AWC お題>起死回生 1   永山



#377/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  11/01/26  23:58  (338)
お題>起死回生 1   永山
★内容                                         13/07/01 13:49 修正 第3版
 友井は編集部一の強面で通っている。わずかでも優しげに見せようと、髭を
伸ばすのをやめたほどだ。
 ところが、強面は文字通り表面だけで、恐がりであることも皆に知られてい
た。昔はそうでもなかったのに、高校時代、通学途中に見た轢死体が頭から離
れなくなり、以来、血や死体(人に限らず)に弱くなった。テレビドラマの手
術シーンすら受け付けない。
 最初は自分のギャップを恨めしく思ったが、現在では周囲の者皆に知られた
こともあり、ある程度は気が楽だ。そして、“嫌な予感”もある程度なら働く
ようになった。
「衣川先生、よしましょう」
 友井のその予感が、まさに今、この部屋に足を踏み入れてはならないと告げ
ている。
「何を言ってるんです、友井さん。自分の仕事場に入らず、回れ右をして帰れ
とでも?」
 振り返った推理作家の衣川が微苦笑を浮かべていた。彼も友井の恐がりな性
質を承知している。友井とは反対に、二枚目だがいささか頼りない風貌をして
いるが、女性読者への受けはよい。冬の今頃はいつも、白のセーターに紺のジ
ャケットという組み合わせを着こなし、トレードマークのようなっている。
「回れ右をして、警察に駆け込むべきかもしれません」
「冗談を。返事がないだけで警察に駆け込んだって、相手にしてもらえるもん
か。分かってるでしょう、友井さん」
「ですが……約束の時間に留守にしているなんて、柴田先生には今までなかっ
たし、玄関の靴の数からいって、ここには他に二人はいるはずなんですよ」
「友井さんも気付いていましたか。なかなか鋭い観察眼ですね。実は私も嫌な
感じがしてならない」
 ため息するかのように呟くと、衣川はドアノブを再度がちゃがちゃ言わせた。
書斎だけ鍵が掛かっている。他の部屋は、ざっとであるが全て見て回った。い
るとしたら、もう書斎しかない。呼びかけても反応がなく、施錠されていると
なると……。
「ここの鍵は、柴田だけが持っているんだ。人が出入りできそうなほどの窓は
ないし、鍵屋を呼ぶか、ぶち破るしか手がないんですけど、友井さん、どうし
ます?」
「き、緊急事態ですから、ぶち破るのがいいかと」
 友井としては、思い切った判断のつもりだった。衣川は、それがさも当然と
いう風に軽く頷くと、ドアから距離を取る。友井も倣った。スクラムを組む。
巨漢の友井と普通サイズの衣川とでは若干、バランスが悪いがやむを得ない。
「それじゃ、いち、に、さんで。一発で開くとは限らないが、念のため、転倒
に注意しましょう」
「分かりました」
 そうして男二人は声を揃え、カウントダウンをした。
 ドアへタックルを敢行すること三度、ようやくドアは開いた。
 扉が内向きに開くと同時に、室内に前のめりに倒れ込んだ友井は、まず梯子
のような物を視界に捉えていた。その物体の正体を突き止めるより先に、頭の
上に何かがあることを察知した。恐る恐る、見上げる。
「――」
 叫び声を上げたのは、友井だけではなく、衣川も同様だった。

 車を停めきらない内に、下田・花畑の両刑事と目が合った。私と地天馬が車
を降りると、彼らは挨拶もそこそこに、事件現場に通してくれた。
「これが幸島の家ですか。山の中の一軒家とは言え、大きいな」
 平屋建てだが、広々としていて住み心地・使い心地はよさそうだ。
 幸島大士郎は私と同業者、つまり推理作家である。「あった」と言い直すべ
きかどうか迷う。この度の殺人事件の被害者が彼なのは確かだ。ただし、死ん
だのは片割れのみ。そう、幸島大士郎は男二人――柴田幸一と衣川大和による
共作ペンネームなのだ。
 彼らとはそれなりに親しい付き合いをしてきたが、家の行き来はなかった。
衣川から「事件に巻き込まれて難儀している。探偵の地天馬鋭に出馬願えない
か」と打診され、初めて訪れることになろうとは。
「入る前に、事件についてはどの程度知っているんで?」
 下田警部が金属製の門扉に手を掛けたまま、足を止めて言った。地天馬が応
じる。
「不可解な状況とだけ。僕自身は、被害者の方達と面識がありませんしね」
「だったら、先にざっと話しておくのがよさそうですな」
 下田警部は花畑刑事に目配せし、説明を任せた。私もおさらいしておこう。
 この事件で亡くなったのは二人で、柴田幸一の他に、彼の恋人である赤坂美
子と、彼の双子の弟・幸二が命を落としていた。柴田に弟が、しかも双児の弟
がいるとは聞いていなかったので、驚いている。一卵性ではないが、顔立ちや
体格はそっくりらしい。
 現場は今、眼前にある家で、幸島大士郎としての仕事場であると同時に、柴
田幸一の住居であったと聞く。柴田は独り身で、恋人や弟を家に呼ぶことはあ
っても、住まわせはしなかったところを見ると、この家は基本的には仕事場な
のだと線引きしていたのだろうか。尤も、共作パートナーの衣川を同居させる
こともなかったのだから、単に独りになれる時間と空間を確保したかっただけ
かもしれない。
 花畑刑事の話によると、当初、事件は簡単に片付くと見なされていた。それ
もそのはず、ドアも窓も内側から施錠された家屋内で、赤坂が刺し殺され、柴
田幸二は毒死、幸一が首吊り死体となっていたのだから。
「赤坂殺害の凶器は包丁で、家の台所に置いてあった。犯人が犯行後、元に戻
したらしい。以上のことから、『柴田幸一が恋人と弟を殺害後、家中の戸締ま
りをし、自ら命を絶った』か、『幸二が兄とその恋人を殺害後、家中の戸締ま
りをし、自ら命を絶った』かのどちらかに思えたんだが、詳しい検死の結果、
おかしな事実が見つかった。まずは、幸二の首に首吊りをしたような痕跡があ
った。これはまあ、犯行後に首吊り自殺を試みるも失敗し、毒に切り替えたと
