」 「……まあいいでしょう。続けてください」 「最初に断っておきますが、全て推測です。ケンツとグラハンズは、自分達が 注目を浴び、金儲けできる計画を思い付いた。不仲と見せ掛け、対決するショ ーです。どちらが発案し、持ち掛けたのかは不明ですが、対決でグラハンズが 亡くなったことを思うと、ケンツが主体的だったのかもしれません。それはさ ておき、二人の魔術師は八百長の対決を仕組みます。矢とナイフをそれぞれの 凶器にした、魔術による果たし合い。その裏は、二人とも軽傷を負うだけで、 互いに讃え合って幕を引く予定だったんでしょう」 「すみませんが、もっと詳しく。話がよく見えない」 セクストンの注文に、フロイダーは肩を竦め、テッドに助けを求めてきた。 「やはり、私の喋りではだめなようだ。ついつい、端折ってしまう。交代して ください」 「承知しました」 テッドは改めて刑事二人に向き直り、頭の中で話す順序をまとめた。 「えー、グラハンズの立場に立って、話を進めます。計画では、グラハンズと ケンツはそれぞれ、隠し持った凶器――グラハンズは矢、ケンツはナイフで自 らを傷付け、相手の魔術によってや危うくやられるところだったという演技を する手筈だった」 「言いたいことは理解できました。が、簡単に、凶器を隠し持つと言いますが、 無理ではありませんか? 特にあの長い矢は」 「すみません、その辺りの方法は、まだ見当が付きません。でも、ケンツが部 屋から矢を消した方法と、グラハンズがナイフを消した方法なら、ある推理が 可能です」 「窓から放り出したとか言い出すんじゃないでしょうね。ケンツの脱出経路で はないかという疑いから、窓の下は徹底した調査済みです」 「窓ではありません。ある意味、本当に消したと言えなくもないかな」 微笑を浮かべ、謎めかすテッド。 「……ああ、矢の方は察しが付きましたよ。さっきの話はここにつながるのか」 得心するセクストンに、アーリントン警部はどういうことだと肘で腹をつつ いた。セクストンは右手人差し指を立てて、教え込ませるように言った。 「ケンツは、金属を飲み込む大道芸を得意としていたと、言ってたじゃありま せんか」 「うん? ああ、そうか。矢を食って始末したんだな」 「可能性の一つですが」 テッドは断定を避けた。 「矢を折り曲げ、短くして数回に分ければ、飲み込めるんじゃないでしょうか。 部屋から脱出したあと、戻せばいい」 「そういうことでよいのなら」 やり方を理解した、とばかりにアーリントンは顎を撫で、考えを話し始めた。 「グラハンズがナイフを消したのは、奇術的な小道具だな? 恐らく、最初に 確かめさせたナイフは、どこかボタンのような物を押せば、刃が引っ込み、一 見するとナイフとは思えぬ形になる代物だったんだろう」 「多分」 「しかし、亡くなったグラハンズを調べたが、そんな物はどこにも身に付けて いなかったぞ。少なくとも報告されていない」 「恐らく、城の外へ出る際に、こっそり捨てたんでしょう。あるいは、搬送さ れる車のどこかに押し込んだか。どこかにナイフ大の物体が隠されているとの 認識を持ち、根気よく探せばきっと」 「貴重な意見だ。考慮しよう。できる限り速やかに、人員を回す」 アーリントンは部下に目配せした。セクストンは弾かれたように、部屋の外 へ。連絡を取りに行ったらしい。 「あなた方の考えでは、グラハンズがケンツに乗せられ、共犯で計画を進めた が、最後にケンツに裏切られ、殺されたということになる。その仮定に立つと、 凶器の準備の他にも、まだ大きな問題がある」 「はい」 「部屋の鍵、錠の問題だ。ケンツは部屋の錠をそのままに、いかにして抜け出 したのか。これの説明を付けねばならない。まさか、凶器は小手先の奇術だが、 部屋からの脱出は魔法だなんて、通らないからな」 冗談のつもりで言ったのだろう、アーリントン警部は唇の端をかすかにゆが めて笑った。