●長編 #0246の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
■Everyday magic #3 「ほんとにこの格好で出るのぉ?」 柱の陰に隠れていた有里守は、胸に抱えたドナルドに問いかける。もちろん、 ネコ耳のカチューシャを装着していた。 「我の居場所が知れわたるのは時間の問題だ。ならば、こちらから討って出る のが得策であろう」 「だいたい、その邪なモノってなんなの?」 「昨日説明したはずだ。なんども言わせるな、我の天敵であり、放置しておけ ば人間を害する」 「そんなに簡単に見つかるのかなぁ」 「我の匂いを嗅ぎつけて嫌でも向こうからやってくるわい。あの場所に居たと きは結界のおかげで奴らから逃れることができていたがな」 「だったらあの古本屋にずっといれば良かったのに……」 「たわけ! それでは根本的な解決にはならん」 「わかってるよぉ」 有里守は覚悟を決めて柱の陰から出る。その時、ちょうど前から歩いてきた 若い男の人と目が合ってしまう。 「にゃっ!」 相手の表情がニタリと不気味な笑みを浮かべたので、それが怖くて再び引っ 込んでしまう。 「どどどどどうしよう。その手の趣味の男の人にビンゴだよぉ」 ドナルドに顔を寄せて泣きそうな声で有里守は呟く。 「ね、ねぇ、キミさぁ」 先ほどの若い男が言い寄ってくる。小太りで、そんなに気温も高くないのに 額に汗が吹き出している。 「さ、さよならぁー」 全力でその場から駆け出す有里守。その瞳には涙が溢れていた。 ネコ耳付きのカチューシャを外した有里守は、人気もまばらな夕刻の公園に いた。噴水の縁に腰掛けて疲れたように遠くを見つめている。 「そろそろ日も落ちてきた。この程度の夕闇なら装着しても目立つまい」 「……」 有里守は諦めたように溜息をつくと、再びカチューシャを装着しようとして 根本的な事に気が付く。 せっかく髪を纏める為に三つ編みにしているのに、それにカチューシャをつ けても意味はないのではないか。そう思い、おもむろにその髪を解いていく。 夕暮れの気まぐれな風が有里守の頬を撫でる。胸まである彼女の髪は解けて その風になびいた。 「どうした? 髪など解いて」 ドナルドが不思議そうに問いかける。 「まあ、たまにはいいかなって」 彼女はそう呟いてカチューシャを持ち直す。そして額から後ろへと髪を梳く ように装着した。 顔全体に風を感じる。普段は前髪を垂らしているので新鮮な感じもした。そ ういえば幼い頃、こんな風におでこを出していたかもしれない、有里守はそん な事を思い出していた。 「なんだかいつもと雰囲気が違うな」 声だけでははっきりわからないが、ドナルドのその口調は照れているように も感じた。 「いつもって……会って二日目なんですけど」 「そうだな」 有里守はそのまま立ち上がって風を全身に受ける。心地よい空気の流れ、緑 の香り、水の音。まるで世界が一変したかのようにも思える。 だが、緩やかに吹いていた風が一瞬やむ。 そして、突風。 「有里守!」 ドナルドが叫ぶ。 「うん」 彼女にはわかっていた。その為のマジックアイテムなのだから。 風が流れていった先には、空飛ぶ蛸がいる。そして今度はもう一匹、別の形 の化け物を確認できた。 大きさは蛸と同じ全長が1mはありそうなそれは、巨大な虫であった。全体 を硬い殻で覆われたダンゴムシのようなものである。それが空を飛んでいる。 「もう一匹はスピードが遅い。だが、硬い分攻撃されるときついぞ。気をつけ るんだ」 「何をどう気をつけるのよぉ?!」 有里守は二つの化け物を必死になって交わす。その心に余裕などなかった。 「あぶだはだぶら!」 