●長編 #0375の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「なあに、ため息なんかついちゃって」 双子の姉の声にびくりとしつつも、相羽暦は手元の通帳を素早く閉じた。肩 越しに碧の視線を感じたが、はたして見られたのだろうか。 「しかも預金通帳を見ながらなんて」 やっぱり見られていた。ごまかすのはあきらめ、椅子ごと向き直る。子供部 屋としてそれぞれ個室をもらったはいいが、こうも頻繁に出入りされては、あ まり意味がない。尤も、暦も碧の部屋に出入りしているからおあいこだ。 「何かほしい物があるの? でもお金が足りなくてため息を」 「……そんなんじゃないよ」 暦と碧はアルバイトで、たまにモデルをしている。そのギャラと普段のお小 遣いを合わせると、中学生にしては充分すぎるほどもらい、貯めている。大き な買い物になると前もって両親に話さないといけないが、よほど変な物でない 限り、許可してくれる。 「じゃあ、何」 クッションを引っ張り出し、床に座る碧。ジーパン姿とはいえ、胡座は母さ んに見付かるとうるさく言われるだろうに。まあ、見付かったとしたら、これ はヨガとでもいって弁明するつもりに違いない。 「たとえばの話、姉さんはどんな物をプレゼントされたら嬉しい?」 「買ってくれるの?」 碧はにこっと笑って、床の絨毯に手をつき、暦の方へ身を乗り出す。暦はす ぐさま否定した。 「違う。たとえばの話って言っただろ」 「なーんだ――って、分かってました。もうすぐクリスマスだものね。かこつ けて、同級生の女子にプレゼントしたいが、何がいいのか思い付かない。そこ で私の意見を聞いてみたいと」 「……」 「あら、外れた?」 「当たってるよ。明日の休み、買いに行く予定でいる。姉さんの勘は凄いよ、 参りました」 「うむ。それで、誰にあげるつもり? まさかクラスの女子全員に、とかじゃ ないでしょ」 言わなくても分かってるだろうに……多分、好きな女子の名前を言わせたい のだ。暦は内心、姉にブーイングを送った。だが、表向きはそんな感情はちら とも出さず、平常心を保って答える。相手のペースにはまるのは嫌だ。 「小倉さんに何か贈りたいと思っている」 「おおっ、一途ね。そういうのって、私は応援するよ」 「だったら、何がいいか、早くアドバイスしてくれ」 「私なんかに聞かなくても、本人に直接聞けばいいじゃないの」 「それができるくらいなら、ため息をついていない」 「あら。小倉さんにまだ言ってないの、好きだって」 「言ったつもりなんだけど、何ていうか小倉さんは、一対一の付き合いはまだ 早いと考えてるみたいで……って、今はどうでもいいだろ、こんなことっ」 「どうでもよくはない。二人の関係の具合によって、アドバイスも変わってく るでしょうが。そうねえ……暦のつもりとしては、どうなのよ。今度のクリス マスプレゼントで、仲を一歩進めたいと目論んでいるわけ?」 暦は黙ってうなずいた。目論むとは言葉が悪いが、仲を進展させたいのは本 心である。一歩といわず、二歩でも三歩でも。 「じゃあ、あまり大げさにしちゃだめね。指輪とか高い物は」 「それぐらいは分かってる。最初から指輪なんて贈る気ないし」 「無難なところで、食べ物は? 気軽に渡せるという意味では一番」 「食べ物、なあ。しっくり来ないって言うか」 「彼女、小学校のときに比べたら、すこーしふくよかになってきたじゃない。 甘い物が好きなのは間違いなし。学校でもお菓子を食べてるとこ、見たことあ るわ」 太ったと言われたみたいに感じて、他人事ながらむっとする。 「成長期なんだから、別に普通だろ。女子は今頃が一番伸びるんじゃなかった っけか」 「なに弁明してるの。気になるなら、調べてあげようか。いけないことだけど」 「何を」 「小倉さんの体重」 「体重?」 「私、今、クラス委員でしょ。知ろうと思えばできるわよ。クラスの女子の身 長や体重、スリーサイズまでも」 「……だめだだめだ! プライバシーの侵害!」 「思った通りの反応で安心した。頼んでくるようなら、軽蔑したんだけどな」 「そーゆー、弟を試すようなことをするなっての」 目の高さを合わせようと、暦は椅子を降りた。