●長編 #0050の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「さて、ニューロンが発火しその発火を次ぎのニューロンへ指示するには、イオン濃度 差により電位差が生じている部分から神経伝達物質の放出装置へと接続している部分を 経由する必要があるわ。その部分を軸索と呼ぶ。これは物凄く細い管のようなもの。ワ ームたちはこの管の中に棲んでいるわ。もし、このワームを殺すことができるウィルス を造りだせるとしたらどうかしら」 おれは恵理香の言いたいことが突然判った。 「キャリアーとはそういうことか」 「えびねは、軸索に棲んでいるワームを殺すことができるウィルスを体内で造り出すこ とがてきる」 「造るだって」 おれは思わず呻いていた。 「馬鹿な」 「いわゆる抗原抗体反応と呼ばれるものだって人間の体の中で遺伝子情報の組み替えが 発生しているのよ。まあ、正確にいうならゼロから造り出すのではなくて、ある種のウ ィルスを造り変えているというべきなのだけれど」 「ワームが死ぬとどうなる?」 「私たちが住む世界がある一定の物理的法則の内で安定しているのは、脳内にいるワー ムのおかげといってもいいわ。そのワームを殺してしまったら、世界はあらよる可能性 に向かって開放されたものとなる。何がおこるか、私には見当もつかないわ」 おれは呻いた。そのウィルスはおそらくおれの体内にもいるということだ。 「では、あなたの見たものを教えてあげるわ」 恵理香は厳かといってもいい口調で語る。 「ワームの死によって、私たちが生きているのとは別の潜在的世界がえびねの脳内には 幻覚として到来する。彼女が描くのはその世界、そして、あなたが見たのはそれ」 おれは言葉を失った。おれはいつのまにか迷路の中に迷い込んでいる。出口の見えな い、どこに続くともしれない迷路。 「あなたの前にある机の一番下の引出しをあけてごらんなさい」 おれは言われるがままに引き出しをあける。そこにあったのは禍禍しい形をした、短 機関銃だった。イングラムと呼ばれる、銃把の中に弾倉が格納されたタイプのコンパク トな短機関銃は、おれには暗闇で静かに眠る毒虫のように思える。 おれはイングラムを手にとった。恵理香がおれに囁きかける。 「それを使う時がくるかもしれない。とっておきなさい」 それはえびねを殺せということなのかと聞く前に、電話は切れた。一体、落合征士が どういう理由でその銃を持っていたのかは見当もつかない。おれはとにかく、恵理香の 忠告に従っておくことにした。 おれは、その銃の弾倉を取り出し、五十連弾倉に弾が込められていることを確認す る。 弾倉を抜いた状態でコッキングレバーを弾いてみた。薬室にはカートリッジは入ってい ない。 ヤクザとのつきあいで、銃の基本的操作は学んでいたため、とりあえずそのイングラ ムの扱いに戸惑うことはなかった。スリングで銃を肩から提げる。 その時、部屋に激しい音が轟いた。狂える野獣の咆哮のような、あるいは世界そのも のが軋みながら崩壊してあげる悲鳴のような音。 それはおれの友人のギターが放つ音だった。ギターは操作するものもいないのに、凄 まじい轟音を放っている。 おれはそのギターを手にとった。ぴたりと音がやむ。おれは何が起こっているのか、 判っていた。えびねの呼び声。彼女が地下から放った絶叫だ。 えびねの必要とするものは、間違いなくこれだろう。そして落合征士が企てて、おれ がここに来るはめになったのも、彼女がこれを必要としたからだ。 いくつかの選択肢がある。おれの持つ銃もまたそのひとつ。おれは落合の企てにのっ てみることとした。それが何を引き起こすかは判らない。しかし、おれはその先にある ものに、間違いなく惹きつけられていた。 おれは地下室へ降りる。その右手にギターを持ち、左手には銃があった。 おれが檻に入ったとき、始めてえびねはおれを見つめる。透明な、背後に人間の意識 を感じさせない視線。おれはその眼差しに、戦慄を覚える。 おれはギターと銃を床に置くと、えびねの前におかれたイーゼルの向きをかえた。そ して、おれはギターを手にとり、その逆巻く闇を見つめる。 おれは何をすればいいのか、さっきよりも明瞭に感じ取ることができた。渦を巻き、 絶望への咆哮を放つその闇の力に呼応して、おれの手にしたギターは身震いするように 低い音を放つ。おれはただ、そいつが望む通りの音を奏でてやればいい。 金属の野獣が放つ壮絶な絶叫に地下室が揺れた。頭の中で立て続けに火薬が炸裂して いくような、凄まじい轟音がその密閉された空間を満たす。 