●長編 #0131の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
私は父を知らない。人はひとり母のみから生まれてくるものではない以上、私に父が あったのは確かだった。その人は帝であったと言う。 中宮であった私の母は繰り返し在りし日の華やかな有り様を語った。父が帝となって 間もなく、宮家より入内した母が中宮に上げられたこと、目くるめく宮中行事の様子、 そして即位して幾ばくも経たないうちに病を得た父が帝位を去らなければならなかった 無念。 陽成院と称された父は、療養の日々の中で中宮である私の母との間に兄宮と私をもう け、他の妃方との幾人かの女宮をもうけられた後、崩御なされた。 帝位は既に父にとっては弟宮にあたられる先帝を経て、その長男の今上の帝へと移っ ていた。 「御位を下りられた後になって、用なき宮を次々とお作りになられて、陽成院もいたず らなことをなされるものよ」 心無い世人はそう言ったという。用なき宮、そう私たちは確かに用なき存在だった。 既に帝位は私たちの家系を離れ、今更戻ってくる見込みもない。私たちは皆、世間に忘 れられた存在で、しかしそれでいながら、父がかつて帝位にあったというだけのこと で、宮と呼ばれる身分だけは高貴な存在だった。 一条の院で、私はつらつらと物語などを聞きながら大きくなっていった。内親王(ひめ みこ)たる身なれば生涯に渡り独身を守るのが当たり前で、かえって物事はすっきりとし ていて、用なき宮として生まれた者は用もなく消え入るのが当然と思っていた。 ところが十二、三歳になった頃であろうか、宮中より私を是非妃にという声が届い た。会ったこともない年端も行かぬ従姉妹に帝が何ゆえにそこまで執着するのか、その 時は分からなかったが、後で聞いたところによれば、帝の亡き想い人だった桐壺の更衣 と呼ばれる人と私が似ているといずれの女房辺りから聞きつけたようだった。 内親王が嫁ぐのはただでさえ外聞が悪いものだし、今上帝と言えば私たちから帝位を 奪ったあちらの一族の方だったのでそのあたりのわだかまりもあって、私は気が進まな かった。 母も、 「後宮で大層はぶりをきかせている弘徽殿の女御はきついご性格ということ、亡き御息 所(桐壺の更衣)がああもあからさまにいびり殺されたところへあなたを送り出す気に は到底なれませんね」 と言う。それで話はそのままになっていた。 けれども私が十五の春、母が死んだ。保護者を失った私は心細いばかりで、これから の身の振り方などをつらつらと考えても、何やらよろしい考えが浮かぶ筈もなく、ただ 涙が溢れるばかりだった。 「どうです、四の宮、例のあのお話をもう一度考えられては」 そう説得したのは私の兄である。兄は本来ならば帝位にあってもおかしくはない生ま れであるのだが、勢力もなく、ただ朝廷より兵部卿の官位をあてがわれ飼い殺し同然に なっている。妹の私でさえ、当家が皇統を外れたことに少なからず悔しい思いがあるの に当事者である兄が何のこだわりもない様を見るのは情けない思いがあった。 「今上の帝の後宮に入るという、あの話ですか」 頷く兄が言うには、大して勢威もなければ財産もない自分が今後、私の後見をしてい くのはいたらぬことも多く出てくるだろうことを上げ、ならば後宮で華やぎを求められ るのもよろしいのではないかということだった。つまりは食い扶持を減らせということ である。 零落した宮家というのはここまで余裕がないものかと悔しく泣きながらも、結局は同意 するより仕方がなかった。 後宮に入った私は飛香舎(藤壺)に局を与えられたことから藤壺の女御と呼ばれるよ うになった。帝は優しく、凛々しい方だった。けれども、それだけと言えばそれだけの ことだった。既に自分の人生を持っていた帝は私を通して桐壺の更衣を見ていたのだか ら、私にそれに応えるだけの感動が沸かなかったのも無理はない。 優しく、慈しむように私を抱きはするけれども、何もかもが余りにも穏やかで暖かな ものではあった。 皇統に連なる身分高い私をどうこう出来る妃はいない。亡き桐壺の更衣は、「身分低 い卑しい女」と苛められたそうだが、そう苛めた者どもも所詮は只人の娘に過ぎず、内 親王たる私から言えば臣下に過ぎなかった。