◇フレッシュボイス過去ログ #2865の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
小説を読んでいて、次の記述にぶつかりました。 「気付くのが、少し遅過ぎた。」 どことなく違和感を覚えて、それが何だろうと考える内に、程度の少なさを 表す「少し」と程度の過剰を表す「過ぎた」を併用していることが原因ではな いかと思い付く。 これが「気付くのが、少し遅かった」でも意味は通じるし、ニュアンスも変 わらない気がします。 あるいは、「気付くのが、遅過ぎた」でも、大きな違いはありません。「少 し遅過ぎた」と単なる「遅過ぎた」では、遅れた(超過した)時間の長さに差 があるように思えなくもありませんが、結果に変化は生じないはず。 とまあ、こんな風に考え、「少し〜過ぎた」は「少し〜した」と大差がなく、 先述の理由から言って「少し〜過ぎた」という用法は避けるのがいい、と結論 づけかけたのですが。 もうちょっと考えてみると、「少し〜過ぎた」と「少し〜した」ではまるで 意味が異なってくるケースもあることに、じきに思い当たりました。たとえば、 「少し食べ過ぎた」と「少し食べた」。ほぼ正反対と言っていいでしょう。む しろ、こういったケースの方が圧倒的多数。 最初に挙げた文は、時間の流れを含むため、例外となる(んですよね?)。 「遅過ぎた」だけでなく、「早過ぎた」もこれに当てはまるように。 最初に違和感を持った文こそが特殊なケースであることに、もし気付かなか ったとしたら、はやまった結論を下したまま、安心してただろうなあ。 個人的に、時間の流れを含む文は小さい頃の鬼門でして、その昔、数学の時 間に習った、<ある命題が真ならばその対偶も真になる>という則が、(一見) 成り立たないため、戸惑った覚えがあります。 たとえば、「お腹が空いたので食事をする」の対偶を、「食事をしないので お腹が空かない」だと考えてしまって、おかしい、成り立たない、と。 ではでは。正しくは、「食事をしないのはお腹が空かないからだ」。
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