おれは狂おしい衝動をぎりぎりのところで押さえつける。それはまるで、激しく躍動 する金属の荒馬を無理やり手綱を取って乗りこなすような感覚だ。 おれはかろうじてその轟音をコントロールする。おれの身体は粉々に分解されてい た。 その無数の音の破片となったような身体を、音の向かう方向に沿って操ってゆく。それ はある種の奇跡の顕現のようにさえ思えた。 音の微粒子は確かな意思を持って、暴力的に地下の空間を犯してゆく。 「ああ」 おれはえびねの吐息とも、歌声ともつかないような声を聞く。おれは彼女がこの炸裂 する無限の破壊と創造の空間の中で、始めて人間めいた存在感を持ったような気がす る。 おれの目の前で闇が蠢く。それは生きているように、次第に存在を拡大していった。 おれとえびねは壮大なビジョンの前に立つ。 降り注ぐ無数の火球。地上に炸裂してゆく紅蓮の巨大な妖花。そしてそれらを包み込 む、優しく豊穣な闇。 おれはその戦慄的な地獄の実現と呼べるような凄まじい光景の、とてつもない美しさ に心を奪われる。その世界には、おれとえびねだけがいた。幻覚と呼ぶにはあまりにリ アルで、しかし現実と思うにはあまりに美しい世界。 がたん。 全ては、唐突にイーゼルが倒れることによって打ち切られた。まるで、突然疾走する 獣が撃ち殺されたように音が消える。 「行かなくては」 突然、えびねの声がおれの頭の中に響く。おれは、その意味を理解できた。おれはイ ングラムを手にとり、えびねに向ける。 タタッ、と鋼鉄の毒虫は短く咳き込み、えびねの足元に火花を散らした。おれはえび ねを繋ぎ止めていた鎖が断ち切られていることを確認する。 えびねは立ち上がった。おれは銃を肩から提げ、ギターを手に取ると、空いた手でえ びねの手を握って地上へ向かう。 おれは、屋敷の外へ出た。空は暗く曇っている。雨でも降りそうな気配だ。おれは、 えびねをキャディラックの助手席へ押し込むと、ギターを後部席へ放り出しハンドルを 握った。 エンジンをかける。アクセルを思いっきり踏み込んでギアを入れると、その古めかし いキャディラックは解き放たれた荒馬のように走り出した。 鍵のかかっていない鉄の門は、激しく開かれる。キャディラックは、道路へ飛び出し た。屋敷の周りを取り囲んでいた刑事ふうの男たちは、あわてて車に向かう。 おれはイングラムをフルオートで掃射した。丁度発進しようとしていた車がタイアを 撃ち抜かれ、横を向いて道路をふさぐ。後ろに続く車が道をふさがれたところに突っ込 んできて、派手な轟音をあげて衝突した。 おれは、落合の屋敷を後にする。行き先はなぜかはっきりと判っていた。とても、奇 妙だ。 おれたちの乗るキャディラックは住宅地を駆け抜けると、幹線道路へと出る。遠くで パトカーのサイレンが聞こえたが、主要道路は封鎖されていない。 頭の中に携帯電話のコール音が響く。おれは携帯電話を落合の屋敷に置いてきたこと に気づいたが、そんなものはもう必要無いようだ。 『やっぱりそうなったわけね』 頭の中に落合恵理香の声が響く。そのことに違和感を感じるほどの感性はおれには残 っていなかった。それ以前におれの意識は、とにかく車を急がせることに集中してい る。 立て続けの信号無視に、無数のクラクションがヒステリックに抗議の叫びを上げた。 おれは時折イングラムの威嚇射撃で強引に道を空けながら、東京の中心部へと向かう。 そのおれの状況にはお構いなく、恵理香はおれの頭の中で話を始める。 『あなたはあの世界を見てしまったようね。あれは原初の創生の世界なのよ。あなたの ギターは、その創生の世界を呼び覚ますものだった。だからこそ、えびねはあなたを必 要として、あなたをそばに呼び寄せたの』 おれは料金所をぶっちぎり、高速道路へと入り込む。風が物理的な流れとなって、キ ャディラックの脇を走り抜けてゆく。おれは思いっきりアクセルを踏み込んだ。 『元々人間という存在は、量子力学的な波動だったといえるわ。ニュートン力学的な局 所実在による物質的実在とは無縁の、そうね、純粋な無限に螺旋を描いて上昇する音楽 から形成される身体を持った存在。その存在は、ワームと出会うことによって変貌して ゆく。つまり、世界の実在という奇妙なものは、その波動的存在の一極面を固定するこ とによって初めてなりたつもの。時間や空間はワームと人間が出会うことによって発生 したものと言ってもいいわ。そして、言語というものもそう。言語による思考も含め て、 それらはワームが人間という波動的存在にとりつき、その一極面としての物質的実在を 完成させることによって初めてなりたちうるもの』 おれのキャディラックは高速道路を疾走してゆく。