●長編 #0365の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「常識的に考えれば、同じ文面の手紙が二通、用意されていたことになる」 「二通あったとしか、考えられないんじゃあ……」 「いやいや。飽くまでも可能性の問題だが、偽の針生が仮面を被り、七尾さん から受け取った手紙を針生に回したという流れも考えられる。いつ受け取り、 手渡したのか、二人とも時刻に関しては記憶があやふやだから、決定的なこと は云えないのさ」 あらゆる可能性を考慮する。探偵として必要な思考方法なんだろうけど、場 合によっては自縛の紐になり得るだけに、どこで見切りを付けるかが大事だ。 そしてその見極めに優れているのが、名探偵なんだと思う。 「ところで百田君。七尾君はまだかい。学校には来ているはずだが」 「もうすぐですよ」 今、音無と一ノ瀬が呼びに行っている。尤も、音無は仲介役に徹したいとか で、七尾さんと一ノ瀬を引き合わせたあとは、こちらには向かわず、剣道の練 習に打ち込むと云っていた。 「我が校の校長は、割に力があるようだね。参考人聴取を望む警察に対し、孫 娘の体調が回復してからとかいう理由で、拒んでいるそうだ。つまり、この点 で僕らは警察に先んじることが――」 先輩が云い終わらぬ内に、教室前方のドアから、一ノ瀬と七尾さんが入って 来た。僕が来た時点では、他に何人か残っていたこのクラスも、今や僕ら四人 だけである。 自己紹介は事件当日に済んでいたが、改めて互いに名乗っておく。そうして、 本題に突入した。 「早速だが――一ノ瀬君」 先輩に促され、一ノ瀬は小脇に抱えていたノートパソコンを机に置いた。開 くと、スタンバイ状態だったらしく、すぐに画面が明るくなる。何らかの画像 データを既に読み込んであった。顔写真のサムネイルがずらっと……これはま さか!? 「美馬篠高校在校生全員の顔写真を入手した。君が見たという偽針生徹平がこ の中にいないか、見て行ってくれたまえ。とりあえず、男子を優先で。同時に 聞いてほしいのだが――」 七尾さんに指示をする十文字先輩を横目に見つつ、僕は一ノ瀬の腕をつつい た。 「んにゃ?」 「もしかして、あの顔写真のデータ……」 「うん。ちょっと入らせてもらったよん。セキュリティがないも同然で、玄関 から堂々と入った気分」 あうう、やっぱり。 「ばれてないのか」 「多分。たとえ辿られても、ミーとは無関係のマンションに辿り着くだけだし、 そこの住人さん達にも迷惑は掛からない。みつるっちは安心して、泥船に乗っ た気分でいて」 泥じゃなくて大だ、大。こめかみを押さえる僕の耳に、七尾さんの遠慮がち な声が聞こえてきた。 「一つずつチェックする前に、先に見ておきたい人がいるんです」 「おや。奇術倶楽部の一年生以外にも、美馬篠に知り合いが? いや、知り合 いなら顔をよく知っているはずだから、理屈が合わないな」 「僕が云ったのは亡くなった方、葛西知幸って人のことですよ。あの人の顔、 一紙だけ小さく出ていたのを見たものの、不鮮明だったから」 「おお」 感心したように口笛を短く吹いた先輩。呼応する形で、一ノ瀬がパソコンを いじり、葛西知之の写真を大きく呼び出す。 「どう?」 「……この人で間違いない」 七尾さんはためを作り、そして断定した。彼女の慎重さを感じるとともに、 確信も表れていた。 「これはいい。手間が省けた」 先輩は一つ手を打ったものの、どこか拍子抜けした様子。一ノ瀬にしても危 ない?橋を渡った甲斐がないと感じたのか、人差し指をくわえるポーズをした。 「だが、解明が進んだとは云い難い。むしろ、謎は深まった」 「被害者が犯人というパターンは、そこそこあると思いますが」 「実際に死ぬとなると、希有だ。一種の自殺と捉えるにしても、理由がいる。 葛西に自殺する動機がなかったか、調べねば」 それから、しばし沈思黙考する名探偵。