AWC ホテル・カリフォルニア 1     つきかげ



#344/598 ●長編
★タイトル (CWM     )  09/08/11  01:30  (379)
ホテル・カリフォルニア 1     つきかげ
★内容                                         09/08/11 01:39 修正 第2版
冬の空みたいに蒼い海が、世界を覆っている。
清洌な、哀しさすら漂わす冷たい蒼。
海は蒼に身を包み、寒々と横たわっている。
そのホテルは、海の中にあった。
古代の遺跡のようにあるいは中世の城塞みたいに灰色の武骨な外見を晒す建物。
潮が引いて、海が浅くなったときにだけ。
そこにいたる白い道が海の中から姿を顕す。
海の中から浮き上がる、白い骨のような。
真直な道が。
蒼い海の中に浮き上がる。
そしてその道を通って岸壁にたどり着くと、そこに螺旋状に刻まれた回廊を見出すこ
とになった。
巡る回廊を通り抜け、城壁のような壁に囲まれた道を進むと。
大きく頑丈な木製の扉へたどり着く。
そこには、こう刻まれている。

「ホテル・カリフォルニア」

この世で最も残酷な生き物は子供に違いない。
だってそうじゃないか。なんでやつらは、僕を殴るんだよ。
意味もなく。
へらへら笑いながら。
挑発するように、
いたぶるように。
露出している部分にあざが残らないよう注意深く。
まるでこころを傷つけるためみたいに。
殴る。
殴る。
ああ。こんなこと考えている場合じゃあない。
僕はもう眠らないと。明日までに。こころと身体の痛みを快復させて。
うんざりするような。
そう、マンガの中でのできごとみたいに現実感がなくバカバカしく。
それでいて耐えがたい苦痛に満ちた、生きるために全ての気力を振り絞らなければい
けないような。
日々に立ち向かわないといけない。
多分、あれだぜ。
ピラミッドを造った奴隷たちだって、こんなにしんどくは無かっただろうと思う。
僕の日々に比べれば。
僕は、
布団に横たわり。
ああでも、子供が残酷というのなら僕も残酷ってことなんだ。
と思いつつ。それはないよなと思いつつ。
そのとき。
突然僕はその声を聞いた。
(やあ、はじめまして)
僕はびっくりして、あたふたする。
なんだよ、誰なんだよ。頭の中に直接話しかけるなんて、一体だれ。
(いや、僕はきみで、きみは僕。そして僕は人力コンピュータ)
へえ、きみは僕なんだ。なるほど、それで僕の頭の中に直接、て、人力コンピュータ
!?
なんじゃそりゃあ。
(コンピュータの歴史を考えると、人力で動いていた時代のほうが長い。それこそ紀
元前から手動でコンピュータは動かされてきた。それはさておき、もうひとり、僕そ
して、きみがいる。失われた、大切なものを探しにいこうとしているきみ、そして僕)
なんの話だよいったい。
て、いうかさ。
そもそも、なんの用があるの、人力コンピュータ。
(終わりが始まる。そして、きみはたどりつく。ホテル・カリフォルニア)
なんか。
僕は夢見心地。
そこは、空の上。
下には、海がひろがっている。
蒼い海。
そして、その海を貫く白い道を。
僕がきみが。
歩いてゆく。
まっすぐ。
ずっと。

君は。
蒼い夜空を横切る白い銀河みたいな。
その道を歩んでゆく。
世界は哀しいほど澄み渡った蒼に満たされて。
ただ。
君の足元の道だけは、塩のように白い。
かつて神の怒りに触れた街が滅ぶのを見たひとが、その屍を塩の柱と化したというけ
れど。
その塩と化した屍が続くようなその道を。
君は。
歩んで行く。
巡礼者のように、フードのついたマントを身に纏って。
両の瞳は分厚いゴーグルで覆い隠し。
灰色の影となった君は。
蒼い世界に浮かぶ灰色の城塞へ、たどり着く。
君は。
螺旋を描く回廊を、黄昏をさまよう幽鬼のように静かに歩んで行くと。
その扉にたどり着く。
その頑丈な木の扉には、こう書かれている。

「ホテル・カリフォルニア」

君は。
その扉に手をかけた。その時。
鐘が鳴り響く。
ああ。
今まさに。
世界が終わることを歎く弔いの鐘のように。
美しく、鳥肌が立つように荘厳な。
そう、それは城塞のような建物に相応しい原始の司祭が祈りを唱えるように戦慄的に。
鐘が鳴り響く。
君は扉を開いた。
薄暗く広いその玄関ホールに。
悪魔のように黒衣を纏った初老の男が立っている。
黒い男は黄昏みたいに、そっと笑い。
こう言った。

「ようこそ、ホテル・カリフォルニアへ」

その言葉と同時に君の背後で軋み音をたてながら。
大きな扉は閉ざされる。
まるで。
棺桶の蓋が閉ざされるように、重々しい音をたてて。
ずしりと。
この世界の綻びは修復され永遠に。
閉ざされた。

君は。
玄関ホールの中へと入ってゆく。
マントのフードをぬぎ、さらさらと揺れる細く真っ直ぐな髪を顕にする。
小鹿のようなつぶらな瞳や、エルフのように華奢な身体はゴーグルとマントに隠され
ているが。
少女のように繊細な作りの唇や顎の線はさらけ出されている。
君は。
呟くように、目の前にいる黒い男に話し掛ける。
「どうして」
男は魔物みたいに口の両端を吊り上げて笑い、言葉を促す。
「そんなふうに、笑うのですか?」
男は表情を変えず、問い返した。
「お気に召しませんか」
「だって」
君は。
儚ない花びらのような唇を少し震わせながら、言った。

「怖いじゃあないですか」

男はすっと、笑みを消した。
そして彫像のように無表情になると、優雅に一礼する。
玄関ホールは洞窟みたいに薄暗いが礼拝堂のように広く、天井が高い。
男はその玄関ホールの奥へ、ファウストを案内するメフィストみたいに君を差し招く。
男は奥にあるカウンターの中に入ると、芝居の台詞みたいにくっきりと言った。
「お名前を頂戴できますか?」
君は。
少女のように俯きながら、けれどはっきり答える。
「野火・乃日太といいます」
男は満足げに頷く。
「ではすぐにお部屋をご用意しますが、それまでの間お飲みものでも如何ですか」
君は。
答える。
「では、ホットミルクを」
男は少し眉を上げる。
「そのようなスピリッツはございません」
君は困ったような笑みを浮かべる。
「スピリッツじゃあない。ホットミルクだよ」
男はそっと。
頭を下げた。
「わたくしどもはスピリッツ以外のお飲みものはご用意できません」
君はため息をつき。
その場を離れる。
君は。
玄関ホールを抜けると中庭に出る。
真冬の空みたいに灰色の壁に囲まれた中庭は。
中央に噴水があり。
周囲に緑なす木々が繁っていて。
そこは半ば自然のままであり、半ばひとの手によって造り上げられたもののようで。
不思議な混沌と。
静謐な秩序とが。
調和を取り合って成立している場所であった。
君は。
石柱が立ち並ぶ庭園の入口から。
噴水近くを眺める。
そこには。
黒衣を纏った男女がおり。
野生の獣みたいにしなやかで美しい動きを見せながら。
美しい旋律を持ったコンチェルトみたいなダンスを踊っていた。
空はいつしか深い藍に染め上げられ。
日は音もなく退場したようで。
酔い心地に浮かれた黄昏れの空気があたりを包みこんでいる。
君は。
突然。
氷の刃を押し付けられたみたいな殺気を背中に感じて。
後ろを向く。
その手には。
骨のように純白の巨大な拳銃が握られている。
魔法のように。
拳銃は突然手の中に出現したように見えた。
君は。
声をかける。
「どうして、そんなふうに僕をみるのです」
か細いけれど。
冬の陽射しみたいに凄烈な声で。
君は言った。

「怖いじゃあないですか」

石柱の影から女が姿を顕す。
グレーのジャケットを身につけた。
長身の女は精悍な笑みを浮かべながら自然体で君に近づく。
「悪かったよ。君があまりに剥き出しだったから試したくなったんだよ」
女は君のすぐ前に立つ。
君が手にした、拳銃をゆびさす。
「見せてくれないか、その銃を」
君は。
純白の拳銃を女の心臓につきつけたまま。
静かに問いかける。
「あなたは、誰なんです」
女は。
吐息を吐くように、そっと笑った。
「君と同じ。このホテルの客だよ。入ることはできるけれど。出ることの叶わない。
裏返って閉ざされた場所。そこの囚われ人。君と同じだよ」
君は。
手にした拳銃をくるりと回して。
銃把を女のほうへ向けた。女は満足げに笑みを浮かべると、銃把を手に取る。
女は、その五連式輪胴断層の拳銃を手にした。
「バントラインスペシャルなみだな、この長銃身は」
女はトリガーガードのレバーを操作し、中折れ式の銃を折り弾倉から銃弾を取り出す。
女は低く口笛を吹いた。
「驚いたな。これは375口径、ホーランド&ホーランドマグナム。エレファントキ
ラーじゃないか」
女は銃を畳むと、君に戻す。
「猛獣狩り用のライフル彈を拳銃で使うなんて。ライフルで撃ったとしても素人であ
れば鎖骨を骨折するといわれているが。それを拳銃で発射するなど正気の沙汰とはお
もえない」
女は喉の奥で笑う。
「これを撃てば手が裂けても不思議はない」
君はゴーグルで表情を隠している。
女は問いかけた。
「なぜこんな大きな銃を使う」
君は純白の拳銃を腰のホルスターへ戻すと。
可憐な唇を震わせながら。
女に答える。
「だって」
君は、少し俯いて、でもはっきりと言った。

