●長編 #0242の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
カラオケ店の一番奥の部屋で待っていると、インターホンが告げた。お連れ のお客様がお見えになりました、という莫迦丁寧な云い回しに若干苛立ちを覚 えつつ、磨りガラスの入ったドアが外へ開く様を、じっと見つめる。 現れたのは大柄な男で、事前に聞かされた通り、グレーの背広の胸ポケット からシルバーのハンカチを覗かせている。初対面ながら挨拶は簡単に済ませ、 本題に即入った。 北空二郎(きたくうじろう)は、氷が溶けて薄味になり始めたオレンジジュ ースをすすり、喉を潤してから尋ねた。 「最初に確認しておきたいのだが、あなたが実行されるのだろうか」 「おや。お答えせねばなりませんか」 男が口を開いた。外見の厳めしさとは裏腹に、優しい調子の声だった。顔そ のものものっぺりとしている上に、薄茶色のレンズをしたサングラスを掛けて おり、つかみ所がない。 「無理にとは云わないが、その、あなただと大きくて目立ちそうで、心配だ。 気を悪くしないで欲しい。私の受けた単なる第一印象であって」 「やろうと思えば私にもできますが、今回は」 男は首を横に振った。 「私はマネージャー役に徹して、別の者を送り込みます。あなたからターゲッ トの基本データを伺ってすぐ、最適な人物を選んだつもりですよ」 相手は自信ありげに語るが、北の不安は収まらなかった。これから重要な頼 み事をしようというのだ。実際に会わずに済ますのは、後腐れがなくてよいの かもしれないが、心配の種にもなり得る。 「疑いたい訳ではないが、腕は確かだろうね」 「保証します。何を隠そう、私が選んだ人物はドクターでもあるんですよ。頭 脳の明晰さはお墨付きという訳です」 男は微かに笑って答えた。 「顔写真でも見せて貰えないだろうか」 「いけませんね。それを知ったあなたが、当日、実際に顔を合わせて平静を保 てるかどうか、不安視せざるを得ません。最悪の場合、遂行に支障を来すでし ょう。ま、日本人であるということぐらいは知らせておきます」 合点の行く言い分だった。北は殺し屋の顔を知るのを諦めた。 「さあさあ、こんな細々としたことで時間を潰すくらいなら、商談を早く詰め ませんか。ターゲットに関するデータに、大きな変化はありませんね?」 「ああ、それはない。当日のスケジュール……というよりも、合宿のスケジュ ールが確定したので、一覧にしておいた」 云いながら、薄っぺらな鞄から封筒を取り出し、そのまま手渡す。 「念のため、ターゲットの写真や、知る限りの個人情報も入れておいた。それ と……約束の半金を」 「――結構ですね」 封筒の中身をちらと確認した後、大柄の男は面を起こすと、サングラス越し に北を見据えた。 「さて……これは毎回お聞きするのですが、ターゲットを始末したい理由を話 していただきましょうか。信頼関係を形ばかりでも築くためにね」 「理由をネタに、脅迫してくるようなことはないだろうね」 「しません」 さすがにむっとしたか、心外だとばかりに、早口で否定する。 北は内心、ひんやりとしたものを感じ(相手は殺し屋なのだ!)つつも取り 繕い、こほんと咳払いをした。 「分かっている。最終確認をしただけだ、許して欲しい。確認ついでにもう一 つ……こちらの例の注文は、聞き入れて貰えるのだろうか。できれば、事故死 に見せかけて欲しいのだが」 「大丈夫です。合宿先は山間の湖畔なのですから、よほどのアクシデントが起 こらない限り、楽にこなせましょう。むしろ、あなたがご自身で手を下せば済 むでしょうに、何故、我らに頼むのか、不思議に感じてしまう」 「完璧なアリバイを手に入れておきたい。何しろ、たとえ事故死でも、私は責 任を問われる立場にある。その上、容疑を掛けられては、社会的に立ち直れな くなるかもしれない。万一にも疑われるようなことは避けねばならんのだ」 「ふむ。どうやらその辺が、動機と関連していそうですね」 無表情に推察を口にする男に、北はいよいよ動機を話さねばならないと悟っ た。