呪文に魔法など込めていられない。有里守の詠唱は失敗に終わった。 「落ち着け」 「どうやって落ち着けっていうの。一つやっつけるのだって大変だったのに、 いっぺんに二つもなんて無理だよぉ。昨日みたいに動きだけでも止めてよぉ」 「落ち着いて対処すれば大丈夫だ。どちらも邪なモノの中でも下等の部類だ。 虫程度の思考能力しかない。それから昨日の件は、ちょうど目視上に邪なモノ がいたから魔法をぶつけることができただけじゃ。動けない我には、今の状況 で魔法を使うことなどできはせぬ」 有里守は逃げながら今ドナルドが言った言葉を咀嚼する。 「じゃあ、目の前にいればいいのね」 「そういうことだが……何をする?」 「分担作業しかないでしょ」 そう言って有里守はその場に立ち留まり、ドナルドを持った右手を迫ってく るタンゴムシに向ける。 「ドナちゃんはあっちの方をヨロシク」 そして左手は蛸を指す。 A B R A H A D A B R A 「<雷石を投じ死に至らしめよ>」 有里守とドナルドを声はほぼ同時だった。二本の矢がそれぞれの方向に飛ん でいく。 閃光が消え、空中に停止しているダンゴムシに向かって今度は有里守の左手 が向いた。 もう一度呪文を唱える。 A B R A H A D A B R A 「<雷石を投じ死に至らしめよ>」 彼女の放つ光が邪なるモノを破壊する。 閃光の後には、もう何も存在しない。 気が抜けたように、有里守はぺたんとその場に座り込む。 「大丈夫か?」 ドナルドの気遣いが彼女にはなんだかうれしかった。普段は厳しく有里守を 叱責するが、それでも彼女を見捨てることはない。 「大丈夫?」 ふいを突く声。 それは女の子のものだった。もちろん有里守ではない。 「にゃ?」 振り返った彼女は仰天する。 そこには自分と同じくらいの年頃の子が、こちらを不思議そうに眺めていた のだ。 急いで頭を隠そうとするが、その途中で動作が止まる。 「そのネコ耳……」 彼女の目線は、有里守の頭の上だ。 「……ねぇドナちゃん。泣いていい?」 脇にいるドナルドに彼女はそっと告げる。 「コスプレ?」 今度は目が合ってしまう。 「……えーん、悲しすぎて涙が出ないよぉ」 有里守は絶望に打ち拉がれていた。またもや一般人に目撃されてしまったの だ。 「ぬいぐるみ?」 女の子の視線が右手で掴んだドナルドへと向かう。それは予期せぬ言葉。 「へ? 見えるの?」 右手に注がれていた目線が再び彼女に向く。少女と再び視線が交差する。立 ち上がってみると背丈は有里守と同じくらい、顔立ちは整った美少女。ただ、 衣服はちょっと変わっていた。 「それ、ドナルド?」 少女の問いかけにドナルドは怒声で反応する。 「ドナルドではない、我が輩の名は@☆※£@」 「きゃ! ぬいぐるみが喋った。え? それともあなたの腹話術?」 有里守は驚いて口をぽかんと開けたままだった。それはそうだ。普通の人に は確認できないドナルドが見えるばかりか、その声まで聞けるのだから。 「そうね。口を開けたままじゃ、少し無理があるかもね」 彼女は一人納得しているようだ。 「我が見えるとは素晴らしい。あと一日早く汝と会いたかったものだ」 ドナルドが喋って驚いたのは始めの一瞬だけであった。怖がることも逃げ出 すこともなく少女はにっこりと微笑みながら有里守の前に立っている。 「ちょっと待って。あなたは驚かないの? こんなぬいぐるみみたいなものが 喋ることが」 「うん、不思議だと思うけど。それほど驚く事じゃないと思うよ。だって、す ごくファンタスティックじゃない」 「私は能登柊(のとひいらぎ)。広陵大付属中等部の2年生よ」 前髪はまっすぐに切り揃えられ、肩口まである艶やかな黒髪。