AWC 暁のデッドヒート 1   いくさぶね



#190/598 ●長編
★タイトル (amr     )  03/12/03  02:54  (491)
暁のデッドヒート 1   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:11 修正 第2版
 星一つ見えない曇天の夜だった。
 だが、墨を流したような闇に覆われているはずの太平洋は、眩い燐光と無数の炎に彩
られていた。
 海面のそこかしこに、灯明のような炎が点されていた。一帯を覆う薄煙ごしに、それ
らは本物の燈籠の炎のように頼りなげに揺れ動き、瞬いている。そして周囲の海面に蹲
るように横たわった影からは、閃光とともに無数の光球が打ち上げられていた。
 時折、空中で炎の色をした花が咲き、煙と炎の尾を引きながら海面へと落下して灯明
の群れの仲間入りをしていく。
 ──いや、炎の中で散った若者たちにとっては、それは文字通り季節はずれの彼岸へ
の送り火であった。彼らは、空間を飽和させんばかりの密度で飛来する炎の驟雨に晒さ
れながら、自分たちが到達すべき目標──米海軍第三八任務部隊に向かって報われぬ前
進を続け、炎に焼かれ、次々と冥府へ旅立っていった。

 陸海軍混成の夜間雷撃航空隊として編成され、比島での決戦に投入されるはずだった
T部隊。その陸上航空戦力の結晶とも言うべき一団は、本来想定されていなかった戦場
で鉄量に砕かれ、灰と消えつつあった。
 一式陸攻三三機、銀河二二機、天山二三機、飛龍二一機。合計九九機の攻撃隊のうち
帰還したもの僅かに二十機。あとには未帰還率八十パーセントという惨憺たる数字だけ
が残っていた。


「反復攻撃は中止する」
 福留第二航空艦隊司令長官の言葉に、司令部には「やはりか」という空気が流れた。
 昨夜おこなわれた米空母機動部隊への夜間攻撃の結果は、二航艦司令部に頭から冷水
を浴びせるような衝撃を与えていた。昨夜一晩だけで、陸攻三一機、銀河十五機、天山
十七機という膨大な数の機体と、基地航空隊の最精鋭を選りすぐった三百人以上の搭乗
員が失われた。加えて、帰還を果たした数少ない生き残りの戦果報告も、
「海面に爆炎発生を確認。敵艦に命中弾の可能性あり」
「敵艦らしきものに至近弾を得る」
「艦種不詳の大型艦らしきものに火災発生するを見ゆ」
 といった明確さを欠くものばかりであった。ただでさえ少ない報告の内容がこのよう
なものばかりでは、実際の戦果のほどは甚だ心許ない推定しかできない。最精鋭のT部
隊が夜間攻撃を掛けてすらこの有り様であるのだから、それより技量で劣る他の航空隊
が昼間強襲を掛けたところで結果は火を見るよりも明らかだ。そう判断しての、攻撃中
止の決断だった。
「弔い合戦に意気込む搭乗員には気の毒だが、ここで徒に戦力浪費の愚は犯せない」

 かくして、翌日からの台湾・沖縄方面における基地航空隊の活動は、もっぱら迎撃に
力点を置いたものが主体となった。ハルゼー機動部隊は約一週間にわたって悪鬼のごと
く西太平洋を暴れ回ると、行きがけの駄賃とばかりに哨戒に出ていた伊号潜一隻を撃沈
し、中部フィリピン方面に対して航空撃滅戦を行うべく南進していった。




十月十四日。
「一航戦も連れて行く」
小沢治三郎中将は、そう決断を下した。
「雲龍、天城とも訓練未了ですが……」
「承知の上だ。だが、細かいのを何杯も添えたところで大物は食いつかん」
「母艦はともかく、搭載機の確保はどうされるおつもりですか?」
 先の台湾および沖縄近海で繰り広げられた航空戦によって、第三艦隊は二航艦の要請
で陸揚げしていた母艦航空隊の少なからぬ数を失っていた。行動開始までに確保の見込
みが立っている機数は、相当に無理をしても一九〇機弱。瑞鶴二隻分に少々余る程度に
過ぎない。しかも、その大半は戦闘機だ。
「我々の任務は囮だ。肝腎なのは、空母がここにいるという事実だ。死んでいく乗組員
たちには申し訳ないが……」

 捷一号作戦計画において、小沢機動部隊はフィリピン東方の米空母部隊主力を釣り出
すための囮だった。本来は三航戦と四航戦──すなわち、瑞鶴・瑞鳳・千歳・千代田・
隼鷹・龍鳳の六隻のみを投入する予定だったのだが、瑞鶴の他は小兵ばかりで、機動部
隊としては小粒だ。そこで白羽の矢が立てられたのが、内地で編成中の一航戦だった。
新造空母の雲龍と天城で構成され、秋にはさらに同型艦の葛城と超大型空母信濃を編入
する予定となっている海軍期待の戦力だったが、実際にはマリアナで損耗した母艦航空
隊の再建には半年は掛かると見られており、一航戦は搭載機のあてもつかないまま慣熟
訓練だけを行っている状態だった。




