●長編 #0195の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
皆既日食かと見紛うほど重く低く垂れ込めた密雲のために日の出は地上から確認でき なかったが、時刻は既に、太陽が東の水平線から顔を出していることを示していた。 クラークフィールド基地の上空は小雨雑じりの悪天候だったが、飛行作業には支障な さそうだ。 「昨日の航空戦における諸子の敢闘により、米機動部隊には少なからぬ損害を与えるこ とができた。そして本日の戦闘が、この決戦における最後の正念場となるであろう。既 に味方水上部隊は、レイテ湾突入への最終行程に入りつつある。どうか……どうか今一 度、諸子の力を貸して欲しい!」 大西長官の出撃前訓辞は、懇願にも似た力の入ったものだった。 昨日の判定戦果は、敵空母二隻撃沈、二隻撃破と伝えられている。敵空母機動部隊の 勢力は空母十六隻と報告されているから、昨日の戦いでは四分の一を倒した勘定だ。 そしてそれ以上に大きかったのが、敵空母主力を完全な遊兵に仕立てられたことだっ た。一直線に内地から南下してくる小沢艦隊を発見した敵は、見事にこの餌に食らいつ いた。だが、この餌にはしっかりと釣り針が仕掛けられていた。直掩戦闘機隊にかまけ て空母本隊を攻めあぐねていた敵艦隊に一航艦の陸攻隊が襲い掛かり、これを拘束。そ の間に、第一遊撃部隊は見事サンベルナルジノ海峡の突破を果たしたのだ。 無論、犠牲も大きかった。現在クラークフィールド基地から作戦可能な機体は、昨日 飛来した第三艦隊の艦載機まで含めても五十機に満たない。昨日朝の時点では陸攻と銀 河だけで四十機以上、戦闘機まで合わせれば百機近くを保有していたのだから、その戦 力低下ぶりは見るに堪えないものがある。 だが、そうであるにも関わらず彼らの士気は最高の状態にあった。昨日の戦果を受け て高揚しているばかりではない。誰もが、この戦いが海軍航空隊としての事実上最後の 戦闘になると肌で感じ取っていたのだ。 (あるいは体当たり攻撃の実施も覚悟していたが……) 大西中将は思った。この調子なら必要なさそうだな。既に味方水上部隊は、自分たち の力が及ばないところまで進出を果たした。あとは、ルソン東方の空母機動部隊を叩い て小沢艦隊を援護するほかに一航艦が出来ることといえば、戦艦部隊の武運長久を祈る ことくらいしか残っていなかった。 ハルゼーは、自分たちがとんでもない罠の中に飛び込んでしまったことを悟ってい た。 「やられたよ。くそっ」 第三艦隊は、まさに進むも地獄、退くも地獄という状況に置かれていた。既にハル ゼーの元には、キンケイド第七艦隊長官を始めとして、第七七・二任務群のオルデンド ルフ少将、第三四任務部隊のリー少将、果てはハワイのニミッツ長官に至るまで、あり とあらゆる指揮レベルから救援を訴える通信が押し寄せていた。 だが、第三八任務部隊は動けなかった。ここで反転すると、未だに空母七隻の戦力を 持つ日本機動部隊に背後を晒すことになるからだ。一個任務群を分離してレイテへ送る オプションも選択肢としては存在したが、陸上航空隊も相手にしなければならないこと を考えると兵力の分散は論外。ハルゼー艦隊は、嫌でもここに腰を落ち着けて、目の前 の日本空母と殴り合わなければならなくなっていた。 おまけに、フィリピン海域の天候はどんどん悪化していた。風と海面のうねりは強く なる一方で、至るところに激しいスコールが散在している。 (畜生、泣きっ面に蜂とはこのことだ……) 艦載機の発着は、不可能と言わないまでも相当に困難で、直掩隊の発艦作業も遅々と して捗らない。 「ピケットより通報! ベクター一七〇、距離三〇マイルに航空機らしきレーダー反 応、約四十! 目標速度、約一五〇マイル!」 「クソッタレ、最悪だ!」 ハルゼーは喚いた。方位と距離からすると、発見された目標はジャップの攻撃隊に間 違いない。これで朝一番で出す予定の攻撃隊を発艦させる暇がなくなってしまった。 「接触まで三十分……直掩隊は何機上げられる?」 「これまで上がったのが十八機ですから……およそ三十機です」 お世辞にも十分とは言えないか。ハルゼーは決断せざるをえなかった。 「各艦、ハンガー・チームは攻撃隊の爆装解除を急げ。今から上げても間に合わん!」 「えぇい、何をしておる!」 オルデンドルフ少将は、掌に爪が食い込むほど拳を握り締めて喚いた。 クリフトン・スプレイグ少将麾下の護衛空母部隊ともろに鉢合わせした第七七・二任 務群は、隊列が大幅に乱れていた。数十隻の大部隊同士でお互いの針路が交錯する形と なったため、各艦が複雑な衝突回避運動を強いられている。 (これでは……レイテに間に合わんっ) いや、それ以上に背後から迫るモンスターの方が恐ろしい。 このように隊列が乱れた状態では、ろくに統制も出来ないまま叩かれて終わってしま う危険が大きい。おまけに、まともな戦闘力も持っていない護衛空母に至っては、砲雷 戦の足手纏いにこそなれ、絶対にプラス要素としては働かないだろう。第一、モンス ター達の砲撃に遭えば一撃の元に消し飛んでしまうに違いない。 (そうなる前に、何とか隊列を収拾してジープどもを分離しないと……) 回避機動と混乱、そして天候悪化に伴う海面状態の時化のために、艦隊速度は大幅に 落ちていた。レイテへの到着見込み時刻は、もはや見当もつかない。少なくとも当初の 見込みよりも大幅に遅れることだけは確実なのだが。 そして焦燥に駆られるかのように旗艦ルイスビルの艦橋の窓の外に目をやったオルデ ンドルフ少将の耳に、艦の全力航進に伴って艦橋が風を切る音に混じって雷鳴のような 音が飛び込んできた。雷かと思ってそちらに視線を向けた彼は、最悪の事態が到来した ことを悟った。 隊列の最後尾付近を進む巡洋艦ボイスが、無数の巨大な水柱に包まれていた。 サンベルナルジノでリー艦隊の新型戦艦たちを叩き潰したモンスターが、追いついて きたのだ。 「命中! 敵甲巡一、撃破と認む」 水柱の中から現れたボイスは、C砲塔付近で真っ二つに千切れていた。切断部分から ものすごい勢いで黒煙と蒸気を吐き出している。 「前方、戦艦一……いや、二! 空母三、まだ他にいますっ!」 見張りから報告。 「空母だって!?」 予想外の報告に、大和の艦橋がどよめいた。 「戦艦と空母が一緒にいるとは……敵は相当混乱しておるようですな」 小柳参謀長も予想外の事態に驚きを隠せない。 「なんにせよ、敵空母を仕留める絶好の機会には違いない。水雷戦隊、突撃だ!」 栗田長官も目の色が変わっていた。敵艦隊は、戦艦の艦列に空母群が入り混じってお り、統制の取れていない単縦陣の切れ端が彷徨っているような状態だった。 「敵巡洋艦、沈没します!」 「おぅ、見事だ!」 二つに千切れたボイスの前半分が、舳先を高々と掲げて沈んで行こうとしていた。ま るで松明の芯のように、轟々と燃え盛る炎の中で真っ黒なシルエットとなって浮かび上 がっている。