#375/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 10/12/23 23:57 (426)
サンタは色々考える<前> 寺嶋公香
★内容 17/04/20 20:36 修正 第2版
「なあに、ため息なんかついちゃって」
双子の姉の声にびくりとしつつも、相羽暦は手元の通帳を素早く閉じた。肩
越しに碧の視線を感じたが、はたして見られたのだろうか。
「しかも預金通帳を見ながらなんて」
やっぱり見られていた。ごまかすのはあきらめ、椅子ごと向き直る。子供部
屋としてそれぞれ個室をもらったはいいが、こうも頻繁に出入りされては、あ
まり意味がない。尤も、暦も碧の部屋に出入りしているからおあいこだ。
「何かほしい物があるの? でもお金が足りなくてため息を」
「……そんなんじゃないよ」
暦と碧はアルバイトで、たまにモデルをしている。そのギャラと普段のお小
遣いを合わせると、中学生にしては充分すぎるほどもらい、貯めている。大き
な買い物になると前もって両親に話さないといけないが、よほど変な物でない
限り、許可してくれる。
「じゃあ、何」
クッションを引っ張り出し、床に座る碧。ジーパン姿とはいえ、胡座は母さ
んに見付かるとうるさく言われるだろうに。まあ、見付かったとしたら、これ
はヨガとでもいって弁明するつもりに違いない。
「たとえばの話、姉さんはどんな物をプレゼントされたら嬉しい?」
「買ってくれるの?」
碧はにこっと笑って、床の絨毯に手をつき、暦の方へ身を乗り出す。暦はす
ぐさま否定した。
「違う。たとえばの話って言っただろ」
「なーんだ――って、分かってました。もうすぐクリスマスだものね。かこつ
けて、同級生の女子にプレゼントしたいが、何がいいのか思い付かない。そこ
で私の意見を聞いてみたいと」
「……」
「あら、外れた?」
「当たってるよ。明日の休み、買いに行く予定でいる。姉さんの勘は凄いよ、
参りました」
「うむ。それで、誰にあげるつもり? まさかクラスの女子全員に、とかじゃ
ないでしょ」
言わなくても分かってるだろうに……多分、好きな女子の名前を言わせたい
のだ。暦は内心、姉にブーイングを送った。だが、表向きはそんな感情はちら
とも出さず、平常心を保って答える。相手のペースにはまるのは嫌だ。
「小倉さんに何か贈りたいと思っている」
「おおっ、一途ね。そういうのって、私は応援するよ」
「だったら、何がいいか、早くアドバイスしてくれ」
「私なんかに聞かなくても、本人に直接聞けばいいじゃないの」
「それができるくらいなら、ため息をついていない」
「あら。小倉さんにまだ言ってないの、好きだって」
「言ったつもりなんだけど、何ていうか小倉さんは、一対一の付き合いはまだ
早いと考えてるみたいで……って、今はどうでもいいだろ、こんなことっ」
「どうでもよくはない。二人の関係の具合によって、アドバイスも変わってく
るでしょうが。そうねえ……暦のつもりとしては、どうなのよ。今度のクリス
マスプレゼントで、仲を一歩進めたいと目論んでいるわけ?」
暦は黙ってうなずいた。目論むとは言葉が悪いが、仲を進展させたいのは本
心である。一歩といわず、二歩でも三歩でも。
「じゃあ、あまり大げさにしちゃだめね。指輪とか高い物は」
「それぐらいは分かってる。最初から指輪なんて贈る気ないし」
「無難なところで、食べ物は? 気軽に渡せるという意味では一番」
「食べ物、なあ。しっくり来ないって言うか」
「彼女、小学校のときに比べたら、すこーしふくよかになってきたじゃない。
甘い物が好きなのは間違いなし。学校でもお菓子を食べてるとこ、見たことあ
るわ」
太ったと言われたみたいに感じて、他人事ながらむっとする。
「成長期なんだから、別に普通だろ。女子は今頃が一番伸びるんじゃなかった
っけか」
「なに弁明してるの。気になるなら、調べてあげようか。いけないことだけど」
「何を」
「小倉さんの体重」
「体重?」
「私、今、クラス委員でしょ。知ろうと思えばできるわよ。クラスの女子の身
長や体重、スリーサイズまでも」
「……だめだだめだ! プライバシーの侵害!」
「思った通りの反応で安心した。頼んでくるようなら、軽蔑したんだけどな」
「そーゆー、弟を試すようなことをするなっての」
目の高さを合わせようと、暦は椅子を降りた。同じクッションを持って来て、
姉の正面に座る。だが、機先を制された。
「他にもやり方はあるわ。私が小倉さんに接近して、直接聞き出すことに成功
した場合、教えてあげるとか」
「それでもだめだ! だいたい、別に知りたくねーよ。小倉さんのスリーサイ
ズなんて」
「いつの間にか、体重からスリーサイズに変わってる」
「うるさい。体重にしろ何にしろ、知ったところで意味ないじゃないか」
「そりゃまあ、今回はね。だけど、いずれ小倉さんにドレスを贈るようなシー
ンが訪れるかもしれないじゃない。知っておいて損はなし」
「……それまで小倉さんが成長しない保証があるんなら、教えてもらうよ」
「お、やっとまともに反論できたわね。それじゃ、そろそろ本気を出して相談
に乗ろうかしら」
今までのは冗談だったのか。力が抜けると共に、冗談でよかったとも思う暦
である。
「これから言うことは、一般論ではないかもしれない。あくまで私自身の感覚
と、小倉さんを端から見ていて感じ取れたこととを合わせて、意見してみるだ
けだから。そのことを頭に置いて」
「分かった」
暦は無意識の内に正座をしていた自分に気付いた。今さら崩すのも妙なので、
そのままの姿勢で聞き入る。
「女の子はね、大人に見られたがるのよ。逆に言うと、当然、子供扱いされる
のが嫌い」
「……それは男子も同じじゃあ……」
「うーん、似て非なるってやつかな。説明しにくいし、今は必要ないのでしな
い。暦、さっき一人で悩んでいる間、いくつかプレゼント候補を思い浮かべて
いたわよね?」
「うん」
「その中にぬいぐるみや人形はあった?」
「あった」
当然だろとばかりに首肯する暦。その鼻先に、碧の右手人差し指が伸ばされ
た。おかげで後ろにひっくり返りそうになったが、どうにか踏ん張る。
「何なんだよっ」
「それが子供扱いしてるってこと。プレゼントにぬいぐるみをもらっても、私
ならたいして喜ばないわ。もちろん、気持ちは嬉しいし、感謝もする。ただ、
他の物と比べたらね」
「そんなもんかね」
「ええ。ぬいぐるみをくれるなんてこの人は私を子供扱いしてるんだわ、って
受け止めちゃう。対等に見られたいのに。相手が好きな異性なら、なおさら」