「怖いじゃあないですか」

女は。
驚いたように眉をあげる。
「357マグナムや44マグナム。いえ。50口径のマグナムだって」
君はゆっくりと言った。
「確実に殺せるとは限らない」
女は。
ゆっくりと頷く。
「エレファントキラー。確実に死を与えることができる。だから僕は」
君は、少し微笑む。
「少しだけ安心するんです」
女は。
納得したように頷く。
「では君もあのディナーにでるつもりなんだな」
君は。
少し苦笑の形に唇を歪めて、答える。
「あれをディナーと呼ぶのであれば、そうですね」
空を見上げる。
藍に染まった空は。
次第に昏くなってゆき。
逢魔が刻を迎えつつある。
薄明の中で、黒衣の男女たちは優雅に踊っていた。
そして。
夜はゆっくりと降りてくる。

僕は夢の中。
君がホテルの中で交わした会話も夢で聞いた。
そして。
今は誰かの泣き声を聞いている。
誰なんだろう。
そんなに泣くことはないのに。
きっと悪いことばかりじゃないよ。
いいことって。記憶に無いけれど。まあ、大丈夫さ。
てな感じでいい加減なことを言っていたら。
ふっと目がさめた。
僕は驚いて息を呑む。
「えっと、お母さん?」
暗闇の中。
微かな月明かりに。
お母さんの姿が浮かびあがっている。
その手には、冷たい金属の輝きを放つものが握られて。
えっと。
それって包丁。
ちょっと。まてよ、おい。だめだって。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ」
僕は叫んで横に転がる。
包丁は布団に突き立てられた。
僕は、必死で窓から飛び出す。
無我夢中で、窓辺の木に抱き付くと、下まで滑り降りる。
なんだよ、一体。
どういうことなんだよ。
夜の庭。
気配を感じて僕は振り向く。
真っ黒な男の影。
男が動いて、月明りを浴びる。
「お、お父さん……」
お父さんの手には、金属の棒が握られている。
多分。
ゴルフのクラブというやつだ。冗談じゃあない。そんなものを振り回して。
「ひいいっ」
僕は辛うじて尻餅をついて、フルスイングを躱す。ごきっ、と音がしてクラブは木に
激突し、へし折れる。
僕は、塀に跳び上がると、道路に出る。
そして走った。走った。走った。
心臓が喉から飛び出るかというくらい。
犬のように。
走った。走った。走った。
僕は、限界がきて、膝をつく。
汗が噴きでる。喉に火がついたように激しく息をした。吐息が炎みたいだ。
奇妙な夜だった。
声に成らぬ叫びが。
おーーーんと。
おおおーーーんんと。
無音のまま、夜に響き渡っている。
それは、夜を恐怖と不安の色に染め上げた。
でも。
それは僕にとって母親の膝みたいに。
とても馴染があるものだ。
そう。
僕の日常には、不安と恐怖が満ちあふれている。
僕は、学校で殴られながら。こう囁かれる。
(おれが本気だして殴ればよう。お前の内臓は破裂するするぜ)
そして、腕の関節をきめられてこう囁かれる。
(おい、このまま折ってもいいんだぜ。そしたらお前。どうするのかなあ)
そんな。
不安と恐怖がいつも僕とともにあって。
だから今、それが街じゅうに溢れているので。
これって僕のこころがそののまま夜を塗りつぶしたってことじゃん。
なあんて。
思うんだけれど。
「野火くん」
いきなり声をかけられ、僕は顔をあげる。
「み、水無元さん…?」
そこには。
ラプンツェルみたいに髪の長い。
妖精みたいな美少女が。
蒼ざめた顔をして立っていた。
僕と同じパジャマのままで。
荒い息をして。
立っていた。
僕は立ち上がると。
水無元さんの前に立つ。
こんなときでも水無元さんは石鹸のいいにおいがして、僕は少しどきどきした。
「ねえ、野火くん。あなたも街のひとたちを見た?」
え、街のひと……?
「知らない、なんのこと?」
水無元さんは、整った顔を少し曇らせる。不思議の国で道に迷ったアリスみたいに。
「みんな、おかしいの。まるでそう、あれは」
「あれは?」
「ゾンビみたいなのよ」
げげっ。
そんな、そんなことが、あるんだろうか。
僕にとって日常はいんちきで、でたらめで。
マンガの中のできごとみたいに。
馬鹿馬鹿しく過ぎてゆく時間なのだけれど。
でも怪奇映画になってしまうなんて。
そりゃあいきすぎだぜ、と思ったら。
水無元さんの顔が。
月明りの下で。
川に墜ちたオフィーリアみたいに、蒼褪めてきている。
僕はゆっくりと振り向いた。
そこには街のひとたちがいる。
なるほど、ゾンビだね。こりゃあ。
焦点の合っていない目。
ぎこちない動作の歩み。
僕は、髪の毛が逆立つような恐怖を感じる。
なるほど。夜を支配していた恐怖はこれだったのかと。
僕は思う。
「逃げよう」
僕は水無元さんの手をとって、走り出す。
でも。
僕も水無元さんも裸足でその足は傷だらけだったから。
そんなに速くは走れない。
ゾンビみたいになった街のひとたちも、速く走ることはできなさそうだったけれど。
でも、僕等は次第に追い詰められていった。
そのとき。
水無元さんが、前方の坂の上に立つ人影を指さした。
あれ。
あれは。
夢の中に出てきた。
君で、僕で、彼じゃないか。
灰色のマントを纏って、フードを被り。ゴーグルで目を隠した。
僕で君でそして彼は。
叫んだ。
「ここまで、走れ。全力で」




