#586/598 ●長編 *** コメント #585 ***
★タイトル (sab ) 21/10/31 09:01 (352)
「仏教高校の殺人」10 朝霧三郎
★内容
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第3章
日野市の豊田駅北口を出て少し行ったところの交差点を右に行くと多摩平緑地通り、
という通りに入る。
左手に公団住宅やイオンモールのあるエリアが広がっている。
右側に長さ数百メートル、幅百メートル程度の斜面の雑木林がある。
その下に十幾つもの湧き水が出ている黒川公園がある。
郁恵の家の竜泉寺は黒川公園の南側に位置する東豊田3丁目にあった。
海里の尼寺も同系列だったので、5分と離れていなかった。
竜泉寺の配置は、南から門を入って、塔、金堂、講堂、という四天王式の順番で、
北の講堂の裏に、寝泊りの出来る道場と、台所、その裏に墓地、背後には黒川公園の
丘が広がっていた
その道場に催眠・瞑想研究会のみんながおしかけた。
まず、全員で道場備付の作務衣に着替えると、掃き掃除をして、それから雑巾がけ。
郁恵、海里、伊地家ら女性陣は、道場の押し入れの布団を出して外に干す。
「きゃー、ゴキブリ」
と伊地家が尻もちをついた。
犬山がほうきで叩き殺そうとする。
「まて、殺生はいかん」
と剛田。
そして剛田は手のひらを丸めて蓋をする。
そのまま掴んで外に逃がしてやった。
時刻はまだ午前10時だった。
犬山の携帯が鳴った。
「蓮美だ。
はい、はい、うん、えー、市ヶ谷?」
電話を切ると、犬山が言った。
「実は蓮美のおじいさんが田舎から上京して、靖国神社に行きたいんだけれども、
蓮美も中学になってから越してきたばっかりだし、土地勘がないんだって。
だから案内してくれっていうんだよ」
「それだったら海里が詳しい」
と郁恵。
「あの近所に系列のお寺があって、そこに夏休みの間とか研修に行っていたでしょう」
「えー、市ヶ谷から靖国神社なんて誰でも行けるよ」
と海里。
「いやー、東京の人はそういうが、蓮美の様に東北から出てきた人にゃあそうは
いかねーだよ」
と犬山。
「えー」
と海里は難色を示す。
「行ってこいよ」
と亜蘭まで。
という訳で、海里は犬山と市ヶ谷に行く羽目になった。
現地につくと、猿田、雉川も来ていた。
やがて蓮美と、杖をついて眼鏡をかけた枯れ木の様な老人が現れた。
「こんなおじいさんだけれども、特攻隊の生き残りで、本当は玉砕しているところを
エンジントラブルで帰還したところで終戦を迎えたのよ」
と蓮美。
蓮美とおじいさん、海里、三銃士で、靖国通りをよろよろと歩く。
蓮美はおじいさんを支えて歩いていたが、それが、枯れ枝の様なじじいの腕を、
まるで瑞々しいコラーゲンたっぷりの手で支えてやっていて、
(人間って乾燥していくんだなあ)
と海里には思えた。
靖国神社へは南門から入ると鳥居を右手に見ながら左手の拝殿へ。
「お賽銭はいくら?」
と犬山。
「正式参拝じゃないから気持ちでいいよ。
5円とか50円とか穴があいているのがいいらしい」
と海里。
「じゃあ、50円だな」
と犬山。
「50円じゃあ失礼だよ、500円だよ」
と蓮美。
「じゃあ100円」
チャリーンと賽銭箱に投げ入れると、二礼二拍手一礼。
「あっちに行ってみるか」
とじじいが杖で鳥居の方を指した。
鳥居のところで、ホームレスが軍手で鷲掴みで握り飯を食べていた。
食べ終わると軍手についた米粒をばたばたばたーっとばらまく。
それに鳩が群がった。
そこを通り越して、遊就館へ入る。
入るやいなや、洞窟にでも入ったみたいに背筋がすーっとする。
ゼロ戦や人間魚雷が展示してある。
特攻隊員の遺影、遺書などを見ながら歩いて行く。
「ここにはA級戦犯も祀られているんですよね」
と雉川が言った。
「ばか、余計なことを言うな」
と犬山が言っても、毅然という。
「どうして分祀出来ないんですか、悪い奴と英霊は別々にした方がいいでしょう」
と雉川。
「それは同期の桜だからだよ。
♪貴様と俺とは同期の桜ー、同じ兵学校の庭に咲く、咲いた花ならぁ散るのは
覚悟…、死んで靖国で会いましょう、って約束して突っ込んだんだからねぇ。
でも、ありゃあ、身体があったらびびってできない。
体があって、びびっちゃって虜囚になった人もいたが。
それでも死ねば魂になるから、そこには罪はない。
みんなが一体化して、あの世に行きましょう。
だから、みんなが死ぬまでは、成仏出来ない浮遊霊がそこらへんに漂っているぞ、
みんなそこらへにいるぞ、おーい、みんな待ってろー」
「ひえー」
と猿田、犬山は震えていた。
雉川は聞いた手前じっとしていたが。
遊就館から出てくると、鳥居のところで、さっきのホームレスが、腹をさすりつつ、
ため息をついていた。
「お腹が減っているのかなあ」
と海里。
「そうだ、お弁当があったんだ」
と言うと、蓮美はナップから弁当を二つ出した
「牛タン弁当。
これ、仙台駅で買ったんだけれども、新幹線の中でじいちゃんは寝ちゃうし
食べなかったんだ。
あのホームレスにあげよ」
言うとホームレスのもとへ。
「これ、あまりものですけれども、どーぞ」
と2個もホームレスに差し出す。
「ありがとう、じゃあ一ついただきます」
「でも、賞味期限は17時なんで、夕食にも食べられますよ」
「いやー、一個でいいよ」
「これ、この紐をひっぱると」
と、蓮美は弁当の隅っこから出ている紐を指で示した
「弁当の底に仕込んである生石灰と水が反応して温まりますから」
「あー、ありがとう」
言うとホームレスは一個受け取った。
「一個余っちゃった」
戻ってくると、蓮美が言った。
「私がもらうよ」
「えー、こんな“なまぐさ”いもの修行僧が食べるの」
「一応もらっておくよ」
海里は言うと受け取って自分のナップに閉まった。
鳥居の外まできたところで、
「もう鳥居は出たな」
おじいさんが言った。
「ところで、田舎の震災で死んだお前の従兄弟らだが、あいつらも浮遊霊に
なっちゃっているんだよ」
「えっ」
と蓮美。
「お前以外はみんな死んだ。
だからお前も死んで、一緒にならないと成仏出来ないんだよ」
言うとポケットから黄色いカッターナイフを出した。
カチカチカチと刃を出す。
杖を放り出していきなり切りかかってきた。
が、足腰が弱っているので、ふらふら、がくがくしていて、カッターは空を切って、
じじいはその場にこけた。
蓮美はさっと、後退りする。
雉、猿、犬がじじいを取り押さえる。
途端に警備員がかけつけてきた。
「どうしたんですか。
大丈夫ですか」
「いや、ちょっとふらついただけです」
と蓮美。
「さあ、行こう行こう」
三銃士がじじいを抱えると、全員で移動する。
「本当に大丈夫ですかー」
「大丈夫でーす」
いぶかる警備員をよそめに、そそくさと全員であとにした。
大鳥居を出ると九段下の出入口のところ。
「じゃあ、東京駅におじいさんを送ってくるからね。
海里、ありがとうね」
「本当にそのおじいさん、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「又襲われたりしない」
「大丈夫、三銃士もいるし」
「そう。じゃあ気を付けてねえ」
「うん、ありがとう」
蓮美と三銃士に抱えられたじじいは地下鉄に降りていった。
海里は、市ヶ谷に向かって踵を返した。
海里は、思い当たる事があって、竜泉寺には直接帰らないで、自分ちの尼寺に行く。
自分の部屋に行くと 本棚からアルバムを抜いて、開いた。
(第一幼稚園自体の誕生会の写真は…)
と呟きながらめくる。
(これだ。
9人の4歳児が写っている2L版の写真。)
それをもって、茶の間の母のところへ。
詰め寄る様に母に迫っていく。
「お母さん、これ見て」
とアルバムを差し出す。
「このグループってどんな関係なの?
ただ誕生日が同じなだけ?」
「ああ、この子達はねえ、それだけじゃない。
あれは折鶴産婦人科だっけっか。
同じ病室にいて、同じ日にみんな生まれたんだよ。
満月の晩でねえ。
みんな産気づいて。
だのに、島崎君、川上君、小林君はバイクの事故で亡くなっちゃうし。
リエラちゃんと、妃奈子ちゃんもあんな事に」
「そしてお兄ちゃんもでしょう」
言うとアルバムをパタンと閉じた。
(これは同期の桜だわ。
否、胎蔵界曼荼羅の同期だ。
一緒に咲いたなら一緒に散らないと成仏出来ない。
先に亡くなった6体が成仏する為には、自分と郁恵、亜蘭が死ななければならない。
という事は次は、自分か郁恵か亜蘭。
亜蘭は私を守るって?
じゃあ私は郁恵を守らないと。)
「竜泉寺に行ってくる」
言うと、脱兎のごとく走り出た。
竜泉寺の道場に戻ってみると、すっかり綺麗になった床の上に、亜蘭、郁恵、
剛田、小暮勇、城戸弘、が正座していて、乾明人 伊地家益美が目隠しをして、
棒の様なものを持って、気配を探る様に、忍び足で動いていた。
突然、乾明人が棒を振り回したが空を切った。
「何やっているの?」
海里は郁恵に聞いた。
「気配ぎり。
でも、金木犀の匂いはしているのよ。
目隠しのハチマキに金木犀がさしてあるでしょう」
なるほど、額のところにオレンジ色の小花が出ている。
「あの香りで相手を探って気配ぎりするの。
負けたチームが便所掃除をするので、必死にやっているのよ」
「それだけじゃないんだよ」
と小暮勇が言った。
「花の香りをかいでから斬るまでのスピードは、転ぶ時に手を付くぐらいの速さ、
つまり無意識的にやるから、つまり受動意識仮説的になるから解脱も出来るかも
知れないし」
「シーっ」
と亜蘭。
気配切りの方は、伊地家がクンクンしながら乾明人の方に向いたところ。
そして棒を振り上げると思いきり振り下ろした。
ぽかーんとヒットする。
「一本」
と剛田。
「伊地家は人を斬る才能があるなあ」
と小暮勇。
「じゃあ、乾明人と小暮勇、城戸弘の三羽烏は便所掃除だな。
残りはマキ割」
と亜蘭。
道場から小道をはさんで台所の建屋がある。
その前には、生垣があってその前がマキ割場。
建物の脇には屋根付きの薪置き場があって、丸太が積んである。
「じゃあ、お前ら便所掃除ねー」
と亜蘭。
「おっけーおっけ」
言うと三羽烏は台所のすりガラスを開ける。
「どこだか分かる?」
と郁恵
「あー、多分ね」
と三羽烏。
「じゃあ、僕らはマキ割だ」
と亜蘭。
まず亜蘭、剛田が、台車に丸太を積んで、マキ割場までもってくる。
「それじゃあまず1本取り出しまして」
と亜蘭は丸太をマキ割台に立てた。
そんきょの姿勢でナタをかまえる。
そして振り上げると、一気に振り下ろす。
ぱかーんとマキは割れた。
「こうやればいいんだよ。
じゃあ、伊地家、やってみな」
言うと、マキ割台に1本立ててやる。
伊地家は見よう見まねで、そんきょの姿勢から、両手でぐらぐらとナタを持ち
上げると振り下ろした。
丸太の端っこにチップして、丸太が倒れる
「目を離さないで。
ナタの重さを利用して、振り下ろすんだよ」
真顔で頷くと、丸太をたてる。
そんきょの姿勢でマキを凝視し、ナタを振り下ろす。
ぱきーんといい音がしてマキが真っ二つになった。
「よっしゃー」
そしてもう一個。
ぱきーん。
順調にマキは割れていった。
マキ割の台の向こうは金木犀が植わっていて、甘いにおいがただよってきていた。
そして伊地家はひたすら、ナタを振り下ろす。
「こっちはよさそうだから、風呂でも洗いにいこうか」
と郁恵。
「そうね」
と海里。
(そうだ、郁恵と一緒にいて守らないと。)
台所の建屋のすりガラスを開けると土間があって、右手に、木をくべて焚く
風呂の釜があった。
左の上がり框を上がると台所だった。
台所を抜けて先の廊下を行くと、風呂場と便所が隣り合わせにある。
小暮勇、乾明人、城戸弘の三羽烏が便所掃除をしていて、何故か、
犬山以下三銃士が居た。
「あれー、あんた達。
蓮美は大丈夫?」
と海里。
「大丈夫だよ。
じいさんを新幹線に乗せて、蓮美も家に帰ったところ」
と犬山。
「ふーん」
「じゃあ、掃除するか」
と郁恵。
脱衣所の奥のすりガラスを開けると、タイルで出来た大きな風呂場が見えた。
洗い場の蛇口だけで3つもある。
郁恵がデッキブラシとホースに洗剤をもってくる。
「海里、その風呂桶で洗剤を薄めたら、適当にまいてよ、私がこするから」
「おっけー」
海里が洗剤、ホースを受け取ると、郁恵は腕まくりをして、髪を束ねると
かんざしでさした。
それには金木犀の髪飾りがついてる。
「あれっ、それ、誰に」
と海里。
「亜蘭君に」
「へー、何時の間に」
(亜蘭は郁恵が好きなのかなあ。
いやに伊地家に張り付いていた気もするが、あんなさえない伊地家益美。
人は見た目が90%)
と海里は思う。
そのさえない伊地家が台車にマキとナタを乗せて土間に入ってきた。
釜の前に台車を停車させるとあたりを見回して、
「郁恵ー」
と怒鳴る。
「郁恵ー、マキはどこにおけばいいの? 郁恵ぇー」
風呂場でデッキブラシをかけようとしていた郁恵が気付いて、
「呼んでいる。
ちょっとこれお願い」
言うと、デッキブラシを海里に預けて、台所の土間の方に行った。
そして、上がり框から首を出して、伊地家に、
「マキは、その釜の前に下ろしておいて。
あとナタはその棚の上に戻しておいて」
「分かった」
とナタを持ち上げると伊地家はぼーっと郁恵を見た。
風呂場の方から土間の方へと隙間風が流れて、郁恵の髪飾りの金木犀の香りの
粒子が伊地家の鼻腔に到達した、その瞬間、
「ぎゃー」
という物凄い声をともに伊地家がナタを振り下ろした。
ナタは郁恵の眉間に食い込んで、脳漿炸裂。
ぷしゃーっと真っ赤な液体が噴出させながら、郁恵は、台所の板の間から
土間に倒れ込んでいった
その物音に気付いた海里は
(しまった)と思った。
それからは大騒ぎ。
救急車が来て、明らかに死んでいる郁恵が搬送された。
郁恵の両親と寺男もついていった。
その場にへたり込んでいる伊地家を警察官が取り囲んだ。
「君、いったいなんだってこんな事を」
と初老の警察官が言った。
「私はわたしは、ワタシは」
宙を見ながら宇宙人の様に話す。
「奇跡を見せられて魅せられてしまった。
あなたはもう椅子から立てなくなる、と言われて本当に立てなかったから」
「なんお話だね」
「だから、この人は催眠の事はなんでも知っていると思って」
「訳がわからんな。
とにかく署に連行して詳しく聞こう」
3、4人の警察官と一緒に伊地家は連れていかれた。
それでも、まだ土間には7人ぐらいの警官がいて、うんこ座りで写真を撮ったり
凶器のナタをジップロックに入れていたりしていた。
台所の中には、剛田、小暮勇と乾明人、城戸弘の三羽烏、犬山、猿田、雉川、
の三銃士、そして海里がいた。
「亜蘭は?」
つぶやくように海里が言った。
「ああ、黒川公園の丘に行くって。
あそこからは、遠くに浄土が見えるとか言って」
と犬山。
「じゃあ、行かなくちゃ」
言うと、海里は土間にあったナップを背負った。
「みんなも来て」
「なんで?」
と剛田。
「私、分かったの、全部分かった」
年かさのいった警官が上がり框に近寄ってきた。
「あなた達にも聞きたい事があるんですがねえ」
とその警官が言った。
「後にして」
言うと海里は押しのけて土間に降りると、そのまま出て行った。
そして他のメンバーもぞろぞろとついていった。
#587/598 ●長編 *** コメント #586 ***
★タイトル (sab ) 21/10/31 09:02 (395)
「仏教高校の殺人」11 朝霧三郎
★内容
全員で、標高十数メートルの黒川公園の緩やかな段丘崖の遊歩道を走って
上がって行った。
一番上まで行くと、団地沿いの多摩平緑地通りに出た。
黒川公園の方に下っている崖は、大抵は緩やかなのだが、一か所、湧き水の
出ている岩場まで真っ逆さまに落ちる箇所があって、そこだけ鉄柵で塞がれていた。
その鉄柵によりかかる様に亜蘭は立って西側からさす夕陽を見ていた。
海里は東側から亜蘭に近付いた。
「何みているの?」
「ほら、見てみな。
ダイヤモンド富士」
呟く様に亜蘭は言った。
西に沈む夕陽がちょうど富士山にかかって、オレンジ色に輝いていた。
「ありゃあまるで浄土の様だよ」
「そんな事より、とうとう、あの曼荼羅で残ったのは亜蘭と私だけになったわね」
と海里は言った。
亜蘭はこっちを見たが西日で逆光になり表情は分からない。
「でも、私には分かった。
リエラの事、妃奈子の事、そしてさっきの郁恵の事も。
みんなに教えてあげる」
海里は振り返ると、剛田と三羽烏と三銃士に言った。
みんな西日でオレンジ色に染まっている。
「まず最初に、リエラの事から言うわ。
あの事件は、犬山君の送ってきれたテキストを見た時から、
なんとなくわかっていた。
きっとストリートですれっからしにひどい目にあわされて、
すれっからしが嫌いになった人、それは」
リエラは夕日に照らされていた内の一人を指さした、ズームイン。
「優波離、それって、乾明人じゃないの?」
「何をいきなり言い出すんだよ」
と乾明人は手のひらで西日を避けながら海里を見た。
「じゃあ、動かぬ証拠を見せてあげるわ。
つーか、不思議だったのは、何であの高尾山の日に牛タン弁当を
買ってきたかって事。
何で?」
「は? 俺に聞くなよ」
と乾明人。
海里は、牛タン弁当をナップから出した。
「何で、そんなものもってんだ」
と乾明人。
「今日偶然にももらったのよ。
仙台から帰ってきた蓮美に。
賞味期限は17時だからまだ食べられる。
優波離こと乾君、食べてみてよ」
「なんで今そんなもの食わないといけないんだよ」
海里は弁当を乱暴に開封すると、箸を出して牛タンと米粒をつまんだ。
「いいから食べてみて。いいから」
と、牛タンと米粒をつまんだ箸をもって迫っていく。
「みんなおさえて」
言うと、三銃士の猿田、雉川が両肩をおさえて、羽交い締めにして、
ちょうどダチョウ倶楽部の上島竜兵が肥後と寺門ジモンに押さえつけられて
熱いおでんを食わされる様な格好になった。
この状態で海里は、牛タンとご飯を乾明人に食わせた。
モグモグと数回咀嚼してから、
「ううっ、うえー」
と乾明人は吐き出した。
「なんだ」
と一同。
「ガルシア効果だわ」
と海里。
「ガルシア効果?」
と剛田が言った。
「そう、ガルシア効果。
この乾明人とリエラは、あの焼肉屋のコンパで、焼肉を食べた後
メントスを舐めて、その後バイクで車酔いをして吐いた。
一回そういう事があると当分ミント味は嫌いになる、というのがガルシア効果。
実際、リエラは、文化祭の反省会の時にサイダーが飲めなかった。
しかし、このガルシア効果の条件付けは、ミントだけじゃなかった。
焼肉も、食べると吐き気がするという条件付けがなされていたのね。
それで今乾君は吐き出した。
そうでしょう?」
「知らねーよ」
言うと、ペッっと唾を吐いた。
「それにしても不思議だわ。
何で乾君は、何故食べられもしない牛タン弁当を高尾山に持って
行ったのかしら」
海里は、牛タン弁当をもったまま腕組みをする。
三銃士も剛田も首をひねっている。
小暮勇、城戸弘は神妙な顔をしていた。
亜蘭の顔は逆光で見えない。
「何で食べられもしないのに牛タン弁当を持って行ったのよ」
と海里は問うた。
「知らねーよ」
と乾明人。
「なんでだ。
言ってしまえ」
と三銃士。
「知らねえーよ、ってんだろ」
「あのテキストにはこう書いてあった。
リエラは、ユーミンのメロを聞くと股間が濡れる様に条件付けされた。
パブロフの犬が、ブザーを聞けばヨダレが出る様に。
でも、それだけでは、滑落しない。
股間が湿っただけでは足を滑らせたりはしない。
だから特別な仕掛けを用意したって。
それがなんだかは書いてないけれども。
そこにポツンと出てきたのが、この牛タン弁当。
これで何をしたの?」
「知らねえよぉ」
「じゃあ私の想像を言ってあげる」
と海里は言った。
「今日、蓮美に聞いたんだけれども。
この紐、これを引っ張ると、生石灰と水と反応して熱が出るの。
それを聞いた時に私は思った。
もしかしたら、乾君は、生石灰をリエラのパンティーに仕込んでおいたん
じゃないか、と。
それで膣液が出て、それを石灰が吸収して、発熱して……。
それで、あちちちちとなって飛び跳ねて滑落した、と」
「バカ言ってんじゃね」
と乾明人は手を打って笑った。
「想像力たくましすぎだね」
「だって、あの日、『アニー・ホール』の真似をして、パンティーを
プレゼントしたって、テキストに書いてあったじゃない。
あんたが仕込んでおいたんじゃない?」
「馬鹿馬鹿しくて付き合ってらんねーな」
「そんなの警察が後で調べれば分かるんだから」
「じゃあ、調べてから文句言え」
「そんな事、ありえんのかなあ」
と、剛田や三銃士らは、ざわついていた。
小暮勇、城戸弘は沈黙。
亜蘭は相変わらず西日の逆光の状態。
海里は牛タン弁当を足元に置くと、大きくため息をついた。
「次に第二の事件。
妃奈子の件だけれども。
これも、犬山君の送ってくれた裏掲示板の書き込みで分かるのだけれども。
それは、ストリートでインポテンツになって肛門性愛に目覚めた変態。
変態といえば、城戸弘だけれども、今回の変態は…」
言うと海里は又指さした。
ズームイン。
「小暮君、あなたじゃないの、大迦葉は」
「おいおい、何で俺に矛先が向いてくる」
と小暮勇。
「だって、部室で、眼球を舐めてほしいのは、メーテルに自分だけを
見てほしいからだ、とか言っていたのは城戸君だけれども、
小暮君もそう思ってから、だから、8組のメーテル、或いは如来さまの蓮美に
催眠をかけたんじゃないの?」
「はぁ?」
「は、じゃねーよ。
星野鉄郎は男としてはメーテルにはもてない。
だからメーテルに女性性器があったら他のオスがきて星野鉄郎は完璧な愛を
得られなくなってしまう。
『ごめんね、お母さんも女だったの…』みたいになってしまう。
だからメーテルには女性性器はないから、肛門性愛しかない。
そして、自分だけを見ていて、という事でしょう」
「なにを、精神分析医みたいな事を言っているんだよ」
「すっとぼけるんだったら、あんたにも、動かぬ証拠を突き付けてやる」
言うと海里はスマホを出した。
「あんたは妃奈子に、J−WAVEのジングルを聞くと瞬きをするように
条件づけした。
この私のスマホにもJ−WAVEのジングルを入れてあるの。
今から、このスマホでJ−WAVEのジングルを小暮君に聞かせるわ。
何が起こるかしら。
さあ、三銃士、おさえて」
「おりゃあ」
またしても上島竜兵の様におさえられる。
海里は、小暮勇、に迫って行くと、スマホを小暮勇の耳に当てて再生した。
「JJJ、J−WAVE
JJJ、J−WAVE
JJJ、J−WAVE
エーリィワンぽいんスリー、ジェーウェーブ
JJJ、J−WAVE
JJJ、J−WAVE
JJJ、J−WAVE
ジェイ、ウェーブ グルーヴライン
JJJ、J−WAVE
JJJ、J−WAVE
JJJ、J−WAVE」
「ほら、ほら、見て見て、目が赤くなっていく」
と海里。
「本当だ」
剛田が覗き込んで言った。
「はなせっ」
と三銃士を振りほどくと、小暮勇は目をおさえた。
「何が起こったか説明する。
小暮君は妃奈子に、J−WAVEのジングルを聞くと瞬きするという条件づけ
をしたんでしょ。
J−WAVEのジングルという刺激を与えつつ、キッスは目にして!
