●長編 #0058の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
その口調は実際に笑いを含んでいた。何と言って反応していいのか分からな い。ただ、心中では大きくうなずいていた。 (やっぱり! 芙美も多分、唐沢君のことが……) そこまで考えて、分からないことがふっと浮かんだ。首を捻る。 (じゃあ、どうしてそのとき、うまく行かなかったの? 唐沢君の性格なら、 告白しないなんてことないと思うんだけど) こちらから尋ねなくても、町田は疑問に答えてくれるだろうか。そこまで求 めるのは、よくないことかもしれない。 しかし、町田は全てを話してくれた。 「昔……と言っても、小学校に入るか入らないかの頃なんだけどさ。ああ、入 学前かな。小学生になってからは、学校が違ってたから。それとも上がってか らかも。その方が人間関係が少しでも広がる……。まあ、そのぐらいの年齢の ときから、あいつはもててたわけ。今と全然変わんない。私は私で、そんなあ いつの様子を端から見てた。冷ややかな目でね」 当時を思い出したらしい町田は、何故かくすくすと笑う。それをこらえて、 話の続きに取り掛かる。 「一緒に遊ぶことはあっても、あれの女付き合いだけは軽蔑してた。あいつの 方は、なびかない私を癪に感じたのか、自分がもてるところを見せつけようと するの。笑っちゃうわ。それでも無視してたら、ある日、あいつからこんなこ とを言い出した」 「うん」 重要な場面に差し掛かった。そう感じて、相槌を打つ純子。 町田はまたも深呼吸をした。 「『今、俺に告白すれば、付き合ってやっていいぞ』って。六、七歳の子供の 言う台詞じゃないわね。あはは」 「……芙美」 「全然似合ってないの。ほーんと、今思い出しても笑っちゃう」 「芙美。話してくれて、ありがとう」 「へ?」 「そこまで包み隠さず話してくれたんだから、お願い、最後まで真面目に行こ うよ」 「そうだね」 けろりとした口ぶりで、町田。早く止めてほしかったのかもしれない。 「唐沢君からそう言われて、芙美はどうしたの?」 「私は……まともに受け取らなかった」 さばさばした調子になる。純子は町田の心の安定を待った。 「本気で受け取るにしてはふざけた言い種だったし、逆に冗談で言ったのなら 許せない台詞だわ。それに、まだまだ小さな子供だった。だからね、私はきっ ぱり言ってやったの。――純、耳を離してね」 え?と聞き返す前に、察した純子は送受器から顔を遠ざけた。 すう、と息を吸い込むと、町田は芝居気たっぷりに声を張り上げる。 「『こっちこそ、あんたになんか頼まれたって、付き合ってあげるもんか! ばーか!』……っていうのが私からの返事だったのよ」 「芙美、ついでにストレス発散してない?」 「まあ、そんなつもりがないわけでもない」 しれっとして言うと、一息ついて苦笑する町田の仕種が感じ取れた。純子も、 呆れつつも笑みを作る。 「怒った、純?」 「まさか。芙美が思ったより元気そうで、ほっとしてる」 「いや、私は最初から元気なのよ。唐沢のことで落ち込んでいたんじゃなくて、 何ていうか……悩んでただけ」 「うんうん」 「今さらねえ、初恋の相手はおまえだった、あれは本気だったと言われてもさ。 どうすりゃいいのって感じよ。あいつも何を考えてるんだか……。それでね、 あいつがどうしてるかなあと思って、あなたに電話してみた。ひょっとしたら 私とのことを純に話したかも、とか考えっちゃったり」 「ううん。初めて聞いた」 応対しつつ、町田の話ぶりから純子は思った。 (唐沢君から打ち明けられたとき、芙美はきっと、また笑い飛ばしたのね。冗 談にしてしまおうとして。困ったもんだわ……って、私も人のことを全然言え ないか) 右頬を指先でかく。 「学校で唐沢君に会ったら、注意して見てみるわ」 「う、うん。お願いね。あー、そんな真剣にやんなくていいから。