自殺云々を推理できるはずないので、 別のことを考えているに違いない。程なくして、新たな質問を七尾さんにぶつ けた。 「仮面の人物から手紙を託され、それを偽針生の葛西に渡すまで、時間はどれ ぐらいあっただろう?」 「恐らく、二分とありませんでした」 「ふむ。じゃあ、仮面の人物イコール葛西という可能性は、捨てた方がよさそ うだな」 「僕に手紙を渡したあと、急いで引っ込み、衣装と仮面を脱ぎ捨てると、プレ ハブの方に回り込んで姿を現した? それはありませんよ。地面の下に隠し通 路があったとしても、不可能です」 「結構。つまり、葛西には共犯者がいることになる。いや、葛西は従犯に過ぎ ず、主犯に殺害されたと見なすべきだな」 「動機が複雑になって、特定しにくくなりそうですね。最初から狙いは葛西の 命だけだったのか、針生さんを陥れることも目的だったのか。あるいは、針生 さんも殺すつもりだったのか」 「事件の見える部分から判断するに、葛西は針生徹平への恨みがあり、荷担し た。恐らく、軽い仕返しとか悪戯のつもりだったんじゃないか。しかし、主犯 は葛西を生贄にし、針生に殺人の濡れ衣を着せるのが真の目的であった。ふん。 針生に直接会って、人間関係を聞き出す必要がある」 針生さんは事件後、病院で手当てを受け、警察に事情聴取されたあと、ひと まず自由の身になったと聞く。発見時の僕らの証言に加え、マジックを演じて いたというアリバイが、一応ではあるが認められた形だ。高校生であることも 考慮されたんだと思う。 「今、その針生さんて人、どうしてるのかな」 一ノ瀬が、針生徹平の顔写真を眺めながら呟いた。横から覗いていた僕の脳 裏には、早恵子さんの顔が浮かぶ。かなり似ている姉弟だと思う 「きっと、学校に出て来ているんじゃないかな。挫けるたまじゃないからね」 「そのことで、美馬篠の友達経由で、預かり物が」 七尾さんが制服のポケットから、四つ折りにした紙を取り出した。 「というと、奇術倶楽部の一年生?」 「ええ。何でも針生さん、十文字先輩に直接云うのは癪なんだそうで。連絡手 段もないそうですし」 広げてから、紙を渡す七尾さん。 「念のため、云っておきますが、見ていません」 「ありがとう」 受け取った先輩が、目を細める。僕と一ノ瀬は、それぞれ左右から覗き込ん だ。直筆の文章で、簡単な箇条書きだった。 ・出題し合う件は延期だ ・公演ラストで体育館を出たあと、何者かに襲われて意識を失ったのは、薬品 の類ではなく、腹を殴られたため ・そのときの相手も仮面を被っていたかもしれない。が、記憶曖昧 ・倉庫内で気付いたとき、他に人影はなく、物音もせず ・教師を含め、校内の人間から恨まれる覚えはない。嫌いな奴、肌の合わない 奴はいるが、恨みを買うほどではないはずだ ・葛西は以前、パズルの大会でおまえと会ったことがあると話していた 「恨まれる覚えがないというのは、本人には分からないことが多いから、無視 するとしよう」 動機に関してはこんな判断を下すと、先輩は次に四つ目の項目を指差した。 「この証言により、針生が意識を失わされる前から、葛西は既に殺害されてい た公算が大と云える。と同時に、犯人は針生の命を奪ったり、深手を負わせる つもりはなかったと推察できる」 「殺害の方は、バケツのトリックが発動すれば大きな音がしたはずだからと分 かりますが、針生さんの命を狙う気がなかったとするのはどうしてです?」 「そのつもりがあれば、犯人は葛西に施したのと同じ仕掛けを、針生にもして いたんじゃないか。そうしなかったのは、飽くまで狙いは、濡れ衣を着せるこ とだったんだ。無論、今後はどうなるか分からんがね」 僕が納得している横から、一ノ瀬が手紙の最後の行を差し示す。 「ねえねえ、十文字さん。葛西って人と面識があるみたいなこと書いてあるけ ど、これについては?」 「残念ながらというべきか、覚えがない。向こうが覚えていたのなら、そうな んだろう。