という刺激で瞬きをするという反応を引き出す。
その内、J−WAVEのジングルを聞くだけで瞬きするという条件反射が完成する。
でも、あの体育館倉庫はアンモニア臭かったのよ。
つまり、あの時、アンモニアで目が染みるという刺激で、目が充血する反応が
起こっていたから、知らない間に、J−WAVEのジングルを聞くと目が充血する
という条件反射が完成していたのよ。
それが、あなたが体育館倉庫にいたという動かぬ証拠よ」
「そんな事が起こるのかよ」
小暮勇は目を擦っていた。
「じゃあ、どうして目が赤いのよ」
「そりゃあ…夕日のせいじゃないの」
小暮勇は言い捨てるとそっぽを向いた。
海里は、ふぅー、と大きくため息を一個。
「これで2つの事件は説明したわ。
そして、最後に郁恵の事件」
言うと遊歩道に立っている亜蘭を睨む。
夕陽の逆光で相変わらず表情が見えない。
「あれも、条件づけだったの?」
亜蘭は何もしゃべらない。
「条件反射なんて、腺、涙腺とかバルトリン腺とか、あと筋肉でも瞼とか
そういうところにしか出来なくて、腕を振り上げてナタを振り下ろすなんて
条件づけはあり得ない。
そんな条件反射はないのよ。
あれは、伊地家さんが意思をもってやったこと。
でも、どうやってそんな事をさせたのか。
それは、“転移”よ。
そうでしょう?」
言うと海里は手のひらをひさしにして亜蘭を見た。
「それを私は、警官に取り調べられる伊地家さんの言葉から思い付いた。
伊地家さんは、指で額を押されて、深く椅子に座っていれば立てないのだ、
というトリックで騙されて亜蘭のいいなりになったって言っていた。
私も、かつて、それと同じ事を同じ事をされていたの。
私も額を指で押さえられて立ってみろって言われた事があるの。
私もあの時、亜蘭はなんでも知っていると思ったもの。
それは”転移”でしょう?」
夕陽が陰ってきて、亜蘭の顔の輪郭が浮かびだした。
「それで分かった。
梵天は亜蘭、あたなでしょう」
「じゃあ、なんで、乾や小暮が亜蘭のいいなりに?」
と三羽烏の変態、城戸弘が言った。
「それは、彼の祖父のお寺がボヤを出して、修復に宮大工や仏具屋が必要に
なったから。
乾君の家や小暮君の家は宮大工と仏具屋だから言いなりになったのよ」
「そっか、石屋の俺には出番はなかったのか」
今や、海里と剛田、変態城戸弘と三銃士が亜蘭を見詰めている。
乾明人、小暮勇、は項垂れて下を向いていた。
「あの胎蔵界曼荼羅の絵を貼ったのも亜蘭でしょう。
バイクの3人もまさかあなたがやったの?」
亜蘭は足元のじゃりを靴でじゃりじゃりやっていた。
一回大きく蹴るとこっちを向いた。
「あれは事故だよ。
ただあそこで、あと3人死ねば、あとは僕と君だけとは思ったよ」
「リエラも妃奈子も郁恵も、幼馴染じゃない」
「ああそうだよ。
でもああした方がよかったんだよ。
どうせあの胎蔵界曼荼羅のメンツは出来損ないで、娑婆に“なまぐさ”
をためるばかりだったから。
さっさとみんなポアして、あの世に帰った方がよかった」
「なによ、“なまぐさ”を増やすって」
「リエラは、絶望して“なまぐさ”を増やす。
妃奈子は、絶望に気が付かなくて、望花に嫉妬されて“なまぐさ”を増やす。
そして、郁恵は、何もしらないけれども、伊地家に嫉妬されて“なまぐさ”
を増やす」
「ちょっと待って。
バイクの3人だろ。
あと、リエラ、妃奈子、郁恵の3人だろ。
生き残りが亜蘭と海里の2人としたら、1体合わないじゃないか」
と城戸弘が言った。
「そうよ」
と海里。
「亜蘭がやったのは、“なまぐさ”が増えるあらポアした、なんていうの以外に
理由があるの。
あの大日如来のXは誰?」
「そうだよ」
こっちを向いて亜蘭が言った。
「君が想像している通りだよ。
君の兄も成仏できるからだよ」
「私の兄が浮遊霊みたいなものでかわいそうだから、だから、みんなを殺したの?
私の兄を殺してしまったという自責の念からみんなを殺したの?」
「そうだよ。
みんな、生きていたって、“なまぐさ”を増やすだけだったら意味ないし。
それだったら君の兄を成仏させる為にリセットしても、と思ったんだよ」
「その理屈で行くと、自分も死なないとならないのよ」
「そうだよ」
「じゃあ、私も殺す気?」
亜蘭は鉄柵を掴むと、険しい形相でこっちを睨んだ。
「いや、まず僕がここで胎蔵界曼荼羅の中に戻るから。
君もついてきて」
いうと、亜蘭は西日のあたる鉄柵によじのぼった。
「おいおいおい、危ない危ない」
と剛田が近寄ろうとする。
「来るな」
と亜蘭。
「お前とは違って、僕は本当に“なまぐさ”をポアしてやるんだよ」
「なにぃ」
「いいか、見ていろ」
言うと、鉄柵を上り切った。
みんなを一瞥すると、またいで…。
飛び降りていった。
「あっ」
と剛田、三銃士らが声を上げる。
0.数秒して、ぐしゃっと音がした。
みんな、鉄柵にへばりつくと、下を見下ろした。
上から見上げると、崖下で卍の様な恰好になっている。
「ありゃあ、死んでいるな」
と三銃士と変態城戸弘。
海里も鉄柵をつかんで、ぼーっと崖下の卍を眺めていた。
それから、顔を上げるとみんなの方をぼーっと見てから、まだかすかに
オレンジ色に染まっている富士山を見た。
(自分も飛び降りれば、胎蔵界曼荼羅は全部揃うのか。)
と海里は思った。
(そして、兄も成仏するのか。
私だけ娑婆にしがみついているのがいい事なのか。)
そして海里は突然、鉄柵に両手をかけて、右足をかけた。。
「何する気、ちょっと待って」
と剛田は海里の足首を掴んだ。
海里は足首を引っ込めると逆に剛田を蹴り返した。
「私らのことは放っておいて」
言うと鉄柵に左足をかけた。
(よし、思い切って、)
と左足で鉄柵をまたごうとした時、突然左腕と左足がしびれた。
「あっ」
と短い声を出すと海里は道路側に転落した。
そのまま失神した。
剛田や三銃士が車座になって見下ろした。
「だいじょーぶか?」
海里の家、後泉庵は小さな尼寺だった。
玄関を上がると、書院、その隣に便所と台所、その隣がもう庫裏で、
茶の間と海里の部屋がつながっていた。
玄関を右手に行くと、客間と塔婆置き場があった。
その先の渡り廊下を行くと本堂があった。
塔婆置き場には、修行中の尼僧が住み込んでいた。
名を、恵妙と言った。
じゃりン子チエみたいな感じ。
恵妙の場合、修行とはいっても、日々精進料理を作っていて、
『やまと尼寺 精進日記』の様な生活をしていた。
恵妙は、格別に、海里を可愛がっていた。
だから、日々、海里の為に、消化のよい粥などを作った。
しかし、月、火、水、3日間、海里は寝たきりだった。
4日目に往診の大野医院のじいさんがきて、ぶどう糖液の点滴をした。
点滴を終えて、茶の間に来ると、大野先生はコタツに足を入れた。
「まあ、若いから、1週間ぐらい食べなくても平気でしょう。
その内食べますよ」
「そうですかあ。
一人なくしているものですから、あの子は」
と母親は言った。
「ほう、仏教では、死んでもあの世があるんじゃないんですか?
お兄さんはあの世に行ったんじゃあ」
「個別の霊魂はないです。
スピリチュアルじゃないから。
人間は全て空です」
「そもそも、空というのはなんですかな。
どう考えても実在している」
「空とは、真空パックをぐーっと引っ張ったようなエネルギーだけの空間ですかね。
それを、ぎゅーっと圧縮すると、個体になって、ある様に感じる。
でも、何もないんです。
でも、そこにはそこかしこに汚れ“なまぐさ”がたまっていて。
“なまぐさ”も出てくる」
「“なまぐさ”とはなんですか。
自然の事ですか。
自然は美しくもあり醜くもあり。
自然は美しいが排泄物は汚い」
「“なまぐさ”といったら、宇宙にただよっている汚れの事です。
その汚れがこの娑婆に生まれた人間にも伝わってくるんですよ」
「宇宙と人間とはつながっているんですか」
「とかげのしっぽみたいなものですよ。
宇宙がとかげの本体で、個体というのはしっぽみたいなものですよ。
だから、ちょんぎれて死んでも、そもそも個体の意識とは宇宙の意識なんだから
悲しむ事もないし。
又別のしっぽが生えてくるし。
生まれ変わりといえば生まれ変わりだけれども、死んだとかげのしっぽが
生まれ変わる訳じゃない。
そのしっぽのさきっぽである人間一人一人が生活の中で“なまぐさ”を
減らせばとかげ全体の“なまぐさ”も減らす事が出来るんですがねえ。
若ければ“なまぐさ”を減らすチャンスもあるので、若くして死ぬのは残念です」
「まあ、若いから、じきによくなるでしょう」
海里は5日目にやっとこ起き上がると、恵妙の作ったミルクでゆでた粥、
スジャータの乳粥を食べる。
クラムチャウダーみたいな味がした。
土曜も日曜も、恵妙は料理を作って、海里はよく食べた。
翌週の月曜日に登校した。
まだ誰もいない朝。
もうすっかり冬の朝だった。
冷たい空気でが鼻腔にすーっとした。
身が引き締まる様な気分だった。
(今日は自分が日直だ。)
黒板のところに行って、チョークを取り上げると、チョークのニオイまで
鼻腔で感じられた。
(病み上がりで神経が敏感になっているのかなあ。)
黒板の日直のところに名前を書こうとした。
すると又左手がしびれだした。
(まだ治っていないのか。)
しかし、左手は勝手にチョークを握りしめ黒板にこう書いた。
「天寿全うするべし。あに」
そして、チョークを落とすと、すーっとしびれはなくなった。
(これは、胎蔵界曼荼羅の兄からのメッセージだ。
兄の魂は生きている。)
人の気配がして、後ろの扉があいて、誰かが入ってきた。
海里は急いで黒板消しで板書を消す。
入ってきたのは蓮美だった。
「やあ、おはよう。
ひさしぶりだね、もう大丈夫なの?」
と蓮美。
「大丈夫だよ。
今、ちょっとしびれたけれども、もう全然大丈夫だよ」
「ふーん、よかった」
蓮美は前の方の自分の席についた。
海里は廊下側の後ろの席に着くと蓮美の背中を見た。
「あいつも、胎蔵界曼荼羅には戻らないで娑婆に残っているのか。
じゃあ私もそうするか」
それから海里はスマホを出して、グループチャット『比丘尼の小部屋』に
タイプした。
海里:「そして 誰も いなく ならなかった」
【了】
#588/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 22/10/08 19:56 ( 1)
期間限定UP>屋根の墜ちた家:愛及屋烏 永宮淳司
★内容 23/01/01 13:11 修正 第2版
※都合により、非公開風状態にしております。
#589/598 ●長編 *** コメント #588 ***
★タイトル (AZA ) 22/10/09 19:19 ( 1)
期間限定UP>屋根の墜ちた家:愛及屋烏(承前) 永宮淳司
★内容 23/01/01 13:12 修正 第2版
※都合により、非公開風状態にしております。
#590/598 ●長編
★タイトル (sab ) 22/11/11 11:39 (299)
あるトラニーチェイサーの死1 朝霧三郎
★内容
(作者コメント。未校正です。使い回しが多いです)。
登場人物一覧
小川浩二 警備員。佐藤浩市似。30歳。
大川 警備員。柄本時生似。32歳。アニメオタク。
蛯原 マンション管理員。立川志の輔似。60歳。
北野 警備員。62歳。
石松美也子 コンシェルジュ。藤谷美和子似。28歳。趣味はサーフィン。
小林達也 池袋署の巡査部長。江口洋介似。35歳。
加藤凡平 池袋署の巡査部長。高木ブー似。33歳。
佐伯明子 池袋署の巡査。渡辺満里奈似。私立大学(院)で心理学を専攻していた。
25歳。
アリス。ニューハーフ風俗のシーメール。目元が蒼井優似。20歳。
マキコ。ニューハーフ風俗の受け付け。マツコ・デラックス似。28歳。
【本編スタート】
小川が警備員をやっている池袋のマンションは、24時間友人管理だのコンシェ
ルジュが居るだのと、マンション管理のクオリティの高さを売りにしていたが、中
身的には、去年竣工したばかりで、管理会社は施主の子会社(本通リビング)の更
に下請けの清掃会社に丸投げされていて、管理員もコンシェルジュも、その清掃会
社がかき集めてきたパートにすぎなかった。
小川ら24時間警備員も、マンションの新築工事の時に交通誘導警備をやってい
た人間が、そのままスライドしてきてマンション警備員になっただけで、施設警備
に関しては全くの素人で、火災報知器の消し方も防犯カメラのデータの巻き戻し方
も知らなかった。
ただ、下請けの清掃会社に言われた通り、定時巡回をする程度だった。
もっとも、夜中の2時、丑三つ時に、自走式駐車場の壁面緑化の為に、駐車場の
壁面のU字溝に仕込まれている砂漠でも枯れない草、が入ったビニール袋につなが
ったビニールチューブ、に水を流す為に、駐車場一階の水道の元栓を開けに行かな
ければならないという面倒な作業もあったのだが。
しかし、このバカバカしい水やりも、居住者の車は濡らすわ手間ばかりかかるわ
で、撤去する事になっていて、昨日もその足場を業者が来て組んで行ったのだった
。しかし、安普請の足場の為か、すぐに一回崩れて、再度組み直したものの、今は
、赤いカラーコーンとトラ柄のバーで、立ち入り禁止になっていた。
今宵も、小川が、このバカバカしい水やりが終わって、管理室に戻ってくると、
時刻は3時だった。キンコンと管理室内のアイホンのチャイムが鳴った。防犯カメ
ラのモニタを見ると、新聞屋だった。モニタの隣にある盤の中にあるスイッチを押
して正面玄関の自動ドアを開けて入れてやる。新聞屋は朝日、読売、産経、毎日と
4人通さなければならなかった。
新聞屋を通してしまうと、やっと人心地ついた感じで、小川は管理員室の真ん中
に置いてあるデスクの椅子に座ると、がーっとのびをした。
(これで朝までは何もないだろう)
考えてみると、深夜の管理員室はまったりする。
家電量販店並の明るさ。右手に玄関ポーチに続く鉄扉、左手にカウンターに続く
鉄扉がある。正面に監視カメラのモニタや防災盤があって、そっち側からファンの
音が響いてくる。後ろにはNTTの盤が並んでいる。右側にホワイトボードがあっ
て1ケ月分のスケジュールが書かれている。左奥がキッチンになっていて、冷蔵庫
だの電子レンジだのがあるのだが、パーテーションで隠されていて見えない。
デスクの上にはネットの使えるPCが1台あった。
小川は、加熱式たばこをふかしながらyoutubeで「ゆず」などを再生した。
(まったりするわー)
突然「キンコン、キンコン、キンコーン」とアイホンのチャイムが鳴り響いた。
監視カメラのモニタで見ると誰かがエントランスの自動ドアに寄りかかっている。
フロント側から出て行って、自動ドアの内側に立つと、ドアが開いた。
「いやー、酔っぱらっちゃって、鍵をどっかにやっちゃったんだよ。ナルソックを
呼んでくんない? マスターキーみたいなの、持ってないの?」スーツを着た酔っ
払いが酒臭い息を吹きかけてきた。
「管理室の壁にナルソックしか開けられないキーボックスが埋め込んであるんです
よ」
「それはお前らは開けられないの?」
「そりゃあ、ホームセキュリティーの契約をしているのは、居住者様とナルソック
ですから」
「じゃあ、お前はなんだよ。ただのカカシか。カラスでも追っ払う」
「でも、ナルソックだって、管理室に入るには私らが付いていないと駄目なんです
けどね」
「なに言っていやがんだ。いいから早くナルソック呼べ」
言うと、フロントのカウンターにもたれかかってタバコを吸いだした。
10分でナルソックが到着すると、免許証で本人確認を行う。
小川はナルソックを管理室に入れてやった。
ナルソック隊員は、ホワイトボードの後ろの壁に埋め込まれたキーボックスの前
に行くと、磁気カードをかざした。ブーっと音がして、赤いランプが点滅する。素
早くキーボックスの扉を開けて、鍵を取り出すと、扉を閉める。もう一回ブーっと
音がして、ガシャンと扉が施錠される音がした。
ナルソック隊員と酔っ払いサラリーマンを、二重オートロックの2つめを通して
やる。
「すみませんねえ、酔っぱらっちゃって」と、酔っ払いも、ナルソックには全然態
度が違っていた。
ほんの10分でナルソックが帰ってきた。
「あの居住者、鍵、持ってましたよ」
「あ、そう。じゃあ、眠いからさっさと帰って」
「ちょっとすみません、作業がありますんで」と言うとナルソック隊員は、なにや
ら作業を開始した。
使用した合鍵の先端部をビニールで覆い、その上を10桁の数字の書かれたシー
ルで封印し、シールの半券を封印台帳に貼り付けてアタッシュケースにしまう。封
印された合鍵は、再度キーボックスを磁気カードで開けると、そこにしまう。
そういう作業の間にも、例えばアタッシュケースを開ける為に腰に付いているキ
ーホルダーに手を伸ばすなど、隊員が体をよじっただけで、防弾チョッキの様なダ
ウンベストにぶら下がっている特殊警棒だの無線機だのががさがさ音を立てるのだ
が、(あれは何か「ロボコップ」のオムニ社の隊員の様で、クールじゃないか)。
小川も紺の上下の制服を着ているが、どっちかというと菜っ葉服っぽい。
小川の眼差しは羨望の眼差しに変わっていた。
「お前なんてどうせナルソックの正社員じゃないんだろ」と小川は言った。
「そりゃあ、雇用形態は色々ありますけれども、ナルソックの隊員です」
「どうせどっかのアパートで待機していて連絡があると出向いてくるんだろう。つ
ーか、俺の事、キーボックスも開けられないパートだと思ってバカにしてない?」
「していませんよぉ」
「しているよ。ぜってー。見下している」
などというどうでもいいやりとりがあって、ナルソック隊員は引き上げて行った。
結局その日は朝まで一睡も出来なかった。
8時になって次の24時間警備員の福山が出勤してきた。
着くなり、警備員にあてがわれている一番上の引き出しから太田胃散を出すと一
匙口に含んで、キッチンコーナーに駆け込む。これは、夜勤明けと同時にアニメを
見ながら次の出勤まで酒を飲むという生活をしているので二日酔いなのであった。
「福ちゃん、着替えたら見せたいものがあるから来て」
「んー」と寝ぼけた顔でこっちを見ながら、福山は、フロント側のドアから出て行
った。ラウンジから裏口に続く廊下の途中に半地下のボイラー室があって、そこが
警備員の更衣室になっていた。といっても、プラの収納ボックスが一個ずつあるだ
けだが。
福山が、警備服風作業着に着替えてくると、小川は彼を連れて玄関側の鉄扉から
ポーチに出た。
空模様はところどころ青空が透けて見えるものの全体としては雨雲に覆われてい
た。
「もう梅雨だな」と小川。
「うん」
左に旋回して、ゴミ箱置き場と自走式駐車場の入り口のシャッターを見やりなが
ら、裏エントランスに通じる通路に入る。10メートル程度、駐輪ラックが設置し
てあって、その先は駐車場の壁面が露出していた。壁面緑化の効果は全く不十分で
、砂漠でも枯れない草は、あちこちぼぞぼぞと生えている程度だった。壁面には足
場が組んであって、下部には赤いカラーコーンとトラ柄のバーがあって、立ち入り
禁止になっている。
「福ちゃん、ここ絶対に入らないでよ。一回倒壊して作業員がケガしているから。
又何時崩れてくるか分からないからね」
「うん」
「分かったのかよ」
「分かったよ。でも、居住者は大丈夫なの?」
「だから、このトラ柄のバーで立ち入り禁止になっているんだよ。まあ、すぐに、
あの緑化の草が撤去になって、足場もなくなるけれどもな」
「あの草なくなるんだ」
「ああ」
「じゃあもう水やりは無くなるね」
「ああ、仕事が減っていいや。しかしその前に」と言うと小川は足場に手をかけた
。ぐらついて、カンカンと鉄パイプのぶつかる音が聞こえてくる。「俺が、足場の
下敷きになって死ぬかもな」
「何で?」
「俺、死んでもいいやと思ってんだよ。お前、そう思う事ない?」
「ある訳ないじゃん」
「俺は時々思うよ。殉職するのは恰好いいとか。ずーっと「太陽にほえろ!」のマカ
ロニの殉職の回を見ていたけど、夕べナルソックがきて思ったんだけど、オムニ社
のロボコップみたいに、こういう鉄骨の下敷きになって死ぬのも恰好いいかなあと
思って。つーか「ロボコップ」に似たシーンがあるんだよ」
「止めてくれよ。やるんだったら、俺のいない時にやってくれよ」
「まぁ、お前には迷惑かけないから」
管理室に帰ると、コンシェルジュの石松が3人前コーヒーを入れていた。福山の
と小川のと自分のと。
主任管理員のは入れてあげない。意地悪からか。それとも、そもそもコーヒーな
んて自分で勝手に入れるものだから、たまたま福山と小川が居るから一緒に入れた
だけで、主任管理員のはまだ出勤していないから入れないだけか。
(でも、何で俺にも入れてくれるんだろう。無視している癖に。福山と二人分じゃ
あ露骨すぎるからか)
石松は、コーヒーをスチールデスクの上に置きながら「おはようございます」と
こっちに微笑してきた。
しかしあの微笑は福山にであって自分は無視されている、と小川は思っていた。
(今日こそシカトの動かぬ証拠を掴んでやる)
3人でコーヒーを飲むと、なんとなく世間話をする感じになった。
小川は見えない様に、手で隠しつつ、Apple WatchのボイスメモAppを開いてボタ
ンをタップした。
「だんだん梅雨っぽくなってきたけれども、洗濯とかどうしてます?」と小川。
「福山さんは、洗濯、どうしているの?」と石松。
「部屋干しだな」
「IKKOが「おったまげー」とか言っているのが凄いらしいよ。でも梅雨なんてすぐ
終わるよ。すぐに夏本番だよ。石松さん、サーフィンとか行くの?」
「福山さんは、オタクの夏休みは?」
「夏はコミケだよ」
「コミケに似ているけれども、レインボープライドっていうLGBTのイベントが
あって、もうすぐ終わるって、ニュースでやっていた」と小川。
「「マツコの知らない世界」で、オタクが経済支えてるって言っていたわよ。「ら
き☆すた」の聖地巡礼で経済効果30億円とか」と石松。
「でも、オタクが聖地に殺到するのって、ウザいって言われているんだよね」と福
山。
「旅行だって、LGBTの市場規模は20兆円とか言われているんだよね。LGB