背の高さは有 里守とほぼ同じ。フリルの付いた真っ黒なドレスのような洋服を纏っている。 今流行のゴスロリなのだろうか。 「あ、学年一緒なんだ。あたしはね。東野第二中の2年生。瀬ノ内有里守」 有里守は簡単な自己紹介を済ませた後、公園の隅にあるベンチの所へ行き、 そこに座って今までの経緯を柊に話した。 無闇に話していいものかと悩んだが、ドナルドが見えたということは、信じ てくれる可能性もあると思ったのだ。 「ふーん、ということは、有里守ちゃんって地球を守る正義の魔法使いなんだ」 疑うことなく信じてくれたものだから、彼女は拍子抜けする。それに初対面 だが『有里守ちゃん』とフレンドリーに呼んでくれたことも嬉しかった。 「えへへ、まだ見習いみたいなもんなんだけどね」 照れて頭を掻くような仕草をしながらふと目線を下に逸らすと視界に白いも のが映る。それは、柊の左の袖口から見え隠れする包帯だった。 有里守の目線に気付いたのだろうか、彼女は袖口を少しずらしてこちらへと その包帯を見せてくる。 「これは、別に大した怪我じゃないの。うん、1ヶ月くらいピアノが弾けなく なるくらいのもので、今はほとんど完治しているはず。気休めで湿布を付けて いるだけなんだけどね」 「まだ痛むの」 「うん。というか、治っているはずなのに、未だにピアノを弾くことができな いんだよね」 「どうして?」 「医者は精神的なものだって言うんだけど。どうなんだろう? 怪我を負った 1ヶ月の間にライバルに先を越されて焦ってしまっているのもあるのかもしれ ない。でもね、私はどうしてもあの子に勝ちたかったの。それなのに私は前に 進むことすらできないの」 柊の答えは悔しさが滲み出てくるような悲痛の言葉だった。 「ねぇ、柊ちゃん。柊ちゃんはどうしてピアノを弾き始めたの?」 有里守は穏やかな口調で柊に問いかける。それはまるで、古くからの友人に 言葉をかけるように。 「うん、小さい頃にね、親戚のお姉ちゃんが弾いてくれたモーツァルトのピア ノ協奏曲が大好きでね。それをどうしても自分の手で弾いてみたくなって始め たのがきっかけかな」 有里守の言葉に包まれて、柊の口調も穏やかになりつつあった。 「あたしね。昔から不思議に思っていたことがあるんだ。どうして芸術に勝ち 負けがあるんだろうって。上手い下手はあっても、それは勝ち負けじゃないで しょ。なのに、まるでデジタルの世界だよね。0か1かって。音楽を含む芸術 作品ってそんなに単純なのかなぁって、いつも不思議に思うんだよね」 その単純な疑問に有りっ丈の想いを込めて有里守は語った。 「どうしてだろう? でも、人間は誰かに勝ちたい。誰かより自分は優ってい るということを誇示したい。そういう生き物なんだよ」 それは本当に悲しそうな答えだった。柊自身はもう自覚しているのだろう。 「それはプライドに縛られた悲しい人間の習性だよね。でもさ、何かを好きな 気持ちって他人に評価できるものなの? 柊ちゃんが大好きだと思ったピアノ は、他の誰かの大好きと比べて意味のあるものなの?」 「有里守ちゃんって意外と理屈っぽいんだね。うん、他人からの評価を窺った り比べたりするのは確かに人間の悪い部分なのかもしれないね」 彼女は自嘲気味に笑う 「勝ちたい。でも、勝った先に何があるの? 名誉? 地位? お金? でも、 それじゃあ会社勤めのお父さんと同じだよ。収入や地位を得るために勝ち残っ ていく。そうして、大好きだったあの気持ちをどこかへ捨ててしまうんだ」 それが子供じみた考えだということはわかっていた。そうしなければ生きて いけない人間がいることも理解していた。でも、有里守はその考えを受け入れ ることはできなかった。 