●長編 #0118の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
八犬伝第九輯下套下引 余性也僻常非同好知音不交也是以微躯生於江門而交遊罕于江門唯遠方有二三子在所謂和 歌山篠斎南海黙老松坂桂▲(片に聰のツクリ){名ハ久足}是已約這個三才子毎見余戯 墨諸編相喜評定寄之于余以問当否為娯楽故郵書来往不為遠千里譬如▲(燕のレンガが 鳥)去雁来春秋不虚今茲逮本伝結局三才子逆聞之或詩或▲(ゴンベンに哥)各詠所其長 祝頌是書有始有終句々皆金玉不但増拙著之光耳褒賞幾過分矣雖慚愧不知所閣然不可蔵秘 篋且為▲(ムシヘンに覃)▲(アナカンムリに果)也即便附載於此以代小序云時戊戌端 月 蓑 笠漁隠 余が性や僻めり。常(かつ)て同好の知音にあらざれば交わらず。是を以て、微躯を江 門に生して、しこうして江門に交遊することは罕なり。ただ遠方に二三子あり。いわゆ る和歌山の篠斎南海黙老、松坂の桂▲(片に聰のツクリ){名ハ久足}、是のみ。およ そこの、この三才子は余が戯墨の諸編を見るごとに、相喜びて評定し、余に之を寄し、 当否を問うを以て娯楽と為す。故に郵書の来往は千里を遠しとせず。譬えば▲(燕のレ ンガが鳥)去り雁来りて春秋の虚しからざるがごとし。今茲、本伝の局を結ぶに逮(お よ)び、三才子逆って之を聞きて、あるいは詩あるいは▲(ゴンベンに哥)おのおのそ の長ずる所を詠じて、この書の始めありて終わりあるを祝頌す。句々は皆、金玉のごと し。ただ拙著の光を増すのみならずして、褒め賞すること幾(ほとん)ど分に過ぎた り。慚愧するといえども、閣く所を知らず。しかれども秘篋に蔵してかつ為▲(ムシヘ ンに覃)▲(アナカンムリに果)となすばからず。即ち、すなわち此に附け小序に代え ると云う。時に戊戌の端月 蓑 笠漁隠 頃者聞本伝団円、寔可羨称也。因題短韻一律、以寄于著作堂梧下 黙老半漁 発研新史褒称周 都鄙競需俟速郵 繍口錦心優水滸 狗譚猫話圧西遊 毫鋒靡敵芳流閣 文焔摩空円塚丘 騒客雅人比拱璧 珍篇何復有朋儔 このごろ本伝団円となるべきを聞く。まことに羨称すべきなり。よりて短韻一律を以て 著作堂梧下に寄す。 黙老半漁 新史を発研し周を褒め称う。都鄙ともに競い需(もと)めて速郵を俟つ。繍口錦心、水 滸に優れる。狗譚猫話、西遊を圧す。毫鋒にて敵を靡かせたる芳流閣、文焔にて空を摩 したる円塚丘。騒客雅人とも拱璧と比ぶ。珍篇また何ぞある、朋に儔あれ。 里見八犬伝をほむる長歌 小津久足 筆の海 机のしまに いさりする 人はおほけど 海幸は 得がてにすとふ 文の苑 詞のはやし かりくらす ひとはあれども 山幸は いとりかねとふ しかれども わがせの君は 朝よひに 蓑笠きつ丶 海さちも その山さちも ものさはに とり得てあれば みのかさに かくれもあへず 世にひろく 名はあらはれて 人みなの よろこぶ書を 家の名の あらはしつくり むねにみち 牛に汗する まきまきは 世にはびこりて こもまくら たかき人たち しづたまき いやしき人も みやびをも をとめのとも丶 おふなおふな めでよろこびぬ いやひろく よろこぶ中に 鳥が啼 あづまの国に いにしへに 有けることの くすはしき こと丶いひつく かの見ゆる 里見の家を まもりたる 八の犬とふ 氏人の つたへをしるす 書はしも 世にぬけ出て 天の下 ゆすりとよもし 新しき 年のはじめに うぐひすの 初音はあれど 梓弓 春にしなれば さきいづる 花はあれども つかの木の いやつきつきに このふみの いづるをまちぬ かくばかり たへなるふみの 石の上 ふるきむかしゆ 今までに ありとはきかず いまよりの 千年の後に たれしかも あらはしいでむ 文国と 名におふ国に いにしへゆ 其名聞えて かずかずの 星のかたちを おりなせる そのからにしき しきしまの やまとの国に このふみに いかでかしかん このふみに あにまさらめや このふみを めづる人らは このふみの 名にあふ犬の 家内を まもるがごとく よそにはも 