十月二十四日の朝日が昇る。空模様は一面の曇天だった。大和・武蔵を中核とする第一
遊撃部隊第一群と分離してから、二日が過ぎようとしていた。
「……なのに空襲も敵潜の攻撃もなし。そろそろ比島も見えようかというのにな。はた
して見つかっていないのやら無視されているのやら……」
 訝り半分、苦笑い半分といった表情を浮かべる西村中将。彼の麾下兵力は、戦艦扶
桑・山城、重巡最上、駆逐艦満潮・朝雲・山雲・時雨というわずか七隻の小勢に過ぎな
い。もしも機動部隊から本格的な空襲でも受ければ、ひとたまりもなく殲滅されてしま
うだろう。
 もっとも、西村艦隊よりも米軍が食いつく率の高そうな目標は、フィリピン海域に二
つは存在しているはずだった。小沢機動部隊がうまく囮になれればいいのだが、もしも
敵が栗田艦隊のほうに向かってしまった場合は、小沢艦隊との共同作戦となるだろう。
「そのときは、我が扶桑・山城が突入の主役だ……栗田長官からは何も言ってきておら
んか?」
「は。今のところまだ」
「そうか。対潜警戒は引き続き厳にな」
 スル海は、不気味なほどの静けさを保っていた。
「前方に島影。ネグロス島です」
「レイテまで、あと一日か……」


「シブヤン海に?」
 索敵爆撃スコードロンのSB2Cが送ってきた敵艦隊発見の報告は、合衆国海軍第三
艦隊を率いるハルゼー大将にとっては意外な情報だった。戦艦五隻を中心とする大規模
な水上艦部隊が、シブヤン海を東進しているというのだ。陣容から考えて、昨日潜水艦
ダーターとデースが報告してきた艦隊に間違いない。
「ルソン海峡を抜けて、本国からの空母部隊と合流するんじゃなかったのか」
「駆逐艦の航続力に不安があるのでしょう。日本軍は、ここ数ヶ月の間に艦隊随伴型の
高速タンカーを少なくとも七隻は失っているはずです。できるだけ近いルートを選択し
たいと考えるのも無理はないかと」
 参謀長の発言に、ハルゼーは頷いた。
「どっちにせよ、ロクに身動きも取れない内海に大型艦がひしめいているんだ、これは
絶好のチャンスだと考えていい。ミッチャーに連絡だ。攻撃隊発進かかれ! 十五分で
全部上げるんだ!」
 ただちに、ミッチャー中将率いる第三八任務部隊に連絡が飛び、F6F艦戦二一機、
SB2C艦爆十二機、TBM艦攻九機の第一次攻撃隊が放たれた。続いて、彼らが第二
次攻撃隊の発進準備に掛かろうとしたまさにそのとき、ルソン島東方海域を捜索してい
たSB2Cが至急報を送ってきた。
「エンガノ岬東方約二〇〇マイルに敵艦隊を発見。空母八隻、戦艦二隻、巡洋艦以下約
十隻。ベクター一六〇、十六ノット」
 それを耳にするなり、ハルゼーの顔色が変わった。

 ハルゼーは直感していた。
 北の空母部隊こそが日本軍の本命である、と。
 一面においてそれは事実であった。捷一号作戦の原案においては、空母部隊はその搭
載機の攻撃力を以って敵艦隊制圧の任に就くと同時に、主力に不測の事態が生じた場合
には、これに代わってレイテ湾の輸送船団および上陸部隊に対する攻撃をおこなうもの
と定められていた。
 だが、十月十日から一週間余りに渡って繰り広げられた南西諸島方面での航空戦の結
果、陸揚げされていた母艦航空隊は百機をゆうに超える損失を出していたのだ。このた
め第三艦隊は著しくその戦力価値を減じていた。搭載機そのものはまだ一八〇機以上残
ってはいるが、このうち雷爆撃機は瑞鶴と隼鷹が搭載する二九機のみでしかない。つま
り、母艦航空隊の対艦・対地攻撃力は、事実上消滅したに等しかった。
 無論、ハルゼーにしてみればそんな事情を知る由もない。彼にとっては、開戦以来
散々わが身に叩き込まれた日本海軍母艦航空隊の攻撃力こそがすべてであった。四ヶ月
前のマリアナ沖で大きなダメージを与えたと思っていたが、今回また八隻もの母艦を繰
り出してきたところを見ると、どうやらこの短期間で空母機動部隊の再建に成功したら
しい。
「敵ながらさすがの手腕だと言っておくぜ。だが、今度こそ終わりだ。一隻残らず海に
叩き込んでやるから、首を洗って待ってろよ!」
 ハルゼーの口元にうっすらと笑みが浮かんだ。好敵を前にした興奮の表出だったが、
偶然それを目にした幕僚の一人は、蛇の視線に射られた蛙のような気分になっていた。


