●長編 #0262の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「じゃ、何かあります? いきなり推理しろというのも無茶ですから、質問を 受け付けますよ」 綾川が砕けた口調で言った。場が深刻にならないよう、虚勢を張っていると も思えた。 「えっと。あの、推理というよりも、対処になるんですけど」 「対策ですね。歓迎しますよ」 「候補者の皆さんは、事件に関して知らされているのでしょうか」 「知らせておりません」 即答したのは編集長だ。 「源之内先生が倒れたことも、脅迫状のことも、全く伝えていない。現段階で 不安を煽っても逆効果だろうし、まだ内密に処理できると思ってますからね、 我々は。こんな事件を公にすれば、次回からの投稿数が減る恐れがある。そん な事態、なるべくなら避けたいというのが人情でしょう」 人情というのは少しずれた感覚だと思わないでもなかったが、若山は首を縦 に振っておいた。 「候補者の安全は確保してるんですね」 「ここに来ている編集者の中から、特に信頼のおける男数名を選び、交代で、 候補者の皆さんのいるフロアに立たせています。見張り兼ボディガードですな。 尤も、エレベーターをチェックすればいいのだから、素人でもできる」 西田の話によれば、四人の候補者達は今、同じ二階に用意された各自の部屋 にいるという。同階には他に、編集者の部屋しかなく、第三者が接近するには、 一つしかないエレベーターか階段、あるいは建物外壁に設置された非常階段を 使うほかない。非常階段と建物内とをつなぐ扉は施錠されており、外から開け ることは不可能。また、階段とエレベーターは、一地点から見通せる配置にな っている。つまり、実質的に一人の見張りで事足りる訳だ。 「封筒は、皆さんでとうに調べられたと思います。犯人特定の手掛かりになり そうにないんですよね?」 「封筒も、中の用紙も、どこにでもある代物でしたよ。字体を詳細に調べれば、 プリンターの機種を割り出せるかもしれないけれど、それは警察の領分」 「脅迫状が、えーっと、管理人室の窓口ですか、そこに置かれた時間帯はどの 程度、特定できますか」 若山は、思い付くままに質問を発しているため、脈絡に乏しい。だが、小説 と違ってページを行きつ戻りつして確認することはできないのだから、こうな るのも仕方あるまい。 「それが、さっぱり」 中畑が肩をすくめた。管理人は面目なげに頭をかき、しょげた声で答える。 「今日は華やかなイベントっちゅうことで、受付は女性社員の役目でした。だ から、そのときから自分は管理人室を離れていました。受付が終わり、皆さん が会場入りされたあとはあとで、管理人室に誰も用がないもんですから、ちょ っと覗きに戻っただけでまた離れ、胡桃沢さんと一緒に、彼の部屋で話し込ん でいた次第です。あ、胡桃沢さんというのは――」 「知ってます、存じ上げてます。それで結局、何時から何時まで、管理人室は 無人だったんでしょう?」 「正確な時間は覚えていませんが、昼の三時から夜九時頃だったと思います」 「夜九時頃というのは、源之内先生が倒れたあと、適切な病院を当たるため、 電話をしに管理人室に戻ったときですか?」 「えっ。そう……なりますね」 天井をにらむような上目遣いをしたあと、堂本は請け負った。 「だとすると幅が広すぎて、誰でも置きに行ける……。三時から九時までの間、 他に、管理人室を覗きに行った人はいなかったんでしょうか」 「まだ全員に話を伺った訳じゃないので、何とも言えないが」 西田編集長が口を挟む。 「荒耕社の人間全員には当たった。誰も管理人室には行っていないと答えた。 うちにとって大きなイベントが進行中なのだから、それも道理です。大勢の来 賓来客に気を遣うことはあっても、管理人室に目を向ける必要はない」 「でしょうね……。他社の人が、ここに来ているというようなことはありませ んか」 「今度は動機の面から攻めますか。セオリーだし、狙いはいいが、残念ながら、 答はノーですよ」 綾川が答えた。それから編集長の方へ「でしたよね?」と、目配せした。