テッドも付き合い、 「もしもケンツが生きていて姿を現し、全ては魔術のなせる業だと主張するよ うでしたら、こう言ってやればいいんですよ。『毒殺を選ぶのなら、矢に塗っ たりせず、最初から毒を相手の口に魔術で放り込め済むんじゃないのかい?』 と」 と応じた。それから気を引き締め、脱出方法についてちょうど検討していた ところだったと述べた。 「助手の動きに目を向けざるを得ない、でしょうね」 「助手というと、どっちのです? えー、ケンツに付いているカラレナ達か、 グラハンズの弟子のレベルタか」 セクストンは手帳を見て、確認しながら言った。 「当然、ケンツの助手です。カラレナ一人に絞っていいかもしれません。ご承 知の通り、私とフロイダー先生が二本の鍵をそれぞれ預かっていたんですが、 いずれも彼女に手渡しているんです。鍵を実際に使ったのはカラレナ。そのと き、小細工の余地があったんではないかと思うんですよ」 「具体的な方法はまだ、ということなんですな」 「ええ、まあ。とりあえず、ケンツの脱出方法を解き明かすのが先決だと考え、 取り組んでいたのですが……。扉の鍵は、内側から開け閉めできるのだから、 ケンツ自身が開ければいい。問題は錠前なんですよねえ」 「あなた方が様子を見に行く前に、カラレナか誰かに鍵を渡しやしなかったで しょうね」 セクストン刑事がフロイダーの方に身体を向け、首を傾げる風に聞いた。 フロイダーは小動物のような動きで、首を横に、小刻みに振った。 「とんでもない。私は又貸しなどしていません。途中で鍵を渡し、その人物を 一人で城に入らせてしまっては、実験の意味がなくなってしまうじゃありませ んか」 「仰る通り。フロイダー先生の持っていた鍵が使われなかったのなら、あとは ……クレスコ氏がもう一つ、合鍵を持っていた可能性を検討すべきかな」 刑事二人は、示唆に富む話ができたことに感謝の意を示し、丁寧な挨拶を残 して立ち去った。 ドン・クレスコによると、錠前にしろ扉にしろ、それに合う鍵はそれぞれ唯 一つしかなく、複製もしていないという。また、クレスコは城での事件が起き るまで、余興として行われたショーをずっと見物しており、建物には一歩たり とも足を踏み入れていないと証言した。証人としては彼の秘書の他、ちかくに いた観客数人も有名興行師の姿をちらちらと気にしており、信用できると思わ れる。 「第一、私がケンツに協力して、グラハンズさんを殺すような計画に乗って、 何の得がありますか。損するだけだ」 己の領域であり商談の場でもある“社長室”で、刑事がうろちょろするのを 快く思っていなかったのだろう。アーリントンとセクストンの今回の来訪も、 露骨に嫌がっていたクレスコは、身の潔白を示せる目途が立つと、普段の勢い を取り戻した。 だが、アーリントンも簡単には退かない。疑いが晴れたなら、そのままおと なしくしてくれればいいものを、余計な反駁されると、少し灸を据えたくなる。 「動機なんて、何とでも考えられるさ。ありがちなところで、話題作りだな。 殺人までは知らされていなかったのかもしれん」 「冗談はよしてもらいたい、刑事さん。確かに一時的に話題になるだろうが、 フォーレスト・ケンツが行方不明じゃ、儲けにつながらん。それにもしも、仮 にだよ、話題作りのためにグラハンズさんを消すなんて真似をするなら、ケン ツ対グラハンズでもっと引っ張って、充分に稼いだあと、事件を起こしますよ」 「穏やかでない発言だ」 アーリントンの指摘に、クレスコは水差しから注いだコップ一杯の水を一気 に干した。 「だから、仮の話だと言ったでしょう。本当にケンツとグラハンズさんが通じ ていて、そのことを私が知っていたら、絶対にテレビで対決を実現させ、大い に盛り上げてみせる。私にはその手腕がある」 クレスコの語りが熱を帯び始めたのを目の当たりにし、アーリントンは切り 上げた。代わって、セクストンが聞く。 「ついでなんですが、ラリー・ロレンスという人物をご存知ありませんか」 「ラリー・ロレンス? 