●長編 #0115の修正
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八犬伝第九輯中帙附言 本伝は文化十一年甲戌の春書賈平林堂{弓張月の版元}の為に第一輯の腹稿を思ひ起せ しに平林堂頽齢既に七旬長編の刊行做し果さん事心許なしとてそが夥計の書賈山青堂に 譲らんと請ひしかば予その意に儘して当時稿本五巻を山青堂に取らしけり。かくて書画 ▲(奇にリットウ)▲(厥にリットウ)の工成りておなじ年の冬始て世に見はる丶こと とはなりぬ。十三年丙子の春正月第二輯五巻を続出すに及て世評いよいよ喝采看官亦復 後輯の出るを俟こと一日千秋の如しといふめり。是よりして後山青堂多欲の故に他事に 耽ると聞えしかば刊行等閑の年間これあり。第三輯護岸は文政二年己卯春正月続出し第 四輯四巻は三年庚辰冬十二月発販し第五輯六巻は六年癸未春正月続出しにけり。第一輯 を刊行の年よりしてこ丶に至て十ケ年になりぬ。然ば毎編出るを俟つ丶看官渇望せざる はなく掌球撫玉に異ならず。その時好に称ひしもの今昔無比と聞えながら刊行の書肆が 等閑なる贏余を他債の為に果して本銭続ずなりにけん。新旧五輯の刻板を涌泉堂に売与 へしかば第六輯より下続刻の書賈替りて第六輯五巻{五の巻を釐て上下とす。本輯即六 巻なり}は十年丁亥春正月涌泉堂が刊行しけり。第五輯発販の年よりして中絶こ丶に五 ケ年なりき。かくて第七輯七巻はおなじ年の冬十一月稿本既に成るものから涌泉堂も亦 本銭続ず。その上帙四巻は書林文渓堂の資助によりて十二年己丑の冬十月廿九日に発販 せしを当時予はさりとも知らず下帙三巻は十三年春正月辛くして続出すことを得たり。 しかるに亦涌泉堂も等閑にして理義を思はず始よりして校閲を一字も作者に乞ざりけれ ば傭書▲(厥にリットウ)人の為に謬れて稿本と同じからざるも多くあり。況七輯発兌 のよしを報ることもなかりしかば予はその例に違へるを咎めて云云といひし折、書林永 寿堂文渓堂等為に勧解るに怠状をもてしつ丶陪話数四に及びにけるをなほ聴ざらんはさ すがにて、いふかひもなく已にけり。か丶りし程に涌泉堂は後輯の刊行に微力足るよし なければとて第一輯より七輯まで所蔵の刻板を沽却せしかば大阪の書林某甲は購得ても て去にきと聞えたり。然而第八輯より以下の刊行は文渓堂が購受て続出す事になりしか ば本伝新旧の板家扶は江戸大阪と両家になりぬ。第五輯より下ここに至て刊行の書肆の 替りし事前後都て四名なり。且いまだ結局に至らざるにその板分れて七輯までは遙に浪 速に售遣られて予は毫ばかりも識らざりける彼地の書肆の蔵板になりけるを思へば一奇 といはまくのみ。識者はこの折眉を顰めて江戸の花を失ひぬとて嗟嘆しけるもありとか 聞にき。遮莫なほ幸ひに第八輯より下は江戸の書肆が刊行すなる文渓堂の所蔵になれ丶 ば作者の面を起すに似たり。栄辱得失物皆▲(しか)なり。本伝にのみ限らんや。是等 によりても有為転変の速なるを思ふに足れり。かくて第八輯は江戸の書林文渓堂が刊行 しつ丶天保三年壬辰の夏五月二十日に上帙五巻{四の巻は上下二巻なれば即五巻なり} を発販し下帙五巻{八の巻を上下二巻とす}は四年癸巳春正月続出し第九輯上帙六巻は 今茲乙未春二月二十日に発兌しぬ。中帙七巻は今番出せり。又下帙七巻は明年丙申か遅 く成るとも秋冬の時候までには必よ続出して大団円になさまく欲す。