わざわざ文化発表会の日に犯罪を決行したのは、僕を巻き込むため かもしれないし、容疑を生徒や教師だけに限定させないためかもしれない」 「あと、これは奇術倶楽部の友達から、直に聞いたんですが」 タイミングを計っていたらしい、七尾さんが口を挟んだ。 「針生さん、実際のところ、かなり怯えていらっしゃるそうです。事件が続く んだとしたら、次に狙われるのは自分じゃないかと」 ライバルである十文字龍太郎に助けを請うのはプライドが許さない、という ことなんだろうか。命に関わるかもしれないのに。 「奇術倶楽部の一年生四人も、心配していて。ですから、僕からもお願いしま す。事件を解決して、針生さんを安心させてください」 机の縁に両手をつき、きっちりと頭を下げる七尾さん。“僕っ子”には違和 感あるけど、こういうところは躾の賜なのかな、なんて思う。 「頼まれなくても、そのつもりだよ」 十文字先輩は余裕のある笑みを覗かせた。 このあと、明かせる限りの捜査情報と、調べてほしいことを七尾さんに伝え て、散会となった。 「死んだ葛西が、針生先輩を名乗っていたなんて」 電話口の向こうで、無双が叫び気味に云った。数多あった情報の中で、一番 意外そうにしている。 「うん、僕も驚いた」 七尾が応じる。 「新聞の写真を見て、あれ?とは感じたんだけれど、そのときはまさかと打ち 消しちゃった」 「そっかあ。あ、ていうことは、私達が葛西の写真を用意して、見せていたら、 確信を持てていた?」 「そうなる」 「うーん、マジック探偵団、大失策だわ」 「ごめん。次に何か気付いたら、真っ先に伝えます」 「丁寧語で謝るほどのことでもないけど。十文字探偵に先んじるとこが、一つ ぐらいあった方がいいかなって思っただけで」 「あの人なら、そういう駆け引きよりも、盛り立てた方がいい感じ。根っから の探偵ね」 「ふうん。まあ、とりあえず私達の考えをまとめるのは、全員揃ってからにす るとして――」 七尾が十文字から聞いた情報を、文章にまとめ、奇術倶楽部の四人にメール 送信したのは、ついさっき。無双が電話を掛けてきたのは、そのメールを待ち きれなかったためであった。 「針生先輩に伝えるべき注意点はある? 危険が差し迫っている兆候があると か」 「具体的にはまだないが、油断はできないっていうニュアンスだった。それで、 メールにも書いたけれど、美馬篠高校関係者で針生さんと親しい人をリストア ップして、トラブルの火種がないか、第三者の目でチェックしてみて。表には 出てなくても、恨みを買うケースがあるから、本人の話を必要以上に重視しな いように」 「分かった。でも、動機を調べるなら、葛西の分もじゃない? 共犯の一人だ としても、殺されてしまったんだから」 「そちらに関しては、下手に嗅ぎ回るとみんなにまで危険が及ぶ恐れが大きく なるから、無理しなくていいって」 「うん? そりゃあ、針生先輩に関しては、親しいから調べやすいというのは あるわよ。でも、危ないかどうかなんて、五十歩百歩じゃないかしら」 「動機探しが共犯者捜しにも通じてしまうでしょ。そうなると、僕が偽針生が 葛西だと気付いたことまで、犯人に察知されかねない。できる限り、伏せてお きたいみたい」 「分かったような分からないような。もしかして、警察にも云わないの、偽針 生の正体?」 「ううん、それはきちっと証言する。警察サイドで伏せるだろうってこと」 「極限られた者しか知らない情報、ってやつね」 納得した様子が、電話越しにも感じられる。 「だからこのことは、そっちでも四人の間だけの秘密にしておいて」 「了解」 簡単に請け合う無双。といっても、彼女を始めとする奇術倶楽部四人の口の 堅さは、筋金入りだ。何たって、小学生の頃からマジックを習いながら、その 種を一切口外しないでいるのだ。 「じゃ、くれぐれも気を付けてね。何たって、犯人と接触してるんだから」 「それを云うなら、美馬篠高校の近くに犯人がいる可能性だって、結構高いか もしれない。