●長編 #0370の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
世界は紅い光の中に沈みつつあった。 廃墟のようなビルが並ぶ向こうに、真紅に燃え盛る夕日が沈みつつある。 彼は、この場所が好きだ。 駅周辺の再開発が進む中、西側のこの地区だけは色々な事情から取り残さ れていた。 しかし、ようやくこの西地区にも再開発が着手され、ビルの取り壊しが進 みつつある。 古めかしいといっても、歴史的価値があるほどには古くなく、単に古びた だけののビルの多くは居住者の移転が完了しており、廃屋となっていた。 そのビルも一つづつ取り壊しが行なわれてゆき、この地区は本当に廃墟の ようなビルの屍が晒される場所となっている。 ここを少し南に下ると、大きな規模の風俗街と飲屋街が一体化した夜の繁 華街があった。 陽が沈みきり、夜の中に街が沈みきると、そこから流れてくるひとびとで この地区にもそれなりに人通りがある。 彼はその中で歌を歌う。 酔客の一部が時折立ち止まり、耳を傾ける。 彼はそうしたひとびと相手に歌うことで、満足していた。 金が無くなればバイトで稼ぎ、金ができればこの廃墟のような街の片隅で 歌う。 そんな生活であった。 ギターひとつを抱え、華やかなネオンが輝く街から少し離れたこの場所 で、枯れた声で歌い続ける。 そんな日々を過ごしていた。 彼のいる高架下の小さな広場は、かつてはホームレスのテントが並んでい るような場所だったが、ビルの取り壊し工事が進につれホームレスたちも 移動してゆき、今でもここに残っているのは彼くらいのものだ。 血のように紅い夕日の輝きをあびて、彼はゆっくりとギターを取り出す。 まだ、酔客が流れてくるには早い時間だったが、彼は気にせず歌うことに する。 聞くものがいなければ、それでいいし。 聞くものがいるならそれでもいい。 そんな歌い手であった。 彼が、その男に気づいたのは空が半ば藍色の闇に沈みこんだころだ。 その男は、今時のサラリーマンにしては珍しくきちんとビジネススーツを 着込んでおり、大きなキャスター付きのバッグを持っていた。 営業畑の人間にしては覇気がなく地味であったから、技術職なのかもしれ ないがそれにしても影が薄い。 まるで夕闇から這い出してきた、幽鬼のようでもある。 その男はゴルフクラブを入れる細長い革のケースを肩から下げ、リストラ されたサラリーマンのように呆けた顔で歌をきいていた。 陽が沈みきり街灯が光始めたころ、彼は歌い終わる。 幽鬼のように影が薄いその男は、突然狼のように凶悪な笑みをもらした。 彼は少しぞっとして、口を歪める。 「いい歌だったな。あんたの作った曲なのか?」 その男の言葉に、彼は苦笑を浮かべた。 「カート・コバーンも知らねぇのかよ」 「知らないね」 「スメル・ライク・ティーンズ・スピリットだ」 「会ってみたいね。そのカート・コバーンに」 「無理だな」 彼の言葉に、男は少し眉を上げてみせる。 「なぜ?」 「あんたあ、地獄に堕ちるタイプにはみえねぇ」 「いや」 男は、ネクタイを外し、上着を脱ぎ去る。 そのまま、手際よくスムーズにビジネススーツを脱ぎ去った。 彼は、あきれてその様を見ていたが、男は今度は手際よく黒いコンバット スーツをバッグから取り出すと身につけた。 特に急いでいるように見えなかったが、着替えるのに数十秒しかかかって いない。 そして呆れたことに、男は革靴を脱ぎ捨てると変わりに地下足袋を履い た。 「まあ、おれは地獄に行くのは行くんだろうが」 男はそう呟くと、革ケースの中身を取り出す。 抜き身の刀が姿を現した。 彼は日本刀のことはよく知らなかったが、とても無骨な鉄の塊に見える日 本刀だ。 「行くのは後、千人ほど斬ってからになるだろうな」 「あんたいったい」 男は切っ先を彼に向けた。 不思議と彼は、恐怖を感じない。 殺気がなかったせいだろうか。 「えらく、無骨な刀だね」 彼の言葉に男は苦笑する。 「判るのか。戦場刀だ。胴田貫という。それに白研ぎだからな」 「白研ぎ?」 「観賞用ではなく、人斬り用ということだ。よかったな、あんた」 男の少し獰猛な笑みに、彼は鼻白む。 「なんだよ」 「あんたを斬るつもりだったんだが」 彼は、目を見開く。 