西 田は黙したまま、力強くうなずいた。自社主催の新人賞のイベントに、他社の 人間を呼ぶのは、敵に塩を送るようなものだ。授賞式だけならまだしも、選考 の場に立ち会わせていては、惜しくも落選した候補者達をよそに持って行かれ かねない。 「でも、他の動機って、考えられますか? ミステリ好きの人間が、有力な新 人を排出してきた賞を潰そうなんて、思いませんよ」 「いい機会だから、私の方から編集長に聞いておきたいんですけど、よろしい かしら」 中畑が西田に聞く。 「どうぞ」 「荒耕社内で、探偵小説大賞に反対する動きは皆無? 西田さんに反感を抱い ている人とか、スポンサー離れに頭を痛めているとか」 「これはまた、率直な」 苦笑いを浮かべた西田。相好を崩すと、愛嬌の出て来る顔立ちだ。選考会の 席で如才なく振る舞っていたことを、若山は思い出した。 「おかげさまで、スポンサーの問題はありません。賞金こそ長らく据え置きで したが、ドラマ化したときの視聴率は安定しているし、読者の評判も上々です からね。一方、この私に反感を抱いている者となると、そりゃいるでしょう。 けどね、探偵小説大賞は荒耕社の金看板の一つだ。今、この看板を下ろすよう な真似は愚挙にほかならない。私を目の上のたんこぶに感じてる奴だって、そ んな馬鹿はしませんよ」 「なるほどね。となると……あとは、愉快犯か、かつて自信作を落とされた作 家志望者の逆恨みといったぐらいかしら、ありそうな動機って」 「作家志望者が招かれているんですか」 若山は疑問に感じた。彼自身のように、犯人当てで好成績を上げたので招待 されたケースを除けば、他に一般読者が参加できる余地など、ないように思え たのだ。 「ミステリ同好会の類で、有名どころには招待状を発送し、代表二名まで枠を 設けたんだそうだ。その中に、これまでの探偵小説大賞に応募した人がいても、 不思議ではない」 教えてくれたのは綾川。指摘されてみて、若山は、妹尾妹子を思い出した。 何という賞かは聞かなかったが、彼に投稿経験があるのは間違いない。 「名前の照会はできませんか? 以前、探偵小説大賞や、荒耕社の関わった賞 に応募し、落選した者が来ているかどうか……」 「無茶というもんだ、そりゃ」 編集長が一笑に付す。 「最終選考で落ちたとかだったら調べもつくが、一次にも引っかからなかった となれば、お手上げです。一次選考通過者辺りからなら、どこかに記録は残っ ているだろうが、今年も含めて十回分を当たるだけで、どれだけ時間が掛かる ことやら。他の短編賞やショートショートまでに範囲を広げたら、きりがない」 「それでも、他に動機が考えられないのなら、一般参加者の中に犯人がいると 考えるのは、自然な理屈じゃないでしょうか」 「面白い。それを認めると、若山さんも容疑者の一人に数えられる訳だ」 綾川がすかさず言うと、室内には短い笑いが生まれた。本気で述べた若山は、 笑えなかったが。 「投稿経験はありませんよ。短いのを手遊びに書いたことがある程度で」 「ジョークです。気に触ったのでしたら、お許しを」 ぺこりと頭を下げる綾川。雰囲気を明るくすべく、おどけて振る舞うのはい いが、礼儀正しさが芝居がかって見えた。 「しかしね、動機に関しては異なる意見も、僕らの中では出たんです。ええ、 若山さんを呼ぶ前の段階で」 綾川は中畑に視線を振った。イニシアチブのバトンを受け取った中畑が、話 を進める。 「大賞に選出される可能性のなくなった、あるいはなくなったと感じた候補者 の誰かが、絶望のあまり、凶行に走ったとは考えられないか――立派に動機と して成立するでしょう」 「ええ。でも、問題点が二つ、あります」 若山は冷静に指摘をする。 「一つ目は、その動機だと、毒物や印刷した脅迫状を用意しているのは、準備 がよすぎる点。毒の方は、源之内先生の一件が犯罪だったとしての話になりま すが。二つ目は、実際に選考会を見た限りでは、確実に落選が決まったと言え る作品はなかった点」 「その通り。