弘徽殿の女御なども、女房などに言わせる といかにも横柄で権高な女ということだが、いかに右大臣家の娘で一の宮の母と言えど も、私に対しては遜らなければならなかった。 新しい妃の入内は桐壺の更衣以来、絶えてなかったと言うことで、いずれの妃も美し く優れた方々ではあったが、私ほど年若い者はいなかった。私は最も新参で、最も年下 でありながら、最も身分高い妃だった。 帝の私への寵愛振りは人の噂に上るほどだった。さすがに毎日毎晩召し出すというこ ともなかったけれども、私自身思うに、他の妃と比べれば明らかに優遇されていたよう に思われる。ただ、それは私自身への固執というよりは、私の身分への尊敬があればこ そのようにも思われたが。 もちろん、他の妃からの嫉妬はあった。しかしそれが分限のうちにとどまっていたの は、いかに寵愛されようと、所詮は私自身は亡き人の人形に過ぎないと思い定めていた からだろう。そしてそれは事実だった。一度ならず数度まで、帝の口より寝言で桐壺の 更衣の名がある時はこのうえなく楽しげに、ある時は痛切の極みの音色でもって紡ぎだ された時には、私もさすがにいい気はしなかった。 妃たちの怒りは、故人を貶めてはならないという最低限度の道徳を打ち破ってさえも 亡き桐壺の更衣へと向かったのだ。死んでまでもなお、帝の心を惑わすかと。 亡き人の忘れ形見である源氏の君は、その愛らしさからなおも憎まれないではいた。 ただ、弘徽殿の女御だけは別だった。どうもよそよそしい態度をこの妃は源氏の君に対 しても取るようで、自然、源氏の君の足は弘徽殿からは遠のくことになった。 源氏の君はよく父帝に連れられて、藤壺にも来た。まだ子供のこととは言え、このよ うに後宮のあちらこちらを自由に出入りできる男宮など、聞いたこともない。同じこと を例えば一の宮がしようとすれば帝はそれを許さなかっただろうし、妃たちも嫌な思い がしただろう。ただ、源氏の君はその余りの愛らしさ、美しさから、諸々の理屈を飛び 越えて、私は帝その人よりも源氏の君の訪問を喜ぶところがあった。 「どうか、本当の母同然に接してやって欲しい」 という帝の言葉のままに、御簾なども打ち払い、双六などを相手して興じていると、 そんな私と源氏の君を見る帝は本当に嬉しそうに、良い笑顔を浮かべていた。私は源氏 の君の亡き母と瓜二つと言うことだが、なるほど、源氏の君と並んで坐れば、人は合わ せ鏡のように似ていると言う。 源氏の君もいずれの妃よりも私を気に入ってくれて、帝の来訪がない時も、ご自身は 遊びに寄られることも多かった。帝に寵愛されることそのものは他の妃たちの嫉妬はさ ほど招かなかったのだけれど、源氏の君を独り占めすることについては方々から苦情が 寄せられた。 源氏の君もその辺りは幼いなりに承知しているようで、日に一回はあちらこちらの殿 舎にあいさつ回りをするのだった。そうした時も弘徽殿に対してはそっけない物腰で、 それがまた弘徽殿の女御の怒りを買った。 あいさつを終えれば、後涼殿に戻るのでなければ藤壺に来て、私を相手にいろいろと あどけない話を尽くすのだった。 私と源氏の君はそれぞれに美貌を誉められる存在だったが、二人揃えばまた世人の興 をそそるものらしい。源氏の君は光君と呼ばれ、私は「輝く日の宮」と呼ばれた。 「ご存知ですか、女御の宮さま、宮さまは私の母にそっくりだと皆が言うのですよ」 ある時、恥ずかしそうに源氏の君は言った。私は微笑んで、 「源氏の君もそうお思いになる?」 と尋ねた。すると、艶やかな頬を悲しげに歪ませて、 「分かりません、私は母の顔を知らないのです」 と呟いた。私はいたらぬことを言った、と後悔した。慰めようと思ったが言うべき言 葉が見つからなかった。 「私も父の顔を知らないのですよ」 それが慰めになるかどうかと思いながらも、源氏の君の小さな肩をそっと抱いて、そ う言わずにはいられなかった。 「本当?」 ええ、と私は頷いた。 「私の父、陽成の帝は母が私を生んでまもなく崩御したのですよ。だから私は父を人の 話でしか知りません」 「お父上のことをお考えになられますか?」 