解釈できなくはない。だが、死亡推定時刻が出るに至り、いよいよおかしくな
ってきた。各人の死亡推定時刻が、赤坂美子は今月十六日の午後四時から六時、
柴田幸一は同日午後一時から三時、幸二は同日午前八時から十時と出た。幸一
にしろ幸二にしろ、加害者が被害者より先に死ぬなんて、普通はあり得ないっ
て訳さね。さらに、首吊りによる縊死に見えた柴田幸一が、実は幸二と同じ毒
による死亡だと判明する」
「幸一や幸二はどんな形で毒を飲んでいたんです?」
 地天馬のこの問い掛けには、下田警部が答える。
「二人とも、毒の入った激辛カレーパンを口にしていました。状況から、自ら
食べたと推測できる。兄弟の内、少なくとも幸一は辛い物が好物で、激辛カレ
ーパンは特に好きだったと分かっています。この家に出入りする他の者、つま
り衣川や赤坂は辛い物が苦手で、激辛カレーパンを食べることはない」
「なるほどね。意味ありげだ」
「もう一点、妙なことがありましてね。現場の部屋には電気敷布が乱雑に丸め
られた形で放置されていた。どうやら柴田幸一の寝床から引っぺがされた物ら
しいんだが」
「もしや、死体の体温を保つことで、死亡推定時刻を狂わせようというトリッ
クが使われたんじゃありませんか」
 警部の話の途中で、私は思い付きを言った。地天馬も同じことが気になった
らしく、無言で軽く頷いている。対して警部は何故か首を捻りつつ、答えた。
「遺体を温めるのに使われたのは確かなんだが、妙なのは、温められたのが柴
田幸二だったらしいんですよ。付着していた微細な繊維を調べると、電気敷布
に巻かれていたのは、幸二に間違いないと」
「……温めておきながら、三人の中で一番最初に死んだと鑑定されたんじゃあ、
無駄骨だ」
「ええ。温め方が足りなかったのかもしれないが、他の二人の死亡推定時刻か
ら推して、犯行に掛けた時間はかなり長い。温める時間が足りなかったとは思
えず、一帯で停電が起きた事実もありませんでした」
 停電の可能性まで思い当たり、すでに調査済みとは、下田警部もなかなか鋭
い。
「興味深い話ですね。とりあえず、先を続けてください」
「第三者によって確認されている三人それぞれの最後の姿は……赤坂が十六日
の昼、友人と食事をともにしている。柴田幸一は前日から取材旅行に出ており、
当日は学生時代の恩師に、推理小説のネタの取材を兼ねて会いに行く予定だっ
たのが、相手の都合が悪くなり、急遽取りやめ。持っていたデジカメを調べる
と、デパートや動物園で時間を潰していたと分かり、裏も取れた。正午前に食
堂で昼食を摂る姿が目撃されており、自宅で殺害されたとすれば、帰宅時間の
計算も合う。幸二の方は、今ひとつはっきりしない。工場勤務だが、当日は休
業日。友人は多くなく、休みだからと言って誰かと約束していたという話は出
ていない。携帯電話を持っておらず、通信記録から手掛かりを探ることができ
ない。ないない尽くしですよ」
 肩をすくめた下田警部に、地天馬が「優秀な警察が、何も分からないはずが
ないでしょう」と先を促す。
「同居の父親に聞いたところ、『午前中に出掛けて行った。今日も遅くなるか
らと言い残していた』という話でした。ああ、柴田兄弟の両親は離婚して、幸
一は母方に、幸二は父方に引き取られたんです」
「今日もというからには、これまでも休日に出掛けて遅くに帰って来るケース
があったんですね」
「ええ。といってもここ最近のことのようで」
「柴田兄弟が両親の目を盗んで会い始めたため、と考えてよさそうだ」
「同感です。というか、それしか考えられん。事件当日も幸二は幸一の家に出
向き、そこで殺されたという構図が描ける」
 私は警部の話を聞く内に、気になったことがあったのですぐに聞いてみた。
「幸二は辛い物が好きだったんでしょうか」
「父親や会社の同僚らに聞いてみたが、好きでも嫌いでもなかったんじゃない
かという答で一致していましたよ。激辛カレーパンを口にしたとしても、おか
しくはない」
 私は辛い物が好きでも嫌いでもないと自負しているが、「激辛」と付く名前
の食品を積極的に食べたいとは思わない。私のようなタイプは、「辛い物が嫌
い」となるのか。いや、ならないだろう。
 そんな小さな疑問を言葉にすると、地天馬が応じた。
「一理ある見方だが、幸一と幸二は仲のいい、久しぶりの再会を果たした双子
なんだ。兄の好物を自分も試してみようと考えるのは、さほど不自然ではない
んじゃないか」
「ふむ。そういう見方もあるか」
「そのおかげで幸二が死んだのなら、悲劇以外のなにものでもないが」
「地天馬さんも幸二は巻き込まれたと考えている? 我々も一緒ですよ」
 下田警部が我が意を得たりと、満足げに首肯する。
「犯人は幸一を狙って激辛カレーパンに毒を仕込んだが、幸二が食べてしまっ
た。幸二殺しは、犯人にとって誤算だったに違いない」
「その第一候補が衣川大和という訳ですね」
 一度死んだ者が甦り、生者を刺し殺してから、また元のように死んだ、など
というオカルトじみた解釈を警察がするはずもない。当然、犯人が別に存在す
るとの判断で、捜査が続けられた。
 そこでまず、衣川の事情聴取が行われた。この時点で動機は定かでなかった
が、密室トリックまで弄して奇妙な殺人現場をこしらえるのは、いかにも推理
作家がやりそうな犯行だと判断されてしまったようだ。
「柴田幸一の相棒、衣川に話を聞いたところ、色々と興味深い話が出て来た。
共作作家というのは表向きだけで、実際には衣川は一文字も書いたことがない
というんだ」
「え?」
 私は思わず声を上げた。初耳だ。双子の弟がいた事実よりもびっくりしたか
もしれない。つい、興味本意で質問した。
「そ、それは、執筆を柴田が担当し、他は衣川がやるという意味ですか?」
 答えてくれたのは下田警部。
「いや、共作作家の実態そのものが、なかったに等しいらしい。本人の弁では、
たまに資料集めをしたりアイディアの相談に応じたりしていたが、共作作家と
呼べるレベルじゃなったと自嘲してましたな。書こうと試みたことはあるが、