お互いに注意しなくちゃ」 次に練習で会える日を確認して、この日の電話は終えた。 期末テストを意識し始めていい頃合いになった。天才でも秀才でもない僕は、 勉強が気になり出す。探偵のお手伝いというかワトソン役はひとまず降りたい とこだが、あの先輩から逃れられるはずもなく。それに、音無の件もあるし。 あとはもう、一刻も早い解決を願うばかりだ。 「さて、百田君」 貴重な休み時間を利して、暗記をしていたら、一ノ瀬がおかしな口調で始め た。君付けで呼ばれるのは久しぶりのような気がする。 「今回の指令だが、次の土曜の正午、駅に集合だ。時間厳守。尚、このテープ は自動的に巻き戻される」 スパイ物の影響だなと思っていたら、消滅しないのかよ、テープっ。 「一ノ瀬。テープに質問したいんだが、答えてくれるのか?」 「イエス」 「集まってどこへ行くのか知りたい。一緒に行く顔ぶれも」 「ミーと十文字さんと八十島(やそじま)さん」 いつにない早口にすっと流しそうになったが、八十島さんて誰だ。 「あ、八十島さんていうのは、五代さんの柔道の先生の一人で、警察の人なん だって。要するに刑事さん」 「な、何で刑事が」 「五代さんが十文字さんの暴走を心配して、お目付役に頼んだみたいだよん。 刑事さんだって事件に関心あるに違いないし、一日ぐらいなら問題ないってと ころなのかな」 矢張り、目的は美馬篠高校での事件関係か。 「で、行き先はね、七尾さんの通うマジック教室。魔法学校じゃないから、く れくれたこら、じゃなくてくれぐれも間違えないように」 「え。何でまた」 「十文字さんが云うには、針生さんに話を聞くのがそもそもの目的。今度の土 日の予定を尋ねたら、マジック教室に見学に行くことが分かった。関係者の多 くが集まる場に行けば、得るものも大きいかもしれない。そんなとこ」 「じゃあ、針生さんはどうして見学に行こうと思ったんだろ」 「事件の後遺症で塞ぎ込んでいたのを、気分転換したいんだって、十文字さん は聞いたらしいよん」 「……ところで、一ノ瀬はいつ十文字先輩と会って、そういう話をしたんだ」 普段なら、先に話が回ってくるのは僕なのに。いや、まあ、別にどうでもい いんだけれどさ。 「ネットに出ていた双子素数に関する偽の証明が、傑作ジョークだったので、 これは教えねばと思い立ち」 ……本当か嘘か分からない。第一、双子素数って何だっけ? 習った覚え、 あるようなないような。 「ついでに聞いておきたいんだけどさ。一ノ瀬は何で、十文字さんの探偵に付 き合うんだ? 毎回毎回……」 「前に云わなかったっけ。万が一、ミーが犯罪を起こすことになったと場合に 備え、敵を研究しておくためさっ」 少なくともその返答は初耳だぜ。そもそもだ。犯罪ならたまにやらかしてる んじゃないのか。ネット関係のを。 僕の顔を見て、一ノ瀬が首を捻った。 「気に入らない? みつるっちが気に入りそうな答となると……名探偵に引っ 付いてるみつるっちが、危ない目に遭いやしないかと心配で心配で。だから、 ミーも付き合ってあげている、とかでどうかにゃん」 「……冗談は横に置いといて」 実際、冗談だろうし、頭脳労働ではなく武力面で、一ノ瀬が役に立つとは思 えない。むしろ、確実に足手まといだろう。 「念のために聞いておきたい。まさか、十文字先輩のことを好き、とかじゃあ ないよな」 五代先輩の顔を思い浮かべつつ、聞いてみる――と、一笑に付された。同時 に、猫の手握りをして、それを左右に振る一ノ瀬。 「恋愛って意味なら、ないない。ミーは昔ね、コンピュータをいじってばかり いて、人間関係薄っぺらかった頃があって。今はその反動で、色んな人と関わ りたいんだよ。好き嫌いとか合う合わないとかじゃなくって、直感で気になっ たらゴーサイン。来る者は拒まず、逃げる者は追い掛けるって方針で」 次の言葉を喋りながら、一ノ瀬はこれまで見せたことのないような、爽やか な笑みを満面に広げた。 