か丶れば六輯以下 の分巻共に六十八巻一百二十八回にして竟に全部たらんものなり。抑策子物語のかく長 やかに続るはこの書の外にいまだ見ず。天もし作者に惷寿を借してこの筆すさみあらざ りせば二十余年の久しきに飽こともなくよく堪てこの結局を世の人に見することはかた からんを命あり時ありて円団将に近からんとす。あな▲(リッシンベンに灌のツクリ) し、あなめでた。稗官冥利に称ひけんと思ふも烏許の所為にぞありける。 この書第五輯までは一帙五巻を一輯とす。第五輯の六巻なるは四輯の足らざるを補へる なり。しかるに第六輯より以下は涌泉堂等が乞ふに儘して或は六巻を一輯とし或は七巻 を一輯とす。かくて第八輯に至りては文渓堂の需る為に十巻二帙を一輯とす。そを第五 輯までの如く毎輯五巻ならんには十三四輯に至るべし。然るを九輯に約めしは文渓堂の 好にあなれど今さら思へばこもよしあり。八は陰数の終りなり。八の下に十あれども十 は一にかよふをもて陰数の終りとせず。九は陽数の終りなり。か丶れば八犬英士の全 伝、局を九輯に結ぶことその所以なきにあらずかし。 吾嘗唐山の稗史を見るに水滸西遊伝の如き是大筆の手段といへども水滸は一百八箇の豪 傑その人極めて多ければ史進魯智深楊志武松等全伝開手の豪傑なるに梁山泊に入りしよ りその勢ひ始に似ず。倶に軍陣に莅むの外はありといへどもなきが如し。況百八人なら ぬ者は始ありて終なく俗に云立滅せざるは稀なり。又西遊記は三蔵師徒孫猪沙と是四名 のみ。その人極めて寡ければ其事相似て且重複多かり。水滸にも亦重複あり。長物語は 覚ずして彼重複の瑕疵あること年来みづから筆を把て是等の苦海に堕落せざれば所以あ りけりと悟るに由なし。最烏許がましき説話なれども本伝は始より用意をさをさ加減あ り。廼水滸百八人の百を除きて八犬士あり。又加るに八犬女あり。且里見侯父子と丶大 と倶に一十九人。是を一部の主人公とす。か丶ればその人多からず又その人寡からず。 水滸の多きと西遊の寡きには似るべくもあらず。この余も忠臣義士はさらなり彼泛々の 者といへども始あれば終あり。中途にして立滅せし者一人としてあることなし。看官徐 に結局まで見ば作者の用意を知るよしあらん。 唐山元明の才子等が作れる稗史にはおのづから法則あり。所謂法則は、一に主客、二に 伏線、三に襯染、四に照応、五に反対、六に省筆、七に隠微、即是のみ。主客は此間の 能楽にいふシテ・ワキの如し。その書に一部の主客あり、又一回毎に主客ありて、主も 亦客になることあり、客も亦主にならざることを得ず。譬ば象棋の起馬の如し。敵の馬 を略るときはその馬をもて彼を攻我馬を喪へば我馬をもて苦しめらる。変化安にぞ彊り あらん。是主客の崖略なり。又伏線と襯染は、その事相似て同じからず。所云伏線は後 に必出すべき趣向あるを数回以前に些墨打をして置く事なり。又襯染は下染にて此間に いふしこみの事なり。こは後に大関目の妙趣向を出さんとて数回前よりその事の起本来 歴をしこみ措なり。金瑞が水滸伝の評注には▲(イトヘンに宣)染に作れり。即襯染と おなじ。共にしたそめと訓むべし。又照応は照対ともいふ。譬ば律詩に対句ある如く彼 と此と相照らして趣向に対を取るをいふ。か丶れば照対は重複に似たれども必是同じか らず。重複は作者謬て前の趣向に似たる事を後に至て復出すをいふ。又照対は故意前の 趣向に対を取て彼と此とを照らすなり。譬ば本伝第九十回に船虫媼内が牛の角をもて戮 せらる丶は第七十四回北越二十村なる闘牛の照対なり。