私達も同じ結論に達したわ」 「あ、ついでに聞いておきたいんですが、選考はどうなるんでしょう? もし 仮に源之内先生が復帰できないとして、他の方々だけで決めるのか、どなたか を選考委員として補充するのか、選考会そのものを延期するのか……」 「そのことなら、元々、規則に定めてありましてね」 西田編集長が、待ち構えたかのように答える。 「最終選考委員に欠員が生じた場合、その前段階の選考を行った者からくじ引 きにより選出し、これを補う、としています。ただし、現時点でこれを適用す るかどうかは微妙で、源之内先生が意思表示ができる程度にまで回復されたな ら、そちらの譲原君が――」 沈黙を保っている女性編集者は、名を口にされても、黙礼をしただけだった。 「――病院で意向を聞き取り、選考会の場でそれを発表することになるでしょ うな」 「分かりました。つまり、選考委員を狙っても、選考結果を思いのままに操り、 意中の作品に大賞にを獲らせるのは不可能と言えますよね。欠員補充もくじで 決められるんだから」 「僕はひねくれているから、完全にできないとは断定しません」 当然、肯定の返事があるものと思っていたところへ、綾川が言った。若山は 目を見開き、「え、どうやって?」と聞き返した。 「選考委員の一人、たとえば僕が、喋りに自信を持っているとしましょう。言 葉で相手を丸め込むことに自信がある、という意味です。でも、他の委員の中 に一人だけ、苦手な相手がいた。それが源之内さんだった。彼さえいなければ、 あとは誰が補充されようと、選考会を一つの結論に導いてみせる。だから僕は 源之内さんが選考に参加できないよう、軽い薬物でご退場願った、と。脅迫状 は、全員の目をくらませる、いわばミスリードの小道具という訳」 「……」 何ということを考えつくのだろう、推理作家という人種は。 若山は呆気に取られた。ぽかんと口を開けていやしないかと、手を口元に持 って行く。そして少し時間をもらい、反論の余地を見つけた。 「……それなら、綾川さんは候補者の誰かと個人的なつながりがあることにな りますよ」 「問題はそこでね。残念ながら、個人的関係はない」 微笑を浮かべた綾川。 「もちろん、他の選考委員各位もね。自己申告だけれども、選考委員・候補者 とも、誓約書を提出させられるんですよ。あとでばれたら、大変だ。この世界 で飯を食べていけなくなるかもしれない。他社から頼まれ、賞の妨害を図るっ ていうのも同様。これはばれたら、裁判沙汰になる恐れすらある」 「恐れではなく、本当に訴えますよ」 西田編集長が冗談交じりに言い、再び笑いが生じた。 それが収まらない内に、堂本が「そろそろ持ち場に戻りたいと思いますが、 かまわんですか」と切り出した。 「新たな脅迫がないとも限らないし、参加者の皆さんが問い合わせに来ること がないとも言えませんし」 「あの、私も。病院や源之内さんのご家族と、もう一度ぐらい連絡を取り合う 必要があるでしょうから、この辺で失礼をさせてください」 譲原も続く。 西田が、若山を含む他の面々に「よろしいか?」と確認をしてから、二人の 退席を許可した。 「さて、若山さん。他に何かありますか」 人数が減った室内で、綾川が促す。続いて、西田が腕時計を一瞥してから、 「気分を新たにしたいのでしたら、飲み物か軽食でも持って来させましょう」 と、これは室内の全員に向けて言う。女性陣が、この時間に軽食は……と難 色を示したせいもあって、全員が飲み物を取ることになった。 「遅くとも、三時までに目鼻を付けて、対策を講じたいもんです」 コーヒーをすすりながら、西田が言った。 「おっと、そういえば若山さんは、夜は平気ですか。我々は、徹夜仕事も当た り前の世界に生きてるので、気が付きませんで……」 「え、ええ。一日くらいなら。明日の公開選考を、夢見心地で眺めることにな るかもしれませんが」 「結構。で、何か思い浮かびましたか」 若山もまたコーヒーを一口飲み、綾川の方を振り返る。綾川は中畑と話し込 んでおり、気付かない風だ。若山は唇を嘗め、多少の躊躇のあと、思い切った。 「動機についてなんですけど、一つ、浮かんだことが……」 「それは頼もしい」 「と言っても、一般参加者が怪しいという点においては、変わり映えしないの ですが」 「ぜひ聞きたいな。