その様子を見ていた者たちは、沈んでいく船体の表面で海水が瞬時に沸騰 して弾ける音までが鮮明に聞こえたような錯覚に捕われた。 「十一時方向、敵戦艦二! まっすぐ向かってきます! 距離二〇〇〇〇!」 「飛び出してきたか?」 双眼鏡を向けた視界の隅で、またしても複数の巨大な水柱が奔騰した。 巡洋艦フェニックスを狙った長門の射撃が着弾していた。 「ウェイラー! 早く隊列を立て直すんだ! 殺られるぞ!」 オルデンドルフ少将は、TBSの送話器を握りしめて絶叫した。うちの中古艦でモン スターに対抗するには、隊列を整えて統制射撃で撃ち合うしか道はない。 だが、戦艦部隊の隊列は護衛空母群との交錯によって分断されていた。そこに後続の 巡洋艦と護衛空母部隊の駆逐艦が入り乱れて、手のつけられない混乱が発生している。 「うわっ……ボイス、二つに折れました!」 後檣から見張りが上ずった声で報告してきた。 「フェニックス被弾! 戦艦クラスに狙われています!」 「敵水雷戦隊、突入してきます!」 「スムート隊に連絡! 迎撃急げ!」 「デンバー、射撃開始しました」 「ポートランド被弾! 誘爆が発生した模様!」 その直後に隊列の中で閃光が走り、水柱が奔騰した。数秒遅れて、轟音と衝撃波が続 く。スプレイグ隊の護衛駆逐艦が、全艦炎の塊となって真っ二つに折れているのが見え た。 「ブルー・キラーだ!」 「だめだ、あれじゃ助からん……」 「落ち着けっ!」 ルイスビルの艦長が怒鳴りつけるが、浮き足立った艦橋の空気は容易には収まらな い。まさに士気崩壊の一歩手前。 そのとき、着弾のものとは質の異なる轟音が響き渡った。彼らにとっては、慣れ親し んだ音だった。 「ウ……ウェストバージニア、射撃開始しました!」 「メリーランド、射撃開始!」 安堵の余りほとんど涙混じりとなった声で報告が入る。米艦隊の反撃が始まった。 ウェストバージニアは、滅茶苦茶に入り乱れた隊列の中で強引に回頭をかましてい た。とりあえず艦尾方向を敵に向けている状態を、なんとかしなければならなかったか らだ。 だが回頭の最中に、スプレイグ隊の左翼を進んでいたガンビア・ベイが目の前に飛び 出してきた。 「莫迦野郎!」 艦長が叫ぶが、もう遅い。正面衝突で戦艦部隊旗艦が行動不能になるという最悪の事 態こそ避けられたものの、金属同士が擦れ合い変形する甲高い耳障りな音を残して、ウ ェストバージニアはガンビア・ベイの舷側を削っていった。 さらに、ガンビア・ベイの不運はこれだけに留まらなかった。舷側通路や銃座をごっ そりと削ぎ落とされて船殻に亀裂まで入った彼女の左舷に、後続のメリーランドまでが 衝突していったのだ。 この一撃が致命傷となった。舷側の亀裂から流入した海水によって機関が丸ごと水没 し、足が止まってしまったのだ。そもそも本格的な戦闘などに投入されることを考えて 設計されていないカサブランカ級護衛空母は、機関のシフト配置など行っていない── いや、それ以前に商船構造の彼女は単軸推進だ。 あっという間に浸水と傾斜を生じて海上に停止した彼女に対し、左翼を突進してきた 利根と熊野が距離一二〇〇〇から八インチ砲を浴びせる。続けざまに飛行甲板や格納庫 側面を突き破った砲弾は格納甲板で炸裂し、艦載機を破壊してタンクに残っていた燃料 を炎上させた。ガンビア・ベイは上構を炎に包まれ、ありとあらゆる破孔から激しく黒 煙を噴いて最期の時を待った。 