●長編 #0045の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
一、ニ、三、四歩。長くはない廊下を進む。と見えて来たのは、怯えた目の音 風。そして後方に立ち、音風の口を塞ぐ、見知らぬ男だった。 「おっと、お静かに願いますよ、美鳥さん」 洒落た洋画の中で、婦人をエスコートする紳士。そんなシーンを思い起こさせ るような調子の声だった。 侵入者の存在に気づくのが遅れた美鳥だったが、ただ狼狽していた訳ではない。 発見と同時に男へ飛び掛ろうと、その超人的能力を秘めた筋力を限界まで緊張さ せていた。しかしあまりにも穏やかな男の態度に、それを躊躇させられたのだ。 相手はたまたま美鳥たちの帰宅に鉢合わせしてしまった、空き巣狙いの類では ない。病弱で体力的にも人並みに劣る音風ではあるが、朧の能力者としては美鳥 に勝る。ただの空き巣狙い程度であれば、相手にそれと気づかせず自由を奪うこ とも出来たはずだ。 見れば男は左手で音風の両手を背中側に押え付け、右手で口を塞いでいる。他 に刃物などの凶器は持っていないようだ。 その横、美鳥から見て左側のやや離れた絨毯に、真月が横になっている。特に 危害を加えられた様子もなく、音風の手によるものだろう、毛布が掛けられてい た。外にいた時から眠ったままなのだろう。つまり男は真月の眠りを妨げるよう な音や声を発することもなく、抵抗する間も与えずに音風の自由を奪ったことに なる。 その結果、そして美鳥に気配を察知させなかったという事実。考えられるのは ただ一つ。 「アンタ、異形………だね?」 心の動揺を抑え、平静を装う美鳥。しかしわずかに声が震えるのを、自ら感じ ていた。 妹たちを人質に取られながら先刻のように、逆上しないでいられたのは不思議で ある。だがそれは無意識のうち、美鳥がこの男の恐ろしさを感じ取っていたから に他ならない。 男は、あの女───麗菜よりさらに強い、と。 「はい、あなた方の言う、完全体ってやつですかね」 やはり男は穏やかな声で応えた。美鳥のように、平静を装っているのではない。 本当にリラックスをしているのだ。いや、完全にリラックスしている訳ではない。 話しながら、ちらりと眠っている真月に視線を送ったのだ。だがそれは警戒して いるのとは様子が違う。眠っている子を起こさぬように気遣っている仕草だった。 「何が目的? 朧の者の血を絶やすこと?」 話しながら美鳥は考えていた。この危機をどう切り抜けるかを。 話すことで、男の注意が逸れればあるいは音風がその手を振り切りって逃げる 機会も生じるかも知れない。そんな淡い期待も抱いていた。 しかしそれが困難なことも美鳥は承知していた。 仮に音風が男の束縛から解いたとしても、真月をまで連れて逃げるのは難しい。 よしんばそれを成し遂げたとしても麗花亡きいま、美鳥たちだけで男を倒すこと は不可能に近い。 そればかりではない。 完全体。それもより強大な力を持つ者が、ただここにいるというだけでマンシ ョンに住む全ての人間が人質にされているのに等しい。並の異形でさえ、腕の一 振りでこの程度のマンションなら、半壊させるのも可能なのだ。 「血を絶やす? 殺すってことですか? まさか、そんな恐ろしい」 音風の口を塞いでいた手が外される。そして男はその手を今度は自分の口にあ て、美鳥の言葉に驚いたふりを装う。 口の自由だけは取り戻した音風だったが、何も言葉は発さない。発すべき言葉 も見つからないのかも知れない。未だ両手の自由は拘束されたままで、下手な言 葉で男を刺激すべきでないと判断したのだろうか。ただ音風の目は、傍らで眠る 真月を盛んに気にしていた。己の身より、妹に危害が加えられることを心配して いるのだ。 