思い出した ときに、純に暇があればで充分」 町田の照れが、回線を通して伝わってくるようだ。純子は思わず微笑ましく なった。 「うふふ、分かった」 * * 闘う前に、対戦相手とひょっこり顔を合わせてしまうというのは、あまりい ただけない状況ではある。 相羽も、角を折れたすぐ先に津野嶋の姿を見つけたとき、どうしたものかと 走る速度を落とした。どうやら向こうも相羽と同じく、調整のトレーニング中 らしい。Uターンしようにも、すでに相手と目が合っている。このまま、黙っ てすれ違うのが適当かなと思った。 しかし、そのすれ違いの瞬間、意外にも津野嶋の方から声を掛けてきた。た めに、足を止めざるを得なくなる。 「ちょうど十日後だな」 「そうですね」 「その丁寧な話し方、やめてくれよ。やりにくくて仕方がない」 ジャージを着込んだ津野嶋は、両手を腰に当て、白い息を吐いた。一方の相 羽は少し考え、 「これは相手を油断させるための作戦――かもしれない」 と、とぼけた調子で応じてみた。 「……はははっ。なるほどな!」 本当におかしかったのか、豪快に笑う津野嶋。 「それにしても奇偶だな。こんな道端で、対戦相手とすれ違うなんて」 「津野嶋さん、それこそ心理戦でしょ? ロードワークの距離を伸ばしてまで、 こちらに来たんじゃないんですか」 「ふふ。どう受け取ってもらってもいい。今、自分の頭の中にあるのは、今度 こそ君を完全に倒すことだけだ」 相羽は思わず、反論しそうになった。 (今度こそって、これまで二度負けてるのは、僕の方だ) だが、津野嶋の気持ちも理解できなくはなかったから、敢えて口に出さずに おく。 「相羽、君も全力を尽くすと約束してもらわないと困る。二度目にやったとき みたいな真似は許さない」 「うん……あれは確かに悪かった」 素直に謝ったつもりの相羽に対し、津野嶋は気抜けした様子だ。パンクした タイヤのごとく、へなへなと腰を折って、両膝に手をつく。 「勝負の前におまえに声を掛けたのは、失敗だったかもしれん」 記すまでもないが、心理戦で優位に立とうなんてつもりは、相羽には微塵も ない。図らずも相手の闘争心を減退させてしまったのなら、かき立ててやろう と思う。相羽自身、百パーセントの津野嶋とやらなければ意味がないと考えて いるのだから、なおさらだ。 「だが、物のついでに言っておくぞ。確か、相羽はピアノをやってるんだった よな? そんなので、拳を撃てるのか?」 「……本音を言うと、できれば傷めたくない。いや、絶対、かな」 答えてから、相羽は自分の手をさすった。津野嶋はまた不愉快そうに、唇を 歪めた。上体を起こし、相羽を指差す。 「ルール、分かってるんだろうな。最初にやったときみたく、組み技限定じゃ ないんだぜ?」 「打撃では、二回目のとき、充分やり合ったから、別にいいんだけど。ルール はルールってことで、組み技、寝技だけで決着したい」 「おいおい、本気で言ってるのか。確かに、初戦の完全決着っていうのは、俺 にとっても魅力のある課題だが……」 提案に面食らいつつも、考え方に相羽と似たところがある様子の津野嶋。 相羽は虚を突くように、さらりと答えた。 「本気で受け入れてもらおうと思っちゃいない。本心を示したまで」 「なんだ、それなら、遠慮なく行くぜ。おまえがたとえ拳を使わなくてもな」 「心配無用。今度は全力を出しきるさ、津野嶋」 突然呼び捨てにされたのに気付き、津野嶋はぽかんとした表情で見上げてき た。だが、じきににやりと笑むと、上体を起こした。 そこへ、相羽は唐突な質問を浴びせる。 「津野嶋は、この競技でプロを目指すのか?」 「どういうつもりでそんなことを聞くのか分からないが、そのつもりだぜ」 「アマチュア時代の戦績に傷を付けるのは忍びないが、仕方ないな」 「――ふふ、そう来なくちゃな。それでこそ倒し甲斐がある」 津野嶋は嬉しそうに言い、右拳を左の手の平に何度か打ち込む。その右手を 開くと相羽へ差し出してきた。 「互いの健闘を」 「健闘はいいけど、握手はよしておくよ。