●長編 #0038の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
真月が走り、追い求めるもの。それは麗花の姿であった。 一瞬、ほんの一瞬である。 倒れ込んだ真月の横を通り過ぎて行く白い車。その車窓に麗花の姿を見たのは。 わずかに二つを数える間もなかったであろう。それだけの時間であれば、見間 違えであった可能性が高い。いや、理性の記憶する事実がある限り、それは見間 違えであると断言すべきである。 真月は知らぬことであったが、朧と異形の闘いの果て、麗花はその命を断たれ ているのだ。その麗花の姿を、走り去る車に見るなどとは決してありえない。た だ一つの可能性を除いては。 車の速度は人の走る速度を上回る。まして休みなく走り続ける車であったなら、 幼い子どもが追いつける道理はない。が、幸いなことに、いや、ただ一つ残され ていた可能性、麗花の面影を持つ者の危険性を考えれば不幸なことに、真月は車 に追いつく。 百メートル、あるいは二百メートルほど走っただろうか。その姿も消え、もう 追いつけないと諦めかけていたとき。探し求めていた車が、再び真月の目に止ま る。 真月には車好きな男子生徒のように、車種を特定することは出来ない。が、つ い先刻の一瞬に見た車と同型であると確信する。迷うことなく、真月は車へと近 づいた。 小さなコンビニエンスストアの駐車場。運転席にドライバーの姿はない。その 懐かしい姿を求め、大きなガラスの向こうの店内へと目を遣る。 ガラスに接した雑誌のコーナー、レジに求める姿はない。表からは死角となる 商品棚の奥にいるのだろうか。真月は店の入り口へと踏み出しかけた足を止める。 旧家朧月家の娘として、真月は物心つく前より厳しく躾られていた。そのため 他の子どもたちのように、学校帰り、気楽にコンビニエンスストアへと立ち寄る ことには強い抵抗感があったのだ。 わずかな逡巡ののち。無意識に伸ばした手が小さな成果を得る。 静かに真月のほうへと近づくドア。ロックされていなかった車のドアが開いた のだった。 もちろん普段であればカギが掛かっていなかったとは言っても人様の車へ、勝 手に乗り込む真月ではない。しかし一つにはそれが大好きな姉のものと確信して しまったことと、匂い………記憶の中のものと一致してしまった麗花の残り香が、 真月に不躾な行為をとらせてしまった。 後部座席へと乗り込む真月。 生まれて間もない幼子は、全ての感覚において成人に劣る。しかしただ一つ嗅 覚のみは成人を凌駕すると言う。 目も開かず、自力では寝返りさえ打てぬ幼子は自分の守護者たる母を匂いで認 識し、安堵するのだ。 誕生より既に九年を経ている真月。わずか九年しか経ていない真月。まだそん な幼子の 感覚を残していたとしても不思議ではない。 二人の姉の前では気丈にも明るく振舞っていたが、田邊の一件や麗花の死によ って真月の心は今日まで張り詰めていた。それを甘く、優しく、懐かしい香りが、 解きほぐす。 微かに外よりも暖かな車内の空気がそれに追い討ちを掛け、真月を深い眠りの 世界へと誘った。 人外の能力を持つ異形。 その運動力、筋力は地上に生息する如何なる生命体も太刀打ちすることは敵わ ない。 サバンナの王者も、密林の暗殺者も、氷上の死神も、海中の殺戮機械も。異形 なる者から見れば稚児と呼ぶにも価しない、他愛もない存在であった。 当然、生命力においても然り。 極寒、灼熱も異形の身体を破壊するには至らない。真空も高水圧もその生命を 脅かすには足りない。そもそも正しい形態と言うものを持たぬ異形は、どんな劣 悪な環境にも驚くほどに短い時間で適応が可能なのだ。ただし、それは異形たる 形態をとっている時に限られる。多くの異形は強い生命力に反し、その知能は極 めて低い。だが異形の中でも特に完全体と呼ばれる者は人と同等、あるいは人以 上の知能を持ち合わせていた。 通常、完全体は人の姿をとり、人の社会に紛れる。