「ああ、ご心配なく。そちらのお嬢ちゃんに何かする気は、毛頭ありませんから」 背後から音風の視線を読んだのだろうか。美鳥が正面から見る限り、音風は頭 を動かさず視線のみで真月を気遣っていたのを、男には知れていた。 微かに音風の身体が硬直する。そして、それきり真月の方へ視線を遣らなくな った。 音風を拘束しながらも、男の物腰は穏やかで、紳士的でもあった。しかし美鳥 は強い違和感を覚えていた。 経験上、異形の者たちは全て殺戮を好み、知能の高い完全体には狡猾が加わる と美鳥は知っている。しかしそれだけではない何かが、男から感じられるのだ。 その何かは、すぐに知れることとなる。 「あなた方の命を取るつもりなら、とっくにやっていますよ」 そう言って、男はわずかに微笑んだ。どこかで見たような表情だ、と美鳥は思 う。 そうだ、あいつに似ている。 以前、真月を誘拐した完全体───いまにして思えば異形と完全体の中間程度 にしか過ぎなかったが───田邊の狂気に満ちた笑いと良く似ているのだ。 「例えば………こんな風にね」 不意に男の右腕が高く挙げられた。次の瞬間、その掌は最短の距離で落下し、 音風の胸に突き刺さった。 声を上げる間さえなかった。美鳥も、とうの音風も。 男の動きは、いささか芝居じみたものだった。明らかに美鳥や音風に見せるこ とを意識している。大掛かりなイリュージョンを観客に披露するマジシャンのよ うに。 動きばかりではない。その動きによって行われたこと自体まるでマジックであ った。 男の指は、服の上から音風の胸に深々と突き刺さった。熱したナイフがバター を容易く切り分けるが如く、男の指は何の抵抗もなくその先、手首の辺りまで埋 没して行く。 時間にすれば一秒にも満たなかった。突き刺されたのと同じ唐突さで、男の指 は音風の胸から引き抜かれる。 振り下ろされる直前の位置に戻った男の手。但し男の手には、その前と比べ一つ の変化があった。 「………きさ、ま………おと、かぜに、なにを……した」 手中に握られた物、その正体を認識した美鳥の喉からは絶叫しつつも掠れた声 が絞り出させる。怒りと恐怖が同時に美鳥を支配していたのだ。 怒りに任せ、拳を打ち、男を粉々に砕いてやりたい。 突き上げるような激情。しかし感情のまま、男を打つことはしない。出来ない。 美鳥を止めたもう一方の感情、それが恐怖である。それは明らかに力の勝る相 手に挑むことへの恐怖ではない。自分が動くことで、妹を死に至らしめるかも知 れないという恐怖。 そう、男は文字通りに音風の命を握っていた。 握っている男の手より一回り小さな塊。無数の糸で音風と繋がったピンク色の 物体は、命の証である鼓動を、男の手中で続けていた。 「うむ、若干弱いようですが………気にするほどでもない。いやいや、それより も、実にいい色をしています。うーん、お身体が弱いと聞いていましたが、こい つのせいではないようですね」 男は手の中の物体を、持ち主である音風にもよく見えるよう、彼女の目線の高 さへ下げて言った。 それは心臓だった。 にわかには現実と信じ難い。男はマジシャンなのではないだろうか。そう考え れば納得がいく。 現実離れした光景、己の成し遂げた行為にはそぐわない穏やかな話し方。それ は美鳥がブラウン管の中に見たマジシャンのそれに共通していた。 しかし美鳥の目にしているものはトリックを仕込んだマジックなどではない。 自ら望んで集まった観客ではなく、他人の家に無断で侵入し技を披露するマジシ ャンなどいるだろうか。 何より、それがマジックなどではないと技を施された当人、音風の表情から窺 い知ることが出来た。 音風は気丈であった。 気がふれても不思議ではない。多少精神力の強い人間であっても、正気を保ち つづけることは困難であろう。