「冗談だろ、なんでだよ」 「刀を研ぎ上げたところなんでな。ひとり斬って刀身に血脂を馴染ませて おいたほうが、斬りやすい。しかし」 「ふざけんな、てめぇ」 彼は足が震えた。男は、笑みを浮かべたままだ。 「その気が無くなった。いい歌だったからな。つまらない歌なら斬ってい た。カート・コバーンに感謝することだ」 「馬鹿いえ。なんでそんなくだらねぇことで斬られないといけねぇんだ よ」 「ペテルブルクではもっとくだらない理由でひとが死ぬ。それに、殺そう というんじゃない。手足を斬り落とすつもりだった。巧く斬るから綺麗に つながるさ。それと、もうひとついいことを教えておいてやる」 「なんだよ」 男はもう彼のほうを見ていなかった。 バッグの中から銃を取り出す。 ライフルの銃身とショルダーストックを切り落としてコンパクトにした銃 だ。 ただ、コンパクトにしたといっても、普通の拳銃の数倍の大きさはある。 「このまま、ここにいたら確実に死ぬよ、あんた」 彼はギターをケースに戻すと、それを担いで立ち去ることにした。 視界の端に、大きなドイツ車のリムジンが見える。 彼は、最後に一言だけ発した。 「あんたの名は?」 「百鬼だ。亜川百鬼」 「社長、四門社長」 四門と呼ばれた男は目を開く。 学者のように冷利な瞳をしているが、身体は鍛えられ引き締まっている。 一見、ビジネスマンのようでもあるが、その威圧感は暴力の世界に身を置 くもののそれであった。 四門は口を開く。 「どうした?」 「あと10分ほどで着きます」 運転している男の言葉に、四門は頷く。 四門の乗るリムジンの窓の外は、夕闇に沈みつつあった。 あたりは、廃ビルの並ぶ廃墟のような街である。 多少は物騒な場所ではあるが、防弾ガラスで守られた装甲車のようなその 巨大なリムジンは襲われたとしても、容易く返り討ちにできた。 「王との約束の時間まで、あとどのくらいある?」 四門の言葉に運転している男が応える。 「20分ほどありますね。はやくついてしまいますが、時間をつぶします か?」 「いや、かまわない。このままいこう」 四門は、少し伸びをする。 リムジンには運転している男と、あと三人の男が乗っていた。 皆、アメリカの傭兵会社から派遣された、屈強の男たちだ。 多少、大げさな気もするが武闘派のチャイニーズマフィアと話をするので あるから、むしろ手薄なのかもしれない。 ただ実戦経験のあるSEALS出身のツーマンセル二組なら、相応の働きはす るはずだ。 保険としては、十分といえるのだろう。 リムジンは少し細い路地のようなところへ、入ってゆく。 「細かい道に入るのだな」 四門の言葉に運転している男が応える。 「工事で閉鎖された道が多いもので。すぐ抜けます」 リムジンが曲がり角を曲がったところで、20メートルほど先に人影が見 えた。 黒い影のような人影は、手になにかを構えている。 どん、と音が響いた。 血飛沫があがる。 防弾のフロントガラスを砕いた銃弾が、運転している男の頭を貫いたの だ。 残りの三人の男たちは、素早く反応する。 助手席の男はまずエンジンを切り、サイドブレーキを引く。 助手席の男と、四門の隣に座っていた男は拳銃を抜くと外へ飛び出す。 助手席の男が前衛で、四門の隣にいた男がバックアップだ。 四門の向かい側に座っていた男が銃を抜き、盾となる。 そのとき。 今度はもっと大きな轟音が響いた。 そして、何かが爆発したように、閃光があたりを覆う。 四門の盾となっている男がつぶやいた。 「スタングレネードか!」 光と轟音が消えたとき、影のような男はすぐ目の前に来ていた。 一瞬光が閃いたかのように見えると、前衛の男が頭の半ばを断ち切られて 倒れる。 白い脳髄を溜めたお椀のような頭骸骨が、地面に落ち滑っていく。 それが、横なぎにされた日本刀の一閃によるものだと理解するのに、数秒 かかった。 驚くべき太刀筋である。 バックアップの男が拳銃を撃つ。 間違いなく、影のような男の胴に着弾したはずであるが、男の動きはとま らない。 おそらく9ミリ弾では、ボディアーマーを貫通出来なかったのだろう。 再び日本刀が閃き、拳銃を持った右手がリムジンのボンネットに落ちる。 