味方の護衛空母一隻を踏み潰して無理矢理砲戦態勢を整えたウェストバージニアとメ リーランドは、全主砲を右舷に指向して初弾を斉射した。 「撃ってきたぞ!」 大和の艦橋で、誰かが叫ぶ。 初弾は苗頭が甘く、全弾が大和の左舷前方に水柱を上げた。 「この水柱は、四〇サンチ級……メリーランド型がおるな」 「どこから撃ってきた!」 米艦隊にとっては絶体絶命の状況だったが、日本側にとっても手放しで歓迎できる事 態ではなかった。これだけ相手の隊列が入り乱れていると、最優先で叩くべき目標であ る敵戦艦がどこにいるのかがさっぱり掴めない。 「一時方向……煙幕で正確には判別しかねますが、ニューオーリンズ級甲巡の向こう側 からと思われます。距離、二〇〇〇〇!」 「畜生、これでは狙いの定めようがないぞ!」 「構わん、主砲撃ち方! 撃てば何かに当たる!」 横を見た森下艦長は、我が目を疑った。普段は鉄仮面のように表情一つ変えないこと で知られる宇垣中将の顔が、紅潮していた。 「左舷側、敵戦艦二隻回頭しつつあり!」 森下少将は、表情を引き締めた。米軍も、むざむざとやられるつもりはないのだろ う。 その直後、大和の四六サンチ砲が火を噴いた。左翼に飛び出してきたカリフォルニア 級戦艦の周囲に水柱が上がる。 「よぉし、初弾から夾叉か。縁起がいいぞ!」 砲術長の声が弾んだ。 「テネシー、夾叉されました!」 「くそっ、奴ら腕がいいぞ」 ウェイラー少将は悪態をつきながら砲戦を指揮していた。 「第三射、弾着……敵先頭艦を夾叉!」 「よし、この諸元だ!」 ウェストバージニアとメリーランドは、大和に向けて四度目の斉射を放った。 「弾着……敵先頭艦に命中一!」 双眼鏡を向けた砲術長は、しかし次の瞬間溜め息をついた。 「何て奴だ、砲塔で弾きやがった」 「敵二番艦はナガト級!」 「敵先頭艦、発砲!」 報告が重なる。再びテネシーの周囲で大量の海水が天高く吹き上げられ、その中で閃 光が走り、海水以外の何かが弾け飛ぶのが見えた。 「テネシー、通信途絶しました!」 通信室から第一報。 「アンテナをやられたか?」 それどころの騒ぎではなかった。数十秒が経って水柱が崩れ落ちたとき、そこにあっ たものを見たウェイラー達は己の目を疑った。 瀑布のように落下する水幕の中から白煙とともに現れたのは、前後に分断された船の 形をした炎の塊だった。 ウェイラー少将もオルデンドルフ少将も、絶句したまま次の動作を忘れてしまった。 いや、その光景を目にした多くの者が、同様の状態にあった。 ──戦艦とは、これほどまでにあっさりと葬られてしまう兵器だったのか。 彼らの目の前で、テネシーは立て続けに誘爆を起こした。B砲塔とX砲塔をそれぞれ 下から粉砕して火柱が噴き上がり、巨大な火球となって甲板上にあったものを火炎とい わず上構といわず舐め尽くす。 爆風の直撃を受けた前檣楼が、まるで風化した古木のように分断された船体の狭間に 向かって崩れ落ち、海面で飛沫を上げた。 空中高く膨れ上がった火球を突き破るように、その内側から無数の新たな火球が膨れ 上がり、既に原形を留めないほど破壊された船体を四分五裂に引き裂く。その裂け目か ら新たな炎の雲が火砕流のように水平方向に噴出し、百メートル以上も離れた位置にい た味方駆逐艦を呑み込んで一塊の焚火へと姿を変えさせた。 そして次の瞬間、巨大な白いリングとなって海面を走ってきた想像を絶する衝撃波が 戦場海域に存在する全ての艦艇を揺るがした。 