心持ち、居住まいを正し、低めた声で云った。 「十ヶ月ほど前に、ターゲットの母親と関係を持ったのだが……そのことを気 付かれてしまった。以来、成績を甘く採点してくれだの、小遣いを出せだのと 要求してきてね」 「いかにも子供らしい、かわいい要求では。果たして殺すほどのことかどうか」 相手の反応に、北はひきつり気味の苦笑を作った。 「徐々にエスカレートしてきたんだ。仲の悪い子や受験のライバルになりそう な子を教えるときはわざと下手にしろとか、気に食わない先生が休みになるよ う、車に細工するか、腐った物を密かに食わせろとか」 「不倫相手には打ち明けてご相談を?」 「そんなこと、できるはずない。ただし、一つ云い添えておくと、ターゲット は彼女の実の子ではなく、旦那の連れ子だ」 免罪符になるとは思っていないし、殺し屋相手にそんな言い訳をしても始ま らない。と、承知しているはずなのに、何故か弁解めいた口ぶりになる。 「子供がいなくなったからといって、彼女と旦那の間がどうなるかは、全く予 測がつかない。成り行き任せさ」 「非難しているのではありませんから、ご安心を。引き受けると云ったからに は、やり遂げます」 大柄の男はその図体にふさわしく大きく頷き、請け負った。それから右手を 顔の横付近に持ち上げ、指を折って数える仕種を始める。 「遂行に当たって、守っていただきたいことがいくつかあります。一つ目は、 たとえあなたが殺し屋の正体に気付いたとしても、知らないふりを貫く」 「ああ、勿論」 「なお、決行の三時間前を目安に、そのお知らせを携帯電話にメールで入れま すが、それも私が行います。実行者とは関係ありませんので、ご承知ください」 それから男は「二つ目は」と指を折る。 「全てを我らに任せること。何らかの突発事態で、期限内に完遂できない場合 がないとは云い切れません。主に、天変地異の類を想定していますが、そうし た場合でも、あなた自身が手を下そうとしてはいけない。依頼したからには、 我らに任せる。いいですね?」 「了解した。元から自分でやるつもりはない。だからこそ頼んだ。それで、ハ プニングがあっても最終的にはやり遂げて貰える、と解釈してよいのか?」 「その通り。天変地異なら逆用できる可能性も高いので、ご心配なく。では三 つ目」 今度は指を折ったあと、親指と人差し指とで円を作った。 「成功した暁には、残り半額を速やかに払っていただく。事故死だから払わな いなどという巫山戯た理屈は通用しません。くれぐれもお忘れなきよう」 「そんな莫迦な真似はしない。払わなかった場合、私も始末されると釘を刺さ れたら、誰だってそうだろう」 「いえ、世界は広いですよ。色々な御仁がおられる」 思い出し笑いめいたものを浮かべる相手に、北は背筋がぞくりとした。大げ さでなく、寒さを感じる。腕にふと視線を落とすと、鳥肌が立っているのが分 かった。 「それにしても、これだけのお金を用意できるということは、塾経営もかなり 儲かるようですね」 男は呑気な調子で云った。北はぼんやりとして、半ば聞き流してしまった。 はっと気付き、遅れて「あ、ああ。それなりにね」と応じるのが精一杯だった。 北が経営し、講師として教壇にも立つNSシステム塾は、中学三年生を対象 とした夏の特別合宿を、湖畔で開くことを恒例としていた。各所にあるフラン チャイズ校から優秀な生徒を選抜し、また外部の子供にも事前に判定試験を課 して、それを突破した面々には合宿参加を認める形式を取っている。その枠は 内外合わせて十名と決められていた。少数精鋭、高いレベルで競争心を煽ろう という狙いがあるのは、記すまでもない。 講師陣はお抱えに限らず、実績のあるフリーの者を余所から招く。これが目 玉だ。特に地方在住の生徒にとっては、得がたい機会と云える。 そして今年は、五教科五人の講師の内、四人がフリーの講師という、異例の 状況ができあがっていた。 「引き続き、今回の合宿に、特別に来ていただいた先生方を紹介します」 八月初旬の昼下がり。湖畔には陽光が降り注いでいた。 