金属のような輝きを持つ、血飛沫があがった。 影のような男はさらに刀をふるい、頸動脈を断つ。 バックアップの男は、吹き上がる血のなかに崩れ落ちた。 盾になっていた男は、助手席に移りエンジンをかけサイドブレーキをはず す。 死体を運転席に置いたまま、ギアをバックにいれその場を離れようとす る。 影のような男は、片手に銃を抜き撃った。 防弾ガラスは再び砕かれ、男の頭を貫く。 運転席は血に染め上げられた。 四門はむせ返るような血の臭いの中で、呆然とする。 プロの手練を片付けるのに、おそらく一分もかかっていない。 たったひとりの男にも関わらず。 スペシャルフォース一個小隊ぶんくらいの働きをしている。 ありえない。 そんなことができるとすれば、それはもう、怪物としか言いようが無かっ た。 影のような男は、後部席のドアの前に立つ。 銃声が轟くと、ドアのロックが破壊された。 男は無造作のドアを開け、四門に声をかける。 「車から降りてもらおう」 四門はその言葉を無視し、平静を装って言い放つ。 「おまえが何ものかは知らんが、このあたりで手をひいておけ。ただでは すまんぞ」 男はそれに応えず、日本刀を突き出した。 四門は突然走った激痛に、悲鳴をあげる。 膝の上に何かが落ちた。 耳の切れ端。 血が首筋を濡らしてゆく。 四門は、嗚咽をとめることができない。 「もう一度言う。車から降りてくれ。今度指示に従わなければ、目をえぐ る。契約では命をとらないことになっているが、無傷でということには なってない」 四門は車から降りた。 足の震えを押さえられない自分に苦笑する。 暴力には慣れているつもりだった。 ふるうこと、ふるわれること両方に。 しかし、今目の前にいるその影のような男には、次元が違うものを感じ る。 「まず、その廃ビルに入れ。それからあんたの部下に電話だ。指示に従え ば止血もしてやるしモルヒネもやる」 「ひとつ聞いていいか?」 四門の歩きながらの問いに、男は応える。 「指示にさえ従うなら、なんでも聞いてやるよ」 「あんたの名前を教えてくれ」 影のような男は、狼のように笑った。 「百鬼だ。亜川百鬼」 廃墟の街に、ツーシータのドイツ車が入ってくる。 あたりは、黒服の男たちによって封鎖されていた。 申し訳程度に、工事中の標識が立てられている。 ツーシータの車から、長身の男が降りた。 痩せており、ミュージシャンのように長い髪を靡かせている。 ただ、明らかにミュージシャンと異なるのは、その獰猛な目の輝きであっ た。 まるで飢えた猛禽のような漆黒の瞳で、あたりを見回す。 「花世木さん」 花世木と呼ばれた長身の男は、黒服のほうを振り向く。 声をかけた黒服は、花世木に一礼をする。 「社長がいるのは、そのビルか」 「はい。踏み込みますか?」 「いや、戦争屋が来るまで待つ。要求はまだ何もないのか」 「はい」 「情報も無しか?」 「はい。戦争屋ですか。金がかかりますね」 花世木は苦笑する。 「どこが雇った鉄砲玉か知らんが、後でたっぷりとりたててやるさ。まさ か、王のところが雇った者ではないだろうな」 「あそこの幇には内通者がいますので、あそこに雇われたのならすぐ判り ます」 花世木は、しゃがみ込むと死体に被せられたカバーをめくり、覗き込む。 「日本刀か」 「はい、凄まじい切り口です。こんなふうに斬られた死体、始めて見まし たよ」 花世木は立ち上がり、放置されたリムジンを見る。 防弾ガラスが二カ所砕かれていた。 黒服が感心した口調で説明する。 「多分、25ミリのライフル弾ですね」 「ああ?」 花世木は、呆れた声を出す。 「大砲じゃねぇか、それは。対物ライフルかよ」 「バーレットかもしれません」 「馬鹿言え」 花世木は、口を歪める。 「戦争屋、遅いな。所轄には連絡したのか?」 「はい。手だし無用ということで。やつらも命は惜しいですからね。通報 があっても工事中ということで片付きます」 「まあ、相手はひとりなんだから、そうそう派手な銃声も爆発音もたたな いだろうが」 花世木がそう言い終えたとき、2台の軍用トラックが入ってきた。 トラックからコンバットスーツの男たちが降りてくる。 カラシニコフタイプの自動ライフルを手にしていた。 よく見れば中華製のコピー品であることが判るしろものだ。 