「──耳が潰れるかと思った」 戦後にこう証言したのは、テネシーから四〇〇〇メートル以上も離れた位置にいたペ ンシルバニアの乗組員だった。 もはやそれがどんな形をしているのかすら判別しかねるほど徹底的に破壊され尽くし た真っ赤な鉄塊は、そこでようやく海面下へと姿を消して劫炎から解放された。だがそ のあとですら彼女は水中で数度の大爆発を起こし、誘爆に巻き込まれた僚艦から脱出し た数少ない生存者を衝撃波と破片で殺傷した。 「もっと突っ込んでください! せめて、あと五〇〇〇ヤード! でないと奴には効き ません!」 射撃指揮所で、砲術長が戦闘艦橋への伝声管に向かって怒鳴る。 第七七・二任務群の戦艦部隊の中で、もっとも巧みな戦術運動を見せていたのはミシ シッピーだった。 これには訳がある。大西洋艦隊から回航されて来た彼女は、戦艦部隊の中では唯一真 珠湾を経験していない。このため、損傷艦の修理に伴って他の艦に転属されていった開 戦前からのベテラン達が、彼女にだけは大勢残っていたのだ。 ミシシッピーの砲術長は、掌砲長の大尉時代から彼女の五〇口径十四インチ砲と付き 合ってきた超ベテランだった。 二二〇〇〇ヤードで十六インチを弾いたとすると、モンスターの装甲は四百ミリを超 える超重防御ということになる。ミシシッピーの十四インチ砲でこれを破るには、 一〇〇〇〇ヤード以下まで肉薄するしかない。 内心で、とんでもないことを言ったもんだと冷や汗をかく。戦艦主砲で一〇〇〇〇。 拳銃なら銃口を相手の身体に押し当てて撃つに等しい距離じゃないか。その距離に突っ 込むまでに、モンスターや後続のナガトから最低五回は斉射を浴びるんじゃないか?こ っちが浮いていられるかどうか。 彼の脳裏に、引火した軽質油タンクのような大爆発を起こして沈んでいったテネシー の姿が浮かぶ。 「縁起でもねぇや」 砲術長は、潮焼けのひどい髭面に憮然とした表情を浮かべて呟いた。せめて、モンス ターの砲塔の一個くらいとは刺し違えてやる。 「しかし、戦艦でこんな戦い方をする羽目になるとは……莫迦野郎揃いだな、俺達は」 突出を始めたミシシッピーを見て、ウェイラー少将もまた麾下のウェストバージニア とメリーランドに突撃を命じていた。 彼の脳裏には、数時間前に連絡を絶った第三四任務部隊のことがこびりついていた。 知将として知られるリー中将のことだから、サンベルナルジノ海峡から出てくる敵に対 して丁字を描くという、これ以上はないというほどの絶好の態勢を確保していたに違い ない。にも関わらず、リー艦隊はほとんど一方的に叩き潰されてしまったという。 (要は) ウェイラー少将は推論を立てていた。恐らくリー艦隊の敗因は、通常の砲戦距離で交 戦に及んでしまったことにあるのだろう。あのモンスターの装甲は、中距離で放たれた 十六インチ砲弾に対しては、ほとんど完璧といって差し支えないほどの強靭な防御力を 発揮しているはずだ。 「……ならば」 ウェイラー少将は思わず口に出していた。こっちは通常の砲戦距離から外れたレンジ で戦ってやる。遠距離側は命中を期待できないから、この場合は接近しての殴り合い だ。 「そっちが一撃の重さで来るなら、こっちは数で勝負だ」 「距離、一七〇〇〇ヤード!」 「よぉし、どんどん撃て! 一発でも多く当てろ!」 右舷やや前方に指向されたウェストバージニアとメリーランドの十六インチ砲十六門 が、一斉に火を噴く。