又八十四回なる犬飼現八が千住 河にて繋舟の組撃は第三十一回に信乃が芳流閣上なる組撃の反対なり。這反対は照対と 相似て同じからず。照対は牛をもて牛に対するが如し。その物は同じけれどもその事は 同じからず。又反対はその人は同じけれどもその事は同じからず。信乃が組撃は閣上に て閣下に繋舟あり。千住河の組撃は船中にして楼閣なし。且前には現八が信乃を▲(テ ヘンに南)捕んと欲りし後には信乃と道節が現八を捉へんとす。情態光景太く異なり。 こ丶をもて反対とす。事は此彼相反きておのづからに対を做すのみ。本伝にはこの対多 かり。枚挙るに遑あらず。余は倣らへて知るべきのみ。又省筆は事の長きを後に重てい はざらん為に必聞かで称ぬ人に偸聞させて筆を省き或は地の詞をもてせずしてその人の 口中より説出すをもて脩からず。作者の筆を省くが為に看官も亦倦ざるなり。又隠微は 作者の文外に深意あり。百年の後知音を俟て是を悟らしめんとす。水滸伝には隠微多か り。李贄金瑞等いへばさらなり唐山なる文人才子に水滸を弄ぶ者多かれども評し得て詳 に隠微を発明せしものなし。隠微は悟りがたけれども七法則を知らずして綴るものさぞ あらん。及ばずながら本伝には彼法則に倣ふこと多かり。又但本伝のみならず美少年録 侠客伝この余も都て法則あり。看官これを知るやしらずや。子夏曰小道といへども見る べき者あり。嗚呼談何ぞ容易ならん。これらのよしは知音の評に折々答へしことながら 亦看官の為に注しつ。 予が毎に編る策子物語の写本はさらなり、彫果る折巻々を校閲せざることはなけれど刊 行の書肆として性急ならぬ者なければ作者のこ丶ろに儘せぬ事多かり。且その巻々は己 が綴れる文どもなれば眼に熟れてまだ忘れぬをなお幾回も読復せば誤写ありとても心つ かで暗記の随に読る丶から動もすれば検遺して後に悔しく思ふ事尠からず。総て刻本は 書画倶に人に誂へて板下にてふ物を調へぬれば筆その板下に訛舛なきことを得ざるな り。是に加るに▲(厥にリットウ)人の誤刀あり。半頁十一行なるも真名毎に傍訓あれ ば真名と仮名と二行になりて半頁二十二行に等しき。その文字幾百なるを知らず。然る を熟たる眼にて最も急迫しく校閲しぬれば検遺す誤脱多かりしを事過ぎたるは姑閣き ぬ。本輯上帙六巻にも筆工の誤写ありしを出販の後に見出しにき。そをひとつふたつ左 に録す。一の巻{廿八丁背七行}荊荷、当に荊軻に作るべし。荷は誤写なり。二の巻 {十五行背五行}正行、当に正儀に作るべし。六の巻{九丁背十行}雛肚、雛は皺のあ やまりにて筆工の手にたがへるを校閲の折検遺したり。この余てにをはの錯へるは輯毎 になきはあらず。第一輯は殊に多かり。啻この本文のみならず本輯上帙の引に孔子家語 を引て、有文事者必有武備といふべきを誤て文備に作れり。又第八輯の自序に荘子を引 て、名者実之賓とある、者の字を脱されたり。是より先にも自序に誤写あり転倒あるを 後に至て見出せしはいかにせん、悔ども及ばず。発販の後、その板に埋材などして彫更 るは六日の菖蒲十日の菊にて長視栄なき所行なれば梓行の書肆が歓ばず。承引ながら等 閑にて竟に果さずならぬは稀なり。遮莫その訛謬あるも多かる本文はさることながら漢 文の自序などは二三頁に過ざるに、そをしも校合のゆき届ぬはいかにぞやと思ふ人もあ るべけれど序目は巻々を稿じ果ていと後に綴りぬれば刊刻も随て最太う後れしを本文摺 刷の折などに急迫して校閲しぬるをもて熟読重訂の暇なければ二三頁の物といへども検 遺さざることを得ず。