気にせずに話してみてください」 綾川も興味を取り戻したようだ。お喋りをやめ、カップを肘で横手へ押しや った。切り替えの早いタイプなのかもしれない。 「考え付いたのは、雑誌『P.E.』自体に、何らかの反感や恨みがあるとい うケースです」 「ほう。たとえばどんな」 西田が身を乗り出す。自分が取り仕切る雑誌について、何がいけないんだと いう自負がありありと窺える。 「賞に落ちた云々も、広い意味でこれに含まれます。それ以外に考えられるの は……掲載内容に抗議するも、無視されたとか」 「読者あっての雑誌作りなのに、抗議や問い合わせにつれない返事をするなん て、あり得ませんな。唯一例外と言っていいのが、掲載作品を根拠なく、盗作 だと言ってくる輩だが、これはもう百パーセント、相手の妄想でしてね。適当 にあしらうしかないんですわ」 「僕も一度だけ、ありましたよ」 綾川が苦笑を浮かべ、口を差し挟む。 「盗作というのとはちょっと違うけど、『綾川先生の**という作品に、Aと いう主人公が登場しますが、これって私をモデルにしていますよね?』ってい うファンレター。あれには参りました」 「ま、そういう訳で、よくあることです。そんな言いがかりまで、動機の元と なるんじゃあ、たまりませんね」 「はあ。まあ、そういう妄想癖のある人が、この会場に潜り込める可能性は低 いようですから、これはなしとしましょう」 若山はぬるくなったコーヒーで、喉を潤した。 「次は、私の経験から思い付いたんですが、犯人当ての解決編に納得できず、 ひいては雑誌や出版社に恨みを持つ、というパターンなんですが」 「ううん、確かに、犯人当ての解決編に関しては、抗議をされても変更する訳 に行きませんからな」 唸る西田が唇を結ぶと、またも綾川が発言した。 「ましてや、名誉や大金、特典が懸かっていれば、なおさらという訳ですね」 「はい、まあ、そうなります」 若山は薄笑いを浮かべ、首肯する。 「『ローリングクレイドル』で正解を出した私は読者の立場なのに、同じ趣味 の知り合いから、何であんなひねくれた問題に正解できるんだとかどうとか、 文句を言われました。自ずと、作者や雑誌、出版社への抗議や文句は相当なも のじゃないかと想像が付きます」 「誉められているような、貶されているような、複雑な心境だねえ」 綾川は目元にしわを寄せ、中畑に同意を求める。女性評論家は、「ミステリ 作家として、名誉なことじゃない?」と、これも笑み混じりに返していた。 「若山さんの仰る通り、文句や難癖の郵便、電話はある程度、ありました」 西田が認めた。 「文字で書かれたミステリで、音を手掛かりにするというのは、綱渡りみたい になりがちで、フェアとアンフェアの境界ぎりぎりになるのは当然です。私は 編集長として、問題編と解決編を熟読した上で、ゴーサインを出した。『ロー リングクレイドル』を認めないような狭い了見の読者は、我が雑誌を読んでく れなくていいとさえ思っている。内心、密かに、ですがね」 「熱く語ってくれるのは嬉しいのですが、西田さん、脱線していますよ」 綾川が注意すると、西田は「あ」と声にならない音を口からこぼし、照れた ように目を伏せた。 「私も『ローリングクレイドル』は認めます。が、小説の賞に落ちた人よりも、 犯人当ての解決編に納得していない人の方が、数の上では多いのは、明らかだ と思います。違いますか」 若山は西田に聞いた。答はイエスだった。 「だとすると、そういう納得していない人物が、ミステリ同好会の代表として、 このイベントに参加したている線も、小説の賞に落ちた人物を想定するよりは、 ずっと可能性が高いと言えます」 「それが当たっているとして、事態に進展がある?」 福原が疑問を呈した。顔色がよくないのは、夜更かしのせいではあるまい。 「本質的には変わりませんが、もしも各ミステリ同好会に、出席者に関する問 い合わせを行うのであれば、小説投稿経験の有無ばかりでなく、犯人当て、そ れも恐らく直近の『ローリングクレイドル』に応募したかどうかを確かめる必 要があるんじゃないか、ということです」 「こんな深夜に問い合わせるなんて、現実には無理なんだから、大した意味は ないわね。