●長編 #0117の修正
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南総里見八犬伝第九輯下帙中巻第十九簡端贅言 本伝は文化十一年甲戌年第一輯五巻を綴り創しより今茲天保八年丁酉年に▲(シンニョ ウに台)りて無慮二十四の春秋を歴たり。其間、作者の腹稿或は流行に拠り或は昨の我 に▲(厭に食)て趣を易文を異にして体裁同じからざるもあるべし。そを何ぞといふに 始は只通俗を旨として綴るに敢奇字を以せず。この故に行毎に仮名多くして真名寡し。 六七輯に至りては拙文唐山なる俗語さへ抄し載て且意訓をもて彼義を知しむ。要なき所 為に似たれども世に独学孤陋にて唐山の稗史小説を読まく欲する諸生あらば其筌蹄にな れかしと思ふ作者の老婆親切なりけり。こ丶をもて行毎に真名多くなりて字の数さへ覚 ず始に弥増たり。抑曲学にて要なき書を好みて多く綴りぬる余が如きゑせ(似而非)文 は半表半裏の筆に成れり。そを知ざるにあらねども畢竟文字なき婦幼の弄びにすなる技 にしあれば故りて風流たる草子物語は取て吾師に做すべくもあらず。又彼唐山なる稗官 小説の大筆にして奇絶なるも、その文は模擬に要なし。然ばとて坊間に写本にて行はる 丶軍記復讐録の類なるは俗の看官もすさめざるべく、余も素より綴まく欲せず。この故 に吾文は枉て雅ならず又和にもあらず漢にもあらぬ駁雑杜撰の筆をもて漫に綴り創しよ り世人謬りて遐け棄ず。そが中に本伝は、いと甚う時好に称ひて憶ずも一百四五十回の 長物語に做りにけり。 こは年来吾机案上の工夫にて憖に切磋琢磨せる自得の戯墨なるものから、かくの如くに あらざれば唐山なる稗説の趣を写すに由なし。然ばにや彼は文華の国なれば俗語といへ ども出処ありて悉字義に称へり。但正文と異なる所以はその用同じからざるよしあり。 譬ば正文に慚愧といへば即恥る義なるを俗語には且忝しといふ義にも用ひたり。又工夫 は考索思量の義なるを俗語には空虚閑暇の義とす。工は空の省文にて夫は助語なれば則 空なり。こ丶をもて俗語の和訓は、その処によりて異同あり。然るを原を極めずして此 間に抄録したる俗語をのみ見て取用れば大く義理に違ふことあり。筆の次にひとつ二ツ いはん。水滸西遊などに在を於の如く像を如のごとく似のごとく、則を唯のごとく読す るは、其文に法則あり、叨に用るにあらず。似を読て如とすなるは、似飛に涯り、則を 読て唯のごとくすなるは不則一日に涯り像を読て如となせども如之といふには用ひず。 況教の転じて叫に做れる{教は令なり}、尿の転じて鳥になれる{人を罵る時にいふ }、底の転じて地に做り又転じて的になれる、一朝に解尽すべくもあらず。 我大皇国は▲(シンニョウに貌)古の久しきより、をさをさ言魂を宗とし給ひて文字の 制度はなかりしに応神天皇の御時に初て漢字を伝へしより後の世に至りては人の詞はさ らなり源氏物語などにすら音訓うち任したる文あれば、なほ後々には和漢駁雑の文章の 必いで来ぬべき勢ひなり{太平記などを見て思ふべし}。そを又一転して仮名文に唐山 の俗語さへ諳記の随取用ひぬる余がゑせ文を国学及漢学の博士達、▲(ニンベンに尚) その眼に触る丶もあらば、この駁雑を嘲▲(口に遽のツクリ)ふて云云といはるべから ん。遮莫唐山にて俗語もて綴れる書に正文あり方言あり、しからざれば用をなさず。又 儒書方書仏教は、正文なるべき者なれども、そが中に俗語あるは二程全書朱子語類。俗 語をもて綴りしは奇功新事、傷寒条弁、虚堂録、光明蔵の類なほあるべし。先輩既にこ の弁あり。恁れば彼が文華なるも言魂の資を借ざれば文を成すに如意ならず。矧亦大皇 国の文章は和漢雅俗今古の差別あり。然るを今文場に遊ぶ者孰かよく貫通せん。いとか たしとも難からずや。 意ふに古昔の草子物語、竹採・宇通保・源氏物語なども作者勉てその詞をあなぐり撰て もて綴れるにはあらざるべし。必是当時大宮人の常語方言さへそが随に載ためれど古言 はおのづから鄙俗ならず且宮嬪の詞に雅俗うち任したるもあれど{海人藻芥及真淵の草 結などを見て思ふべし}才子才女はその品殊にて且能文の所為なれば後世和文の山斗た り。恁れば昔の草子物語は此にも俗語もて綴れるを思ふべし。