且出像などに至ては蛇足の為に動もすれば作者の画稿と違ふもあ れど改め画かせんはさすがにて、そが儘にして閣くも多かり。看官作者の苦界を知らね ばそも稿本の訛謬なめりと思はぬは稀なるべし。いにしへの人のいへらく書を校するは 風葉と塵埃にしも異ならず。随て払ひぬれば随て又これあり。書として孰か誤写なから む。況遊戯の策子をや。吾亦ふかく懸念せず。そは知る人ぞ知るべからむ。褒貶毀誉を 度外に置て具眼の指摘に儘すのみ。 予が著したる物の本、或は合巻と唱る絵冊子のふりたる板家扶を購求めて恣に画を新に し且書名を改めてそを新板に紛しつ丶翻刻して鬻ぐものありと聞にき。そは勧善常世物 語三国一夜物語化競丑三鐘などの事は嚮に本伝前輯の簡端に既にいへり。近属又括頭巾 縮緬紙衣三巻を重刻して椀久松山物語と書名を改め出像を新しくせしものあるを見き。 その書は文化三丙寅年書賈住吉屋政五郎の需に応じて世が綴りたるなれば今に至て三十 許年の春秋を歴ぬる旧作なれど知らざる人は惑されて新板ならんと思ふもあるべし。且 書名の更ざまも甚なる狡児の所為なりけん。椀久松山物語と改めしは作者の用意を得ぞ 知らぬ寔に烏許の点竄なるかな。夫椀久は▲(女に票)客なり又松山は宥恕なり。縦そ の小伝を為るともその書に命くべきものにあらず。是を作者の用心とす。か丶る意味だ もしらずして放なる更改は荘子に所云、倏忽が混沌を損ふと亦何ぞ異ならん。只是嗟嘆 に堪ざるものなり。又高尾船字文{中本五巻}は寛政七乙卯年予が始て綴し策子物語な ればいとをさなしとも拙くて今さらに又見るに得堪ず。嘔吐もしつべきものなるを去歳 の冬そを重刻して端像を新しくせしもの出たり。▲(しか)るもその翻刻本には再板と しるしたれば椀久松山物語のごとき世を欺くに優すよしあれども倶に作者に重刻の義を 告ず恣に画を更或は書名を更て窃に蝿頭の微利を欲するか。人を人とも思はざりける皆 是賈竪の所行にぞ有ける。よりていぬる比その再板本を予も閲せしに自序の落款にをか しき事あり。そは題於雑貨店帳合之暇としるせし是なり。雑貨は唐山の俗語にて此間に いふ高麗物の類なり。四十余年の昔といふとも予は高麗物を鬻ぎし事なし。便是当年の 洒落にて都て稗官者流の肚裏には種々無量の意材あり。譬ば雑貨高麗物の品類最も多き に似たれば扨云云としるせしが廼当時の洒落にて識者の笑を取る為なれども其も流行に 後れてはをかしからぬのみならで看官疑惑ふべし。然ば件の船字文は水滸焚椒録などを 此彼と撮合して綴做たるものながら四十年前の拙作にて疎文いふべうもあらざるを翻刻 して世に出されては穉き折せし手習葉子を老後に汝が手蹟ぞと売弄せらる丶に異なら ず。いと恥しきものにしあれば翻刻本は原刻と文の錯へるやさもなきや予はよみ見るも ▲(リッシンベンに頼)ければ古児琴嶺が在世の日今茲の春二三月の比にやありけん、 命じて旧本と比校させしに処々に誤脱あるのみ、大かたは違はずといひにき。よしや写 し僻めずとても今さら疎文をいかがはせん。看官これを思ひねかし。又大師河原撫子話 といふ合巻の絵策子も予が旧作にて今より三十一年已前文化二年乙丑の冬▲(田に井) 書堂が刊行せしを今亦画を重刻して新板の如くにしつ丶鬻ぐものありと聞にき。是等も 作者に告ざりければ思ひかけなく人伝に聞にき。この余も予はいまだしらぬ烏許の重刻 さぞあらむ。