風景は溶けて凄まじい勢いで後方 へと流れていった。空気は暴力的におれたちの揺さぶり、エンジンは悲鳴をあげる。 おれは紙一重で他の車をよけてゆく。 『量子力学が確率的に存在を記述するというのは間違いがある。つまり本当の波動的世 界には確率的に記述すべきものなど何もない。確率的になるのはワームの寄生による局 所実在の世界のみ。そしてその局所実在の世界によって私たちの思考は縛られる。で も、 そのワームが死滅して、全てが開放されたらどうなるのかしら。そこにはもう局所実在 による肉体で形成された身体なんてものなくなる。人は音楽へと戻ってゆくのだから死 滅や破壊というものは恐れるものではなくなるのよ。そんなものは、ワームが形成する ひとつの偽りの状況に過ぎない。純粋音楽へと還元されるというのは、宇宙の死滅も生 成も取るに足らない無意味なことになることと同意儀といってもいいわ』 おれは高速道路の出口へと向かう。そこはパトカーによって封鎖されていた。おれは 横を走るタンクローリーのタイアを、イングラムでぶちぬく。巨獣のようなタンクロー リーは、コントロールを失い火花を上げながら猟犬の吼え声をあげるパトカーの群れへ と突っ込んで行った。 大きな、紅蓮の花が開く。 『あなたが見たもの。判るでしょう?局所実在が不要となり世界から生きるものが全て 消え去った状態。そしてそれは真の創生に向かう状態。この宇宙がワームという寄生的 存在によってもたらされた偽りの状態であれば、それが死滅した世界こそえびねの望む 世界。でも、あなたはどうなの、北野明夫。あの渦巻く闇。あの凶悪な絶望の渦こそが あなたの望むものだというの?』 「知らねえよ」 おれはキャディラックを捨てた。弾を全て撃ち尽くしたイングラムは捨てる。ギター を手にとり、えびねと手を繋いでおれは高速道路から飛び降りた。 おれは頭の中で煩くがなりたてている声に向かって叫ぶ。 「ごたくはもう沢山だ。おれはおれの音楽しか知らねえよ。そいつの指し示すところへ 行くだけさ」 おれたちは、ビルの谷間を駆け抜ける。空は暗い。絵の具で塗りつぶしたように闇が 渦巻いている。そう、丁度えびねが描いていた通りの闇が空を覆っていた。 暫くすると雨が降り出す。水の壁となった雨の中を、おれたちは駆け抜ける。そし て、 新宿の真中にあるそこに、おれたちはついた。 迷路のようになった高層ビルの谷間に、その巨大なクレーターはある。なぜ、そんな ものが新宿のど真ん中にあるのか、おれには理解できない。 しかし、それは間違いなく、おれたちの目の前にあった。えびねが描いていた闇。そ れと寸分違わぬものが地上にある。地面に穿たれた巨大な渦巻く闇。 おれとえびねは、その闇の中心に向かって降りてゆく。雨が地面を泥濘へと変えてい た。そこは、巨大な沼地のようですらある。 そして、その巨大な穴は、無数の警官たちに取り囲まれていた。サーチライトが瀑布 と化している雨を貫いて、おれたちに浴びせられる。 警官たちの怒号や威嚇射撃の銃声が聞こえたが、おれは無視した。誰もこの穴の中に 踏み込んでくるものはいないようだ。 おれたちはその穴の中心につく。間に合った。どうやら間に合ったらしい。ずぶ濡れ になったおれは、思わずため息をつく。 おれはギターを手にとる。雨に濡れたそのギターがまともに作動するとは思えなかっ た。しかし、同時にそれは間違いなくその役割を果たすであろうと思える。 一つでいい。 たったひとつの和音で十分だった。 おれはギターを手にとる。雨は降り出した時と同様に、唐突に降り止んだ。恐ろしく 静かだった。おれと、おれの傍らに立つえびねには、サーチライトが浴びせられてい る。 銃を構えた警官たちがゆっくりと穴の中へ降りてきた。最高のステージだ。そう思う と不思議と笑みが浮かび、口元が歪む。 おれは左手でギターのネックを掴み、右手を高々とあげる。 おれは絶叫をあげながら、右手を振り下ろした。 爆音。 それは、どこか遠い地の果てで竜が放った悲鳴のようだ。 その音に呼応し、世界が厳かな吐息を放つ。そして、えびねは、ゆっくりと天上を指 差す。闇に閉ざされた空の果て、えびねの指差す先に星が生まれた。 その星は瞬く間に膨れ上がる。 それは満月くらいの大きさになり、さらにその数倍、数十倍へと膨らむ。気がついた 時には空全体をその星が覆っていた。 世界は光に満ちる。 真っ白だ。 音が聞こえる。 ギターの音。 そして全てを断ち切るように闇が落ちてきた。
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