「それはしょうがないことなんだよ」 諦めたような言葉。 「しょうがない……か。でもさ、ピアノを弾けなくなってしまったら、勝ち負 けすらないんだよ」 「そうだけど……」 「だったらさ、しばらくはその事を考えるのはやめたらどうかな? その間に 原点に戻ってみればいいと思うよ。もしかしたら、答えが見つかるかもしれな い」 「原点?」 「ピアノを弾かなくてはならない理由じゃなくて、ピアノを弾き続けたい理由 だよ」 彼女には勝つためにピアノ弾くという理由以外に、大好きだからこそピアノ を弾き続けたい理由があるはずだ。何かに憧れた気持ちがきっかけとなって、 それがどう自分の中で変化して大きくなったのか。それをもう一度確かめれば、 勝ちたいとかそんなつまらない理由に囚われることもないであろう。有里守は そう願っていた。 柊はしばらく考え込むと、有里守に向き直り微笑みを返す。 「ふふふ、ありがとう。少しだけ気持ちが軽くなったよ」 ■Every day #3 「やっばーぃ、遅刻だ」 恭子は、人通りの極端に少なくなった通学路を疾走する。 昨日、夜遅くまで書いていた創作が災いして寝坊してしまったのだ。 今まで何があっても遅刻だけはしてこなかっただけに、少し焦ってしまって いる。もちろん朝食は抜きだ。 ただし、食パンを喰わえながら走るなんてオツなことはできないし、曲がり 角で転校生にぶつかることなどあり得ない。 なんとか生活指導の先生方の並ぶ校門を通過して、急いで上履きに履き替え ると教室まで一気にかけあがる。 扉を開けて挨拶。 「おはよう!」 その一声が限界だった。体力を使い果たした恭子はそのまま床へぺたんと座 り込む。 「おはよ。おいおい、大丈夫か? ん?」 美沙が駆け寄って、肩を貸してくれる。彼女はそれに捕まりなんとか自分の 席に座ることができた。 前の席で既に着席していた成美が振り返る。 「ごきげんよう、恭子さん。あら、今日は新風ですか?」 「え?」 そう言われてはたと気付く。彼女は朝起きてから、髪を何もいじっていなか った。三つ編みを止めるゴムさえ忘れてきてしまっている。 「ブラシぐらいならお貸しいたしますわ。そうですね、いつもの三つ編みも正 統派でよろしいですけど、今日のナチュラルな髪型も魅力的ですわね」 「あわわわ。成美ちゃん貸して貸して」 手渡されたブラシで恭子は急いで髪を梳く。 「ついでにカチューシャもお貸しいたしましょうか?」 「おい、そこのネコ耳。38ページから読んでくれ」 嵌められたと思ったときにはもう手遅れだった。いや、多分成美は嵌めるつ もりはなかったのだろう。純粋に「かわいいのではないか」というつもりで渡 したのかも知れない。 成美がそのカチューシャを恭子の頭に装着した時、ちょうど1時間目の英語 教師が入ってきた。彼女は自分の頭にある物体がどんな形状をしているのか確 認する暇はなかったのだ。さらに、事実が発覚するのが遅れたのは、恭子の席 がちょうど一番後にあったからだろう。 教室に入ってきた英語教師は恭子をちらりと見て、ニヤリと笑った気がした。 だが、それはいつもの三つ編みの髪型でない彼女を見て新鮮に感じたのだろう と思っていた。 でも、それは見事に裏切られる。 教師が発したその「ネコ耳」という言葉がクラス全員の好奇心を刺激した。 そして視線の集中。それは、恭子の頭上へと注がれる。 一瞬の静寂の後、大爆笑。 クラスメイトからは「かわいい」とか「萌え〜」や「笑いすぎてお腹痛いよ」 などとお笑い芸人を賛美するような言葉が聞こえてくる。 一瞬、何が原因で笑われているかがわからなかった。だが、すぐにその理由 に気付く。あわてて外したカチューシャにはかわいらしいぬいぐるみのような ネコの耳がついていた。 