「コンピュータだけが友達だったのが、コンピュータが友達の一人になった。 そんなとこかな」 「僕もその一人に入ってる?」 「そーなるね」 鬱陶しいときもたまに、いやしょっちゅうあるけれど。でも、悪くない。 予定は未定であり、決定ではない。 土曜日の十二時半に、僕らはマジック教室の入っているビルに到着した。駅 から電車で行くつもりだったのが、八十島刑事の運転で、警察の車に乗り合わ せて来たのだ。殺人事件関係者の護衛という名目を捻り出したらしい。 「上司命令とはいえ、こんな多人数のお守り役は、正直、疲れそうで、今から 神経ぴりぴりしているよ」 巨漢だが柔和な顔つきの八十島刑事は、僕らに無茶な行動は慎むようにと口 酸っぱく注意を垂れたあと、こんな愚痴をこぼした。今日初めて会ったけど、 五代先輩の柔道の先生(の一人)と聞いていなければ、単に身体の大きな人に 思えたろう。 「このあと、マジック教室で何か事件が起きると決まった訳ではないのですか ら、そこまで張り詰める必要はないでしょう」 十文字先輩は敬語を交えつつも、どことなく馴れ馴れしい口調である。いつ ものことだけど、大人相手にもこれだと、端で見ていて精神衛生上、よくない。 「リラックスし、多少脱力した方が、本来の動きができるともいいます」 「アドバイスに従うとしよう」 苦笑を浮かべた八十島刑事。内心、誰のせいで……と思っているに違いない。 その証拠に、彼の細い眼がじろっと先輩を睨んだ気がする。 「約束は一時だが、早くても差し支えなかろう」 僕ら四人はビルの中に入り、教室の所在を案内板で確かめてから、エレベー ターで向かった。 「針生には、警護が付いていなくて大丈夫なんでしょうかね?」 上昇する短い時間にも、十文字先輩は刑事に話し掛け、情報を得ようとする。 実は、車の中でもこの調子だった。八十島刑事は顔とは正反対に口は堅く、大 して有益なことは喋ってくれなかった。せいぜい、新しい動きは見られないこ と、犯行予告状?にあった字の筆跡を鑑定したが誰のものとも特定できなかっ たこと、偽針生と判明した葛西を洗っていること、この三点ぐらい。 「連続殺人事件と決まった訳でなし、予告状に示唆されていもいない。葛西が 無理心中を失敗したという見方も、できなくはない。現状で、針生君自身が護 衛はいらないと云うんだから、無理矢理付けることがあるまいという判断だ」 「えっ、あいつの方から断ってきたんですか」 意外そうな先輩。声の調子が荒っぽくなったのは、警戒を怠るなという忠告 を無視した針生さんに、腹を立てたのか。あるいは、七尾さんの云った「怯え ている」という話との矛盾に違和感を覚えたのかも。 「いや、ニュアンスがちょっと違うな。我々から護衛しましょうと持ち掛けた のではない。今後、もしも自宅の方にまで危害が及んだ場合、対策を講じる必 要があることを説いた。すると、そうなったとしても、護衛なんて付けなくて かまわない。それが針生家の総意ということだ」 目指す四階でエレベーターが止まる。会話は打ち切られた。皆、静かに廊下 の奥にある一室へ向かう。そこでマジック教室が行われているはず。八十島刑 事がノックをして名乗ると、「どうぞ」の声とともにドアが開いた。 「話は伺っております。ここでマジックを教えている、マジシャンのテンドー・ ケシンです」 僕達を中へ招き入れながら、手早く自己紹介をしたのは、左右に立てた鼻髯 に特徴のある中年男性。耳に心地よい、穏やかな声をしている。この人、テレ ビで観たことがあると感じた。マジックに詳しくないので、名前を聞いてもぴ んと来なかったけど。 でも、十文字先輩はよく知っているようだ。短い間だが、目を見張ったのは、 驚きの表れだろう。まさか教えるのがこんな有名なマジシャンとは、流石に予 想していなかった――といったところかな。 僕ら高校生三名も自己紹介をしてから、教室中程の椅子に着席した。一つ前 には、すでに針生さんが座っている。