何者だ、そいつは」 「知らない? 占い師で、ケンツのショーの招待券を客に配ることがあったと いうから、てっきり、あなたが招待券を渡していたのかと思ったのですが」 「知りやせんよ。大方、ケンツの事務所に回した分から、さらにその占い師に 回してたんじゃないのかね」 「カラレナさんの話では、ケンツと懇意にしている占い師だそうなんだが、あ なたは全く聞いていないと言うんだな?」 割って入ったアーリントンが最終確認をする。本人にそのつもりがなくても、 体格や声のせいで威圧的である。クレスコは首を竦め、「刑事さんに今聞いた のが、初耳ですよ」と小声で答えた。 「しかし、ケンツの前身に関しては、承知してたんだろう?」 「ケンツの前身?」 目を見開き、唇を尖らせたクレスコ。とぼけているのか、本当に知らないの か、外見だけでは判断が難しい。 「ああ。奇術師で大道芸人だったケンツを、おまえが拾ってやり、魔術師だか 魔法使いだかに仕立て上げ、売り出したんだ。違うか?」 「そ、そりゃあまあ。でも、半分当たり、半分誤解だよ、刑事さん」 クレスコの額に汗が浮かぶ。顔を寄せたアーリントンを、両手のひらで防ぐ ような仕種をしつつ、しどろもどろになって答えた。 「魔術が本物かどうか何て詮索しないんだ。興行師は客が入って売れればいい、 それだけなんだから。大道芸をやってるケンツを見つけて、こいつは行けると 思って声を掛けたのは、そっちの言う通り。だが、演目は彼に任せた。つまり 私は、魔術でないと知っていながら魔術を売りにしたんじゃない。詐欺にはな らんだろ?」 作り笑いを浮かべる興行師。 そこを心配していたのかと、アーリントンは内心呆れた。殺しに関与してい るかどうかを見極めるため、色々と揺さぶりを掛けているのだが、この調子で はどうやら無関係のようだ。 「最後にもう一つ、聞かせてもらおう。グラハンズと会ったのは、今度の件が 初めてか」 「はい。もちろん、伝説の魔術師の噂は耳に届いていたが、会ったことは一度 もなかったですとも、はい」 クレスコはすらすらと答え、追従笑いを顔いっぱいに広げた。 クレスコ所有のビルを出て、警察車輌に戻ったアーリントン達に、いいタイ ミングで報告が入った。マルス・グラハンズを搬送した救急車の中から、四つ の頂点を持つ星形の物が見つかったというのだ。中央のボタンを押すと、星の 一角の覆いが下がり、刃のような形状が姿を現す代物で、ナイフらしく見える が実際に切ることはできないとのことだった。 「これぞ、探し求めていた物という訳ですね」 「ああ」 無線連絡を終え、すぐさま車を走らせに掛かる。模造ナイフの発見は、魔術 対決がケンツとグラハンズの共謀だったという説を強力に後押しするもの。捜 査を進めるべき道は間違っていない、そんな手応えを実感する。 「あとはグラハンズが矢をどこに隠していたのかと、ケンツがどうやって部屋 を抜け出したのか。この二つを解き明かせば、グラハンズ殺しは片付いたも同 然だ。重点は、それが森の変死体の件とどう結びつくかに移る」 「ケンツやラリー・ロレンスの居所を突き止めるか、被害者の身元を特定する かができないと、想定し得る仮説が多過ぎて、なかなか見えてきそうにありま せんがね」 「弱音を吐くな」 「すみません」 「せめて言葉には出さんでくれ」 このあともしばらく検討を重ねたが、何らの結論も閃きももたらされない内 に、車は署に到着した。そして早速、新たに見つかった模造ナイフを実際に見、 それが特殊な奇術用ナイフであることを知らされた。ケンツが籠もった部屋の 寝台に突き立てられたナイフと、外見はそっくり同じだった。 「念のため確認しておくか。毒の類は検出されなかったか」 鑑識結果に照らし合わせる。毒物を含め、何ら特別な物は検出されていなか った。 捜査方針に矛盾しない物証の登場に、アーリントンが一定の満足を得ている と、また新たな報告が入った。 