「俺は別に、上から目線とかじゃなく、小倉さんを見てぬいぐるみとか人形と
かも似合いそうだなって、そう思っただけなのに」
「その辺の意識を変えた方がいいと思うな、お姉さんは」
にこっとする碧。暦は片手で頭をかいた。かゆいわけではなく、戸惑いのサ
インとして。
「姉さん、最初に言ったよな。大げさにしちゃだめだって。ぬいぐるみや人形、
それに食べ物を除いたら、他に大げさでない物ってある?」
「あるじゃない。指輪以外のアクセサリーでもいいし、ハンカチなんかの小物
も。私は花一輪なんてもらったら、結構ぐっと来るんだけど、小倉さんはそう
いうタイプじゃあない気がするわね」
「化粧品は?」
「モデル仕事やってると使う場面が多いから、当たり前みたいな感覚になって
るけれど、普通に考えればまだ早いんじゃないかしら。校則で禁止だし。すぐ
に使えないような物をもらっても、困るだけ」
納得して首を縦に振る。小倉が一対一の付き合いに踏み出さないのは、両親
から許しが出ないためじゃないかと暦は考えている。だとしたら、化粧品も恐
らく使えない可能性が高い。
「あ、ないと思うけど、石けんや身だしなみ用品はやめときなさいよ」
「何でまた石けんなんかを例に出す?」
お中元やお歳暮じゃあるまいし。
「前に言わなかった? 『おまえはにおうから石けんできれいにしろとか、身ぎ
れいにしとけ』って意味に受け取る人がいないとは限らない。香水なら問題ない
でしょうけどね」
「なるほど」
言われてみれば、そんな話をしたことがあるような。真面目に聞いていなかった
からか、はっきりとは覚えていないが。
「私が言えるのはこれくらい。あとは自分で考えて、いい物を選ぶこと。小倉
さんと仲よくなれるようにね」
「あ、一つだけ。食べ物がだめかどうか、曖昧に終わったけど」
「私はだめとは言ってない。そっちが気にしてるんでしょ。大方、あとに残ら
ない物はいまいち、とか考えてるんじゃない?」
「う、まあ、そんな感じ」
図星を指され、口ごもる暦。碧は苦笑いを見せて、部屋を出て行った。
相羽家にはもう一人、女性がいる。そのアドバイスも聞いておこうと暦は考
えた。夕食後、時間が空くのを待って行動に移す。
「母さん、聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「いいわよ。大歓迎」
片付けの済んだテーブルに帳面を広げ、色鉛筆を手にしていた母は、すぐさ
まそれらを脇に退けた。
「母さんは父さんからプレゼントされたことあるでしょ?」
「もちろん」
「何が一番……じゃないや。プレゼントは子供の頃から?」
「ええ。初めてもらったのは何になるのか……あ、小学六年生のとき、お父さ
んの家に行ったら、お茶うけにクッキーが出て来て。それが手作りでとても美
味しかったの。それで後日、みんなで作り方を教わりに行ったわ。正確にはお
父さんのお母さんから主に教わったんだけど。あれが最初といえば最初」
「ふうん……ちゃんとした、というかいかにもプレゼントらしいプレゼントを
もらったのは、いつ? 中学のときはなかった?」
「あったわよ〜」
当時を次々と思い出すためか、母の声が弾む。表情も嬉しさに溢れて、目尻
が下がりきる始末。
「十三歳の誕生日に、うさぎのぬいぐるみとハンカチをもらった」
「え、ぬいぐるみ?」
姉さん、話が違う! 心の中で叫びたくなった。
「そうよ。おかしい?」
「えっと。そ、それで母さんは喜んだわけ?」
「嬉しかったわ。実を言うと、お父さんのお母さんからの贈り物だと、ずっと
思い込んでいたの。でも、あるとき気が付いた。『これは相羽君が選んだプレ
ゼントなんだわ』って。そうしたら、もっと嬉しくなった」
「……要するに、好きな人からもらったら何でもいい……」
「中学生の頃の私は鈍くて、お父さんの気持ちに気付いてなかったのよね。だ
から、こっちもお父さんを好ましく思ってはいても、恋愛の“好き”にはなっ
てなかった。ただ、当時から私はお父さんとの縁がきっかけで、モデルを始め
ていて、その関係で凄く大切にされていると感じていたし、プレゼントはお父
さんが一生懸命選んでくれたと分かったから、だから嬉しかったんだと思う」
自分は小倉さんを大切にしてきただろうか――暦は自問する。
無論、大切に思ってはいる。問題は、彼女に伝わっているかどうか、だ。答
は……分からないというのが正直なところだ。
もう一つ気付いたことがある。父さんと母さんが今の自分ぐらいのとき、父
さんは母さんにまだ好意をはっきりした形では伝えていなかったんだ。その点
だけを取り出せば、自分の方が進んでいる。
「仮の話として、聞いていい? もし母さん達が中学生のときから恋人同士だ
ったとして、うさぎのぬいぐるみをもらって嬉しいかどうか。満足するかって
いう意味で」
「満足ねえ。答えるのが難しいわ。私は多分、それでも喜んだと思う。けれど、
暦は一般的な答がほしそうに見える。違う?」
「当たり。できれば一般的な答が知りたいんだ」
というか、小倉さんだったらどう思うかが知りたいのだが、それは無理なの
で。
「恋人同士だったら誕生日プレゼントをもらえることを当たり前に思って、期
待していることになるわけね。だったら、ハードルを高くしちゃうかも。ネッ
クレスを期待していたらぬいぐるみだった、じゃあ、嬉しさ半減する人もいる
かもとしか言えないわ」
「うーん……」
「初めてのプレゼントなら、それだけで嬉しいってこともあり得るし」
アドバイスを聞いて絞り込むつもりが、ちっとも絞れない。逆に、何でもあ
りという気もしてくる。
「それで、誰に贈り物をするつもりなのかしら」
我に返ると、母が両肘をテーブルにつき、組んだ手に顎を載せた格好で、そ
んなことを聞いていた。眼差しには若干、意地悪なものが含まれている。
「姉さんに話したから、姉さんから聞いて」
「暦の口から聞きたいなー」
「……まったくもう、母さんの思っている答で当たっているよ!」
椅子から飛び降りるようにして離れると、暦は足早に立ち去った。母が何か
言ったみたいだけれど、振り返るとまた引きずり込まれかねないので、そのま
ま行く。
(そういえば小倉さん、母さんのファンだって言ってたっけ。聞いてて恥ずか
しいから、深くは尋ねなかったけれども、今の母さんを見てそんなこと思うは
ずない。大方、昔の写真か何かを見たんだろうな)
冬。休日の朝は晴れ渡り、その代償として冷え込んだ。
「ついて行こうか」
買い物に出掛ける直前、碧の声に廊下で立ち止まる。「来なくていいよ」と
