●長編 #0201の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
十一月。 利根は朝雲と藤波を従えて、ブルネイから馬公への航海の途上にあった。 「明石が健在なら、こんな苦労もないんだがなあ」 「この程度の損傷でも、佐世保あたりに回航しないと修理できませんからね」 三九隻でレイテを目指して出撃した第一遊撃部隊は、四分の一以下の九隻にまで目減 りして帰ってきた。残存艦は利根と阿武隈のほかは駆逐艦七隻。無傷の艦は一隻もな い。機動部隊も、空母六隻のほか、日向、大淀、五十鈴を立て続けに撃沈されて壊滅。 瑞鶴が上構を大破されながら呉に帰り着いたのは奇蹟と言ってよかったが、日本が保有 していたまともな艦隊兵力は、この一戦で完全に再起不能となった。 「そのついでに、輸送艦の護衛もやってくれってか。まあそれならそれで否やはない さ。しかし、こりゃどういうことだ?」 実際の面積のわりに広さを感じさせる利根の飛行甲板には、軽質油を満たしたドラム 缶がこれでもかと敷き詰められている。朝雲や藤波でも、状況は似たようなものだっ た。商船を恐ろしい勢いで撃沈され続けている日本では、輸送用の船腹の絶対数が不足 しているのだった。 「護衛とは名ばかりで、これでは戦うこともできん。フィリピンがまだがんばっている とはいえ、ここもいつ敵機が飛んでくるかわからんしなあ。対空、見張りを怠るな」 既に、ルソン海峡で輸送船が艦載機に襲われる事件が数件発生しているという。 だが、黛大佐がそう命じた直後。 「う、右舷雷跡!」 「なっ!?」 艦隊に忍び寄った米潜シーライオンが放った魚雷だった。完全に注意が空を向いてい た利根には回避の余裕はなかった。中央部に命中。虚を突かれた内務班が応急にかかる 前に高角砲弾薬庫で最初の誘爆が発生し、後部に満載されていたガソリンに引火した。 利根が噴き上げた火柱は、僚艦で巻き添えによる死者が発生するほどの規模だった。 「すまん、ウィリス!庇いきれなかった……!」 机に両手をついたハルゼーが、リー少将に向かって深々と頭を下げた。 米海軍は生贄を求めていた。日本が保有していた外戦兵力はフィリピンを巡る一連の 戦いで完全に消滅し、現在は中立国経由で非公式に講和──事実上の降伏──に向けた 予備交渉が行われている。 だが、その戦いで米海軍は、建軍以来最悪の犠牲を払わなければならなかった。戦艦 十一隻、空母七隻をはじめ、あの悪夢のような三日間で米海軍が失った艦艇は七〇隻を ゆうに超え、戦死・行方不明者に至っては三五〇〇〇名を数えた。最終的には上陸船団 を守りきるという戦略目的は達成され、対日戦のスケジュールに致命的な遅延を生じる 最悪のシナリオは回避できたが、損害比率だけを見ると、この戦いは日米どちらが勝っ たのか判らないほどの大損害を米海軍にもたらしていた。誰かがその責任を取らなけれ ばならなかった。 査問会の席上、ハルゼーは「全ての損害の責任は自分にある」と主張し、自分の北進 がなければどれだけの損害が防げたかという推定結果まで提出して他の指揮官を弁護し た。確かに説得力のある主張ではあった。誰もがハルゼーの覚悟に敬意すら抱きつつ、 査問会は彼の責任を認める方向で結論を固めようとしていた。 しかし、そこに政治が介入した。ハルゼーは将兵から絶大な信頼を寄せられているカ リスマ性の高い指揮官であることがその理由だ。このとき米政府は、戦後を睨み海軍の 大幅な縮小を予定していた。人員削減に伴う著しい士気の低下を抑えるためにも、ハル ゼーの在任は不可欠と考えられたのだ。第三八任務部隊が日本空母六隻を撃沈し、勝利 と呼べる戦果を挙げていたことも、この決定を後押しした。 こうして、スケープゴートは決定された。主力艦戦力で優勢にあったにもかかわら ず、麾下の戦艦全てを失って日本艦隊主力の突破を許したリー少将。彼が、全軍で唯一 敗北を喫した指揮官とされ、第七艦隊に生じた損害の責任まで被せられる形で前線指揮 官の任を解かれた。おそらく、このまま予備役編入されることは間違いないだろう。 ハルゼーにとっては、これは自分が降格されるよりも辛い処分だった。