「時々は」 私がそう言うと、源氏の君は安心したように、ぱっと明るい顔になり、朗らかに笑っ た。 「中将の命婦が亡き人を余り思い出してはいけないと言うんです。母が迷うと言って」 中将の命婦は桐壺の更衣の乳姉妹だった人で、かの人に源氏の君の後見を託されたと いう。それだけに、思いが深すぎて、軽々しく亡き人を思い出すのが苦しいのだろう。 「そうなの、そうかも知れないけれど、やっぱり時々は思い出して欲しいんじゃないか しら」 「私もそう思うんです」 中将の命婦の顔を思い浮かべる。源氏の君の家宰とも言うべき彼女は、彼女が仕える 幼い主人ほどにはそうそう腰が軽い人ではなかったけれど、もちろん面識はあった。内 親王で女御である私に対してはもちろん恭しい態度を崩さなかったけれども、逆に言え ばそれだけだった。亡き桐壺の更衣に瓜二つと評判の私であったが、中将の命婦は私に 対してはむしろ親しみよりは隔意があるように思われた。彼女の唯一の女主人を騙られ たような気がしているのかも知れない。 おかしなこと、とふいに私は苦笑した。私が望んで故人に似た訳でも、まして好きで 後宮に入った訳でもないのに、世人はそう見るのだろうか。 私は殊更、内親王である身を誇りには思わなかったが、それでも帝の娘に生まれた私 が只人の娘に似ているのをよすがとして栄達を目論んでいるなどと思われるのはやはり 心外と言わなければならなかった。 「でも、私は宮さまが母さまのようには思えません」 「まあ、どうして?」 「兄上のお母上は弘徽殿の女御さまでしょう? 弘徽殿の女御さまはお年をめしていら っしゃるもの、宮さまはもっとお若いから」 この言葉が弘徽殿の耳に入ればいかなることになるかとはらはらとしながらも、私は 笑いを堪えることが出来なかった。老女よばわりされては余りにも気の毒な弘徽殿の女 御の年齢だけれど、お年の割には老けて見えるのは公然の秘密だった。 「宮さまにはお姉さまになって貰いたいな」 と源氏の君は体全身で愛らしさを示しながら、ころころと弾むように言った。 「ええ、よろしゅうございますとも。至らぬ姉ですが、今後ともよろしゅうございま す、源氏の君」 と私も笑うように答えた。 思えば気詰まりすることの多い後宮で、源氏の君こそが唯一の慰めだった。望んで来 た場所ではないのに、過分なほどに帝は寵愛して下さる。しかしそうであればあった で、妃たちの嫉妬に身をからめとられてゆくような心持になる。内親王である私をあか らさまに悪し様に言う者はいない。弘徽殿の女御でさえも。けれどもそれだけに尚更、 その隠された悪意はよこしまな視線となって私に降りかかる。 内親王の身分も確たる後見もなかった桐壺の更衣が、病を得て命を縮めたのも成る程 と思われるような、華やかであり、殺伐とした世界だった。 どす黒い感情に身を埋めることしか出来ぬ後宮の女たちは、自分が「悪役」であるこ とを自分自身の人生の中でどのように折り合いをつけているのだろうか。彼女たちもそ れを決して望んではいないだろう。当たり前だ、誰しも初夏の風の如く涼やかにありた いと思うものなのだ。けれども彼女たちには決してそれは許されない。一族の権勢を担 うべき彼女たちは是が非でも帝に寵愛され、寝物語にでも父や兄弟たちの出世を何度も 帝に吹き込まなければならない。そして出来うれば皇子を産んで家の将来を確かなもの にしなければならないのだ。そこから逃げることは決して許されないのだ。 それはあの弘徽殿の女御とても同じこと、そしてこの私も。 父のいない私にとって唯一の後見とも言うべき兄の兵部卿の宮は私への帝の寵愛を後 ろ盾として、この頃は大層はぶりもよく官位も正四位上に進められたという。これまで とりたてて父母を同じくする妹宮の私をさえ顧みなかった人が、手のひらを返したよう に親しげにしてくるのも煩わしい。兄がそのような人だとは分かっていたつもりでも、 あからさまにそう見せられるのは気分がいいものではない。 私は私、それ以外のものでありたくはないのに、妃という肩書きをつけられて、他の 女たちと無理やりにでも競わされる。一からげに並ばせられて、品定めをされて値打ち を決められていく。