樹上に引っ掛かっていた遺体の身元特定につながるものが、ついに見つかっ たという。アーリントンとセクストンは、検死官の元へ急いだ。 「ちょうどこの場にいたウェリントン君には先に伝えたんだが、かまわんだろ」 どういった酔狂なのか、だて眼鏡をしている検死官は、アーリントン達の顔 を見るなり、そう言った。それから、問題の遺体の寝かされた台の前に移動す る。 「もちろん、かまいやしない。ウェリントンには森の事件の指揮を執らせてい るのだから。それでオルドニー先生、どんな手掛かりを見つけたって?」 「最も単純な個人識別の一つ、指紋だよ」 「指紋は採れそうにないと聞いていましたが……。まさか、足の指紋ではない でしょうし」 セクストンが首を傾げるのへ、オルドニー検死官は遺体の服を指差した。纏 わり付くように、わずかに残る布地は、どこもほとんど焦げており、役立たな いように、刑事達の目には映った。 「ここだよ、ほれ」 袖に該当するであろう箇所の布を、ちょいと引っ張るオルドニー。どうにか 白色と分かる布地には、紫っぽい縞模様が微かに記されている。 「これ、指紋ですか?」 「だと思う。ただし、被害者の指紋ではないだろうな。指のサイズを想像する に、女性の細さだ、それは。そこでぱっと閃いたんだが、確かケンツの助手の カラレナが、謎めいた占い師にヨウ素水溶液を手のひらに塗られて、デンプン と反応したせいで、紫っぽく変色していたんだろう? そのときの名残で、指 紋が色込みで付着した可能性に思い当たった。調べてみると、間違いなく、ヨ ウ素反応だったよ」 「ということは、この遺体はラリー・ロレンス……」 「これから照合して部分指紋がカラレナのそれと一致すれば、可能性は一気に 高まるね。尤も、未だに経歴のはっきりしない男だと分かっても、大した進展 にはつながらんかもしれないが」 「いや、大きく前進しましたよ」 アーリントンは興奮を抑え、礼を言った。 テッドは、系列の新聞社に勤める警察担当の記者から、有力な速報をもらっ た。森の木に引っ掛かっていた遺体の身元は、ラリー・ロレンスである可能性 が強まったという。 「くれぐれも、確定情報じゃないことを念押ししておくぞ。それと、言うまで もないが、まだ公にしてくれるなよ」 「承知している。いつもありがとうな」 「言葉の礼よりも、情報をくれ。おまえの方でも何か分かったり閃いたら、す ぐに知らせろよ」 「もちろんだ。じゃあな」 電話を切ると、テッドは早速、記事の文章を組み立てに掛かった。 「ケンツだと信じていたんだがな。ロレンスが被害者なら、大幅に考え直さな きゃ」 独り言を口にしてから、黙考に入る。 ケンツとグラハンズがいかさまの対決を計画。その計画に乗じて、相手を葬 ろうと考えた。グラハンズは矢の毒で死亡。ケンツはナイフに毒が塗られてい ることを察し、カラレナかクレスコの協力で、部屋から消えてみせた。ロレン スからグラハンズの復讐を示唆する手紙を受けたケンツ達は、ロレンスを返り 討ちにした……こういうことか? 仮にこの推理で正解だとしても、ケンツが部屋から抜け出る方法や、グラハ ンズが矢を隠していた場所とか、あちこち抜けている部分があるから、記事に はできない。“グラハンズとケンツは本物の魔術師だった!”ってことにすれ ば簡単なんだが。いや、それでも、まだ説明の付かない点があるんだっけ。矢 の両端に毒が付いていた理由。グラハンズとケンツ、それぞれが同じ毒を用い ようとしていたのも気になるんだが。 「あー、分からん」 頭をかきむしるテッド。原稿の升目が埋まるのは、まだまだ先になりそうな 雲行きだった。 身元不明遺体の衣服に残る指紋が、カラレナのものと一致を見た。この事実 により当然、二つ目の殺しもケンツが犯人だとする見方が強まっていた。 「気になることが一つある」 会議の場、全捜査員への確認の意味も込め、アーリントンは大きな疑問点を 挙げた。 「カラレナに前もって接触し、グラハンズの名が浮かび上がるように小細工を したのは、ラリー・ロレンスだ。