合宿のために借りた大きな別荘の庭先で、社会科全般を受け持つ北自身が、 開所式の進行役を務めていた。二列に並んだ子供達の背景には、緑がかった青 色をした湖面と、そこに映ってシンメトリ図形を作る山並みが見えた。高地と はいえ、気温はまだまだ身体に優しくない。 周囲には歩いて行ける範囲に、遊興施設どころかコンビニエンスストアも書 店もない。携帯電話の電波は届くが、子供達は所持を禁じられる。集中して勉 強するにはよい環境だろう。 「僕はドン=ルードです。勿論、英語を教えます」 栗色をした髪と鼻髭の持ち主は、流暢な日本語で挨拶をした。日本語教師も 務まりそうである。長身痩躯で青い眼、スタイルも顔も悪くないが、大きな鼻 だけがアンバランスな印象を放つ。 「藁口久美(わらぐちひさみ)、国語全般を。合宿が終わるまでに、皆さんを 国語の虜にして差し上げます」 素気なく云いつつ、自信を見せたのは、色白細面の美人。垢抜けない三角眼 鏡を掛けているのは、容姿のランクをわざと落とそうとしているかのようだ。 彼女は知名度もあって、生徒の大部分がどよめいた。 「合歓雄治郎(ねむゆうじろう)と云います。大学で研究していたのに、教授 とそりが合わなくて飛び出した、世渡り下手な奴ですが、受験テクニックは任 せてください。数学をなるべく分かり易く教えます」 自虐的な自己紹介をしたのは、前髪は長く、両サイドを刈り上げた若い男。 背は低いが、半袖から覗く腕は日焼けしており、逞しい。これで精悍な顔つき なら、講師よりもスポーツマンに見えるのだが、実際はのっぺりとした表情で、 笑い方がぎこちない。感情表現が苦手なのかもしれなかった。 「理科系統の教科全般を受け持つ、村山志貴子(むらやましきこ)です。私は 優しいですから、分からないところがあったら遠慮せずに聞いてね」 アイドルが小さなファンに語り掛けるみたいな調子で云ったのは、見た目で 年齢を判断しづらい、派手ななりの女性だった。パーマとイヤリング(あるい はピアス)が目を引く。フリルの付いたオレンジ色のドレスを着ており、挨拶 を終えて下がる際に、スカートがふわりと広がった。 最後に北は、食事や体調管理その他の世話をする妹尾(せお)を紹介した。 恰幅がよくて体力のありそうな彼女は挨拶なしで、お辞儀をするにとどまる。 「さて、これからの六日間を有意義に過ごすためにも――」 締め括りの辞を述べつつ、北は頭の片隅で、別のことを考えずにはいられな いでいた。 誰が殺し屋なのか。 ライバルということに加え、ほとんどが今日初めて会っただけに、子供達十 人の間には、互いに牽制し合うような緊張感が端から漂っていた。それは最初 の講義を前にし、大部屋に集められた今も継続している。 しかし、やはりまだ中学生。張り詰めた空気に耐え切れなくなる子も出て来 るものだ。口火を切ったのは、ソバージュの女の子だった。中程の席をすっく と立つと、見渡しながら話し始める。 「始まるまでまだ十分近くあるし、自己紹介し合わない?」 目鼻立ちのはっきりしたその子は、皆の反応を待たずに八神蘭(やがみらん) と名乗った。すらりとした身体をジャージの上下で包んでいる(塾側の決めた ルールにより、合宿中は原則ジャージ姿)。 「せめてNS塾の人なのかどうかくらい、知りたい。私は外から受けに来たん だけど、NSの子に塾のことを色々聞いて、よさそうなら入るつもりでいるか ら」 「……」 少しざわつく場。だが依然として残るのは、お互いの牽制。 八神は更に言葉を重ねた。 「もう。このあと、遊べる自由時間だってあるんでしょ? そのときもこうや って、だんまりのまま、ばらばらで遊ぶの? 全然楽しくなさそう!」 「同感できた。だから」 不意に反応があった。その声の方へ皆の視線が集まる。ポケットに両手を突 っ込み、気怠そうに立ち上がった男子は、中三にしては老けた容貌をしていた。 眉の太さと、しゃくれた顎がそれに拍車を掛ける。ニックネームはオジサン辺 りだろうと想像に難くない。 「俺も名乗りましょ。星士郎(ほししろう)。