同じクッションを持って来て、 姉の正面に座る。だが、機先を制された。 「他にもやり方はあるわ。私が小倉さんに接近して、直接聞き出すことに成功 した場合、教えてあげるとか」 「それでもだめだ! だいたい、別に知りたくねーよ。小倉さんのスリーサイ ズなんて」 「いつの間にか、体重からスリーサイズに変わってる」 「うるさい。体重にしろ何にしろ、知ったところで意味ないじゃないか」 「そりゃまあ、今回はね。だけど、いずれ小倉さんにドレスを贈るようなシー ンが訪れるかもしれないじゃない。知っておいて損はなし」 「……それまで小倉さんが成長しない保証があるんなら、教えてもらうよ」 「お、やっとまともに反論できたわね。それじゃ、そろそろ本気を出して相談 に乗ろうかしら」 今までのは冗談だったのか。力が抜けると共に、冗談でよかったとも思う暦 である。 「これから言うことは、一般論ではないかもしれない。あくまで私自身の感覚 と、小倉さんを端から見ていて感じ取れたこととを合わせて、意見してみるだ けだから。そのことを頭に置いて」 「分かった」 暦は無意識の内に正座をしていた自分に気付いた。今さら崩すのも妙なので、 そのままの姿勢で聞き入る。 「女の子はね、大人に見られたがるのよ。逆に言うと、当然、子供扱いされる のが嫌い」 「……それは男子も同じじゃあ……」 「うーん、似て非なるってやつかな。説明しにくいし、今は必要ないのでしな い。暦、さっき一人で悩んでいる間、いくつかプレゼント候補を思い浮かべて いたわよね?」 「うん」 「その中にぬいぐるみや人形はあった?」 「あった」 当然だろとばかりに首肯する暦。その鼻先に、碧の右手人差し指が伸ばされ た。おかげで後ろにひっくり返りそうになったが、どうにか踏ん張る。 「何なんだよっ」 「それが子供扱いしてるってこと。プレゼントにぬいぐるみをもらっても、私 ならたいして喜ばないわ。もちろん、気持ちは嬉しいし、感謝もする。ただ、 他の物と比べたらね」 「そんなもんかね」 「ええ。ぬいぐるみをくれるなんてこの人は私を子供扱いしてるんだわ、って 受け止めちゃう。対等に見られたいのに。相手が好きな異性なら、なおさら」 「俺は別に、上から目線とかじゃなく、小倉さんを見てぬいぐるみとか人形と かも似合いそうだなって、そう思っただけなのに」 「その辺の意識を変えた方がいいと思うな、お姉さんは」 にこっとする碧。暦は片手で頭をかいた。かゆいわけではなく、戸惑いのサ インとして。 「姉さん、最初に言ったよな。大げさにしちゃだめだって。ぬいぐるみや人形、 それに食べ物を除いたら、他に大げさでない物ってある?」 「あるじゃない。指輪以外のアクセサリーでもいいし、ハンカチなんかの小物 も。私は花一輪なんてもらったら、結構ぐっと来るんだけど、小倉さんはそう いうタイプじゃあない気がするわね」 「化粧品は?」 「モデル仕事やってると使う場面が多いから、当たり前みたいな感覚になって るけれど、普通に考えればまだ早いんじゃないかしら。校則で禁止だし。すぐ に使えないような物をもらっても、困るだけ」 納得して首を縦に振る。小倉が一対一の付き合いに踏み出さないのは、両親 から許しが出ないためじゃないかと暦は考えている。だとしたら、化粧品も恐 らく使えない可能性が高い。 「あ、ないと思うけど、石けんや身だしなみ用品はやめときなさいよ」 「何でまた石けんなんかを例に出す?」 お中元やお歳暮じゃあるまいし。 「前に言わなかった? 『おまえはにおうから石けんできれいにしろとか、身ぎ れいにしとけ』って意味に受け取る人がいないとは限らない。香水なら問題ない でしょうけどね」 「なるほど」 言われてみれば、そんな話をしたことがあるような。真面目に聞いていなかった からか、はっきりとは覚えていないが。 「私が言えるのはこれくらい。あとは自分で考えて、いい物を選ぶこと。小倉 さんと仲よくなれるようにね」 「あ、一つだけ。食べ物がだめかどうか、曖昧に終わったけど」 「私はだめとは言ってない。そっちが気にしてるんでしょ。大方、あとに残ら ない物はいまいち、とか考えてるんじゃない?」 「う、まあ、そんな感じ」 図星を指され、口ごもる暦。