この占い師は、直接事務所に届けられた手紙 にも関与しているはず。何故なら、手紙の便箋からも同じくグラハンズの名が 浮かび上がったのだから。だが、手紙には森に遺体があることが記されていた。 あの写真は写りは悪いが、樹上にあった遺体と同一に見える。とすると、ロレ ンスは自らをケンツに見せ掛け、死を選んだことになりかねない」 「警部、よろしいでしょうか」 ウェリントンが挙手した。発言を認められると、立ち上がって続けた。 「我々が集中して調べても、ロレンスとグラハンズのつながりは出て来ていま せん。ロレンスとケンツのつながりなら、確認できています。このことから、 ケンツはロレンスを操ったんじゃないかと思うのです」 「操ったとは、どういう意味だ。魔法の催眠術とかじゃあないんだろう?」 顰め面で聞き返したアーリントン。相手は即座に首を水平方向に振った。 「無論です。ケンツはロレンスに、何らかの利益を約束するか、弱味を握るか して、協力させていた――こんな推測は成り立ちませんか。恐らくロレンスは 殺人にまで発展するとは知らされず、単なる大掛かりな八百長の片棒を担ぐ程 度の認識で、応じたのでしょう。ケンツとグラハンズの魔術が本物であるよう に演出するため、カラレナに接触して文字の細工をしたり、手紙をじかに投じ たりした。ところが最後に来て、ケンツはロレンスを己に見せ掛けて殺害。こ の世から消えて、殺人の嫌疑を逃れようという寸法だった……」 相手の話しが終わってしばらくしてから、アーリントンは感想を言った。 「うーん。ぴたりとはまっているところもあれば、しっくり来ないところもあ るようだが」 警部に続いてセクストンが口を開く。 「ロレンスとケンツが中途まで共犯だったなら、手紙にあった写真の遺体は、 造り物ということに?」 「ああ、言い忘れていました。そうなるでしょう」 「ロレンスは殺人を知らなかったとしていたが、どうやって? グラハンズの 死は大々的に報道されていた。ロレンスが魔術対決の舞台裏を知っていたなら、 ケンツがグラハンズを殺したのではないかと疑いを持つのが自然だと、私は思 います」 「それは……ロレンスはケンツに、しばらく人目に付かないよう、隠れていろ と言い含められたのではないかと。一切のニュースに触れる機会のない、山小 屋のような場所を用意して」 「ウェリントン刑事の説を実証するには、とりあえず小屋探しからですか」 場に少しだけ笑いが起きた。ウェリントンの唱えた推測は、筋はおおよそ通 っていても、まだ何の証拠もないことがはっきり示された。 「ウェリントンの主張は、基本的な捜査方針には沿っているのだから、証拠は これから押さえていけばいい。俺が引っ掛かったのは、ケンツがそこまでして どんな利益を得たのかってことだ。グラハンズと組んで魔術対決をでっち上げ たのは、名をより高めるためと考えて、間違いあるまい。グラハンズ殺害はラ イバルを蹴落とすため、あるいは口封じだとしよう。だが、ロレンス殺害はど うだ。殺人の容疑から逃れるため、自らを抹殺するというのは、そこだけ取り 出せば理に適っているように見える。しかし、当初の目的、魔術師として名を 高める方が意味をなさなくなる。公の場に出て来られないんだからな」 「……ケンツは、グラハンズ以上の“伝説の魔術師”になりたかった、とか?」 「それだけのために殺人を犯し、今ある名誉や金を捨て、別人になって生きて いくのか。もし俺が奴の立場だったとしたら、絶対に御免だね」 静まりかえる会議室。 「そこを踏まえると、ケンツがロレンスを殺害する個人的な恨みみたいなもの がありやしないか、探るべきだ」 ロレンスの過去を洗う作業と平行して、ロレンスとケンツの関係をもっと深 く調査することが、新たな方針として加わった。 ――続く
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