Tにフレンドリーになれば、LGBTインバウンドが増えるよ」と小川。
「アキバのオタクツアーのインバウンドがすごいんですってね」と石松。
「あんまりグローバル化されても荒らされちゃうよ」と福山。
「そんな事ないよ。サンフランシスコみたいにオープンになればいいんだよ。あそ
ここそLGBTの聖地だからなあ。♪夏には愛の集いがあるでしょう…」
「夏になったら、コミケだものね。コミケに行く人って、みんな単身者なの? 家
族連れもいるの?」
「コミケなんてみんな独り者だよ」
「最近、Eテレの「バリバラ」でLGBTが好きな人と好きな場所で暮らしたいと
かやっていたけれども、そういう系の番組が多いよ」と小川。
「福山さんは家族はいらないの? 生涯未婚だと67歳で死んじゃうんだよ。やっ
ぱちゃんと家族をもった方がいいんじゃないの? 今度紹介してあげようか。ねえ
、どう? その気ない?」
ここまで話したところで、主任管理員の蛯原が登場した。
真っ黒に日焼けしていて、肝臓でも悪いんじゃないかと思えるぐらいだ。
髪の毛がイノシシ並に濃くて、自分でカットするから、毛足が豚毛歯ブラシみた
いになっている。
Yシャツのボタンを3つぐらい外して、ネクタイをぶら下げて、ニットのベスト
を全開にして、開店前のスナックのマスターみたいないでたち。
まずデスクにスマホとタバコを置く。俺の領土、みたいに。
石松と福山は監視カメラのモニタの下へ、小川はフロントへ、と、蜘蛛の子を散
らす様に離れて行った。
蛯原は、キッチンコーナーでインスタントコーヒーを入れると持ってきて、タバ
コの横にどんと置いた。
(こぼさないかなあ)と小川は思った。(こぼせばいいのに。そうすればPCの裏
から吸い込んでおシャカになる)
蛯原はスチールデスクに半けつを乗せると、ばさっと新聞を広げた。
(ありゃ何気取りだ)カウンターから眺めつつ小川は思う。(デカ部屋の刑事コジ
ャックみたいな積もり? しかもタンソクだからつま先しか床に付いていないし)
「早く引き継ぎ、やってよ」と福山。
「じゃ、やっちゃいましょう」ネクタイを締めながら蛯原が集合を掛ける。
「おはようございます」と蛯原。「じゃあ、まず、コンシェルジュの石松さん、何
かありますか」
「何もありませーん」
「じゃあ、警備員の小川さんは」
「何もありませーん」
「じゃあ、私の方から。まず大ニュース。本通リビングのフロントから連絡があっ
て、管理会社が変わるかも知れないって」
「えっ。じゃあ俺らは」と福山
「まあまあ、経緯から聞いて。
管理組合に山田というマンション管理士が入り込んでいたろう。
あれが、管理会社を変えれば管理費が70%に抑えられるから、かわりに節約で
きた分の1年分の半分をよこせ、という提案をしていて、それを管理組合がのんだ
らしいんだよね。
それで、多分、本通リビングから四菱地所コミュニティというところに変わるら
しい。
もっとも、四菱地所コミュニティだって正社員に管理員やコンシェルジュをやら
せる訳じゃないので、どうせ派遣社員を採用するなら、今の主任管理員とコンシェ
ルジュ、私と石松さんを採用するかも、っていう話です」
「警備員は?」と福山。
「それが、四菱地所コミュニティは西武系の警備会社を使っているっていうんだよ
ねえ。だから、四菱地所コミュニティの口利きで、その西武系の警備会社のパート
にでもなれれば、警備員も雇ってもらえるかも」
「ずりーな。管理員とコンシェルジュだけスライドして、警備員はお払い箱かよ」
と福山。
「だから、警備員もスライドして採用されるかも、って」
「どうだか」
「とにかく、近々連絡があるって言っていたよ」
「ふん。又交通整理のバイトかなあ。あれ、夏場にやるとゴキブリみたいに焼けち
ゃうんだよなあ」
小川がボイラー室に着替えに行くと、これから1回目の定期巡回に行く福山もつ
いてきた。
「やっぱり、石松はシカトこいていたな。今日は動かぬ証拠をつかんだから、お前
にも聞かせてやるよ」
左腕を付き出してApple Watchを袖から露出させると、ボイスメモAppを操作して
再生する。
「「だんだん梅雨っぽくなってきたけれども、洗濯とかどうしてます?」と俺が問
いかけているだろう。だけれども無視してお前に、
「福山さんは、洗濯、どうしているの?」と聞く。
「IKKOが「おったまげー」とか言っているのが凄いらしいよ。でも梅雨なんてすぐ
終わるよ。すぐに夏本番だよ。石松さん、サーフィンとか行くの?」
「福山さんは、オタクの夏休みは?」
な。俺が石松に問いかけているのに、シカトして、お前に話しかけているだろう」
「そんなの偶然だよ」
「偶然じゃない。」
更に再生。
「「サンフランシスコみたいにオープンになればいいんだよ。あそここそLGBT
の聖地だからなあ。♪夏には愛の集いがあるでしょう…」
「夏になったら、コミケだものね。コミケに行く人って、みんな単身者なの? 家
族連れもいるの?」
ほらな、俺が石松に問いかけているのにシカトしてお前に言うだろう」
「それはお前が、LGBTとか言うからだよ。そんなのセクハラだよ」
「あー、俺、LGBTになっちゃおうかなあ。そうすれば、職場での人間関係も、
性的マイノリティの悩みであって、オスの悩みじゃないから、女々しくはない感じ
にならない?」
「へぇ?」
「お前、西武系の警備会社の話はどうするんだ」
「俺は、西武になるなら行くよ。ナルソックに威張れるかも知れないじゃない」
「俺は嫌だね。高校の時に居たんだよ、西武なんとか台に住んでいて、親が西武線
で西武の会社に通っていて、買い物は西武で、野球も西武、休日の行楽は西武園、
みたいなやつ。何でそこまで社畜にならないといけないのかって思っていたけど。
俺は実家が西武ひばりヶ丘だから、そんなのが多くてね。
あー、俺、警察官になればよかったな。桜田門なら西武より格上だろう?」
「分からないよ。でも、山口県の方には民間委託の刑務所もあるっていうし、その
内ナルソックとかが警察を兼ねるんじゃないの? オムニ社みたいに」
「自衛隊はどうなんだよ。ワグネルとかになるんじゃないの」
「もう除隊したし」
「自衛隊にはLGBTっているのかよ」
「いないよ」
「韓国の軍隊でトランスジェンダーが自殺したよな。あれは可愛そうだと思ったよ
。泣きながら記者会見する彼女を見て。それで思ったんだけど、ナショナリズムよ
りもLGBTの連帯の方が優先されるんだなーって。普段嫌韓、ネトウヨでも、L
GBTなら連帯出来るんだよ。つまり、トラニーになれば、もう、石松は勿論、西
武とも戦わなくていいってことだ。だって韓国と戦わなくていいんだから」
「トラニー?」
「お前、トラニーって知らないの?。女より可愛いんだぜ」
小川はスマホ取り出すと、porntubeで、Ellahollywood(エラハリウッド)の動画
を見せてやった。
「すげーだろう。上半身はエマワトソン、そして下半身には白っぽいペニスが生え
ていて、いいと思わない?」
「…」
「お前には無理かもな。自衛隊員だものな。
あー。いっそのこと、女性ホルモンを飲むかな。トラニーになればもう戦わなく
ていいから。
でも、これトラニーに言うとすげー怒るんだよな。ホルモンを遊びに使うなって」
#591/598 ●長編 *** コメント #590 ***
★タイトル (sab ) 22/11/11 11:40 (300)
あるトラニーチェイサーの死2 朝霧三郎
★内容
梅雨入り前で、蒸し蒸ししていて、駅まで歩くのがだるかった。
ダイヤゲート池袋のアンダーパスにもぐりこんところで、ホームレスが、ビッグ
イッシューを売っていた。スニーカーがボロボロだ。
こんな貧しい人がいるのに、西武はこんなにごついビルを建てる程銭があまって
いる。
(そんなに同情していられない。あとちょっとで俺もビッグイッシューを配らない
とならなくなる)
駅の近くまで行ったら、偶然、靴の量販店にナルソックのワンボックスが到着す
る場面に出くわした。売上金の回収に来たらしく、警備員の一人がジュラルミンの
ケースを抱えて店内に入って行くと、もう一人が特殊警棒をカシャ・カシャ・カシ
ャと伸ばして、通行人を威嚇するように反対側の手の平を打っていた。
(この野郎。警察でもない癖に格好つけやがって。ちょっと因縁つけてやろうか。
でもやめた。ナルソックも裏で警察とつるんでいるかも知れないから。何しろ刑務
所を経営するぐらいだから。オムニ社と同じだ)
池袋駅から埼京線に乗り、赤羽で京浜東北線に乗り換えた。
電車はすぐに荒川橋を渡りだした。
レールのつなぎ目の音がコツンコツンと鉄橋に響いていた。
電車が徐行すると、車窓から緑地で野球をしている人達が見えた。
窓の上半分が開放されていて、なまぬるい6月の風が入ってきていた。
何時も小川はここで妄想を開始する。
突然、連結部のシルバーシートのあたりに、「太陽にほえろ!」の関根惠子巡査が
浮き出てきたのだ。
窓から、緑地のグラウンドの方が見ている。
陽の光受けた惠子巡査の横顔は、ローマのコインに彫刻してもいいぐらいの美形
だった。
日差しに目を少し細めていて、髪の毛が窓の上半分から入ってくる風になびいて
いた。
電車は徐行していて、トラス構造の鉄橋の斜材の日影が惠子巡査にカシャ、カシ
ャっと差していた。
突然連結部のドアが勢いよく開くと、な、なんと悪役商会、丹古母鬼馬二と八名
信夫が乱入してきた。
丹古母が勢いをつけて惠子巡査の隣に座り込む。
そして、匂いでもかぐように顔を近づけて、目をぎょろぎょろさせながら迫って
いく。
惠子巡査は体を小さくした。
つり革にぶら下がっている八名が言う。
「よぉ姉ちゃん、真っ直ぐ帰ったってつまんねーだろう、これから俺たちとどっか
行こうじゃねえか、カラオケでも行こうじゃねえか、よお」
そして丹古母は考えられる限りの下品な笑い方で笑うと、首筋あたりをめがけて
、べろべろべろと舌を出す。
電車ががくんと揺れた。
八名が、「おっーっと」と言って身を翻すとそのまま惠子巡査の膝の上に座って
しまう。
「電車が揺れたんだからしょうがねえや」
「やめろーッ」叫ぶと小川は敢然と立ち上がった。
二人は、一瞬あっ気に取られた様にこっちを向く。
なーんだ兄ちゃんか、という感じで、惠子巡査を放置すると肩をいからせてこっ
ちに迫ってきた。
「なんだこのあんちゃん。スポーツでもするか」
言いつつ八名がこっちの襟を掴みにくる。
すかさず小川は手で払った。
おっ、猪口才な、みたいな顔をして更に手を突っ込んでくる。
それを又払う。
ネオ対エージェント・スミス、みたいな組み手をしばらくやるのだが、丹古母が
、遠巻きに小川の背後に回ると、懐からドスを抜いた。
そして卑怯にも背後からドスで小川の背中を袈裟切りに切り付ける。
白いワイシャツが裂けて背中の肉もざっくりと切れる。
「キャーッ」と悲鳴を上げて惠子巡査が顔を覆う。
しかし小川はがっばっと丹古母の方に向き直ると、超人ハルク並のパワーを発揮
して、まるで紙袋でも丸める様にぐしゃぐしゃにるすと放り投げてしまう。
今度は八名に向き直ると、「ちょっと待ってくれ。話せば分かる」
などと泣きを入れてくるのを無視して、同様にぐしゃぐしゃにして放り投げる。
……電車が反対方向の電車とすれ違って、窓ガラスが風圧でバーンと鳴った。
妄想から覚めた。
電車が行ってしまって静かになっても、もう妄想の続きはなく、惠子巡査は現れ
ない。
なんとなく背中に手を回したがシャツが切れているわけもない。
(あのまま妄想が続いていたら、俺は殉職していただろう。
シャツが切れて肉もさけて、そっから出血して出血死する。
惠子巡査が覆いかぶさる。
「死なないで、死なないでー」
しかし俺は息を吹き返す事はなかった。
…萌える。
自分の死に萌える。
何でだろう。
何で俺は殉職したいんだろう)
「京浜東北線の南浦和行きです。次の停車駅は川口です」
という車内アナウンスで我に返った。
しかし、何故殉死したいのかという謎はしばらく脳内を駆け巡っていた。
西川口駅で降りるて、駅前通りから陸橋通りに入って、陸橋とは逆方向に5、6
分行った、中山道に近い辺りに、小川のヤサはあった。
1階が布団屋で2階から上が1Rアパートになっている。
誰も居ない部屋に入ると、玄関脇のキッチンの冷蔵庫からペプシを取ってきて、
居室に入った。
机に腰掛けると、引き出しからアイコスを取り出して、タバコステックを差し込
むと、すーっと吸い込んではーっと吐き出す。
吐き出された煙はエアロゾルですぐに霧散した。
とりあえずコーラを飲みながら一本吸い尽くす。
吸い殻は、薬瓶に入れてギュッと蓋を締めた。
さて、小川はベッドに移動すると、造り付けのクローゼットを開けて、ダンボー
ルを出した。「自分が死んだら開けずに捨てて下さい」とマジックで書かれている
。それを開けると数々の大人のおもちゃが入っていた。みちのくディルド、アナル
プラグ、アネロスなどの中から、アナルビーズ(8連。先端のビーズは1センチ、
根元のは2.8センチ)を取り出した。
とじ紐を3本つなぎ合わせて、アナルビーズのコックリングに結びつけた。
机の中にあったコンドームを取り出すと、アナルビーズにかぶせた。
(こういうことをするのはこれが初めてじゃない)と小川は思った。
(そもそも最初から、精通の時から、俺はおかしかった。
精通したのは中二だったが、あの頃は性に関しては全くの無知で、俺のペニスは
、包皮がカリんところに溜まった恥垢にひっかかって剥けないでいたのだが、あれ
を無理に剥くと、えんどう豆の様に脱落するんじゃないかと思っていた。
それでも入浴の度に、少しずつ溶かしていって、そしてとうとうある晩剥け切っ
た。
生後十四年にして、とうとう外気に触れた自分の亀頭。
最初は皮を剥いて突っ張らせて膨張させることだけで快楽を得ていた。
ただ、あの頃から 肛門の疼きはあって、自然とアナルをいじるようになった。
それがエスカレートして、ペンやらドライバーやらリコーダーを枕元に並べてお
いて、夜な夜なアナルへの挿入を楽しむ。
そうしてとうとう或る晩射精したのだが、それは包皮を強く剥く事と肛門への刺
激のみによる精通だった。
だからって別にホモじゃない。
じゃあどういうプレイがいいのか、というと…)
追憶から目を覚ます様に頭を振ると、小川は、アナルビーズを持って、ベッドに
移動した。
ベッドの向こう側の真ん中へんにクローゼットの取手あるのだが、そこに紐を縛
り付けた。
ペペのローションをアナルビーズにたらすと、指先で入念に塗りつけた。
(これで準備オッケーだ)
ベッドに横になって、仰向けに寝て両足を開いてみたり、左横向きに寝て左手で
ハンケツを掴んで右手で挿入をこころみたり、結局、左横向きに寝て金玉鷲掴み、
右手の人差し指でアナルビーズの一個目を肛門に押し付けた。
括約筋がビーズを押し戻そうとするが、力を入れると、ヌルッっと吸い込まれて
いった。二個目以降は、アナルビーズを引っ張れば括約筋が吸い込もうとするので
、その勢いで吸い込む様にする。そうやって、とうとう8連の全部を直腸に入れる。
両手を前に回して、右手でペニス、左手で睾丸を握った。
そういう状態で、腰の動きだけで、アナルビーズを抜こうとしては、括約筋を締
めて肛門内に吸い戻す。
アナルビーズの丸みが括約筋を刺激するたびにペニスがびくびくするのを更に手
で揉む。
そして小川は妄想の中へ沈んでいった。
(ここはどこだ。
ここは京浜東北線の駅の医務室か。
俺は丹古母鬼馬二に切られた背中の傷の為にここにいるのか。
いや違う。
ここは警察病院だ。
俺は、京浜東北線で瀕死の重傷を負ったが、そこで、殉死する筈だったが、奇跡
的に助かったのだ。
薄暗い警察病院のカーテンの向こうから、ナイチンゲールの格好をした関根惠子
が現れた。
惠子はかがみ込んで俺の顔を覗いた。男前な顔が間近に見える。
「包帯の交換にきました」
ピンセットやガーゼの乗ったトレイをもったまま惠子は背後に回った。
それから、かちゃかちゃ音を立てて準備をしていたが、やがて、傷口に詰め込ん
であるガーゼを取り出す。
「いたッ」
「我慢して」言うと、惠子は背中で処置を続ける。
それが終わると、こっちの二の腕に手を乗せて耳元で
「まだまだ肉が盛り上がってくるまでには時間がかかりそうだわ」とささやいた。
「じゃあ体を拭きます」
惠子に背中を拭かれる。腰のあたりから、尻の膨らみのあたりまで拭かれる。
「あ、お尻の刃物の傷跡も消毒しないと。でも、大量の出血で肛門に血が流れ込ん
でいる。これだけ入っているとお湯で拭いただけでは無理ね。捲綿子で取り除かな
いと」
惠子はまず、尻のほっぺを広げて肛門を露出させて、大雑把に肛門周囲をタオル
で拭いた。
それから、親指と人差し指で、ぐーっと肛門を広げると、捲綿子を挿入してくる。
血で汚れた捲綿子は鉄の皿に捨てられた。
惠子は更に指に力を入れて思いっきり肛門を開くと、二本目の捲綿子を突っ込ん
でくる。ぐりぐりぐり。
そして、汚れた捲綿子を捨てる。
やがて血は綺麗に取り除かれて、ピンクの直腸粘膜が現れた。
丸で十四年ぶりに恥垢が取り除かれた亀頭の様に綺麗なピンク色をしている。
「ほら、こんなに綺麗になった」惠子はこっちの二の腕に手を乗せると俺の顔を覗
き込んだ。
「それじゃあ肛門の内側にクリームを塗っておきますからね。必要な処置ですから
くすぐったがらないで」
言うと惠子は、クリームを乗せた指2本を肛門に滑り込ませてきた。
ずぶずぶずぶ。
「ああーっ」
「我慢して」
クリーム擦り込ませるために、肛門の内側にぐるり一周指を這わせた。
ぬるぬるぬる。
「あっ」
更にもう一周、ぬるぬるぬる。
「あーーーッ」
「はい終わりましたよ。今度は奥の前立腺の方にも塗りますからね。これは、治療
上必要なことだから恥ずかしがらないで」
言うと指2本を付け根まで挿入させると、前立腺側を、ぐりぐりぐり。
「あーーーー」
「もう少し我慢して」ぐりぐりぐり〜。
「おおーーーー」)
そしてリアルの小川は大量の射精をした。
ぴゅっぴゅっ、とペニスが痙攣する度に括約筋が閉まって、アナルビーズがギュ
ーッと吸い込まれる。
しかし既にそれは性的な快楽ではなくて、排便の際の肛門の感覚に成り果ててい
た。
はぁーと小川はため息をついた。
ティッシュの上に放射線状に撒き散らされた精液からは、かすかな栗の花の匂い
が立ち上ってくる。
肛門からアナルビーズを取り出してコンドームを外した。便はついていなかった。
机のところに戻ると、丸で一仕事終えたみたいに、又タバコに火をつけた。
スーッと一吸い。
PCを立ち上げたるとyoutubeを開いた。
射精の後は何故か、プロラクチンが分泌されるからか、賢者タイムで、芸術的な
気分になった。
(音楽でも再生しようか。でも今日は…)
再生したのは、「ロボコップ」一場面「Movie CLIP - Sayonara, RoboCop!」。
何時もこういうタイミングで見るのは、女の為に殉死するという類のものが多い
。例えば「タイタニック」でローズの身代わりになって冷たい海に沈んでいくディ
カプリオとか。「砲艦サンパブロ」で揚子江の上流にキャンディス・バーゲンを助
けにいって中国の兵隊に狙撃されて死ぬスティーブ・マックイーンとか。
しかし今日はより血なまぐさいのが見たくて「ロボコップ」の廃工場のシーンを
再生した。
廃工場の水たまりにアン・ルイス隊員がケガをして尻餅をついている。
そこに銃をもった悪党のボス、クラレンスが迫る。
「バイバイベイビー」と銃口を向けるが…。
しかし、ロボコップ参上「クラレンス!」
と思いきや、子分のレオンが高所で、クレーンの操作室へ走って行くではないか。
アン・ルイスは対戦車砲バレット82に近付くが、
クラレンスは銃を捨ててニヤつく。「OK、ギブアップだ」
「もう逮捕したりはしない、処刑だ」
しかし、クラレンスはロボコップをおびき寄せていたのだった。
「まあまあ、ちょっと待て」
何も知らないロボコップは近付いて行く。
操作室のレオンが、モノレバーを操作して、UFOキャッチャーのクレーンみた
いなのに掴まれている鉄骨をロボコップの頭上に移動させる。
「まあまあ、ちょっと待て」と更におびき寄せる。
ちょうどクレーンがロボコップの頭上に。
操作室でモノレバーを引くレオン。
大量の重量鉄骨がロボコップを直撃する。
「やったぞ、クラレンス、ロボコップをやった」
しかし、操作室のレオンはアン・ルイス隊員の放った対戦車砲で木っ端みじんに。
クラレンスは驚くが、とがった鉄パイプをもつと鉄骨の下敷きになっているロボ
コップを襲いにくる。
鉄パイプを振り下ろすクラレンス。
最初の2発3発は腕で跳ねのけるが、クラレンスは両手で握って振りかぶると、
とどめを刺す様に胸部にぶっさしてて、ぐりぐりぐり。
「うぉーーーーー」と絶叫するロボコップ。
「さよならロボコップ」
ロボコップ絶命か。
しかし、ロボコップはデータアクセス用ニードルを手の甲から突き出すとクラレン
スの頸動脈をぶっ刺す。
血しぶきがぷしゅー。
クラレンスはのたうち回って絶命。
あのままロボコップは殉職するのだろうか。アン・ルイスの見ている目の前で。
(俺も、関根惠子、或いはナンシー・アレンの見ている目の前で、絶命したい)
小川はスマホを出すと、トラニーのアリスにショートメールを送った。
>貸してくれた「ロボコップ」返さないと。
>youtubeでロボコップが、廃工場でクレーンで、
>鉄骨を落とされてぶっ潰れるシーンを見付けた。
>繰り返し見ている。
>そういえば、勤務先のマンションに崩れそうな足場がある。
>あれの下敷きになれば同じ様に死ねるのか。
高田馬場にあるニューハーフ風俗、リブレ高田馬場は、賃貸マンションの一室を
事務所兼店舗にしていた。
マンションの玄関を開けると受け付けのカウンターがあって、その向こう側にリ
ビングがあって、突き当りの引き戸を開けると、トラニー達の詰め所の和室になっ
ていた。
和室の外にベランダがあって、トラニーのアリスは、加熱式たばこを吸いながら
スマホで喋っていた。
「そもそもこっちはちんぽを切って女になりたいんだから、元々は女でしょう?