応じながら振り返ると、すでにお出掛けの格好を済ませた姉の姿が視界に入っ
てきた。黒と白からなるワンピースにケープを被り、足には黒のタイツと、地
味ながらしっかり決めている。手にはポシェット。
「そんなこと言わないで。役に立つよ」
「アドバイスならもうもらった」
「何を買うつもりか知らないけれど、まだジャンルを決めたぐらいで、これっ
ていうのはないでしょ? 店先でいくつか見ていたら、まず間違いなく迷うと
思うな。そこで私が最終判断のアドバイスをしてあげる、というわけ」
「……一理ある。けど」
「それに、あなた一人がたとえば女性小物の店に入っていくところを、知り合
いの男子にでも目撃されたら、冷やかされるわよ。私が一緒なら、買い物に付
き合わされたと言えば大丈夫」
「……一理も二理もあるな」
「でしょ」
碧は満足げに頷くと、暦の横を通り抜け、玄関に向かう。靴を履きながら、
「さあ、急ぎましょ」
と言った。
「どこへ行くか、分かって言ってる?」
「記念すべき小倉さんへの最初のプレゼントなんだから、自転車で行けるよう
なその辺の店で済ませる気はないわよね」
「いや、できれば近場で済ませたいんですが」
本当は遠くまで足を伸ばし、駅前のショッピングモールに行く予定だ。格好
からして姉は自転車に乗るのを嫌がると踏んで、敢えて言ってみた。着いてき
てもらいたい気持ちとそうでない気持ちとが、暦の中で相半ばする。
「ええーっ、信じられない!」
靴を履き終わった碧は、音を立てて向き直った。
「好きな女の子に初めてあげるプレゼントだっていうのに! もしかして、最
初のハードルを高くすると、次からもっと苦労するとか思ってんじゃないでし
ょうね?」
「それはない」
「じゃ、悪いこと言わないから、はり込みなさい。最初が肝心。目当ての店が
近くにあるわけじゃないんでしょ?」
「う、うん」
「なら、もう決まりね。私に任せなさい」
胸に右拳を当てるポーズをすると、碧は再び方向転換し、ドアを開けた。暦
は口の形だけ、やれやれ、とつぶやいた。
それから約三十分後。駅前のショッピングモールに着いた。各店舗は今日の
営業を始めてから、もう十五分ほど経っている頃合いだ。
「結局、ブローチでいいのね」
ここに来る道すがら、電車の中で検討して、ブローチがいいんじゃないかと
いう気持ちに傾いていた。消えてなくなる物じゃない方がいいから、食べ物は
なし。子供っぽいぬいぐるみもなし。アクセサリー類では、大げささが拭えな
い指輪を除外。普段、気軽に身に着けてほしいとなると、ネックレスやブレス
レット、イヤリング辺りも中学生には難しい。その点、ブローチなら制服に付
けて登校しても大丈夫なんじゃないかという話になった次第。
「ああ。現物を見て、気が変わることもあるかもしれないけれど、基本的には
ブローチで」
「よし、お店決定。ちょっと歩くわよ」
碧の先導で、アーケード街を行く。休日とあって、この時間から人出は結構
なものだ。時折よけないと、すれ違う人と肩が触れ合いそうになるほど。
そうして辿り着いた先は、ファンシーショップと貴金属店が合体したような、
小物類なら何でもありそうな店だった。名前は赤字に白で“Minobu”と
なっている。
「ここがお薦めよ。大人向けから私達みたいな子供向けまで、幅広く揃えてく
れてる」
「へえ、全然知らなかった」
目線を店の看板から下げ、店内に移す。
「モデルやってるんだったら、こういうことにも詳しくなっておいた方がいい
わよ。女子から聞かれて、知らん、じゃ済まないだろうし」
「今日で覚えた」
「まあ尤も、クラスの女子の大半は知っていると思うけどね、この店のこと。
私の口コミで」
歯を覗かせて微笑する碧。暦は肩を落とし、嘆息してみせた。
「何なんだ。もう、どうでもいいよ。それで、お目当ての物はどの辺に?」
「並びが変わってないなら……あった、あそこ」
少し背伸びして店内に視線を走らせ、確かめてから一方向を指差す碧。もち
ろん暦もその方向に目をやる。幸い、他に客は一人だけで、その接客を店員が
行っている。つまり、女性の目を(さほど)気にしなくて済む訳だ。
並んで歩くようにして、ブローチのコーナーまで来た。値札を一瞥すると、
なるほど、様々な価格帯が設定されているのが分かる。高価な物はショーケー
スに入っているが、そうでない物はパッケージされたまま手に取れるようにな
っていた。
「暦。どんなのが似合うと思っている?」
「分かんないよ。姉さんを当てにしてるんだから。いくつかピックアップして
くれたら、そこから選ぶ」
「色のイメージぐらいはあるでしょ。彼女に似合う色。黒ってことはないわよ
ね」
「色か……桃色、水色、緑」
「緑にも色と付けること。名前を呼ばれたと思うじゃない」
昔、注意されたのをころっと忘れていた。暦は謝ってから、碧のセレクトを
待った。
「学校の制服に付けても違和感がない物をと考えると、どの色も難があるのよ
ね。強いて言えば、水色かな。夏服になったとき、目立たなくなるけれども。
夏までには、まだ別の何かをプレゼントしたらいいわ」
「名目が……誕生日があったっけ」
「バレンタインのお返しも」
色々あるものだと得心する。ただ、バレンタインはもらえなければ話になら
ないが。
「水色で、はり込むとしたらこれね。サンゴ」
「――いくら何でもこれは。出せないことはないけど、それこそ“重い”って
やつじゃあ」
「出せないことはないんだ?」
示された品物の値段に戸惑い、じっと見入っていると、横合いでにやにや笑
う姉に気付くのが遅れた。
「そ、それに、この色は水色というよりも、青色だろっ」
「その通りね。水色ならこっち。トルコ石」
分かっててやってる。そうに違いない。斜め後ろから碧をじっと見据えなが
ら、暦は確信した。
そんな弟の目の前に、姉が鮮やかな水色のブローチを渡す。
「……こりゃまた随分とお手頃というか。見た目もてかてかしてて、おもちゃ
っぽい気がする」
「あら、見る目あるのね。それとも偶然? 説明を読んだら分かることだけど、
それは模造トルコ石」
「模造。ほんとだ。本物は? あったら見てみたい」
「天然のトルコ石は……これなんかがそうみたい」
ショーケースのガラス越しに碧の指が差し示す。その奥には、暦が今手にし
ている物と比べたら、柔らかな質感の水色の石が。
(陳列の仕方とか思い込みのせいかもしれないけど、天然の方がよく見えるな。
し、しかしこの値段も……)
デザインによっては、サンゴよりも高価な代物だ。いや、総じてトルコ石の
方が上か?