「ねぇ、成美ちゃん」 「はい。なんですか」 天使のような笑顔の成美がこちらを向く。その笑顔には一点の曇もない。 「泣いていい? ていうか、なんでこんなもん持ってるの?」 ■Everyday magic #4 「有里守! 右だ!」 ドナルドが叫び、有里守がすぐさま反応する。 A B R A H A D A B R A 「<雷石を投じ死に至らしめよ>」 大気がはじけ飛ぶように巨大な閃光が走る。 そして空間は沈黙した。 「よくやったぞ有里守。うまくコツを掴んできておるようだな」 あれから何度か戦闘を経験した彼女は、今日は一度に6体もの邪なるモノを 相手にすることになった。 的確に敵を捕らえ殲滅する姿は、少し前の有里守からは想像もできないほど に成長している。もうネコ耳ですら恥ずかしがることはなかった。 「なんかもう慣れたって感じ。ふふふ、今日は狩って狩って狩りまくりましょ う」 「けけけ」とでも笑い出しそうなハイな状態になった有里守の頭を冷ました のは、この間街で見かけた若い小太りの男性だった。 「そんなぁ、出現率高すぎ。ゲームバランスに支障をきたすんじゃない」 「なんの話をしておる」 「とにかく『逃げる』ボタン連打!!!」 男に声かけられる前に、有里守はくるりと向きと変えて駆け出した。 走り回って疲れたこともあり、小腹の減った有里守はバーガーショップへと 入る。 手持ちのお金も少なかったこともあり、「ご一緒にポテトはいかがですか」 の攻撃をかわして、シンプルなハンバーガーを一つだけ注文する。今どきバリ ューセットも利用しない客など希少価値であろう。しかも、それをお持ち帰り ではなく、店内で食べるという強行に出た。 トレイを持って、席を探している有里守はそこに知った顔を見つける。 「柊ちゃん」 「あら、有里守ちゃん」 有里守の声に気付いた柊が顔を上げる。 彼女は黒い衣装を身に纏っている。この前とは違って、少し上品でおとなし めであるが、まるで中世ヨーロッパ貴族の娘がタイムスリップでもして現代に やってきたかのようだった。 「柊ちゃんっていつも綺麗だよね。服もすごく似合ってるし、それって特注の 洋服なの?」 あまりにも貴族的な格好に有里守は思わずたじろいでしまう。 「ううん。普通に売ってる服だよ。【Victorian maiden】ってブランドなんだ けど」 「あたしもそういう服に憧れるんだけど、でも似合わないかな」 「そんなことないよ。でもどっちかというと有里守ちゃんは姫ロリより甘ロリ よね。メイデンよりベイビーの方が似合うかな」 「べいびー?」 「【BABY,THE STARS SHINE BRIGHT 】そっちの方が有里守ちゃん好みのかわい らしい服があると思うよ」 小一時間ほど店内で談笑した後、「暇だったら付き合って」という柊の言葉 に従い彼女が通う教会へと行くこととなった。 「へぇー、これが教会の中なんだ。初めて見た」 正面にはステンドガラスがあり、そこから光が差し込んで室内を明るくして いる。祭壇の奥には磔にされたキリストの像があり、左手にはマリア像、そし て右手には聖人であるヨハネの像、手前には礼拝の為の椅子が並んでいた。 「誰もいないの? 勝手に入って怒られない?」 がらんとした室内を見渡し有里守は柊に問いかける。 「左手前に懺悔室があるでしょ。いつもならあそこに神父さんがいるわ。それ によっぽどの事がない限り白昼堂々と教会に盗みになんか入らないから、誰も が気軽に入れるような作りになっているのよ」 「ふーん、そうなんだ」 「ちょっと待ってて、お祈りしてくるから。そこに座って待ってるといいわ」 柊が祭壇の前まで進み、両手を胸の前で組んで祈りを捧げる。