俺だって、これまでの二敗が悔しく てたまらないんだ」 「なるほど」 引っ込めた手を津野嶋はさすった。 そのまま、左右に分かれた。 * * (行きしなに一緒になると思ってたんだけれど) 町田からの打ち明け話並びに頼みを受けて、純子は翌日学校に着くなり、唐 沢の姿を探した。 「じゃあ、またあとで」 相羽とはいつものように、昇降口のところで別れた。タイムラグを故意に作 り、相前後してそれぞれの教室に向かう。 町田と唐沢の一件については、相羽にも話していない。相談すれば、何か意 見を出してくれるに違いないし、相羽自身が唐沢へ探りを入れることも可能だ ろう。 でも、純子は、自分に電話をしてきてくれた町田を思い、まだ胸の内に仕舞 っておくことを決めていた。 (日直じゃなかったはず。だったら、唐沢君が朝早くに登校する理由って?) 考えても分からないことで頭の中を埋めつつ、純子は教室を目指した。 入室するなり見渡すが、唐沢の姿はない。 (下駄箱に靴があったんだから、来ているのは確かなのに。部活でも始めたの かしら) 自分の席に収まりながら、首を捻る。誰かに聞いてみようと思い立ち、再び 教室の中を見渡した。 (唐沢君と親しい……女子ならいっぱいいるけれど、こういう場合は、男子に 聞いた方がいいはずよね。えっと) 教室全体に視線を巡らせると、教卓に片肘をついて友達と話し込む背の高い 男子生徒に目がとまった。このクラスの生徒ではないが、その身長と割合頻繁 にやって来ることから、純子の記憶にも残っていた。野球部の、確か佐野倉昇 (さのくらのぼる)といったはず。 下の名前まで把握しているのは、彼が転校生だから。去年の初秋、親の仕事 の都合で転校してきた際、噂に聞いたのだ。何でも、前にいたのは野球の強豪 校で、佐野倉は将来のエースと見込まれたほどらしい。緑星もこれで強くなる かもと一時期盛り上がったのだが、規約(転入生は転入日から満一年を経ない と試合出場できない。ただし一家移転や廃部等のやむを得ない事情があれば、 了承されることもある)のおかげで秋季大会での佐野倉の出場はならなかった。 佐野倉の転校は一家移転に該当するのだが、地方高野連の了承を得るための書 類手続きと審査に時間を要したと聞く。現在では手続きが完了し、無事に許可 を得た。今年に期待、である。 それはともかく――純子は、唐沢が依然として姿を現していないことを確認 し、立ち上がった。佐野倉は転校してきて間もなく、何故か唐沢と意気投合し たらしく、遊んでいるところを何度となく見かけた。 (唐沢君が今どこにいるのか、もしかすると知っているかもしれない) 純子自身はほとんど言葉を交わしたことはないけれど、明るくていかにもス ポーツマンタイプの佐野倉だから、声を掛けるのも気軽にできる。 教卓へ近付き、佐野倉の背中に向けて、「あの」と第一声。 「ん? あ、涼原さん。何か?」 即座に反応したのは、佐野倉の大きな身体の影からこちら側に顔を覗かせた もう一人の小柄な男子、土方光介(ひじかたこうすけ)の方。角張った厳つい 顔で、妙な猫なで声を出すのは、女の子相手だからか。 純子は、土方と唐沢がどのぐらい親しいのか知らない。でも男子同士なのだ からと、一応聞いておくことにした。 「唐沢君、どこにいるか知らない?」 「唐沢? ううん、知らない。あいつのことなら、どちらかというと――」 視線を上にし、土方は先ほどまでの話し相手を見た。佐野倉は相変わらず、 純子に背を向けたままである。 「佐野倉、おまえなら知ってるんじゃない?」 「……今朝、学校までは一緒に来たが」 頭に片手をやり、物憂げな言い種で答えた佐野倉。野球部員にしては長めの 髪の持ち主であるが、これは緑星高校野球部では丸刈りを定めている訳ではな いからだ。 純子は彼ら二人の真横に回った。土方はともかく、佐野倉はこちらをちらと も見ようとしない。 (お喋りを邪魔しちゃったから、機嫌を損ねた? 