人の姿を借りた完全体は、異 形としての欲望を隠し、人としての生活を営む。 完全体である麗菜がコンビニエンスストアに立ち寄ったのも、彼女が人としての 仮の生活と習慣を持っていたがためである。 これ見よがしに店のロゴがプリントされたビニール袋を手に下げた麗菜は、己 が異形であることを忘れていた。初めは愛用の煙草を切らしていることに気づき、 たまたま目に留まったコンビニエンスストアへと立ち寄った。店に入った途端、 派手にレイアウトされた食品の宣伝ポスターが麗菜の空腹を誘う。 単純に考えれば、見事経営者の策略にはまってしまったと言っていいだろう。 だが人の姿をした麗菜には、普通の若い女性たちと同様の食欲がある。加えて麗 菜と一体化した兄の分の食欲をも受け持っているのだ。 予定外の食料品を購入したために、麗菜は予定外の時間を掛けてしまった。も っとも先を急ぐ理由はないのだが。 「いくらなんでも、買い過ぎちゃったかな」 手にしたビニール袋へ目を落とし、麗菜の表情が緩む。仮初めの人として顔。 異形と化し、兄雅人と一つの身体を共有するようになって、数えるほどにしか作 ったことのない表情であった。 あるいはもし、あの忌まわしい事件さえ起きていなければ、ごく日常的に見せ ていたであろう表情。兄は深い眠りに就いている。いまこの瞬間だけ、麗菜は普 通の女性であった。 いくらも歩くことはない。コンビニエンスストアの前に設けられた狭い駐車場。 五台と停めることは出来ないだろう。しかしいま停められているのは白い麗菜の 車一台。他にはオフロードタイプのバイクが隅に停められているだけであった。 迷うはずもない。麗菜は真っ直ぐに己の車へと足を進めた。 短時間のことと思い、ドアのキーは掛けていない。そうした考えが、車上荒し や車泥棒の被害に遭いやすい油断ではあったが、それは普通の人間であればの話。 もしそのような事となれば、犯人はやがて予想もしていない恐ろしい死様を迎え たであろう。 助手席に買い物袋を置くと、麗菜は舞うような仕草で車へと乗り込み、発進さ せた。 コンビニエンスストアの駐車場を出て、五分ほどが経過した。信号機に止めら れることがなかったのも手伝う。夕暮れの街を、麗菜は上機嫌で車を走らせてい た。が。 「レイナ!」 「ん………ううん………」 兄の声に続き、麗菜の耳に飛び込んできたのは、聞こえる筈のない声。 麗菜と麗菜の中に生きる兄、雅人、その双方いずれでもない声。 この車内に存在する筈はなかった者の声であった。 久しぶりに穏やかさを保っていた車内の空気が、途端に張り詰める。それは侵 入者に対し、麗菜が恐怖したために生じたものではない。 侵入者に対する敵意。そして、その侵入を容易に許してしまうほど、油断しき っていた己への怒りによるものであった。 麗菜の発する怒りが、車内を満たす。それは目に見えぬものではあったが、並 の人間であれば、精神に異常をきたすに充分なほど、具体的な圧力を持っていた。 だが、侵入者がその様な状態となった様子はない。あるいはこの車内に潜んでい るのは、思わぬ強敵、朧の者か? 麗菜はそう判断をした。 ここまでは瞬時の出来事である。 兄の声を聞くと同時に、麗菜はブレーキを踏んでいた。いくら異形の能力を持 った麗菜ではあっても、車を運転し、背を見せたままの闘いを有利とは言えない。 人目につくことは本意でないが、場合によっては致し方ない。幸い周囲に野次馬 となる人影はなかった。麗菜はここで異形の能力を使った闘いを行う覚悟でいた。 極度に高まった緊張。 それだけに振り返った先、後部座席に潜む侵入者の姿を見止め、麗菜を襲った のは強い脱力感であった。 車内の緊張した空気は、一陣の風が蚊柱を連れ去るが如く、瞬時にて消失する。 「なるほどね………殺気が感じられなかったのも、当然だわ」 半ば自嘲的に、半ば微笑むように麗菜は呟く。麗菜と肉体、精神共に同調した 雅人から返事がないのは、彼もまた侵入者の正体に呆れていたからなのかも知れ ない。 