柴田の域に達するのは容易でないと気付き、放り出したと。彼が幸島大士郎と
してやった一番大きな仕事は、インタビューなどの広報活動だったとか」
「ははあ。何でまたそんな関係になったのでしょう……」
「これまた衣川の弁によれば、柴田幸一とは大学のサークルで知り合った。夏
合宿で海に行った折、溺れた幸一を助けてやり、やたらと感謝された」
「その合宿場所、幸一の地元だったもんだから、無事と分かったあとは大いに
冷やかされたんだと。地元で溺れるなよってね」
 花畑刑事が厳つい顔に笑みを浮かべ、割り込む形で付け加える。下田警部は
無視するかのように、続きを話した。
「以来、幸一は衣川に恩返しを考えていた節があって、卒業後も職が定まらな
いでいた衣川を、ラノベ――でしたかな? ラノベ作家として売れ始めていた
幸一が、共作のパートナーになることでしばらく面倒を見ようと誘った。時期
を同じくして推理作家への転身を図り、見事に成功した訳です」
 幸島大士郎は、確かに成功を収めたと言えよう。小説を原作としたドラマが
二時間物のシリーズとして定期的に制作され、新作のために南米へ取材に出掛
けたこともあると聞いている。一方で、ライトノベル時代の持ちキャラをミス
テリで活躍させた作品も人気を博し、アニメ化の話が出ているはずだ。羨まし
い限りである。
「幸一が執筆している間、衣川は職さがしに精を出していたんだが、あいにく
と一月十六日前後のアリバイがない。我々警察も他に有力容疑者が浮かばない
現状では、被害者達と最も親しかった衣川に注目せざるを得ません」
 下田警部の口ぶりは、私に気を遣ったのか、若干言い訳がましく聞こえた。
「今聞いた話だと、衣川にも動機があるとは思えません。柴田に食わせてもら
う格好になっていたのに、その柴田を殺すなんて」
 逆ならまだしも……とは言葉にしなかった。
「裏付けはまだですが、いくつかの想像はできますよ。たとえば、幸一は赤坂
との結婚を考えていた節がある。いくら命の恩人でも、永遠に養う義理はない
し、夫婦生活の邪魔になる。幸一が衣川に『そろそろ出て行ってほしい』と持
ち掛けていたのかもしれない。現状に甘えていたい衣川は、柴田兄弟と赤坂を
殺し、印税その他の独占を目論んだとしたら」
「それが動機なら、共作作家の実態がなかったことを、自分から打ち明けるも
のでしょうか?」
 私のこの疑問に対し、花畑刑事が口を挟んだ。
「実態があろうがなかろうが、契約上は幸島大士郎名義の作品について、衣川
にも権利が保証されている。むしろ、あとからばれて疑われるより、率先して
話しておくのが吉だと計算したのかもしれん」
「……しかし……だとしても、柴田の弟や赤坂さんまで殺すことは」
「恋人間や兄弟間の殺人を隠れ蓑にしようと利用しただけかもしれないし、ま
だ他にも動機があるかもしれない。その辺も含めてこれからの捜査にかかって
いる」
「毒の入手経路は? 何の毒か聞いていませんが、一般人が手に入れるのは、
相当困難なはず」
「その点に関しては、衣川本人から証言を得てましてな。南米諸国を取材旅行
した折に、現地特有の蛙が分泌する液体から作られた粉末状の毒を、こっそり
と買い入れたとかで、けしからん事態だ。ただ、衣川だけではなく、柴田幸一
や同行した編集者も購入していた。編集者の友井という男から証言が取れ、確
認できた事実です」
 再び下田警部が答えたところで、今度は地天馬が割って入る。
「使用された毒が、誰の所有していた物だったかは、判明しているのですか」
「柴田幸一の物だと推定されている。衣川、友井両名の毒を提出させたところ、
未開封の状態でしたんでね」
「あくまで推定ですね。それに衣川の証言だと、紛れ――不確定要素が多い」
「紛れとは?」
「柴田幸一の毒がどこに保管されていたのかを、衣川が知っていたとしたら、
取り替えたり盗み出したりと、やりたいようにできるという意味です。それに
しても、不可解な様相だ。『柴田兄弟の間での殺し及び赤坂殺害後、犯人は自
殺した』との筋書きを描いていたなら、死亡推定時刻の齟齬は何故起きたんだ
ろうか。おまけに柴田幸一は毒で死んだのに、首吊り死体を装わされている。
犯人は科学捜査をあまりにも過小評価しているか、自身の知識がひどく乏しい
だけなのか」
「……そこなんです、引っかかりは」
 一瞬詰まった下田警部は、程なく、あっさりと認めた。
「ついでに密室も。まことに厄介な事件で、地天馬さんからのサポートは歓迎
したいのですが、衣川が無実という方針なら、ぶつかることになる」
「衣川を犯人と想定していながら、密室の謎に頭を悩ませているのですか。衣
川はここの鍵を持ってはいない?」
 家屋の方にあごを振る地天馬。下田警部は即座に頷いた。
「持っています。ただし、家の玄関及び勝手口の鍵のみで、各部屋の分は、柴
田幸一がキーホルダーにまとめて身に着けていた。三人の遺体は一つの部屋で
見つかったんだが、ドアは施錠されており、唯一の鍵は幸一の服のポケットか
ら出て来た。鍵なしで施錠するには、ドアを閉めた状態で、ノブの中央のボタ
ンを室内側から押し込まなければならない。密室の謎は残るんです」
「念のために伺っておきましょうか。鍵の複製の可能性は?」
「専門家によると、複製が難しいタイプではあるが不可能ではないらしいので、
当たってはいます。でも、ここ一週間足らずの聞き込みでは、まったくの空振
りに終わっている。加えて、ノブ中央のボタンには、真新しい指紋のような痕
跡が不鮮明ながら残っていた。人物の特定にはまだつながっていないが、我々
がまだ存在を掴めていない人物が関係したことを示唆している。これらのこと
を勘案して、鍵の複製の線はないと思って捜査を続けるべきでしょうな」
「ふん。そろそろ、現場を見せてもらう必要がありそうだ」
「では、中へ。触ってもかまわんが、むやみに物を動かさないように。一部を
除き、発見時のままにしてあるので」
 前置きが長引いたが、ようやく門を通り、玄関から上がる。
「どんないきさつで事件発覚に至ったんです?」