悪いことしたかなあ) 純子は眉根を寄せ、若干の思案の後、佐野倉に改めて声を掛けた。 「邪魔してごめんね、佐野倉君。私、焦ってて」 「別に」 固く冷たい口調。普段とは全然違う口ぶりに、純子は面食らった。佐野倉に 抱いていたイメージから、かけ離れている。 佐野倉は野球一筋で、こと異性に対してはこういう態度を取るのかとも考え たが、土方の様子を見て、それも違うと思い直した。土方でさえ驚いたのか、 口をぽかんと開けているのだ。 「ど……どうした、佐野倉?」 「どうもしない。それよりも、まだ答え終わってなかったな。唐沢とは学校に 着いて、一旦は校舎の中に入ったんだが、あいつ、すぐに出て行った。どこに 行くのかも言わなかった」 言い終わると、ようやく純子の方を振り向く佐野倉。わずかに広がる髪は、 さらさらと流れて女の子のそれのようだ。彼の目に怒っている色合いはない。 純子は少し安堵できたが、まだ困惑は解けない。 「大方、誰か女と会って、デートの約束を取り付けているんじゃないか。この ところ、テニスコートに足繁く通っていたから、テニス部の女子かもな」 嘘じゃないかと直感した。部分的な嘘。野球部に入った佐野倉が、テニスコ ートのことを気に掛ける暇があるだろうか。 ただ、この直感が正しいとしても、何故嘘をつかれなければいけないのかは 分からない。 「じゃあ、行ってみる。ありがとう」 純子はそう応じて、教室を出て行こうとした。どことなくとげとげした雰囲 気も、これでひとまず丸く収まるはず。 その刹那、佐野倉が呼び止めてきた。 「涼原さん。唐沢の奴を探してる理由は?」 「え?」 意表を突かれた思いで、足を止める。すぐには答が出て来なかった。 「よせよせ、無粋な真似は」 土方が佐野倉をたしなめる間に、純子は体勢を立て直して口を開く。 「大したことじゃないわ。中学のときの友達から電話があって、唐沢君に伝言 を頼まれたの」 とっさに組み立てた答にしては、よくできていると内心で自画自賛。 でも、佐野倉は納得したらしいものの、まだ絡んできた。歩を進め、声量を 落とすことなく、堂々と聞いてくる。 「ふーん。それ、唐沢が好きだとかいう伝言じゃないだろうね」 「ち、違うわよー。そんなのじゃなくて、単なる近況報告かな」 「ふむ、女からの伝言なのは、間違いないんだ」 意味深な笑みを暫時浮かべると、佐野倉は興味を失ったのか、突如きびすを 返した。何事もなかったように、土方に話し掛ける。 土方はすぐには応じず、純子に「ごめん、こいつ機嫌悪いみたいだ」と声を 掛けて頭をひょいと下げる。 「ううん、ありがとう」 純子は胸元を拳で軽く押さえ、憂鬱さを飲み込むと、急いで教室を出た。 (どうしよう……一応、テニスコートの方に行ってみようかしら) また降りなきゃと、階段を目指して二組の教室前を通り過ぎようとしたとき、 開いた窓から、ふっと中に目が行った。 「――唐沢君?」 二、三歩引き返して、確認する。唐沢は隣のクラスにいた。女生徒数名と一 度に話をしている。 がっくりと気疲れを感じながらも、入って行こうとする純子。だが、思いと どまった。少なくとも今のところ、唐沢と言葉を交わす必要はない。態度が普 段通りか否か、それだけを見ればいい。 (でも……佐野倉君の言い方、気になるなぁ) 唐沢と町田の一件を離れて、そちらの方が頭の中全体に、もやのように掛か っている。唐沢に聞けば何か分かるかもしれない、との思いがあった。 「涼原さんじゃないか。どうしたん、こんなとこで?」 迷って立ち尽くし、うつむき気味に考え込んでいると、いつの間にか当の唐 沢が正面まで来ていた。 「あ、あの。唐沢君」 「うん? もしかして、俺を探してたとか?」 頬を緩めた唐沢。三組に戻りながら、話を続ける。 「悪い悪い。実は、朝っぱらからちょーっとばかし、腹の調子が。それで学校 に着くなり、トイレの住人になってて、やっとすっきりしたから、これで心置 きなく女の子達とお喋りができるなと」 「特に探してたわけじゃないんだけれど……」 ことのついでと、純子は佐野倉について聞いてみようと決めた。