出しもやらず 家人の なづるごとくに かたはらを 手はなしもせず あく時の あらずといへば 鳥の跡 それにはあらぬ 犬の跡 いやとほき世に のこらざらめや 反歌 唐錦大和にしきをおりまぜてあやにおもしろくつづる書はも 骨をかへかたちうばひてから鳥をくひふせし犬はゆ丶しきろかも 八犬伝跋文にかへてよめる長歌みしか歌 篠斎野叟 事繁き 塵の世よそに かろらかに かくれ蓑笠 かくろひて からのや まとの ふみの海 あさりおきなと あけくれに 机の小船 うけすゑて 筆の釣竿 手にまかせ うまぬすさびの 年月に やがてあまたの 巻を成す いにしへ いまの 物語 かれとこれとを とりもかへ あると無きとの なかそらに たつのた かとの 海の市 くしくあやしく めづらしく たへにたくみに こまやかに 思ひ構へ て さらに又 にはよき波路 まさみちの よきをば勧め 横走る 浦の蘆蟹 あしきをは 懲らししめして ねもころに さとすこ丶ろは 幾千尋 不覚もし つく 真白玉 詞の玉藻 数々に あかすあかれす もてはやし 磯山さく ら ゑる板に 春あたらしく さく花を 誰も待つ丶 いそめぐり 中にも是 は かたりこと 殊に長かる しなが鳥 安房の洲崎に 光り出し 八つのく したま その玉の やつらの文字を なのりそは 海の浜藻の それならで 富山に根 ざす いのこ草 犬の氏なる とりとりの たけをますら雄 さまさまに 勇みすぐ れて まめやかに 厚きおこなひ いづれとも まさりおとらず とりよろふ やたりの つたへ あら玉の としの緒長く 巻長く つらねつらねて 今ことし 玉まろら かに 数またく ぬきとめよせて 緒を結ひ みがく光りの いよ丶世に かかやき わたる 八つの玉 四方にめで見ぬ 人はあらしな かの星の百まり八つのそれよりも此くし玉やひかりまさらむ ○ 蓑笠漁隠曰、所録前後▲(遙のツクリに系)客歳到来遅速而已非選択以為伯季也江湖繙 閲百君子其熟思之 董斎盛義書 蓑笠漁隠曰く、録する所に前後は、客歳において到来の遅速によるのみ。伯季を為すに 選択を以てするにあらず。江湖に繙き閲する百君子、それ熟(ふか)く之を思え。 董斎盛義の書す 読書自嘆 休向世間訴不平、疎狂聊爾錯人情、談来未了書中趣、空為浮名過此生 琴嶺興継稿 世間に向かうを休(や)め不平を訴う。疎狂たりて聊爾(かりそめ)に人情を錯す。談 じ来りて、いまだ書中の趣を了(お)えず。空しきかな、浮き名を為して、この生を過 ごす。 琴嶺興継の稿 ★世間の人間関係から自由な立場をとり、社会矛盾を指摘する。ぶっきらぼうな書きざ まで、人間関係とやらに絡め取られてしまいがちな人情を、ちょいと煙に巻く。話は進 んできたものの、物語は、まだ終わっていない。人生を生きるに、このように浮き名を 流して過ごすことは、空しいのではないか 蓑笠漁隠又曰、是詩故児弱冠時所偶作曩撈遺篋而得之雖題詠非犬士之事然其要似夙知吾 意衷而有所志因録備遺忘蓋彼之短命不見是書結局而逝矣不得無遺憾也 盛義 蓑笠漁隠また曰く、この詩は故児の弱冠たる時にたまたま作るものなり。さきに遺篋を 撈(さぐ)りて、しこうして之を得る。題詠は犬士の事にあらざれども、しかれどもそ の要は、吾が意衷を夙く知りて志す所あるに似る。よりて録して、遺忘に備う。けだし 彼が短命、この書の結局を見ずして逝きぬるか。遺憾なきことを得ざるなり。 盛義 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 口絵 奇貨忘神祐讒聞禁使臣欲譴蛇足過驚虎魄傷人 題政元及巽風 奇貨に神祐を忘れ、讒を聞き使臣を禁む。蛇足の過を譴せんとして虎魄の人を傷るに驚 く。 政元及巽風に題す 管領政元くわんれいまさもと・竹林巽風たけはやしそんふう・直塚紀二六ひたつかきじ ろく 大刀つくるたくみのともハはた加にて打のはせと母きる物はなし 半聞(閑カ)人 堀内雑魚太郎貞住ほりうちざこたらうさだすミ・鍛冶子再太郎かぢこさいたらう・田税 力助逸友・小森倶一郎高宗 ★試記・大刀作る匠の友は裸にて、打ち延ばせども着る物はなし 赤壁阿瞞勢勿負焼殫艨艦有周郎 題阪東四将四大夫 赤壁に阿瞞の勢、負けず。