●長編 #0099の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「芙美? 久しぶり」 「おー、久しぶりじゃない、純」 電話を掛ける前まではどきどき胸が鳴っていたのだが、声を聞くと一安心。 最近あったことをお互いに喋って、学校の勉強や、中学時代の友人について まで話は及ぶ。 タイミングを見て、純子は本題の一つ目を切り出した。 「それでね、芙美。遅くなっちゃったけど、唐沢君のこと……」 「あー」 そう反応したきり、町田は黙った。どうだった?とも言わない。純子は一度 唇を噛みしめ、なるべく感情を交えず、事務的に報告しようと心掛ける。 「唐沢君に直接尋ねることは、やっぱりできなくて」 「当然よ、とーぜん」 照れや恥ずかしさがあるのか、町田は自分自身のことにも関わらず、軽い調 子で茶々を入れる。 「それで、できる限り、唐沢君の態度に注意してみたんだけれど」 「うん」 「その……今年に入ってしばらく女の子とデートをするのを抑え目にした様子 があったんだけど、一時的だったみたい。バレンタインデーの頃を境に、よく 出掛けている感じなの。芙美も、隣なんだから、気が付いてるかもしれないけ れど」 「ううん、全然。ここんところ、ちょっと、意識的に避けてるからさ」 「芙美……」 「そんな声出さないでよー。時間的な問題もあるんだから。部活が忙しくなっ てきて」 純子は安堵すると、次に反省もした。逆に気を遣われてどうするの。 「そ、それでね、グループデートしていた女の子達の何人かに、それとなく聞 いてみた。どんなつもりでデートしてるのかなって」 「おおっ、結構大胆な行動に出たわね、純にしては」 「だ、だって、見てるだけじゃさっぱり分かんないだもん。どんな返事だった か、気にならないの?」 「なる」 「他に相手がいないからとか、唐沢君だと気軽に付き合えるからとか、単純に 遊びと割り切っているとか。唐沢君自身も、真面目なお付き合いじゃなく、遊 びだって予め断ってるらしいわ」 「ははは、相変わらず、いい加減なんだから。だいたい、集団デートしてるん だから、本気じゃないのは分かり切ったことだっての!」 「ご、ごめん」 突然の剣幕に首をすくめた純子だったが、送受器の向こうで、町田はからか らと笑った。 「純に言ったんじゃないよ、唐沢の奴に言ってやったの。まったく、しょうが ない奴」 唐沢を悪く言うのはいつもの町田であるが、無理しているようにも聞こえる。 純子は前から尋ねたかった質問のカードを開くことにした。 「……ねえ、芙美。一つ、教えてほしいことがあるんだけれど、怒らないで聞 いてくれる?」 「怒んないわよ」 「鈍感な私が言うのはおかしいんだけれど……今までに芙美の方から、唐沢君 に想いを伝えたことはある?」 「おもいって? ヘヴィウェイトってこと?」 ふざけないでと注意したくなるところをこらえ、純子は辛抱強く言葉を重ね た。真面目な話をしているのだから、ペースを乱さないようにしなければ。 「唐沢君に、好きだって告白したことは?」 「――ないわよ。あるわけがない」 間があったものの、断固とした返答ぶり。純子は眉根を寄せていた。 「あるわけないって、どういう意味よ」 「好きじゃないから……っていうのは嘘か」 苦笑めいた声がこぼれてきた。 「好きになろうとしているのに、なれないって感じかな」 「嫌いじゃないよね?」 「え? え、ええ。そりゃまあ……口ではひどいこと言ってるっていう自覚あ るんだけどさ。本心から嫌ってるわけじゃないわよ。嫌いだったら、小学校に 入る前からの縁を、とっくに切ってるところ」 今日の町田は、割合素直なようだ。照れ隠しの節はあっても、自身の気持ち に正直に、受け答えをしている。純子は意を強くし、以前から思っていたこと を口に出した。 「一度、芙美の方から言ってみない?」 