「十八日の昼間、先ほど名前の出た担当編集者と衣川が揃ってやって来て、異
変に気付いたと聞いてますね。次の書き下ろし作品について、色々と決めなけ
ればいけないことがあったとかで」
 家の奥へと廊下を少し進み、左に折れたところへ案内された。机に書架、パ
ソコン……書斎らしい。無論、遺体は搬出されているが、部屋のあちらこちら
には捜査の痕跡の一部が今も残る。それよりも何よりも、入って数歩の位置に
ある高さ八十五センチほどの脚立が異彩を放つ。この部屋にそぐわないこと、
甚だしい。
「踏み台の上、梁があるでしょう? そこに梱包用の丈夫なロープを通し、輪
っかが作ってあった。柴田幸二はドアの方に身体の正面を向ける形で、吊られ
ていたんで、発見者二人はドアを開けるなり、思わず叫び声を上げたと言って
いる」
「天井が高く、梁まで距離があるとは言え、この脚立は高すぎやしませんか。
サイドのボルトを調節することで、まだ低くなるようなのに」
 地天馬が脚立を観察しながら言った。下田警部が呼応した。
「最初に違和感を持ったのは、この脚立でしてね。自殺するのに、こんなに高
い踏み台はいらないだろうと。それで詳しく調べると、首を吊ったときとは似
て非なるロープ痕だと分かった。角度に若干の差異があった」
「確かに、首吊り自殺するのにここまでの高さは不要だ。しかし、僕が今言っ
ているのは、犯人が偽装首吊りの小道具に使うにしても、この脚立は高すぎや
しないかということ」
「つまり、どういう意味です?」
「犯人の計画では、この高さが必要だったんじゃないか? そう考えれば、ド
アノブの高さに注意が向くだろう」
 地天馬が指差す方を見る。この部屋のドアノブは、脚立よりも少しだけ高い
位置にある。目算で、九十センチといったところだろうか。
「ノブがどうだと言うんで?」
 花畑刑事が、ノブと脚立、さらに地天馬の顔とを順に見ながら言った。
「柴田幸一の身長を僕は知らないが、警察がこの現場を調べて、とりあえずは
首吊り自殺かもしれないと考えたのだから、首を吊った状態での幸一の爪先は、
脚立より少し高いところに来ていたはず。合ってますか?」
「え? ええ、そうなるな、うん」
 思い出す風に上目遣いになりつつ、花畑刑事が答える。下田警部も頷いてい
た。
「すると、幸一の遺体を、足首付近を持って振り子のように揺らせば、爪先が
ドアノブに当たり、ボタンを押し込んでロックすることもあり得るんじゃない
か」
「……そんなことがあるでしょうか」
「被害者の身長や体重を考慮し、ロープの長さと脚立の高さとで調節すれば、
ノブのボタンを押すのにちょうどよい位置が見つかるかもしれない。現時点で
は、可能性でしか言えない。ただ、死後硬直を起こしている死体なら、固さは
充分じゃないかな」
「だが、咄嗟の思い付きで、そんなにうまく調節できるとは考えにくいですな。
繰り返し実験したらうまく行くとしても、何度もぶつけた足の指先に痕跡が残
るもんでしょう。警察が見落としたとでも?」
「いいえ。でも、『咄嗟の思い付き』と決め付けるのなら、それは警部の思い
込みだ。柴田幸一は推理作家なのです。生前に実験し、成功していたのだとし
たら、簡単でしょう」
「なるほど」
 感心して見せた警部の横で、花畑が声を大きくして反論に出た。
「いや、やはり変だ。柴田幸一が犯人なら、地天馬さん、あんたの想像で辻褄
が合う。だが、幸一は被害者の一人と目されているんだ」
「花畑、おまえの早合点だ。よく思い出せ」
 下田警部が苦笑混じりにたしなめる。私も話を聞いている内に、地天馬の言
葉の意味を理解していた。
 花畑刑事は警部の方を振り向き、怪訝そうに眉を寄せた。
「何をですか」
「衣川をだよ。幸一と一緒にトリックを試す人物がいたとしたら、そいつはパ
ートナーの衣川しかいない。衣川は『柴田幸一の身体を使った密室トリック』
を確実に成功させる位置を把握していた可能性がある、ということだ」
「――ああっ、そういうことか。しかし衣川が犯人なら、そんな事実があった
としても、認めるはずがないっ」
「先に証拠の有無を調べるべきだ。……下田警部、柴田幸一の遺体は裸足だっ
た、などということはありませんよね?」
 地天馬が期待しない口調で尋ねる。下田警部の返答は、意外だった。
「何故か裸足でしたな。この季節、家の中でも靴下ぐらい穿きそうなものだが。
事実、二足分の靴下が脱ぎ散らかしてあった。尤も、おかげで脚立を調べて、
幸一の足の指紋が付いていないと分かり、首吊りが完全に偽装であると断定で
きたんですがね」
「ほう、それはいい。すると、幸二の方も裸足だったのでは?」
「その通り。赤坂美子はちゃんとストッキングを身に着けていたし、柴田兄弟
が自宅では靴下を脱ぐ、そういう家庭に育ったせいかと軽く考えていたが、事
件に関係あるんで?」
「まだ分からない。仮説があるだけでね。今重要なのは、足の指紋です。ドア
ノブのボタンから検出された真新しい指紋があったでしょう?」
「――そうか、あれは柴田幸一の足の指の! 部分指紋だったし、ノブに付い
ているから、てっきり、手の方だとばかり。先入観を持ってしまっていた」
「まだそうと決まった訳じゃない。警部、確認を」
 冷静に話す地天馬の声を、私はぼんやりと聞いていた。犯人が衣川である可
能性が、次第に高まるように感じた。


――続く




#378/598 ●長編    *** コメント #377 ***
★タイトル (AZA     )  11/01/27  00:01  (365)
お題>起死回生 2   永山
★内容
「ひどいな。無罪の証明を頼んだつもりなのに、私を追い詰めるような推理を
して」
 警察での事情聴取を終えて出て来た衣川は、私を見つけるなりそう言った。
こちらはきまりの悪い笑みを少しの間だけ浮かべ、握手をした。何はともあれ、
元気そうでほっとする。紺色のジャケットが普段よりもくたびれて見えるが、
これは一張羅を何年も愛用しているせいに違いない。
 鬼怒川は初対面の地天馬に簡単な挨拶を交わしたあと、私に向けたのと似た