自分達のク ラスには入らず、廊下で切り出した。 「佐野倉君て、相手が女子と男子とで態度がだいぶ違う?」 「は? 何だぁ?」 意識になかった名前を挙げられたせいか、唐沢は素っ頓狂な声を出した。教 室の中にその本人がまだいるのだ、純子は唇に人差し指を当てた。そして自身 も声量を落とし、今朝方のことの顛末を極手短に伝える。 聞き終わった唐沢が首を振った。 「分からん。あいつ、そういうタイプじゃないと思ってたんだが。いや、絶対 に違う。男に対してならともかく、女子には優しくて格好つけたがる奴なんだ。 間近で何遍も見てる。野球していても、格好よさを第一にするような」 「やっぱり、そうなんだ……」 「……」 「――唐沢君、どうしたの?」 視線に気付いて尋ねる純子に、唐沢は短い沈黙を解除した。 「いや、何。芙美だったら、こんな話をしたら、すぐにこう言うだろうなと思 ってね。『あんたと同じね』とか何とか」 微苦笑を挟み、肩をすくめると、唐沢が続ける。 「いや、実際、それだからこそ俺とも気が合ったんだけど、ははは。うん、そ の点、涼原さんは優しいな。俺、傷つかなくてすんだぁ〜」 「唐沢君」 冗談口調に嘆息しつつも、純子は一方で別のことも考えた。 (唐沢君の口から、前触れなしに芙美のことが出て来るのって、珍しいかも? これって、芙美の言う変化なのかしら) だとしたら、二人にとっていい傾向に違いないわと思う。 「そんで、どうして佐野倉が気になるんだい?」 話を戻す唐沢に、純子は一瞬ついていけなくなる。気の抜けたような相槌を 打つと、唐沢は同じ台詞を繰り返した。 「それは……私が自分では気付かない内に佐野倉君に嫌われるようなこと、何 かしてたのかもしれないと思うと、落ち着かなくて」 「ないない、そんなのは。涼原さんのことを嫌う男がいるかよ。佐野倉が強豪 校を蹴って、うちに転校してきたのだって、君が目当てではないかという噂も ちらほらあったくらい」 「えっ、嘘」 「いや、そういう噂があったのはほんと」 突然知らされて戸惑うばかり。忙しくて当時は耳に入らなかったに違いない。 しばらく間をおいて、確認のフレーズを口にする。 「佐野倉君自身は、何にも言ってないんだよね?」 「そりゃそうだけど。少なくとも嫌ってなんかないさ。安心していいよ、俺が 保証するから」 実際、少しは安心できた。疑問の解決にはなっていないけれど。 「しっかし、珍しいな。涼原さんがそんなことを気にするなんて」 「珍しいかなあ。結構、気を付けてるつもりよ」 「まじ? その割には男からの視線に、気が付いてないじゃん。意識されない ものなのかね」 「それは……」 「他にも大勢いるんだけどなあ。誰彼となしに注目されるから、見つめられて も気付かないんだな、きっと。この際だから教えてやろうか」 唐沢の唇の両端が上を向く。今にも、とくとくと喋り出しそうだ。純子は大 げさな動作で、自分の耳を急いで塞いだ。 「やだ! 聞きたくない」 「何で」 「それはもちろん」 純子は両手を下ろし、唐沢を見返しながら答える。 「誰に想われてるかを知ったら、変な風に意識してしまいそうだもの」 「そうかなあ。俺は知りたい質なんだけど。知れば知るほど、力が出る感じと 言えばいいかな」 「私は……一人しか好きになれないみたいだから……」 かつてあった唐沢からのアプローチを否応なしに思い出し、純子はうつむい た。赤面を自覚する。 「相羽と……うまく行ってるんだろ?」 唐沢の声が、若干上擦り気味になったかもしれない。態度の方にも変化が見 られ、唐沢は純子の正面を離れると横に並ぶ形になる。 純子は無言で首肯した。唐沢は「そっか」と応じ、表情を和らげた。壁にも たれ掛かると、ズボンのポケットに左右の手を入れる。 「よかったな、って、俺が言うのも変かな」 優しさがつらいという気分を実感する。