「悪口なら顔を合わせる度に」 分かっているくせして、はぐらかしている。純子は声を大きくした。ここは はっきり注意しなくちゃいけない。 「芙美。真剣に聞いて。お願いよ」 「……あのさ。純が心配してくれてるのはよく分かるし、感謝の気持ちでいっ ぱいだけど」 町田は間を取った。深呼吸らしき音が聞こえる。 「私の方からは言いたくない」 「それは何故?」 「今さらってのもある。今さら言っても、向こうは鼻で笑うだけだろうってね。 予感がある」 「そんなこと」 「ないって言い切れる?」 「そ、それは言い切れない、けど……」 しゅんとなってしまった純子。「けど」とつないだものの、あとに列ぶ言葉 がない。 「でもまあ、きっと純のおかげだなあと思っているのよ、私」 話の唐突な展開に着いていけず、純子は送受器を握りしめ、首を傾げた。続 きに耳を澄ます。 「唐沢の奴が、女の子との付き合いを真面目に考えるようになったのは、純が 現れたおかげ。それだけあいつ、あなたに惚れてたもんねー」 「ふ、芙美っ!」 「焦りなさんなって、これくらいのことで。――だから、私は待とうと思う」 「待つ?」 「どうせこれまで続いた腐れ縁、そう簡単に切れはしない。あいつも恋愛を真 剣に考えるようになって、もしかするとね、こっちに振り返るかもしれない。 その振り返った一瞬を逃さず、掴まえてみようかなっと」 純子は内心、意外に感じていた。こんなにかわいらしいことを口にする町田 は、初めてだと思う。 「芙美、応援する。きっとあるわ、振り返るとき」 「ども。嬉しいよ」 囁きめいた返事をしてから、町田はトーンを変えた。 「この話はこれまで! まだ大丈夫、時間?」 長話を気にするなんて珍しい。これもまた初めてかもしれない。 純子が肯定の返事をすると、町田はそれならと前置きし、始めた。 「多分、純にとってもグッドニュースだと思うから知らせておくわね。郁にボ ーイフレンドができた模様」 「郁江に? よかったあっ」 瞬く間に、胸のつかえが取れたような気分に染まる。富井にボーイフレンド ができたと聞いただけで安堵するなんて、自分勝手だと思う。けれど、祝福し てあげたいのもまた確かな本心。 「早とちりしちゃだめ。まだ正式な恋人っていう存在じゃないらしいの、あの 子の弁によると」 「え……じゃあ、文字通り、ボーイフレンドっていうわけね」 「そうみたい。男子の友達」 「芙美は会ったことあるの、その人と?」 「ないない」 電話口、立てた片手を顔の前で振る町田の姿が想像できた。 「会わせてくれないのよね、これが。私が教えてもらったのは、名前と学校と 知り合ったきっかけ」 「違う学校の人なんだ?」 「当ったり前でしょうが。郁んとこは女子校だっての。女子校で男を探すとな ったら、教師ぐらいしかいないよ」 「あ、そうか」 変に盛り上がって、笑ってしまった。 「ま、そーゆーような状勢なんだし、郁や久仁も含めて、また会いたいね」 町田の提案にはもちろん一も二もなく賛成。そこで思い出したことがあった。 「小菅先生のこと、聞いてない?」 「小菅先生って中学のときの国語の? ううん、何だろ? 心当たりないよ」 「もうじき、おめでただって」 「へえー。小菅先生に子供がねえ。そりゃ本当におめでたいわ」 「それでね、生まれたら会いに行く約束をしてて」 「会いに行くって、小菅先生に?」 「先生と赤ちゃん、それにご主人にも」 「いやまあ、そりゃそうだけど。あー、私の中では、赤ちゃんてのは会いに行 くというよりも、見せてもらうって感覚だったから。純は区別しないんだ。凄 いわね」 「普通だよー。それよりも、みんなで一緒に行かない? 唐沢君も一緒になる と思うけど」 「いいねえ。みんなで押し掛けて、お祝いしてあげましょうっ」 唐沢も来ると言ったのを、まるで気にかけていない様子。それはそれで純子 としても気遣いをせずにすむから助かるのだけれど、全くの無反応はかえって 恐くもあるような。 