それをトラニーチェイサーというのは、ちんぽのついている状態を求めてくるんだ
から」
「うん」
「もう、歪んだ性欲をこっちに向けてくる段階でムカついているのに、それに加え
て、遊びでホルモンやってみたい、なんて言っているのよぉ」
「えー」
「ノンケの癖にホルモンやろうなんて輩は許せないわよ。こっちはホルモンですご
い苦労しているのに」
「私だって、タチのトラニーチェイサーに散々やられて、どうしても性転換手術で
お金が必要だったから我慢していたけれども、アナルローズにされちゃって人工肛
門になっちゃったんだから、あいつらは憎いわよ。だから、そいつを突きまくって
、アナルローズにしてやればいいんだ」
「その前に、足場の下敷きになって死ねばいい、とか思っているのよね」
「えぇ、なにぃ?」
「そいつは警備員なんだけれども、現場に足場があって、崩れそうだって言うのよ
。その下敷きに出来ないかなぁと思って」
「そんなの無理でしょ」
「でも、そいつは自殺願望があって、「ロボコップ」でも「ターミネーター2」で
も「タイタニック」でもみんな死ぬから、死にたいのが普通でしょう、とか言って
いて。プレイでも、「太陽にほえろ!」とかの殉職シーンを使っていたんだけれど
も、今は「ロボコップ」のDVDを貸していて、それをプレイに使っているのね。
そうしたらさっきショートメールが来て、鉄骨の下敷きになるシーンみたいに足場
の下敷きになって死にたい、とか書いてきたんだから」
「だったら、メスイキの状態とか、”ところてん”とかだったら、トランス状態で
無意識の扉が開けっ放しだから、そこに、ロボコップが、鉄骨の下敷きになるシー
ンを埋め込んでやればいいのよ。そうすれば自分から下敷きになりに行くかも知れ
ない」
「そんな事出来るの?」
「だって自殺願望があるんでしょう?」
「そうだけれども」
「特攻隊だって、そうやって背中を押されて死んだんじゃないの?」
「じゃあ、どうやってご指名ご来店してもらうかが問題ね。だって、まだこの前来
てから1週間もたっていないもの。あいつはパートの警備員で給料も安いから、そ
う何回も来られないのよ」
「そこを来させるのよ」
「どうやって?」
「ドタキャンが入ったから今日なら遊べます、これを逃すと1ケ月は無理、旅行も
行くし当分無理、とか言って」
「ふーん」
「なかなか手に入らないものほど欲しくなるものなのよ。売り切れ寸前のところで
、1個だけ在庫がありました、とかいうと欲しくなるでしょう? ハードトゥゲッ
ト。簡単な恋愛心理学よ」
「じゃあ、ショートメール打ってみるか」
「やってみな」
#592/598 ●長編 *** コメント #591 ***
★タイトル (sab ) 22/11/11 11:41 (341)
あるトラニーチェイサーの死3 朝霧三郎
★内容
>今日、まぐれに近い、キャンセルが出ました。
>それ以外は1週間先まで埋まっているし、
>その後は、タイに下見を兼ねた旅行に行くので、なかなか会えないよ。
>もしかしたらそのままタイで性転換しちゃうかも。
>そうしたらもうやってあげられなくなるし。
>どうする?
>今日来れない?
小川は西川口のアパートでショートメールを確認すると、
スマホで“リブレ高田馬場”を検索した。
“リブレ高田馬場”は一番上に表示された。
>ニューハーフ風俗リブレ高田馬場ニューハーフヘルス
>コンパニオンのほとんどが現役OLや学生という23区内の超穴場優良店です。
>”彼女”達は元女優でも元モデルでもないから初々しいったらありゃしない。
>その癖テクは極上というからおったまげー。
>そんな男の娘とニューハーフがあなたを…
そこをタッチすると店のhpが表示された。
在籍一覧、スケジュール、料金…というメニューの中から、在籍一覧をタッチ。
AKB48メンバー一覧の様に画像がつらーっと表示される。
アリスのパネル写真をタッチ。
プロフィールのページが表示された。
(目元が蒼井優に似ている。それなりに顎がしっかりしているから、歯並びがいい
。顎の細い女は歯が収まりきらなくて歯並びが悪くてよくない)
大きめのパネル写真は数秒ごとに切り替わっていたが、その1枚は、バックで片
足をテーブルに乗っけている写真で、ビキニ姿なのだが、股間にふくらみがこんも
りとあり、ぺろりを脱がせばちんぽがでてくると思えて、小川は萌えた。尻周辺も
ホルモンをやっているせいか、女性的なふくらみがあり、色も白いのでアナルもピ
ンクかも知れない。
喉がカラカラになってきた。
スマホを擦ってスクロールさせる。
【スペック】
名前:アリス
年齢:22歳
T:170
B:90 (Dカップ)
竿:有り 玉:有り
Pサイズ:15
タイプ:ニューハーフ/地毛
【オプション】
AF:◎
逆アナル:◎
3P:◎
生フェラ:◎
射精:○
ソフトS:◎
ソフトM:◎
「パネルの通り、月夜のごとく澄んだ目元が印象的なアリスさん。
引き締まった抜群のスタイルにホルモンも効いてきて、
ピンクのびーちくがでてきばっかり。
でも、ペニクリはまだびんびんという、
トラニーチェイサーにはたまらない状態。
しかも、プレイに関してはまだ修行中の未熟者、
かえっていろんな事ができちゃうかも。
とにかく元気なので、カマなしでも逆AFok。
もちろん透明射精つき。
こんなトラニー現在進行形のアリスを逃す手はありません。
本当にこの旬な時を逃すなんて、ありえませんyo----」
出勤スケジュール
6/7 14:00〜 空 残り1名様
6/8 満員御礼
6/9 満員御礼
6/10 満員御礼
6/11 満員御礼
6/12 タイ旅行
6/13 タイ旅行
6/14 タイ旅行
6/15 タイ旅行
堪らなくなって、福山に電話した。
「福ちゃん金貸してくれ」
「えー、この前も貸したじゃん」
「ちゃんと返しただろう。それに、利子替わりに、そっちの自衛隊時代の漫画をス
キャンして、youtubeにうpしてやったじゃないか。あれだって、一コマずつに分
割するに結構苦労したんだから。あの漫画がバズればお前だって銭が入ってくるん
だから、今ちょっとぐらい貸してくれてもいいじゃないか」
「幾らだよ」
「2万。paypayで送って。頼む」
「じゃあ、今回だけだぞ」
paypayで入金を確認すると、アリスの90分コース2万円に予約を入れた。
シャワーを浴びてから、コミネのシングルライダースジャケットを着こむ。これ
だってこだわりが無い訳じゃない。松本人志がクロムハーツの60万の革ジャンを
買ったと聞いて、安くてもブランド価値のあるものを、と思ったのだ。
(何で松本人志が関係あるんだろう。人は人なのに。西武は西武なのに)
階下に降りて、ホンダ N-BOXに乗り込んだ。昔はアコードに乗っていたが、所ジ
ョージの世田谷ベースだの、ヒロミの八王子なんたらだのを見ている内に車に金を
かけるのがバカらしくなったのだ。
(何で所ジョージやヒロミが気になるんだろう。他人は他人なのに。西武は西武な
のに)
そんな事を思いつつ、キーを回す。
ナビに店の住所を入力すると案内開始ボタンにタッチした。
「ルート案内を開始します。実際の交通規制に従って走行して下さい」
というナビの音声案内に従って、車を発進させた。
SHOの”ヤクブーツはやめろ”を大音量で流す。
表通りの中山道に出ると、ひたすら南下。高島平からは池袋線の下を走っていっ
て、山手通り、新目白通りと走っていって、山手線の高架をくぐって右折すると目
的地だった。
走行距離キロ15.5キロでも全然疲れない。犬は獲物を追いかけている間は全
く疲れを知らないというが、トラニーチェイサーもトラニーを追いかけている間は
疲れないのか。
高田馬場1丁目パーキング3時間1500円に駐車する。
(高田馬場というのは、坂が多くて路面電車が走っていて、丸でサンフランシスコ
みたいだな。変態が似合う街だ)などと思いながら、一通の裏道を歩いた。昼間な
のに、人通りはまばらだった。途中セブンで2万円を引き出す。
到着すると、オートロックで部屋番号を押す。
「14時から予約している小川ですが」
アイホンのライトが付いてから、無言のままオートロックが解錠された。
504に入るとそこが受け付けになっていた。
玄関先にカウンターが据え付けてあって、身長180センチ体重100キロの巨
漢のオカマが手をついていた。
「いらっしゃい」
玄関右手には三段ボックスがあって、DVDが積まれている。裏DVDを売って
いるのだ。
カウンターの向こうはダイニングで、応接セットがある。
その奥に引き分け戸があって、向こう側が和室になっている。
左手にもドアがあって洋間がある。
その手前が洗面所で洗濯機が回っている。
その左側がキッチンコーナー。
マドンナの「Live To Tell」が流れていた。
和室から、一人若いトラニーが出てきて、キッチンコーナーの冷蔵庫からドリン
クを出すと持って行ったが、途中で止まって、ちらっとこっちを見た。
そのトラニーが和室に帰ると、別のトラニーが顔を出してこっちを見る。顔を引
っ込めると、部屋の中から、キャッキャッ聞こえてくる。
「誰が指名されるんだろう」とか話しているのでは。
トラニー達の柑橘系の香水の香りが漂っている。
目の前の巨漢オカマはチョコレートの香水を付けていた。
それからマドンナの「Live To Tell」。
一気に気分が高揚してくる。
どんなに陳腐な景色でも若い性的な人間と、良い曲、マドンナの「Live To Tell」
とか、と、香水の香りとでドーパミンが出るのではなかろうか。
「あんた、あの子をご指名ね」と巨漢オカマがタブレットを見せてくる。「それじ
ゃあ20000円になります」
さっき引き出してきた1万円札2枚を渡した。
それと引き換えに、キーボックスから出した鍵を渡される。
「それでは206号室でお待ち下さい」
206は504とは違ってリビングもなく、純然たるワンルームだった。
真ん中にベッドがあるだけで後は造り付けのクローゼットがあるだけ。
ちょっと蒸し暑い気がして、小川は自分でエアコンを入れた。室温はドライ24
度。
キンコーン。
「おじゃましまーす」
鼻にかかった声で言いながら、アリス嬢が玄関を開けて入ってきた。
ユーチューバーの元男の子の青木歌音が言っていたが、元男の子は女の声を出す
為に「ワレワレハウチュウジンダ」と鼻声を出してだんだん高くしていくのだ、と
。それで鼻声なんじゃなかろうか。
一週間ぶりだが、見た瞬間(いい)と思った。
顎はともかく、目が蒼井優似の切れ長で、しかも鼻すじは通っている。
走ってきたのか、息が荒く、小鼻が収縮している。
息のニオイはピーチとかフルーツの香り。
ベッドに一緒に腰掛けると、こっちの太ももを撫でてきた。
「今日は”ところてん”やろうか」
「”ところてん”?」
小川もアリスのぴっちりデニムの太ももを撫でた。
「前立腺のそばの精嚢をつつくと、たらたら精液が垂れ流すの。勃起しないまま。
そうすると、プロラクチンが出ないから賢者タイムにならないからオーガズムが続
いてトランス状態になるの。その時に、何かをイメージすれば、その世界にトリッ
プ出来るから」
「ふーん。気持ちよさそうだなぁ」
「ねえ、さっきショートメールで、足場の下敷きにになりたいなんて言ってきたけ
ど、なに?」
「いやー、西武系の警備会社に入るかも知れないんだよねぇ。入れないなら追い出
されるんだけれども。
俺、西武って大嫌いなんだよねぇ。公園通りは西武セゾンが作ったなんて聞いた
だけで渋谷に行きたくなくなるんだよね。今いる池袋も、ダイヤゲートだのサンシ
ャインシティだの西武色が強いけど。とにかく西武が嫌いだからさ、西武系の警備
会社に入るぐらいだったら、あの足場の下敷きになって死んだ方がマシだ、と思っ
たんだ」
「へー、珍しいわね、つーか偶然ね。そういうお客さんが居たわよ。60歳ぐらい
で、警察官なんだけれども、西武が大っ嫌いなんだって。
その人が20歳の頃、埼玉のfラン大学の食堂のテレビで、西武の堤オーナーが
ライオンズの広岡監督を公開処刑したのを見たんだって、記者会見で。広岡監督は
、選手に、肉は食べたらいけないとか言っていて、野球選手によ。そんな独特な食
事療法を押し付けておいて、その癖自分が痛風になったうえに成績もふるわなくっ
て。それで、記者の前で、オーナーに、「痛風になる人は精神がぶったるんでいる
そうですなぁ」と言われたんだって。それが、すっごい動物的な迫力があったっん
だってさ」
「それでそのおっさん、桜田門に入ったのか。桜田門なら西武より格上だからな。
俺も桜田門に入っていればよかったよ。そうすれば西武系の警備会社に入る事なん
てなかったのに。あんな警備会社に行くんだったら死ぬよ。ロボコップみたいに。
鉄骨の下敷きになって。西武の警備会社に反乱するロボコーップ」
「あのDVD早く返してよ」
「今度持ってくるよ」
「あの映画、私大好きなんだから」
「へー」
「じゃあ、今日はそういうプレイにする?」
「え?」
「あの、廃工場の水たまりで鉄骨の下敷きになるシーンからスタートして。マーフ
ィは、修理をしないといけないのね。特殊合金で隠れているけれども、顔とお尻だ
けは、人間のままなの。お尻を手術しないと…みたいな展開」
「ああいいよ」
「じゃあ、私脱ぐよ」
アリスは、デニムジャケットを脱ぐとクローゼットに入れた。
ぴっちりとしたカジュアルシャツに、スリムなジーンズ。
ほんのりと乳房のふくらみもわかる。
それも脱ぐと、ブラとパンティになった。
おっぱいはかすかに膨らんでいるのに、股間は盛り上がっている。
喉がカラカラになってきた。
クローゼットからバスローブを出すと、「小っちゃんもこれに着替えて」と渡し
てくる。
「なんか飲むものないかなあ」
「なんで? 喉乾いてきちゃった」
アリスは冷蔵庫から、ジャスミン茶のペットを2本だしてきてくれた。
バスローブ1枚でベッドに座るとブラにパンティのアリスが横に座った。
「じゃあ、上、脱ぐよー」と言うと、ぺろんとブラを外す。
白い水泳選手の様な肌にかすかに膨らんでいる乳房、そしてピンクの乳輪がある。
「いいなあ」
アリスはうずくまる様にしてパンティも脱ぐ。ダビデ像の様な包茎が現れた。ま
さにダビデの包茎。
「アリス、最高!」
「小っちゃんも脱いで」
小川はバスローブを脱ぐ。
小川は「いいねえ」を繰り返しながら、アリスの背中をまさぐると、胸の方に手
をまわして、微かに膨らむ乳房を手のひらでおおい、ピンクの乳首をつまむ。
手を尻にまわすとお尻のほっぺを開こうとする。
「ああ、まだシャワーを浴びていないから」
「いいよ、そんなもの」
ここで、ひらりと身をかわすとアリスはベッドの上で四つん這いになった。
猫の伸びのポーズ。
色素沈着していない肛門と、股にはさまれた金玉とペニスをいいと思う。
「いいねえ」
「どこが?」
「顔と、ちょっと出たおっぱいと、大きすぎないダビデのペニスが」
四つん這いで、肛門が見えていて、股間に金玉を挟んだ状態で、蒼井優似のアリ
スがこっちを見ている。
(俺は何をいいと思っているのだろう。顔がいいと思うっているのか。絶対にマッ
ド・ディロンじゃダメだから、女を求めているのか。みんなボーイ・ジョージに何
を求めているんだろう。しかし、絶対にそこにまんこがあったらダメだから、女を
求めている訳じゃあない)
「マッド・ディロンみたいなのはごめんだからな」小川は呟いた。
「えー、なに、それ」
「いやー、エロ動画のシーメール物で、マッド・ディロンみたいに顎の長いのがズ
ラをかぶったのがあって、ああいうのはかなわないな、と」
「ふーん。ホルモンが遅かったのね。かわいそうに。私もエラはっているから気に
しているんだけど」
「そんな事ないよ。ちょうどいいよ。つーかそれより細かったら歯並びが悪くなる
よ」
「じゃあ、小っちゃん、”ところてん”希望だよね」
「”ところてん”、やられたい」ジャスミン茶を飲みながら言った。
興奮して喉はカラカラだった。
アリスは前面に立つとペニスを見せた。
「じゃあ、逆AFしないと…」と言って自分の股間を見下ろす。「あー、どうしよ
う、まだ私の立っていない」
勃起していない包茎のペニスをこちらに寄せてくる。
「ちんぽおおきくして」とアリス。
アリスのを見ると、勃起はしていないが、立ったら小川のより2、3センチはで
かかろうというサイズだった。
(舐めたい)と小川は思う。(肛門性愛だけじゃない。包茎のちんぽも好きなのだ
。何でだろう。何で包茎のちんぽが好きなんだろう)
謎が脳内でうずまいて、それでテンションが上がる。
最初手で持ち上げてみたが、触らないまま空中にある状態のダビデの包茎を口で
受けてみたい、と思った。
アリスの前に跪くと目の前に包茎ペニスがあった、朝露に濡れる朝顔の蕾の様な。
「じゃあ、吸うよ」
アリスのペニスを口に含む。
口の中で徐々に勃起してくると、包皮が剥けるのも分かった。
勃起してくると、アリスは手を伸ばしてきて、こっちの乳首を強めにつまんだり
、なでたりした。
完全に勃起すると、ハモニカみたいに横を舐めたり、リコーダーの様に縦に舐め
たりする。
今やアリスのペニスはぎんぎんにいきり立っている。
そして上半身には小さい白い乳房とピンクの乳首があるのだ。
「じゃあ、逆AF行く?」とアリス。
「行く」
「じゃあ、最初、ほぐしてあげる」
アリスは体を離すと、トートバッグから短めのアナルビーズとローションを出し
てきた。
「じゃあ、お尻にこれ塗らないと」
「え、何それ、新しいやつ?」
「これ教えてもらったの。SODローション ロングバケーションタイプ。これが
一番いいんだって」
(SODってそんな物まで作っているのか。「マネーの虎」の高橋がなりは。そん
なものを作るんじゃあ生産設備も必要だろう。そんな資産があるのか。それともO
EMで名前だけ貸しているのかなあ。なんか、西武の堤一族みたいな勢力の大きさ
を感じて、嫌だなあ)
そんな事を考えている間に、ローションは塗られて、アナルビーズの一個目は既
に吸い込まれていた。
「ほら一個吸い込んだ」とアリス。「お尻を緩めて、緩めて。ほら、又一個吸い込
んだ」
そうやって、すぐに5個まで吸い込む。
「じゃあ、抜くわね」
ずるずるずるーと引っこ抜かれる。
そして、指2本でアナルをぐりぐりする。
(感じるー)
しかし不思議な事に、ちんぽは萎えていた。
「さあ、お尻の方はバックオーライ」
アリスは、コンドームを取り出すと、器用に装着した。
小川のちんぽを見て、「あれぇ、勃起していないのにお汁がたれている。勃起し
ていないのに感じているの?」と言う。
手を伸ばしてきて、こっちのちんぽに指を絡めてくる。
「じゃあ、四つん這いと正常位とどっちがいい?」
「四つん這い」
言うと小川はベッドに手をついて尻を出した。
アリスが尻のほっぺを広げてじーっと視姦する。
「丸見え」
SODを内部にまで塗りたくった。ぐりぐり、ぐりぐり。
「さあ、じゃあ、あなたはマーフィ巡査ね。あの廃工場でクレーンで鉄骨の下敷き
になって修理が必要なの。特殊合金で見えないけれども、顔とお尻だけは人間の肉
体のままなのよ。じゃあ、肛門の治療をしないと」
言うとアリスは指を突っ込んできた。ぐりぐり。
「これじゃあダメだわ。こっちの道具で」
と、ペニスを入れてきた。
SODの協力な粘度のせいか、ずるんと入ってくる。
「はぁ」と小川は息を漏らした。
アリスは、一回深めに入れてから浅めにして、鬼頭で前立腺の位置を探す。
「ここでしょう? ここをペニスで擦ると漏れるんだから」
ゆっくりとピストン運動が始まる。ずぶずぶずぶ、ずぼずぼずぼ。
「は〜ぁ、いい」
入れる時には、精嚢を擦る様に入れる。
勃起していないちんぽから本気汁が垂れている。
「いい、すげーいい」
本気汁に混じって精液がにじみ出てきた。
「ほら、たらーんと出てきた」
「あ〜あ、いい」
「ほら、突いた時に出るんだから。いいでしょう」
「いー」
「トランス状態よ。
さあ、マーフィは記憶を失った訳じゃないのよ。クラレンスの一味に、鉄骨の下
敷きにさせられた時の事が脳裏によみがえるの。どんな感じだった? 鉄骨が、足
場が落ちてくる時の感じは」
ずぶずぶずぶと挿入する。
ちんぽの先から精液が垂れてくる。
「あー、いい。でも、死ぬんだ、アン・ルイスを守る為に。アン・ルイスはアンヌ
隊員に似ているな。「ロボコップ」の元ネタは「ウルトラセブン」なんじゃあにの
? モロボシダンも死ぬでしょう。あ〜あ、いい」
ずぶずぶずぶと突いてくる。
たらーりと精液が垂れてくる。
「ほら、鉄骨が胸の上に落ちてくるのよ」
「あーあー」
精嚢を突かれる度に、たらーりと、”ところてん”をする。
長いオーガズムが続いた。
もう十分だ、という頃なると、アリスは後ろから右手で小川のペニスを掴んでし
ごき出した。
「あっ、あっ、あっ、行く、行く」
「さあ、治療は終わりよ、行っちゃって」といいながらピストン運動を激しくする。
「あっ、あっ、行くー」
そして小川ははてるのであった。
#593/598 ●長編 *** コメント #592 ***
★タイトル (sab ) 22/11/11 11:42 (277)
あるトラニーチェイサーの死4 朝霧三郎
★内容
シャワーを浴びてもまだ時間が余っていた。
ベッドに腰掛けてジャスミン茶を飲む。
「俺は、何を求めているのかなあ。女を求めているのにペニスを求めている。何で
ちんぽが欲しいのかぁ」
「3つ説があるの。
第一の説は、ペニスをクリトリスに見立てている感じ。
ペニクリっていって、バイブを鬼頭に当てて、行きそうになると離して、おさま
ると又当てて、って、何回もやると、じわーっと精液が滲み出てくるっていうプレ
イもあるんだけれども。
第二の説。女にペニスがあるのは面白いという説。
第三の説。女性性器嫌悪説。気持ち悪いじゃん、おまんこって。内臓みたいで」
「インターフェースが変わったって事かな。つまり、相変わらず女を求めてはいる
のだが、つながる箇所が女性性器から男性性器に変わったという事?」
何気、関根惠子巡査のナニを想像してみたら、内臓が剥きでている様で(嫌だな
)と思えた。
(という事は第三の説かも知れない。いやー、それがペニス羨望の理由とは思えな
いなぁ)
N-BOXに戻った頃には、すっかり賢者タイムになっていた。
(何時もこうなると、殉死したくなる。惠子巡査を守って殉死したい。何か見るも
のはないか)
スマホでyoutubeを開いた。
いきなり、「Movie CLIP - Sayonara, RoboCop!」が再生される。
廃工場でクラレンスに胸を刺されてぐりぐりされるロボコップ。
「さよならロボコップ」ぐりぐりのシーンを繰り返し見る。
(今日は、サウナにでも行こう)と小川は思う。(新大久保の大泉でいいや。あそ
この休憩室から見える歌舞伎町の空は、なかなかおつなもの。水族館(ライブハウ
ス)でビールでも飲んでから行こう)
翌朝、中1日で小川は出勤した。もう一人いる24時間警備員の北野が休みだっ
たので。
ボイラー室で、警備服風作業着に着替えてくると、フロントに突っ立っている福
山に行った。
「福ちゃん、”ところてん”って知っている」
「つるつるーって食べるやつ」
「そうじゃなくてよぉ、アナルにちんぽを挿入して、その先っぽで、前立腺のそば
