●長編 #0397の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
ふるさと散策(その1) 私は妻の運転する自家用車の助手席に座り、兄の車の後ろに付いて10分 ほど走って、懐かしの故郷 中手山村(現在は愛知県刈谷市中手町)に到着 した。 ホームセンター『カーマ』の駐車場に車を入れたが、ここは今から50年前 まで、わが家の田圃(父の持ち物)であった。 車を降り、兄と私は腕を組んだり手をつないだりして、村の中を2時間余り 歩き回ったが、この様子は、おそらく少年時代の姿と変わらないであろう。 但し、後ろから付いて歩いた妻の感想によれば、 「兄さんの方がもっと背が高いと思っていたけど、痩せて背中が丸まっている せいか、お父さん(私)よりも小さく見えた」 と言い、アルコール依存症で病気持ちの兄は、若い頃の元気さをなくして いるのかも知れない。 駐車場(昔のわが家の田圃)からほんの僅かな距離に、〈ホドさ〉(土浦 さん)の立派な家がある。私の母方の親戚筋に当たり、『兄の思い出』の中で 述べた通り、父の全快祝いの赤飯を持って行った家である。兄と同年の女の子 がいたが、今は子供か孫の世代になっているだろう。 「ホドさの家が、田圃からこんなに近かったのかなあ?」 と私が首を傾げるばかりで容易に得心できないので、 「じゃあ、俺達の家から出発することにしよう。その方が解りやすいだろう」 と兄が言い、昔のわが家の横(東側)の道路まで来た。道幅が広げられ、 アスファルト舗装で車もよく通が、確かにそれらしい道だ。 「このすぐ前が我々の家の跡地で、今は五階建てのマンションが立っている。 そして、ここに楠木があった」 マンションの門の脇には、1メートルほどの高さに花壇がこしらえてあり、 土止めのコンクリートにはタイルが綺麗に貼ってある。向かって右側の花壇の 手前付近に、かつて大きな楠木が立っていて、一番上の兄などは、 「大風(台風)が来ても、うちは絶対に倒れない。この楠木があるからなあ」 と言っていたほどだ。 楠木と並んで、イチジク・グミ・桃・枇杷・柿の木・桜の木なども植えて あったが、それらはもちろん跡形もないし、道路より1〜2メートルほど 高かったわが家の敷地が平らに削られ、道路を隔てた東側の土地(S子ちゃん やN君の家が在った所)は、逆に大量の土を入れてかさ上げされ、この区域 全体が平坦に整地されている。 「これじゃあ、案内者無しで訪ねてきても、わが家の位置が解る筈がない」 わずかな下り坂を四〇メートルほど行くと、 「ここが『下の川』の小さな木の橋が掛かっていた場所だが、今は暗渠に なっている。橋を渡って右(東)へ曲がると、土手(堤防)の上になり、その 向きで右側が『下の川』・左側がうちの田圃(今はホームセンター)だ」 と兄が説明してくれて、当時の風景がまざまざとよみがえる。わが家の田圃 は、尺貫法で二反二畝だったから、メートル法で22アールだろうか? 橋を渡った所から左(西)へ曲がって、堤防を川下の方へ道なりに行けば、 やがて『ドンドン川』に続くが、まずは橋からまっすぐ北の方へ歩いてみる。 この道は上り坂で、昔は両側とも田圃だったが、道幅が三、四倍にも広げ られ、きちんと舗装されている。五〇メートルほど行くと、かつて『中根山』 と呼んだ小高い林を切り開いて、今は『日高公園』として整備されている。 その手前に竹薮があり、〈ヒッつぁん〉が小屋を建てて住んでいた時期も あるが、現在は公衆トイレと自販機が設置されている。 公園を過ぎて坂を登り切った所から、右へ行くと〈山羊のおばさん〉の家へ 行けるが、今回は左(西)へ曲がって約百メートルで、小さな川の橋に来た。 