そのさらに前、最前列には美馬篠の奇術 倶楽部一年生達と七尾さんが熱心にレクチャーを受けていた。 「ちょうど、教えている途中でしてね。しばらく待ってくれますか。区切りの よいところまで済めば、休憩としますので」 テンドー・ケシンさん――さん付けも変か――の断りに対し、八十島刑事か ら不満が出るはずもなし。僕らは針生さんと同様、見学する形となる。 しばらく眺めていると、フォーシングという心理的なテクニックを教えてい るのだと分かる。たくさんのトランプの中から、マジシャンの望む一枚を引か せるというやつ。ただ、その手順を見ただけでは、やり方はさっぱり分からな い。舞台裏を簡単に明かしてくれるんだなと思ったら、こういうことか。 「――さて、これで一区切りとしていいのですが、折角ですし、ちょっとした 実験台になっていただきましょうか」 ケシンが目線を上げ、僕らを順に見渡す。「実験台と云いますと?」と、声 に出して反応したのは、八十島刑事だった。 「この子達がどのくらい理解し、実践できるかをチェックするために、簡単な お手伝いをお願いしたい。じゃあ、七尾君から」 七尾さんは席を立つと、まだ戸惑いがちな刑事の前まで来て、トランプを手 に始めてみせる。カードを開いて扇を作り、マークや数字がばらばらに並んで いることを示すと、「こうやって広げていきますから、刑事さんが好きなカー ドを一枚、人差し指で触れてください」と云い、カードの表が見えないように 伏せる。カードの扇を一旦畳んだかと思うと、またすぐに右端から徐々に開い ていく。 八十島刑事は右手の人差し指を構えた。じきに彼の指が一枚のカードに触れ る。七尾さんははにかみながら、 「えっと、味も素っ気もない当て方をしますけど、勘弁してください。刑事さ んが選んだのは、スペードの8ですよね?」 まさかという顔をしつつ、カードを抜き取り、表向きにする八十島。次に、 巨体に似合わず、「わっ!」と声を上げてカードを取り落としてしまった。ひ らひらと舞い、床に表向きに落ちたそれは、七尾さんの言葉の通り、スペード の8。 「ど、どうやったんだい、これ」 目を白黒させる八十島刑事。問われた七尾さんは肩を縮こまらせている。刑 事相手という意識が頭にあるせいか、種を教えるべきか迷っている風に映った。 「秘密です」 ケシンが助け船を出す。 「あなたが落としの達人でも、マジシャンは種明かしをしませんので、あしか らず」 「それもそうか。こいつは失敬」 八十島刑事が頭をかき、柔和な笑みを見せると、七尾さんは金縛りから解放 されたみたいな動きで、急に頭を下げ、元いた席に駆け戻った。 このあとに続いて、僕も衣笠という女子に全く同じマジックを試され、もの の見事に引っ掛かった。次は一ノ瀬の番。空気を読めよと囁いておく。にも拘 わらず、こいつはほんと、しょうがない奴で……。扇の開き具合を無視し、向 かって一番左端のカードに、猫の手で触れた。相手をした無双という女子は案 の定、眉間にしわを作って弱り顔になる……が、それはほんの一瞬だけで、即 座に余裕の氷上に変化した。これはどうしたことかと怪訝がる僕の視線の先で、 無双さんは「予め、七尾さんから聞いておいてよかったわ」と聞こえよがしに 呟くと、一ノ瀬に「どうぞ、ジョーカーをめくってくださいな」と告げた。 素直に従った一ノ瀬は、選んだカードがジョーカーだと分かると、「おおー、 これは凄いっ」と驚く。わざとらしいが、驚いているのもまた確かだ。 「三番手というだけでやりにくいと思っていたが、これじゃあますますやりに くいな」 次に控えていた法月という男子――学園祭のマジックショーで黄色い声を浴 びていた――が、前髪をかきあげつつ、苦笑混じりに云った。確かに。同情さ せてもらうよ。すると、 「残るのは俺と十文字だが、カードマジックのフォーシングなら、二人とも基 本原理を知っているからな。別のがいい」 針生さんがそんなことを云い出した。提案はさらにエスカレートする。