「どうする、暦?」
「トルコ石がいいと思う。けど、何かさ。いい物はやっぱり、“重い”かなあ。
こういうときって、分相応という言葉が頭の中を行き交わない?」
「どういう意味? 小倉さんには高価すぎるって?」
「じゃなくて、プレゼントする立場としてさ。普通の中学生が買える範囲を越
えている物を渡すのって、嫌味じゃないか。自分がそうするに相応しい人間な
らともかく」
「暦は、今のモデル料、もらいすぎだと感じてるわけ?」
声を潜めつつ、聞いてくる姉に、暦も同じく声量を落とした。
「まあ、そういうこと」
「実は私も。お母さん達のおかげだもの」
「だよなあ」
姉弟はうんうんと頷き合った。
そんな様が怪しく写ったのかどうかは知らないが、店員の女性が近付いてき
て、二人に声を掛ける。
「どのような物をお探しですか?」
「同級生の女の子にクリスマスプレゼントを。水色のブローチがいいというも
のだから、一緒に見て回ってるんです。お薦めの物があれば、参考にしたいん
ですが、お願いできますか?」
碧は慣れた調子で返事した。一瞬どぎまぎした暦は、如才ない姉の受け答え
に感心することしきりだ。
「失礼ですが、ご予算は……」
店員の目が暦に向けられる。決めてこなかった暦は、頭を掻いた。
「手、手持ちはあるつもりなんだけど、その、相応しい物を贈りたいなって思
ってて、それがよく分からないんです」
顔面の紅潮を意識する。鏡が近くにあるが、覗くのはよそう。
「そうですね。贈る相手は同級生で、友達?」
暦の態度を目の当たりにしたためか、砕けた物腰になった女性店員。
「友達よりは進んでるつもり、です」
固い口調で答える。そのあとから碧が「でも恋人同士ってところまではまだ
みたいです」と付け足す。何だか知らないが、頭を叩いてやりたくなった。
「でしたら、この辺りがいいかもしれませんね」
薦められたのは、暦が思い描いていた楕円の丸いだけのブローチとは違った。
何かの金属で花びらや羽のような形が作られ、そこに載せる風に小さなトルコ
石がはめ込んである。
(思っていたのと違う。でも、こういうデザインの方が小倉さんに似合うかも
しれない)
碧から「どう?」と聞かれ、「よさそう」と答える。
「値段も今の自分に合っている気がする」
「そう。えっと、八つぐらいバリエーションがあるわね」
暦が迷う様子を見せると、店員が「とりあえず、八つともお出ししましょう
か。手に取って比べてみれば」と提案してきた。
「それじゃ、見せてください」
程なくして並べられた八つのブローチは、いずれも繊細なデザインが特徴的
だった。それぞれ、花、ぶどう、蔦、蝶、ふくろう、猫、三日月、星を象って
いる。
「……猫はないか。どっちかっていうと、これは姉さんのイメージ」
「どういう意味」
「あとで。ふくろうも違うし、花や星は当たり前すぎる感じがする」
着けたときに左右対称になるのは、楕円タイプのブローチだけでいい、なん
てことを考えていた。いずれプレゼントするつもりになっているのだ。
「――三日月にしようかな。触ってもかまいませんか?」
「どうぞ」
指先で両端を挟むようにして持つ。斜め上に掲げ、明かりに透かすようにし
つつ、想像する。
(小倉さんがこれを付けているところ……)
「イメージが湧かないなら、私が代わりに着けてみようか」
姉からの申し出を受けて、月形のブローチを手渡す。付けるといっても、胸
元の辺りに持って来て、服に当てるだけだが、だいたいの雰囲気は掴める。し
かし、問題があった。
「……制服の方がよかったかな」
「あ、そうか。うっかりしてたわ」
言いつつも、ブローチを暦に渡す碧。
「さて、どうしよう。これに決める? どうしても制服に合わせてみたいって
いうなら、出直すのもありだけど」
「いや、そこまでは」
そう答えた瞬間、視界の端を、見覚えのある制服(もちろん女子)が横切っ
た気がした。往来を生徒が制服姿で歩いているのだと察して、暦はブローチを
目の高さにし、外を見た。なるべく鮮明にイメージしておきたい。そんな気持
ちからの行動だったのだが。
「あれ? 暦君だ。おはよっ」
くだんの女子生徒と目が合った。小倉優理当人だと気付くまで、約三秒。こ
んな偶然あるはずないと思っていたせいで、気が付くのがやたらと遅れた。
「――あ」
そして気付いたときには、小倉は店の中まで入って来て、暦のすぐ前に立っ
ていた。
「お、おはよう、小倉さん」
「こんなところで会うなんて、意外。何してるの……って、碧さんも」
碧の存在には今気が付いたらしく、恥ずかしがる風に口元を片手で多う小倉。
「おはよ、小倉さん。一人?」
ともに“さん”付けで、他人行儀に聞こえるが、実際のところ、二人は仲が
いい方だ。
「一人。色々、買い物しようと思って。暦君達もでしょ?」
心の準備が整わない内に、再び話し掛けられ、暦は返事が遅れた。小倉が興
味津々といった体で、手元を覗き込んでくる。
「あ、かわいい。ブローチ?」
「う、うん」
隠そうとしたが間に合わなかった。手のひらに汗を感じる。急いでショーケ
ースのカウンターにブローチを戻した。確か、トルコ石は水分に弱いと聞いた
覚えがある。
「姉さんに付き合わされちゃってさ。というか、その、ゲームに負けて、それ
で買わされる羽目になって、選びに来たんだよ」
聞かれていないのに、ぺらぺらと嘘の説明をした。
「ふうん。仲がいいね」
「そうなんだ」
小倉と会話しながら、暦は背中で「ばか……」という碧のつぶやきを聞いた
気がした。
「あ、時間があんまりないんだったわ。これからあちこち回らないといけなく
て。邪魔してごめんね、暦君、碧さん。また学校で!」
手首を返して時刻を確かめた小倉は、暦達に手を振りながら店を立ち去った。