おまえは物の数ではない女だ、衆人監視の後宮で、そう指差される のはいかばかりであろう。逆に、おまえは素晴らしい女だと賞されても、所詮は値ぶま れたという事実にかわりはない。 僅かな金で買い叩かれた遊び女とどれほどの境遇の違いがあろうか。帝の妃が集う、 輝かしき世界と言えども、その実、苦界に過ぎないのではないか。 帝がどれほど私を誉めようと、心尽くしの言葉をつらつらと重ねようと、私の心は遠 く離れていた。帝が男であること、そして帝そのものであることが、たまらなく嫌だっ た。この世界を主宰する、座の中央に君臨する方なればむしろ憎いとさえ思っていた。 ただ美しくありさえすればそれでいい人形。そのようなものとして私を扱い、そのよ うな世界へ私を追い込んだ人にどうして心許すことが出来ようか。 確かに帝の厚遇を私はかたじけないと思うべきなのだろう。実際、そう思いはした。 しかしその破格の厚遇ぶりがなおさら私を追い詰める。人にそのように、気に入りの玩 具のように扱われる私とは一体何なのだろうか。 帝のものの役に立つために人は存在しているのだとしたら、この私は何のために生ま れてきたのか。世界には帝さえいればそれでよく、私はいてもいなくてもいいけれど、 いれば多少は周りが華やぐ存在、そのようなものでしかないのか。 帝に望まれて後宮に入る以前はこのようではなかった。私は私であり、それ以外のも のではなかった。しかし今は、私である以前に帝の妃。 その世界の中で、ただ源氏の君のみが自由だった。男でもなければ女でもなく、いず れかの一族につながれた子という形を借りた権勢の約束でもない。源氏の君はただ、か の人そのものであり、誰かの思惑に生きることを幼いながらも自然な強さできっぱりと 拒否していた。それはありし日の私だった。 あなたには事の外なついて、と帝は目を細めて言う。しかし助けているのは私ではな く源氏の君だった。他ならぬ帝ご自身が私を囚われの身として当たり前のように扱い、 私の心を日々の空ろの中で朽ちさせてゆく。それを掘り起こしてはせっせと水を与えて くれているのが源氏の君だった。 弘徽殿の女御は気の強い人でね、と帝は閉口したように苦笑する。帝はあの人が、本 当の所は嫌いなのだ。私も嫌いだった。あの人は余りにも、帝の妃であり過ぎたから。 けれども、と帝ならぬ身の私は慄然として思わずにはいられない。けれども人であるこ とを止めた女は、そうやって生きて行くより他にどのようなやり過ごしようがあるとい うのか。 心の奥底では、帝は桐壺の更衣をいびり殺した女御がたを許してはいないのに私は気 づいていた。しかし女たちをそのようにしたのは帝。ならば、桐壺の更衣を殺したのも 帝ではないか。 もし源氏の君がいなければ、私は私であることをとうのむかしに止めていたであろ う。蜃気楼のような寵愛に勝ち誇り、帝が辟易とするような帝の妃となっていたであろ う。 帝の寝顔を見ながら、思ったことがある。あなたは私を救ったと思っていらっしゃる のかも知れませんけれども、あなたは私を救ってはくれませんでした。それをしてくれ たのは、まだあどけないあなたの息子、源氏の君のみです。 私は源氏の君を愛した。源氏の君のみを愛した。私を一人残して逝ってしまった両親 を恨み、余りにも利己的な兄宮を恨み、私を救ったと一人満悦している帝を恨んでもな お、私の心のうちには源氏の君への愛だけは残った。 愛することが人の証というのならば、私はただ源氏の君のためだけに人だった。ただ この人だけが、幼い源氏の君のみが、私を美しい人形や権力への手形としてではなく、 人として見てくれたから。人である私の心を、痛切に欲してくれたから。 どれほどの鮮やかな一日を送っても、夕べには私の心は沈んだ。ひとつの日没はそれ だけ源氏の君との別れが近づくのを意味したから。時よ止れと念じてもそうなる筈もな く、春は過ぎ、夏も過ぎ、秋は来て、冬も行った。そうして二年の月日がゆるゆると、 しかし確実に過ぎていった。 二年の間に先の帝の末の宮だった春宮が薨去した。ただひとり、春宮妃に立っていた 内府の姫は、春宮との間に女王をもうけていたが、子が生まれると同時に若い父が世を 離れると言う悲しい事態になった。 