ああ、ごめんなさい。若山さんのことを悪く言ったつもりはないん です。少々、気が昂ぶっている感じなので……」 福原はため息混じりに謝罪した。若山は「お気持ちは分かりますから、気に していません」と応じておいた。 「個人的に懇意にしている団体がいくつかあるが、そこならこんな時間でも答 えてくれるかもしれない」 西田が前向きな発言をしたが、その直後にトーンダウン。 「しかし、聞いたら聞いたで、その理由を問われるのは間違いないだろうなあ。 脅迫状の件を伏せて、聞き出すのは難しい」 「いいんです、西田編集長。部屋に閉じこもって、鍵を掛けていれば大丈夫で しょう」 常識的な理屈を吐いた福原。サスペンス物を得手とする彼女とは言え、見方 によっては推理作家らしくない思考だ。 「他はありませんか、若山さん。できれば、こう、驚くような推理を披露して ほしいんですがね」 綾川は夜が更けるほど、頭が冴えてくる質らしい。どことなく、喜々として いるようにすら、見えてくる。 「あとは、また対処法ぐらいしか。犯人に罠を仕掛けるとか、逆に意表を突い て全てを公開し、その上で選考会を全うするとか」 「全てを公開とは、奇策ですね。犯人だって、まさか公開捜査は予想していな いだろうから、きっと、動きづらくなるな」 綾川が初めて、感心した様子を鮮明にした。あるいは、推薦した若山が期待 に応えてくれたことに、ほっとしたのかもしれない。 「罠というのは、具体的に何かありますの?」 中畑が穏やかな口調で問うた。 「皆さんを危険に晒してかまわないのでしたら、ありがちですが、囮作戦が効 果を期待できると思います」 「囮ねえ。賛成しかねる」 西田が首を横に振った。 「作家先生や評論家先生を囮にする訳に行かんのだから、立場上、私が囮にな るのは仕方がない。だとしても、どういう方法で犯人が襲ってくるか分からな いんだ。遠距離から狙撃されでもしたら、犯人を取り逃がすわ、私は御陀仏に なるわで、最悪の結末を招く恐れがある」 「危険を伴わない方法も、なくはありません」 「それを先に言うのが普通でしょうに」 呆れたとばかりに、肩をすくめた中畑。福原に至っては、苛立ちを隠せなく なったらしく、右人差し指が机を叩く。 「罠ではないんで、犯人を捕らえることは期待できないんです。だから後回し にしました。どちらかというと、犯人を出し抜く方法です。選考委員と候補者 全員で、どこかよそに、こっそり移動する。そこで選考会を開いて、決めれば いいんじゃないですか」 「ふーん。これまた奇策だが、妙案かもしれませんね」 綾川は西田へと振り向いた。意向を聞きたいということだろう。 「安全策ではありますなあ。招待した人達に面目が立たない気もする」 「人命優先を強調し、事後承諾してもらう方向で、いかがです?」 自らが出した意見のように、綾川は提案を重ねる。編集長は腕組みをし、首 を捻った。 「事後のことだけを取り上げれば、それでかまわんでしょう。でもねえ、それ を打ち明けるまでに、混乱や抗議が起こることは目に見えている訳で」 「うーん……我々選考委員や、候補者の方達が移った先から、ネット中継か何 かで、ここへ映像を配信するなんて芸当は、無理ですか」 「うん? そいつは……一応、本社の会議室とこの保養所の会議室をつないで、 会議を行えるシステムはあるはずですが、詳しいことは全然知らんのですよ。 今思い立って、数時間後に実行可能なのかどうかを含めてね」 「念のため、担当者に尋ねて、確認を取ってみませんか。あ、社員でもないの に、差し出がましくて失礼とは思いますが」 「いえいえ。これは荒耕社だけの問題じゃないと認識してますので……。善は 急げで、すぐにでも電話しておこう。ただ、掴まるかどうか心配だ。技術屋さ んの携帯の番号なんて、知らないからなぁ。とにかく、ちょっと失礼しますよ」 西田は場にいる者全員に、ぺこぺこと頭を下げ、部屋を出て行った。 「さっきのは、素晴らしいアイディアでしたね」 中畑が若山に賛辞を送る。