「うん、また」
暦も手を振り返す。
その隣で、碧は笑顔のまま小声で、しかし今度ははっきりと言った。
「ばか」
――つづく
#376/598 ●長編 *** コメント #375 ***
★タイトル (AZA ) 10/12/24 00:00 (433)
サンタは色々考える<後> 寺嶋公香
★内容 17/04/20 20:38 修正 第2版
「だってしょうがないだろ。いきなりで慌ててたし。できれば、内緒にしてお
いて、クリスマスイブに渡そうと考えてたんだから」
ショッピングモールからの帰路、暦は車中での時間を言い訳に費やしていた。
「プレゼントをあげることや、何を贈るのかを隠しておきたかった気持ちは分
かる。でも、さっきみたいになってしまったら、さらっと打ち明けるべきだっ
たんじゃない?」
「分かんないよ」
「あの場で買ってすぐ、『少し早いけれども、これ、クリスマスプレゼント』
とでも言って小倉さんに渡していたら、感激されたかも。そのまま、一緒に買
い物に行けた可能性も」
「そういう臨機応変なこと、できねえってば」
何せ、好きな人への初めての贈り物なんだから、緊張が高まっているのだ。
段取りを整えるだけで、いっぱいいっぱい。
「で、どうするのよ」
碧は弟の手にあるリボンの掛かった小箱を指差す。中身は例の月形をしたブ
ローチだ。流れのままに購入してしまった。
「どうしよう……もしこれを渡したら、小倉さん、どう思うんだろ」
「多分、あのときのブローチだわって覚えてるでしょうね。『お姉さんにあげ
たのと同じ物を贈られた』と考えるだろうから、そのことをどう受け取るかと
いうと……」
「と?」
「私だったら、『あのとき、本当は私の分を選んでくれていたのね』と、いい
方に解釈するわよ。小倉さんはどうかな。『お姉さんと同じ物を選ぶなんて、
シスコン?』とかだったりして」
「小倉さんはそんな人じゃない」
「じゃあ、自信を持ってそのブローチを渡せばいいわ」
「うう、それはなあ、また話が別」
最初のプランにこだわってしまう。相手をびっくりさせたい。
「もう。買い直すんだったら、一人で行ってよね。次は付き合わないから」
「分かってる」
両手で包むようにして持つ小箱を見下ろし、はぁ、と息をついた。
二人が帰宅すると、父が待ち構えていたかのように聞いてきた。
「今年のクリスマスも休みが取れたから、どこかに行こうか」
「クリスマスってイブ?」
碧が着替えるために部屋に向かったため、暦が確認を取る。
「そう、イブだ」
「……今年はパスしていい?」
「え。それはまた悲しいことを」
本当に悲しそうに、父の表情から笑みが引いていく。
「丸一日ってことにはならないと思うけど、用事があるんだ。多分、半日ぐら
い掛かる」
「――デートなら仕方がない」
突然、父の口からデートなんて単語が出たものだから、暦は焦った。
「ど、どうして分かったの?」
「びっくりすることじゃない。自分の手に持ってる物を忘れているな」
ああ、そうだった。リボンの掛かった小箱を、隠しもせずに持っていたんだ
った。それでも気恥ずかしい思いをした悔しさから、抵抗を試みる。
「お父さんかお母さんに渡す物かもしれないじゃないか」
「僕達のどちらかにくれる物なら、帰宅するまで隠し持って、見られないよう
にいそいそと仕舞い込むんじゃないかと思ってね」
「……かなわないなあ」
「同級生の女の子か、相手は?」
「うん、そうだよ。まだ確約はもらってないけれど、デートの」
「だめになる可能性があるのかい?」
「ほとんどないと思う。何人かで遊びに行ったことある放課後、二人だけでち
ょっと遠回りしたことも。ただ、向こうは何だか“付き合う”っていう語感に
抵抗があるのかな。仲のいい友達関係を続けたいみたいだ」
「苦労しそうだな、はは」
父の笑い声に、思わず、「笑い事じゃないよっ」と反応してしまった。する
と父は、「いや、ごめんごめん。悪気はない。子供だった頃を思い出していた
んだよ」と答えた。
「子供の頃? そういえばお父さん、お母さんにはなかなか気付いてもらえな
かったんだってね」
口元だけで笑って、やり返す暦。
「やれやれだな。誰に聞いたんだ、まったく。確かにその通りなんだけれど。
小中学生の僕は気持ちをはっきりと口に出さなかったし、お母さんは――」
「鈍感だったと」
着替え終わった碧が現れるなり、そう言った。父は苦笑いを浮かべ、キッチ
ンの方を気にする素振りをみせる。お昼時、母が食事の準備中。
「それもないとは言わないけれど、周りに気を遣っていたのもあったと思って
るよ」
「その点、暦はもう告白だけはしてるんだから、あとは踏み出すだけってとこ
ろね」
「そんな簡単でもなさそうなんですが」
憮然としつつも冗談口調で応じて、暦は部屋に向かった。とりあえず、ブロ
ーチを仕舞っておかないと。
明けて月曜日。姉と一緒に学校に着いた暦は、一人、教室に急いだ。クラス
委員長の碧は職員室に寄らねばならない用事があった。都合がいい。
(小倉さんの反応が気になる。昨日のことを話題にされるかもしれない)
少しでも早く、様子を見たい。
角を折れて、教室が見える位置まで来ると、歩く速さを落とした。やがて開
け放された戸口から、中が窺える。小倉優理の姿はすぐに見付かった。来たば
かりなのか、誰かと話すでもなく、鞄から一時間目の授業の教科書などを机に
出している。
暦は自分の机に鞄を置くと、すぐさま小倉の席に向かった。おはようと声を
掛けるのと、彼女が気付くのとが重なる。
「あ、おはよう。暦君、ちょうどよかった。今の内に」
机のサイドに掛けていた鞄を取り、中を探る小倉。暦は唐突な展開に、内心、
「えっ、え?」と慌てていた。もしかして、早めのクリスマスプレゼント?