帝は春宮妃を、弟に代わってお世話したい、つまり自分の後宮に引き取りたいと言っ たそうだが、海よりも深く空よりも高し大御心と人から称えられる帝にしては余りにも 無神経な物言いと評すべきだろう。故人の名誉のためにも春宮妃は断固としてそれを撥 ね付け、私は内心、喝采を送った。春宮妃は六条に新たに邸宅を造営し、女王を養育す ることに専念するそうである。以後、世人はかの人を六条の御息所とお呼びするように なった。 代わって春宮にお立ちになったのは弘徽殿の女御腹の一の宮だった。春宮宣下と同時 に一の宮は元服し、その儀は外戚たる右大臣家が全力を尽くした贅を凝らしたものだっ たという。一の宮の春宮宣下はあらかじめ定められていたとは言え、こうしていざ実現 すれば右大臣家の権勢はいよいよ盛んなものとなり、弘徽殿の女御もそれを嵩に来て鼻 高々だった。次代の権力の中心と誼を結ぶためにあまたの貴族たちが右大臣家に何やか やと理屈をつけて靡くようになったが、それをしらけた思いで見る者ももちろんいた。 子もなければしかるべき親族もいない私もその一人だったが、朝廷の構造から言っても 人格的にも右大臣とは相容れない存在だった左大臣もそのおひとりだった。 そうは言っても、右大臣が時代の権力の中枢に居座るのがもはや確実ならばこれと反 目ばかりしてても立ち行かなくなるのは明らかだったので、左大臣もやや膝を屈して、 ご自身の嫡男たる頭の中将を右大臣家の四の姫君にめとわされた。右大臣家の四の姫君 は、言わずと知れた弘徽殿の女御の妹君だった。 権力に対しては微風にすら靡く葦の如くである私の兄の兵部卿の宮は、 「何卒、弘徽殿あたりの御方とは仲睦まじくなされるように」 とあらぬことを言上したが、私を毛嫌いされているのはあちらの方だもの、私にはど うすることも出来ないし、どうするつもりもなかった。 春宮の元服から一年ほど過ぎて、源氏の君も元服することとなった。源氏の君は十二 になっていたが、まだまだ幼い、早過ぎるのではないか、と私は思っていた。しかしそ れは私の思い違いだった。昨日と今日は同じような一日であっても、春は夏へと変わろ うとしていたのである。 源氏の君がいよいよ翌日には元服を控えたその夜、私は寝床に伏しながらも、眠れな いまどろみを漂っていた。いずれの日も今日とは違う明日ではあるけれども、明日は今 日とははっきりと違う日となるだろう。元服を終えれば源氏の君はもう子供ではない。 今までのようにたやすく顔を付き合わせることはありえないし、声をかけあうことさえ あり得ない。明日になれば源氏の君は正五位上か、あるいは従四位下を授けられ、殿上 人となる。そうなれば私と源氏の君の関係は、帝の妃と臣下になる。今までも厳密に言 えばそうだったのだけれど、今後はそれ以外の関係は許されなくなる。 宮中に参内しても源氏の君が内裏にまで足を踏み込むことはもはや許されない。垣間 見ることさえあるかどうか。 源氏の君にとって元服の儀は幼年時代の終わりを意味するが、それは私にとってもひ とつの時代の終わりを告げていた。若い人には、巣立ちであり、私にとっては老いてゆ くことを自覚させられるだけだったけれど、私たちは確かにひとつの時代を共有してい た。 それが終わる。一刻一刻を数えることさえ出来る短い時間の後に。 その時、私はまだ人でいられるのだろうか。 そのような物思いに耽っている夜中だった。何やら、物音がする。宿直の者もいる筈 だったが、誰が警備の厳しいと分かっている内裏に忍び込むだろう、その安心が時に怠 慢となって現れるようで、今宵もそのようだった。 端近の女房あたりに探らせようかとも思ったが、もしや、との思いもあった。 「宮さま」 張られた蚊帳の端から静かに押し殺した声がした。院に住まう頃から付き従う王命婦 だった。 「起きていらっしゃいますか」 その問いかけに、短く、ええ、といらえた。 「何やら物音がします。蔵人などを遣わしますか?」 「いいえ、そう騒ぎ立てたくはないわ」 「ならば、私が見てまいりましょうか」 その申し出に私は頷いた。ただし、あくまで隠密に、と念を押すことは忘れずに。そ れを不可解には思わなかった王命婦にも、侵入者がだれであるのか、ある程度予測がつ いていたのであろう。