そのまた右舷方向には、ミシシッピーとカリフォルニアが全力で 海上を疾駆する姿が見てとれた。 「うぉっ!」 だが、突進を続けるウェストバージニアの鼻先に四本の水柱が次々とそそり立った。 大和の後方に位置していた長門が、未だ健在な砲力を米戦艦部隊に対して振るい始め ていた。 「挟み撃ちとは味な真似を……」 左舷前方からニューメキシコ級戦艦。右舷からはコロラド級が二隻。それよりもかな り遅れて左舷からカリフォルニア級が一隻。 ──と、そこに後方から轟音が飛んでくる。ほぼ同時に右舷から向かってくるコロラ ド級の鼻先に、次々と水柱が上がった。大和は左舷のテネシーに向けて発砲していたか ら、この一撃は彼女の射撃によるものではない。 「長門より信号。『右翼は任されたし』」 「ほう。なんとも頼もしいことだ」 後檣からの報告に、栗田長官の口元がほころんだ。 「よし、本艦は左舷を相手にする。主砲撃ち方!」 森下艦長の号令。前甲板で二基の巨大な三連装砲塔が動作を始めた。島風級駆逐艦に 匹敵する重量を持つそれらが、ゆっくりと旋回して狙いを定める。一八〇〇〇メートル ほどの距離でメリーランドから十六インチ砲弾が飛んでくるが、彼女が使っているのは 新型戦艦で採用されているようなSHSではなく重量一トンそこそこの通常弾だ。この 距離では大和の主要部装甲を貫通できない。 「一番、二番、射撃準備よし!」 「目標、左舷ニューメキシコ級戦艦!」 「よし! 撃ぇ──っ!」 短二回、長一回のブザーとともに、猛烈な発砲音と衝撃波を残して一トン半の巨弾が 飛んでいく。距離が詰まっているだけあって弾着までの時間は早かった。 「だんちゃーく! 遠、遠、遠……」 「下げ一、苗頭そのまま、第二射用意!」 「射撃準備よし!」 「テッ!!」 再び轟音。その直後にミシシッピーからの砲撃が着弾。一発が司令塔上部を襲った が、こんなところを十四インチ砲弾に抜かれる大和ではない。 「だんちゃーく! 近、近……目標に命中!」 ミシシッピーに命中したのは、艦砲としては地上最強を誇る重量一.五トンの超大口 径砲弾だった。この直径四六サンチの凶器は、この世に存在する殆ど全ての戦艦に容易 く致命傷を与えるだけの威力を持つ。これは、先程テネシーの艦中央部甲板を貫通して 一撃で彼女を葬った実績によって裏付けられている。 命中個所は、艦中央部舷側。誰もが致命傷を覚悟するような一撃だった。 だが、ミシシッピーはこの打撃に辛くも耐えた。入射角の妙と言うべきだった。三四 三ミリの舷側装甲に対して、砲弾の入射角は前方四五度。さらに、この弾道には十度以 上の落角もついている。垂直に立った舷側装甲は、通常の一.七倍──約六〇〇ミリ相 当の耐弾性能を発揮した。 「何ッ」 森下艦長が、あんぐりと口を開けた。 「弾いたぞ!」 艦橋が騒然となる。 「うろたえるな、勝負はこれからだ! 次弾装填まだか!」 宇垣中将の叱咤が飛ぶ。 「あり得ない話ではないが……この距離で弾くか。旧式艦とはいえ侮れんな」 既に彼我の距離は一五〇〇〇メートル近くにまで縮まっている。口径の劣る砲での射 撃効果を得るために、米戦艦部隊は全速で大和との距離を詰めていた。 「射撃準備よし!」 「撃ぇ──っ!」 再び大和の砲撃。ミシシッピーの周囲に五本の水柱が立つ。つまり、一発の直撃弾が 生じていた。煙突直後の舷側装甲をぶち抜いた四六サンチ砲弾は、船体内部で炸裂。直 下から突き上げられた両用砲塔が台座ごとすっぽ抜けて、独楽のように回転しながら嵐 の中に消えていった。 