が、彼女の鞄から取り出されたのは、一冊の雑誌だった。表紙写真から、フ
ァッション雑誌と分かる。しっかりした造りで、ちょっとしたカタログに見え
る。 付せんが一つ、貼ってあり、小倉はそのページを開けた。
「これって、昨日、暦君が選んでいた物と同じデザインだよね?」
細い指が、モデルの身に着けたアクセサリーを押さえる。
プレゼントじゃないと理解して落ち着きを取り戻していた暦は、アクセサリ
ーをじっと見つめ、小さく頷いた。
「デザインは同じみたいだけど、材質が違うね」
「ええ。これは全体がトルコ石で、中に小さな宝石がはめ込んである」
まさかこれをクリスマスプレゼントにとリクエストされるんだろうか。ほし
い物がはっきりするのはありがたいが、全体がトルコ石となると……。はめ込
まれた宝石にしても、小さいとはいえ、種類によっては相当な……。暦の脳裏
で、昨日、ショーケース越しに見た品物の値段がスライドショーの如く流れて
いく。
(いくらバイトで稼いでいても、これは厳しいぞ)
思わず身構える。
ところが、小倉の口から次に出た台詞は、暦が勝手に想像していたのとは全
く違った。
「暦君のお母さんが持ってるから、お姉さんも同じ物をほしがったのかな?」
「え?」
「持ってるんじゃないの? だってほら」
小倉の指が誌面を移動し、モデルの顔に注目を促す。
「この人、暦君のお母さん」
「ええ?」
雑誌を少し持ち上げ、まじまじと見た。確かに。
あれやこれやと変なことに気を回していたおかげで、モデルの顔にまで意識
が行かなかった。
(それにしても何年前の雑誌なんだろ。ひょっとして産まれる前? 小倉さん、
わざわざ古本屋で見付けて、購入するほど好きなのかな)
「うん、母親みたいだ」
「そんな言い方するなんて。男の子だなあ」
くすっと笑う小倉。暦は聞こえなかったふりをして、「そのブローチを持っ
てるかどうかは、分からないよ」と言った。
「衣装なら買い取る場合もあるけれども、装飾品はね」
「そうなんだあ。絶対に、親子で同じ物を、だと思ったのに」
「もしかしたら持っているかもしれないから、母さんに聞かないと、ほんとに
分からない」
「聞いてみてほしいなあ」
「――何なら、小倉さんが直接聞く?」
思い付きで言ってみた。小倉が暦の母親に会ったことは既にあるけれども、数えるほ
どだし、交わした言葉もさほど多くはない(と暦が思っているだけで、いないところで
女同士、どんな話をしているか分からないけど)。場所も、暦の家を除くと、学校で見
掛けた程度。
そのせいか、小倉は少し前に、暦の母親ではなくモデル・風谷美羽に会ってみたい
と、言葉にしていたのだ。
見学に関して母はウェルカム態勢なのだけれど、暦や碧も一緒に仕事があるときがい
いと考えている、そう、明らかに。これは暦にとって、あまり嬉しくない。クラスメー
トに仕事場を生で見られるのは遠慮したい。
(小倉さんが会いたいのは、僕らじゃなく、風谷美羽一人だけなんだし)
そこで、今のブローチの話をきっかけにすれば、母単独の仕事の見学話にうまく持っ
て行けるかもしれないと考えたわけ。
「え、いいのかな。こんなつまんないことを聞くだけで会うなんて」
「別に。他に用事があるときでもいいし。母さんも超多忙ってわけじゃなし、
時間が空いてるときを教えるよ。ついでに、見学も頼んでみたら? ただ、見
て幻滅しても知らないけどさ」
「何で幻滅するのー?」
声が大きくなる小倉。表情を見ると、目を丸くして何やら驚いている風だ。
「小倉さんが憧れてるのは、昔の風谷美羽だろ。この写真と比べたら、今は年
相応に――」
「やだ、暦君」
よほどおかしかったらしく、小倉はいきなり吹き出し、口元を両手で覆った。
それでもおかしくてたまらないようで、今度はお腹を押さえるようにして背を
丸める。
「な、何だよ。そんなに笑わせるようなことを言った?」
「だって」
顔を起こした小倉が、笑い涙を指先で拭いながら答える。
「この写真、最近の撮影のはずよ。本が発売されて二週間ぐらいなんだから」
「え、まじ?」
またもや雑誌を手に取り、今度は凝視してしまった。
「し……信じられん」
若い。メイクとライトの助けはあるだろうし、カメラマンの腕もいいのだろ
う。でもそれらのことをまるで感じさせないくらいに、写真の母は若々しかっ
た。“少女”を演じていると言っていいのかもしれない。
(凄いや。俳優の経験が生きてるのかなー)
脱帽ものだと感嘆しながらも、言葉には出さないでおく。
「まあ、ブローチや見学のことは別としても、次に遊びに行くとき、うちに寄れ
ないかな? 会って挨拶するだけでも」
「……じゃあ、二十四日のときに」
小倉が答える。彼女はデートという表現もあまり使いたがらない。
「あ、結局イブで大丈夫だったんだ?」
「ええ。踏ん切りが付いたというか……」
クリスマスイブに同級生の男子と出かけることに対し、両親がどうこう以上
に、小倉自身の中で迷いがあったようだ。暦は思わず苦笑した。先は長そうだ
と改めて実感する。
とりあえずイブの待合せ時間ぐらい決めておこうとしたところで、予鈴が鳴
り出した。小倉は急いで雑誌を仕舞い、「またあとで」と言った。
寒波に見舞われた十二月二十四日。公園は陽が高くなりつつある今も、まだ
寒い。時折、強い風が吹いて、空っぽのブランコを軋ませて行く。暦以外に誰
もおらず、静かだ。すぐ前のバス停にも、誰も並んでいない。
朝の十時半に待合せをして、夕方五時までに帰る(送り届ける)。健全だ。
中学生だから当たり前だが、実に健全である。
(予定通りに終われば、夜はみんなで外食か)
父の顔を脳裏に浮かべた暦は、これでよかったんだと思った。ちなみに両親
は揃って買い物に出掛けた。姉は姉で、友達と遊びに行くと言っていた。
(それにしても)
腕時計の文字盤に視線を落とす。十時三十五分ちょうど。待ち人来たらず。
(遅くないか? たった五分が長く感じる)
次にバス停に駆け寄り、時刻表に目を向けた。乗る予定のバスは、十時四十
五分発。
お互い、携帯電話を持ってはいるが、まだ番号を教え合っていない。自宅の
番号なら知っている。
(十分経って来なかったら、電話しよう。直接、家に行ってもいい距離だけど、
小倉さんがあんまり来られたくないみたいなんだよな)
今日だって、わざわざ待ち合わせなんかせずに、迎えに行ってよかったのに。
それからまた腕時計を見ようとしたそのとき、小倉が白い息を弾ませて姿を
現した。ほっとした暦の口からも、白い息がこぼれる。ついで、笑みまでこぼ
れた。