音風に施された技はそれほどのものである。 自分の心臓である。どれほど巧みなトリックを用いたとしても、鼓動の在りか を感じる当人を欺けはしないだろう。 音風は確かに己の鼓動を感じているようだ。男の手の中から。 自分の胸の外から鼓動を感じた人間など、他にいただろうか。 引きつった表情、額に浮かぶ脂汗。他の誰にもない経験の中に、音風はいた。 見ている美鳥さえおかしくなってしまいそうな体験をしている。 それでも音風は気丈であった。 もともと朧の四姉妹、いや真月を除き覚醒を終えた三姉妹の中で、最も優れた 能力者は音風であった。しかし病弱な身体が、存分な力の発揮を許さない。 それでもいま、音風は精神において、強き戦士だった。 顔色こそ蒼白であったが、その瞳は凛としていた。 男のおぞましい行為に対し、恐慌を起こすこともなく、何か強い意志を持って 文字通り敵の手中に握られた心臓を見つめる。 音風に恐れるものがあるとしたなら、それはただ一つ。 妹の真月へ、危害が及ぶことだった。 男の指先のわずかな動きだけで、音風の命は容易く絶たれるであろう。この状 況下では、美鳥も音風も迂闊に行動を起こすことが出来ない。 だがもし、男の手が真月へ向けて髪の毛ほどでも動けば、音風は全力を以って これを阻止するに違いない。 「お二人とも、そんな怖い顔をしないで下さい」 美鳥の焦燥や音風の決意も知らず、あるいは知っての上か、男はおどけて肩を 竦めた。 「だから言ったじゃないですか、別に私はあなた方の命を取るつもりはないって」 こんな異様な状況でなければ、あるいは見る者に安堵感を与えていただろう。 男は極めて穏やかな表情と声で言った。それから、静かな動きで心臓の握られた 拳を音風の左胸へと充てる。 マジックの仕上げ。 これが舞台の上でならば、マジシャンは満場の観客より拍手の雨と賞賛の声を 浴びながら退場して行く瞬間であろう。 血の一滴も流さず抜き取られた心臓は、やはり血の一滴も流さず、音風の胸の 中へ収められたのだった。 まだ男の左手は音風の両腕の自由を奪っていたが、攻撃を仕掛けるならば、い まが数少ないチャンスなのかも知れない。一瞬そう判断した美鳥であったが、身 体は一ミリにも満たない距離を前進するに留まった。 ここは夜の港でもなければ、草深い山中でもない。メートル単位の上下左右に 人の住むマンションなのだ。犠牲を出さない戦いは不可能に近い。ましてその第 一犠牲者の最有力候補がいまだ目覚めない真月であれば、いかに直情的な美鳥で も、戦いに二の足を踏むのは当然だった。 「私は、これでも医者なんですよ。おお、そうだ、ええっとこちらのお嬢さん、 音風さんでしたね。一度、私の病院にいらっしゃい。どんな病気でも、たちどこ ろに治して差し上げますから。まあ、多少、元気になりすぎる………かも知れま せんが」 「冗談はいいから、それより、あなたの目的は、ナンなの」 美鳥は二つの目的を持ち、努めてゆっくりと、そして極力静かに話をした。一 つは男を刺激し、音風や真月に危害が及ぶことを避けるため。もう一つは時間稼 ぎをするために、である。 もちろん美鳥に犠牲を覚悟してまで、戦いを挑む意思はない。だがもし、あら ゆる犠牲をも顧みず美鳥が、そして音風が能力の全て以って挑んでも、完全体た る男に勝ち目はない。たとえ音風のように能力に優れた者であっても、知性に乏 しい異形ならばともかく、完全体に致命傷を負わすのは不可能なのだ。唯一、完 全体を葬り去ることの適う力、それは優一郎の【日龍】のみ。 そう、美鳥は【日龍】の能力者、優一郎の到着を待っていた。
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