その可愛い侵入者は見知った命婦に発見されると、あどけなく微 笑んだと言う。 数分が過ぎたであろうか、王命婦が殊更忍び足で、戻ってきた。 「源氏の君でした」 やはりという思いを漂わせながら王命婦はそう告げた。 「いかがなさいますか、母上にお会いしたいとおっしゃっていますが、このような時間 にお訪ねになるとはいかに帝の御子とは言え、不躾なこと、お断り申し上げますか」 言葉使いは厳しい王命婦だったが、彼女の心がそれとは裏腹なものであることは口調 からにじみ出ていた。明日になればこのようなことも、決して許されなくなるのだ。今 宵を限りとして、忍んでも私に会いにきてくれた。その志をあわれと言うべきだろう。 けれども、けれども。 会うべきでない、と私の理性が告げていた。あどけない幼童とは言えども帝の妃に夜 半に会いに来ると言うのは徒事ではない。ことが公になれば愛らしいだけでは済まされ なくなる。万が一、弘徽殿の女御あたりが知ったならば、不敬なりということで源氏の 君を葬り去るであろう。帝が庇おうとしても庇いきれるものではない。この行為は確か に不敬だったのだから。 もうひとつ。会ってしまえば私は理性を保っていられるのだろうか。はしたない遊び 女のように、行かないで、と泣き崩れてしまうのではないか。おかしなこと、相手は子 供で、しかも義理の息子だというのに。けれどもその思いが決して杞憂でないことを私 は知っていた。帝妃であることも人であることもやめて、ただの女に、ふしだらで見境 もない女になってしまいかねない私がそこにいた。 人が人を愛するなどと言う奇麗事をいうことはもはや私には出来なかった。私ははっ きりとこの時知った。私は源氏の君を女として愛している。かの人を男として愛してい る。 ならば会えまい、と私は思った。私は源氏の君の義母。かの人もそのようなものとし て御覧になっている。 「いかがなさいますか」 しかし、重ねて問い掛ける王命婦のその言葉に、私は、 「会いましょう」 と答えてしまっていた。何故だかは分からない、としらを切るつもりはない。私には 分かっていた。例えこの身がいかなることに相成ろうと、源氏の君がいかなることにな ろうと、ただひたすら会いたい、その浅ましい思いに私は支配されていた。 義母を慕って訪れたそのあわれなる心根に免じて、とかろうじて誰にともなく言い訳 をすることで、私は私の理性をたぶらかそうとしていた。 「では軒端へ。源氏の君をこちらへお通しする訳には参りませんから」 王命婦は私を立ち上がらせ、暗闇の中を僅かな月明かりのみを頼りに導いた。十三夜 だった。ほどよい月明かりが庭の草木を照らし出していた。 私が姿を見せると、香炉峰に見立てられた庭石の陰から源氏の君が姿を現した。叱ら れた子供のようにしょげているようにも、また、怒っているようにも見えた。 「夜更かしが過ぎるようですね、源氏の君」 「あなたは平気なのですか」 私の微笑めかした言葉を抹殺するかのように、そのような遊びに費やす暇はないとい う思いつめた表情で、源氏の君は単刀直入に切り出してきた。 「明日になれば私たちはもうこうして言葉を交わすことも出来なくなる。あなたはそれ でも平気なのですか」 私はなんと言えばいいのだろう。平気な訳はない。しかしそれを言ってはならなかっ た。それを言えばすべてが崩れてゆくことを私は知っていた。私の名誉も源氏の君の未 来も。そんなものは崩してしまえ、そう叫ぶ一方の私の心を宥めすかしながら、私は猛 り行く思いを押さえ込もうとした。 「大袈裟にお考えなのですね。何も遠く異朝に行かれるわけではないのですもの、いざ となればお会いすることも出来ましょう。それに文のやりとりくらいは帝も大目に見て 下さいましょうに」 「文ばかりか!」 その激しさは今までに一度も見たことのない源氏の君だった。ああ、と私はつくづく と源氏の君を見やった。この人をどうして私は子供などと思っていたのだろう。背丈は 既に私と並び、伸び行く力に漲っている。見れば喉元あたりにも張り出すものがあり、 その声はもはや子供のものではなく、少年、少年であっても男のものだった。 