にある精嚢をつくと、勃起していないのに、精液が出てくるんだよ。たーらたらと
。ずーっとだぜ。その間中行きまくっているんだから、すげーオルガスムスだよ。
普通の10倍だよ。もう、トランスしちゃってさぁ、プレイ中にインストールされ
たものが脳裏に焼き付いている」
「何が焼き付いたんだよ」
「まあ、「ロボコップ」のシーンだけれどもな。ロボコップが廃工場で鉄骨の下敷
きになるシーン」
「お前、俺の貸してやった2万円で、そんなところに行っていたのかよ」
「今度、福ちゃんにも案内してやるよ」
「嫌だね。俺はそんな変態じゃない」
「やっぱ自衛隊は固いなぁ」
ここまで話したところで、ラウンジの向こうから、ハイヒールの踵を鳴らして石
松が登場した。
「おはようございます」と目を合わせてにっこりと微笑する。
(なんだなんだ、今日は無視しないのか)
石松はキッチンコーナーでコーヒーを入れると、管理室のスチールデスクにおい
た。
「コーヒー入りましたよー」
と呼ばれるので、福山と言ってみる。
「全く梅雨でムシムシして嫌ですね」ずずずずーっとコーヒーをすする。
(何で無視しないんだろう。どうせお別れだからだろうか。主任管理員と石松だけ
採用されて警備員はお払い箱かなあ)
「管理会社が変わる件だけれども、蛯原さん、なんか言ってた?」と聞いてみる。
「あー、それだったら何か動きがあったみたいですよ。さっき更衣室に入って行っ
たからすぐに来ますよ」
言う前もなく、Yシャツのボタンを2つ3つ外してネクタイをぶら下げた蛯原が
登場した。
「蛯原さん、管理会社の件、決まったの?」
「決まったよ。昨日言った通り四菱地所コミュニティが後釜に座るらしい」
「そんで俺らの扱いは?」と福山。
「今度の水曜日に、サンシャインシティ会議室で会社説明会があるんだって。まず
それに参加して、希望者は面接だってさ。でも、基本、パートなら雇ってくれるら
しいぞ」
「ずるいよな。自分で一からやるのが面倒くさいからって俺らを雇うのは」と福山。
「何言ってんだよ、福ちゃん。今いる土方の警備会社に比べたら西武系の警備会社
なんて雲の上の存在だぞ。たとえパートでも採用されれば、もしかして行く行くは
正社員という事だってあり得るだろう。特に福ちゃんなんて元自衛官なんだから」
「小ちゃんはどうするの?」と福山が降ってきた。
「俺かぁ。俺は分からないな」
言うと、小川はふらふらと、正面玄関側のドアの方に歩いて行った。
「あれ、どこ行くの?」
「辞めるかも知れないから、見納めに一回りしてくるわ」
言うと小川は鉄扉を開けて出て行った。
駐車場奥の裏エントランスに通じる通路を行くと、足場の前に行った。
カラーコーンとトラ柄のバーの前から見上げる。
上の方で微かに揺れている様に見える。
(やるっきゃねーな)
小川は、カラーコーンを蹴飛ばした。トラ柄のバーが外れて転がった。
小川は肩をいからせてパイプに掴みかかると、揺らしだした。
カンカンと鉄パイプがぶつかる音がして、上の方で、揺れている。
しかしジョイント部が固くて、崩れる気配はない。
更に揺らしても、揺れは大きくなるものの崩れない。
小川は踏み台の1段目に飛び乗ってしがみつくと、オラウータンの様に揺さぶっ
た。
足場が、組立ったまま、ギーーーーっという音と共に、こちら側に傾いできた。
ガッシャーんという轟音と共に完全に倒壊する。
1段目の踏み台の縁が小川の胸部に食い込んだ。
「うぅぅぅぅー」唸ると白い泡を吹いた。
肋骨が折れて肺を潰しているようだ。
息が詰まってすぐに意識が薄らいできた。
(ロボコップみたいに鉄骨の下敷きになるのとはちょっと違ったな)それが最後に
小川の脳に浮かんだ観念だった。そのままブラックアウトして意識を失った。
蛯原が通報して救急車と警察が来た。
ガイシャは、足場の下敷きになっていて、既に死んでいるのは明々白々だったが
、警察と消防で引きずり出して死亡を確認した。
救急搬送は行われず、警察が現場検証を始めた。
事件の可能性もあったので、刑事課に連絡が行った。
刑事課の小林達也巡査部長、加藤凡平巡査部長、佐伯明子巡査が臨場した。
「こりゃひでーな」遺体を見下ろして小林が言った。
「スマホもめちゃくちゃ」と加藤。
右のズボンのポケットから飛び出しているスマホはバリバリにヒビが入っていた。
「上着のポケットから何かの破片が飛び出しているな、なんだ」と小林。
加藤が片膝をついて摘まみだしてみる。
「DVDですね。「ロボコップ」。割れているんで見られませんね…、ん?なんか
名刺みたいなのが挟まっている。なんだ、これ。風俗の割引券ですね。ニューハー
フリブレ高田馬場」
小林、加藤が遺体を見ている間、佐伯巡査は事情聴取を行っていた。
「絶対に近づくなって言っていたのに」と福山。
「小川さんがそう言っていたんですか?」と佐伯明子巡査。
「でも、ここで下敷きになって死にたいって言っていたんだ」
「え、そんな事言っていたのか」と主任管理員蛯原が顔を突っ込んできた。
その背後から石松が覗いている。
「あなたはいいから、ちょっとこちらの方に話を伺いたいから」
言うと、佐伯明子巡査は福山の袖を握って、規制線のところに突っ立っている制
服警官の向こうまで引っ張って行くとそこで聞いた。
「どっちなの?。下敷きになりたいと言っていたの?。それとも、近づくなって」
「近づくな、でも自分はガレキの下敷きになって死にたい、ロボコップみたいに」
「映画の「ロボコップ」?」
「そう」
「何時そう言っていたの」
「昨日かな」
「それから」
「うーん ホルモンをやりたいと言っていた」
「ホルモン? 焼肉のこと」
「そうじゃなくて、ニューハーフのやるホルモンだよ」
「あの人、ニューハーフだったの?」
「そうじゃないけど、そういうのが好きだったんだよ。こういうのだよ」
福山はスマホを出すと、シーメールの画像を表示した。
「Ellahollywood(エラハリウッド)っていうんだよ。顔はエマワトソンだけれど
もちんぽが生えていて。これがニューハーフの中では一番いいらしい」
小林と加藤もこっちにくるとスマホを覗いた。
「それで、自分もそうなりたいからホルモンを?」
「そうじゃないけど、ホルモンをやれば、石松さんや西武と戦わなくて済むからっ
て」
「石松さん?」
「あそこにいるコンシェルジュだよ」福山は規制線の向こうで野次馬をやっている
石松を指さした。
「西武というのは」
「今度ここの警備会社が西武系に変わるんだけれども、俺らもそっちに雇われる予
定なんだよ。だけれども小川は西武を嫌っていたんだ」
「何で?」
「分からない。石松を嫌っていたのは無視するからだって。アップルウォッチで録
音までしていたよ。シカトの動かぬ証拠だと言って」
「ふーん。それが昨日の事ね? 昨日はそれで退勤したの?」
「あ、電話がかかってきた」
「なんて」
「金を貸してくれって。ニューハーフヘルスに行くから。好きなニューハーフがド
タキャンされて急に会える事になったって」
「それでお金を貸したの」
「うん」
「いくら?」
「paypayで2万。それで夕べ風俗に行って”ところてん”でトランスしたって」
「”ところてん”?」
「”ところてん”というのは勃起しなくても精子が出てくる技らしくて、それでト
ランスして、「ロボコップ」のシーンをインストールされたって」
「どういうシーン?
「ああやって、ガレキの下敷きになるシーン」福山は倒壊した足場を指さして言っ
た。
「ふーん。それで」
「それだけだよ。俺の知っているのは」
「分かった、ありがとう」
証人を返してしまうと刑事3人になった。
「ロボコップが鉄骨の下敷きになるシーンを風俗でインストールされて、それを自
分でやったって?」と小林が言った。
「後催眠といって、催眠が解けた後にも催眠の効果が残っているのがあるんです」
と佐伯明子巡査。
「それじゃあ、これは自殺じゃなくて、風俗嬢が催眠をかけたって事か」
「分かりません」
「臨床心理士、佐伯明子巡査の出番だな」
佐伯明子は、私立大の心理学科院卒で、臨床心理士の資格を取得していた。
「どうするんですか?」明子巡査が聞いた
「ガイシャのヤサに行ってみよう。免許証から住所が分かったよ。西川口だ」と小
林。
「ニューハーフ風俗の方は?」と加藤。
「西川口の後だな。令状なしで任意の事情聴取だな」
西川口のアパートの1階には青山ふとん店という店舗があって大家が経営してい
た。事情を話すと大家立ち合いの下で中を見せてくれるという。
ワンルームの居室に入ると、押し入れというかクローゼットの横にベッドがあっ
て、反対側にデスクとその上にPCがあった。
クローゼットの取っ手にはとじ紐がついていて”大人のおもちゃ”らしき何かが
つながっていた。
「なんだ、ありゃ」と小林。
「アナルビーズです」と加藤。
「詳しいな。何で紐でしばってあるんだ」
「ああやって縛っておいて、ケツを動かして抜きながら前をいじる」
「変態だな」
言いながら部屋の中へ入って行く。
「pcがスリープ状態ですね」と明子巡査。
「立ち上げてみな」と小林。
電源ボタンを押す。パスワードは設定されていなかった。サインインすると
youtubeの画面だった。「Movie CLIP - Sayonara, RoboCop!」
「再生してみな」と小林。
再生してみると、ロボコップの頭上に鉄骨が落ちるシーンだった。
「ガイシャは、これをやったのか?」と小林。
「多分、そうですよ」と明子巡査。
「何で?」
「分かりません」
ニューハーフリブレ高田馬場に向かう途中、池袋署の近所で、明子巡査が言った。
「ロサ会館のツタヤに寄って下さい」
「何で」と加藤
「「ロボコップ」を借りて行くんですよ」
「なんでそんなもの」
「よく観たいんです」
TSUTAYA池袋ロサ店に立ち寄って、「ロボコップ」を借りると、警察車両
はリブレ高田馬場に向かった。
店のあるマンションに到着すると、表のオートロックから「池袋署のものだ、ち
ょっと聞きたい事が」と言う。
504室のカウンターまで行くと、巨漢オカマと対峙した
「あら、なんですの」と巨漢オカマ。「うちはいわゆる本番行為はやっていないお
店なんですよ」
「そういうんで来たんじゃないんだよ。生活安全課じゃないんだ、刑事課だ。おた
くの客の一人が事故で亡くなったんだ。その事でおたくの風俗嬢に聞きたいんだよ」
「まあ、玄関に突っ立っていてもなんなんで、じゃあ、あがります?」
「じゃ、あがらせてもらうよ」
刑事3人は、リビングに上がり込む。
「この向こうに女がいるの?」小林は引き戸を指して聞いた。
「そうよ」と巨漢オカマ。
「話しを聞きたいから、全員出てきてもらえないかなあ」
「しょうがないわねえ」
言うとオカマは引き戸をあけて中のトラニーに言った。
「みんな、ちょっとでておいで」
トラニー6人が引き戸の前に勢揃いした。
「こりゃあすごいなあ、完璧な女だな」小林はにやけた。
「そうですかぁ。よく見れば男っぽいのもいますよ」と明子巡査が小林に小声で言
った。「そんな事より、誰がガイシャに「ロボコップ」のシーンをインストールし
たか調べないと」
「ああ」
「誰がやったか私に突き止めさせて下さい」
「そうだな、臨床心理士だものな」
「じゃあ、みなさーん」明子巡査は引き戸の前に立っているトラニー6人に言った
。「何が起こったのか説明します。
みなさんのお客さんが一人が勤務先マンションの足場の下敷きになって亡くなり
ました。
自分で足場を揺らして倒壊させたそうです。
しかも、ここでのプレイの最中に後催眠をかけられてそうやったって噂です。
そんな事、あり得ると思いますかー?」
「え、なんのこと」などいいながら、トラニー達は顔を見合わせている
「じゃあ、何が起こったのかを最初っから私が説明します。
その前に、みなさんの荷物をもってきて、このテーブルの上において」
「え、荷物?」
「カバンの事?」
「そうじゃなくて、プレイの時に使う道具とか」
「そんなもの…」
トラニー達は、指図を仰ぐように巨漢オカマの方を見た」
「いいから、もってらっしゃい」と巨漢オカマ。
トラニー達は和室に入ると、トートバッグに入った商売道具をもってきた。
「はい、ここに並べて、ここに」と、明子巡査は「ロボコップ」のDVDを持った
手でテーブルを指図した。「ここに置いたら、どっか適当なところに座って。話は
長くなるかも知れないから」
トラニー達はソファーやひじ掛けやカーペットの上に座った。
明子巡査はDVDでトートバッグをつつくと中身ちチラ見した。
「これは何?」と、SODのローションをつつく。
「ローションよ。男のアナルに塗るのよ、はっ、ははっ」とトラニーの一人が冷や
かす様に笑った。
「う”ん、う”−ん」と咳払いをしてから、全員の前で明子巡査は言う。
「それじゃあ、これから何が起こったかを説明します。
何で自分で足場を崩したか。自殺ですが。「死への欲動」とも言いますが。
それと同時になんであの人は肛門性愛者なのか。
あと、何故トラニーが好きだったのか。つまり、何故ペニス羨望があったのか。
つまり、一つは、「死への欲動」、
もう一つは「肛門性愛」、
そして、もう一つの謎は、ペニス羨望、トラニーが好きな理由、
この3つについての謎解きですね。
この3つを謎と思わないんだったら、この謎解きを聞いてもつまらないけど」
#594/598 ●長編 *** コメント #593 ***
★タイトル (sab ) 22/11/11 11:43 (196)
あるトラニーチェイサーの死5 朝霧三郎
★内容
明子巡査はトラニー達を見渡した。
「それじゃあ、まず、「死への欲動」から。
みなさん、フロイト博士って知ってますか?
フロイト博士によれば、人間にはそもそも原初の状態に戻ろうとする傾向がある
との事です。原初の状態とは、生まれる前の、原子の状態、つまり死の状態です。
そこに戻りたいと思っている。これを、タナトスといいます。
でもみんながみんなそう思っている訳じゃない。この世で成熟した女性と上手く
行っている人は、いちゃいちゃするのは楽しいから、ここにいたいと思う。快感原
則ですね。これをエロスといいます。
では、どういう人が、エロスを捨ててタナトスに向かうか。
それがこの世で成熟した女性との関係が上手く行かない人。
どういう人が上手く行かないかっていうと、赤ちゃんの時に母親の無限の愛を得
られなかった人ですね。
人って、胎内、母子関係、世界での男女の関係、と、人間関係を広げていきます
が、このこの母子関係のところで、無限の愛が得られるか得られないかが重要なん
です。
母子関係の愛って、無限の愛なんですね。だって赤ちゃんは言葉が喋れないから
、何が欲しいとは言えないから、母親の方が「おっぱいが欲しいのかな、それとも
オムツが濡れているのかな、それとも何かな」と、無限の愛をくれないとならない
んです。赤ちゃんは無限の愛が欲しいのだから、何をくれても泣く、泣く、だって
おっぱいが欲しい訳でも、オムツを換えて欲しい訳でもなく、無限の愛が欲しいの
だから、何をくれても泣く訳です。
でも、ここで無限の愛を得られたと感じれば泣き止む。そして、母は自分を愛し
ている、だけれども、おっぱいはでない時もあるんだなあ、と納得するんですね。
ところが、この無限の愛が得られないと泣き続ける。おっぱいをやってもオムツ
を交換しても、無限の愛を求めて泣き続ける。そしてとうとう無限の愛を得られな
いままの赤ちゃんも居る。
こうやって、大人の世界に行くと、無限の愛を得た人は、例えば女が変な態度を
とっても、「変な女だな、まあ、女にも色々あるからなぁ、つーか、女だって何時
でも濡れている訳じゃないからなぁ」ぐらいに思うんですね。母は愛してくれてい
るよ、でも何時でもおっぱいが出る訳じゃない。女だって何時でも濡れている訳じ
ゃない。こういうのはエロス的ですね。
一方、母子関係で無限の愛が得られなかった人はどうなるのか。大人になっても
、基本的に愛はないから、何時までも愛があるか調べ続ける、赤ちゃんの時に泣き
続けた様に。こういうのはタナトス的なんですが。
どうやって調べるかというと、昔、岸田秀という心理学者が居たんですが、その
人は、自分は母親に愛されなかった、と50歳になって言い出すんですね。母親と
は20歳の頃に死別しているのに。母親は自分を家業の跡取りとしか考えておらず
、愛してはいなかった、利用する事だけを考えていた、と言うんです。だから、ギ
ターでも何でも買ってくれたが、勉強に関するものは買ってくれなかった、それは
、学業の道に進まれると跡取りに出来ないからだ、とか。それで、50歳になって
、ノートに線を引いて、左に「母は愛している」、右に「母は愛していない」と、
昔の言葉を思い出して書くんですよ。そして愛していなかったと結論する。
心理学者でも、赤ちゃんの時に無限の愛を得られないとタナトス的になっちゃう
、と気が付かないんですね。
さて、今回の事件のガイシャも、なんと、同じ事をしていたんですね。職場のコ
ンシェルジュの言葉をアップルウォッチに録音して、愛はあるか、ないか、とチェ
ックしていたんです。まったくタナトス的ですね。
こういうタナトス的な人間がどうなるかというと、この世での男女関係に上手く
行かないものだから、母子関係、胎内へと逆行するんですね。更には生まれる前の
状態、つまり死の状態に戻りたいと思う。これが「死への欲動」という奴です。
でも、実際には、タナトス的な愛って、録音でチェックする様なカチャカチャし
たもので、おっぱいを吸う様なねっちょりしたものではないから、なんとなく臨場
感がないから、それで鉄骨の下書きになって臨場感を出していたのかも。拒食症患
者がリスカして臨場感を出すみたいに。
とにかくこれが「死への欲動」の解決編です。みなさん、「そうだったのかー」
と膝を打ちました? まるでミステリー小説を読むみたいに。
「じゃあ、肛門性愛は?」とトラニーの一人が聞いてきた。「死への欲動と肛門性
愛になんの関係があるの?」
「それは、成熟した男女の関係から、母子関係、胎内へと退行しているのだから、
フロイト博士的に言えば、性の男根期から性の肛門期に退行した、って感じだけれ
ども。
或いは、タナトスというのはアップルウォッチで録音してチェックする、みたい
な厳密なものだから、排便の時の快楽を厳密にコントロールしたかった、とも言え
るし。
でも、実際には、コンシェルジュに愛される事に絶望して、もう女はいらない、
女性性器ではなく肛門がいい、と思ったのかも。
「じゃあ、ペニス羨望は?」と別のトラニーが聞いてきた。
「このオトコは、成熟した男女の関係から母子関係に退行したわよねえ。この時こ
の赤ちゃんが欲望しているものは、自分の欲望ではなくて、母親が欲望しているも
のなのね。じゃあ、母親が何を欲望しているかというと、それは父親のペニスなの
。だから赤ちゃん、つまりトラニーチェイサーにはペニス羨望があるのよ」
「ふーん」
「「死への欲動」と肛門性愛とペニス羨望は分かったわよ」とアリスが言った。「
でも、実際には小っちゃんはロボコップみたいに鉄骨の下敷きになって死んだんで
しょう? そんな洗脳が可能なの?」
(語るに落ちた。誰もロボコップなんて言っていない。こっちは、足場の下敷きに
なって死んだと言っただけだ。こいつがホシだ。もう少しせめてみよう)
「そうねぇー」明子巡査は腕組みをして右手で顎をつまんでみせた。「もともと「
死への欲動」があったから「ロボコップ」のイメージだけであんな事をやっちゃっ
たのかしら。
でも、プレイでトランスしている時に、無意識に、ロボコップが鉄骨の下敷きにな
るシーンを埋め込むなんて出来ないわ。そんな後催眠みたいな事はあり得ない。
それより重要なのは、さっき言ったペニス羨望って事なんだけれども。あの客はも
の凄い勢いでペニスを羨望していたと思うんだけれども。
それはもう、母子関係に退行したらもの凄い勢いでペニスを羨望しちゃうんだけれ
ども。
そのペニスの代わりにポケモンがきたら、そこいらの子供がポケモンカードに萌え
ている様になるし、ブランド品がきたらOLの様にブランド品に萌えるし、お経が
来たらカルトの様に宗教にハマるし。そして、ペニスの代わりに「ロボコップ」の
あのシーンが来たら、それはもう激しくあのシーンを羨望する。だから、洗脳とい
うより、ペニス羨望の代替でロボコップ羨望した、って言えるかもね。
「分かったわ。ハウダニットは」と巨漢オカマが口を挟んできた。「じゃあ、誰が
それをやったのよ」
「それは多分この中にいるんじゃないの」明子巡査はトラニー達を見渡した。
「誰?」
「まず、みなさん、自己紹介してよ。はしから」
「はるなでーす」と左端のトラニーが言った。
「ちょっと待って。スペックも言ってよ。このお店のhpに、竿アリ、玉ナシとか
、ニューハーフとか男の娘とかあるでしょう。ニューハーフっていうのはホルモン
をやっていて、男の娘というのはホルモンをやっていない人の事?」
「そうよ」
「それも言って。左から」
「はるなです。竿アリ、玉無しです。玉無しだから当然ホルモンはやってます」
(これは完全は女だな)と思った。
「しのぶです。竿アリ、玉あり。ホルモンはやっていません。男の娘です」
(kpopのアイドルより男っぽい。ジャニーズのタレントレベルかな)
「アリスです。竿アリ、玉あり、ホルモンはやってます。ニューハーフです」
(これは微妙だな。ジャスティン・ビーバーがズラを被った様にも見える)
「しおりです。竿アリ、玉あり、ホルモンはやってます。ニューハーフです」
(こりゃあ、背は高いが、顔は女っぽい)
「ゆきです。竿アリ、玉あり、ホルモンはやってます。ニューハーフです」
(デブっているが、顔は女っぽい)
「なつきです。竿アリ、玉あり、ホルモンはやっていません。男の娘です」
(これも結構男の娘だな)
「マンションの警備員の証言によると、ガイシャは、ドタキャンされたからと誘い
出された。早く買わないと、最後の一個だから、みたいに。心理学では、ハードト
ゥゲットとかゲインロス効果とか言われるけれども。
でも、こんなのにひっかかるのは、そもそもガイシャが、愛はあるんか、と、何時
でも愛に飢えていたからなのね。コンシェルジュの言葉に愛はあるんか、みたいに。
だから、簡単にひっかかってしまう。
「ロボコップ」の洗脳をしたのはその人。その日にプレイをした人。
それって分かるんでしょう?」と明子巡査は巨漢オカマの方に言った。
「さぁ、令状がなければ言えないわ」
「hpに出ているスケジュールも、店でいくらでも調整出来るんでしょう?」
「そうね」
「じゃあ、こっちで当てなくっちゃ」明子巡査はトラニーの方を見た。「ガイシャ
は愛に飢えていたからひっかかったのだけれども、トラニーの方にも、自分は愛さ
れていない、おちょくられているだけだ、という気持ちがあったんじゃないかしら
。ガイシャが、遊びでホルモンをやろうとしたら激怒した、という情報もあるわ。
トラニーの憎しみはホルモンに関するものね」
明子巡査はトラニー達を見回した。
はるな。竿アリ、玉無し。ホルモンはやっている。
しのぶ。竿アリ、玉あり。ホルモンはやっていない。男の娘。
アリス。竿アリ、玉あり、ホルモンはやっている。ニューハーフ。