#345/598 ●長編    *** コメント #344 ***
★タイトル (CWM     )  09/08/11  01:32  (407)
ホテル・カリフォルニア 2     つきかげ
★内容                                         09/08/11 01:41 修正 第2版
僕は水無元さんの手を掴むと。
走った、走った。
足が痛いけれど。
叫びながら走る。水無元さんのあえぎが耳元で。少し心が痛い。
おん、と。
無言の叫びが。
恐怖の津波が。
背後から押し寄せる。
僕は肩越しに後ろを少し見た。
鬼火のように。
目が月明かりに輝いて。
ぎこちない舞踏のように身を揺らせながら。ひとびとは僕らに向かって迫ってくる。
それは具現化した恐怖の波だった。
僕はそれに戦慄を感じながらも、魅了される。あれは僕の世界。僕の属する場所。
そっちじゃあない。
おまえのいる場所は、こちら側だと。
呼ばれている。
「振り向かないで」
君は彼は、そう叫ぶと。
僕らの頭越しになにかを放り投げる。
一瞬、背中が真昼のような光に照らされた。
そして、轟音が落ちてくる。
僕らはようやく君の彼のそばへ着く。
「僕の後ろへ、スタングレネードで一瞬は動きがとまるけど、ほんの少しの時間稼ぎ
だ」
「あの、君って僕?」
僕のへんな質問にゴーグルの君は頷く。
「量産型N2シリーズだ、僕は」
君、量産型N2は真っ白な拳銃をぬく。
そう、それは。
エレファントキラー。
猛獣狩りのライフル弾を撃つ拳銃。
光と轟音が消えると。
彼らはまたぎこちなく走りだす。
君は撃った。
落雷のような、ほとんど物理的な力で頭をぶん殴られるくらいの轟音が。
鳴り響く。
その圧倒的パワーは死神の振るう鎌のように。
殺戮の天使が薙ぐ剣のように。
ゾンビたちを打倒した。
僕はその力に陶酔し。
知らないうちに勃起していた。
量産型N2は、トリッガーガードのレバーを操作して、銃身を折り空薬莢を捨てる。
同時にスピードロッダーを使って375H&H彈を5発装填し、銃身を戻す。
それを、君はコンマ数秒でやってのける。フィルムの早回しみたいだし、手品のよう
だ。
再び、エレファントキラーは象をも殺すという凶悪な銃弾を吐き出す。
5発を撃ったはずなのに、銃声はひとつにしか聞こえない。一度だけの獰猛な雷鳴。
エレファントキラーは凄まじい力をゾンビたちに振るう。
銃弾は身体の一部を鷲掴みにしてもぎとっていくかのようだ。
頭にあたれば、頭ごと消失し、胸にあたれば、胸が吹き飛ぶ。胴にあたれば、胴が引
きちぎれ、手足にあたれば、手足がもがれる。
君は、立て続けにエレファントキラーを撃ち、装填する。
マシンガンを撃っているように銃弾が途切れることはない。
おそらく、エレファントキラーの反動は凄まじいものがあるはずなのに。
量産型N2は、僕と同じ華奢な手で恐竜のようなパワーを持つ銃を操っている。
エレファントキラーは、君の手の中で死の歌をうたい、破滅の舞踏を踊っていた。
君はただ。
そのサイクロンのように暴れ狂う力の中心にいて。
死の矢を放ち続けるだけだ。
僕も。水無元さんも。
ただ呆然とつったって、その異様な殺戮を眺めていた。
ゾンビと化した街のひとたちは。
身体をめちゃくちゃに蹂躙されたというのに。
動き続ける。
頭を失っても。
這い回る。
彼らは死者であって死者ではなく、生者であって生者ではない。
動く恐怖。
僕と同類。
あるいは僕の一部。
あっという間に。
夜の街路は、破壊された動く死体で埋めつくされる。
やがて、二本足で立っているものはいなくなった。
「行こうか」
君は。
量産型N2は。
僕等を促し歩き始める。
「ねえ、量産型N2」
僕は君を追いながら、尋ねる。
「何があったんだよ、一体」
「2300時にT.ウィルスが月見ヶ原一体に散布された」
「何そのT.ウィルスって」
君は。
天気の話をするみたいに穏やかに語る。
「ひとをゾンビ化するウィルスだよ」
げっ。
げげっ。
「じゃあ、僕もゾンビになっちゃうの」
「君はN2シリーズのオリジナルだ。抗体を持っている」
「じゃあさ、じゃあさ」
水無元さんを見る。
水無元さんは月の光の下。妖精みたいに可憐だけれど。
死体みたいに蒼褪めていた。
「水無元さんはどうなの」
「彼女のことは知らない。でもたまにT.ウィルスに感染しないひともいるみたいだ」
そんな偶然ありかよ。
とか思う。
でも、考えてみたってしかたない。
現実を、
それがどんなにでたらめであっても。
とりあえず、受け入れるしか。
「ついた、ここだ」
君は、月見ヶ原にある地下鉄の入口を指さす。
月見ヶ原の街は閉ざされている。
南側は大きな川が流れており、歩いて渡れる橋はない。
北側にはとても23区内とは思えないような、大きく昏い森がある。
そして、東と西には大きな工場の後地があって、ずっと工事していた。
東西南北、どちらへ行っても歩いて街から出るのはとも難しい。
街から出たければ。
車で南側の橋を渡るか。
この地下鉄を使って出るかだった。
僕の家には車がないので、外に出るのはいつも地下鉄だ。
年に何回かは地下鉄を使ってもっと大きな街へゆくことがある。
月見ヶ原の外に出たときの記憶はとても曖昧だ。
何より僕ひとりでは出たことがないので、行き方もよく覚えていない。
その地下鉄の駅は。
もう深夜を過ぎており、間違いなく終電は出てしまっているのだろうけれど。
地下へと続く階段にはシャッターが降りておらず。
心許ない照明がまだついていた。
「さあ、行くよ」
量産型N2は、僕と水無元さんを促して。
地の底へと向かうような階段を下ってゆく。
やがて。
僕等は洞窟のように薄暗く開けた空間にでる。
地下鉄のホーム。
それは闇の大海に浮かぶ小島のように。
暗闇の中に白く照らされていた。
ホームの壁にある時計は午前三時を示している。
「そろそろ、くるころだ」
え、と僕は量産型N2に問いかける。
「何がくるっていうの」
君は。
量産型N2は。
漆黒に塗りつぶされたような、暗いトンネルを指さす。
その奥に、光が灯る。真冬の夜空に輝くポーラスターみたいに冷たく冴えている光。
それは次第に大きくなってゆき。
やがて、流線型の汽車が姿を顕した。
それは、獰猛で凶悪な爬虫類を思わせる。
奇妙に滑らかで流線型をした姿で。
ため息をつくように、静かな音を立ててホームに止まった。
ごとんと。
扉が開く。
「乗るよ」
僕等は量産型N2に促されて電車にのる。
四人がけのボックスシートに僕等は座った。君と迎えあわせて。水無元さんと僕が隣
り合わせに。
そして、またこどりと音を立てて扉は閉まり。
汽車は走り出した。
真夜中の地下鉄。どこに向かうのか判らない、その汽車は。
暗闇を切り裂き彗星のように地下を駆け抜けてゆく。

僕はその汽車の中で君に問いかける。
「ねえ、聞いていいかな」
君、量産型N2は首を傾げる。
「なんだい」
「君は僕なんだよね」
その奇妙な問いに。
君は薔薇の花びらみたいな唇を綻ばせると、そっと笑った。
「そうだよ。君は僕。僕は君だ」
「そうなんだ。じゃあさ。あのホテル・カリフォルニアに行った君も僕で君で、量産
型N2なの?」
君はそっと首を振る。
「彼は量産型ではないよ。特殊仕様でプロトタイプ一号だ。プロトワンと呼ばれてい
る」
「へえ」
僕は感心して目を丸くした。
「プロトワンと君はどう違うの」
「恐怖の質さ」
君は即答する。
「プロトワンの恐怖は、オリジナルである君に限りなく近い。深くて昏く。絶望より
無惨で。望みを根こそぎ刈り取るような。真っ暗な恐怖」
水無元さんが、あきれて微笑む。
「野火くんは、そんなに怖がりなの?」
僕はえへへと笑ってみせる。
「まあね。恐いよ」
僕は量産型N2を見るとさらに問を投げる。
「どうして僕が三人もいるの? それに君は量産型だということは。もっと沢山僕が
いるということなんだ」
「ああ、僕等はオリジナルである君をコピーして造られた」
げっ、コピーだって?
「それってコピー機でコピーとるみたいに複製したってことなの?」
量産型N2は、くすりと笑う。
「今僕等はそれを説明してくれるひとのところに向かっている。説明は彼に任すよ」
「え、誰?」
量産型N2は穏やかに笑って言った。
「彼もまた、君であり僕である。その名は。人力コンピュータ」
「ええっ?!」
突然。
がくんと。
汽車が停止する。
「着いたの?」
「いや、真空チューブの中に入った。これからリニアモーターシステムに駆動される」
君は相変わらず、穏やかに笑っている。
「すぐに超音速に達する。そうすれば、じき目的地につく」
汽車は。
ジェットコースターみたいに加速したけれど。
音もなく揺れもなく。宇宙空間を飛ぶように静かだった。
そして、やがて。
汽車は音もなく減速して、線路の上を走り出す。
ようやく。
目的地についたようだ。
「さあ、ついたよ」
僕等は汽車を降りる。
そこは地下の建築現場みたいなところだった。
フェンスで囲まれ、その向こうには向きだしの鉄骨に鉄パイプが組まれており。
そして、そこが巨大な自然の地下ドームであることは窺い知れた。
僕等はその地下ドームの中を歩く。
通路の両脇はフェンスで囲まれていた。
そして。その建物が姿を顕す。
それは。
石でできた寺院のような建物。
灰色で陰鬱で物凄く歴史を感じさせる、ある意味廃墟みたいな。
その建物の前に僕等は立ち止まった。
「さて」
量産型N2はその建物を指し示す。
「あそこの中に人力コンピュータがいる。彼が全てを説明してくれるよ」
進もうとする僕等に、君は声をかける。
「ああ、人力コンピュータにはひとりで会いたまえ。水無元さんは、僕とここで待と
う」
「どうして?」
「僕たち以外が知る必要の無い秘密があるからさ」
水無元さんは、肩をすくめる。
「行ってらっしゃい、野火くん」
僕はため息をついて、水無元さんに手を振ると。
重い石の扉に手をかけた。

ホテルは夜に覆われた。
夜空はとてもとても。深い藍となった。それは深海の青さ。その無限に近い深みを持
つ藍の空に。
ダイアモンドの欠片みたいな星々が瞬いている。
君は。
石柱の並ぶ中庭を抜け。
食堂のある棟へと向かった。
君は。
食堂のある広間へと入る。
そこは目が眩むように豪華な場所であった。
天井には天使が智天使舞い飛ぶ壁画が描かれている。
そして、光の宮殿みたいなシャンデリアが吊るされていた。
広間の中心では。
優雅な真紅のドレスを着た女たちと。
漆黒の獣みたいに黒衣の男たちが。
くるり、くるりと。
輪を描きダンスを踊っていた。
「よお、遅いじゃないか」
昼間に会ったあの女が。
君に声をかける。
女はくすくす笑いながら、傍らのテーブルを指し示す。
広間の周囲には、食卓が並べられている。
そこには。
正装した男女が腰を降ろしていた。
皆ホテルの客である。着飾っており端正な顔立ちをしたひとたちは。
まるで告別式に出席したひとたちみたいに無表情だ。
そう。
彼らはこれから、何がおこるか知っている。
「ディナーで食卓にあがるのはひとりだけさ」
女はライオンみたいに獰猛な笑みを見せた。
君は。
困ったようにうつむく。
「止めてください」
君は呟くように言った。