碧は苦笑いを見せて、部屋を出て行った。 相羽家にはもう一人、女性がいる。そのアドバイスも聞いておこうと暦は考 えた。夕食後、時間が空くのを待って行動に移す。 「母さん、聞きたいことがあるんだけど、いい?」 「いいわよ。大歓迎」 片付けの済んだテーブルに帳面を広げ、色鉛筆を手にしていた母は、すぐさ まそれらを脇に退けた。 「母さんは父さんからプレゼントされたことあるでしょ?」 「もちろん」 「何が一番……じゃないや。プレゼントは子供の頃から?」 「ええ。初めてもらったのは何になるのか……あ、小学六年生のとき、お父さ んの家に行ったら、お茶うけにクッキーが出て来て。それが手作りでとても美 味しかったの。それで後日、みんなで作り方を教わりに行ったわ。正確にはお 父さんのお母さんから主に教わったんだけど。あれが最初といえば最初」 「ふうん……ちゃんとした、というかいかにもプレゼントらしいプレゼントを もらったのは、いつ? 中学のときはなかった?」 「あったわよ〜」 当時を次々と思い出すためか、母の声が弾む。表情も嬉しさに溢れて、目尻 が下がりきる始末。 「十三歳の誕生日に、うさぎのぬいぐるみとハンカチをもらった」 「え、ぬいぐるみ?」 姉さん、話が違う! 心の中で叫びたくなった。 「そうよ。おかしい?」 「えっと。そ、それで母さんは喜んだわけ?」 「嬉しかったわ。実を言うと、お父さんのお母さんからの贈り物だと、ずっと 思い込んでいたの。でも、あるとき気が付いた。『これは相羽君が選んだプレ ゼントなんだわ』って。そうしたら、もっと嬉しくなった」 「……要するに、好きな人からもらったら何でもいい……」 「中学生の頃の私は鈍くて、お父さんの気持ちに気付いてなかったのよね。だ から、こっちもお父さんを好ましく思ってはいても、恋愛の“好き”にはなっ てなかった。ただ、当時から私はお父さんとの縁がきっかけで、モデルを始め ていて、その関係で凄く大切にされていると感じていたし、プレゼントはお父 さんが一生懸命選んでくれたと分かったから、だから嬉しかったんだと思う」 自分は小倉さんを大切にしてきただろうか――暦は自問する。 無論、大切に思ってはいる。問題は、彼女に伝わっているかどうか、だ。答 は……分からないというのが正直なところだ。 もう一つ気付いたことがある。父さんと母さんが今の自分ぐらいのとき、父 さんは母さんにまだ好意をはっきりした形では伝えていなかったんだ。その点 だけを取り出せば、自分の方が進んでいる。 「仮の話として、聞いていい? もし母さん達が中学生のときから恋人同士だ ったとして、うさぎのぬいぐるみをもらって嬉しいかどうか。満足するかって いう意味で」 「満足ねえ。答えるのが難しいわ。私は多分、それでも喜んだと思う。けれど、 暦は一般的な答がほしそうに見える。違う?」 「当たり。できれば一般的な答が知りたいんだ」 というか、小倉さんだったらどう思うかが知りたいのだが、それは無理なの で。 「恋人同士だったら誕生日プレゼントをもらえることを当たり前に思って、期 待していることになるわけね。だったら、ハードルを高くしちゃうかも。ネッ クレスを期待していたらぬいぐるみだった、じゃあ、嬉しさ半減する人もいる かもとしか言えないわ」 「うーん……」 「初めてのプレゼントなら、それだけで嬉しいってこともあり得るし」 アドバイスを聞いて絞り込むつもりが、ちっとも絞れない。逆に、何でもあ りという気もしてくる。 「それで、誰に贈り物をするつもりなのかしら」 我に返ると、母が両肘をテーブルにつき、組んだ手に顎を載せた格好で、そ んなことを聞いていた。眼差しには若干、意地悪なものが含まれている。 「姉さんに話したから、姉さんから聞いて」 「暦の口から聞きたいなー」 「……まったくもう、母さんの思っている答で当たっているよ!」 椅子から飛び降りるようにして離れると、暦は足早に立ち去った。母が何か 言ったみたいだけれど、振り返るとまた引きずり込まれかねないので、そのま ま行く。 (そういえば小倉さん、母さんのファンだって言ってたっけ。聞いてて恥ずか しいから、深くは尋ねなかったけれども、今の母さんを見てそんなこと思うは ずない。大方、昔の写真か何かを見たんだろうな) 冬。