しおり。竿アリ、玉あり、ホルモンはやっている。ニューハーフ。
ゆき 。竿アリ、玉あり、ホルモンはやっている。ニューハーフ。
なつき。竿アリ、玉あり、ホルモンはやっていない。男の娘。
(まず、男の娘は除外される。ホルモンをやっていないのだから。
あと、玉無しのはるなも除外。玉無しまで行っていれば、相当に女だろうから。
残るは、アリス、しおり、ゆき。
さっき語るに落ちたのはアリス。でも、トラニー同士で情報交換していたかも知れ
ない。だから、ゼロから想像しないと。
この3匹の中でホルモンで苦労していそうなのは…)
「ずばり、言うわ。アリス。あなた」
「何で私?」
「直観よ。つーか、ちょっと顎が長いからホルモンが遅かったんじゃないの? だ
からホルモンをもてあそんでいたガイシャが気に入らなかったんじゃないの? 結
構エラも張っているし。これが本当のエラハリウッド」
「そこまで言うううう。でもそんなの状況証拠もいいところだわ」
「ところがこれ」明子巡査は「ロボコップ」のDVDをかざした。「ここにはホシ
の指紋がべっとりついている筈。それと、そのトートバッグの中のSODのチュー
ブについている指紋を照合すれば物証だわ」
突然アリスは、自分のトートバッグに飛びかかるとSOD ロングバケーション
を引き抜いた。
「ほーら、ひっかかった」と明子巡査。「この「ロボコップ」のDVDは、さっき
借りてきたものなんだから。ガイシャのは足場で木っ端みじんになっちゃったんだ
から」
「そんな…。だましたの?。そのDVD私のじゃないの?」
「まんまとトラップにひっかかったわね」
「だとして、犯罪になるの? 小っちゃんは死にたかったんでしょう? しかも後
催眠でもないんでしょう。ペニス羨望みたいに死への羨望があっただけでしょう。
それ、私に関係あるの? そんなんで起訴出来るの」
「それは分からない。ブランド品に夢中になるように洗脳するのは罪か、お布施を
する様に洗脳するのは罪か、分からない。でも、死ぬ様に洗脳するのは問題がある
んじゃないの?。たとえ、もともと死にたい人だったとしても。そこらへんはそれ
は検事さんが決める事だわ」
「とにかく署には来てもらうよ」と小林が言った。「ローションをひったくったか
らね。刑訴法221条、警察官は被疑者が任意に提出した物を領置することができ
る。それをひったくったんだから、公務執行妨害だ」
「勾留されるの?」と巨漢オカマ
「多分な」
「何日ぐらい?」
「最初10日、更に10日」
「留置場って、男と一緒なの? それとも女?」
「さあ、独居が空いているんじゃない」
「そうしてやって? 男と一緒になんて出来ないわよ」
加藤がアリスに手錠をかけた。
アリスと刑事3人は504から出て行った。
通りに出ると、警察車両に、ぽつりぽつりと雨が落ちていた。
梅雨明けまでにはまだ1週間はかかるだろう。アリスの勾留期間は恐らく20日
間。
彼女が出てくる頃には、からっからに晴れているだろう。
【一応 了】
#595/598 ●長編
★タイトル (sab ) 22/11/23 14:57 (486)
【本格】の積り『スキーマンションの殺人』1朝霧三郎
★内容
『スキーマンションの殺人』朝霧三郎
(作者コメント。例のごとく使い回しが多いです)。
●1
斑尾高原スキーマンションは、長野県飯山市にある、総戸数200個のマン
ションである。
間取りはリゾートマンションの為1LKから2LDKと小さ目なのだが、共
有施設が充実していて、天然温泉の温浴施設があり、スタジオがあり、フィッ
トネスルームがあり、地下にはスキーロッカーもある。これは、居住者が、こ
こでスキー靴に履き替えて、歩いて行ける距離のゲレンデでひと滑りして、帰
って来るとひとっ風呂浴びる、という行動を想定したものである。
もっとも、竣工は2018年10月で、竣工と同時に販売代理店も開設され
、翌2019年春のスキーシーズン終了までに約半数が売れ、19年下期にな
ってスキーシーズンが到来したら又売れ出し、この調子だったら本シーズン終
了までに完売するのではないか、と思えたのだが、2020年を迎えて、コロ
ナが直撃、販売も、スキー客もばったりと途絶えてしまったのだった。
という訳で、管理組合法人も正式には発足しておらず、現状マンション管理
は、施主の子会社(本通リビング)の更に下請けの清掃会社に丸投げされてい
て、管理員や清掃員も、その清掃会社(AM社)がかき集めてきたパートにす
ぎなかった。
このマンションで働いているAMのパートは次の9名である。
チーフ管理員 蛯原敏夫(♂62歳)(立川志の輔似)
勤務時間:8:00〜17:00(火曜休み)
コンシェルジュ 高橋明子(本通リビングからの出向)(♀26歳)
(渡辺満里奈似)
勤務時間:同上(日曜休み)
24時間管理員 大沼義男(♂60歳)(いかりや長介風)
斉木清(♂32歳)(佐藤浩市似)
鮎川徹(♂31歳)(高木ブー似)
勤務時間:8:00〜翌8:00
(一名が24時間常駐勤務を3名が交代で行う)
清掃員 山城鉄郎(♂63歳)(夏井いつきを男にした感じ)
額田勇(♂64歳)(でんでん似)
大石悦子(♀60歳)(由美かおる似)
沢井泉(♀23歳)(渡辺直美風)
勤務時間:8:00〜17:00
(日曜休み。但し午前中、浴室清掃は行う)
マンションの平面図は次の如くである。
裏エントランス
・―・
ゲレンデ側(東) | |
・――――――――――――――・―――――――――・―――――――・ ・―・
| | | スロ―プ | | |
| ・――――――――――・ | | ――――| ・―・
| | | | | | |↑
| | | | | | |不燃物
| | | | ・―・ | |置き場
| | | | |エ|自走式駐車場 | |
| | | | |レ|(屋上を含めて| |
| | 居住棟 | | ・―・ 4階建て) | |
| | (10階建て。 | | | | |
| | 1フロア20戸)| | | | |
| | | | | | |
| | | | | | |
| | ・―・ | | | |
| | |エ| | | | |
| | |レ| | | | |
| | ・―・ | | | |
| | | | ・ーー・・―=====―・\|
| | | | | | リモコン式 |
| | | ・―――・/・ | シャッター |
| | | |共用棟| | |←ゴミ箱 |
| | | | | ・ーー・ 置き場 |
| ・――――――――――・ | | | |
| | | | |
・――――――――――――――・―――・ ・
共用棟詳細(1階)。
・〜〜〜ガラス〜〜〜〜・――――・――――・――・――・
| | | |更 |更 |
| 吹き抜け |清掃準 |共用部 |衣 |衣 |
| |備室 |トイレ |室 |室 |
| | | |男 |女 |
・――・ ・―/――・ ・――・/―・/―・
|エレ| / /
| | ・―――――――・/――――――・
・――・ | |
|階段| ラウンジ| |
| | | ボイラ―室 |
・――・ ・―・―・ |
| |フ| | |
| |ロ| | |
| |ン| | |
| |ト| | |
住居棟入口 ・―・ | /
| |
| ・―\―・ |
|エントランス| | |
| | | |
| |管理室| |
| | | |
| | | |
・―正面玄関―・/――・―――――――――――――――・
共用棟詳細(2階)。
・〜〜〜〜ガラス〜〜〜〜・――――・――――――・
| | | |
| 吹き抜け |スタジオ|フィットネス|
| | |ル―ム |
| | | |
・――・――――――――・――/―・――/―――・
|エレ| |
| | ・―――――――――――・
・――・ | |
| | | 浴場 |
|階段| / |
・――・ | |
| ・―――――――\―――・
| | |
|休憩スペ―ス | 露天 |
| 暖簾 | |
・――――――・〜〜〜〜・―――――――――――・
| | |
| | 露天 |
| | |
|休憩スペ―ス ・―――――――/―――・
| | |
| | |
| | |
| / 浴場 |
| | |
・―――――――――――・―――――――――――・
尚、地階にはスキ―ロッカ―がある。
本日は2月23日で、朝までの24時間管理員の担当は鮎川だった。
鮎川は、夜明け前の4時半頃から、3時間かけて、正面ポーチの車寄せから
、マンションが公道に面している入り口までの緩やかな下り道の雪かきをして
いた。昨夜は積雪はなかったのだが、その前から降り積もった雪に、車が通る
度にワダチが出来て、氷の様に固まっていたのだった。
そもそも、雪かきは自然災害だから、マンション管理の範囲外と管理規約に
もある為、他の管理員は誰もやらないでいたのだが、新聞配達員が、ワダチに
ハンドルをとられてこけそうになったからどうにかしてくれと、主任管理員に
言っていて、それでも誰もが無視していたのだが、今朝3時の配達時に、新聞
屋が再度こけそうになり、鮎川を捕まえて、即刻雪かきをしろと怒鳴ってきた
のだった。
それで夜中の4時半頃から3時間かけて雪かきをしていた。雪かきした雪を
路肩に寄せるだけでは又ワダチになるので、猫車に乗せては公道でばら撒くと
いう作業をしていた。やっと、7時過ぎになって、大方終わったところだった。
鮎川は空を見上げた。
雲の流れが速く、時々切れ目から青空が見える。でも今夕から又大雪との事
だった。
チャリン、チャリンとベルを鳴らされて視線を水平に戻した。
清掃員の山城が自転車でこっちに迫って来る。
「シャッター開けてくれ」と山城。
鮎川はポケットをまさぐって、自走式駐車場のシャッターのリモコンを押し
た。
山城は、鮎川を通り越して正面玄関を通り越して、左に旋回して自走式駐車
場に向かう。又、チャリン、チャリンとベルを鳴らす。
左手にゴミ箱置き場を見ながら、自走式駐車場に入って中ほどまで行くと、
エレベーターの前で降りる。
自転車を立ててエレベータに乗り込むと、最上階のボタンを押した。AM社
の自転車置場は最上階のスロープの下にあったのだ。
最上階でエレベーターを降りて漕ぎだす。ところどころに車が駐車してあっ
て、影に残雪があったが、真ん中へんはグリーンのウレタン床が広く見えてい
た。その上をすいすいと漕いで行く。
突き当りまで行くと右折してスロープで下る。その瞬間、残雪の塊で滑りそ
うになった。
「あぶねっ」と声を出した。(なんであんなところに凍った雪があるんだろう
。昨日は積雪ゼロだし、前の日の雪は昼間の内に溶けている筈なんだが)
しかし、こける事もなく、スロープを降り切って、Uターンすると、スロー
プ下の駐輪場に自転車を止めた。
●2
山城に続いて、到着したのは、コンシェルジュの高橋明子だった。
ジムニーで鮎川とすれ違う時に、プッとクラクションで挨拶して、駐車場の
シャッターをリモコンで開けると、1階の来客場エリアに駐車する。
AM社のパートは、自転車通勤しか許されていなかったが、明子は、本通リ
ビングの事務員であるのを、コンシェルジュ不在の為、緊急のピンチヒッター
で来ていたので、飯山市内のビジネスホテルに泊まりながら、自動車通勤をさ
せてもらっていた。
ジムニーから降りると、もう一回シャッターを開けて、右手にゴミ箱置き場
を見ながら正面エントランスに向かう。冷たい空気を鼻腔から吸い込んで。
玄関のところまで行ったら、車寄せのロータリーを、どこから来たのか、小
学生3人が覗き込んでいる。
(なんだろう)
近寄ってみると小学生が言ってくる。「見て見て、お姉さん、このXmas
の字。こんなに芝生の真ん中に書いてあるのに足跡がついていないよ。どうや
ってこれを書いたんでしょう」
「さー。なんでだろう」
確かに直径2メートルぐらいのロータリーの真ん中に足跡もなく”Xmas
”の文字が。
「多分、棒で遠くから書いたんじゃない?」
「ブー。そんなんじゃ書けないよ」
「じゃあ、考えておくわ。早く学校に行きなさーい」
「はーい」と言ってガキどもは行ってしまう。「ジングルベル、ジングルベル
、すずがなる♪」と歌いながら。
明子は管理室には入らず正面玄関からオートロックを暗証番号で解錠して入
ると、フロントの前を素通りして、ラウンジ、共用トイレを通り過ぎて更衣室
へ行った。
コンシェルジュの制服に着替えてくると、カウンター側の鉄扉から管理室に
入った。
「おはようございます」
管理室内は家電量販店並の明るさ。
真ん中にスチールデスクがあって、清掃の山城がふんぞり返って座っていた
。机の上に、スパイラルコード付きの鍵を並べていた。
右手にはホワイトボードがあって1ケ月分のスケジュールが書かれている。
正面に監視カメラの盤や防災盤がある。
真ん中のアイホンの盤に主任管理員の蛯原が首を突っ込んでいて、受話器に
向かってしきりに恐縮していた。右前腕にはギブスを嵌めていた。凍結した路
面で転倒してヒビが入ったのだった。
左奥がキッチンになっていて、冷蔵庫だの電子レンジだのが置いてある。そ
こから、次の24時間管理員の斉木がインスタントコーヒーを入れて出てきた
。既に作業着に既に着替えていた。
正面玄関側の鉄扉があいて、清掃員の額田が、出勤してきた。
「おはようございます」といって、山城の並べた鍵の内、1本を取る。
共用部の出入りの為に、清掃員には鍵が貸し出されていたが、こうやって鍵
を取ると同時に挨拶をすると、山城に深々を挨拶をする恰好になるのだった。
「おはよう」と山城が言った
それから他の清掃員も次々と出勤してきて、深々と山城に頭を下げる。
最後に鮎川が入ってきた。「ばてたー」
「いやー、理事の土井さんから電話で、駐車場最上階の車の周りの雪が凍って
いるから、
除雪しておけってさあ」と蛯原が言った。
「スロープのところにも、雪の塊があった。俺は滑りそうになったんだ。あれ
も取り除いておけよ」と山城。
「嫌だね。雪かきはやらなくていいって管理規約にも書いてあるだろう」と斉
木。
「じゃあ、お前、やっておけ」と山城は鮎川に言った。
「俺はもう上がりだよ」。言うと、ポケットから鍵の束を取り出して、腰のベ
ルト通しからスパイラルコードを外すと斉木に渡した。
「早く引きつぎやってよ」と斉木。
「じゃあ、引きつぎやっちゃいましょう」と蛯原が集合を掛ける。
山城は立ち上がると「じゃあ、雪、どうにかしておいてくれよな」というと
、管理室から出て行った。
「おはようございます」蛯原は斉木、鮎川、高橋明子に言った。「今日は12
月23日で」とホワイトボードを見る。「それじゃあ、鮎川さんから何か」
「ありませーん」
「高橋さんは」
「ありませーん」と手帳に目を落としたまま。
「分かりました、と。私の方からは、と」蛯原はホワイトボードを見る。「引
越しは無し」と、新しい居住者の入居予定を言う。
(あるわけないじゃないか)と斉木は思った。(もうマンションは売れていな
いんだから)
「あと、そうそう、ごらんの通り、防犯カメラが復旧しました」と蛯原は監視
カメラのモニタを指し示した。先日落雷で破損したのだった。「ただし、ハー
ドディスクは10分の1しか動いていないから16時間しか録画出来ないそう
です。あとは、そうそう、今日ヤマダ電機から遠赤外線ストーブが届く予定で
す」
「へー、よかった。じゃあもう清掃のみんなはボイラー室で休憩しないんだな」
清掃員には清掃準備室という部屋があてがわれていたのだが、寒くて居られ
ず、ボイラー室で休憩を取っていた。しかし午後からここで仮眠をとる24時
間管理員には邪魔だったのだ。
「あとは、雪かきだ。今夜から又大雪だというし。理事の車のところだけでも
除雪しておかないと」
「俺の方見て言わないでよ」と斉木。「蛯原さんが自分でやったらいいじゃな
い」
「私は、この手だから」と右手のギブスをさする。
「清掃の奴らにでもやらせたら」
「彼らはめいっぱいスケジュールがあるから」
「俺だって遊んでいる訳じゃないんだよ。風呂焚きだの巡回だの、色々忙しい
んだから。高橋さんやったら?」
「私は、ヘルプで来ているだけですし」
「とにかく、管理規約にないんだから、やる事ないよ。理事にそう言ったらい
いんだよ。文句あるならフロントに言ってくれって」と斉木。
「しかし、スキーマンションだしなあ」
「そんじゃあ、俺は、温泉沸かしてくるよ」
ここの温泉は冷泉をボイラーで沸かすものだった。とにかくそう言って斉木
、鮎川はボイラー室に向かった。鮎川は帰り支度だけれども。
●3
24時間管理員は、ボイラー室で着替えてきた。そこにロッカーがある訳で
もなく、プラスチックの衣装ケースを1個ずつをあてがわれて。
衣装ケースの私服を出して着替えている鮎川に、ボイラーの制御盤をいじり
ながら、斉木が話しかけた。
「帰ったら漫画読みながら飲むのか?」
「漫画なんて読まないよ、アニメを見るんだよ」
「ああ、そうか。お前の自衛隊時代の漫画だけれども、今夜あたりにでも、ス
キャンして、youtubeにうpしてやるからよぉ」
「ああ、ありがとう」
「それでバズればお前もユーチューバーだからな」
「ああ」
「分け前は半分半分だからな」
「ああ」
鮎川を帰してしまうと、制御盤のスイッチを入れて温泉を循環させた。うぃ
ーん、とモーターが駆動して、配管の中を冷泉がめぐりだす。ボイラーのとこ
ろに行くと、ボイラーのスイッチも入れた。冷泉はここで温められて、上の浴
槽に戻って行く。沸き上がるまで2時間半はかかるだろう。
(暇だ)と思った。(巡回がてら、裏エントランスから外に行って無人のゲレ
ンデでも眺めながら加熱式たばこで一服するか)
ボイラー室から出ると、共用棟の裏口から屋外に出る。
(寒いなあ)
そこは、ゴミ箱置き場の裏で、ゴミ箱置き場の向こうには自走式駐車場が見
える。
右側に歩いて行くと、正面玄関から駐車場に向かう道に出た。
駐車場方向に歩いていって、駐車場奥の裏エントランスに向かう通路を歩い
た。
裏エントランスに近付くと、清掃員の額田と大石悦子が不燃物置き場の扉を
見ながら腕組みしたり頭を抱えたりしていた。
「なに、どうにかしたの?」い言いつつ斉木が近付いて行く。
「あらー、見つかっちゃった。見てこれ」と大石悦子は扉を指す。
「うん?」と斉木は扉を見た。
「分からない?」
「うーん、うん。キズがついている」
「分かるでしょう。実はね、ここに鳥の糞がべっとりこびり付いていたのでヘ
ラでこじったらこんな傷を付けてしまったの」
「あーあ」
「そんで、私らパートと言っても請負契約社員だから、物損を出せば損賠賠償
になるでしょう? あんなドア、業者に塗らせたら3万も5万も取られてしま
う。月に8万しか貰っていないのに5万も取られたらもう何も買えなくなって
しまう。週末にお父ちゃんと卸売りセンターでウニ丼を食べる積もりだったん
だけれども、それも諦めるようかねぇ、うぅーーー」
「斉木君、塗ってやってよ」と額田が言った。「ボイラー室にここを建てた時
のペンキの残りとかあるだろう」
「そんだったら、張り紙でもしておけばいいんだよ」と斉木。「雪で滑ります
、とか、足元注意、とか書いて貼っておくんだよ。それも蛯原の前でこれみよ
がしに書くんだよ。そうすればあいつがオスのマーキングで、すぐにパウチの
張り紙に交換するから。そうしたら又それを引っ剥がして、又自分の張り紙を
しておくんだよ。そんなの一週間もやっていれば、傷だらけになって元の傷な
んて分からなくなるから。ガード下の電柱みたいに」
「本当かい?」と大石。
「本当だよ。俺は、ここに来て蛯原のこの習性をすぐに発見したんだから。
俺がここに就職した頃は、共用部の鍵なんかも誰も管理していなくて、俺が
夜間の暇な時に、本数をチェックして、鍵台帳を作成したんだけれども、次回
の勤務日に来てみたら、ベニヤ板に鍵がぶら下がっているし、鍵台帳も作り直
してあったんだよ。
あと、割れたままの蛍光灯のカバーがあったので、取り外して、サランラッ
プで雨水が入らない様に養生しておいたら、次の勤務日には、アロンアルファ
で直したカバーが取り付いていたんだよ。
それから、雨で滑ります等の張り紙をすると、すぐにワープロとテプラで作
った張り紙に貼り替えられる。
なんだこいつは。犬か。小便した後に又小便を掛ける、みたいな真似しやが
って。
でも、この習性を利用すれば、隠蔽工作に使えるなーって思ったんだよ。鮎
の友釣りみたいな」
「本当?」と大石悦子。
「それだけじゃないよ。あいつのこの習性を利用して、実は、今、額田さんに
もあるミッションを仰せつかっているんだぜ」
額田は舌を出すとデヘヘと笑った。
「何、何、それ」と大石は興味津々である。
「まぁ、もうすぐミッションコンプリートだから、お楽しみだな。とにかくそ
の傷は、その上に張り紙をしておけばいいから」
●4
フロントでは、高橋明子が気をつけの姿勢で立っていた。居住者は誰もたず
ねてこないのだが。
蛯原は、フロントから出て行ってラウンジをうろついたり、又戻ってきたり
と、落ち付きがなかった。
盤から防寒着(ブックオフで500円で購入)を出すと着込んで「ちょっと
温泉を見てくる」と階段を上がっていった。
温泉の開店は12時なので、それまでだったら露天風呂に行けば一服出来る
と思ったのだ。斉木の居ない日はボイラー室で吸えるのだが、斉木が嫌煙権を
主張しているので今日はあそこでは吸えない。さりとて、わざわざ正面玄関か
ら出て行ってマンションの敷地外に行くのも面倒くさいので。
浴室に上がって行って男湯を覗いてみたら、山城が洗い場の掃除をしていた
。そこで女湯の露店で一服しようと、女湯に行ってみる。
電気はついていなかった。薄暗い女湯の引き戸を開けると、入って左手の石
造りの壁の向こうが洗い場なのだが、シクシクという泣き声が聞こえてくる。
(誰だろう、どうしたんだろう)と思って行ってみると、真ん中へんの洗い場
のところで、照明のカバーを持ったまま泉がしゃくりあげていた。
「どうしたの」
「電球が切れいているから交換しろって言われて、これ、外したら、割れてい
たんです」
「最初っから割れていたんじゃしょうがないじゃない」
「でも、私のせいにされる」
「ちょっとかしてみな」というと、蛯原は、ブツを受け取った。
ガラスのカバーは、ねじ込み式のもので、ねじ込み部分まで全てガラスで出
来ている。ねじ込み部分から本体の一部にかけて割れている。
「だいたい、こんなところにガラスのカバーを使うのがおかしいんだよなあ。
プラにすればいいのに」
「これ、弁償したらいくらぐらい…」
「これ、割れやすくて前にも誰かが割ったんだが、2万だったかな」
「えー、2万? 私8万しかもらっていないのに。うちの母のC型肝炎の治療
費なんですけど、高額療養費を使っても年60万はかかるから、月5万は最低
医療費にかかっちゃうんです。あと、母の国民年金が5万だから、2万ってい
ったら大きいんですよねぇ」
「そうだよなあ。趣味や健康の為に働いているんじゃないものなあ。じゃあ、
これをよぉ」と鏡の前のカウンターに割れたガラスカバーを置くと、防寒着の
ポケットからアロンアルフアを出した。「これでくっつけりゃあ直るんじゃな
いか」