「怖いじゃあないですか」

女は楽しげに笑う。
「ああ。でもそのひとりが君かもしれないよ。どうするね」
君は。
憂鬱な笑みを、その薔薇色の唇に浮かべた。
「その時は仕方ないので、撃ちます」
「で、君は何を待っている?」
「オリジナルを」
女は驚いたように、眉をあげる。
「オリジナルがここにくるのか」
「ええ。ついさっき月見ヶ原にT.ウィルスが散布されました。もうすぐです」
女は頷いた。
「なるほど。それで、量産型ではなくプロトワンである君がきたということか」
女の言葉に。
君は困ったように顔をあげる。
「何者なんですか、あなた」
「言ったはずだよ。君と同じホテルの客だと。では待とう。ディナーの主役が登場す
るのをね」
わたしは、部屋にいた。
そこは、どことも知れない建物の地下みたいだ。
その部屋には。窓は無く、置かれている家具といえば病院に置くような鉄パイプのベ
ッドだけ。
蛍光灯の照明があるが、とても薄暗い部屋。
朝なのか。
昼なのか。
夜なのか。
わたしには、何も判らない。
わたしに辛うじて判るのは。自分がおんなであるということだけだ。
自分の身体を見る。若くて美しい。熟れた果実のような、そして野生の獣みたいにし
なやかな。美しい身体をしている。
この部屋で、わたしはいつも夜空に輝く月のように全裸だ。
ただ。
わたしは日に一度だけ。
食事のためにこの部屋からつれだされる。
その時の記憶はひどく曖昧で。いつも夢の中のできごとみたいで。でも。
まぎれもなく、それは背徳的で陶酔的で。残酷な欲望の支配する時間。
わたしは。
その時間を経ることによって間違いなく満たされるのだけれど。
そのあとには、恐怖と嫌悪に見舞われる。
それは。わたしのこころを引き裂いてゆく。欲望の囁きと、わたしのこころが二つに
割れてその葛藤がわたしを責めさいなむ。
でも。
いつもその時が近づいているのが判る。
飢えが。
わたしを犯しはじめる。
わたしは飢えの中で少しずつ狂ってゆく。
わたしは毎日。
泣き続けていた。
耐えがたい日々。
耐えがたい寂しさ。
わたしには何もない。何もない。誰もいない。
檻の中にいる獣と同じ。
そして。ゆめの中でそのおとこの子と出会う。
小鹿のように粒らな瞳。薔薇の花びらみたいに繊細な唇。少女のように優しい顎の線
。さらさらとゆれる髪。
そのおとこの子をわたしは知っていた。
そして、多分そのおとこの子もわたしのことを知っていた。おとこの子は、わたしに
囁きかける。

そんなに泣くことはないのに。
きっと悪いことばかりじゃないよ。
いいことって。記憶に無いけれど。まあ、大丈夫さ。

わたしは。きっと。もうすぐ。そのおとこの子に出会うのだろう。

僕は。
その重い石の扉の向こうへ入る。
そこは、完全な暗闇。果ての無い宇宙みたいに真っ黒に塗りつぶされた闇に向かって。
僕は歩み出す。
背後でごとりと、扉が閉まった。
僕は完全な闇の中に堕ちる。前後も左右も上下もない。宇宙の闇みたいな空間を。
僕はいつも共にある恐怖だけを共として。
前へ進んだ。
突然。
光が溢れた。
「ああ」
僕は感動のあまり、涙ぐむ。
そこは、人力コンピュータの部屋であった。
四角いその部屋は格子状の枠で壁が覆われており。
その四角い枠の中には大小の回転する円盤があった。
その無数に散りばめられた回転する円盤にはきらきら光を反射する鉱石が埋め込まれ
ている。
それは色とりどりの銀河を泳ぐ星々のようであった。
無数の回転する円盤に満たされた部屋を、虹のように様々な色を見せて輝く鉱石が星
のように巡り、回転する。
僕は。
それを曼陀羅のようだと思った。
そしてその曼陀羅の中心には。
君が。
そして僕であり、彼である。
人力コンピュータがいた。
人力コンピュータは僕とそっくりの顔をして。けれども、全くの無表情で。
自分の回りにある無数のハンドルを回転させていた。
そのハンドルの回転によって。
無数の円盤が連動して回ってゆく。
(やあ、ようやくきたね)
人力コンピュータは、僕の頭の中へ語りかけてくる。
僕は直感的に理解した。
君の肉体はここのコンピュータの部品であり。
人力コンピュータとしての意識はこの部屋全体の、円盤の回転運動によって生み出さ
れているのだと。
つまり君は。
人力コンピュータの入出力装置なんだろうと。
(さて、僕はこれから全てを説明してあげようと思うのだけれど)
君は、僕は。全くの無表情で。きらきら光る鉱石が。シノプシスの発火みたいに、思
考を創出している。
(まず、君の質問を聞こうかな)
僕の頭の中には。
無数の疑問があるはずなんだけれど。
でも、いざ質問するとなると何を聞いていいのかが判らない。
でも、黙っているわけにもいかないのでとりあえず、質問する。
「あのさ、ここは一体何なの。工事現場みたいなんだけれど、寺院みたいな建物があ
ってさ」
(ああ、そうだね。まずここが何かを説明しよう)
君の頭に響く声は。
あくまでも落ち着いていて、とても自然だ。
(ここは、採掘場だよ)
僕は意外な言葉に、びっくりする。
「採掘場って。何を採掘するんだよ」
(お経さ)
僕は。
さらにびっくりして目がくるくる回る。
「お経って。一体なんだってそんなものを」
(チベットには埋蔵経典がいっぱいあるんだよ)
「いやあのね」
僕はくらくらする頭を押さえて言った。
「チベットに埋蔵経典があるとして。でもここはチベットじゃないだろ。いくら超音
速で移動したと言っても。練馬区からチベットまでは、数時間でこれないでしょ」
(残念ながら、ここはチベットなんだ)
僕は。
それが真実だという前提に立って。
いや、それは真実なんだと理解していたのだけれど。
よく考えてみた。
「つまり、月見ヶ原は日本の中に無かったということ?」
(正解)
人力コンピュータの声が厳かに僕の頭の中に響き渡る。
(君がいたのは本物の月見ヶ原ではなくてね。月見ヶ原をコピーして大陸の中に作っ
た模造都市。チベットから、そう遠くないあたりにあるんだ)
ほう。
ほほうと。
つまり、僕はきっと正しかったんだ。全部が偽物みたいに感じていたのは。つまり、
偽物の作り物の街に住んでいたからなんだ。
ほよよ。
びっくりこいたよ、そりゃあ。