ともかく、見通しが立ったら連絡するからと約束して、電話を終えた。 テレビアニメの主題歌の仕事が終わり、純子はレコーディングスタジオをあ とにすると、鷲宇が用意してくれたワゴンに飛び乗った。と言っても、これで どこかに行こうというのが主目的ではなく、着替えのため。いや、着替えでは なく、変身か。 「できた?」 「できました」 運転席に座る鷲宇は返事を聞くと、車を発進させた。 車内の前部と後部とを仕切っていたカーテンを引き、純子が顔を覗かせると、 ルームミラーに目をやって確認する素振り。 「ハンサムな男の子の一丁あがり、って感じだね」 「板前さんの料理じゃないんですから……」 久住淳に扮した純子は、苦笑いを浮かべた。 ――純子こそが久住なのだから、扮するとは誤った表現だ。同様に、一丁あ がりというのもちょっと違うような。 「星崎君とは久しぶりだったよね?」 「はい。まあそうですね」 これから星崎に会いに行く。食事を兼ねて、募金への協力依頼である。とは いえ、すでに協力の確約をもらっている。食事をしたいといったのは、星崎サ イドである。 「ばれないようにね」 「え? そんなに危ないですか」 指摘に慌てて自らを見下ろす純子。さらに鏡を手に取り、映った顔を覗き込 む。 「見た目はそれでいいんですよ」 いつもの微妙な丁寧調が顔を出す鷲宇。 「仕種がね。どんどん本来の君が出るようになっているから、注意した方がい いでしょう」 「そうですか……」 自覚はないが、鷲宇の言葉なら確かだろう。相羽と付き合うようになったか らかもしれない。 「ただ、注意しても、もう隠せないかもしれないな」 信号待ちの折に、鷲宇が振り返り、指差してきた。不安に駆られる。 「どういうことでしょう?」 「うん? そのままの意味ですよ。多分、涼原さんは女の子から女性になって いるところじゃないかな」 「……」 「女性らしさって、内面から自然と漂ってくるものだと思う。意識的にコント ロールするのが難しい年頃になったってこと」 「そろそろ潮時、ですか」 期待半分、不安半分で聞き返す。久住を早く引退させたい気持ちは前から持 っているけれど、今辞めるわけにはいかない。少なくとも、吉川美咲が手術を 乗り切り、無事退院するまでは保たせなければ。 「別にそうは考えてない。何なら、女だと公表して活動を続けてもいいんだし ね」 「また無茶苦茶を……」 「本気ですよ。正体を明かすなら、芸能人水泳大会に出場を依頼されたときだ なと思ってるくらいだ。ははは」 (鷲宇さんたら、他人事だと思ってる〜) 身を乗り出すのをやめ、座席にもたれ掛かる純子。口にしないのは、相変わ らずなんだからとあきらめの境地にいるからだ。 (でも、本当に水泳大会には出られないわよね。水泳パンツ一枚で出られるは ずないんだから。何て言って断るのかしら。新人がむげに断ると、目を着けら れるとかあったりして……) あるかどうかも分からない将来のことに悩み、思いを馳せる。 やがて待ち合わせ場所である寿司屋に着いた。純子は今一度身なり、特にか つらの具合をチェックしてから、車を降りた。 「先に来られているはずだ」 敷居が高そうな、しかしこじんまりとした感じの店に入ると、鷲宇の言葉通 り、星崎とそのマネージャーである柏田翔子の姿が奥の席に見えた。カウンタ ーではなく、四人掛けのテーブルだ。他に客の姿はない。店の者に言って、席 に着く。 「お待たせしました」 「お久しぶり」 等と挨拶を交わすと、店の雰囲気に飲まれた純子の緊張を見て取ったのか、 星崎が優しい口調で声を掛ける。 「これで二回目だね。約束を果たすために、寿司にしたんだけど、気に入らな かったかい?」 「い、いいえ。でも、約束って……?」 以前、誘われたときの経緯をすっかり忘れている。星崎から説明されて、や っと思い出した。