このまま行けば『小山の組合(農協)』があり、子供の頃、兄と二人で乳母車 を押して精米やうどんを買いに行ったものだ。 夏休みの日曜学校で、毎朝お経を習いに行った『敬専寺』、盆踊りや秋祭り で遊びに行った『天子神社』もこの方角にある。 小さな橋を渡った所から、川沿いを南へ戻り、『日高橋』まで来る途中に、 昔の墓地や焼き場の跡があると言うが、私の記憶にはない。 日高橋は『ドンドン川(恩田川)』の川上にあり、昔は木造の橋に盛り土が してあって、欄干の形が優雅だった。今はコンクリート橋に鉄の欄干で、「昭 和56年2月」と書いてある。 橋の向こう側は広い道路になっているが、今日はこちら側の狭い道を、川に 沿って下り、昔この土手道は草ぼうぼうだった。 『下の川』が『ドンドン川』に合流する辺りは、川幅が広く、流れが弯曲して いて、満ち潮の時にはかなり深い。 中学生時代に、橋の上からまっ逆さまに川に転落したのがちょうどこの付近 だったと聞き、私は子供の頃の勘違いを今ようやく修正することができて嬉 しい。すなわち、『下の川』から『ドンドン川』へ行く場合は、わが家の表口 を出て東側の道を川まで行き、そこから川下へ歩いて行くが、〈ホドさ〉の 家から〈ケンさん〉の下の橋へ行く場合には、わが家の裏口を出て、西側の 崖道を通って川に達するのであった。要するに、わが家の表道と裏道の違い、 川の右側と左側の相違に過ぎず、道路が屈曲していて回り道になるために、 私は両者が全く別の場所、異なる川だとばかり思っていたのである。 「おまえが落ちた橋はここだが、川は暗渠になっていて全然見えない」 と兄が説明してくれて、私の家からこんなにも近かったのがまるで嘘のよう に思われる。子供の頃に通った道を、今同じように歩いてみると、距離が半分 以下に感じられるのは何故だろうか? 恩田川の左岸沿いを川下へ下ってみたが、この道はあまり人が通らないらし く、雑草が二〇センチくらいも伸びていて歩きにくい。土手にイチョウに似た 樹木が二、三〇本植えてあるが、これは以前には無かった。 昔ドンドンの水音が二箇所で聴こえていたのに、今ではあの滝壷の激しい とどろきが聴かれないから、川底の傾斜が変わったのであろう。また、排水機 があって、当時は四六時中発動機が動いていたのに、今はその場所も痕跡しか ない。 雑木林に遮られて、懐かしい『恩田川の橋』までは行けそうにないため、 やむなく途中で引き返した。 わが家の周辺の地形はおよそ解ったので、今度は神社の方へ行ってみる。 出発点には戻らず、〈ケンさん〉の橋の道を南へ行くと、〈タカヘエさん〉 の家があり、私よりも二つ年下の息子〈ハッちゃ〉と、ときどき喧嘩したのを 思い出す。 そして、故郷を大きく変貌させた広い道路、国道155号線を横断する。 片側三車線の道を車がひっきりなしに通り、西は逢妻川や境川を越えて、母の 在所である大府市横根町方面へ行けるし、東は別の国道を経由して、遠く豊田 市に通じるから、ここの交通量だけを見ても、いにしえの中手山村とは別世界 の感がある。 国道のそばに、昔瓦屋だった〈セキさ〉の家があり、敷地が狭くなって いるのは、一部が道路拡張にかかったからだろうか? 幼い頃に兄と二人で毎朝父の煙草を買いに行く途中、この家に〈デコ〉と いうおとなしい犬が居て、いつも頭を撫でて通ったものだが、あれは犬より も、むしろ私達のほうが慰められていた感じだ。 また、角口に陶器で出来た大きな狸の置物が飾ってあり、肩からとっくりを 下げ、手には帳面を持っていたのを覚えている。
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