そして「おはよ」と言いかけたのだが、それより先に、謝罪の言葉が飛んで
来た。
「遅れてごめんなさい。服、迷っちゃって」
小倉は手を合わせつつも、舌の先をちょっと覗かせ、かわいらしい。白いダ
ッフルコートをまとった姿は、白いウサギみたいだと暦は感じた。スカートか
ら覗く足は素肌のままのようだ。寒くないのかなと心配になる。
「あと一分遅かったら、電話してたところだった」
そう言うと、暦は携帯電話を仕舞ってみせた。すると小倉は、「あ、私から
電話すればよかったんだね」と今気付いたように応じる。
「バスの時間が迫ってたし、ちょっと心配になってたんだぜ。余裕を見ててよ
かった。次からはほんと、電話してくれよ」
「服を選んでたら、そんな暇ないよー。でも、分かった。なるべくそうする。
だから、許してね」
目の前でまた両手を合わされ、暦はようやく気付いた。
「許すも何も気にしてないから。それよりさ、バスが見えた」
目的地の複合施設は、ショッピングよりも趣味・娯楽に重点を置いている。
スクリーン数は少ないが映画館があるし、併設の科学博物館は季節ごとに特別
展示を入れ替える。子供でも自転車で充分行ける範囲にあるが、今日はバスと
徒歩。いつもより時間を要し、到着した。
混雑は覚悟していたので、相当な人混みにも気後れしない。かき分けるよう
にして、まずは映画館を目指す。幸い、映画館に向かう人の流れができていた。
「次の上映は……十一時三十分」
間に合ったことを確認すると、チケットを買うために窓口に並ぶ。暦は小倉
に、グッズ売り場を見ていていいよと言ったのだが、彼女は一緒にいることを
選んだ。
「だって、はぐれでもしたら……」
「三分ほど、そこからそこの距離で、はぐれるわけないってば」
「でも」
小倉の手が、暦の服の袖をぎゅっと掴む。手をつないだり、腕を組むまでは
しない辺り、彼女らしい。
そうこうする内に行列は消化され、暦達もチケットを買った。もちろん、学
生割引。
「上映が終わるのは何時頃ですか」
ついでに窓口の人に聞くと、十三時五分頃となっていますという返事。やや
遅めの昼食になる。
「食べ物や飲み物、何か買っておく?」
窓口を離れ、館内に入る前に、小倉に尋ねた。コートの前ボタンを外しなが
ら、彼女は迷う風に首を傾げた。
「食べるのはあとかな、やっぱり。飲み物だけにしよっか」
「買ってくる。何がいい?」
暦の質問に、小倉は少しふくれっ面になった。
「一緒に行く」
ああ、そうか。最前のことをもう忘れてしまっていた。頭に手をやり、反省
する。
(親切のつもりで言ってるのにな。ずっと一緒にいられるのは嬉しいものの、
その理由が『はぐれると怖いから』じゃあ、嬉しさも半分)
内心ぼやきつつ、コーヒーとゆず茶をそれぞれ買って、券面にあるスクリー
ン番号へ向かう。
「私、映画は一年ぶりぐらい。暦君は? 忙しいから私より久しぶりなのかな」
「そんなことない。同じぐらいだよ。前は小学生のとき、姉さんと行ったっけ。
アニメだった」
「ふうん。どんなアニメ?」
題名を答えると、「それ、私も観たわ」と返事があった。
座る直前、小倉はコートを脱いだ。下は淡いピンク色のワンピースだった。
暦の視線を意識したか、彼女が「どうかな?」と聞いてくる。
「似合ってる。小倉さんのイメージにぴったり」
「よかった」
「コート、持とうか?」
「え。いいよいいよ。大丈夫」
腕の中でコートを二つ折りにすると、膝上で小さく抱えるようにした。
(いいところ――ってほどでもないけど――をなかなか見せられない。まあ、
楽しそうにしているならいいか)
明かりがじわじわと落ちて、館内が暗くなる。近日上映作品の予告が始まっ
た。
〜 〜 〜
時刻は午後一時を少し回ったところ。暦と小倉は、施設内のファーストフー
ド店にいた。お昼を食べながら、観たばかりの映画の感想で盛り上がる。
「結構よかった」
小倉に聞かれて、そう答える。今日の映画は、小倉のリクエストに合わせた、
少女漫画原作の恋愛物。そのせいか、彼女は暦が退屈したんじゃないかと気を
揉んでいたようだ。
「本心から言ってる?」
「元々、少女漫画、嫌いじゃないよ。割と読む方。姉さんが持ってるのを借り
てさあ」
「そういえば碧さんと、少女漫画のことでお喋りしたこと、何度もあるわ。さ
すがに暦君が読むかどうかまでは、話題に出ないけれどね。どんなのが好き?」
「ジャンルは何でもかまわないけど、ありがちな展開の方がいいな。奇を衒っ
たようなのは、敢えて読む気はしない。どぎつい描写があるのも」
「今日の映画はぴったりだったね」
「そういうこと。次に映画を観るときは、僕の希望を優先で」
「案外、似たような恋愛物だったりして」
微笑すると、小倉はストローで飲み物をすすった。手元のトレイを見ると、
まだ食べ残しが結構ある。暦も小倉ほどではないが、似たり寄ったりの食べ具
合だ。話に夢中になったというよりも、互いに相手を意識して、食べ方がお上
品になっているようだった。
それでもどうにか完食して済ませると、ほとんど時間をおかずに店を出た。
次は科学博物館だ。
もうすぐ順路が終わろうという頃になって、彼女の口数が減ったことに、暦
は気付いた。
科学博物館の特別展示は、人工衛星と宇宙をテーマにしたものだった。興味
深く観て回り、元々宇宙の話が好きな暦は無論のこと、小倉も目をきらきらさ
せて隕石の標本に見入る等していたのだが。
「飽きた?」
出口を抜け、お土産店の前で聞いてみた。陳列棚のフックから下がるキーホ
ルダーに、ゆっくり歩きながら触れていた小倉は、びくっとして立ち止まった。
振り返った顔も、どこかびっくりした風。
「そんなことないよ。面白かった」
「それならいいんだけど。何だか、喋らなくなったなあって思ったから」
「……暦君て、本当に碧さんと仲がいいよね」
「は?」
一瞬、絶句。その間に小倉は、博物館の出口に近い壁際に移動した。すぐに
着いていく。彼女は暦の顔をちらと見、視線を外した。後ろ手に手を組むと、
壁にもたれてから口を開く。
「映画の前もあとも、話に碧さんが出て来た。さっき、展示を回ってるときだ
って、『昔、姉さんと』どうこうっていう言い方がたくさん」
「それはまあ、小学生のときは、姉さんと一緒か、でなきゃ家族揃ってが普通
だったから」
思い出話に姉がしばしば登場するのは当然、というつもりで答えた暦だった
が。
「この前だって、一緒に買い物してたよね。でも、私は比べられている気がし
て、居心地よくなかった」
「え」
ぽかんとする暦。そういうものなのか。他の女子の話をしたのなら分かるが、
実の姉の話もだめなのか?