こんな顔で、こんな大昔の歌手 みたいな名前はギャップがあるだろうけど、その分、覚えやすいだろ。よろし く。あ、俺は塾生だよ」 これをきっかけに、各人、ぼちぼちと名乗っていった。 まず、矢張り塾生の辻菜摘(つじなつみ)と小村恵子(こむらけいこ)が、 相次いで挨拶をした。彼女らは顔馴染みで、当然、通う塾も同じところだ。 続いて、男子三人が続けざまに、蜂矢海彦(はちやうみひこ)、設楽和剛( したらかずたけ)、岡田譲(おかだじょう)と自己紹介をした。蜂矢と設楽は 同級生だが、設楽の方はNS塾に通っておらず、今回、蜂矢に誘われたのがき っかけで参加することになったらしい。岡田は塾生で、典型的ながり勉の外見 をしている。本来無口なのに嫌々自己紹介したという気配が、ありありと窺え た。 残る三人は全て女子で、互いに目を合わせて、順番を探るような沈黙のやり 取りがあったあと、廊下側に近い席から、猪木明日菜(いのきあすな)、筑紫 理沙子(ちくしりさこ)、山谷都(やまたにみやこ)と名乗った。順に棒、四 角、球と表したくなるほど、猪木はのっぽで、筑紫はえらが張っており、山谷 はふくよかだった。三人とも塾生だが、顔見知りはいないという。 全員がやっと名前を知り合ったところで、八神がイニシアチブを取り、「そ れでみんなは、どこから来たの?」とさらに話を広げようとしたところで、講 師が部屋に入ってきた。時計は定刻ぴったりだった。 合宿最初の講義は国語。時間割に、現代国語だの古文だのの細目を記さない のは、進行の程度に合わせて柔軟に対応するためと説明されている。藁口は認 視で出席を採ったあと、全体を見渡して云った。 「始める前に、みんなの勉強法を聞かせてください。人には明かしたくない秘 密のやり方があるのなら、それは云わなくてもいいから、普段やっていること を端から順に発表して」 質は柔らかなのに刺々しく聞こえる声は、三角眼鏡のせいもあるに違いない。 北は合宿が問題なく滑り出したのを確認すると、個室に篭もり、二、三の事 務的チェックをした後、彼自身のことに考えを巡らせた。そう、あの疑問に。 (誰が殺し屋なのだろう?) 考えても詮無きことであり、悪くすると自分の首を絞めかねないと分かって いる。それでもなお、どうにかして知りたいと思ってしまうのは、自分の依頼 で人一人の命が奪われるという現実故か。 (合宿参加者の中に殺し屋がいるとしたら、そして向こうが示した殺し屋像を 素直に信じるなら、合歓という男が一番可能性が高い。ドクターのキャリアが あるのは、彼だけだ。尤も、殺し屋が履歴書に嘘を記さないという保証は、ど こにもない。ただ……) 時刻を確認しつつ、思考を続ける。 (ドン=ルードは違う。彼はどこからどう見ても日本人ではない。それと、藁 口さんも対象から外れる。彼女と実際に会うのはこの合宿の件で依頼したとき が初めてだが、業界でトップクラスの有名人だ。まさか殺し屋が、漫画めいた 変装の名手でもあるまい。合歓か村山のどちらかが殺し屋と見てよかろう) 次に浮かんだのは、殺し屋がいつ行動に移るのかという点。携帯電話を意識 しながら、思考を巡らせる。 (受け持ちの講義中に、殺害を実行する莫迦はなかろう。となると、就寝中か 自習時間、あるいは遊びの時間のいずれかになるが、事故死となると遊びの最 中がふさわしいに違いない。 自由時間なら毎日設定するが、いずれも夜で、基本的に外出禁止。となると、 事故死に見せかけるのは難しかろう。あるとすれば、初めて昼間フリーになる 三日目だな、恐らく) 半ば決め付けるように心中で呟くと、北は如何にしてアリバイを確保するか の算段を巡らせる。外部から来た子供達と一緒で、その上、大人一人がいれば 完璧ではないか。 (大人の証人には、藁口さんが最適だろう。知名度のある人物の証言こそ、信 頼度が高いはずだ。独身女性の彼女と二人きりになるのは難しくても、子供ら がいればガードは緩むに違いないし。これはなかなかいい。理想的ですらある) ほくそ笑んだ北は、二日後が楽しみでならなかった。 