和漢その文異なれども情 態をよく写し得てその趣を尽せる者俗語ならざれば成すこと難かる、彼我同く一揆な り。然ばとて今此間の俚言俗語の転訛侏離の甚だしきを、そが儘文になすべからず。余 が駁雑の文あるは、この侏離鄙俗を遁れんとてなり。 しかるに近世建部綾足が西山物語及び本朝水滸伝{一名吉野物語}は、をさをさ古言も て綴るものから就中本朝水滸伝は、その趣浄瑠璃本とかいふものに似たる条ありて、今 の俗語もまじりたれば木に竹を接たるやうにて且時好に称ざりけん、僅に二編にて果さ ざりけり{第二編は写本にて伝ふ}。又村田の翁が筑紫船物語は今古奇観第二十六なる 蔡小妲忍辱報讐{拍案驚奇にも此と相似たる物語ありてその文同じからず。蓋別話な り}といふ一編を皇国の故事に翻案して古言もて綴れるなり。然しも能文の所為なれば 必初学の為に資助になるよし多からむ。惜むべし、この翻案半分にて翁は簀を易にき。 いかで門人に続出す者ありて原本の局を果せかしと吾一知音は呟けり。そも国学者流に て且和漢の稗史さへ愛る余力あればなり、とばかりにして俗の看官は、いまだその書を 知らぬもあるか、行はる丶こと広からず。只勧懲を旨として書読む事を好ざりける世の 婦幼にもよく読するは余が如きゑせふみにもあるべからん。 稗官野乗は鄙事なり。是を好とは思はねども本伝結局遠からねばいはで已んはさすがに て、こ丶にも筆を費して百年以後の知音を俟べく今より後の嘲▲(口に遽のツクリ)議 論を解ばやとおもふばかりに丁酉の秋八月念六日東園黄白の木犀花馥郁たる南檐の下に しるす者は著作堂の癡老 蓑笠漁 隠 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 南総里見八犬伝第九輯下帙中巻第十九口絵 将種自賢賞罰法天 賛成朝 将種は自ずから賢、賞罰は天に法(のっと)る。 小山大夫次郎朝重こやまたゆふじらうともしげ・結城判官成朝ゆふきはんくわんなりと も おかめとも見えぬ仏を人とはば きえずやむねにあり明の月 賛浄西法師 瞽僧浄西めしいはうしじやうさい・兇僧徳用けうそうとくよう・かたく名しふ司・をさ き枕之介・ねおひのひがん太 ★試記・拝めども見えぬ仏を人問はば、消えずや胸に有明の月/目の不自由な浄西が 「消えずや胸にあり、明の月/有明の月」。虚偽の表情や動作を見ない分だけ浄西は人 の真実を能く理解していただろう。ところで従来の八犬伝読みにも浄西法師に蝉丸の影 を見る者がいる。蝉丸は、「本朝列仙伝」巻二に登場する。「蝉丸(扶桑隠逸伝 鴨長 明無名抄 佐国目録 百人一首抄)蝉丸ハイツレノ処ノ人ト云コトヲ知ズ。頭童ニシ テ。カタチ僧ニ似タリ。草庵ヲ会坂ノ関ニ結ビテ。往来ノ人ニ食ヲコフ。能和歌ヲ詠ジ テ。ミヅカラ楽ム。世ニ盲目ナリトイフハ。誤ナリ。コレヤコノ。行モカヘルモワカレ テハ。シルモシラヌモ。相坂ノ関。トヨミシ歌ノ序ニイヘルハ。相坂ノ関ニテ。往来ノ 人ヲ見テ。ヨメルトアレハ。盲目ニハアラズ。後ニ仙人トナリテ。行処ヲシラズ。関ノ 明神是ナリ」。此からすれば、童子の如き僧侶であるから、影西の姿もチラつく 棄却顕職富貴聚身人間孝子釈氏忠臣 賛僧正影西 顕職を棄却し、富貴は身に聚まる。人間(じんかん)の孝子、釈氏の忠臣。 権僧正影西ごんそうじようえいさい・渥美郡領隣尾伊近あつミのぐんりやうとなりをこ れちか 汝是西浜漏網魚豈知東海有余且 汝、是(これ)西浜の網に漏れし魚。豈(あ)に東海の余且あるを知らん。 今純友査勘太いますミともさかんた・海龍王修羅五郎かいりやうおうしゆらごらう ★夜郎自大、身の程知らずの悪党を評す −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百二十六回 「仮捕使三路に兵を行る 義兄弟両林に悪を懲す」 大角一棒人馬を倒 もとより・大角 現八僧俗二虜を牽く 現八 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百二十七回 「丶大庵の厄に親兵衛伴を喪ふ 石菩薩の前に信乃応報を悟る」 天助人力窮厄を解く はやとし・しん兵衛・てるふミ・代四郎・ちゆ大 徳用謬て道人を棒殺す 