焼殫せる艨艦、周郎にもあり。 赤壁に阿瞞勢ひ負(たの)むこと勿れ艨艦を焼きつくす周郎あり 阪東四将四大夫に 題す 山内顕定やまのうちあきさだ・巨田助友おほたすけとも・足利成氏あしかがなりうじ・ 長尾景春ながをかげはる・大石憲重おほいしのりしげ・扇谷定正あふぎがやつさだま さ・千葉介自胤ちはのすけよりたね・横堀在村よこほりありむら 姫小まつ結はば八つの玉さ丶き誰かてにとりてねの月そ満らむ ▲(頼のした鳥)斎 里見後の八犬女の中五の君浜路姫の端像ハ既に前輯に出たれバ今略之 女一君静岑姫いちのきミしづねひめ・女二君城之戸姫にのきミきのとひめ・女七君小波 姫しちのきミをなミひめ・女六君栞姫ろくのきミしをりひめ・女四君竹野姫しのきミた けのひめ・女三君鄙木姫さんのきミひなきひめ・女八君弟姫はちのきミいろとひめ ★試記・姫小松結はば八つの玉ささき誰が手にとりて子の月ぞ満らん/子月とは十一月 だが、十二支の始まりの月でもある。一年の周期は、陽が徐々に強まり午に於いて旺さ か/んとなるが同時に陰が増勢に転ずる。此の陰気が最も強く陽が最も弱い状態にある 時が、子だ。陽気が最も弱い時こそは気がプラスに転ずる秋トキだ。同時に陰気は下降 線を辿り始める。故に句にある「子の月ぞ満」とは、近世後期から「七五三」を行うよ うになった吉日であり、陽へのエネルギーが最大となるよう期待される十一月十五日を 指すであろう。これが八犬士が里見八姫と見合い……御簾を隔て不可視の状態だったか ら「見合い」と言えないが、まぁ見合いをした期日とも思う。但し、本文からは期日を 断定できない。また、婚礼は翌年二月下旬に行われる 本伝出像の人物に面貌の老たると弱く見ゆると本文に合ざるあり。看官疑ひ思ふべけれ ば聊爰に論弁す。譬ば金碗大輔孝徳入道丶大法師は嘉吉元年辛酉の秋父孝吉の自殺の時 彼身は甫の五歳なり。恁而長禄二年に至りて伏姫富山に事ありし日孝徳死刑を宥められ 祝髪行脚の僧になりしは乃二十二歳の時なり。是等の年紀は第十五回に夙く作者の自注 あり。今これをもて僂れば文明十年戊戌の夏丶大が行徳なる古那屋にて信乃{時に十九 歳}現八{時に二十歳}小文吾{時に二十歳}親兵衛{初名は真平時に四歳}等に邂逅 しける時丶大は四十二歳になりぬ。是より又六稔を歴て文明十五年癸卯の夏丶大が宿望 成就の日八犬士を相伴ふて安房へ帰り来にけるは年四十七の時にて五十にはいまだ至ら ず。本文にはその折々に年紀を具に誌さねども創よりして推考へなば看官紛れあるべく もあらず。▲(しか)るに第七十三回なる甲斐の指月院の段{前柳川重信画}よりして 吾如意ならぬ処をいはば丶大の面貌翁備て六旬許の老僧に似たり。後にこれを画く者其 を亦本にせざるもなければ弥老て相応しからず。 又蜑崎照文は長禄元年にその父輝武が富山川に溺死しし時いまだ彼名を出さねども必是 少年なるべし。是よりして二十二年を歴て文明十年戊戌の夏照文行徳にて出世の時齢は 三十有余にて丶大には弟ならむに是より後光陰は才に六稔の程なるに出像の面貌翁▲ (骨に尭)て五十あまりの人に見ゆめり。 又八犬士の内中犬田小文吾は髫歳より角觝を嗜て大漢なるよしは本文に粗見えたり。▲ (しか)るに出像は凡庸にて自余の犬士に殊なりとは見えず。惟第六輯の画工英泉のみ この意をや得たりけん。第五十八回に小文吾が市河にて依介夫婦に再会の段の出像には 全身肥満の大漢を画きしに看官は前々なる出像に眼熟れて妙とせず。こも只▲(隠のし たに木)るに過たりといはまし。 又扇谷定正は修理大夫持朝の季子なり。此管領は享徳年間よりして鎌倉扇谷の館に在し しかば時の人相称えて扇谷殿といひけり。かくて定正鎌倉を退くの後明応二年十月五日 に卒りぬ。享年五十二歳。事実は鎌倉管領九代記に詳なり。因て定正卒去の年道節信乃 等が復讐は定正四十二歳の時なり。然るをこの段の出像には定正の面貌最弱かり。