その姿はまる で絵画のようでもあった。ステンドグラスやキリスト像や祭壇と一体化し、生 ける芸術品であるかの錯覚を感じる。有里守はそれに魅入られるようにじっと 息を呑んだ。 数分だったろうか、それとも数十分たったのだろうか。時間の感覚を無くし かけたその空間は、柊がこちらへ戻ってきたことでゆっくりと時を取り戻し始 める。 「お待たせ。行こう」 外へ出ると、少し曇りがちな空模様だった。 隣を歩く柊の横顔を見て、教会の中での神秘的な空間が有里守の頭に蘇る。 「柊ちゃんて、クリスチャンなの?」 それは聞くまでもないだろうと思っていた。会話の取っ掛かりを得る為に有 里守はあえて質問をした。 だが、即座にそれは否定される。 「違うよ」 「え? だってお祈りして……」 予想外の答えに有里守は戸惑う。だったら彼女は何をしていたのだろう。 「あそこに行くと、神様の声が聞こえるの。私は別にイエスキリストを崇拝し ているわけではない。あの空間が神様の声を聞くのにちょうど良い条件を満た しているのかもしれないだけ」 「神様の声?」 「そう。自分はどう生きるべきか、それを教えてくれる。私が黒い服を好んで 着るのも、その声に従ったから」 すごい。有里守は素直にそう思った。そうなのだ。ドナルドの姿と声が分か るのだから、彼女にも人を超えた能力を持っているのは当然だった。しかも、 神の声まで聞けると言う。 特定の宗教に拘ることなく、彼女は神の声に従う。 果たして彼女の瞳にはこの世界はどのように映るのだろう。 ■Every day #4 迂闊だった。 創作に集中すると周りが見えなくなるのは恭子自身も自覚していた。 「滝川!」 そう呼ばれて恭子はびくりとする。しかも声は間近であった。 数学の時間。 眠気覚ましにと創作ノートに手をつけたのが間違いだった。教師の接近に気 付くことなく、創作に集中してしまっていたのだ。 「あ」 抵抗する間もなく教師にノートを取り上げられる。 「何を内職しておるのだ。これは没収だ。担任の手津日(てづか)先生に渡し ておく。返して欲しければ後で説教を受けにいくのだな」 そう言って教師は教壇へと戻り、授業を続けた。 なんてついていない日なのだと、そう悔やみながら恭子は頭を抱える。 「まいったなぁ」 放課後、恭子は覚悟を決めて職員室へと向かう。 授業中、創作ノートを書いているところを見つかったのは今回が初めてなの でさすがにショックが大きい。 「失礼します」 職員室のドアを開けると、すぐに目的の教師と目が合う。待ちかねていたよ うだ。 気が滅入りながら担任の手津日教諭の前まで歩いていき、開口一番で「申し 訳ありませんでした」と謝った。 「うむ。悪いことをやったのだと理解できているのなら言うことはない」 「はい。今後、このような事がないよう気をつけます」 彼女は深々と頭を下げる。 「このノートだが」 手津日教諭はノートを手にして、それをまだ恭子に渡そうとはしない。 「……」 返してくれないのだろうか、そう思い彼女は悲しくなった。 「そう泣きそうな顔をするな。ちゃんと返してやるよ。ただな」 教師の顔が険しくなる。 「申し訳ありません。申し訳ありません。本当にもうやりませんから」 恭子は取り乱したかのように何度も頭を下げる。あのノートだけは取り上げ られるわけにはいかないのだ。 「勘違いするな。返してやると言っただろ。実は、中身を読ませてもらった」 「え?」 鼓動が早まる。たしかに他人に読ませる事を意識して書いたものだ。だが、 それが担任の教師では否が応でも緊張は高まる。 「表現の重複する箇所や、視点の揺れが目立つ。未熟な部分も多い。だが、よ く練られた物語じゃないか。