そのときは、寿司か焼き肉にしようと誘われたのだが、実際 はステーキだったのだ。 「あのことを気にしてたんですか」 「あともう一回、焼き肉に付き合ってもらおうと思ってる」 呆れて、口をぽかんと開ける。やがて気持ちがほぐれて、笑顔になれた。 「せいぜい、太らないように気を付けないと」 「僕は君のたくましく育った姿が見たいんだけどな。ほら、じゃんじゃん注文 して、どんどん食べて」 お品書きを示す星崎。当たり前のように値段が記されていない。 「こういうところ初めてですから……」 何か店独特のルールがあるのではないかと警戒して、注文を出せない。 「それなら、変に珍しい物に手を出すより、ポピュラーなネタから始めればい い。物が違うって分かるから」 「はあ」 そう促されても、この四人の中で最年少かつ唯一の未成年である自分が率先 してリクエストをするのも気が引ける。 結局、お任せにした。 ぽつぽつと寿司が運ばれる中、鷲宇と柏田は最終確認のようなものを言葉で 交わし、互いに手帳にメモをした。これで募金協力依頼の話はすんだらしい。 思い出したかのように、柏田が付け加えた。 「ご存知かもしれませんが、加倉井舞美さんも協力したいと話していました」 「初耳です。ありがたい」 加倉井の名が出て、純子は嬉しくなった。きつい感じがして苦手だけど、尊 敬できる先輩でもある。そんな加倉井が募金に力を貸してくれるというのだか ら、感謝の念がまた一段階強まった。 募金の話が終わると、場はしばし静かになった。だがやがて鷲宇が柏田に、 あれこれと質問を投げかけ始めた。芸能界の動向を探るような質問ばかりで、 どうやら鷲宇は情報収集をしておきたいらしい。 一方、純子と星崎は、静寂を保っていた。話題がない訳ではないが、雰囲気 に飲まれたままの純子は口数も少なく、とりあえずいつものように「いただき ます」とやって、箸をのばす。食べていれば無理に喋らなくてもいいだろう。 実際、この店の寿司は美味しくて、最初の三つは感想も忘れて味わってしまっ た。 はっと気付いて面を起こすと、正面の席で星崎が目を丸くしつつも笑ってい た。彼の方は、日本酒に口を着けたところだ。 「飲み過ぎると、よくないって言いますよ。星崎さん一人の身体じゃないんで すから」 今の自分は男なのだから、多少がつがつしていても、恥ずかしがるのは不自 然。それを表情に出さないためにも、純子は機先を制して言ってやった。 「お気遣い、どうも。飲み始めたばかりで言われるとは、参ったな」 「だって、この前会ったときも飲んでたじゃないですか」 「この前? いや、この前は飲んでなかった」 「ええ?」 断言されて、逆に純子は焦った。 (もしかすると勘違いした? 久住じゃなく風谷美羽として星崎さんに会った ときとごちゃ混ぜになって……そうだとしたらまずいわ!) 戦々恐々。口元が強張る。迂闊に返事できない。 黙り込んだ純子に対し、星崎は記憶を掘り起こす風に目線を下げ、じきに戻 した。 「うん、間違いないよ。君と最後に出会ったのは、映画の舞台挨拶のときだか ら、飲んでなかったはずだ」 「あ。そ、そうですね」 ほっと胸をなで下ろす。封切りの日に舞台挨拶をしたことを、すっかり忘れ ていた。 「いつも飲んだくれてるわけじゃないってこと、分かってくれたかい?」 「それはもう、最初から分かってますよ。でも、星崎さん、お酒には強くない 方なんでしょう? 柏田さんも仰ってましたよ」 「あれ? そうなのか」 マネージャーへと振り向く星崎。柏田は伏し目がちにしながら、寿司を淡々 と口に運んでいた。 「心配ですからね。酔って醜態を晒されると困るし。あなたと親しい方全員に、 釘を差してもらえるよう頼んでいるのよ」 「なるほど。マネージャーの鏡」 星崎は自嘲気味に言って、首を左右に振った。手元の杯を早々と空にすると、 「今日はこれだけにしておくよ」と付け加える。 