休日の朝は晴れ渡り、その代償として冷え込んだ。 「ついて行こうか」 買い物に出掛ける直前、碧の声に廊下で立ち止まる。「来なくていいよ」と 応じながら振り返ると、すでにお出掛けの格好を済ませた姉の姿が視界に入っ てきた。黒と白からなるワンピースにケープを被り、足には黒のタイツと、地 味ながらしっかり決めている。手にはポシェット。 「そんなこと言わないで。役に立つよ」 「アドバイスならもうもらった」 「何を買うつもりか知らないけれど、まだジャンルを決めたぐらいで、これっ ていうのはないでしょ? 店先でいくつか見ていたら、まず間違いなく迷うと 思うな。そこで私が最終判断のアドバイスをしてあげる、というわけ」 「……一理ある。けど」 「それに、あなた一人がたとえば女性小物の店に入っていくところを、知り合 いの男子にでも目撃されたら、冷やかされるわよ。私が一緒なら、買い物に付 き合わされたと言えば大丈夫」 「……一理も二理もあるな」 「でしょ」 碧は満足げに頷くと、暦の横を通り抜け、玄関に向かう。靴を履きながら、 「さあ、急ぎましょ」 と言った。 「どこへ行くか、分かって言ってる?」 「記念すべき小倉さんへの最初のプレゼントなんだから、自転車で行けるよう なその辺の店で済ませる気はないわよね」 「いや、できれば近場で済ませたいんですが」 本当は遠くまで足を伸ばし、駅前のショッピングモールに行く予定だ。格好 からして姉は自転車に乗るのを嫌がると踏んで、敢えて言ってみた。着いてき てもらいたい気持ちとそうでない気持ちとが、暦の中で相半ばする。 「ええーっ、信じられない!」 靴を履き終わった碧は、音を立てて向き直った。 「好きな女の子に初めてあげるプレゼントだっていうのに! もしかして、最 初のハードルを高くすると、次からもっと苦労するとか思ってんじゃないでし ょうね?」 「それはない」 「じゃ、悪いこと言わないから、はり込みなさい。最初が肝心。目当ての店が 近くにあるわけじゃないんでしょ?」 「う、うん」 「なら、もう決まりね。私に任せなさい」 胸に右拳を当てるポーズをすると、碧は再び方向転換し、ドアを開けた。暦 は口の形だけ、やれやれ、とつぶやいた。 それから約三十分後。駅前のショッピングモールに着いた。各店舗は今日の 営業を始めてから、もう十五分ほど経っている頃合いだ。 「結局、ブローチでいいのね」 ここに来る道すがら、電車の中で検討して、ブローチがいいんじゃないかと いう気持ちに傾いていた。消えてなくなる物じゃない方がいいから、食べ物は なし。子供っぽいぬいぐるみもなし。アクセサリー類では、大げささが拭えな い指輪を除外。普段、気軽に身に着けてほしいとなると、ネックレスやブレス レット、イヤリング辺りも中学生には難しい。その点、ブローチなら制服に付 けて登校しても大丈夫なんじゃないかという話になった次第。 「ああ。現物を見て、気が変わることもあるかもしれないけれど、基本的には ブローチで」 「よし、お店決定。ちょっと歩くわよ」 碧の先導で、アーケード街を行く。休日とあって、この時間から人出は結構 なものだ。時折よけないと、すれ違う人と肩が触れ合いそうになるほど。 そうして辿り着いた先は、ファンシーショップと貴金属店が合体したような、 小物類なら何でもありそうな店だった。名前は赤字に白で“Minobu”と なっている。 「ここがお薦めよ。大人向けから私達みたいな子供向けまで、幅広く揃えてく れてる」 「へえ、全然知らなかった」 目線を店の看板から下げ、店内に移す。 「モデルやってるんだったら、こういうことにも詳しくなっておいた方がいい わよ。女子から聞かれて、知らん、じゃ済まないだろうし」 「今日で覚えた」 「まあ尤も、クラスの女子の大半は知っていると思うけどね、この店のこと。 私の口コミで」 歯を覗かせて微笑する碧。暦は肩を落とし、嘆息してみせた。 「何なんだ。もう、どうでもいいよ。それで、お目当ての物はどの辺に?」 「並びが変わってないなら……あった、あそこ」 少し背伸びして店内に視線を走らせ、確かめてから一方向を指差す碧。もち ろん暦もその方向に目をやる。幸い、他に客は一人だけで、その接客を店員が 行っている。