先生は面白いと思ったぞ」 「え?」 それは褒められたのであろうか。 「素直で純粋な物語だ。たぶん、今の滝川にしか書けないだろう」 「あ、はい。ありがとうございます」 「滝川は物語を書き続けたいか?」 その質問の意図はよくわからなかったが、とりあえず彼女は正直な気持ちを 吐き出す。 「え? あ、はい。なんかそれがあたしにとっては自然みたいですから」 「だったら授業は真面目に受けることだな」 手津日教諭は手に持ったノートで恭子の頭を軽く叩く。 「はい……」 それほど痛くはなかった。 「これは説教じゃないぞ。もし滝川が物語を創り続けたいのなら、できる限り の知識を吸収した方がいい。今のおまえでは、純粋だが狭い世界しか構築でき ない。だが、知識を吸収することでその世界は広がるのだ。無論知識だけでは どうしようもないことは確かだ。だが、義務教育を受けているおまえにとって それは基本的な知識。基本という骨格がスカスカでは、どんなに膨らんだイメ ージも一瞬で崩壊してしまうぞ」 職員室から教室へと戻る間、彼女は自分の周りの人たちについて考えていた。 滝川恭子の大親友の鈴木美沙と祁納成美。彼女たちは深く自分を理解してく れようとしている。恭子の純粋さを守るように彼女たちはいつもそこに居てく れる。 そして、担任の手津日教諭。多少甘い部分もあるが、時には厳しくもあり、 そして恭子の強さを引き出してくれる。 世界はこんなにも優しい。こんなにも恵まれた世界で、自分は何を紡ぎ出せ ばいいのだろう。 もちろん、優しさだけでないことも知っている。でも、自分が追究すべき、 そして紡ぎ出すべき欠片はこんなにも身近に存在しているのだ。 教室の扉を開けると見慣れた二つの笑みがこちらに向く。 「待っててくれたの?」 当たり前でしょ、と言いたげな二つの視線が言葉を紡ぐ。 「帰ろっか」 「帰りましょう」 「うん」 昇降口までのとりとめのない会話。でも、その一つ一つが恭子にとっては宝 石のように輝いている。 靴に履き替えて外に出ると、日が落ちるにはまだ早い時間。 「寄り道してこっか?」 「この間行った、あのカフェに行きましょ。わたくし、あそこの雰囲気、とて も気に入っておりますの」 「うん。それにあそこのケーキおいしかったもんね」 美沙が出した提案に二人は喜んでそれに乗った。 こんなにも日常は心地良く流れている。 神様という概念はよくわからない。でも、恭子はこの世界に感謝したかった。 駅までの道のりもまた、たわいもない会話は続く。 「そういえばノート返してもらったの?」 美沙の問いかけに、恭子は照れたように「うん」と答える。 「どうかなさったのですか?」 彼女の表情を見逃さなかった成美が不思議そうに問いかけた。 「手津日先生にね、中身読まれちゃった。でね、ちょっとだけ褒められたの」 「説教はされなかったの?」 「うん、注意はされたけど、さほど。でも釘を刺されたことは確かかも。あた しはもう授業中に内職しようなんて考えないようにする」 真っ直ぐ前を見つめる。そこに迷いがない強い意志を込める。 「読んでいただいたことが、相当嬉しかったのですね」 「ふーん。で、恭子って今、どんな小説書いてるの」 「……普通のだよ」 恭子は一瞬だけ考えて、シンプルにそう答えた。 それに対して成美が補足を加える。 「普通であり純粋でもありますわね。魔法も出てこない、戦いがあるわけでも ない。そこに奇跡も世界の危機もあるわけでもない。だけど、誰もが温かい気 持ちになれるようなごく普通のお話。わたくしはその物語が大好きですわ」
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