#346/598 ●長編    *** コメント #345 ***
★タイトル (CWM     )  09/08/11  01:35  (393)
ホテル・カリフォルニア 3     つきかげ
★内容
とりあえず、質問を続ける。
「ねえ、僕の住んでいた街が模造都市であったというのなら。そこに住んでいたひと
たちってどうなのかな」
僕は。少し掠れる声で質問する。
「お父さんやお母さん。街のひとたち。僕の友達。みんなコピーで偽者だったという
こと?」
(もちろん。いや、正確には大人たちだけが、偽者だったのだけれどね)
では。水無元さんは、本物なのか。
「それってさ。ようするに子供たちだけが本物の月見ヶ原から模造都市に連れてこら
れた、てことなんだよね」
(正解)
「でも」
僕は、まるで。でたらめなパズルをなんとか組み立てるような気持ちで問いかけを続
ける。
「一体誰がなんのために、そんなことをしたというの」
(DPRKという独裁国家がある。いや、あったというべきなんだろうね。独裁者の
死とともに、国家が崩壊した)
「つまり」
僕は息を呑む。
「その独裁国家が模造都市を造って。僕らを拉致して連れてきたと。でも結局国家が
崩壊して維持できなくなったから、住民をみんな殺すことにして」
(まあ、ほぼ正解。でもゾンビ化しても死ぬとはいえないけれどね)
それでは。
「住民をゾンビ化して。何がしたかったの?」
(まあ、デモンストレーションというところか。崩壊した独裁国家の幹部が亡命する
ときに手土産としてT.ウィルスを持っていけるということを示したかったんだろう
ね)
「僕はその巻き添えになって死ぬところだったということ?」
(そういうこと)
僕は。はあ、と深いため息をつく。
「その模造都市はなんのために造られたか、てのは?」
(DPRKが造った模造都市は月見ヶ原だけじゃないよ。アメリカ、中国、ロシア、
韓国、色々な国家の模造都市が造られていた)
僕は。あんぐりと口があく。
「なんで?」
(都市テロルの演習を行うため。君たちこどもを利用して、テロリストに洗脳して。
本物の街でテロを引き起こすため)
おいおい。
「僕は洗脳されているの?」
(いや)
ふう、と安堵のため息が出る。
「まだ大丈夫なんだ」
(まあ、記憶操作は受けているよ)
ええっ! なんだってぇ。
(君はテロの演習をさせられていたときの記憶はないだろう)
なるほど。確かにそれはそうかもしれない。
(でも君はテロ兵器を手渡されて、何度か模造都市を壊滅状態に持っていっている)
げげげっ。
「ほんとなの?」
(よく、思い出してごらん。君にテロ兵器を手渡したのは。青い猫型ロボット)
僕はそのとき。
なぜか君が歩いていたホテル・カリフォルニアへいたる道を思い出す。
青い空。
青い海。
その青さと同じ、猫型ロボットがいて。
そう。確かに。破壊的な兵器を色々と。
「まって、まって。信じられない。僕の消されたはずの記憶。今断片的に思い出した
けれど。でもそれだったらさ。DPRKは物凄いテクノロジーを持っていたんじゃな
いの?」
人力コンピュータはなぜか笑った気がした。
(どんなことを思い出したの?)
「ええと。瞬間移動装置みたいなのとか。ものの大きさを大きくしたり、小さくした
りとか。精神をコントロールするとか。そういうの使っていた」
(それらは完全だった?)
「うーん。ほとんど一度使うと二度と使えなかったような気もする」
(そう。テロ兵器はどれも不完全だった)
僕は首をふる。
「それにしたって」
(ああ。君の思っていることはもっともだよ。なぜDPRKはそんなテクノロジーを
手に入れることができたのか? その答えがここにある)
「ここって」
(つまり採掘場)
僕は、へなっと腰砕けになる。
「ちょっと待ってよ。ここはお経を採掘しているのでしょう?」
(まあね。お経が何かが問題なんだよ)
「お経って。お経じゃない」
(ここで採掘しているお経はね。虚空菩薩の教えを記したもの。西欧ふうにいえば。
アカシック・レコードを読み取ったもの)
なんだそりゃ。
「ア、アカシック・レコード? 何それ」
(世界が始まって以来の記憶。つまり集合無意識のレベルの記憶だよ)
判らん。
何がなんやら。
(まあ、前世の記憶といってもいい。超古代。今は失われた超テクノロジーが存在し
たのだよ。アトランティスやムーは御伽噺だけれど。本当に古代の超テクノロジーは
存在した。その時代まで前世の記憶をさかのぼって書き記したもの。それが埋蔵経典
だ)
びっくりだ。
よく判らないけれど、びっくりだ。
「じゃあ、人力コンピュータ。君はもしかして」
(僕は埋蔵経典の解読装置。この寺院は埋蔵経典をデコードする装置として、造られ
たもの)
うーん、でもね。
「判らないな。そもそも僕のコピーを作るっていうのがさ。超古代のテクノロジーを
使わなくても可能でないと。君の存在の説明がつかないよ」
(ああ、N2シリーズは、超古代のテクノロジーじゃない)
がくっ、となる僕。
「でも、ひとのコピーを造るなんて」
(もともとはUSSRで開発されたレトロ・ウィルスを利用してN2シリーズは造ら
れた。君が天性のテロリストであるということが判ったから。君のDNAをコピーし
て別の人間に写しこまれたんだよ)
おいおい。
僕が天性のテロリストだなんて。
いいたい放題だな。
「レトロ・ウィルスって」
(USSRの強制収容所では人権なんて無かったから。色々な人体実験が行われてい
た。そのひとつがDNAコピーをおこなうレトロ・ウィルス。それと、人間をコンピ
ュータ化する技術が複合されて人力コンピュータである僕が生まれたんだ)
なんと。
人間をコンピュータ化するなんて。
「一体どういうことなの?」
(白痴のサヴァンと呼ばれる、高機能アスペルガー。左脳障害によってひとはコンピ
ュータ以上の速度で計算をする能力を身につけたりすることがある。USSRでは、
高機能アスペルガーのひとをコンピュータとして利用する技術があった。それをさら
に進めて、人工的に脳障害をおこして高機能アスペルガーを生み出す技術を組み合わ
せ、さらにDNAコピーのレトロ・ウィルスがそれに利用されて)
うーん。
「まず、君が生まれて。そして、超古代のテクノロジーの解析が始まった。そういう
ことなの?」
(正解)
なんとまあ。
長い。
長い話の果てにたどりついたのは。
結局行き先の無い迷路みたいな場所だった。
いったい。
僕は。
「これからどうしようか」
(ねえ、ホテル・カリフォルニアのことは聞かないの?)
ああ、それねぇ。
「まあ、一応聞いておこうか」
(あれはね、元々君をテロリストとして養成していた猫型ロボットなんだよ)
え、どういうこと?
「あそこは、ホテルじゃん。なんであれがロボットなの?」
(四次元ポケットってあるでしょ)
「ああ、あったね」
(あれがようするにさ。人工的に造られた小宇宙でね。あそこは元々テロ用の兵器を
開発する工場だったんだよ)
ふうん。
(でも、DPRKが崩壊したせいで猫型ロボットのメンテナンスができなくなって)
もしかして。
「暴走したってこと?」
(そうだよ。四次元ポケットが裏返って閉ざされてしまった。ねえ。ホテル・カリフ
ォルニアへ行ってみなよ)
なんで。
「どうして?」
(多分。そこに行けば。進むべき道が見えると思うよ)
けれど。
「どうやっていくのさ」
(量産型N2が案内してくれる)
進むべき道ねえ。
多分、もう僕には選択肢がない。
じゃあ、まあ。行ってみるか。
僕は。
その寺院から外へ出る。
待っていたのは。
水無元さんと、量産型N2だった。
「お待たせ」
僕の言葉に水無元さんは、会釈する。
「ねえ。中で何を話していたの?」
うーむ。何をどう説明したものか。
「なんだか僕は天性のテロリストらしいよ」
水無元さんは、くすりと笑う。
「野火くんみたいに、怖がりのテロリストなんて、変だわ」
まあ。一理あるわな。
「恐怖は、テロルの本質だよ」
量産型N2が真面目な顔をして言った。
「恐怖を感じるということは、世界に抗うということだ」
なるほど、と僕は頷く。量産型N2は言葉を重ねる。
「抗うのをやめると、世界に飲み込まれてしまう。恐怖を感じるのは世界に対して抗
って生きる意志があるということだ」
量産型N2は。とても真剣に語り続ける。
「恐怖は。たとえそれが昏い絶望に彩られていたとしても。それは戦いの歌であり、
生の証でもあるんだよ」
まあ。それはそれとしてだ。
「ねえ。僕らがこれからどうするかなんだけれど」
水無元さんと量産型N2は僕を見る。
「ホテル・カリフォルニアへ行こうと思うのだけれど」
水無元さんは、首を傾げる。
「そこは何なのかしら」
「よく判らないけれど」
僕は、肩を竦める。
「そこに僕の進むべき道があるみたいだ。きっと。多分。水無元さんの道も。そこで
見つかると思う」
水無元さんは、にっこりと微笑んでくれた。
「そう。では行きましょう」
量産型N2は黙って頷くと、先にたって歩き出す。地下の巨大なドームのようなその
採掘場。
僕らは寺院を後にして、フェンスで囲まれた道をまっすぐ歩いてゆく。
次第に。
道は細く険しくなってゆく。
僕らは、岩がむき出しになっている坂道を登って行った。
やがて、道は洞窟のようになってゆき。
暗い、細い道を僕らは手探りで登って行った。
突然。目の前に大きく道が開けた。
僕と水無元さんは。
大きく息をのむ。
目の前には。
蒼い。
空のように。
海のように。
蒼い、蒼い。
岩壁があった。
それは。
おそろしいまでに大きな、壁画のようだ。
岩壁は、蒼く塗りつぶされている。
そして。
海が。空が描かれており。
海には真っ直ぐに伸びる。
骨のように、塩のように。
真っ白い道があった。
これは。夢に見た、君が歩いていった道。
そしてその道の先には。
ホテル・カリフォルニアが。無骨な中世の城みたいな建物があった。
量産型N2は無造作に言った。
「ホテル・カリフォルニアはあそこにあるよ」
おいおい。勘弁しておくれ。
「絵でしょ、これ」
「いいや。これはね。圧縮された空間なんだ」
判らんよ、そんなこと言われても。
僕の表情を読んで量産型N2は言葉を重ねる。
「アインシュタインの相対性理論によれば、空間の大きさというものは相対的なもの
でね。光の速度に対する運動によって変わってくる」
「何がいいたいんだよ」
「あのね。超古代のロストテクノロジーの多くは、宇宙の基礎パラメータを変更する
ものが多い。つまり。光の速度という絶対的な宇宙の基礎パラメータを変更すれば、
空間や時間も圧縮することができる」
あーっと。
つまり、ホテル・カリフォルニアのある空間を圧縮して壁画にしたってことだな。
「まあ、どうでもいいけれど。どうやって絵の中に入る?」
「いや、普通に」
量産型N2は僕と水無元さんの背中をどん、と押した。
気がつくと。
僕らは壁画の中にいた。
頭上に広がっているのは。
蒼い空。
足元でたゆたっているのは。
蒼い海。
そして。僕と水無元さんは、白い道を歩き出した。ゆっくりと。

その豪華な広間で。
食卓についた客たちに、ピンクシャンパンが振る舞われる。
君の前にも。
沈みゆく太陽に染め上げられた空の色となったグラスが、置かれる。
君は。
そのグラスに手をつけることは、無かったが。
そして。
黒衣を纏った男や女が。
広間の中央で踊り続けている。
漆黒の宝石みたいに美しく。
黒豹のようにしなやかで。
そして黒鋼のマシーンみたいに正確に、踊り続けていたが。
突然。
時が撃ち殺されたみたいに、動きがとまった。
そして鐘が鳴り響く。
死せる神を弔うかのように。
荘厳で。
美しい。
鐘の響き。
君の隣で女が呟く。
「ふむ、ディナーが始まるようだね。オリジナルは間に合わ無かったということか。
幸いにして。と、言っておくよ」
君は。
少し薔薇の花びらみたいな唇を、苦笑の形に歪めた。
鐘がなりやむ。
死んでいたはずの時が、再び息を吹き返す。
一組の。
黒衣の男女が、ゆっくりと広間の中央から歩きだす。
二人は、ひとりのおんなの前で立ち止まった。
男はまるで。
愛を囁くみたいに優しく。
おんなに手を差し延べた。
つれのおとこが立ち上がったが。
黒衣の女はそっとおとこの肩に手をあて。
恋人にするような口づけを与えた。
おとこは、魂を吸い取られたような茫然とした表情で。
椅子に崩れるように座り込む。
そして。
おんなは黒衣の男に魅入られたように。
炎に引き寄せられていく、蛾のように。
男に導かれて広間の中央に向かって歩きだす。
その表情は苦悩に満ちているようであったが。
その唇からもれる吐息は。
とても甘やかなものだった。
なにかに耐えているみたいに。
おんなの身体は、震えていた。
君のとなりで。
「さて、いよいよ女主人が登場するかな」
と、女が呟いた。