断面に点々とアロンアルフアをたらして、割れた部分を本体にくっつける。
「これでいいよ。これでハメておこう」と言うと、鏡の上の照明のところにね
じ込んでしまう。「今度外したらダメかも知れないけれども、当面はこれで大
丈夫だよ」
「本当ですか?」
「ああ、平気だよ。さあ、行っちゃいな。バレない内に」
「ありがとうございます。ありがとうございます」といって泉は出て行った。
その後、蛯原は、露天で一服した。
真ん中に竹の仕切りがあって、男風呂を掃除している山城の出す音が聞こえ
る。
音が止まった。
(こっちにくるかな)
パッと女湯の電気がついて山城が入って来た。
「なんだよ、電球交換してないじゃないかよ」
言うと、一回脱衣所に出て行く。そこにはミストサウナの蒸気発生器の設置
してある小部屋があって、ポリシャーやデッキブラシなどもそこに突っ込んで
あるのだが、そこから電球をとってくると又戻ってきた。
洗い場に行くと、さっきねじ込んだカバーを開けた。
途端に、「わー」と叫ぶ
「どうした?」携帯灰皿にタバコを押し付けながら何食わぬ顔をして蛯原が来
た。
「割れてんじゃないかよ」と山城。
「飛び散ったなあ。居住者がそこらへんで足の裏でもケガしたら大事だぞ。と
にかく、その割れたのを始末しないと」と、ポケットからレジ袋を出すと、
「ここに破片を入れろよ」
「いやに用意がいいじゃないか」
「昔、バタヤをやっていたからな」
本体と破片を慎重にレジ袋に回収する。
「あんた、床に掃除機をかけときな。俺はここを養生するビニール袋とかガム
テープをもってくるから」
蛯原は、フロントに行って、高橋明子に「山城さんが物損を出した」と言う
と、管理室に入って行って、流しの下に、ガラスのカバーの入ったレジ袋を置
いた。
流し下部の収納スペースから、ビニール袋だのガムテープだのを出すと、2
階浴室に戻って行った。
女湯の洗い場に戻ってみると、掃除機をかけ終わった山城が、途方にくれた
感じで突っ立っていた。
「この上から養生しちゃわないとしょうがない」言うと蛯原はビニール袋を照
明のところにあてた。「あんた、ここ、持っていて」
と山城に指示して、ビニール袋を持たせると、ガムテープを四方に貼る。
「今日はこれで営業してもらうしかしょうがないなあ。割れたものの手配は、
俺から本通リビングに連絡しておくから」
「それ、高いのか」
「2万ぐらいだな」
「2万かあ。3日分の給料がすっとんだな」
「あんたは金持ちだからいいだろう」
●5
「どうしたんですか?」戻ってきた蛯原と山城に高橋明子が言った。
「風呂場の照明、割っちゃった」と山城。
二人は管理室の中に入って行った。山城がデスクのチェアにどっかりと腰を
下ろす。
「コーヒーでも入れますか」と明子。
「ああ、入れてくれ、濃いのを」と山城。
明子はキッチンコーナーに行って二人分のインスタントコーヒーを入れてく
ると、デスクの上においた。
「あーあ、全く損したな」と言って山城はチェアにふんぞり返ってコーヒーを
すする。
主任管理員の蛯原が立ったまま、コーヒーをすする。
山城はじーっと監視カメラの9分割の画面を見ていた。
「あのモニタだけれども、巻き戻せるのか」
「そりゃあ、そうだよ」
「何時間?」
「今は16時間だな。本来は160時間なんだけれども」
「そこに映っているのは、駐車場の屋上からスロープの方へ行くところだよな」
「ああ」
「スロープのところは映っていないのか」
「あそこは死角になっているんだよ」
「スロープの手前でもいいけれども、昨日の夜中のとか見られないの? あそ
こで、滑りそうになったから。みんな俺の事を嫌っているからなあ、金がある
からって。だから、誰かが盛る土ならぬ盛る雪でもしたんじゃないかと思って」
「昨日まで故障していたから映ってないよ」
「カメラは全部で何台あるんだよ」
「24台だよ」
「残りの15台の映像は見られるのかよ」
「ああ、見られるよ」
言うと蛯原はモニタの下に行くと、デルのPCから出ているマウスをいじく
りだした。
山城も近寄ってきて、モニタを覗く。
「ここのボタンをクリックすれば画面が切り替わるんだ」蛯原はカチャカチャ
と画面を変えた。
「あ、泉だ」泉がエレベーターカメラに映った。「何やってんだ。さぼってい
やがるのかなあ」
泉はエレベーターから降りて行くと画面から消えた。
「何であいつは真面目に働かないのかなあ。どうせ拘束時間は同じなんだから
、ちゃんと働いた方が時間が早く経つし、人の役にも立つのに。一ケ所にじー
っとしていないで、すぐに飽きて別の場所に移動する」
蛯原が得意気に更にカメラを切り替える。
「あ、又泉が移動している。こいつ、ダメだなあ。首にするかなあ」
「そういうなよ。彼女はお前みたいに、遊びで働いている訳じゃないんだから
。家が苦しくてさあ。お母さんがC型肝炎だろ。年金も国民年金で、本当に爪
に火を点す様な生活をしているんだから」
「その割にゃあえらく太っているな」
「そういえば、もうすぐ飯の時間だな。あんた、どこで食うの?」
「清掃準備室」
「今日から、あそこにはみんなが帰ってくるぞ。遠赤外線ストーブが入ったか
ら」
「えー、本当かよ。あいつら貧乏人と一緒に食いたくないな。銭湯の休憩所で
食うかな」
この会話をフロントで聞いていて、明子はムカっ腹を立てていた。
(首にする権利なんてあるわけないじゃないか。自分だって同じ時給のパート
なのに、何言ってんだろう。今度本社に帰ったら、ああいうのがリーダーだと
全くパワハラ、モラハラ、セクハラのブラック企業になってしまうと報告して
やろう)
#596/598 ●長編 *** コメント #595 ***
★タイトル (sab ) 22/11/23 14:58 (181)
【本格】の積り『スキーマンションの殺人』2朝霧三郎
★内容
●6
ボイラー室の斉木は制御盤を計器をチェックしていた。循環している湯の温
度が41度になっていた。設定値も41度だ。
(あと15分で開店だから、ちょっと風呂場を見てくるかな。昼飯は昼休みに
は食わないで、14時から18時までの仮眠時間に食うかな。しかしそうやっ
て休憩時間がやたらとあってその時間は賃金が発生しないんだからひでーよな
あ。特に18時から一人勤務になるのに、8時間も休憩時間があって賃金が出
ないのはひでー。それでも、客は24時間有人管理だと思っているあら用をい
いつけてくるし。まあ、いいや、ここをやめる時に、そういうのも全部労働時
間だと言って労働審判を起こしてやるから)
斉木は、ボイラー室から出てラウンジに向かったが、ふと、清掃準備室の前
で止まった。
ノックをして開けると覗いてみる。
額田、大石悦子、泉の3人が遠赤外線ストーブにあたっていた。
「お、あったかそうだな。ミッションコンプリートだな」
「なに、なに?」と大石と泉。
「じゃあ、今回のミッションについて、説明するよ」斉木はドアを閉めて遠赤
外線ストーブの横に立った。「今回のミッションは、清掃グループの独裁者山
城を追放し、自由と民主主義を回復するというものであった。
このミッションは2つの作戦行動により完了する。
まず最初のミッションは、清掃準備室を綺麗にするというものだったんだよ。
俺は、清掃員の為にあの部屋を綺麗にする、と宣言して、小汚いモップにビ
ニール袋を掛けたりした。
そうすれば蛯原が犬のマーキングで真似をすると思ったから。いやもっと大
掛かりな事をするだろうと期待して。
そうしたら蛯原は、まず、清掃準備室の清掃用具をボイラー室へ移動させた
。わざわざ本通リビングの許可を得て。
そうやって、一度清掃用具がボイラー室に移されて、清掃員の出入りが自由
になると、ボイラーを焚いている時には暖かいものだから、だんだんそこに屯
するようになるし、しまいには休憩もそこでとるようになる。
それが昨日までのあんたらだよ。独裁者からの解放はまず移動の自由からだ
。まあ、ボイラー室は難民キャンプみたいなものだよ。
だけれども、あんたらは故郷に帰らないといけない。それがミッションその
2」言うと斉木は人差し指と親指の2本立てた。外人みたいに「蛯原には風説
を流布する悪い癖があるんだよ。誰々がこう言ってましたよーって。額田さん
が、清掃準備室は寒いって言ってましたよー、隣の農家の豚小屋には、ここが
建ったら日当たりが悪くなったからといってストーブが入ったのに、ここの更
衣室には何にもない。俺たちゃ豚以下だ、俺たちは豚以下だと連呼して、」
「俺、そんな事、言ったっけ?」
「実際に言ったかどうかはどうでもいいんだよ。現代戦は情報操作だから。と
にかく蛯原がそう言って、とうとう遠赤外線ストーブをせしめただろう。本通
リビングから。これで、ミッション2がコンプリートだよ。
まぁ、みんながボイラー室で昼飯を食う様になった段階で独裁者山城はハブ
にされた様なものなんだけれども。一人で清掃準備室で食っていたんだから。
今度は大通リビングがストーブを買ってくれたんだから、みんなは清掃準備
室で昼飯を食わざるを得ない。そうなると今度は独裁者が追い出される番だ。
山城のおっさん、どこいっているの?」
「2階の休憩スペース」
●7
斉木が2階休憩室に行くと、山城がソファーに座って、見るでもなくテレビ
を眺めつつ、弁当を食っていた。
「あれ、こんなところで飯食ってんの? もうすぐ居住者様が来るんじゃない
の?」
「何で俺の居場所が無いんだ。ボイラー室はお前が仮眠しているし、清掃準備
室では額田らが飯を食っている。あいつらは俺の兵隊じゃなかったのかよ」
テレビのチャンネルは地元のケーブルテレビ局だった。飯山の新幹線新駅が
映し出される。
山城は、弁当を持ったまま身を乗り出した。
「俺はあの近所に2ヘクタールの田んぼを持ってんだ。売れば億になるが売ら
ない。米も売らない。みんな親戚に配るんだ。皆にそう言ってやった。それで
皆、俺を妬んでいるのかも知れないな。いや、額田だって、土地を持っている
ものな。やっかむとしたら、大石悦子、泉、公団住まいの蛯原、あと、24時
間管理員のぷーたろーどもだろうな。特に、おめーだよ。おめーなんて、飯山
から更にバイクで20分も行った原野でアパート暮らしをしているんだろう。
おめーみたいな持たざる者が人民主義者の扇動家になったりするんだよ」
「ふん。まあ、俺と鮎川は近い将来ユーチューバーで成功して、ユーチューバ
ー長者になるかも知れないけれどもな」
「ああ、精々頑張んな」
(ムカつくな、死ねばいい)そう思って斉木は踵を返した。
●8
「本当に土地持ちっていうのはムカつくよな」
管理室に入るなり、斉木は弁当を食っている蛯原に言った。アルマイトのド
カベンに満杯のご飯、その上に、ワラジみたいに大きいメンチカツを卵でとじ
たものがあふれんばかりに乗っている。12時から1時間蛯原が休み、13時
から1時間高橋明子が昼休みだった。だから今はフロントに立ってそば耳を立
てている。
「なに、なに」と弁当を食いながら蛯原が言った。
「蛯原さんの事も、公団住まいの貧乏たれって言っていたぞ」
「なんだって」
「俺とかも、どっかから流れてきた馬の骨とでも思ってんだろう」
それからしばらく斉木の愚痴が始まった。
「全く、あのジジイは最初っからそうだったからなあ。思い出すなあ、ここが
竣工した頃、AM社の懇親会も兼ねて、飯山雪祭りを見物に行った事があった
じゃん、あの時、俺と山城が、管理員と清掃員をそれぞれ代表して、早い時間
に行って場所取りに行ったんだよね。山城の野郎、もう、電車の中で、ワンカ
ップと柿ピーで一杯やっていた。だから言ってやったんだよ、こんなに混んで
いるのに、目の前に子連れの妊婦が立っているのに、つーっと飲んでんじゃね
えよ、丸で朝マックの時間帯に、朝刊を広げる散歩帰りの年金生活者みたいじ
ゃないか、とかね。
そうしたら、俺の方が先に座っていたのに何で譲らないといけない、とか言
って、それにあの女は豊野駅で急行から乗り継いできたので県外のよそ者なの
だ、それが証拠に、ガキの鼻水を拭いたティッシュをそこらに捨てて行ったじ
ゃないか、とか。それを拾って、ワンカップの空き瓶と一緒に捨ててたけどな
、掃除夫が。
会場に着くと、雪中花火大会に備えてジジイはビニールシートを広げて場所
取りをしてよお、夜になるとだんだん混んできて、押すな押すなになって来て
、後から来た奴が羨ましそうに見ていたが、あれは、俺の畑の周りに住んでい
る団地族の視線だとか言っていたよ。その内、子供を抱っこしていた母親が、
すみません、ちょっとここに座ってもいいですか? 気分が悪くなって、とか
なんとか言ってきたら、あんたら甘いんだよ、こっちは昼間っからここで頑張
っているのに、今更のこのこ出て来て座れると思ったら大間違いだ、とかなん
とか言ってよぉ。だから俺は言ってやったね、おーい、みんな、ここは誰の土
地でもないんだぞー、って。そうしたら、周りに居た群衆がざーっとなだれ込
んできた、ぐじゃぐじゃ状態になったな。それでも、結局、みんな、飲んだり
食ったりしたものを片付けて行かないで、最後に山城が一人で掃除をしていた
から、あいつな天性の掃除夫だぜ」
●9
(こりゃあ、空気が悪い。ここから歩いて200メートル、車で数分のところ
に、ペンション兼喫茶があって、ベジタリアンフードとケーキを出している。
昼はそこに行こう)と高橋明子はフロントで思っていた。
昼休みになると実際ジムニーでペンション喫茶に行く。
ソイパティ(モスかよ)のハンバーガーとヴィーガンバナナケーキ、コーヒ
ーなど食べてまったりしていたら、いきなり、本社から電話が入った。
「高橋くーん、居住者名簿をエクセルに打ち込んで、こっちにメールしてくれ
ない?」
「えー、そんなの入居する度に本社に送っているんじゃないんですか?」
「それが、メールに書かれているだけで、エクセルになってないんだよ」
「えー、それをこっちで打ち込むんですかぁ?」
「頼むよぉ」
「何時までに」
「急がないから」
「コンシェルジュの仕事はどうするんですか」
「それは、蛯原さんにやってもら様に電話しておくから」
高橋明子は管理室に帰ると、室内のデスクの上にある古いFMVにバインダ
ーにファイルされている居住者名簿を1枚ずつ入力しだした。
フロントの内側に新しいレノボがあるのだが、蛯原が立っていると、バイタ
リスの強烈なニオイが漂ってきて耐えられない。髪の毛がイノシシ並に濃くて
、自分でカットするから、毛足が豚毛歯ブラシみたいになっている。
集中しているとすぐに時間が経過した。
3時頃にフロントに泉がきて、何か蛯原に指図されている。
「さっき助けてやったから、かわりに…」
そっから先は、こちらに聞こえない様に小声で話す。
(何を指図したんだろう)耳をそばだてて聞いていても分からなかった。
明子は、PCを見つつ、防犯カメラのモニタを見ていた
数分後、駐車場屋上の映像に泉が出てきた。
屋上出口を出てすぐ左手に止めてある理事の車の周りの雪かきを開始した。
最初プラの雪かきでやっていたが、その内、柄の方で突っつきだした。9分割
のディスプレイでも見える。
それから、スロープの方へ歩いて行った。スロープに入ると死角になって消
えた。そのまま歩いて降りるならば、直ぐに、駐車場3階の映像に出る筈だが
、映らなかった。3階駐車場の映像で映っているのは、駐車場の真ん中の通路
と左右に駐車してある車のトランクあたりまでだ。もし、スロープから降りた
らすぐに、駐車している車の影に入って、そのまま、リアバンパーのあたりを
しゃがみ歩きしてくれば映らないですむ。そうやってエレベーターのところま
で行って、エレベーターに乗ればエレベーターカメラに映るから、非常階段で
降りてきて、居住棟エリアに入って、共用棟の裏口からラウンジあたりに行け
ば、次に映るのは、今蛯原がつったっているフロントの前あたり。
居住者名簿を電子化しながら、ちらちらと防犯カメラを見ていたら、突然フ
ロントの映像に泉が現れた。
●10
リアルのフロントに泉が来て、蛯原に何か言っている。
「え、本当かっ」と蛯原は強い調子で言った。「それじゃあ」
と言ってチラッとこっちを見ると、管理室の中に入ってくる。
(おいおい、何しにくる)と思ったが、入ってすぐ左に置いてあるスチールキ
ャビネット下部の事務用品の引き出しから何かを出すと、フロントに行った。
それを泉に渡して、「これで…、その後で…、分かったか」と小声で、しか
し強い調子で言っていた。
(何を言っているんだろう、つーか、何を渡したんだろう)
明子は、わざとらしく「あ、そうだ、定規で押さえないでポストイットを使
えば便利だわ」というと、キャビネットのところに行ってしゃがみ込むと事務
用品の引き出しを開けた。
ボールペンだのマジックだのの引き出しは特に変わりはない。その下の引き
出しを引いてみる。ホッチキスの弾やPiTが入っているのだが、すかすかだ。
(ここに何が入っていたんだろう)
デスクに戻ると、又、PCを見ながら防犯カメラのモニタを見る。
やっぱり、泉が屋上出入口左の理事の車のところに来た。しかし、しゃがみ
込んで何かをしているので、何をしているのだか分からない。
ちらちら、モニタを見ていると、30分ぐらい経過してから、泉は、スロー
プの影へと隠れていって。それからどこに行ったのか、分からない。もう蛯原
のいるフロントには戻って来なかった。
「コーヒーでも飲もうかなあ」明子はわざとらしく言うと、キッチンの方に行
った。
ふと気になって、しゃがみ込むと、レジ袋に入っている割れたガラスカバー
を見てみる。
よーく見ると割れた断面にセメンダインみたいなものがついている。(もし
かしたら山城さんが割る前に誰かが割って養生していたのでは)
#597/598 ●長編 *** コメント #596 ***
★タイトル (sab ) 22/11/23 14:59 (224)
【本格】の積り『スキーマンションの殺人』3朝霧三郎
★内容
●11
5時になると、山城がフロントに来て「帰るぞー」と怒鳴った。
山城は作業着の上にドカジャンを着てそのまま帰るので、早い。
カメラで見ていると、山城は駐車場3階で降りて、スロープ下の自転車置き
場に行った。
スロープの上には上がらないで、3階のエレベーターから乗り込んだ。
(スロープを上れば、そこが除雪されているのか確認出来たのに)
高橋明子は諦める様に、ため息をつくと、エクセルもバインダーも閉じて、
キャビネットに戻すと、更衣室に向かった。
代わりに、斉木が来て、デスクのチェアに座り込む。
明子も含めて、蛯原、額田、大石、泉が着替えて、管理室に戻ってくる。
「さあ、帰るぞ」と、蛯原がこれから朝まで一人の斉木に言う。
玄関側の鉄扉を開けて、「おい、もうだいぶ積もってきたぞ」と額田が言っ
た。
「ジムニーで送っていってあげましょうか」と明子。
「俺は足腰が強いから歩いて帰れるよ」額田。
「俺もバスで帰るよ」と蛯原。
「私は旦那が迎えにくるから」と大石。
「あら羨ましい」と泉。
「泉ちゃん、乗っけていってあげようか」と明子。
「えー、いいんですか?」
「そんじゃお先に」「お先に」とみんなが一声かけて、鉄扉から出て行く。
駐車場でジムニーに乗り込むと、明子はシートベルトをかけながら「寒いね
、すぐに温まるからね」と言った。
「はい」と泉。
エンジンをかけるとすぐに車を出した。
「飯山市内でいいんだよね」と明子。
「はい」
「いつもはどうやって帰るの?」
「コミュニティバスで」
カーラジオからは、地元のFM局の天気予報が流れていた。
「気象速報です。長野県北部を中心に大雪警報が発表されています。長野市、
中野市、大町市、飯山市、白馬市、小谷市、高山村などとなっています。5時
の大町市からのリポートでは、すでに2センチ程度の積雪で、しんしんと降り
続いているとの事です。このあと1時間の降雪量は、飯山市では8センチ、積
雪の急激な増加に要注意です。この後の雲の動きは、日本海側より発達した雲
が流れ込んでくる見通しで、深夜から明け方にかけて雪の降り方には注意が必
要です。ウェザーニュースのアプリからは最新情報が確認できます。チェック
してください」
斑尾高原スキー場を出て、ペンションが左右に立ち並ぶエリアのくねくねし
た道をコーナー取りしつつ、明子は言った。
「これじゃあ、明日の朝も、歩いて来るのは大変だから、乗っけてきてあげよ
うか」
「いいですよ。私、歩くスキーをもっているから、あれでバス停まで行くから
。ダイエットにもなるし
「いいわよ、遠慮しないで。こんなに降っているんじゃあ、大変だから」
それから泉は、斉木の計画で、額田が山城を追いだした事などを話した。
「へー、そんな事やっているんだぁ」と明子。「それにしても、こんなに降っ
ているんじゃあ、折角除雪しても、又積もっちゃうわね。
さっき理事の車の周りを除雪している様子を防犯カメラで見たけれども、あ
れは蛯原さんに頼まれてやったの?」
「そうじゃなくて、除雪も清掃の一部だと思って」
「それから、スロープの方に行ったけれども」
「そこには何もなかったよ。溶けていたんじゃない。昼間は晴れていたから。
…やっぱり、明日の朝は、歩くスキーで自力で行きます」ときっぱりと言った。
(女湯の照明のカバーを割ったのは実は泉ちゃんでしょう、とは聞けないな。
それをアロンアルフアで蛯原が助けてくれた。その見返りに何かをやらされた
。理事の車の周りの除雪と、あと何かを…。あー、こんな事だったら、泉なん
て乗せないで、スロープの様子を見て来ればよかった)
●12
夜間、斉木は、管理室で、レトルト食品とココアで腹ごしらえをした。
それから、鮎川の自衛隊時代の漫画の電子化作業に着手した。これから夜中
の12時の温浴施設閉店までは暇だった。鮎川の漫画の原画を、管理室の複合
機でスキャンしては、ペイントでコマごとに分解する作業をしていた。結構面
倒くさかったがこれでバズれば銭になる。半分は斉木にくれるという約束だか
ら。
鮎川は27、8まで、アニメージュの裏にあった募集広告から応募したタツ
ノコプロに就職していた。しかし、アキバ加藤の事件でオタクの息子に不安を
感じた親が自衛隊に放り込んだ。2年で満期除隊して、自衛隊時代の事を漫画
にして、コミケに出品したのだが、全く売れなかった。
12時に温浴施設の営業が終わると、風呂の栓を抜いて湯を抜くと、新しい
冷泉を入れた。本当は洗わないといけないんだけれども、そんな事はしない。
満タンになれば勝手に止まるからこれで今日の業務は終了。
夜中の3時に新聞配達を通す為に一回起きなければならないが、6時までは
眠れる。斉木はアラーム時計を3時にセットすると、うとうとしだした。
3時になると一回起きて、新聞屋を待った。しかし3時半になっても4時に
なっても新聞屋は来ない。結局来たのは5時半だった。
正面玄関の自動ドアを開けてやると、フロントに入って来るなり新聞屋の一
人が怒鳴った。
「雪かきしておけって言ったじゃないか」
「雪かきなんてするかよ」
「じゃあ主任管理員に言っておくからいいよ。昨日もそうして命令してもらっ
たんだから」
「別にあいつに使われている訳じゃないよ。あいつだってただのパートだ」
「俺らだって、何時もより3時間も時間超で頑張っているのに、そっちはぬく