つまり、女性の目を(さほど)気にしなくて済む訳だ。 並んで歩くようにして、ブローチのコーナーまで来た。値札を一瞥すると、 なるほど、様々な価格帯が設定されているのが分かる。高価な物はショーケー スに入っているが、そうでない物はパッケージされたまま手に取れるようにな っていた。 「暦。どんなのが似合うと思っている?」 「分かんないよ。姉さんを当てにしてるんだから。いくつかピックアップして くれたら、そこから選ぶ」 「色のイメージぐらいはあるでしょ。彼女に似合う色。黒ってことはないわよ ね」 「色か……桃色、水色、緑」 「緑にも色と付けること。名前を呼ばれたと思うじゃない」 昔、注意されたのをころっと忘れていた。暦は謝ってから、碧のセレクトを 待った。 「学校の制服に付けても違和感がない物をと考えると、どの色も難があるのよ ね。強いて言えば、水色かな。夏服になったとき、目立たなくなるけれども。 夏までには、まだ別の何かをプレゼントしたらいいわ」 「名目が……誕生日があったっけ」 「バレンタインのお返しも」 色々あるものだと得心する。ただ、バレンタインはもらえなければ話になら ないが。 「水色で、はり込むとしたらこれね。サンゴ」 「――いくら何でもこれは。出せないことはないけど、それこそ“重い”って やつじゃあ」 「出せないことはないんだ?」 示された品物の値段に戸惑い、じっと見入っていると、横合いでにやにや笑 う姉に気付くのが遅れた。 「そ、それに、この色は水色というよりも、青色だろっ」 「その通りね。水色ならこっち。トルコ石」 分かっててやってる。そうに違いない。斜め後ろから碧をじっと見据えなが ら、暦は確信した。 そんな弟の目の前に、姉が鮮やかな水色のブローチを渡す。 「……こりゃまた随分とお手頃というか。見た目もてかてかしてて、おもちゃ っぽい気がする」 「あら、見る目あるのね。それとも偶然? 説明を読んだら分かることだけど、 それは模造トルコ石」 「模造。ほんとだ。本物は? あったら見てみたい」 「天然のトルコ石は……これなんかがそうみたい」 ショーケースのガラス越しに碧の指が差し示す。その奥には、暦が今手にし ている物と比べたら、柔らかな質感の水色の石が。 (陳列の仕方とか思い込みのせいかもしれないけど、天然の方がよく見えるな。 し、しかしこの値段も……) デザインによっては、サンゴよりも高価な代物だ。いや、総じてトルコ石の 方が上か? 「どうする、暦?」 「トルコ石がいいと思う。けど、何かさ。いい物はやっぱり、“重い”かなあ。 こういうときって、分相応という言葉が頭の中を行き交わない?」 「どういう意味? 小倉さんには高価すぎるって?」 「じゃなくて、プレゼントする立場としてさ。普通の中学生が買える範囲を越 えている物を渡すのって、嫌味じゃないか。自分がそうするに相応しい人間な らともかく」 「暦は、今のモデル料、もらいすぎだと感じてるわけ?」 声を潜めつつ、聞いてくる姉に、暦も同じく声量を落とした。 「まあ、そういうこと」 「実は私も。お母さん達のおかげだもの」 「だよなあ」 姉弟はうんうんと頷き合った。 そんな様が怪しく写ったのかどうかは知らないが、店員の女性が近付いてき て、二人に声を掛ける。 「どのような物をお探しですか?」 「同級生の女の子にクリスマスプレゼントを。水色のブローチがいいというも のだから、一緒に見て回ってるんです。お薦めの物があれば、参考にしたいん ですが、お願いできますか?」 碧は慣れた調子で返事した。一瞬どぎまぎした暦は、如才ない姉の受け答え に感心することしきりだ。 「失礼ですが、ご予算は……」 店員の目が暦に向けられる。決めてこなかった暦は、頭を掻いた。 「手、手持ちはあるつもりなんだけど、その、相応しい物を贈りたいなって思 ってて、それがよく分からないんです」 顔面の紅潮を意識する。鏡が近くにあるが、覗くのはよそう。 「そうですね。贈る相手は同級生で、友達?」 暦の態度を目の当たりにしたためか、砕けた物腰になった女性店員。 「友達よりは進んでるつもり、です」 固い口調で答える。そのあとから碧が「でも恋人同士ってところまではまだ みたいです」と付け足す。