吾一 知音の細評にその弱かるを疑ふて云云と問れしよしあり。 但この差錯のみならず人に誂へてものしぬれば不如意なる事多かれども就中今論つらふ 人々は本伝中なる有名にて殊に尤き者なれば見巧者なるは疑ふて其をしも作者の愆なめ りといはざることを得ざるべし。然りけれども人はうち見によらず其齢より面貌の老た るあり弱きもあれば只管に年歳を数へてその面貌の合ざるを訂さば反て理評にならむ。 況本伝は画工一筆にあらず。各作者の画稿に拠て潤色して誉を取まく欲す。こ丶をもて 婢妾までも画くに美人ならぬはなし。画工と作者の用心の同じからぬを知るに足らむ か。 畢竟遊戯三昧なる出像は婦幼の与にして和漢稗史の花なれども是ある故に作者の趣向を はやく知らる丶をいかがはせむ。花を愛るは実を思はず、実を嗜るは花をも観るめり。 誠に好みて善読者は必文を先にして後に出像を観るといふ。画に縁りて事の趣を夙く悟 れば読見る時に興薄からむを▲(澤のツクリに攵)へばなり。現看官にも用心あり。有 るが中にて恁る知音は世に又多く得易からねば漫に戯房をうち開して出像の上にまで自 評しつ。人の疑難を解くよしは本伝結局大団円に遺憾なからしむ為なりかし。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百三十六回 「政元権を弄びて正副使を分つ 犬江別に臨て忠良僕を借る」 親兵衛機に臨て意見を密談す げぢよ・わかたう・しん兵衛・てる文・代四郎 ★此処でも照文の紋は、三つ帆 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百三十七回 「能弁軍記を講じて餅を薦む 窮鳥旧巣に還りて巧に囀る」 太平記巻の第二十二高師直塩谷高貞の正室の出浴を偸見る処 師直もろなほ・手引のおうな・小婢めのわらハ・塩谷正室ゑんやのおくがた 二六郎酔狂摂家の従者と力戦す とどむるや小田にまわる水車いぼしり虫の身をバはからむ 関白もちミち公・二六郎 ★試記・止むるや小田に回る水車、蟷螂虫の身をば測らむ/如何でも良いが、画面中央 やや右よりの従者は、〈外人ポーズ〉をとっている −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百三十八回 「士卒矛盾して自家を防ぐ 餅書教に因て秘密を告ぐ」 太平記巻の第四備後の三郎高徳桜樹に詩を題する処 けいごの武士・たかのり ★児島備後三郎高徳が樹に天莫と書いているが、これは「天莫空勾践、時非無范蠡」と 書く途中。「呉越同舟」との俚諺を生むほど憎しみ合った春秋期中国の両国の物語を下 敷きにしている。って云ぅか、太平記巻四「備後三郎高徳が事付けたり呉越軍の事」は 高徳なんて放っといて、呉越の話が大部分を占める。だいたい高徳、後には南朝の忠臣 として頑張り抜くが、デビューの此処では、なかなか間抜けなオジサンだ。鎌倉幕府と の戦いを決意した後醍醐帝は、笠置に籠もるが破れた。朝廷に心を寄せる高徳も時を同 じくして兵を挙げたものの、頼みにしていた楠正成も赤坂で自害したと聞き/風評に過 ぎず正成は後にも大活躍する/途方に暮れた。しかし帝が隠岐に流されると聞いて、途 中で帝を奪還しようと思い立った。一族と共に備前・播磨の境、船坂山の頂上で待ち伏 せした。帝を護送する一行が余りにも遅いため調べてみると、別のルートを採ったこと が判明。美作の杉坂まで急行し待ち伏せするが、既に帝は先に進んでいた。諦めた同族 は散り散りになって、高徳を置き去りに自荘へ戻った。善い奴だから皆も心動かされ言 うことを聴いてやったものの、此処まで図に当たらなければ、呆れて当然だ。それでも 高徳は、せめて帝に自分の忠義を知って貰おうと、監禁場所へ如何にか潜入し、挿絵の 句を書き付けた。間抜けなオジサンの負け惜しみに過ぎないが、〈間抜け〉と〈忠〉 は、道節を見ても解るように、親近性が高い。高徳は、如何にも太平記好みの人物だ。 此の間抜けオヤジの句から始まり、長々と呉越説話が続く。太平記は時々こういうこと をする。