ぬくとして」などとぶつくさ言う新聞屋を、二重オートロックの二つ目のドア
を通してやる。
その背中を見て、(あいつらも、搾取されているんだなあ)と思う。
斉木は、ボイラー室からプラの雪かきを取って来て、正面入り口から雪かき
を始めた。
雪は止んでいたが、鼻水が凍ってつららが出来た。
7時半頃までに、駐車場から正面玄関を経由してマンションの出口まで、や
っと歩行者の通れる30センチ幅の通路を確保した。
くねくねした道を見ると、自分の汗が雪を溶かしたぐらいに思えた。
その苦労の跡を、チャリン、チャリンとベルを鳴らしながら山城が走って来
た。
こっちに迫ってくると「シャッター開けてくれ」と言って通り過ぎていく。
(あんな野郎の為に雪かきをしたんじゃねー)と思ったが、ポケットの中のリ
モコンでシャッターは開けてやった。
●13
山城は、チャリン、チャリンとベルを鳴らしながら左に旋回して、駐車場に
入る。
駐車場の中ほどまで行くと、自転車を立ててエレベータに乗った。
屋上に降りると、一面に真綿の様な雪が降り積もっていた。まだ全然足跡が
付いていない。
山城は、嬉々として自転車を漕ぎ出した。
真っ直ぐスロープには向かわずに、あちこちを旋回しながら、オリンピック
の輪の様にタイヤの跡を付けていった。
何故か、『雨に唄えば』のジーン・ケリーを思い出した。
あの映画はリバイバル上映を妻と見に行ったのだった。
(妻は処女だった。雪のように白く清かった)
『雨に唄えば』を口ずさみながら、山城は雪の上にタイヤの跡を付けて行っ
た。
(俺だけが汚していいのだ)と山城は思った。(後で、泉だの鮎川だのに汚さ
れてたまるか。あいつらほんとうに豆腐に指を突っ込むようなガキなのだから)
散々ぐるぐる回ってから、階下に向かうスロープに向かった。
その時になって、今自分が口ずさんでいるのは『雨に歌えば』じゃなくて、
『明日に向かって撃て』でポール・ニューマンがキャサリン・ロスを籠に乗っ
けて漕いでいる時の歌だ、と気が付いた。
次の瞬間に、自転車の前輪がスロープに差し掛かったのだが、突然、ハンド
ルを取られるのが分かった。
焦って斜面を見ると、積もったばかりの雪の下にボブスレーのコースみたい
なワダチが出来ていて、左側の壁に向かってカーブしている。
(あれッ)と思った時には、ずずずずーーっと滑り出していた。(壁に激突す
る)と思ったのだが、激突と同時に壁が外れて、自転車もろとも地上に転落し
た。
(こりゃあ死ぬぞ)ともがいている内に、自転車と自分が入れ替わり、自分が
先に背中から着地した。かなりの衝撃だったが、雪がクッションになって(助
かった)と思った。しかし次の瞬間、自転車が落ちてきて、ブレーキレバーが
右腹部の肝臓付近をざっくりとえぐった。その衝撃で自分はうつ伏せの状態に
なり、自転車は回転して、脇の小道に飛んでいった。
●14
正面玄関で雪かきをしていた斉木は、ぎゃっ、という短い悲鳴の後に、ちゃ
りーんという音を聞いた。
(自転車でコケたのかなあ)と考えて、しばらくじっとしていたのだが、ハッ
と気が付いた様に、雪かきを持ったまま走り出した。
駐車場の真ん中を突っ走って、裏側の柵まで行く。
舗道に自転車が落ちているのを発見した。
植え込みの手前には、山城が卍みたいな格好をしてへばりついていた。
斉木は、柵の扉を開けて、山城に近寄ると、周辺をうろつきながら様子を見
た。
綺麗に雪が積もっている所に落っこちているので、もしかしたら生きている
かも知れない。
雪かきの柄で、山城の腹部をぐーっと押してみる。腹の下から、どろーっと
血が流れ出してきた。
(うぇー)グロ耐性がないので、口の中が酸っぱくなった。
フェンスの外側の松の木で、カラスがくっ、くっ、と咽を鳴らせて羽をばた
つかせた。
雪かきを振り回してみたが、カラスは微動だにしなかった。
斉木は携帯を取り出すと119番通報した。
●15
救急車よりも先に警察が到着した。
シャッターを開けてやると、7人8人と警官が入ってくる。
すぐにkeepoutと書かれた黄色テープで現場の5メートルぐらい手前
に規制線が張られた。
斉木はの警官にそこまで引き戻されてしまった。
現場では、ヘアキャップに足カバーの鑑識が、舗道にへばり付いた遺体を取
り囲んだ。その中の偉そうなのが「首吊りと一緒だ。ひっくり返さないと検視
できない」と言った。
鑑識二人で、一斉のせいでひっくり返す。その拍子に裂けた腹から内臓が飛
び出してきた。
「うわー、こりゃあ又ど派手に裂けたもんだ」
言うと偉そうなのは、手にはめたゴム手袋を引っ張ってパチンと鳴らした。
遺体の脇にしゃがみ込んで、腹の辺りに触れてみたり、瞼を持ち上げてみたり
、口を開いてみたりする。
他の鑑識は、写真を撮ったり、メジャーで、駐車場壁面から遺体までの距離
、その他を測っている。
救急隊も既に到着していたが、ストレッチャーの上に、オレンジ色の毛布だ
の、オレンジ色のAEDのケースだのを積んだまま、待たされていた。
2人の刑事が、駐車場の柵の近くから最上階を見上げていた。飯山警察署の
警部補、服部雅彦(近藤正臣似 55歳)と、巡査部長、小林達也(江口洋介
似。35歳)である。
「あそこから転落したのか」と服部が言った。それから「おい、あなた、ちょ
っとこっちに来て」と斉木に手招きした。
そして、服部と小林とで質問してくる。
「まず名前は」と小林。
「斉木清」
「どういう字を書きます?」
「斉藤由貴の斉に木曜日の木、大久保清の清」
「さいとうって4種類ぐらいあって、どれだか分からない」
「まあ、いいよ、とりあえず」と服部。「それで、あのガイシャの名前は?」
「山城なんとか」
「ここの管理員ですか」
「清掃員だな」
出勤してきた、蛯原、明子、次の24時間管理員の大沼、清掃の額田、大石
悦子、泉らが規制線の所まで来た。
「俺がここの責任者だ、まず俺に聞けー」蛯原が規制線のところに立っている
お巡りを押しのける様に刑事2人に言った。「おい、斉木君、余計な事を話す
必要はないぞ」
「うるせーんだよ、おめーは」斉木は睨み返す。
山城の遺体は既にブルーシートで目隠しされていて見えなかった。
「ガイシャは、山城さんか」と蛯原。
「うるせーんだよ」
「じゃあ、上に行ってみようか」と服部
「はい」と小林
「あなたもついてきてくれます?」
「別にいいけど」
規制線のところで、蛯原が迫ってくる。「弁護士を呼んでやろうか」
「うるせーよ」
3人はエレベーターで屋上に向かった。
「おい、我々も屋上に行くぞ」と蛯原。
エレベーターは4人乗りなので2回に分かれて屋上に上がった。一回目は、
蛯原、明子、大沼、額田。
降りるなり、理事の車を見て、明子は、(あれ)と思った。
一面雪なのに、理事の車の周り一周、雪が溶けてグリーンのウレタンが露出
している。
それをちらっと蛯原が見て、
「こんなにむけたんじゃあ、スロープの方と合わせて、物損が大変だ」と言っ
た。
「えっ?」と明子。
「とにかく、向こうに行ってみよう」
と、4人でスロープの方に行った。
おっつけ、大石悦子と泉も来た。
そこにも規制線が張られていて、制服警官が立っていた。その向こうでは、
鑑識4人と刑事1人が現場検証をしていた。
刑事2人と斉木が規制線から一歩中に入る。
「黙秘権があるからな」と蛯原が言ってきた。
斉木は嫌な顔をしてこっちを見ただけ。
#598/598 ●長編 *** コメント #597 ***
★タイトル (sab ) 22/11/23 15:00 (275)
【本格】の積り『スキーマンションの殺人』4朝霧三郎
★内容
●16
刑事二人と斉木はスロープを見渡した。
「なんだ、こりゃ」と服部。
スロープの真ん中から左側壁面に向かって、半径1.5メートルぐらいのワ
ダチがあった。
「どうもおかしいんですよ」上に居た警部補の三木(渡辺哲似。60歳)が言
った。「足跡がないんです」
ワダチの両側はこんもりと新雪が降り積もっていて、なんの跡もなかった。
ワダチにはうっすらと雪があって、ところどころ、自転車のタイヤで擦れた
のだろう、グリーンのウレタンが見えていた。
壁面を見ると、はめ込みボードは脱落した訳ではなく、下一箇所のボルトで
ぶら下がっているのが分かった。
「おーい、下の人。何時壁が落下するか分からないぞ」と服部が地上の鑑識に
怒鳴った。 それからワダチを指し示して言う。「ここでハンドルをとられれ
ば落下する仕掛けになっている」
「こりゃ、一体どういう事なんだ」と三木。
服部はワダチを見ながら首を捻った。
小林が、斉木の脇に付いていた。
「いっつも、山城という人が最初に出勤するんですか?」と服部が聞いてきた。
「そうです」
「その前にここに来た者は」
「居ません」
「見てたのか」と三木。
「そういう訳じゃあ」
「じゃあ何で分かる」
「防犯カメラを再生すれば分かると思います」
「カメラは何処にあるんです」言うと服部は辺りを見回した。
「あそこにあります」斉木は屋上西側の監視カメラを指差した。
「何日分録画してあるんだ」
「本当は160時間だけれども、今は壊れていて16時間だな。それに、ここ
は死角になっているから映らないよ。日も当たらないしね」
「小林君、下に行ってチェックしてきてくれないか」
「はい」というと規制線のところまで行ってAM社の面々に警察手帳をかざし
て見せた。
「飯山署の小林といいます。捜査の必要上、あのカメラの映像を見たいのです
が、見せてくれませんか」
「じゃあ、大沼さん、見せてやってよ」と蛯原。
「俺がか。お前が自分で行ったらいいやんか」
「私はここを離れる訳には」
「まあ、大沼さん、それじゃあ連れていって下さいよ」と小林刑事にうながさ
れて二人はエレベーターで下へ降りて行った。
走査線の内側では、服部と三木が話していた。
「事件だよな」と三木。
「誰かがワダチを作っておいた。足跡もつけないで」
「うーむ。事件性は否定出来ないから、とりあえず職場の人間関係だけでも聞
いておいた方がいいんじゃないの?」
「そうですね」
服部は規制線のところに来ると、AM社の面々を見渡した。そして、高橋明
子に、「あなた達がこのマンションを管理している人達ですか?」と聞いた。
「そうです。私がコンシェルジュの高橋です。こちらが主任管理員の蛯原さん
。あと、清掃の額田さん、大石さん、沢井泉さん。あと今下に行ったのが24
時間管理員の大沼さん。あと、彼が斉木さん」
「それで全部ですか」
「あと一人、24時間管理員で非番の人がいますが。鮎川さん」
「それで、そこから転落した山城さんの職種は?」
「清掃です」
「それで全部かあ」
「そうです。それで…、山城さんはみんなに嫌われていたんです」
「何を言いだすんだ、突然、この女は。自分が本社の人間だからって」と蛯原。
「そうじゃないんです。私、昨日泉ちゃんに聞いちゃったんです」
「イズミ?」
「沢井さんです。沢井さんを車で送っていって、その時に…」
そして、高橋明子は、斉木の描いた絵図で額田が山城を清掃準備室から追い
出した事、
その為に蛯原を使って本通リビングに遠赤外線ストーブを買わせた事、山城は
、大石悦子、泉、蛯原、斉木を貧乏人だといってバカにしていた事、などを喋
った。
「それじゃあ俺には動機がないな」の額田。
「そうじゃないんです。額田さんは、マンション内の居場所の取り合いで山城
さんを嫌っていて、斉木さん達は、そもそも貧乏アパートだから、土地持ちの
山城を嫌っていたって感じです」
「面白くなってきたなぁ、ここにいる全員に動機があるって事か」と斉木。
「じゃあ、足跡がないっていうのはどういう事なんだ」と刑事の三木が言って
きた。
「そんなの、一本橋を渡る様に、雪の中を歩いていって、ワダチを作ってバッ
クしてくればいいだろう。その点に関して、額田さんは怪しいんじゃないの?
この人は、田んぼ5枚も6枚ももっていて、田植えをしているのを見た事が
あるけれども、歩行型の田植え機で、あんなぬかるんだ泥の中で、あんな機械
を押して行くんだからなあ、とび職みたいにバランスがいいんだから」
「そんな、足跡をつけてバックして戻ってきたなんて、古臭いやり方じゃない
よ」と額田が言った。
「おやおや、額田さんに何か思い付いた事でもあるの?」と斉木。
「俺は、何時もキッズルームの掃除とかしているんだが、蛯原は、自分ちの孫
のおもちゃを平気でここにもってきて置いておくんだよなぁ、公私の別がつか
ない人だから。その中に、リモコンのブルドーザーがあるんだよ。あれを使え
ば、遠隔操作で足跡をつけないでもワダチが作れるよ」
「えっ、俺がやったっていうの? ただ単にキッズルームにリモコンのおもち
ゃを置いただけで」
「そういう可能性もあるって言うの」と額田
「そういう可能性はないよ。あんなリモコンのおもちゃ、キュル、キュル、キ
ュルーって素早く動くんだから、実際の除雪なんて出来る訳ないよ。それに、
俺が思うに、あのワダチは、人の足跡やおもちゃでつけたものじゃなくて、何
かぶっといタイヤの様なもので付けたんだと思うんだな。それで俺が思い付い
たのは、鮎川なんだが。あいつはよく猫車を使っているから、あいつが、朝方
に忍び込んで猫車でやったんじゃないのか? ここの管理員は全員オートロッ
クの暗証番号を知っているんだから、裏エントランスからでも入り込めば出来
るだろう。それに鮎川は元自衛官だから、北海道雪まつりで雪の扱いに慣れて
いるんじゃないの」
「待って下さいよ。田植え方式にしろ、リモコンのおもちゃにしろ、猫車にし
ろ、そんなやり方でやったんだったら、あの西側のカメラから映りますよね」
と服部まで謎解きに参加してきた。
「それが、死角になる場所があるんですよ。このスロープから降りていって、
3階の駐輪場から車のトランクの下の方を歩いてくれば映らないで済むんです
」と明子。
「しかし、マンションに入ったならエントランスや裏エントランスには映るで
しょう」
「それはそうですが」
「じゃあ、それを下にいる小林刑事に確認してもらいましょう」言うとスマホ
を出して電話した。「ああ、あのねえ、昨日の5時以降、このマンションにA
M社の人間の出入りがあったかどうか監視カメラ映像で確認してもらえないか」
15分経過。
「なに、そうですか。わかりました。ありがとう」そしてスマホを切る。「1
7時に退社以降、AM社の人間の出入りはない、又、深夜0時以降は、明け方
の5時半に新聞配達が来た以外に人の出入りはない、との事です」
「振り出しか」と斉木。
服部と三木はワダチに近付く。
「どう、何か変わったもの落ちていない」と服部が鑑識に聞いた。
「それが、このワダチなんですけれども、ウレタンがところどころ出ていて、
それは、自転車のタイヤ痕だと思うのですが、ウレタンがめくれているんです
よ」
「なにぃ」と三木。
服部と三木は鑑識のところに行ってしゃがみ込むとウレタンを凝視した。
「ここのところとか、ここのところです」と鑑識が指差す。
「本当だ。大人の親指ぐらいの大きさのめくれが、点々と、ワダチにそってつ
ながっている」と服部。
「清掃で使っている雪かきの柄は、みんな鉄パイプがむき出しになっていて、
あれで、がりがりやれば、こんな傷がつくかもな」と斉木。
「ありゃあ、どのデッキブラシも雪かきもああなっちゃっているんだよ。凍っ
た雪をつつくだろう、一階の通路の脇とか。そうすると、ああなっちゃう」と
額田。
「そういえば、昨日の朝礼で、蛯原さんが、理事の車の所に凍った雪があるか
ら除雪しておけって言っていたよなあ。あと、山城に言われて、スロープにも
凍結した雪があるって。蛯原さんが、清掃員の誰かにやらせたんじゃないの?
」と斉木。
「そんな事はやらせていないよ。管理規約にないから。嘘だと思うなら、防犯
カメラを見ればいい」
「だってあれには16時間しか残らないんだろう。だったら、昨日の4時以降
は映らないんだぜ」
「その理事の車というのはどれですか?」と服部。
「あれです」と、エレベーター出口の脇の車を明子が指差す
「見に行ってみよう」
全員で、ぞろぞろと、理事の車の方へ移動した。
「こっちは完璧にウレタンが露出しているね。多分日当たりがいいからだろう
が」
服部、三木、斉木が膝に手をついて中腰でウレタンを見る。
「ほら、こっちにも、点々と親指ぐらいのめくれがあるね」と服部。
さらにしゃがみ込むと、服部はめくれを指でつまんで「これは、何か、接着
剤の様なものでくっつけてあるな」と言った。
「そりゃあ、アロンアルフアよ」と大石悦子が言った。「アロンアルフアとい
えば、蛯原さんよ。だって、蛍光灯のカバーだってそうやって直すと言ってい
たもの」
(浴室の電灯のガラスカバーもアロンアルフアで養生していたんだわ)と明子
は思った。
「ええっ。これを養生したのは、あなたなんですか?」と服部。
「しらないね」と蛯原。
「あなた、何か隠していませんか?」
「別に、アロンアルフアぐらい誰だって使うでしょう。」と蛯原。「そんな事
よりも、足跡がついていなっていうのは、解決したの?」
その時、「ジングルベル、ジングルベル、すずがなる♪」という子供達の声
が、風にのって聞こえてきた。
(あれ、あれは子供達が歌っているんだろうけれども。今日は、土曜か。学校
は休みか。謎が解けた)
「謎が解けました。私に喋らせて下さい」と明子が言った。
「なんだ、君ら、素人が」と三木。
「まあ、いいじゃないですか。聞いてみましょうよ。高橋さんだったね。聞か
せて」
「いいですか。じゃあ喋ります。
今日は24日ですよね。23日の朝に、山城さんは、ここで凍った雪を発見
していますから、その前の日の夕方あたりだと思います。犯人ミスターXが、
雪のないスロープの真ん中に、半径1.5メートルに左カーブに、雪を盛って
行ったんじゃないでしょうか。
そうすれば翌日には、そのカーブの箇所だけが凍結すると思います。それに
山城さんは滑りそうになった。そして蛯原さんに除雪しておけ、と文句を言っ
た訳です。
ミスターXは、それを誰か、例えばですが、泉あたりに、あの凍った雪をと
っておけと命令する。でも、清掃部隊の雪かきはプラのだから、取れない。だ
ったら柄の方でがりがりやれ、あの氷で居住者が滑ったりしたら損害賠償10
0万円だぞ、とかと脅かしてやらせる。
脅かしが効いて、泉が必死にこじったら、ウレタンがぺらぺら剥がれてしま
った。
泉はミスターXのところに行って、屋上のウレタンが剥がれちゃった、と言
う。
そりゃあ弁償かもしれないな、と脅かす。張り替えたら何10万もするかも
知れない。でも、最低賃金で働いているのにそこまで弁償させられたらたまら
ない。だから、アロンアルファで養生しておけばいい。そうやって誤魔化して
おいて、秋になれば5年点検があるから、それまでばれなきゃあ、ちゃんと点
検したのかよ、って言えるから。
だから、来年の秋になるまでは、二度とウレタンの剥がれた箇所をこじられ
ない様にしなければならない。
それには雪が降る度に、塩化カルシウムを撒いておけばいい。でも、塩化カ
ルシウムにも限りがあるので、スロープ全面にまくってわけには行かない。だ
から、ウレタンがはがれている所にだけまいておけばいい。
そうすれば、翌日には、1.5Rのワダチが壁に向かって出来てる。
そうやって、やったんじゃないでしょうか。
ついでに、雪が吹雪くと、あそこの壁面にも吹き積もる。それが凍結して落
っこちたら危険だから、あの枠のところに塩化カルシウムを撒いておけ、と言
っておけば、枠のボルトも錆びるだろうし。そうしたら、ああなった。
それでミスターXは誰か。それは蛯原さん、あなたでしょう」
「な、なんで?」
「さっきこの最上階に来た瞬間、理事の車を見て、こことスロープのめくれと
で、物損が大変だって言っていたじゃないですか。理事の車の所のウレタンが
めくれているからって、何でスロープの方にもめくれがあるって分かったんで
すか? それは、両方とも、柄でこすって、めくれを作って、その上に石灰を
撒くという事をさせたからじゃないですか? 語るに落ちたんじゃないですか」
「ちげーねえや」と斉木が言った。「思い出したが、今朝新聞屋が、ワダチに
ハンドルをとられてコケそうになったから、雪かきしておけ、って、蛯原に頼
んでおいた、って言っていたよ。それが22日の事。その時に、こんないたず
らを閃いたんじゃないの?」
「くうっ くっくっ ううっ うっうっ、うーーーーー」突然、泉が泣き出した
「だって、お母さんが病気だから、お金がいるから、弁償なんて出来なかった
んです」
「泉、余計な事を言うな」と蛯原が手で制した。
「だけれども、私は、山城さんが滑り落ちるなんて知らなかったんです。ただ
、雪かきをしろって言われて、そうしたらウレタンがはがれちゃって、今度は
アロンアルフアで貼って、その上に石灰を撒いておけ、って言われたから、そ
うしただけなんです」
「誰に言われたんだ」と服部。
泉は黙って蛯原を指した。
「くっそー。だけれども、俺だって、山城が滑るなんて事は知らなかったとも
言える。というか、知らなかったんだよ。そうだ、俺は知らなかった。だたウ
レタンを守る為に石灰を撒いただけだよ。それが罪になるのか?」
「それは分からないな。検事にでも言って下さいよ」と服部。「とにかく、蛯
原さんと、沢井泉さんは署に来てもらいます。いいですね」
制服警官が二人を押さえた。
「はなせっ、はなせっ」両脇を押さえられても蛯原は暴れていた。
「さぁ、さぁ、いいから」と警官。
「離せ、誤認逮捕だ」
「さぁ、さぁ、これ以上暴れると手錠はめるぞ」
「はなせー」と嫌がって尻込みする蛯原は、強引に両脇を固められて、エレベ
ーターに乗せられていった。
泉はうつ向いたまま、しゃくりあげて、両脇を絡められて連行されていく。
少しして、ウゥゥゥウゥゥゥ〜〜〜〜とパトカーのサイレンが響いた。
回転灯を付けたパトカー2台が北の出口から出て行く様子が、駐車場屋上か
らでもよく見えた。
●17
「はぁーあ、全く、後味の悪い話だよな。」と斉木が言った。「それは、貧乏
人が金持ちを退治したのに処罰されるからなんだよな。ひでー話だ。貧乏な泉
が更に貧乏になる。
額田さん、次はあんたが狙われるかも知れないぞ。そうならない為に、コメ
20キロ、30キロずつ、泉の家と蛯原の家に贈与しろよ。
全く、百姓なんて、そりゃあ江戸時代200年ぐらい苦労していたかも知れ
ないけれども、戦後みんなが飢えている時に銀シャリ食っていたんだものなあ
。そんなのが新幹線が出来て土地成金になってさあ。全く不公平ったらねーよ」
「だからって、人を殺していいって事にはならないだろう」と額田。
「そうかねぇ。フランスじゃあ貧乏人がルイ16世もマリーアントワネットも
殺したんだぜ。何で日本でそれをやったらいけないんだよ。意識が低いから、
格差社会のままなんだよ」
「全くあんたはナロードニキみたいな男だよな。まあ泉んちには米の20キロ
ぐらいやってもいいけどな。それは、職場の仲間だからだよ」
「ふん」
斉木は、ゲレンデの遥か彼方に見える妙高山を見た。
雄大な自然を見たところで心は晴れなかった。それどころか、
(北陸新幹線なんて必要だったのか)と思えるのだった。(そんなもの出来な
いで、山城も泉も貧乏なままだったら平和だったのに)と、斉木は思うのであ
った。
【了】