「歌手活動も続けるのなら、それが賢明だろうね」 鷲宇が口を挟む。彼自身は割と飲む方であるようだが、不思議と喉や体調面 に悪い影響が出ない質らしい。 「ああ、そのことでお話が」 ちょうどいいタイミングを掴まえたとばかり、星崎が軽く片手を挙げる。だ が、その口から語られたのは、対照的に真剣なものだった。 「僕の歌手活動に関することです。正直な気持ちを白状すると、行き詰まりを 感じています。マネージャーを始め、プロダクションの人は肯定しませんけれ どね」 「売れてるからよ、実際問題として」 柏田はあらかじめ知っていたのだろう、星崎の話に驚くでもなく、止めるで もなく、ただ反対意見を口にした。そこへさらに反論をぶつける星崎。 「売れるのはいいけれど、売れればいいというのは、好きな考え方じゃない。 満足の行く歌を唄いたい」 「主義を主張するのも結構だけれど、手短に頼もうかな」 そう言った鷲宇は黒っぽいネタの載った寿司を口に入れると、お茶で流し込 んだ。車で来ただけに、お酒は控えている。 「それではお言葉に甘えて単刀直入に……。この僕に曲を作ってください、鷲 宇さん。お願いします」 頭を下げることはしなかった。真摯な眼差しが鷲宇を捉える。 「手短すぎるようだ」 苦笑いを浮かべた鷲宇。 「歌手活動に行き詰まりを感じた君が、どうして?」 「色んな人に曲を書いてもらって来ましたが、これだっていうのはなかった。 自分でやってみようとしたけれど、それもうまく行かなかった。でも、鷲宇さ んなら、僕にぴたりとはまる曲を作る。そう信じているんです」 「根拠もなしに?」 「具体的なものはありませんが、以前から感じていたことで……久住君の曲を 聴いて確信を持った」 星崎の視線が純子の方をちらりと向く。突然自分の名前が出たので、純子は 反射的に鷲宇を振り返った。 星崎は熱を帯びた口調で続けた。 「彼の声の質に合った曲であることはもちろんですが、ええっと、どう言えば いいのか……歌、曲が久住淳を表現している。そんな気がする」 「高く買ってくれて、嬉しいね」 本気なのかどうか、鷲宇は感謝の意を表した。顔つきはわさびが効きすぎた みたいに厳しい。 「久住君にぴったりの曲を作れたのは、彼がまっさらの状態の段階で出会い、 育てたと言ったらおこがましいが、その力を引き出し、伸ばしたからなんだと 僕は考えている。星崎君の願い、これまでのこともあるし、引き受けてあげた いところなんだが、君の声はすでに完成されている。今から僕好みに仕立て直 すのは、ちょっと無理だ」 「……」 「無論、曲を書いてあげることはできる。ただし、その曲が、星崎譲その人を 具現化したような仕上がりになる責任は持てない、という意味だよ」 「それは、僕が求める物じゃありませんね……」 落胆が露な星崎。しばらく俯いていたが、やがて起こした表情は、意外にさ ばさばしている。それから柏田に上半身ごと顔を向け、肩をすくめた。 「打開策はないみたい。俳優に専念させてくれないかな」 「俳優一本に絞るんだったら、今以上に本格的に勉強しないと、いずれお声が 掛からなくなるわ、恐らく。前にも言った通り、今のあなたにはその勉強をす る時間が取れないのだから、無理な相談よ」 「歌を減らしてくれれば、解決可能な問題だと思うんだけどな」 ないものねだりと自覚しているからか、星崎は投げ遣りな口調で言った。 人それぞれ、悩みを抱えてる――純子は改めて感じた。 (私もモデルだけにしたいけれど、そうできない。似てる。でも、理想とする 仕事像がない分、星崎さんよりも気楽かな。与えられたものをこなすだけで精 一杯っていうだけなんだけれど) 「鷲宇さん。どうにかならないんですか」 差し出がましいとは思いつつ、鷲宇の袖を引き、小声で頼んだ。 「彼の希望に添う形では無理だよ。