ような台詞を吐いた。
「私はやっていない。真犯人が偽の手掛かりをばらまいたのだと主張しますよ」
「聞くところによると、トリックの実験をしていたことは認めたそうですね」
 地天馬が確認の質問をする。最前、聴取に当たった下田警部らからポイント
について聞かされていた。
「ええ。梁に柴田がぶら下がり、足先でドアノブを押す密室トリックのね。何
でも、既存の作品に同様のトリックがあるが、実行可能かどうかを試したい、
不可能ならば修正したいということで、私が協力したのです」
 立ち話も何だからと、近くのファミリーレストランに移動した。警察署内に
も座って話せる場所はあったが、衣川が早く出たがったのだ。
 店内はざわついていて、さほど気にせず事件の話ができそうだった。注文を
済ませ、早速本題に戻る。
「警察では、わざわざ柴田と同じ体格の人形を用意し、足の先がノブのボタン
を押せるかどうか、検証したそうです。そんなことをする前に、私に聞いてく
れればよかったのに」
「衣川さんは、ノブに残っていた足の指紋をどう思います? 実験をしたとき
のものだと?」
「うーん、どうだろう。それしか説明のしようがないと思うが、あの実験をし
たのは一ヶ月ぐらい前だった。今度の事件でノブに見つかった指紋は真新しか
ったそうですから、違う気もする」
 流暢に答える衣川。今の返事が、自分自身を悪い立場に追いやることに気付
いていないのだろうか。
 気に病んでいると、地天馬が別の見方を示した。
「ひょっとすると、事件の前日辺りに、柴田幸一さんがもう一度実験してみた
くなり、恋人なり弟なりの手を借りて、再度試したのかもしれませんね」
「そういう話は聞かなかったが、あるいは」
「柴田幸一さんは全てをあなたに打ち明けていた訳ではないようですからね。
双子の弟がいることも、衣川さんは知らなかったとか」
「はい。あれを知らされたときは、ショックでしたねえ。生きている間にどう
して教えてくれなかったんだ、どうして会わせてくれなかったんだと、頭の中
を疑問符が駆け巡りましたよ」
「その答は見つかりましたか」
「弟の存在を私に知らせなかった理由? 事件後に知ったが、柴田が中学か高
校の頃、柴田の両親は離婚して、双子を一人ずつ引き取ったらしいね。母親に
引き取られた柴田――幸一は、作家として知られるようになると、弟の幸二か
ら連絡をもらった。これもあとから聞いた話なんだけれど、兄弟仲はよかった
らしくてね。会いたい気持ちはあったが、両親に気兼ねして遠慮していたのか
なあ。幸二の方は父親がリストラにあって、大学進学を断念したそうで、かな
り苦労していた。そんなときに兄の成功を目にすれば、多少は助けてほしいと
願うのは、理解できる心情ですね。柴田も弟の気持ちを察したんでしょう、で
もすでに私というお荷物を抱えていた」
 自嘲気味に笑うと、衣川はお冷やを呷った。
「だから言い出せなかったんじゃないかと思います。言われてりゃ、いくら私
だって、柴田の元を離れたのにね」
 私が知る衣川はよく気の付く男で、鈍いことは全然ない。また、月刊誌に載
ったインタビューを読んだことがあるが、彼の受け答えは頭の切れのよさを表
しているかのようだった。なのに、今、目の前にいる衣川は自分で自分を鈍い
人間だと評している。私が想像する以上に、事件のショックは大きいのかもし
れない。
「衣川さん、あなたから見て、柴田さん達を殺す動機を持っていそうな人物に
心当たりはないのかい?」
 私は地天馬の様子を横目で窺いながら、衣川に聞いてみた。
「うーん、どうだろう。最初は同業者かと思ったんだが、作家仲間から恨まれ
るほど儲かっていたとは思わないし、推理作家なら死亡推定時刻に関するミス
なんて、犯さないだろうしね」
「昔、論争していた相手がいたんじゃなかったっけ。ライトノベルの同期で、
室生恵古」
「あー、はいはい、室生のエコさんね。あいにく、自分はその当時、柴田とコ
ンビじゃなかったから詳しくは知らないが、話は聞いている。柴田が言うには、
今振り返ればコップの中の嵐にもならない、若輩者同士の些細な論争だったそ
うだけど。確かに、客観的に見て、レッテルを貼るような性格描写なんて、人
それぞれでいいと思う。だいたい、とうに和解したと聞いているよ」
「その室生さんと会ったことは?」
 地天馬が質問を挟んだ。
「柴田と一緒に二度くらい。特に険悪なムードになるでもなし、穏やかな会話
に終始していた印象でしたね。それ以前に、あの人は今度の事件の犯人じゃな
いんじゃないかなあ。推理小説に対する興味は薄い方だから、凝ったトリック
を使うとは思えない」
「一概には言えません。殊に今度の事件は、被害者が推理作家ですからね。柴
田さんのアイディアを拝借して犯行を成し遂げた可能性を一応、考えなければ
いけない」
「ああ、そうか……」
 衣川が感心しきりという風に、何度か頷いた。
 それにしても、他の容疑者を否定するようなことを言う彼に、私は妙な感じ
を受けてしまう。衣川自身は容疑者である自覚がないのだろうか。地天馬に関
しては、いつもの通り、容疑の枠を安易に絞らず、冷静に判断していると言え
る。
「他にいないのかい、動機を持つ人間は」
「さあねえ。自分達がどう思われているかなんて、意外と分からないもんさ」
「動機から絞るのは難しそうだな」
 地天馬が言った。テーブルに注文した品が並ぶ。ウェイターが去ってから、
話を再開する。
「犯行が可能かどうかについて、検討してみたい。たとえば、衣川さんや柴田
さんが蛙の毒を所有していることを知っていた――これは犯人の条件と見なし
てよいだろう」
「そうですね。毒を持っていると知っていたのは、同行した友井さん以外では、
現地人の通訳ぐらいか。柴田や友井さん達が他人に話したかどうか、私は知ら
ないが、まあそんな迂闊な真似はしない人間だと思います。無論、私も口外し
ていません」
「ねえ、衣川。自分が危ない立場に立たされていると、分かっているのか?」
 私はつい、単刀直入に聞いてしまった。だが、衣川は特に気にした様子も見