誰よりも自分 自身が負うべきであると信じていた責任を、全部部下一人に押し付ける形となってしま ったからだ。こと責任感については強烈な自意識を持っていた彼にとっては、これは精 神的な拷問にも等しかった。ハルゼーはついにはニミッツ長官に直訴までしたが、結局 裁定が覆ることはなかった。 「査問会でのことはニミッツ長官から伺いました。どうか気を落とされないでくださ い。私が日本軍に敗北を喫したことは事実ですし……それに、予備役になればなった で、私もいろいろとやりたいことはありますから」 リー少将は、悟り切ったような穏やかな表情で言った。 「戦争も終わりましたからね。これから、我が軍はどんどん人減らしに掛かる筈です。 そのときに発生する士気の低下を食い止めるのは、あなたにしかできない仕事だとニミ ッツ長官は仰っていました。どうか……合衆国海軍を、よろしくお願いします」 こののち、予備役編入と同時に退役したリー少将は、レーダーの運用と設計に関する 論文を発表したことが認められてマサチューセッツ工科大学に客員講師として招かれ、 自動火器管制システムの父と呼ばれることになる。 一方のハルゼーは元帥位を得たのちに、軍縮に伴う士気低下という病魔に侵されつつ ある合衆国海軍の重鎮として、一九五〇年まで現役を務めた。その後の戦役において合 衆国海軍が示し続けた高い士気は、彼が苦心して維持したものであると評価されてい る。 横須賀工廠では、瓦礫の後片付けが始まっていた。クレーンは倒壊しているわ、建屋 は焼け落ちているわ、岸壁は崩落しているわと惨憺たる有様だが、作業に当たっている 人員の間には、むしろさばさばとしたような生気が満ちている。 「まあ、これだけ派手にやられると諦めもつくわな」 よくもまぁ、と感心した様子すら伺える表情でため息をつく小沢中将。エンガノ岬沖 から帰還した直後に、壊滅した第三艦隊の司令官から軍令部次長に異動していた。 「十月にあれだけの戦をやったあとでこれですからなぁ」 艦政本部長の渋谷中将が同意する。この惨状を現出したのは、レイテ沖海戦から僅か 一ヶ月で再建された米太平洋艦隊主力だった。最後の余力までレイテで使い尽くした日 本に、この急進撃を押し留める力は残っていなかった。巡洋艦以上で本土に残っている 艦は軒並み入渠中あるいは艤装未了だったし、航空隊は本来教官クラスとして温存が図 られるべき腕利きまでレイテで消耗しきってしまっていたからだ。 おまけに、そんな状況を知ってか知らずか大胆にも浦賀水道に突入してきたのは、戦 艦ノースカロライナを筆頭にインディアナ、ミズーリ、ウィスコンシン、コロラド、ニ ューメキシコ、アイダホの面々。 さすがに空襲や潜水艇の襲撃を警戒してか長居はしなかったものの、七隻合計六八門 の巨砲による艦砲射撃は日本第二の大軍港を瞬く間に炎上させ、そこにスプルーアンス 中将率いる第五八任務部隊の空母艦載機が仕上げを行った。 「その中を生き残ったんだから、たいしたもんだ」 二人が視線をやった先には、上構に損傷を受けながらも堂々たる存在感を放っている 基準排水量六二〇〇〇トンの空母信濃の巨体があった。 「あれは、レイテ沖の滅茶苦茶な損害が不幸中の幸いでした。造ったはいいものの、使 い道が決まらずに右往左往している間に、棚上げされていた水密試験だけでもやってし まおうという話が出ましてね」 渋谷中将が頭を掻きながら話す。 「いや、先月の水密試験で不具合が見つからなければ、危ないところでした。万一あの まま外海に出して敵潜の雷撃でも受けていたら、どうなっていたことか」 この時点で、日米のどちらも大筋では戦争の継続を望んでいなかった。 日本は、レイテ沖の戦いによって外戦兵力の全てを失い、これ以上の対米戦遂行はど う足掻いても無理だった。陸軍はまだマニラを拠点としてルソンで頑張っていたが、そ れも程度問題だった。既に今上帝からも「もうこのあたりでよかろう」という勅旨が下 されている。 一方の合衆国でも、異変が起きていた。フランクリン・ルーズベルト大統領が、健康 状態の悪化から職務遂行が事実上不可能となっていたのだ。そこへもってきてレイテ沖 の大損害が報じられたことが、この状況にとどめを刺した。