「文ばかりであなたは満足となされるのか!」 源氏の君は私を見据えた。その澄みきった墨色の両眼は、この大きな理不尽に対する 怒りと、戦い抜く勇気に溢れていた。 獅子の子はやはり獅子だった。 「あなたを愛しています」 堪えきれずに、源氏の君はついにその一言を漏らした。 「お慕いしているなどと言う世間並みの思いではありません。ただ、あなたのみを愛し ています。あなたの愛が得られるならば、誰を傷つけても裏切っても構わない。例え父 上であっても、あなたを奪い去るならば容赦はしない」 「おっしゃらないで」 私はかろうじてそれのみを言った。しかし心のうちの動揺は震える声に如実に表れて いた。 「あなたも知っている筈だ。父上はあなたを愛してなぞいない。あなたのお姿を通し て、亡き私の母を追っているだけだ。あなたを愛しているのは誰か。この私だ。私以上 にあなたを愛している者はいない。あなたは私の母などではない。断じてない!」 私の動揺はもう隠しようもなかった。ただ、涙が溢れるばかり。 「私にどうせよとおっしゃるのですか」 私のその問いかけを、脈があると見たのだろうか、源氏の君は爽やかに微笑まれた。 「今宵のうちに二人で内裏を抜けましょう。何もここばかりが世界と言うわけではな い。漁夫となっても、二人で生きていける。父帝の威光が恐ろしければ何も日の本に留 まることもない。海を渡れば高麗(こま)もある。漢(から)もある。道を厭いさえしなけ れば天竺さえあるではありませんか」 源氏の君は狂っている。恋というあやしの術に。それはいかにも途方もない話だが、 それだけにこの少年の真実の心が照らし出されていた。 瞬間、私は夢想に酔った。遠い異国で、お互いのみを頼みとして睦みあう二人を。何 もかもを捨て、愛のみを糧として日々を生きる名もなき庶民になった私と源氏の君を。 けれども結局、私には狂うことは許されなかった。源氏の君を愛していたから。刹那 の感情に任せて、源氏の君を罪人としてはならなかった。 後宮から帝の寵妃と帝の御子がいなくなってどうしてそのままで済まされるだろう か。帝は八方を尽くして私たちを捕らえだすに違いない。たとえそうなってもあの方個 人は私たちを許すだろう。しかし朝廷に君臨する天皇はそれを許せる筈もない。たとえ 帝がそれを許しても世人が許さない。その結果は余りにも明白だった。只人に下った源 氏の君には死罪あるのみ。 「何かお考え違いをなされているのではありませんか」 心を強くして、私は言い放った。 「随分とたわけたことを仰せになる。内親王の身に生まれ、果ては中宮にも上らんと思 うこの身が、まあかくも安く見られたこと。母のないいとけない子と思えばこそ心にか けたるものを、却ってかような情けない仕打ちをなさるとは、余りにも道理をわきまえ ぬお振舞い。少しはものを考えられよ」 まさかこのような侮蔑の言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。源氏の君の瞳 に表れたのは怒りではなく、激しい驚きだった。源氏の君の心のうちにある私は決して かような言葉を紡ぎだす女ではなかったのだから無理もないことだった。 「嘘だ、あなたは嘘をついておられる。あなたは私を愛している、愛しているじゃない か!」 「帝のご寵愛深き源氏の君なればこそ親しくもし、優しげにも振舞いました。あなただ から愛したのではなく、帝の御子だからこそ愛したのです。そこのところを勘違いなさ れますな。それを漁夫となっても私を養うとおっしゃるか。私を誰とお思いなのです。 本来ならば只人のあなたなど、声をかけられることさえあってはならない内親王なので すよ。光君、光君と持て囃されて増長なさったか。たかだか臣下に下らせられたものな らぬ御子に過ぎぬものを、分をわきまえられよ」 おそらくは生涯初めての屈辱であっただろう。とまどいは怒りへとはっきりと変わっ ていた。けれどもまだ、源氏の君は私を求めていた。嘘だ、これは嘘に違いないと、只 人と罵られた屈辱を必死に抑えて心を囃し立てるのが見て取られた。 それがために、私はなおも追い討ちをかけなければならなかった。 