馬琴の蘊蓄披露癖も太平記に影響されてか。勾践は血気にはやって、愚かにも 敵に捕らえられた挙げ句、再起のため敵王の尿道結石を舐めた後の越王。范蠡は、捕ら われている越王の為に肺肝を砕き奔走した忠臣。手紙を入れた魚を越王の牢に放り込ん で励ましたりしている。太平記が再び利用される親兵衛の京都滞在記第百三十八回で、 親兵衛が変態管領に囲われたとき紀二六に手紙入り餅を差し入れさせた。呉越の話は、 別嬪の誉れ高い西施も越王の愛人だし、会稽山とか肝を舐める男とか有名な話がテンコ 盛りである −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百三十九回 「五条の頭に代四郎憂を啓く 撃剣の場に親兵衛武芸を見す」 第一戦親兵衛海伝を懲す かいそひ・かいそひ・しん兵衛・じつけんし・じつけんし・かいでん・なほみち・まさ のり・ひろまさ・かいでんもんじん・しゆひつ・また六・しゆひつ・まさもと・かい伝 もんじん・第二ばんたてぬき・たてぬきもんじん・たてぬきもんじん ★「しゆひつ」は恐らく鎌倉幕府官職名である「執筆しゅひつ/書記」を念頭に置くか 第三戦親兵衛直道景紀を懲す かいそひ・直みち門人・しん兵衛・なほみち・かげとし −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百四十回 「犬江仁名を華夏に揚ぐ 左京兆恩を東臣に厚くす」 第五戦犬江親兵衛兇禿を懲らす しん兵衛・かいそひ・かいそひ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百四十一回 「悪報明を失ふと更に懺悔を事とす 神助▲(オンナヘンに戸/ネタミ)に因て反て冥 罰と成る」 薬師院村に巽絵額を売る うるハしのちご・やくしまゐりのたび人・たび人・たつミ・おとこ(看板に「御あつら へ御好次▲第の略字) 一▲(缶に尊)を費して樵六夫妻を和ぐ おとこ・しやう六・たつミ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百四十二回 「両滅を誣て辰巳誑簡を貽す 故事を尋て政元名画を疑ふ」 残忍吹毛求疵短慮窮賊智出 たつミ・うるハしのちご・しよう六 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百四十三回 「虎眼に点して巽風公文庁を閙す 衆口を▲(澤のツクリに攵/いと)ふて京兆禄斎屋 を誅す」 画虎是不画巽風喪元(ぐわここれぐわならずそんふうかうべをうしなふ) 政もと・きんじゆ・また六・有司・やうし・かげとし・力士・力士・力士・りきし・力 士・力士・りきし・そんふう・力士・りきし・よ市・力士・力士・力士・りきし・まさ のり・力士 申明亭に行客巽風の積悪を詳にす まさのり・そんふう首級・たびびと ★裁きの場には、閻魔の本体である地蔵が登場する −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百四十四回 「犬江前諾して関符を請ふ 澄月が一謀五虎を殲す」 邸中の騎馬仁紀二六に逢ふ わかさむらひ・わかさむらひ・しん兵衛・きじ六 この小出像(こさしゑ)の本文(ほんもん)ハ第百四十五回(くわい)につまびらかに 見えたり 香車大く進ミて歩兵に攫はる み丶九郎・なほミちすけたち・なほみちすけたち・なほみちともひと・かん八・まさの り・なほみちすけたち・たてぬき・ちへさく・あし平・さねたか・なほみち・かげとし ★藻洲千重介はいるが「ちへさく」は不明。「ちへすけ」の誤写か −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百四十五回 「五頭を献りて衆奸卒数頭を喪ふ 脚小を櫃にして悪師徒手足を断る」 悪窮逢虎害天罰豈応愆 とくよう・ふびきひめ・けんさく
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