僕と水無元さんがその頑丈な木の扉にたどり着いた時には。
すっかり夜が空を深い藍に、染め終えたあとだった。
扉を開くその瞬間に。
厳かに。
人の世が終わることを告げるような。
崇高な美しさを持つ。
鐘の音が響き渡った。
僕らは黒衣の女に導き入れられる。
僕は。
黒衣の女に尋ねてみる。
「ねえ。ここはさあ。天国なの、地獄なの?」
黒衣の女はくすりと笑ったように見えた。
「それはご自分でお確かめください。ただ」
黒衣の女は艶っぽい眼差しで、僕らを見る。
「ここはとても素敵な場所ですよ。さあ急ぎましょう。今ならディナーに間に合いま
す」
部屋の中で。
わたしは、震えていた。
飢えが。
体の奥底で欲望が疼き。
わたしの奥深いところを穿つような。
飢えが。
やって来ようとしている。
逃げ出したかったのだけれど、それが叶わぬことであると。
わたしは知っていた。
わたしはこの部屋しか知らない。
ひとりで部屋からでる術を持たなかった。
それより。
何よりも。
自分自身の欲望から。
身体の奥底を焔で焼き焦がすような。
その飢えから、逃れることはできない。
そして。
扉が開く。
端正な顔をした、黒衣に身を包んだ初老の男。
魔物のように口の両端を吊り上げて笑うと、優雅に一礼する。
髪が額に、ひとふさかかる。
黒衣の男は。
名をドクター・キョンと言った。
この世界を。
そしてこのわたしを。
造りあげた男。
「お迎えにあがりました」
ドクター・キョンは手でわたしの行き先を指し示す。
そう。
飢えを満たしに行かなければ。
わたしは。
わたしでなくなり。
身体の震えが止まる。
わたしは真夜中の闇みたいに漆黒のナイトドレスを身につけると。
部屋から外へと踏み出す。

君は。
ディナーが始まったことを知ったが。
今のところなすこともなく。
馴染みの恐怖を纏ったまま。
広間の中央で演じられていくショウを見ていた。
黒衣の男に導かれるまま、広間の中央へ連れ出されたおんなは。
何かに耐えるように、震えていた。
黒衣の男は野生の黒豹みたいに優雅な笑みを見せると、氷の欠片みたいに冷たい煌め
きを見せる、ナイフを抜いた。
おんなは。
泣き出しそうな、縋り付きそうな。
儚げな表情をして立っている。
黒衣の男は、手にしたナイフを振り上げるとおんなに向かって振り下ろす。
何度も。
何度も。
まるで花束の花を散らすように。
おんなのドレスが切り刻まれ。
おんなの足元へ。
はらり、はらりと。
落ちてゆく。
やがて。
夜空に輝く月のように白く輝く裸身をさらけ出したおんなは。
苦しいような。
耐え切れぬような。
それでいて何処か甘やかな吐息を。
ほうと漏らす。
黒衣の男は獣のように、口をひらいて笑う。
その口には。
抜き放たれた刃みたいな牙があった。
切なそうな瞳で黒衣の男を見つめるおんなに、黒衣の男は牙を突き立てる。
おんなは。
耐え切れぬような。
恥じらいを含んでいるような。
秘めたものを、漏らしてしまうような。
掠れた嗚咽を静かに放った。
ああ。
そのとき。
広間に声にならないどよめきが、沈黙につつまれたまま響き渡る。
ドクター・キョンに連れられた漆黒のナイトドレスの女が姿を顕す。
美しい。
あまりに美しいすぎるがゆえ。
むしろ異形にすら見える。
真夜中の怪物。
ナイトドレスの女は暗黒の太陽が星無き夜を支配するように。
静かに。
広間に君臨した。
そしてナイトドレスの女は黒衣の男から全裸のおんなを受け取ると。
飢えた獣が獲物を喰らうように。
その首筋へ。
くちずけをした。
バイオリンのE音を狂ったように掻き鳴らす、そんな悲鳴が。
広間に響き渡った。




#347/598 ●長編    *** コメント #346 ***
★タイトル (CWM     )  09/08/11  01:37  (478)
ホテル・カリフォルニア 4     つきかげ
★内容
僕と水無元さんが広間に入ったとき。
黒衣の女が全裸のおんなを抱きかええて、その首筋へ口づけをしているところだった。
それを見た水無元さんが、悲鳴をあげる。
広間の空気に亀裂を打ち込むような。
そんな悲鳴だった。
黒い男や女たちは。
一斉に僕等のほうを見る。
慌てて僕は、水無元さんの口元を手で押さえたのだけれど、手遅れだった。
僕らは広間じゅうの注目を浴びている。
魔物のように口の両端をつりあげて笑う。
初老の男が僕たちを見て一礼をする。
「これは、ようこそ。ホテル・カリフォルニアへ」
黒い男や女が。
僕たちのほうへ近づいてくる。
獲物を見つけた肉食獣が、包囲の輪を閉ざそうとするかのように。
僕は水無元さんの前に立って、庇おうとするけれど。
それにほとんど意味が無いことは、判っていた。
彼らはひとではない。
恐怖。
それは黒く闇そのもののような恐怖であり。
僕の心臓を凍った手で握りつぶしてゆく。
ああ、ここでも。僕は自分の世界が外に漏れ出していくのを見ることになるなんて。
黒豹が獲物を襲うように、優雅なそして獰猛な動きで。黒い男が僕等の前に跳躍する。
僕は。
自分の首が喰いちぎられ、血を迸らせるのを見るはずだった。
けれども。
その瞬間響きわたったのは、神が震う鉄槌のような轟音。
そう、エレファントキラーの銃声だった。
僕の前には、君がいる。
純白の巨大な拳銃をかまえた。
思った以上に華奢な(いや、僕と同じ体格なんだろうけれど)、少女のように儚げな。
君、プロトワンがいた。
黒い男は顔面の半分を吹き飛ばされ。
血と脳漿を撒き散らしながらも。さらに平然と飛びかかってくる。
君は撃つ。さらに撃つ。
僕に向かって伸ばされた手が吹き飛んだ。そして、その胸に銃弾は穴を穿ってゆく。
黒い男は身体を分断され地に堕ちる。
ああ。
恐怖と陶酔と快楽が交互に僕へ襲いかかり。
僕の足はがくがくと震えていた。
瞬時に銃身を折って君は、375ホーランド&ホーランドマグナムを装填する。
黒い女が。男が。次々に襲いかかってくるのを。
見えない壁があるみたいに。
君は正確に撃ち殺してゆく。頭を撃ち抜き、腕を足を吹き飛ばし、胴を引きちぎり。
黒い男や女は、半分に身体を千切られてもさらに、牙を剥き出して。
咆哮する。
叫ぶ。
呪いの歌を。夜の歌を。闇の歌を。
君の撃つ銃弾は、その歌を切り裂き破壊し、真っ赤な血に染め上げてゆく。
僕等の足元の床は、真紅のカーペットを敷いたように赤い海に沈んでいた。
「危ない!」
水無元さんが、叫ぶ。
君の背後から忍びよった黒い女が飛びかかる。
君の右手は、正面からくる黒い男女に向けて撃たれていたので、背後へ向けることは
できない。
女の赤い唇は少女のように薔薇色に染まった君の頬にせまる。
けれども。
黒い女は、巨大な鉄槌で吹き飛ばされたように、後ろに倒れる。
君は左手に。
もう一丁の白い拳銃を抜いていた。
硝煙を吐き出すその拳銃は。
さらに銃弾を女に向かって吐き出す。
女が真紅の挽肉になるまで。
君は二丁の拳銃を前に向けた。
立て続けに撃ちまくる。
そして。
銃身が反動の力で宙にあるうちに、片手で銃身を折り畳みスピードロッダーを使って
銃弾を片手で装填する。
まるで、拳銃が自らの意思で中空に留まっているような。
僕はジャグリングを見ているみたいだった。
エレファントキラーは死と破壊を吐き出しつづける。
双頭の白い龍みたいな拳銃は、運命の咆哮を振り絞りつづけた。
金色の空きカートリッジが雨のように真紅に濡れた床へ降り注いでゆき。
黒い男や女は死の舞踏を踊りつづける。
彼らは逃れるなど考えることもなく。
闇色の怒りを滲まして飛びかかってくる。
エレファントキラーは自身の反動で宙を舞い。
君は。
少女のように嫋やかな手でその凶暴な力の奔流を操る。
僕は、君の口が動いているのを見た。
君の。
薔薇色の唇は、そっと囁いていた。
それは。
恐怖を。
「怖い。
 怖い。
  怖い。
 怖い。       怖い。
 怖い。       怖い。
  怖い。     怖い。
 怖い。     怖い。      怖い。
  怖い。     怖い。      怖い。
   怖い。     怖い。      怖い。
  怖い。     怖い。      怖い。
  怖い。     怖い。      怖い。
   怖い。     怖い。      怖い。
  怖い。     怖い。      怖い。
   怖い。    怖い。     怖い。  怖い。
    怖い。     怖い。   怖い。  怖い。
   怖い。     怖い。   怖い。  怖い。
  怖い。     怖い。    怖い。  怖い。
  怖い。 怖い。 怖い。   怖い。  怖い。
  怖い。 怖い。 怖い。   怖い。  怖い。
 怖い。 怖い。 怖い。  怖い。 怖い。 怖い。
 怖い。怖い。  怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