十一月に行われた大統領選 挙での大敗である。ルーズベルトは、政治家としての生命と生物としての生命を、ほと んど同時に絶たれることとなった。 日本国内の講和派にとっては、この状況は一種のチャンスだった。合衆国は、既に大 方でケリのついた太平洋戦線よりも、いまだ激戦の続く欧州戦線を重視し始めていたか らだ。敵味方をとりまく全ての状況は、講和を是認する方向に動き始めていた。 「とはいえ、止めの刺し方は少々手荒かったな」 小沢中将は複雑な表情になった。 米艦隊の母艦機は、横須賀と同時に呉にも襲い掛かった。陸軍機を中心とした日本軍 の迎撃も激しいものだったが、正規空母九隻を擁する米艦隊の攻撃力は圧倒的だった。 横須賀では軍港・工廠施設が大きな被害を受けて在泊艦艇がほぼ壊滅した。呉では建 造・艤装中の阿蘇と葛城が破壊され、フィリピンから生還した瑞鶴と千代田も大破着底 の憂き目に遭っていた。 「まあ、戦力再建の目処も立たなくなったからこそ、講和の話も現実味を帯びてきたよ うなものだが」 「比島への兵站線も途切れがちと聞きますからな。このうえ御聖断まで下ったとあって は、陸さんも文句は言いにくいでしょう」 そこへ、艦政本部次長が姿を見せた。手渡された電文に目を通した渋谷中将の頬が緩 む。 「やりました。大筋で講和の話がまとまったそうです」 「どうしてでしょうね」 第二艦隊司令長官の伊藤中将は、空襲の後片付けが一段落した呉鎮守府庁舎の窓から 海を眺めていた。艦隊とはいえ所属する軍艦がいないものだから、第二艦隊司令部は鎮 守府の一角に間借りしている。 「何がかね?」 問い返したのは、海軍次官の井上大将。 「いえ、何もかも失って負けたはずなのに、むしろ爽快ですらあるというのが不思議な 気分でしたので」 「無理もないさ」 出せるだけの戦力を全部使い潰して戦い抜いた結果だからな、と井上大将は笑った。 日米間での停戦が正式に発効してから一ヶ月。シドニーで行われている講和(事実上 の条件付き降伏)条約の本交渉は紛糾していたが、これまでの数年間に両国の間で交わ された砲火に比べれば、微笑ましいほどにささやかなものだった。 「それはそうと、今日の本題だが」 やや言い辛そうにそう前置きして、井上大将は続けた。 「司令部は、さしあたって酒匂に置いてもらうことになると思う」 「伊勢ではないのですか?」 「あの艦は、あちらさんが賠償艦に指定してきた。何に使うつもりかは知らんが、連中 よほど我々に戦艦を持たせておくのが怖いらしい」 伊藤中将は、思わず吹き出した。 「栗田さん、少々気張りすぎたのと違いますか」 「でなかったら、我々がこんなところでこんな話もしておらんだろう」 「そうそう、それから」 井上大将が付け加える。 「西村君と篠田君が生きとったよ。六月予定の捕虜交換の第一陣で帰ってくるそうだ」 「なんと」 兵学校同期の消息を聞いた伊藤中将の表情に驚きが浮かぶ。 「どうやら、然るべき人物と縁ができたらしいな」 「それはまた」 思わせぶりに目配せをした井上大将の表情に、伊藤中将の笑いが大きくなった。彼も 米海軍には親友というべき知己をもっていたからだ。ほかならぬ、レイモンド・スプル ーアンス米第五艦隊司令長官である。 「やはり、戦争が終わってよかったのでしょうな」 久々に旧交を温める機会があるかもしれない。伊藤中将は、そのことの意味を実感し ていた。五年間も戦っていたせいで感覚は麻痺しかけていたが、これからはそれが当た り前になる。 「だが、立て直しもいろいろあるしな。これから忙しくなるよ」 「鎮守府も艦隊もボロボロですからね」 「それよりも、まずは疲弊した日本を何とかするのが先だろう。支那の戦も残っておる ことだし」 「支那に馬来、仏印、蘭印、それに内南洋だってどうなることやら。世に片付けの種は 尽きまじということですか」 「米国と戦っていたことを考えれば、せめて気が楽さ」 そう言って、井上大将は眩しそうに窓から外を見た。 三月の暖かな陽光を照り返して、瀬戸内海が銀色に輝いていた。 ── 暁のデッドヒート 完 ──
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