「戦争屋のお出ましですか」 黒服の言葉に、花世木は歪んだ笑みで応えた。 男たちが整列た後に、黒のロングコートを身につけたおんなが降りてく る。 狼の鬣のように波打つ黒髪を靡かせたおんなは、アイパッチで片目を覆っ ていた。 それでもおんなは、とても美しい。 化粧をしているわけでもなく、残った片方の瞳は恐ろしく深い闇を潜ませ ていたが。 それでも、闇色の光に覆われているような美を放っていた。 「マリア・キルケゴール大佐」 花世木に声をかけられた大佐と呼ばれたおんなは、楽しげに笑ってみせ る。 「よう、花世木。おいしい仕事をありがとうよ。ヤクザひとり片付けるだ けで2千万なんだろ」 花世木は憮然とした顔になる。 「殺したらペナルティーとして一割もらうぞ」 大佐は喉のおくで、くつくつと笑いながら煙草をくわえる。 「たった2百万だろ。太っ腹だな。一応注意するさ」 「社長が死んだときには、必要経費の精算のみだ」 「ふん。さすがにそれはないな。たかがヤクザひとりが相手だろ」 「嘗めないでくれよ。実戦経験のある特種部隊あがりの傭兵を4人殺して いる」 大佐は、あはははと笑う。 「おいおい。USAの実戦配備経験があるサラリーマン兵士だろ。あたし たちとそんなのを一緒にしてもらっては困るな」 大佐は獰猛な笑みを見せた。 「あたしたちはね。殺して殺して死体の山を踏み越えてここにいるんだ。 戦うことが生きることなんたよ、あたしたちは」 大佐は、ふうっと煙草のけむりを吐き出す。 花世木は、溜息をついた。 大佐は、傍らの痩せた男に声をかける。 「ヴォルグ、どうだ。いたか、ヤクザは」 ヴォルグと呼ばれた男は、赤外線スコープと、ノートパソコンのディスプ レイに表示されたソナーの結果を見比べる。 「熱源が二つ。最上階の八階ですね、キルケゴール大佐」 「隣から屋上に行けるか」 「大丈夫ですよ」 「よし、ブリーフィングで確認したプランどおりだな」 大佐は、獲物を前にした虎のように優しく微笑む。 「ユーリの隊と、アレクセイの隊は屋上から。左右に展開して突入」 兵たちが応える。 「了解」 「イワンの隊と、アリョーシャの隊は非常階段を上がって廊下で待機」 「了解」 「ユーリとアレクセイの隊は、アサルトライフルを使うな。トカレフだけ で十分だ。ターゲットの武装は日本刀。もしかしたら対物ライフル。ま あ、そんなもの屋内ではじゃまになるだけだ。できれば、ターゲットは殺 すな」 「了解」 大佐は、手を振り下ろした。 「野郎ども、突入だ。あたしは腹が減っている。さっさと片付けて気前の いい花世木のだんなの金でディナーを食いに行くぞ。王の店で満漢全席 だ」 男たちは静かに頷くと、闇のなかへ溶け込んでいった。 「花世木。30分かからんよ。こんな仕事を週一でくれればありがたい ね」 花世木は肩を竦める。 「宮本武蔵は生涯で50数回の試合をして、一度も負けることは無かっ た。これはどういことか、判るか?」 闇の中だった。 窓から、微かな光が入ってきている。 四門は、折りたたみ式の車椅子に縛り付けられていた。 広々した部屋。 かつては、オフィスフロアであったのだろうその部屋には今は何も置かれ ておらず牢獄のように殺風景だ。 耳の傷には止血をされ、包帯を巻かれている。 モルヒネを打たれたおかげで、今は痛みはない。 百鬼と名乗った男は、キャスター付きのバッグから取り出したものを組み 立てている。 小さなハンドライトの輝きが、闇のなかに百鬼の顔を浮かび上がらせてい た。 四門は、投げやりに応える。 「何が言いたいんだ、あんた」 「ああ、つまりだ。宮本武蔵は負けると判っている相手とは試合をしな かったんだ。記録では細川藩の剣術指南役、松山主水の一番弟子村上吉之 丞との試合から逃げ出している。松山主水は、武蔵より強かったというこ とだな」 「それが、どうしたんだ」 百鬼は、四門の不機嫌な返事を意に介さず、話を続ける。 手は作業を続けていた。 「松山主水は、二階堂流の使い手だった。武蔵はようするにその二階堂流 を攻略する術を編み出せなかったんだよ。二階堂流は無敵ということだ な。事実ある種の魔法に近いものがある」 四門は吐き出すように言った。 