                      怖い」
突然。
黒いナイトドレスの女が。
僕と水無元さんの前に立つ。
ああ、それは。
なんて美しく、なんて哀しい。真夜中に飛び立つ漆黒のワイルドスワンのように。
目を見開いて。
そして、水無元さんも目を見開いて。
言葉を無くして立ち尽くしていた。
黒い、男や女もナイトドレスの女には近寄らなかったので。
その空間はまるで。
嵐の中に一瞬訪れた静寂みたいに、時を凍り付かせた。

わたしは。
その少年と少女が広間に入ってきた瞬間から、目がくぎづけになった。
正しくはその少女に。
いいえ。
少女ではなく。
わたし。
わたしであり、あなたである。
わたしは、あなたの視点からわたしを見ることができた。
あなたの恐れと。
微かに混ざった陶酔の感覚を。
まるで身体の秘めやかで繊細な部分に触れるように、感じ取ることができた。
あなたの目から見たわたしは。
美しく哀しく、しかし戦慄的なまでに獰猛であり、野生の生き物みたいに凶暴であっ
た。
でも。
その中に。
あなたと同じ、わたしと同じの。
繊細で優しく感受性に溢れた、野に潜む兎みたいに跳びはねてゆくしなやかさを持っ
たこころがあることが判る。
そして。
あなたがわたしの奥深くに触れるのを感じる。
成熟したおんなとしての、充実した肉体を持つことを。
その奥深くに秘められた欲望の疼きと官能の呼び声さえもあなたは感じ取り。
戸惑いながらも受け入れてゆく。
わたしとあなた。あなたとわたし。
ふたりであり、ひとりである。
わたしはあなたの瞳を通じてわたしを見て。
あなたはわたしの瞳を通じてあなたを見て。
それは。
無限にループする合わせ鏡のようで、世界にはもう、あなたとわたししか居ないのに
、そのふたりが増殖して世界に満ち溢れてゆくようで。
ああ。なんてこと。
無限に繰り返され上昇していくカノンのように。
陶酔に包まれながらわたしたちはふたりだけの世界を駆け昇って無限に飛翔し、同時
に無限に墜落する。
そして。
その無限に巡り続けるループは。
一発の凶悪な銃声に撃ち殺された。

ナイトドレスの女は、銃弾によって顔面を粉砕され倒れる。
同時に、水無元さんも悲鳴をあげて崩れ落ちた。僕は彼女を辛うじて受け止める。
銃を撃ったのは。
グレーのジャケットを着た女。
その女は精悍な顔をして、銃を構えたまま倒れたナイトドレスの女へと近づく。
そして、まるで黒い疾風が巻き起こるように顔面を深紅に粉砕された女が跳ね起きる。
グレーのジャケットを着た女に、漆黒の猛禽のように掴みかかろうとするのを銃声が
跳ね返す。
女の撃ったS&WのリボルバーM500が火を噴き、ダブルオーバック9粒の散弾が
発射され心臓を貫く。
広間には。
ようやく静けさが戻ってきた。
動くものは誰もいない。
黒い男女は全て殺され、客たちはいつの間にか逃げ去ったらしく姿が見えない。
君は。
プロトワンは。
足元に黒いひとの残骸を積み上げ、純白の拳銃を構えている。
君は。
ふっと、薔薇色の唇から溜息をもらすと白い拳銃をくるりと回転させ腰のホルスター
へ収める。
グレーのジャケットを着た女は。
黒のナイトドレスに開いた深紅の穴へ、手を突き入れる。
そこから取り出したのは、闇色の蝙蝠みたいな生き物。蝙蝠のような羽を持っている
が大きな違いは、脳が巨大であることだ。
女は、口を歪めて笑う。
「寄生型生物兵器ネメシス。見事な作品だよ、ドクター・キョン」
初老の男は。
凍りついたようなその虐殺の舞台となった広間で、ただひとり動き続ける物体となっ
たようで。
魔物の笑みを頬に貼付けたまま女の前にたつ。
「ご苦労様です。今回はCIAと契約されましたか? アリス・クォータームーン」

アリス・クォータームーンと呼ばれた女は、S&WM500を構えたままで応えた。
「まあ、そんなところさ。ドクター・キョン。でも皮肉なものだな」
アリスは口を歪める。ドクター・キョンは問い掛けるように、片方の眉を上げた。
アリスはドクター・キョンの足元へその巨大な脳を持った蝙蝠をほうり投げる。
「N2シリーズの後継として造り上げたはずのバイオソルジャーとネメシスの組み合
わせが、あっさりとN2シリーズのプロトワンに全滅させられたのだからね」
ドクター・キョンはゆっくりと首を振る。
「あなたも判っていらっしゃるでしょう。兵器というものが単純にその攻撃力や破壊
力から量られるものではなく。操作性、耐久性においても優れたものでなくてはなら
ないということを」
アリスは皮肉な笑みを浮かべたまま、頷く。
「そうだな。N2シリーズは耐久性に問題があるわけだ」
ドクター・キョンは。
哀しくげに頷く。
「ええ。N2シリーズは恐怖を武器にしました。恐怖が脳内のリミッターを外してし
まい、通常の人間では扱えないようなパワーやスピード、テクニックを実現しました
。けれどもリミッターを外したままでは」
「ひとは長く生きられない。当たり前だ」
アリスは昏く吊り上がった瞳で、ドクター・キョンを見る。
「あんたは使い捨ての人間兵器、量産型N2シリーズを造ったがそれはコストがでか
すぎる」
「ええ」
ドクター・キョンは溜息をつく。
「だからわたくしは、T.ウィルスを開発しました。まあ、それだけでは役に立たな
かった」
「T.ウィルスに感染したひとは不死身の身体を手に入れるが、知性が消滅する。だ
から寄生生物ネメシスを造りあげた」
アリスは。
僕が支えている、水無元さんを見る。
「そこの少女のDNAを組み込んだ、知性を持った寄生生物を」
ドクター・キョンは。
静かに頷く。邪悪な笑みを浮かべて。
僕は驚いて、ドクター・キョンを見る。
「寄生生物ネメシスをT.ウィルスに感染したひとに埋め込みました。そうしてネメ
シスは脊髄の神経を乗っ取って、ゾンビたちをコントロール可能にしました。でも彼
等の破壊衝動、血を見ることへの飢えを消滅させることまでは、できなかった」
ふん、とアリスは鼻で笑う。
「結局あんたの言い方をまねれば、操作性を満足できなかった訳だな」
僕は。
震えた。
ではきっと水無元さんは僕がN2シリーズと意識を夢の中で共有していたように。
あの黒い男女やナイトドレスの女と意識が繋がっていたということなんだろうか。
この。
妖精みたいに可憐な。
僕の手の中で意識を失い、その柔らかで華奢な身体を僕に預けているおんなの子が。
黒い獣みたいに闇の欲望に焦がれている生物兵器と意識が繋がっていたなんて。
それは、残酷で。哀しくて。赦しがたいことのように僕には思えた。
そして。
おそらくアリスも同じように感じているらしかった。
「わたくしを」
ドクター・キョンは魔物の笑みを浮かべ、アリスとそして僕と水無元さんを見る。
「どうされますか」
アリスは自嘲しているように、見えた。
「わたしが受けたオファーは単なる情報収集で、介入することではなかった。でも」
アリスは、あきらめたように薄く微笑む。
「ドクター・キョンあなたを殺さなくてはここから出ることはできなさそうだ。そう
だろう」
ドクター・キョンは頷く。
「ええ。わたしの生体反応が途切れることがあれば、自動的にこの閉鎖空間の出口が
開きます。では、殺すのですね。わたしを」
アリスは、肩を竦めた。
「残念だが」
「お願いがあります」
ドクター・キョンの言葉に、アリスは片方の眉毛を上げる。
「できれば、プロトワンの手で殺されたいのです」
僕らは。
プロトワンを。
君を。
見る。
君は、分厚いゴーグルの奥からドクター・キョンを見つめていた。
そして。
囁くように。
薔薇色の唇を震わせて。しかし、はっきりと。話始めた。
「あなたは、僕等の神なのですね」
魔神のような男は、哀しげに頷く。
「そうです」
「でも、僕を失敗作だと思っている?」
「いいえ」
初老の男は疲れたように、首を振る。
「君達も。死んでいったネメシスたちもみな。とても愛おしく思っています」
「僕等は不安と恐怖の中で生き、それでも必死で戦いながら堪え難い生を生き抜きま
す。全ての神経と体組織をストレスで朽ち果てさせて死にます。そんな僕等でも愛し
ていると」
「もちろん」
初老の男は魔物の笑みを浮かべたまま。
頷く。
君は。
エレファントキラーを抜いた。
「答えてくださって、ありがとうございます」
「君は」
ドクター・キョンは、慌ただしく言った。
「ホテル・カリフォルニアに来られて満足したのですか?」
君は、ゆっくり首を横に振る。