理由はさっき言った通り」 「だけど鷲宇さんは、私、じゃなくて、僕ですらちゃんとした歌手にした、天 才じゃありませんか」 「天才とは、また面白いことを」 口元を拳で隠す鷲宇。吹き出さないように我慢している様子だ。星崎と柏田 は互いのやり取りに意識が行って、聞こえていないらしい。 「その鷲宇さんなら、できないはずがありません。信じてます」 「おだててもだめですよ、久住君」 「おだててるんじゃない、本心です。星崎さんのために、何とかしてあげて」 「……ふむ」 純子が真っ直ぐ見つめると、鷲宇は目をそらし、顎に手を添えて考えるポー ズ。この頃には星崎達の会話も途切れ、鷲宇に注目していた。 「星崎君」 「何でしょう?」 「君の言ったままの期待には添えないが、一つ、案がある。それでもかまわな いのなら、曲を書こう。僕自身、やってみたい気持ちが強くなった」 「ぜひ。詳しくお話を聞かせてください」 喜色を取り戻し、卓の上に身を乗り出す星崎。 純子は星崎の元気回復にほっとすると同時に、鷲宇の意志が案外簡単に翻っ たことを、少なからず訝しんだ。どんなアイディアを思い付いたのか、とても 気になる。 と、鷲宇の横顔を窺っていた純子に、当の鷲宇が向き直った。思わず、胸を 反らす。 「詳しくも何も、まだこちらの承諾をもらってないんだがね」 鷲宇が純子を指差した。「え?」「え?」と声が連なる。 「ぼ、僕と関係あるんですか」 自身を指差す癖をこらえながら、純子は尋ね返した。 「関係大ありだよ。君と星崎君とで、ユニットを組むんだ」 「ユニットって……二人で唄うってことですか!」 予想を遥かに超えた展開に、純子は叫んだあと、絶句してしまった。 一方の星崎は、同じく驚きはしていても、悪い気はしていないらしく、むし ろ乗り気である。 代弁する形で、柏田が言った。 「大変興味あるお話ですわ。異論はありません。こちらから頭を下げてお願い したいほど。前向きに検討していきましょう」 「そちらの社長さん達の意向を確かめなくても?」 「OKに決まってます。万万が一にも反対するようなら、私が説得します」 「では、決まりということで。それでいいね?」 星崎、純子の順番に目を向ける鷲宇。 「よろしくお願いします」 星崎が即座に返答した。純子にはもはや、選択の余地がないではないか。 (一緒に食事するだけのはずだったのにーっ!) じろっと横目で睨む。睨まれたと気付いた様子の鷲宇は、そっぽを向くと、 「この煮穴子は絶品だね! 新たに四かん、頼もうかな」 と、カウンターへ声を掛けた。 憂鬱だった。期末試験が近いというのに、勉強が思ったほどはかどっていな い。加えて、先日急遽決まった新しい仕事も、純子を悩ませる。 (星崎さんとユニットだなんて、大丈夫なのかなあ) 机に広げたノートに、意識が向かない。両頬杖をついて、ため息混じりに考 え込む。 (以前やった鷲宇さんとの共演なら、鷲宇さんも久住が女だと分かってやって くれたから、どうにか格好がついたけれども。星崎さんは男だと信じて疑わな いだろうから、当然、動きも激しくなりそう) 星崎のこれまでの歌の振り付けを思い浮かべ、憂鬱さの度合いが深まる。同 じ動きをこなさなければならないとしたら、着いていけるだろうか? (それに、長時間、同じステージに立つとしたら、いくら何でも気付かれない かしら? 映画と違って、多分、常に隣り合わせなんだもの。ばれたら、星崎 さんでも怒るだろうなあ。ううん、怒る怒らないの問題じゃなくて) 「涼原さん。次、問の十八を」 神村先生の声が聞こえたにも関わらず、純子はそれが自分のことだと理解で きなかった。耳を素通りした感じ。 (正体ばれたら大騒ぎになる。そう、それに今は絶対にばれちゃいけない。美 咲ちゃんの手術が終わって無事に) 「涼原さん、聞いてますか?」 「――はいっ、僕ですか?」 派手に音を立てて椅子から立つ。と、自分の失敗に気付いて、顔がいっぺん に火照る。