◇フレッシュボイス過去ログ #8481の修正
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未経験の事柄をたとえに用いる> 古くからある慣用表現に「天にも昇る心地」というのがありますが、この場 合の「天にも昇る」とは死んで天に召されることをさすのか、それとも文字通 り空高くまで行くことを意味しているのか。前者であれば、誰も経験していな い。後者であれば、飛ぶ乗り物のない時代はどうだったのかという問題が生じ る上、高い場所にいることが気持ちよい人もいれば、気持ち悪くなる人もいる はずなので、表現としてぶれてしまう。 漫画「ジョジョの奇妙な冒険」(荒木飛呂彦 集英社)第三部で、ジョセフ が吐いた台詞「ケツの穴にツララを突っ込まれた気分だ」。 そんな経験があるのかと、読者の多くが突っ込んだ名台詞。さしものジョセ フも実際に「ケツの穴にツララを突っ込まれた」ことはないでしょう(多分) から、想像で言っていることになる。こういうことをされたらどんな風に感じ るだろうかと想像を膨らませて、表現に用いるのは何ら問題ない。「ケツの穴 にツララを突っ込まれ」て、どう感じるかは人それぞれでしょうけど、まあ、 <高所でも平気の平左な人>と<高所恐怖症の人>との比率に比べれば、ある 特定の感じ方に偏ると思えるので、やはり問題なし。 「死にそうな目に遭った」、これはどうか。「死ぬかと思った」と似ている ようで、ちょっと違う。後者は、思うのは当人の反応だから、自由に発言すれ ばよし。一方、前者にも「死にそう」という個人の感想が入っていると言える けれども、「思った」よりは個人臭が薄い気がする。「死にそうな目に遭った」 を用いたときは、他者が見ても「ひょっとしたら死んでいたかもな」ぐらいの 客観性が求められるという感じか。実際、「死ぬかと思った」は「死にそうな 目に遭った」よりも、ずっと気軽に使われているはず。特に小さな子供。自分 が子供の頃を思い起こすと、(私ではなく友達などが)鬼ごっこで必死に逃げ て息が上がったとか、冬の寒い日に外で体育を受けて震えるとか、まず死ぬこ とはないだろうと思える状況でも、「死ぬかと思った」と使っていたような。 ではでは。
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