「そんな遠い昔の剣術など、どうでもいいだろう」 「なぜ、おれが強いのかあんた知りたくないかと思ったてね」 「なんだと?」 百鬼は、闇のなかで四門のほうを振り向く。 闇のなかで影となって浮かび上がる百鬼は、悪魔のように見えた。 「おれは二階堂流の最後の伝承者だ」 四門は溜息をつく。 「あんたは自分が魔法使いだといいたいのか?」 「おれはただの剣術家だよ。現代は剣術家にとっていい時代だと思う。武 蔵も現代に生まれていればもっと斬ることができたし、もっと技を極める ことができたはずだ。武蔵の斬った数は三桁にとどいてないたろう。おれ は千人以上斬った」 「馬鹿な。そんなことできるわけが」 「ジョン・レノンの歌に戦争のない世界を想像してみな、っていうのがあ るだろう。おれたちの住むこの世界は、まさにそれなんだよ。戦争のない 世界」 四門は目眩を感じる。 百鬼の言うことに、苛立ちを感じた。 こいつは、同じ時代、同じ世界に生きていながら、全く別のものを見てい るかのようだ。 「戦争はなくなっていない。いくらでもやられているだろう。今この瞬間 も」 「戦争というのは、戦時法に基づき一定のルールに乗っ取って行われる外 交行為の延長だ。戦時法を無視した戦闘が行われれば、それは戦争てはな く犯罪、テロルと呼ばれるものになる。現代、いや、第二次世界大戦以降 に行われた国家間の戦闘は全てテロルであると言ってもいい。そして、戦 争が無くなったということは平和も無くなったということなんだ。戦争は 時間と空間を区切って行われるものだが、テロルはそうではない。いつで も、行使可能だ。現代とはそういう時代なんだよ」 四門はあきれて首を振る。 「あんたは、第二次世界大戦もテロルだというのか」 「もちろん。まさにそうだ。ドレスデン、広島。非戦闘区域に対する無差 別爆撃。戦時法では禁止されている。これをテロルと言わずして何がテロ ルなんだ。それはベトナム戦争にも持ち込まれ、やがてテロルは常態化す る。ヤルタ体制が継続している間はそれでも世界は安定していたが、それ がくずれた以降。例えばボスニア・ヘルツェゴビナ、ルワンダ、チェチェ ン、スーダン、ダルフール。社会的道徳的規制は存在せず、恣意的な殺戮 だけが世界に溢れ出した。国連はそれらを公式に容認した。つまり虐殺は 国際社会で倫理的に正当化されたんだよ」 四門は吐き出すように言う。 「屁理屈だろう、それは」 「かもしれない。でも、国家が正義を維持するのを放棄したのは否定しよ うがない。歴史的に見てそれは始めての出来事だ。だからおれたちはもう 自らの意思において、自身の倫理を選択するしかないんだ。おれはチェ チェンでも、ルワンダても、ダルフールでもそれをやってきた」 四門は鼻で笑う。 「あんたの倫理とはいったいなんだよ」 「美しく斬ること。ただそれだけだよ。武蔵の時代ですら、それは赦され なかった行為だ。現代は素晴らしい、よい時代になったといえる」 そう言い終えると百鬼は立ち上がった。 組み上げていたものが、完成したらしい。 それは人型をしたものだ。 百鬼と同じくらいの背丈があり、同じコンバットスーツを着せられてい る。 暗闇では本人と見分けがつかないかもしれない。 「よくできたデコイだろう。風船と形状記憶ワイヤーを組み合わせて出来 ている。ヒーターが最下部にあって中の空気を温めているから、赤外線ス コープで見ても熱源として認識される」 百鬼はそのデコイを四門の傍らに置くと、バッグから取り出したスプレー を身体に吹き掛け始める。 「なんだよ、それは」 「温度を下げるスプレーだ。氷の細かな破片を吹きつけてる。これで30 分ほどは、おれの身体は赤外線スコープに認識されない」 百鬼は、空になつたスプレーを放り捨てると、抜き身の日本刀を手にして 歩き出す。 「おい、百鬼」 「あんたの仲間があんたを救出するために、もうしばらくしたら突入して くるだろうからな。身を隠すよ」 そういうと、壁にある電源設備の点検スペースへ入るためのドアを開き、 中へと入る。 後に残ったのは、デコイと四門だけ。 闇が音も飲み込んだように、沈黙か降りてきた。
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