子供達は二人一組で個室を与えられた。それらの部屋に、就寝場所と私有物 置き場という以外に、大した意味はない。無論、自習にも使えるが、教室とな る大部屋は参考書や辞書の類が揃っている。 「それじゃあ、お姉さんもNSに通って、見事に合格したのね」 八神が云ったのは、同室の猪木の話を掻い摘んでまとめたもの。初日の夜、 寝る前のお喋りタイムに、二人は初見にしては花を咲かせている。気が合った のかもしれない。 「ほんと、この塾はよさそう」 「入ったら? 講義を見た限り、八神さんて相当にできるみたいだし、充分に ついてこられるわ」 「でも、溶け込めるかなあ?」 「一番社交的なくせに、何を心配してるのよ」 「昔から転校が多くて、友達作るの苦手だったから」 「へえー、そんな風には見えないね」 その隣の部屋では、筑紫と山谷が早くも寝息を立てていた。今日の講義の復 習を少ししただけで、二人とも疲れて寝入ったらしい。 そのまた隣は、辻と小村が同室。元々友達同士とあって、さぞかし話が弾む ことと思いきや、早々に布団を被って、ほとんど言葉を交わさないでいる。友 達同士だからこそ、お喋りしたいのをぐっと堪え、明日以降も万全を期して受 験勉強に臨めるよう、素直に眠ることにしたと見える。 似たような関係にある蜂矢と設楽は違った。同じ部屋になったのをいいこと に、消灯時間を過ぎてからも、枕元のランプを灯し、身振り手振りを交えて雑 談に興じていた。話題は勉強のことからスポーツ、ドラマや漫画、テレビ、学 校生活のこと等々、際限がない。 「設楽は、好きな女子っているのか?」 「おっ、いいねえ。定番の話題だが、そういうのは歓迎するぜ」 「答えろよ。修学旅行と違って、二人しかいないんだから、気兼ねなくな」 「はん。クラスには、いや、全校に広げてもいねえな」 「まじ? 結構見られるの、いると思うが」 「というと、蜂矢の好きな子は学校にいるんだ?」 「ノーコメント。まさかおまえがそんな答だとは予想していなかったから、こ っちも答えるのやめた」 「おーい、何だよそれ。そっちから話を振っといてさ。尻すぼみもいいところ」 「代わりに、この合宿に来てる女子の中ではどうだ?」 「ふん……。ま、いなくもない。好きっていうか、いいなって思った程度でか まわないならな」 「誰だか当ててやろうか」 「選択肢はあまりない。当てても自慢にならないって」 「確かに」 もう一つの男部屋、星と岡田は、片方がさっさと眠ってしまったので、室内 は静かなものだった。規則正しく就寝したのは書くまでもない、がり勉岡田だ。 「つまらん」 横になって毛布を腹にだけ被り、天井へと向いたまま、星は独りごちた。そ の声のボリュームは普段と変わらなかったのだが、岡田に目を覚ます様子は全 くない。 「いくらライバルだと云ってもな、今の世の中、コミュニケーションも大切だ と思うんだが。コミュニケーション能力ってやつも含めてさ」 星は仰向けのまま、ズボンのポケットに両手をもぞもぞと突っ込み、大いに 嘆息した。 夢の中でも蜂矢は考えていた。興奮に震えながら。 彼が設楽をこの合宿に誘い、承諾させたのには、目的があった。机を並べて、 切磋琢磨しながら受験勉強をしたい、などという子供じみたことではない。 設楽を葬るため。 その最高の舞台を整えられるチャンスと踏んだ。本心を隠し、相手をおだて、 その気にさせた末、設楽が判定試験に通ったと知ったとき、計画は完成した。 否、達成されたと云ってもよい程だ。 蜂矢は、塾生に対してなら、優越感を持っている。北の弱みを握る彼にとっ て、いざとなったら他の全塾生を蹴落とすくらい、容易い。少なくとも蜂矢自 身は、そう信じている。 だが、NS塾に通わない設楽には、影響力を持てないでいた。心理的優位に 立つことだけを目指して塾に誘っていたのが、いつの間にか変化した。蜂矢が 昔から想いを寄せる女子と設楽が付き合っている、そんな噂を耳にしたとき、 境界線を越えたのかもしれない。 しかも今夜、お喋りに紛らわせて発した蜂矢の問い掛けを、設楽はスルーし た。