せずに、「だからこそ、君を通じて地天馬さんに頼んだんじゃないか」と答え
た。
 すると今度は地天馬が口を開く。
「おかしいな。そういう風には聞いていない。不可解な事件が起きたので、真
相を解明してもらいたいとだけ」
「同じでしょう。私は犯人ではないのだから、事件の真相解明と同時に、私の
無罪を証明することとなります」
「僕は何も保証できない。現段階で、あなたの望まない結果になる可能性が高
いと見ています。無条件に守ってほしいのなら、他の人に依頼を持っていくこ
とだ」
「……」
 探偵の突き放した物言いに、衣川はしばし言葉を失った。私もこんな展開を
迎えるとは想像が付かなかったので、おろおろしてしまう。
「いえ、やはり地天馬さんに最後までお願いします」
 衣川は地天馬の目を見つめ、きっぱりと言った。理由は分からないが、地天
馬に寄せる信頼は揺らいでいないようだ。
 地天馬はそれでもまだ醒めた調子で応えた。
「僕は依頼人の秘密は守るが、それ以外に調査で知り得た事どもに関しては、
しかるべき形で表に出すつもりでいる。それでもかまわないと?」
「かまいません」
「分かりました。では、事件の話は今日はここまでとしよう。僕は他の関係者
に当たり、犯人の条件に該当する人物を改めてリストアップします。その上で、
証拠と照らし合わせることになるでしょう」

 衣川と別れたあと、私は地天馬に彼の推理した事件の犯人像を尋ねてみた。
「改めて挙げるほどのものではないさ。一、蛙の毒を入手可能である。二、柴
田幸一を知っていたが、彼に双子の弟がいることを知らなかった。もしくは柴
田幸二を知っていたが、彼に双子の兄がいることを知らなかった。三、柴田幸
一の身体を使って密室トリックを行えることを知り得た、これぐらいだな。こ
の内、一つ目は犯人が柴田幸一の持っていた毒を使った場合を想定すると、大
きな意味はなさない。三つ目にしても、柴田幸一が密かにメモ書きでもしてお
り、犯人はそれを盗み見ることができたのかもしれない」
「二つ目のは、どういう意味だい?」
「死亡推定時刻に現れた食い違いは、犯人の無知やミスではなく、仕方なくあ
あなってしまったんだと思う。密室をこしらえるほどの犯人が、死亡推定時刻
に関して全く知らないなんて、考えにくいからね。では、仕方のない状況は何
によってもたらされたか。恐らく、双子だろう。犯人は元々、柴田幸一と赤坂
美子の二人を対象に計画を立てた。『幸一が赤坂を殺害後、自殺した』との筋
書きに基づき、犯行を成し遂げるつもりだったはずだ。そこへ柴田幸二が不意
に介入してきたため、計画に狂いが生じる。事件当日、幸一は取材で一日の大
半、家を空けるはずだったろう?」
「ああ、そんなことを言っていたな」
「その間に犯人は赤坂を刺殺し、帰宅した幸一に毒を盛る予定だったんじゃな
いかと思う。が、毒入りの激辛カレーパンを前もって柴田宅に置いておいたの
が、失敗の一因になった。幸一の不在時に訪ねてきた幸二が、食べてしまった」
「前もって毒入りのパンを置く? 柴田の帰宅を待つのなら、そのときに毒入
りパンを渡すこともできるだろう。普通はそうするんじゃないか」
「事件の直近に、激辛カレーパンを買って行ったと店員に証言されることを恐
れたんじゃないかな。もしくは――想像をたくましくするなら、犯人は最初、
アリバイ工作をしようとしていたのかもしれない」
「アリバイって、どんなトリックを? あ、電気敷布か」
「電気敷布を持ち出すのは早い。死体を移動することで現場を誤認させ、アリ
バイ確保を狙う企みだ。犯人は柴田宅に置いた毒入りの激辛カレーパンを柴田
幸一が自ら口にして命を落とす間に、赤坂美子を殺害、それも死体移動を見越
し、刺殺以外の方法で殺す。そして彼女の遺体を、車に乗せて柴田の家まで運
ぶ。こうしておけば、疑われても犯行時にアリバイを主張できる」
「……毒入りパンを置いとくくだりは納得できたけれど、そのアリバイトリッ
クを柱とした殺害計画が、何で密室トリックに変わるんだ? いくら双子の弟
が新たな駒として急遽登場したとしても、つながりが見えないよ」
「当日の朝早く、犯人が毒入りパンを仕掛け終え、引き上げようとしたときに、
ちょうど柴田幸二が現れたとしよう。犯人は幸二を幸一だと思い込み、怪訝に
感じつつも身を隠す。そうこうする内に幸二はパンを食べて死んでしまう。予
定外の展開に犯人は、赤坂美子と連絡を取ろうとする。会う約束をしていたは
ずだからね。その変更を申し出て、柴田の家に来させる。『柴田幸一が予定よ
り早く死んだが、赤坂もなるべく早く殺せば、死亡推定時刻のずれは犯行後の
細工でごまかせる』とでも考えたんだろう。赤坂を待つ間、電気敷布を持ち出
し、遺体の温度を保とうとした」
 ここで電気敷布が登場する訳か。
「ところが、そこへ幸一が帰宅したため、犯人は恐慌を来しただろう。赤坂を
呼んだのだから、柴田幸二の遺体は一時的に隠しており、発覚を逃れられる。
だが、混乱は収まらないまま、対策を講じる羽目になった。会話を交わし、あ
とから現れた方が幸一だと気付いたかどうか、僕は疑わしいと思っている。そ
の理由は後で述べるとして、とにかく、毒入りのパンで幸一も死亡する」
「毒入りパンは二つあったというのか?」
「幸一が好物の激辛カレーパンを複数個、買いだめしていてもおかしくない。
一つだけ毒入りにすり替えても、それを犯人が願うタイミングで口にするとは
限らない。全部を毒入りにしておけば、問題なく食べさせられる」
「そうか……」
「犯人は死体が一体増えたことで、計画変更を余儀なくされたろうね。多分、
犯人は偽の遺書を用意していただろうから。そこに書かれた内容と、実際の状
況が異なるようでは、遺書を使えない。電気敷布による死亡推定時刻のごまか
しもあきらめ、他のやり方で自殺に見せ掛ける方法に頭を悩ませる。そして例
の密室トリックを思い出すか、あるいはメモ書きから見つけるかして、使おう
と決める。
 赤坂美子がやってきたのは、そのあとだろう。犯人は彼女を刺殺する。計画