「たかだか下賎の女から生まれたあなたを、内親王たる私が愛すると本気でお考えにな っているのですか」 「言うな!」 源氏の君は叫んだ。 「母上の悪口は言うな」 もはやその屈辱は隠しようもなかった。激しい憎悪が一筋の矢となって私を貫いた。 この憎悪を糧として、源氏の君は私を諦めきれるだろう。しかし、私は。 「今宵のことはただ私のみの胸に留めおくことにします」 私は源氏の君に退去を迫った。もう一度、源氏の君は私を見つめた。あれほどのこと を言われたのに、未練なこの人はなおも何かしらにすがろうとしていた。 私はあからさまな憎悪と嫌悪を表情に浮かべた。それは真実の思いだった。この理不 尽なこの世界のありようへの憎悪。けれどももちろん、源氏の君はそれを自分への嘲笑 と受け取るだろう。それでいい。伸び行く人に、過去に生きるしかない置物の女は相応 しくない。欠片でも私への恋情を残してはならない。 「行きます」 そう口にしたのは、引き止められるのを期待してのことか。けれども私が微動だにし ないのを見て取ると、源氏の君は肩を震わせながらも、背を向けた。 「あなたは残酷な人だ!」 走り去る源氏の君を私は心の中では追いすがっていた。行かないで、行かないで、私 をひとりにしないで、と。けれども、私は動かなかった。動かないことが私の源氏の君 への愛の証だった。 「宮さま」 陰に控えていた王命婦がいざりながら出てきた。既に滂沱として涙を溢れさせてい る。そしてそれを眺める私の両眼もまた、滲んでいた。 幸福だった日々は過ぎた。失われて二度とは帰らない日々。けれどもそれがなかった ことの寂寥を思えば、私は自分がまだ恵まれているのを知っていた。あのあどけない御 子の面影を胸に、遠くから源氏の君を見守ることで、私は人としてあり続けられる。 源氏の君に私のことなど早く忘れて欲しいという気持ちも真実あった。けれど、一方 でそれとまったく逆の思いもあった。 忘れないで、忘れないで、激しく憎んでも、私を忘れないで。 源氏の君の元服の儀は朝廷を挙げての盛儀となった。昨年の春宮元服と比して見劣り することを帝が嫌ったからである。清涼殿で執り行われたその儀に内裏の後宮の女も御 簾を立てて臨席することが許された。内裏で育てられた源氏の君にとって、私たちは母 だったからだ。 加冠した源氏の君はさすがに凛々しく、美しかった。あつらえられた御簾の座には藤 壺の女御たる私を始め、弘徽殿の女御、麗景殿の女御と帝妃がずらりと並ぶ。更にその 下には左右の大臣と大納言以下の殿上人が居並び、たかがひとりの源氏の元服にして は、これはあからさまに公式行事だった。 女房づてに聞いた話では、弘徽殿の女御は不機嫌な表情を隠そうともしなかったと言 うことだ。わざわざ春宮にも並ばせんとする帝のそのお心づくしが不快だったのは理解 出来るにしても、自らが不快を示せばそれだけ春宮の権威が高まるというような考えは どういうものか。慶事には笑顔で、というのがいかなる身分にあろうとも最低限度の礼 儀であるはずだからだ。 その点、右大臣は将来は政敵となることが確実な幼い源氏の君に丁重な態度を崩さ ず、恭しい笑顔を見せて感涙さえ見せたのはさすがに芸が細かいというべきだろう。大 臣家の末子に生まれ、取るに足らぬ境遇から兄上がたが流行り病で次々と亡くなるとい う僥倖の結果、その大臣家の嫡子たる地位を得た右大臣は、初めから人の上にたつこと を約束された境遇に生まれた娘の弘徽殿の女御とはまた違った処世の考えがあるのだろ う。 親子と言えども血のつながりがあるという点を除けば所詮は他人だ。 そう思いながら竜座で感涙にむせび泣く帝を眺める。帝は誰をよりも、いかなる妃を よりも源氏の君を愛していた。その愛はともすると亡き桐壺の更衣に対するものよりも 大きかったかも知れない。 「父上を裏切ってでもあなたを奪い去りたい」 昨夜の源氏の君の言葉を反芻してみる。親の心子知らずというべきか子の心親知らず と言うべきか。 祝詞が続く中、源氏の君がちらりと御簾の奥へと視線を彷徨わせる。 私を探しているのだろうか。 私は見ている。私はあなただけを見ている。
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