蜂矢の気持ちを知っているはずなのに、完全に無視してくれた。中学生が 殺意を固めるのに充分な出来事だった。 明日、二日目の夜に、死の十三階段を昇らせてやるっ!――夢中で決心した。 北は自分の受け持つ講義がない間、空を睨んでいた。 合宿二日目は朝から雨が降ったり止んだりと、不安定な天気だった。気温も 一気に下がったかと思えば、雨上がりの湿度が高いところへ太陽が照りつけて、 前にも増して蒸し暑くなる始末。 別荘内は冷房が行き渡っており、学ぶのに支障はない。ただ、この調子で天 候不順が明日も続くようだと、遊びの時間のスライドも考えねばなるまい。 (しかし、遊びのための自由時間をずらすと、恐らく殺し屋の決行も遅れるこ とになる。なるべく早く始末して欲しいのだが、天気予報も色好いことは云っ てくれていない。悪天候なのに子供達を遊ばせたとあっては、私に掛かる責任 がより重くなるしな) 滅多に使わないラジオに耳を傾けていると、部屋の戸を叩く音がした。北は 少し考え、ラジオの音を絞ると、どうぞと応じた。 黙って入ってきた相手の顔を見て、北の表情が緩む。 「藁口さんでしたか。何か」 「鬱陶しい空模様です」 奥まで進み、窓越しに空を見上げる藁口。徐に北へ振り返った。 「明日もこの調子のようですわね。息抜きのお話は、難しそうですけれど、ど うします?」 アリバイ証人になって貰うべく、北は藁口に日光浴がてら、色々と話をしま しょうと誘っていた。 「性急に決断しなくてもいいでしょう。明日の朝まで待とうかと考えています。 子供達だった賢いのだから、急な変更があったとしても、騒ぎ立てて不平不満 を云うとは思えません」 「それでは、自由時間が後ろにスライドされた場合も、同じということですか」 「ええ。不都合でも?」 内心、多少の焦りを覚える北。だが、藁口は首を横に振った。 「いいえ。確かめただけです」 事務的な口調で答えると、藁口は来たときと同様、足早に廊下へと行き、戸 口の向こうに姿を消した。 北は、静かに閉じられた扉を見据えながら、思わず呟いた。 「証人としては申し分ない」 明確な目標意識があっても、また適度な自由時間が与えられても、勉強合宿 中の食事は楽しみなもの。殊に夕餉は一番だろう。加えて、妹尾の腕前はプロ のコック並で、並ぶ料理のどれもが美味しかった。 当然、子供達の会話も弾み、時間ぎりぎりまで話し込む。そんな有様を北は、 秘めた計画を完全に隠し、にこにこと眺めていた。 だから、その二人の会話を聞いたのは、北が特に耳を澄ませていた訳ではな い。気まぐれを起こして自分の皿を流しに運ぼうと立った際、蜂矢と設楽が並 んで座るそばを通った、それだけだ。 「いいだろ?」「まあ、俺は塾生じゃないから、どっちでも」「だったら、今 晩十一時半に外な」 小声であったが、そんなやり取りが聞き取れた。男子二人は講師陣を警戒し てはいたのだろう、北が最接近する頃には口を噤んでいた。だが、北には充分。 北は反射的に注意しようとした。が、たまたま、妹尾から感謝の言葉をかけ られ、その対応に意識が向いた。 「まあまあ、すみません。でも、先生は座っててくださいよ。私の仕事がなく なってしまいます」 「あ、ああ。よくしてくれて、こちらこそ助かっているよ」 そうして北がテーブルへと向き直ったときには、もう蜂矢も設楽も姿はなか った。機会を逸したが、普通なら部屋に追い掛けてでも注意しておくべきケー スだ。そうしなかったのは……予感が働いたのかもしれない。 (蜂矢が今夜、こっそり外に出るのなら。ひょっとすると、殺し屋は今夜にで もやってくれるんじゃないか?) 幸い、北以外の大人は、只今の蜂矢達の会話を聞いていないようだ。蜂矢か 設楽のどちらかがどじを踏まない限り、彼らは夜の外出に成功するに違いない。 殺し屋が、それをチャンスと捉えたなら、うまく蜂矢だけを事故死に見せかけ て葬ってくれるに違いない。殺し屋だって、明日の悪天候を知っているはず。 ハプニングとは云え、好機を逃すとは思えない。 唯一、北が懸念するとしたら、蜂矢が忍び出ることを、殺し屋が把握できて いるのかどうか、ぐらいだ。 