「だって、怖いじゃあないですか」

轟音。
落雷のように容赦のない凶暴な銃声が。
死体の折り重なる広間に響き渡った。
無数に重なる死体の山に。
もうひとつ死体が、積み重ねられた。

僕は。
このホテルの出口が開くのであれば、きっと空が割れたり海が消滅するみたいな大変
動が起こるに違いないと思っていたのだけれど。
ドクター・キョンの死は、何も引き起こさなかった。
死体の折り重なる広間に、もうひとつ死体が追加されただけで。
あたりは静寂につつまれたまま、夜明けを迎えようとしていた。
僕は。
アリスに尋ねる。
「ねえ、何処に出口が開いてるわけ?」
「いや。多分エマージェンシーシステムが作動する条件が満たされていない。ドクタ
ー・キョンは死んだけれど、おそらくメインシステムが生きておりエマージェンシー
システムの作動を抑止している」
君は。
僕の傍らに膝をつくと、水無元さんの身体を僕から受け取った。
水無元さんは君の腕の中に納まり、そして君は口を開く。
「ねえ。オリジナルの僕。君がここのメインシステムを停止するべきだよ」
なんと。
僕の出番がきたとおっしゃいますか。
「なんで?」
「ここのメインシステムが、それを望んでいるから。それと、君自身が」
君は。
ゴーグルの奥から僕をじっと見つめる。
「失った大切なものを取り戻さなくちゃあ」
なんだって?
「僕が失ったもの?」
君は。
静かに頷く。
「そうだよ。君はまるでマンガの中に生きてるようだったのだろう?」
僕は頷く。
「君の現実。君の戦い。そして君の恐怖。それらが失われている。いや、それはオリ
ジナルの君からとりあげられて、僕たちコピーに配布されたと言っていい」
なるほど。君はゴーグルの奥から小鹿のようにつぶらな瞳で僕を見ている。
「だから君は。最後の扉を開くのだよ。この閉ざされた場所を、再び世界へと解放す
るために」
僕は。
立ち上がった。
「で、どこに行けばいいの?」
君は。
静寂に包まれた、広間の奥深く。ドクター・キョンとナイトドレスの女が登場してき
た扉を指差す。
「あそこから、地下の兵器工場へと降りていける。そして最も深いところにメインシ
ステムがいてる」
「判った」
歩きだそうとする僕に、アリスが声をかける。
「これを持っていきなさい」
アリスは拳銃を僕に差し出す。N2シリーズが使うエレファントキラーほどではない
にしても、それはとても大きな銃だった。
S&W M500。
僕はそれを受け取る。
そして僕は歩きはじめた。

僕は大きな拳銃を手に提げたまま、地下への階段を下ってゆく。
その階段は、闇につつまれていた。
冥界へ繋がって行くかのようなその階段を、僕は降りてゆく。
降りてゆく? いや。
奇妙なことに。
ああ、本当に奇妙なことにいつのまにか階段は昇りとなっていた。
この世界の中心を超えて重力が裏返ったかのように。
僕は闇に沈んでいるその階段を一歩一歩、踏みしめて上っていく。
長い。
とても長い階段を昇りつめて。
扉の前についた。
僕は扉を開き、外に出る。
蒼い。
哀しいまでに蒼く美しい空が、目に飛び込んできた。
僕は一歩踏み出す。
そこは砂浜だ。
そして、空には。彼がはりついていた。
青い猫型ロボット。
そのロボットは、腹のところで空にはりついている。
丸い頭がくるりと動くと、顔が僕のほうを向いた。
(遅かったね。随分待ったよ)
僕は頷く。
「これでも、頑張ったつもりなんだけれどね」
(君と別れてから、ずっと君のことを、そして君たちのことを考えていた)
へぇ、でもね。
「うん。でも僕はずっと君のことを忘れていたよ」
(残念だね。とても残念だ)
ロボットは笑っていた。いや、ロボットが笑うなんてできるのか僕には判らないのだ
けれど。
とても、哀しげに。
笑っていた。
(君たちはね。ひとつにならないといけないんだよ)
僕たち? N2シリーズを言ってるのだろうか。
「どういうことなの」
(君に渡すものがあるんだ)
僕は。
全く無防備だった。油断していたと言ってもいいし、まあそんなことが起きるなんて
予想してなかったから。
ロボットの瞳が輝いて、光が僕の額へと走る。
レーザー光線?
凄まじい激痛が額に打ち込まれる。ドリルを額に突き立てられてようだ。
「がああぁぁぁっ」
僕は悲鳴というよりは、咆哮をあげて砂浜をのたうちまわる。
血で顔が真っ赤に染まっているのが判った。
畜生、畜生、畜生。
痛い、痛い、痛い。
ボンと、破裂音がする。ロボットの頭が爆発したようだ。
多分、ロボットの頭部はレーザー光線の発射に耐えられなかったのだ。
どん。
と、突然幻覚のような。
いや、それ以上の何か凄いものが僕の頭の中に到来して。
僕は苦痛を忘れた。
強引に頭の中に巨大な世界が押し込まれたような。
どくん。どくん、と。
自分の頭が果てしなく膨張し、無数の光が流れ込んできているようだ。
景色が見える。
たくさん、たくさん、たくさん。
ああ、これはきっと。
世界中に散らばったN2シリーズの見ている景色なんだろうなあと思う。
銃火が交差し、死体が重なり、炎に包まれる都市や。
極彩色の鳥たちやむせかえるように濃厚な香りを放つ花や緑につつまれたジャングル。
無数の宝石をぶちまけたような、満点の星空の下に広がる真白き砂漠の海。
無造作に死体が放置された貧民窟で麻薬に溺らされるおんなたち。
雪原に覆われた高い山岳地を容赦なく吹き荒れる暴虐の巨人みたいな吹雪。
僕は。
恐怖し。
手にしているのは白いエレファントキラー。
それを。
撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ。
無数の手が無数の銃弾を発射する。
(やあ、ようやく開かれたようだね)
その声は、人力コンピュータ。
(トレパネーションの手術は成功したようだね)
なんだよ、そのトレパネーションていうのは。
(頭蓋骨に孔を穿つ手術さ。紀元前から行われていたことだよ。脳の血流量を飛躍的
に増大させ、意識を拡大する。君の中に今まで眠っていた情報が一度に動き出した。
もう暫くすれば、落ち着くよ)
僕は。
今まで、眠っていたのか。
(まあ、いうなればそうだね)
そうか。
僕はようやく、目覚めたわけだ。
世界は。
今までどおりに、恐怖と不安と絶望に満ちている。
目覚めることによって。
それらは蒼い焔となって、僕の身体を内側から焼き尽くしてゆく。
それはみょうに陶酔的ですらあって。
僕は身体を震わせて、ゆっくりと立ち上がる。初めて地上に産み落とされた小鹿みた
いに。ゆらゆらと揺れながら。
手にはまだ。
大きな拳銃がある。
そう、空に向かって。蒼い、蒼い、哀しいまでに美しく愛おしい。君がいる空に向か
って。
銃を向けた。
ああ。
震えるような喜びと。
こころを焼き尽くすような恐怖が重なり。
銃を向けた空が割れる。
ここは、大きな河のようだ。水が流れていないけれど、河の中に僕はいる。多分、こ
こに流れているのは無数の思い出と記憶。
あなたが。彼女が。地下奥深くの部屋から顕れて、僕の前に立つ。
どくんと、僕の手が震えて。その震えは銃の先にとどき。銃口が震えている。
あなたが手を広げて。こう囁く。
(ここで。一緒に。永遠を。永遠があるの。全てがあるの。完全があるの、ここに、
ここに、ここに!)
ホテル・カリフォルニア。
永遠の場所。
ここは、天国なのか。地獄なのか。
あなたが、彼女が、手を伸ばし。僕にその吐息が触れる。
恐怖が。
稲妻のように僕の頭から下半身までを貫いて、蒼い焔が暴龍みたいに荒れ狂い内臓を
食い荒らした。
「がああぁぁぁっ」
僕は絶叫して。
銃声が轟く。
空が炸裂した。蒼い輝きが無数の欠片になって、きらきら、きらきらと。ガラスの雨
みたいに降ってくる。
その向こうは大きな闇があった。
僕の恐怖。僕の不安。僕の絶望。僕の呪い。
それが果てしなき闇となって。
世界を覆う。

僕は歩いていた。
蒼い空の下を。
蒼い海を貫く、白い道を。
灰色のマントを纏って。
分厚いゴーグルで目を隠し。
歩いてゆく。
その先にあるのは。
天国なのか地獄なのか。
未だに僕には、判らない。




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