「よし、有効弾は出ているぞ!」 戸惑いに近い空気が漂いかけた昼戦艦橋に、活気が戻ってくる。 だが、その直後に大和は激しい水柱と不気味な振動に襲われた。 メリーランドが距離一六〇〇〇で放った十六インチ砲弾が、艦首喫水線付近を貫通。 やや鋭敏気味にセットされていた短遅動信管が船体内部で作動し、魚雷艇が通り抜けら れそうな大穴を開口させていた。 「艦首部被弾! 浸水発生!」 「くそっ、応急急げ!」 メリーランドから食らった一発は、隔壁閉鎖が行われるまでの数分間で大和の船体内 に五〇〇トン以上の海水を流入させていた。 「内務班、被害知らせ!」 「浸水は食い止めましたが、十八ノット以上は危険です!」 森下艦長と栗田長官が、むぅ、と同時に唸った。 さらに、左舷艦橋脇にミシシッピーの放った砲弾が直撃。貫通には至らなかったもの の、これで先程のリー艦隊との撃ち合いで大被害を受けていた左舷側の補助火器群は、 機銃座数基を残して完全に壊滅した。 「だんちゃーく……近、遠、近、近、遠、近!」 「当たらんなぁ」 栗田長官がぼやく。急速に双方の距離が詰まっているうえに、この荒れ模様の天候 だ。射撃諸元はお互いに乱れがちだった。射撃距離と使用砲門数の割には、米艦隊の射 撃もじれったいほどに当たっていない。 「敵がどんどん突っ込んで来てますね。あまりくっつかれるとまずいですが……」 森下艦長がそう言ったとき、距離一二〇〇〇メートル弱で放たれた斉射のうちの一発 が、ミシシッピーの左舷後部舷側を貫通。上甲板が後部主砲塔の姿を覆い隠すほどに激 しく広範囲にわたって捲くれ上がり、艦内から火の粉の混じった黒煙が湧き出した。 このとき、縦隔壁数枚を突破した砲弾はX砲塔とY砲塔のバーベットの中間で炸裂。 ミシシッピーは、せっかく大和を射界に収めたばかりの後部主砲塔を、初弾発射前に旋 回不能にされてしまった。 三万トンを超える戦艦クラスならともかく、たかだか一万数千トンの巡洋艦以下はこ の悪天候の中では相当にがぶられる。 「畜生、射撃の間合いが取りにくいこと甚だしい」 利根艦長の黛大佐が悪態をついた。艦の動揺のために、主砲の散布界はえらく悪化し ていた。おまけに全体的な弾着位置も、狙った通りの位置に集まらない。 せっかく敵艦隊列の真ん中に切り込んだのに、これでは接近戦の優位が思うように活 かせていない。 (だが) 黛大佐は思った。もう一つの利点のほうは十分に活かせているようだ。 弾着がばらついているのは、相手も同じだった。おかげで、護衛空母を楯代わりに走 り回っている利根と熊野に対して、敵からは有効な砲撃が飛んでこない。同士討ちを恐 れているのだ。 「前方、敵空母! 距離一〇〇〇〇!」 「砲術、行けるか!?」 「射撃準備よし!」 「よし、撃ぇ──っ!!」 利根と熊野を合わせて十門の二十サンチ砲が一斉射を放つ。目標とされたホワイトプ レーンズこそいい迷惑だ。この二隻は、栗田艦隊の重巡群のなかでもとりわけ砲戦技量 が高かったのだ。特に、練度の高さで知られる日本海軍にあって砲術の大家と目される 黛大佐が艦長を務める利根の射撃は、凄まじい命中率を示した。日本製としてはさして 射撃精度の優秀な部類ではない二十サンチ砲による射撃で、三斉射十二発のうち四発を 命中させたのだ。 「第三射、弾着、今──っ! 命中! 敵空母、爆発っ!」 見張りが興奮した声で報告してくる。