久住淳でいる気分になっていた。 「『僕』とは、随分ボーイッシュな言葉を」 先生の台詞は、教室全体で噴出した笑い声にかき消された。俯いたまま面を 上げられない純子は、「すみません……」とか細く言うのが精一杯。 先生は皆のざわつきがだいぶ落ち着いてから、純子に向かって口を開いた。 「別にどんな一人称を使おうとかまいやしない。当面の願いは、問十八を解い てくれることだよ」 「問十八……?」 宿題の答合わせをしていたこと自体、すっかり忘れていた。試験前の特に大 事な時期、多くの者は真面目に取り組んでいる。 「どうやら聞いてなかったな。放課後、職員室に来るように。二十分ほどお説 教だ。ただし、問十八の答が合っていれば、半分の十分に減らそう」 「はぁい。分かりました」 幸か不幸か、本日の放課後は多少の余裕がある。うなずくと、ノートを手に して、教室の前にしずしずと進み出る。「僕」と口走ってしまった失点を重ね ないよう、せめて女の子らしく。 この数学の宿題は、相羽の助けもあって、きちんとこなしてきたつもり。何 せ、担任教師の授業だ。モデルなどの仕事を咎められないためにも、成績を落 とせない。 「……ふむ。説教は十分に決定だね」 答合わせの方は、どうにか丸をもらえた。 「お疲れ?」 休み時間になると、結城が心配したのか、そんな風に声を掛けてくれた。 机に伏していた純子は顔だけ起こして、間延びした調子で応じる純子。 「うーん、そうかなー。精神的に。憂鬱なのー」 「芸能界の先輩にいじめられたとか?」 「違う違う。やることがいっぱいあって、手が回らない感じ。勉強とかは後回 しになっちゃう」 「大変そうだねえ。私なんか、同じやることがいっぱいあると言っても、遊ぶ のに忙しいってやつだから」 「私もよ。もっと遊びたーい」 「ははん。それって、相羽君とデートしたいと同義語?」 まん真ん中の図星に、純子は話を違う方向に持っていく。 「あ、マコ。遅くなったけれど、例のサイン、何とかなりそうよ」 純子が言うと、相手は手を合わせた。他の人に聞きつけられるとまずい、そ んな意識からタレント名は口にしない。 「ほんと? わぉ。期待しちゃうけど、いい?」 「うん。多分、大丈夫」 蓮田秋人もまた美咲の募金に協力してくれることになり、再び会える手筈が 整ったのだ。その際に正式にお願いしてみよう。鷲宇を通してサインがほしい という話自体伝わっており、それに対する反応の好感触からの太鼓判だ。 「春休み中に何とかするから、できるだけ時間、空けておいてね」 「うんうん。出掛けるにしても、おばあちゃんとこに行くぐらいだろうから、 問題なしだよ。お礼に、もう一回、募金しちゃおうかな」 募金は学校側の承諾をもらって校内でもすでに行った。都合四日間。純子自 身が集計に携わるわけでないし、正確な数字はまだ出ていないが、Tシャツや ワッペン等のグッズとの交換形式も選択可能というところが受けて、かなりの 額に達する見込みと聞いている。 「そんな。そういうつもりでサインのこと引き受けたんじゃないし」 「気にしないの。その美咲って子にとっちゃ、少しでも多く集まった方が心強 いでしょ。微力ながらお手伝いさせてもらいまっす」 「……うん」 「しんみりしない!」 鋭い口調で言われ、おでこの前に人差し指を当てられた。そのままぐりぐり と押さえられそうな予感がして、慌てて上体を起こす。 「私が言ったタイミングも悪かったかな。サインと募金は無関係。私は私の意 志で、二度目の募金をする。どう?」 「うん、分かった。ありがとう」 「よしよし」 頭を撫でられてしまった。しかし、悪い気はしない。自然と笑みがこぼれた。 そして、仕事上の困難が少し増したくらいで気苦労を感じていてはだめだ、 と自分を引き締めた。 ――つづく
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