吾在世にすら書肆等が恣なる事かくの如し。なからん後はいかなるべき。 そも浮たる名の所以にはあれど、名を売らる丶こそうるさけれ。近世明和安永年間風来 山人{平賀鳩渓}が戯墨の策子太く世に行れしかば、その身後に至りても偽作せしもの 多く出たり。今をもて昔をおもへばわがうへにのみあらざりける。こ丶に虚名の昨非を 知りて嗟嘆のあまり懐を述たる吾ゑせ長うた反歌あり。こも亦要なきすさみながら録し てもて箴とす。歌にいへらく、 あだし世に あだし世わたる あだし名の あだにしたて婆 はづかしき こ丶ろあさ瀬の 水くきは ちびたる筆と すみ田河 いざこととはん 人しあれば なしとこたへて 夏の夜は ほたるあつめし まどの外に 杖をもひか伝 な丶そぢの 真金にあらぬ あだしふみ つづれさせてふ むしよりも はかなかりけり あめつちの むすびの神の あやまちか かくまでをこの しれ人を うみいだしけん ゆゑよしを いはまくすれど くちなしの 花のみめでて 山ぶきの 実のありとしも 得ぞしらぬ あだし世の人 あながまや あだしこの名を としあたま あだにしられし 身をいかにせむ 反歌 かくれてもなほあだなりきみの笠の名はあらはれしあめのしたはも 天保六年といふとしのはつきをまりふつかにしるしつ 蓑笠漁隠 八犬伝九輯序 懿哉八犬之英士起八方也▲(玄に少)哉一顆之霊玉護一身也仁義礼智救柔挫剛忠信孝悌 補君討讎抑〃離散有時行会有日八士不盍簪者殆二十余年終同帰一州而威名不朽然当時載 筆者未具粤肇有演義書是蓑笠翁所編述筆端波瀾与彼水滸三国演義拮抗自是書一出于世而 人人方知犬士所以為犬士可謂奇且盛矣余叨賦拙詩以為証詩曰 犬姓俊雄都八人 倶惟里見股肱臣 乾坤到処曾無敵 ▲(アシヘンに卓)▲(アシヘンに楽)蓑翁稗史陳 琴▲(タケカンムリに頼)閑人題 懿(よ)きかな八犬の英士、八方に起(おこ)れり。▲(玄に少/妙/みょう)なるか な、一顆の霊玉、一身を護る。仁義礼智は柔を救い剛を挫く。忠信孝悌は君を補い讎を 討つ。そもそも離散しつるを時ありて行きて会す。あるひと日く、八士の盍簪せざるこ と殆ど二十余年、終(つい)に同じく一州に帰す。しこうして威名は朽ちず。しかれど も当時に筆に載せるは、いまだ具(つぶ)さならず。粤(ここ)に肇て演義の書あり。 是、蓑笠翁の編述せる所にして、筆端波瀾、かの水滸三国演義に拮抗す。この書一たび 世に出て、しこうして人人まさに犬士の犬士たる所以を知れり。奇にしてかつ盛なりと 謂うべし。余は叨(みだり)に拙詩を賦して以て証と為す。詩に曰く、 犬姓の俊雄は都て八人。倶に惟、里見股肱臣たり。乾坤の到る処に曾て敵なし。▲(ア シヘンに卓)▲(アシヘンに楽)たること、蓑翁の稗史に陳ぶ。 琴▲(タケカンムリに頼)閑人題す −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 八犬伝第九輯中帙口絵 義顕於衰世之国孝出自忠信之家 ▲(頼のしたに鳥)斎散仙 義は衰世の国に顕(あらわ)る。孝は忠信の家より出(い)ず。 政木大全成嗣まさきだいぜんなりつぐ・安西出来介景次あんさいできすけかげつぐ・荒 磯南弥六ありそのなミろく 風さハく安房のありそのよひやみにしほみちぬらむちとりなくなり 玄同居士 (試記・風騒ぐ安房の荒磯の宵闇に、潮満ちぬらむ千鳥鳴くなり) 忠直無人助皇天錫慶祥 雷水痴叟 忠直に人の助けるなし。