「碧さんはこの歳でモデルをやるくらいきれいで、素敵なスタイルをしてる。
正直言って、うらやましい。暦君自身もモデルをしてるから、きれいな女の子
のモデルが近寄ってくるだろうし、お母さんもきれいな人だから、きっと目が
肥えているのね。比べられたら、かなわないな」
おいおい、と内心焦る暦。対象は姉一人だったはずが、範囲を広められてし
まった。
「そんなこと、全然思ってない」
真剣な表情、真剣な口調で言った。こちらを向いていない小倉に、どれほど
伝わったろうか、不安は残る。暦は彼女の顔の正面に立った。
小倉が潤んだ瞳を合わせてくる。
「信じられない。プレゼントを贈るほど、碧さんと仲がいいじゃない。罰ゲー
ムって言ってたけれど、結局、プレゼントでしょ、あれは」
「違う」
即答する暦。
「プレゼントなのは確かだけれど、あれは姉さんに渡す物じゃなくて――」
コートの左ポケットに手を入れる。包みに悪い影響を与えないよう、柔らか
く掴んで、慎重に引っ張り出す。もっとあとで渡す予定でいたが、今はこのタ
イミングで渡すべき。レンアイでの臨機応変は苦手だが、このくらいの判断は
できる。
「小倉さん。君に贈るために選んだんだ」
片手で差し出すと、急に気恥ずかしさがこみ上げてきた。
「……嘘っ」
小倉は両手で口元を覆い、くぐもった声で反応した。早口で応じる暦。
「本当だってば」
「でも、あんな大人っぽいデザイン、碧さんなら似合うだろうけれど、私には」
「そんなことはない。小倉さんにこそ似合う」
「……信じていいの? 本当にそう思ってる?」
この時点でやっと受け取ってくれた。ほっとした暦は、苦笑いを浮かべて、
「モデルやってる二人が選んだ物なんだ、絶対に似合う。信じてよ」と答えた。
そして急ぎ気味に付け足す。
「何だったら、ここで着けてみなよ」
「えー、でも、アクセサリーと服って組み合わせもあるし」
小倉は不安を払拭できて、機嫌を直したらしく、弾んだ声に戻っている。
「どんな服と組み合わせても、小倉さんには似合う」
多分。
「さっき、誰にメールしてたの?」
バスを降りたとき、ふと思い出したように小倉が尋ねてきた。
「父さんに。最初に言っていたより早く終わっちゃったって、一応、言ってお
かないとね」
予定より少し早かったが、太陽が完全に沈む前にバスで戻ってこられた。
「ああ、このあと、親子揃って夕飯なのよね。私は家でだけど、おんなじ」
首肯する彼女の胸元には、月の形をしたブローチ。時折、光を反射する。バ
ス停から小倉家までの道すがら、歩調に合わせて小さく揺れる。
「碧さんにもお礼を伝えてね。次に会ったとき、私も自分で言うけれど」
「姉さんにお礼?」
「暦君のブローチ選び、手伝ってくれて」
「そういうことね。あの……単刀直入で何だけど、気に入った?」
道路側を歩く暦は、隣の小倉の胸元、そのブローチを一瞥した。小倉は白い
歯を覗かせた。
「うん」
「買った次の日、小倉さんが雑誌持って来て、全体がトルコ石のやつを見せた
だろ。あのときは焦った。見劣りするなあって」
「そんなことないわ。大切に使うって約束する」
「よかった」
「逆に、私のプレゼントが見劣りしちゃって、申し訳ありません」
「いえいえ、とんでもない。君からもらえるだけで充分です」
すでに一度行われたやり取りを、笑い声を交えて繰り返す。
暦も小倉からクリスマスプレゼントをもらった。彼女へのプレゼントと入れ
替わりに暦のポケットに収められたそれは、まだ開けられていない。
「全体がトルコ石のブローチも、いつか」
「うふふ。私はそのときまでに、ブローチが似合うレディになっておけばいい
のね」
目的とする家並みが見えてきた。小倉の家までの距離が縮まるのに反比例し
て、二人の歩みは遅くなっていた。が、そろそろ限界のようだ。
「じゃあ――今の時季、こういうときの挨拶って何て言うんだろ。よいお年を、
かな?」
「あ、あの、暦君。初詣、一緒に行かない? 大晦日の夜からというわけには
いかないと思うけれど……」
家まであと数メートルの地点。立ち止まった小倉の口から、思いがけない提
案がされた。暦はすぐに返事した。
「初詣? 行きたい」
「だったら、また年内に電話する。そのとき、都合が付くかどうかも含めて、
決めましょ」
「了解。じゃあ――メリークリスマス、だな、やっぱり。今日はまだ二十四日
なんだし」
「うん、メリークリスマス。今日はありがとう。えっと、お家の人によろしく
ね」
「僕の方こそ。あ、母さんに会うのはまた別の日にってことで」
「いつでもいいよー。暦君の家に行く口実に使うかも」
遠ざかりながら手を振る暦に、小倉も同じようにしながら、そんなことを言
った。
(やれやれ。本当に両親がうるさいんだろうなあ。昔、うちに泊まったのも水
害で緊急事態だったのと、あくまで同級生の女の子――相羽碧の家に泊めても
らう、というのが向こうの両親の認識だったに違いない。今日のデートは特例
中の特例ってところか)
もしかしたら、今日出掛ける用事について正直には伝えずに、親のOKをも
らったのかも。だったら……嬉しい。暦は想像した。
そうして自宅に戻るべく、角を二度ほど曲がったところで、突然、聞き覚え
のある声が背後から届いた。
「別れ際にキスでもしやしないかと、緊張しちゃったわ」
「――母さん?」
振り返ると、車の助手席から、窓を下げて顔を少し傾けている母の姿が目に
飛び込んできた。運転席の方には、もちろん父が。
「見てたの? 人が悪いや」
安全確認をしてから道を横切り、暦は言った。何となく、ばつが悪い。
「いいデートだったみたいね、暦。乗りなさい」
「ここにいるって、どうして分かったのさ」
質問への返事は、暦が車に乗って、ドアをきちんと閉めたあとに。
「暦、お父さんにメールを送ったでしょう。だいたいこの辺りにいれば、最後
の場面を目撃できるかなと踏んだの。当たってよかったわ」
「……予定していた最終手段が必要なくなったことだけ、母さんに伝われば充
分だったのに」
プレゼントを渡す段取りとして、成り行きからうまく行く自信が持てなかっ
た場合、母に助け船を請うつもりでいた。風谷美羽ファンの小倉なら、当の風
谷からプレゼントを渡されるのが一番嬉しいだろうという読みである。
尤も、計画を母に話したとき、そんなことしなくても大丈夫よとお墨付きを
与えられていた。その時点では懐疑的だった暦も、今となっては納得している。
「さ、少し早いけれど、碧を迎えに行こうか」
父の言葉に、暦は慌てて要望を出す。
「あ、待って。家に寄ってほしい」
「何か忘れ物? それとも着替えたいとか」
「そうじゃなくて……いや、そういうことにしとく」
もらったばかりのプレゼントを、見つからない内に部屋に隠しておかないと。
暦はポケットの上から、改めてその感触をそっと確かめた。
――おわり