何だか知らないが、頭を叩いてやりたくなった。 「でしたら、この辺りがいいかもしれませんね」 薦められたのは、暦が思い描いていた楕円の丸いだけのブローチとは違った。 何かの金属で花びらや羽のような形が作られ、そこに載せる風に小さなトルコ 石がはめ込んである。 (思っていたのと違う。でも、こういうデザインの方が小倉さんに似合うかも しれない) 碧から「どう?」と聞かれ、「よさそう」と答える。 「値段も今の自分に合っている気がする」 「そう。えっと、八つぐらいバリエーションがあるわね」 暦が迷う様子を見せると、店員が「とりあえず、八つともお出ししましょう か。手に取って比べてみれば」と提案してきた。 「それじゃ、見せてください」 程なくして並べられた八つのブローチは、いずれも繊細なデザインが特徴的 だった。それぞれ、花、ぶどう、蔦、蝶、ふくろう、猫、三日月、星を象って いる。 「……猫はないか。どっちかっていうと、これは姉さんのイメージ」 「どういう意味」 「あとで。ふくろうも違うし、花や星は当たり前すぎる感じがする」 着けたときに左右対称になるのは、楕円タイプのブローチだけでいい、なん てことを考えていた。いずれプレゼントするつもりになっているのだ。 「――三日月にしようかな。触ってもかまいませんか?」 「どうぞ」 指先で両端を挟むようにして持つ。斜め上に掲げ、明かりに透かすようにし つつ、想像する。 (小倉さんがこれを付けているところ……) 「イメージが湧かないなら、私が代わりに着けてみようか」 姉からの申し出を受けて、月形のブローチを手渡す。付けるといっても、胸 元の辺りに持って来て、服に当てるだけだが、だいたいの雰囲気は掴める。し かし、問題があった。 「……制服の方がよかったかな」 「あ、そうか。うっかりしてたわ」 言いつつも、ブローチを暦に渡す碧。 「さて、どうしよう。これに決める? どうしても制服に合わせてみたいって いうなら、出直すのもありだけど」 「いや、そこまでは」 そう答えた瞬間、視界の端を、見覚えのある制服(もちろん女子)が横切っ た気がした。往来を生徒が制服姿で歩いているのだと察して、暦はブローチを 目の高さにし、外を見た。なるべく鮮明にイメージしておきたい。そんな気持 ちからの行動だったのだが。 「あれ? 暦君だ。おはよっ」 くだんの女子生徒と目が合った。小倉優理当人だと気付くまで、約三秒。こ んな偶然あるはずないと思っていたせいで、気が付くのがやたらと遅れた。 「――あ」 そして気付いたときには、小倉は店の中まで入って来て、暦のすぐ前に立っ ていた。 「お、おはよう、小倉さん」 「こんなところで会うなんて、意外。何してるの……って、碧さんも」 碧の存在には今気が付いたらしく、恥ずかしがる風に口元を片手で多う小倉。 「おはよ、小倉さん。一人?」 ともに“さん”付けで、他人行儀に聞こえるが、実際のところ、二人は仲が いい方だ。 「一人。色々、買い物しようと思って。暦君達もでしょ?」 心の準備が整わない内に、再び話し掛けられ、暦は返事が遅れた。小倉が興 味津々といった体で、手元を覗き込んでくる。 「あ、かわいい。ブローチ?」 「う、うん」 隠そうとしたが間に合わなかった。手のひらに汗を感じる。急いでショーケ ースのカウンターにブローチを戻した。確か、トルコ石は水分に弱いと聞いた 覚えがある。 「姉さんに付き合わされちゃってさ。というか、その、ゲームに負けて、それ で買わされる羽目になって、選びに来たんだよ」 聞かれていないのに、ぺらぺらと嘘の説明をした。 「ふうん。仲がいいね」 「そうなんだ」 小倉と会話しながら、暦は背中で「ばか……」という碧のつぶやきを聞いた 気がした。 「あ、時間があんまりないんだったわ。これからあちこち回らないといけなく て。邪魔してごめんね、暦君、碧さん。また学校で!」 手首を返して時刻を確かめた小倉は、暦達に手を振りながら店を立ち去った。 「うん、また」 暦も手を振り返す。 その隣で、碧は笑顔のまま小声で、しかし今度ははっきりと言った。 「ばか」 ――つづく
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