若山は「いやあ」とだけ応じて、残りのコーヒー を喉へ流し込んだ。 「有効な対策だとしても、実行可能なんでしょうか。システムの問題とやらが クリアされても、このあと、候補者の皆さんを連れ出さなければいけない訳で すから。犯人に気付かれないためには、早朝の出発にならざるを得ない。尤も らしい説明をどうするのかとか」 「正直に打ち明ければ、済む話でしょう。場所を移さなければ危ないと分かっ てもらうには、そのくらいしませんとね。私だって、源之内さんが倒れていな ければ、ここまで真剣になっていません」 「はあ。それならばいいんですけど」 若山は、自分の意見をきっかけに事態が動き始めるのを感じて、とまどって いた。中畑はこの計画に積極的なようだ。綾川もそうだろう――と思いつつ、 彼に視線を移すと、携帯電話でメールのチェックをしている様子が窺えた。綾 川を見ていると、他の選考委員ほど、本気で事態を受け止めていないように感 じられた。ゲーム感覚が抜けきらない、とでも言おうか。 もう一人の福原は、俯いていて、表情はよく見えなかった。 (この人が、一番怖がっているな。サスペンス物で読者を怖がらせるのが得意 なのに) 作風と、作者の性格とは、必ずしも合致しないようだ。 と、若山が感想を抱いたそのとき、部屋のドアが乱暴に開けられ、西田編集 長が顔を覗かせた。 「行けます。社としてもゴーサインが出た。綾川さん、中畑さん、福原さんは 早速、準備に取り掛かってください。候補者の方へは、私が伝えます」 まるでその場に若山がいないかのように指示を出すと、彼は慌ただしく頭を 引っ込め、廊下を走って行った。 「じゃ、運転は僕が……やれやれ、聞こえたかな。慌てているのは仕方がない けれど、せめて、何時に出発予定なのかぐらい、言って欲しかった」 綾川は腰を上げ、伸びをしながら嘆息した。女性二人も、彼に続いて席を離 れると、戸口へ向かう。 急展開に取り残され、まだ座ったままの若山に、綾川が声を掛けた。 「若山さん。建設的な意見をありがとう」 「い、いえ、私は別に」 「ご謙遜を。推理力だけでなく、柔軟な発想の持ち主だということが、よく分 かりましたよ。さあ、お疲れでしょうから、早く部屋に戻って、お休みくださ い。ああ、無論、この計画については他言無用で」 「それはもう」 堅い動きで首を縦に振った若山。綾川は片手をひらひらさせ、「無事を祈っ てくださいな」と言い残し、会議室を出て行った。 時刻は午前三時になろうかというだけあって、保養所内から賑わいは消えて いた。四階フロアに若山が着いたときも、エレベーターの音だけがやたらと大 きく聞こえ、それが収まると今度は空調の音が耳障りに思えた。 (余田さん、どうしてるだろう) 多少、気に掛かったが、こんな時間に尋ねるのは非常識だ。朝を待って、普 通に会話を交わせればいい。若山は404室の鍵を開け、中に入ると、早々に ベッドに潜り込んだ。 しかし……眠いはずなのだが、神経が高ぶっており、寝付けそうにない。防 音はしっかりしていそうだから、風呂場に行き、シャワーを浴びるぐらいして も大丈夫かもしれない。 そんな考えが浮かんだが、実行する気になれない。 それよりも自分の提案した作戦がうまく進んでいるのか、気掛かりである。 起き出して、様子を見に行こうかと考えたほどだが、それをやってはいけない と自制する。正体不明の犯人に勘付かれては、元も子もないのだ。 若山はかぶりを振ると、枕元の電気スタンドのスイッチをオンにした。一旦、 ベッドを出て、持って来た本――当然、推理小説――を荷物の中から選び取る と、再び布団へ潜り込む。 「こんなことなら、つまらなそうな作品にすればよかった」 くだらないことを呟きながら、ページを繰る。少し読み進めたところで、頭 の中に内容がほとんど入ってこないことに嫌気して、本を閉じた。 瞼も閉じて、しばらく静かにしていると、ようやく欠伸が……。どうにか眠 れそうである。 ――続く
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