その答は、そして殺し屋が今夜決行するのかどうかは、携帯電話が教えてく れる。知らせを待つために、北は自室に篭もることにした。 夜の自習時間は、講師への質問タイムにも当てられているが、所用により今 夜は受け付けられないと、北は子供達に知らせた。準備万端で部屋に入ると、 携帯電話を開いて机上に置き、落ち着きなく歩き回った。メールをじっくり座 って待てないのは、もしも今夜決行となったときは、アリバイ確保をどうしよ うか、頭を悩ませる必要があったからだ。 そして――食事を終えて小一時間も経った頃、待望のメールが到着した。ま だアリバイの段取りが固まっていない北だが、すぐさま携帯電話に飛び付く。 震えそうになる指に力を入れ、操作した。 “今夜決行。二十三時半から二十三時四十五分までに決着の見通し” 淡々とした文面。ディスプレイに表示された文字にふさわしい、事務的で機 械的なメールだった。でも、事情を把握している北には、恐怖と迫力が伝わる。 何と日常的な内容なのだろう。日常と殺しがつながっている、あの男達の底知 れなさを感じずにいられない。 いよいよか。 北は口を動かしたが、声にはならなかった。障害は取り除かれる。あとはア リバイ確保だけ。 二十三時から0時まで付き合わせるのに、子供達では無理か。シャットアウ トしていた質問を改めて受けて、答えていたことにしてもいいのだが、第三者 的に見ればいささか不自然かもしれない。 当初の目論見とは異なるが、複数名の大人を証人に仕立てるべきだ。だが、 妹尾を含めた女性三人には、難しい時刻だ。講義の進捗具合や子供達の理解度 を報告し合うにしても、遅い時間帯だろう。酒宴でも催すなら名目も立つが、 子供のための合宿に来て、講師達が二日目にしてどんちゃん騒ぎでは示しが付 かないばかりか、事後の責任が大きく重くなる一方だ。 そうなると、男性講師を誘うしかないが、合歓が果たして応じるかどうか。 合歓こそ殺し屋ではないかと、北は踏んでいるのだから。たとえルードと二人 きりでもアリバイ証明にはなるが、心細さはある。 他に手段はないか。子供達に抜打ちテストと称して、試験を課す……だめだ、 肝心の蜂矢が外に出られないことになる。知り合いに電話を掛ける……アリバ イとして弱い気がする。理由を作って別荘を離れ、どこかの店で印象に残る行 動を取る……不自然さが残る。etc、etc。 北は時計を見た。午後十時が目前だった。アリバイについてあれやこれやと 考える内に、こんなに時間を浪費したのかと驚いた。 いつまでも悩んでいても仕方がない。とにもかくにも、ドン=ルードには付 き合って貰わねば、お話にならないのだ。手遅れにならない内に行動に移そう と、椅子を離れた。 廊下に出るとき、北自身も分からないが、音を立てないように素早く動いた。 誰もいないことを確かめ、皆がいるはずの方角へ足を向ける。 そのとき――背後に人か何かの気配を感じた。そちらは、五メートルほど廊 下が続いた先に、庭へと通じる大きなガラス窓があるぐらい。この時間、人が 出入りするような場所ではない。 訝りつつ、振り返ろうとした北だが、不意に圧迫感に襲われた。振り返るこ とを一旦中止する。そうせざるを得ない。 何だ? 急速に乾いた口中から、くぐもった声を絞り出したつもりだったが、音にな らない。嫌な汗を脇の下に感じながら、どうにか横目で後ろの様子を探ろうと する。あの窓は施錠していたか、いなかったか。施錠されていないのだとした ら、蜂矢達が予定を早めて外に出た可能性もある、と気付いたが……強烈な違 和感がある。子供なら、わざわざここに留まる必要がないではないか。何より も存在感が全く異なる。 錆び付いた人形の首の向きを無理に換えるかのごとく、ぎりぎりのところま で振り返り、目を端に寄せて……一瞬、見えた。 北は急いで視線を戻し、我が目を疑った。 (何だあれ) ――続く
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