信乃・とく用・てらをとこ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百二十八回 「犬士露宿して追隊を迎ふ 老僧袱を▲(寒いの〃の替わりに衣/かかげ)て冥罰を示 す」 八犬士を逐て朝重結城より到る みやひをハめつらんいく世ふる瓦 硯にせよとすみれさきけり 漁隠 小文吾・さう介・けの・げん八・てる文・大かく・ちゆ大・道せつ・よ四郎・しの・し ん兵衛・てる文くミこ・てる文ともひと・きじ六・ともしげともひと・ともしげ ★試記・雅男は愛ずらん幾世経る瓦、硯にせよと菫咲きけり 惴利酔て剛九郎を斫らんとす ごう九郎・はやとし・げぢよ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百二十九回 「忠僕死に事る霊仏の起本 孝子京を去る伝燈の法脈」 忠孝の父子路傍小堂の仏前に乞食す 浄西・えいさい −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百三十回 「里見侯白浜に旅襯を葬る 大法師穂北に客情を果す」 市河坂に丶大照文貞行の迎るに逢ふ しもべ・くミこ・くミこ・くミこ・くミこ・きじ六・ちゆ大・てるふミ・わかたう・さ だゆき・小みなとたん生寺 丶大に謁して重戸十念を受 小文吾・しん兵衛・ありたね・よ四郎・於も戸・どうせつ・しの・げん八・てるふミ・ 大かく・さう介・けの・ちゆ大 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百三十一回 「八行の霊玉光を良主に増す 九歳の神童氏を花営に請ふ」 滝田稲村の城に八犬士里見両侯に拝見す 仁第一・義第二・礼第三・智第四・忠第五・信第六・孝第七・悌第八・ときすけ・うぢ もと・ちゆ大・てるふミ ★各犬士の紋は親兵衛が「杣」字、荘介は判別不能、大角は蔦、毛野は月星、道節は左 向き揚羽蝶、現八は「犬」字、信乃は桐、小文吾が「古」字 妙真饗饌して八犬士を歓待す 代四郎・みづしめ・二世尺・花咲のうば・枯樹新婦・枯樹新婦・二世力・妙しん ★画面右下隅に鰹らしき魚一尾 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百三十二回 「金碗後無して更に後あり 姥雪望を失て反て望を遂ぐ」 折にあへば波のそこなる沖の石もしほのひかたにあらハれにけり 玄同 代四郎・てるふミ・しん兵衛 ★試記・折に逢へば波の底なる沖の石も潮の干潟に現れにけり −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百三十三回 「客船を哄して水冤鬼酒を沽る 波底に没みて海竜王仁を刺んとす」 苛子崎に四九二郎客船を鑑検す 舟あきひと(だんご・にしめ・にごり酒・あまさけ)四九二郎・かこ・さと見の泊船 修羅五郎大洋に新兵衛と挑む よ四郎・しん兵衛・しゆら五郎 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百三十四回 「苛子の海中に与保千金を▲(テヘンに労)る 蕃山の窮難に照文一将に逢ふ」 前凶後吉蕃山遭際(ぜんきょうこうきつはやまのゆきあひ) 四九二郎・きじ六・代四郎・さかん太・てる文・これちか・ざふ兵・吸四郎・さとみの くミこ・はた馬・てる文のくミこ・土左衛門・正かく坊・ふぐ六・しやち七 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百三十五回 「渥美浦に便船紀二六を送る 管領邸に禍鬼親兵衛を抑む」 蜑崎の宅に荘介目萌三と面談す てる文のつま・きじ六・さうすけ・もえざう・さくわん 花の御所に仁照文義尚公に拝見す てる文・しん兵衛・まさもと・まさなが・よしひさ公 せんじ・みぎやうしよ ★親兵衛の紋は、思いっきり「杣」字。照文は、三つ帆。蜑崎なる苗字、十郎が水練の 達人であったことなどから海に縁がありそうな照文だが、果たして、紋も海絡みである ようだ
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