皇天の慶祥を錫(たま)ふ。 田税戸賀九郎逸時たちからとがくろうはやとき・天津九三四郎員明あまつくさしろうか ずあき ★忠直の者が苦況に陥るとは則ち、奸佞の者が大勢を占め権を握っている状況だという ことだ。当然として、忠直は孤立無援である。ただ天のみが扶ける 夏ころももえぎの麻のあさましやたかいつはりのもしと見すらむ 狂斎 里見御曹司義通さとミおんざうしよしみち・吾嬬前あづまのまへ ★試記・夏衣、萌葱の麻の浅ましや、誰が偽りの文字と見ずらむ なこの浦秋のとま屋になかむれば さハるものなき月のかけよし 雕窩老人 奥利狼之助出高おくりおほかミのすけいでたか・浅木碗九郎嘉倶あさきわんくらうよし とも・苫屋八郎景能とまやのはちらうかげよし ★那古の浦、秋の苫屋に眺むれば、障る物なき月の影佳し/影佳し→景能の賛。那古や 苫屋などの海に関する語彙を鏤める技巧 混混荒川智計広言行不濁称清澄 愚山人 混々たる荒川。智計広くして、行きて濁らず。清澄(せいちょう)と称(たた)う。 荒川兵庫助清澄あらかはひやうごのすけきよすミ・登桐山良干のぼきりさんはちよしゆ き・浦安牛助友勝うらやすうしのすけともかつ ★荒川清澄の賛 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百四回富山之余波 「老侯に謁して親兵衛神助を訟ふ 奇特に驚て刺客等各帰順す」 老侯杖を住めて四刺客の招を聴く 出来介・また五郎・くさ四郎・さくわん・しん兵衛・よしさね・かひ六郎・おち八 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百五回富山之余波 「各山霊有り枯樹復花さく 逃客路無し老侠俘を献る」 かきりあるさる世のつひのたき丶そとおもひしかれ木花さきにけり 花さきのうば・花咲の翁・親兵衛 ★試記・限りある然る世の終の薪ぞと思ひし枯れ木、花咲きにけり 山路に迷ふて南弥六生拘らる 花咲のおきな・なミ六・花さきのうば・かれ木にはなよめ・かれ木に花よめ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百六回大山寺春宵 「青海波を牽して景能稲村より来たる 黒闇夜を犯して曼讃信館山に赴く」 里見老侯嶮岨を凌ぎて富山峰上の観音に賽す てる文・かひ六・しん兵衛・よしさね・花さきノ翁 くわんおん堂 馬を走らして親兵衛星夜大山寺を出づ 親兵衛・花咲の翁 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百七回館城之着落 「犬江親兵衛活ながら素藤を捉ふ 里見御曹司優に陣営に還る」 館山の城に犬江親兵衛衆兇を威服す もとふぢ・ぐわん八・力士・親兵衛・わん九郎・ほん膳・ぼん作・力士・力士 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百八回館城之着落 「義成仁を旨として刑を寛くす 貞行主に謁して克を奏す」 義通に倶して犬江親兵衛賊徒を国守の陣営に牽く しん兵衛・もと藤・かげよし・よしみち・わん九郎・本ぜん・ぐわん八・盆作 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百九回妖怪之巻 「八百尼山居に敗将を誘引ふ 浜路姫病牀に冤鬼に魘はる」 人不入山に素藤妙椿に逢ふ もとふぢ・妙ちん 