純子は顔を背けた。この話題を唐沢 と平気で交わせるようになるのは、まだもう少し時間が必要なようだ。 そして、思い起こすのは町田のこと。 (いっそ、この場ですぐ聞いてしまいたい。唐沢君、今は芙美をどう思ってい るの?って。芙美は多分、こんなストレートなやり方は望んでないけれど。少 しでも早く、二人のためになるのは……) 思い切ろうとした矢先、チャイムが鳴った。予鈴だ。決心が鈍る。もしかす ると、ここで邪魔が入ったのは、直接尋ねるなという啓示なのかもしれない感 じる。 無論、考えすぎだ。そうと分かっていても、もっと思慮深く当たらなければ いけないと自分を戒めた。 「涼原さん。そろそろ教室に入らないと。うー、寒い寒い」 唐沢の声を背中で聞いた。 純子の携帯電話に鷲宇から連絡が入ったのは、まだ学校にいるときのことだ った。休み時間になり、思い出したように電源を入れた途端だったので、ちょ っと慌てた。 「ああ、ようやく。つながってよかった」 廊下に出て、さらに校舎の隅っこの方に移動する間にも、鷲宇がどんどん喋 る。純子は適当に相槌だけ打って、周りに人がいなくなってから、まともに応 対を始めた。 「鷲宇さん、ようやくって仰いましたけど、いつから掛けていたんですか」 「そうですね、一時間ぐらい前からかな」 「あの、授業中でしたよ。以前、学校の授業の時間帯がどうなっているかは、 お伝えしました。それに学校にいるときはなるべく掛けないでくださいって」 「うん。途中で気付いて、せめて授業時間を外そうと、頃合を見計らったわけ です。時間ぴったりだ」 「手短にお願いしますね。十分しかないですから」 「分かった。――基金の件で」 「あ、美咲ちゃんの!」 間髪入れずに反応する。この一瞬だけ、声が高くなった。 「形は整った。すでに僕らの周辺の分は集まったし、昔取った杵柄ではないけ れども、いい感じだよ」 「あ、あの、どうすれば、私も」 気負い込む純子は、電話機を両手で強く掴んだ。小さな機器が手の中に隠れ そう。鷲宇が苦笑の声を漏らしながら答える。 「慌てない。明後日、正式に立ち上げる。それに、ルークの方にも詳しいこと を伝えておいたから」 “伝えておいた”――過去形ということは、今、焦って聞き出さなくても問 題なし。純子はひとまず安心し、手から力を抜いた。 「それだったら、わざわざこんな時間に電話をしていただかなくても。鷲宇さ んだって忙しいんですから」 「一刻も早く君に知らせたかったから、電話したまで。それとも何かい? 気 にしてなかったとか」 「いえ、凄く気になってました。すみません」 反省。見えない相手に向かって、頭を下げる。 「それで、目標額は……」 「手術費用の他にも諸経費を考えないといけなくてね。中でも、ドナーが現れ るまでの滞在費。これを考えると、多ければ多いほどいい。専門家や医者の話 を総合し、そこから家族の方が用意できた額を差し引くと、二千万円前後に落 ち着くということです」 「二千万、ですか。あの、私も学校や近所で集めたいんですけど、いいですか」 「もちろん。反対する理由がないでしょう?」 不思議がる鷲宇に、純子は言い添えた。 「募金をお願いするとき、鷲宇さんの名前を出せば、みんなの関心も違ってく ると思うんです」 「ああ、そうか。そりゃそうですな」 低く笑いつつ、鷲宇が芝居がかった台詞を返してきた。純子は真面目に続け る。 「でも、鷲宇さんは名前を出されるのがいやだろうなと思って」 「ふふっ、気遣ってくれてありがとう。だけど今回、僕も腹を括ったから、そ んな心配はいらない。美咲ちゃんのためだけを考えればいいさ」 「そう言っていただけるなら……安心して名前を出しちゃいますよ」 「どうぞ。それよりも、君自身が街頭に立てば、それだけでかなりの人が集ま ると思うけどね」 「またぁ、冗談ばっかり。――あ、チャイム」 うつむいていた顔を起こす。いつの間にか休み時間が終わっていた。 「またあとで電話します!」 