航空燃料タンクに引火したホワイトプレーンズ は、艦中央部から後部にかけての上構を爆炎に包まれて、木造船かと思うほどの勢いで 炎上を始めた。 快調に戦果を挙げていく巡洋艦部隊と裏腹に、駆逐艦部隊は苦戦を強いられていた。 サンベルナルジノ突破の際に、多くの艦が最大の武器である魚雷を殆ど射耗してしまっ ていたためだ。 本隊に随伴してきた六隻のうち、魚雷を残しているのは浦風と磯風の二隻に過ぎず、 しかも次発魚雷は残っていなかった。最大の牙を失った駆逐艦部隊は、圧倒的な数的優 勢を誇る米駆逐艦隊の前に押されていた。ドサクサまぎれとはいえスプレイグ隊の合流 によって、米軍側の駆逐艦の駒はDEまで含めて十六隻に増加している。いくら水雷戦 隊旗艦の矢矧が援護についているとはいえ、その程度でどうにかできる数量差ではなか った。 「左舷十五度、敵駆逐艦二隻!」 「左舷一三〇度、同じく二隻!」 「くそっ、次から次へとキリがない」 さすがに砲戦能力でも世界最高峰の甲型駆逐艦だけあって、米駆逐艦との撃ち合いで 負けてしまうようなことはなかった。五十口径一二.七サンチ砲は、元来が平射砲だけ あって対水上目標での効果はたいしたものだ。門数だけで見れば米駆逐艦も同数を装備 してはいるが、向こうは三八口径の両用砲。砲威力の点で大きな差があった。 「だんちゃーくっ!」 「やったか?」 駆逐艦列の先頭を進む藤波の艦橋で、全員が左舷の海上に目を凝らす。 「──いや、まだだ!」 「敵艦、発砲!」 駆逐艦六隻の集中射撃の中から、敵艦──スプレイグ隊所属のフレッチャー級駆逐艦 ジョンストンだった──は果敢に撃ち返してきた。藤波の周囲に水柱が五本立つ。続い て、他の敵艦からも射弾が飛んでくる。 「撃ち負けるな!」 藤波に座乗する大島駆逐隊司令が叫ぶ。 だが、その声を掻き消して轟音が響き渡り、新たな水柱が立った。藤波ではなく、矢 矧の周囲に。 崩れ落ちた水柱の中から現れた矢矧は、残骸と化した中央部から激しく黒煙を吹いて 海上に停止していた。その惨状に絶句する駆逐艦隊の将兵の眼前に、巨大な影が悠然と 姿を見せる。 「なんてこった……戦艦が残ってやがった」 誰かがうめいた。 彼らの前に現れたのは、戦艦部隊の僚艦からはぐれて行動していたペンシルバニアだ った。前甲板のA、B砲塔からうっすらと発砲煙を靡かせている。 さらに、ペンシルバニアにはデンバーとコロンビアが続航していた。二四門もの六イ ンチ砲が一斉に旋回して、六隻の駆逐艦を睨みつける。さしもの猛者たちも、このとき ばかりは震え上がった。駆逐艦にとって最大の武器である魚雷を失った状態では、あま りに強大な相手だ。 たちまち、最後尾の清霜が着弾の水柱に包まれる。艦橋を叩き潰された彼女は、急激 に取舵を切って隊列から外れ、迷走を始めた。 「畜生。面舵! 一旦離脱だ」 大島大佐が指示を下し、藤波以下の四隻が回頭を始める。だが、それを追いかけるよ うに野分に射撃が集中された。巡洋艦の六インチ砲のみならず、両用砲の五インチ弾ま でが嵐のように飛んでくる。艦上各所に数発ずつがまとめて着弾し、瞬く間に野分は大 火災に見舞われた。 さらに、逃がさんとでも言うかのように藤波の行く手に特大の水柱が奔騰。ペンシル バニアが目標を変更して、駆逐艦を狙い始めていた。 大島大佐のこめかみを冷汗が伝う。水雷戦隊の壊滅は、時間の問題であるように思わ れた。
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