浜路姫の病牀に侍女等物怪を見て駭怕る はまぢひめ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百十回妖怪之巻 「反間の術妙椿犬江を遠ざく 妖書の▲(山に下に目、右に辛で両方の下に子/わざは ひ)仁妙真に辞別す」 みなか鳥安房のうらわのぬれきぬハあまが流せしうき名なるらむ しん兵衛よしなり ★試記・しなが鳥、安房の浦わの濡れ衣は、アマが流せし浮き名なるらむ/「み」は恐 らく「し」の転訛もしくは誤字ではないか。「しなが鳥」なら「安房」の枕詞として角 川文庫・万葉集一七三八にあり。海の歌に寄せ、あまは「海女」だが実は尼/八百比丘 尼を指す。「しなが鳥」は第九輯下套下引に載す篠斎の長歌にもある 今日相逢今日別難殫一語涙漣漣 しん兵衛・妙しん 今日に相逢うて今日に別る。一語を殫(つ)くし難く、涙漣漣たり。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百十一回館山後巻 「妖尼庭に衆兵を聚む 素藤夜旧城を襲ふ」 良干奮激して素藤を罵る おほかミの介・もとふぢ・妙ちん・ほん膳・わん九郎・ぼん作・ぐわん八・よしゆき ★よしゆきの鎧の胴に花桐の紋。当初は信乃の紋であった筈だが、信乃は五三桐を用い るようになっている 逸時景能脱虎口はやときかげよしここうをまぬかる かげよし・はやとき −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百十二回館山後巻 「君命を稟て清澄再叛の賊を伐つ 機変を旋して素藤牛狼の囚を易ゆ」 魔風を起して妙椿清澄を破る 妙ちん・もとふぢ・ぐわん八・友かつ・きよすミ・はや友 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百十三回妖怪後巻 「三▲(カクシガマエに今)の瓶里見侯を醒す 一級の首南弥六を愆つ」 善悪も知らず三人烏夜に挑む かたゐ・はまぢひめ・妙ちん・なミ六 ★富山の方から犬に乗ってきた女性は、恐らく伏姫だろう。親兵衛を連れ去ったときと 同様だ。が、同様ならば妙椿を雷の一撃で片付けることは出来なかったのか。まだ討つ べき時ではないと判断したのか 南弥六義侠素藤を撃つ この処の本文ハ第百十四回の初段に見えたり わん九郎・まか六・しやがん太・なミ六・本ぜん・でき介・ぼん作・ぐわん八・狼之 介・もとふぢ・偽清澄の首級・妙ちん −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百十四回釈疑之巻 「義侠元を▲(ヤマイダレに狭のツクリの下に土)て廓名を遺す 神霊魔を懲して処女 を全す」 千慮の一失里見侯重て開悟す よし成・あづまの前 怕崇軻遇八換首級た丶りをおそれてかぐはちしゆきうをかふ かぐ八 霊狗庭に浜路姫を将て還す はまぢ姫 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第百十五回遭際之巻 「前面岡に大刀自孝嗣を救ふ 不忍池に親兵衛河鯉を釣る」 刃を住て谷中二大刀自に謁 えびらの大とじ・谷中二・たかつぐ・せん作・しん兵衛 不忍の池の畔に孝嗣親兵衛と戦ふ まさ木・たかつぐ・しん兵衛
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