では出血のない殺害方法を用意したと思うが、変更に伴い、刺殺を選んだ。返
り血を浴びかねないデメリットはあるが、殺害現場が柴田宅内だと示すことを
優先したんじゃないかな。凶器も明らかにあの家の包丁が使われたと分かる。
 それから――犯人が双子の区別が付いていなかったと判断する理由につなが
るんだが、犯人は柴田兄弟の靴下を脱がせた」
 推理の展開に唐突さを覚え、私は思わず「え!」と叫んでいた。
「犯人が脱がせたというのか? 何でまた犯人はそんなことを」
「犯人はまず、さして考えずに、先に殺害した柴田幸二を密室作りに利用しよ
うとしただろう。三人の被害者の内、死後硬直の進行が早いのは、言うまでも
なく幸二だ。ところがうまく行かなかった。一見すると、身長や体格に差はな
いようなのに、何故? そこで犯人は爪先を比べてみた。そして双子とはいえ
一卵性でないこともあってか、足の指が相当異なる事実を犯人は見付ける」
「足の指が異なる? もう少し詳しく」
「人間は足の指の長さによって、大まかに三タイプに分類できるそうなんだよ。
五指の内、一番長いのが第一指である人と、第二指である人、あるいは五指と
もほとんど差がない人の三つに」
 あとになっても覚えていたら、詳しく調べてみよう。衣川が犯人だったら、
それどころじゃなくなる可能性があるけれども。
「犯人は足先を見て、最初に試した遺体が幸一ではないと気付いたんじゃない
かと思う。この説が成り立つには、密室トリックを試した際に、柴田幸一の素
足を目の当たりにしていることが条件なんだが……」
「……」
 私は返事のしようをなくした。地天馬が衣川を最有力容疑者と見なす理由が、
よく理解できたから。絶対確実な物的証拠はないとはいえ、全ての状況に当て
はまる犯人像の筆頭はやはり衣川だと認めざるを得ない。
 私は地天馬の沈黙を感じ取り、ゆっくりと尋ねた。
「どうするつもりなんだい?」
「彼に先ほど宣言した通りだ。もう一度、調べる。ただ、他の容疑者の洗い出
しと平行して、物証も探す」
「証拠探しは衣川を犯人と仮定して、か」
「決め付けはしない。だが、優先はする。とにかく、早く解決すべきだ。僕の
推理が的を射ているとすれば、この事件の犯人は思いもよらぬハプニングで計
画が崩れかかったにも拘わらず、連続殺人を決行した。罪を被らずに済む可能
性が低いのは、当人も承知の上のような気がするな。それでも敢えて三人を殺
したのは、内心、自棄になっている恐れがある。下手な形で追い詰めたくない」
 地天馬の話を聞く内に、私の頭には妙な考えが浮かんだ。次の瞬間にはまさ
かと打ち消し、声に出しはしなかった。
(衣川が私を通じて地天馬に依頼をしてきたのは、この謎を見破れるかと挑戦
してきたのか、それとも早く解いてくれというシグナルなのか)
 考え込む私の前で、地天馬ははっきり言った。
「実は下田警部に、柴田兄弟それぞれの足の指の長さについて、調べるように
言っておいた。さっき話した推測と合致するか矛盾するか、確かめる必要があ
るからね。分かったら知らせてくる手はずになっている」
「そこまで警部達が動いてくれると言うことは、警察も概ね、賛同なんだな。
衣川には見張りが付いているんだろうか?」
「そこまでは教えてもらえなかったが、多分」
 見張りが付いている方が安心だ。そう思った。

 その後、柴田兄弟の足の指に関して、形状が異なる事実が確認された。ちな
みに幸一は第一指が一番長いエジプト型、幸二は第二指が親指より長いギリシ
ャ型というタイプだったらしい。
 この結果を受けて警察が動いた。衣川に衣服を提出させたのだ。紺のジャケ
ットと白いセーターを始めとする、彼が冬によく着る服を調べて証拠を見つけ
ようとの腹づもりである。
「何も見つかりやしないのに」
 衣川は付き添ってきた私や地天馬に、苦笑顔を向けた。待つように言われた
空き室は二十人ほどで会議ができそうなくらい広かったが、今は三人きりだ。
無論、ドアの外、廊下には見張りが待機しているんだろう。
「ねえ、地天馬さん。あなたから言ってあげてくれませんか。警察に無駄な仕
事をさせるのは、本意じゃないんです」
「部外者が進言しても、彼らは自分達の仕事を自分達で確かめるものですよ」
 地天馬は窓の外に視線を向けたまま、ゆっくりと答えた。衣川は大げさに嘆
息した。
「それは理解できますがね。私が犯人だと仮定しても、どんな格好で犯行に及
んだか、分かりゃしないでしょうに」
「いつも同じ格好の犯人が、犯行日に限って違う格好をしていたら、殺そうと
する相手から不審がられる。それを避けるために、普段通りの格好でいたに違
いないと推測するのは、さほど間違ってはいないでしょう」
「だとしても、犯行のあった日から、時間が結構経っているから、証拠なんて
なくなっていそうだ」
「――衣川さん。あなたが共作作家として機能していなかったのは、事実のよ
うですね。推理作家の片割れなら、そんな台詞は出て来ない」
「かもしれません。ま、血痕は割と長く残ることぐらいは、知っていますよ。
拭いたり洗い流したりして目に見えなくなっても、薬で簡単に検出できるんで
すよね」
「よくご存知のようだ。先ほどの認識を改めるべきかな?」
 地天馬が若干、おどけた口調で言うと、衣川は急いだ風に首を横に振った。
「柴田の相談に乗る内に、自然と身についた知識に過ぎません。……これから
はちゃんと勉強して、改めて小説執筆にチャレンジしようかと思っているです
がね。出版社からすでに色々とせっつかれているし、柴田のためにも幸島大士
郎の名を残したいという気持ちが強い」
「そうでしたか。だったら、言っておかなくちゃいけないな」
 地天馬が私に目配せをする。私には何のことだか分からない。地天馬はあき
れたとばかり、肩をすくめた。
「今度の体験を小説化するのはご遠慮ください、と言っておかなきゃいけない
よ。君の仕事がなくなる」
 探偵のジョーク。私は笑おうとして、少し表情が引きつってしまった。
 衣川は一瞬、唖然とした顔つきになったが、すぐに目尻を下げた。そうして、