悲鳴のように言うと、純子は挨拶もそこそこに電話を切った。携帯電話を仕 舞いながら、走り出す。 (これで美咲ちゃん、元気になれる! 力一杯、唄えるようにも!) 自分もがんばらなくちゃ。力が入った。 下校時には、相羽だけでなく唐沢とも一緒になった。その他、結城や淡島も 当然、並んで歩いている。 「――それで、みんなの力を貸してほしい」 基金に関して皆に話した直後、純子は手を合わせた。説明に際しては、吉川 美咲の名は出さなかったが、その症状や何故日本では手術が困難なのか等を詳 細に伝えた。 「言うまでもなく、喜んで協力するけど」 最初に反応したのは結城。軽く首を捻りながら、聞いてくる。 「どうしてあの鷲宇憲親が……。どういうつながり? 一緒に仕事したことあ るとか?」 鷲宇が関わっていることについては、隠さずに話した。秘密にしていても、 いずれ公になるのは明白だし、やはりこの名前を出した方が関心を惹き付けや すいのも、間違いない。 「うん……一緒に仕事っていうのはないけれど、プロダクションのつながりで、 割と親しくさせてもらって」 微妙な言い回しになってしまう。久住としてなら仕事のみならず、プライベ ートでも幾度もお世話になっているが、涼原純子としてなら、厳密を期せばほ とんど接点がない。 「そんなことよりも、基金!」 不自然さはさておき、強引に話題を戻す。 「Tシャツやフリーズ、ワッペンなんかを制作して、それをみんなに買っても らう方式なの。売り上げを基金に充てる」 「ふーん。変わってるな。普通に募金を集めるだけじゃないんだ?」 唐沢が感想を述べる。なるほど、日本ではまだ馴染みの薄いやり方かもしれ ない。鷲宇の言によると、割とポピュラーらしいのだが。 「普通の募金も受け付けるんだけど、それとは別口でね。基金について広く知 ってもらおうっていう、少しでも印象づける意味合いがあるみたい。それで、 各グッズはデザインの異なる物をいくつか作るそうだから、気に入ったのを選 べるんだって」 「できあがったら見せてくださいな」 淡島が手を合わせながら、平坦な口調で言った。 「もちろん。私の方からお願いしたいくらい。って、今、お願いしてるんだけ どね。うふふ」 快い返事を皆からもらって、純子も自然と上機嫌になった。 そこへ、相羽がいくらか不安げな口ぶりで聞いてきた。 「学校の中でもやるのかな? 目立つよ」 多分、純子が悪い意味で特別視されることを懸念しての言葉に違いない。現 時点でもモデルをやって目立っているところへ、鷲宇の名前付きで募金を始め ては、一層拍車が掛かる。 それは、純子自身もよく分かっていることだった。覚悟できている。 「もちろんよ。ちゃんと先生にお願いして、正式にやるわ。とにかく、みんな に知ってもらいたいの」 「だったら、最初から鷲宇憲親の名前だけ出して募るという手段もあったと思 うんだけどな」 「鷲宇さんだけを矢面に立たせちゃ、悪いわ」 「矢面?」 相羽が怪訝そうに目を細める。 純子は彼にだけでなく、他の友達へも振り返った。そして、昔、クリスマス の季節に鷲宇から聞いた話を思い起こし、そのさわりを伝える。 「鷲宇さんはお若い頃からチャリティやボランティア活動に熱心で、その分、 嫌がらせもだいぶ受けられてきたらしいの。だから……」 「純子ちゃんが心配することじゃない」 相羽が素気なく言った。でも、顔つきは穏やかに笑っている。 「そこが君のいいところの一つだね」 「――」 純子の頬がほんのりと赤に染まる。 何もこんな、みんながいるところで言わなくても。だけど、嬉しい。 「お熱いことで」 「ごちそうさまです」 「ここだけ異常気象だな」 唐沢らから三者三様の冷やかしが飛んで来た。純子は、平気な顔をしている 相羽をうらやましく思うと同時に、ますます……あとは言うまでもない。 ――つづく
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