そこには、すうすうと小さな寝息を立てた少女がいた。 敵意も殺意も持たぬ子どもの存在に麗菜が気づかなかったのは無理もない。例 えるなら道端に咲く小さな花々のうち、特定の一つを気にする者がないのと同様 である。それらをいちいち気にしていてはきりがない。 麗菜が放った敵意に反応することがなかったのも当然。穏やかに眠る少女は、 ただそれを受け流すだけであったのだ。 「この子は確か………」 無垢な寝顔を見せる少女を、麗菜は知っていた。だが 麗菜が口にするより早く、兄がその名を呟いた。 「マヅキ………オボロヅキマヅキ」 麗菜にとっては遠縁にあたる朧月家、その四姉妹の末娘。麗菜が憎んで止まな い朧の血を引く少女。どういった理由なのかは分からない。しかし異形である麗 菜の倒すべき敵が、こうして無警戒にも寝姿を曝しているのだ。 もとより朧の力に目覚めていない、九歳の少女である。しっかり身構えていよ うと、その命を奪うのに異形の力を使うまでもない。けれど今なら確実に、悲鳴 の一つ、いや息の一つも吐かせぬうちに死を与えられる。 しかし麗菜の手は、すぐにそのための動きをすることがなかった。 しばらくの逡巡。 異形であっても、麗菜は人を殺すことに快楽を得てはいない。そんな彼女にし てみれば能力を振るい向かって来るものならいざ知らず、無抵抗な子どもを殺す ことには躊躇いがあったのだ。 しかし先日、実の姉麗花との闘いにおいて、朧月の次女美鳥を見逃したばかり である。上下にも横にも、仲間の繋がりが希薄な異形ではあったが、それでも麗 菜の立場上は好ましいことでない。麗菜にとって己の立場を案ずることは、即、 兄の立場を案ずることにも繋がる。 「オレノコトハ………キニ……ス………ルナ」 切れ切れな兄の声。 長時間、起きていることの出来ない雅人は、侵入者が危険のない少女と知り、 また深い眠りへ就こうとしていたのだ。 麗菜は身体を後ろに向けたまま、運転席のリクライニングを倒す。ぐっ、と少 女の顔、細く柔らかそうなうなじが眼前に迫った。 その首へと麗菜の手が伸びかけ、戻る。 幼い。 敵の一族。朧の末裔として、麗菜は少女のことをよく知っていた。だが、これ ほどまでに間近で対面するのは初めてである。 九歳、その年齢もよく知っていた。しかし改めてその姿を目の前にすると、あ まりにも幼い。 「オレガ、カワ……ロウ」 麗菜の迷いを察した兄の声。いや、察したと言うのは正しくない。一つの身体 を共有する麗菜と雅人は、その心も多くの部分で共有している。麗菜の心の迷い は、雅人の迷いともなる。 「いいの。だいじょうぶよ」 極力穏やかな声、穏やかな表情で麗菜は言う。見てもらうことの出来ない、笑 みをも浮かべて。 赤子は、母親の感情を敏感に察知する。苛立った母親が、どれほど穏やかさを 取り繕っても、抱かれた赤子は怯え、泣く。 心底から穏やかに接すれば、赤子は安らぎ、母親の胸で静かに眠る。 同様に麗菜の穏やかな心は、雅人へと伝わる。麗菜の穏やかさが、母親の温も りとなり雅人を深い眠りへと誘った。 まだ迷いは消えない。だが、心を波立たせてはいけない。 心穏やかに、そして速やかに、少女を永久の眠りへ就かせなければ。 最短の距離で少女の首筋へと伸ばされた手が、目的を果たさぬうちに再び戻さ れたのは、躊躇いのせいではなかった。 吸い込まれそうなほど澄んだ、大きな瞳が麗菜を見つめる。 少女が目覚めてしまったのだ。 『どうする?』 円らな瞳を見つめ返したまま、麗菜は考える。 騒がれては面倒だ。 少女はきょとんとした表情でこちらを見ている。自分の置かれた状況に気づき、 泣き出すより先に殺してしまわなければ。それは、麗菜にとってさほど難しいこ とではない。 けれど麗菜はそうしなかった。出来なかった。 先に動いたのは少女のほうだったのだ。
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