十文 字先輩に向き直ると、針生さんは続けた。 「法月達には悪いが……いい機会だから、勝負と行こうじゃないか、十文字」 「強引だな。この間の勝負がお預けになっていることであるし、まあかまわな い。マジック勝負か?」 周囲の人達の気持ちなんか無視して、勝手に話を進めるライバル二人。 八十島刑事はへし口を作り、早々とそっぽを向いてる。付き合いきれない、 といったところだろう。分かる分かる。 「ケシンさん、紙コップ、ありますよね?」 「ああ。小さな子がカップアンドボールの練習をするのに、ちょうどいいんだ」 「四つ、使わせてください。フォーシングの応用をやってみたいんです」 望み通り、ケシンは紙コップ四つを用意してくれた。その間、針生さんは外 に出て、多分自動販売機で買ったのだろう、五百ミリリットルサイズのミネラ ルウォーター一本を調達してきた。早速開栓し、各コップにおおよそ三分目ず つ、均等に注いでいく。 「さて、ここから、思い付きの勝負と見せ掛けて、実は準備万端だとばれてし まうんだが……僕はレモンのエキスを持って来ている」 マジシャンぽい手つきで、胸ポケットから小さな容器を取り出す針生さん。 弁当に付いてくるソース入れに似ている。いや、そのものだ。魚型ではなく、 円柱タイプのその小さな容器には、透明な液体がほぼ一杯に入れられている。 「針生はレモンを苦手にしていた記憶しているが」 十文字先輩の指摘に針生さんは満足そうに頷き返す。 「今でもそうさ。おまえだって、レモンは好きではない、だろ? 苦手までは 行かないにしても」 「ああ」 「このエキスは濃縮されていて、普通のレモンの十倍ほど酸っぱい。口に含め ば、確実に表情に出る」 「ふむ、読めてきたぞ。おまえがエキスをコップのどれかに投じ、僕は一つを 選んで飲むんだな? エキス入りを選ばなかったら、僕の勝ち」 「そういうことだ。不正というかサクラの余地がないよう、誰にも見られない 形で入れる。分量は残りのミネラルウォーターで調節し、ぱっと見では区別で きないようにする。どうだい、受けるかい?」 「……僕の選ばなかったコップ三つを、おまえが飲み干すのなら、受けよう」 どうやら先輩、全部のコップにレモンのエキスを垂らされるのを警戒してい るらしい。針生さんに飲ませなくても、全部のコップを先輩自身が飲んでみれ ば分かることだが、レモンエキスを何度も味わいたくないのと、針生さんにレ モンエキスを飲ませてやりたいという思惑から、こんな提案をしたに違いない。 条件を提示され、針生さんは笑い声を立てた。 「なるほど、おまえらしいな。いいだろう。こっちが九割方勝てる勝負だから な」 「ケシンさん。針生がやろうとしていることは、あなたが教えたものですか?」 十文字先輩はライバルの返事を無視し、プロマジシャンに向かって尋ねた。 答はノーだった。 「元々、彼はこの教室に通っている訳ではないんでね。ごく初歩のレクチャー をしたことがあるだけだよ。どんな手際を見せてくれるのか、私も楽しみだ」 「ばれなかった場合、種明かしをするつもりはありませんので、あしからず」 針生さんは得意げに笑った。そうして早速セッティングに取り掛かる。全員、 背を向けるように云って、その間にコップのどれかにレモンエキスを入れ、他 の三つの分量を水で調節した、らしい。僕も見ていないのだから、想像で記述 するしかない。 程なくして許可が出され、僕ら全員、揃って振り返る。十文字先輩を先頭に、 長机上の四つのコップを上から覗く。匂いや色、紙コップ自体の外観も含め、 違いはない。針生さんの宣言通りだ。彼は改めてコップ四つを横一列に並べた。 「さあ、選んでくれ。予め注意しておくが、五分以内に頼むぜ。蒸発を待って、 飲まずに済ませるのはなしだ」 「何だ、そうしようかとも考えていたのに、残念だ」 冗談なのか本気なのか分からないやり取りに、教室内は妙な空気に。それを 破ったのは――当然――、一ノ瀬だった。 