「いやあ、残念。私個人の第一作のネタに、と目論んでいたのに」
 などと言う。即座にこんな返しができる衣川は、幸島大士郎の広報としてふ
さわしかったんだと思う。
「仕方がない。柴田の遺してくれたアイディアノートを見て、何か捻り出すと
するかな」
 衣川が軽口を叩いたところへ、ノックの音が重なった。ドアが開く。
 下田警部と花畑刑事が現れ、地天馬だけを手招きして呼んだ。そして何やら
耳打ちをし、メモらしき紙を見せる。地天馬はうなずくと、元の席に戻ってき
た。そして話し始める。刑事二人は戸口のところに立ったままだ。
「残念な結果です、衣川さん」
「――というと、物的証拠が出たと彼らは言ってきたんですか?」
「ええ」
「し、しかし、赤坂さんの血が付いているはずがないし、万が一、付いていた
としても、私が遺体を発見したときに付いたかもしれない」
「遺体発見時には血は固まっていたはずなので、そのときに被害者の血があな
たの衣服に付着することはありません。それに、警察が見つけた証拠は、血痕
ではないんです」
「えっ、他に何があるって言うんです?」
 衣川の反応はまるで、血痕のチェックは完璧だったと暗に語っているようだ
った。
「指紋が出たそうです」
「布から指紋が取れるんですか?」
「取る方法は色々あります。ある種の金属を蒸着させたり――」
「地天馬さんが言うからには、そうなんでしょう。ですが、指紋が何だと言う
んでしょう? 私は柴田や赤坂さんとは知り合いだ。しょっちゅう着ている服
に、彼らの指紋が付いていたとしても不思議じゃない。柴田幸二に関しては、
死んでいる彼を見つけたんだから、そのとき付く可能性がある。証拠には……」
「遺体発見は、犯行推定時刻から二日ほど経過していた。汗などの分泌物がな
いと、指紋は普通、残らないものです」
「知識はどうでもいいんですよっ。問題は、本当に指紋が付着していたのかど
うか。それも柴田幸二のものでなければ話にならない」
 力説する衣川には、焦りの色が明白に見て取れた。そんな彼に、地天馬は決
定的な事実を突き付ける。
「僕の推測では、犯人は最初、幸二の遺体を首吊り状態にし、密室を作ろうと
した。だが、成功しないので、兄弟の足を見比べようと思った。そのとき、幸
二を首吊りの姿勢のまま、靴下を脱がせたんじゃないか。その方が脱がせ易い
し、もしも修正して幸二の遺体を使えるようであれば、わざわざ下ろすのは労
力の無駄と考えたのかもしれない。犯人はその後、幸一の遺体も裸足にして、
指の長さの違いに気付く。これは幸一の遺体でなければ密室を作れない。そう
判断し、犯人は幸二の遺体を下ろした。そのとき、指紋が付いた可能性がある
ことを僕から警部に伝えた。容疑者全員の衣服などを調べるべきだとね。その
結果、あなたのジャケットから柴田幸二の指紋が検出されたそうです」
「そんな……ばかな。出るはずがない。付着したとしたら、遺体を発見したと
きしかないんだ。私はあのとき初めて、柴田幸二と会ったんだから。――そう
だ。私はあのとき、死体を見て驚いていた。汗を大量にかいたかもしれない。
その汗が柴田幸二の手に付き、その指先が私のジャケットに触れてしまったん
じゃないかな?」
 反論を試みる衣川。私にはその必死さが、悲しく映った。犯人でない者が濡
れ衣を着せられた場合でも、必死になるのは当然だが……今、目の前にいる衣
川はどこか違う。
「指紋を形成する分泌物を調べれば、あなたの汗かどうか、判定することは可
能です。必要とあらば、そうなるでしょう。ねえ、警部?」
「ああ、そうなりますな」
 地天馬の急な呼び掛けにも、下田警部は淡々と答えた。地天馬は衣川に向き
直り、再び話し始めた。
「ただ、今回は必要がないかもしれない。何しろ、ジャケットから検出された
のは、柴田幸二の足の指紋なんですから」
「足?」
 おうむ返ししたあと、言葉をなくしたように固まる衣川。ジャケットから幸
二の足の指紋が出たことの意味を、頭の中で検討しているのだろうか。
「現場を目にした衣川さんなら、よく分かっていると思うが、柴田幸二はテー
ブルに突っ伏す形で死んでいた。何かの弾みで足の指紋が、発見者であるあな
たのジャケットに付くはずがない。一方、首吊り状態にあった遺体を下ろした
犯人の服になら、足の指紋が付いてもおかしくない」
「それは……」
 後付けの理由を探しているのか、衣川は視線を宙にさまよわせる。その様を
見守る地天馬に私、二人の刑事。
 静かな時間はさほど長引かなかった。程なくして衣川はあきらめた。がくり
とうなだれ、「私がやりました」と認めた。意外にはっきりした発声だった。

 私は衣川が連れて行かれる前に、警部達に頼んで、時間を少しだけもらった。
聞いておきたいことがあったのだ。
「衣川。どうして依頼してきたんだ? 地天馬の能力を侮ったのか?」
「いや」
 弱々しい口調で彼は答えた。同じく弱々しい目線を地天馬の方に少し向け、
すぐまた私を見た。
「名探偵の力を見くびった訳じゃない。正直言って、自分でもよく分からない
んだ。計画がハプニングで崩れかかって、失敗の確率が飛躍的に高まったと覚
悟した。だったらいっそ、名探偵に依頼してその力を試してみたかった……の
かもしれない。それに」
 衣川の口元がほんの少し、ゆるむ。目元は逆に、申し訳なそうに下がった。
「あわよくば、君の立場に成り代わりたかったんだ。柴田幸一というパートナ
ーを失うと、私は何もできない。地天馬鋭のワトソン役に収まれば、また安泰
かなとね」
「じょ、冗談だろう?」
「それがそうでもないんだ。だから、さっきは心底驚いたよ」
「さっき?」
 いつの話をしているのか分からず、そのまま聞き返した。衣川はすぐに答え
た。当たり前のように、さらっと。
「地天馬さんが『今度の体験を小説化するのは遠慮してください』云々と言っ
たときさ。ああ、この人は本当に優れた探偵なんだなと、身に染みて分かった
よ」

――終わり




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