「心理的なトリックに対抗する一つの方法は、ランダムセレクトだねっ」 「おっと、それもなし」 すかさず針生さんが針を、基、釘を刺す。流石、先輩と張り合うだけのこと はある。 「念のために聞くが、針生はどのコップにレモンエキスを入れたのか、承知し ているんだろうね?」 「無論。断っておくと、質問は受け付けるが、こちらの答が正確とは限らない。 嘘を云うかもしれない」 「ふむ。では」 先輩は右端のコップを指差した。 「君がレモンエキスを入れたのは、このコップか?」 針生さんはにやりと笑い、何もかも承知したという風に、大きな動作で首肯 した。 「ああ、入れた」 自然な口調の返事だ。少なくとも、僕にはそう聞こえた。 先輩は続けて尋ねる。一つ左隣のコップに指を移し、同じ質問をした。答も さっきと同様、「入れた」だ。先輩はさらに残る二つのコップに関しても、全 く同じ質問を重ね、針生さんは全く同じ返答をした。いずれの場合も、表情や 口調に最初に答えたときと差はないようだった。 「リミットまで、あと三分あまりだ」 「……針生、君はまだレモンエキスを入れていないんじゃないか」 「ん? それはどういう意味だ」 「僕が選んだ後に、そのコップにうまくレモンエキスを垂らすつもりじゃない だろうねってことさ」 「なるほど。そんなことはないが、疑いを払拭するには、どうすればいい?」 「コップから離れてくれ。そして、どんなことがあろうと、僕が選んだコップ に僕が口を付けるまで、触れないでくれればいい」 「了解した。他に質問は?」 コップを置いた机から三メートルほど遠ざかり、腕時計を見る針生さん。余 裕綽々だ。 「僕の代わりに君が選んでくれないかな?」 「何だって?」 「どれにするか、正直云って迷っている。君が先に三つ選んだら、残りの一つ を潔く飲むとしよう」 「冗談じゃない。俺は答を知っているんだ。ゲームにならん。それに、おまえ の『潔く飲む』って言葉自体、信じられないね」 「やれやれ。ライバルとはいえ、あんまりな言い種だ」 「いいから、早く選べ。あと……一分半だぞ」 「あと一つだけ、絶対にやってもらいたいことがある。君の用意したレモンエ キスが毒にすり替えられていないか、調べてくれ」 「な――」 応じる言葉をなくす針生さん。 毒と聞いて、八十島刑事が物音を立てて振り返る。全身に真剣さが漲るのが 分かった。 「毒とは穏やかでないな。どういう意味だね」 「今度の事件の犯人が、依然として針生を狙っているなら、彼の所持する飲食 物に毒を仕掛けるケースを想定するのは、飛躍ではないでしょう。ここに来る までの間に、レモンエキスの容器を見つけた犯人が、これ幸いとばかりに毒を 入れたかもしれない。針生、おまえが飲む物と信じてな」 「容器はずっとポケットの中にあった。機会はなかったはずだ。俺のレモン嫌 いも、結構知られているから、俺の命を狙うならレモンエキスに毒を混ぜる訳 がない」 「犯人がレモン嫌いを知っているとは限らないし、中身を確かめずに毒を投じ たかもしれない。あるいは容器が空の状態のときに、少量の毒を入れた可能性 だってある。毒を入れるチャンスだって、たとえば、容器ごとすり替える方法 なら、さほど時間を要すまい。さっき見た容器、大量生産品に違いないから、 用意するのも簡単だ」 「それは、そうかもしれないが……」 針生さんの声が小さくなると、八十島刑事が折を見計らった風に、手を打っ て大きな音を立てた。皆の視線を集め、刑事は重々しく述べた。 「そこまでだ。あれこれ論ずるより、実際に調べた方が早い。針生君、容器を 出して机に置いたら、手を洗う。用心して、手を口に持って行かないように。 分かったね?」 「はあ、はい」 従う針生さんを視認すると、刑事は僕らにも「無闇にそこらを触らないよう に」と注意してきた。 ――続く
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