 いっぽう、当の小沢艦隊ではちょっとした問題が持ち上がっていた。
「燃料が?」
「残念ですが、一駆連は帰すしかありません」
 当初の計画では、隼鷹と伊勢・日向から駆逐艦に燃料を補給する予定だったのだが。
「内地配備の泣き所はこれなんだよなぁ……」
 もともと、軽巡多摩および駆逐艦桑・槇・杉・桐で構成された第一駆逐連隊は、訓練
部隊として編成されたGF直轄の小艦隊を出撃直前になって急遽編入したものだ。五五
〇〇トン型でも最古参の旧式軽巡と二線級の松級駆逐艦という構成からも、この戦隊が
戦力としてカウントされていなかったことがわかる。訓練部隊であるからして、当然練
度も低い。
「油槽艦の損失が響いていますね」
 南方資源ルートを航行する輸送船舶の損害は、ここ半年ほどの間に猛烈な勢いで上昇
曲線を描いて増大している。特に油槽船の損害は著しく、内地では燃料不足のために、
訓練すら思うに任せない状態だった。
 小沢艦隊は、この影響をもろに被っていた。ただでさえ当初計画よりも重油の割り当
てを減らされていたところに、正規空母を二隻も増やしてしまったのだ。戦艦から駆逐
艦に補給できる燃料も、極めて限られた量となってしまっていた。随伴駆逐艦が半分に
なってしまうのは痛いが、無い袖は振れないのだから仕方がない。
「やむを得ん。多摩に信号を送れ」
 多摩艦長の山本大佐はずいぶんと渋っている様子だったが、やがて折れたのか松級駆
逐艦四隻を連れ、高雄に向かって退避していった。
 小沢艦隊の直衛艦は、戦艦二・巡洋艦二・駆逐艦四となった。


「で、我々は結局どうすればいいんだ?」
 志摩清英中将率いる第二遊撃部隊。重巡那智以下巡洋艦三隻、駆逐艦四隻を擁する軽
快部隊であったが、現在は完全な遊軍と化していた。いくら遊撃部隊と銘打っていると
はいえ、本当に遊んでいては洒落にもならない。一応、事前の行動計画通り左手にミン
ドロ島を見ながら南下を続けている。
 場合によってはそのままシブヤン海に突入しなければならないポジションだけに、最
初のうちは司令部にも緊張感が漂っていたのだが、内地を出てから一週間近くにも渡っ
て敵からも味方からも事実上の音沙汰なしでは、いくら精強を誇る日本海軍といえどい
い加減空気も緩み始める。
「事前の命令に変更を行うとの連絡は入っておりません」
「結局、『レイテに突入せよ。方法は任せる』ってことか?」
「そうするより他はありませんなぁ」
「とはいえ、栗田隊は随分と先に行ってしまったしなぁ……よし、このまま南下して西
村隊を追求。スリガオ海峡を抜けてレイテ湾に向かおう。航海参謀、計算を頼む」
 多少遠回りになってしまうが、鈍足の西村隊にならスリガオを抜けたあたりで追いつ
けるかもしれない。そう思って下されたこの判断が後にどのような効果を生むか、志摩
艦隊の誰も気付いてはいなかった。


「被害はどの程度だ?」
「武蔵に魚雷が一本命中しました。バルジで食い止めており、航行には支障ない模様で
す。あとは、本艦と長門に至近弾が数発あった程度です」
 伝令の混雑の割には情報の伝達は迅速だった。第一遊撃部隊と第一戦隊、二つの司令
部が同居する大和の艦内は、定員を大幅に上回る人間によってごったがえしている。
 小柳参謀長の報告に、栗田中将は胸をなでおろした。さっき武蔵に水柱が立ったとき
にはどうなることかと思ったが、やはりそこは大和級戦艦、この程度の打撃では小揺る
ぎもしないようだ。
「対空警戒態勢を維持。今の一波で終わりということはあるまい。このままシブヤン海
を突っ切るぞ。一隻の脱落も出すな」
「宜候」
 だが、栗田艦隊への空襲は、第一波の四二機だけでぱったりと止んでしまった。日が
傾き始める頃にはマリンドゥク島を指呼の距離に収めようかと言う海域にまで差し掛か
ったが、空には飛行機どころか海鳥一羽飛んでいない。
「来ないな……一体どういうことだ」
「罠とも思えんが……」
「連中、弁当でも食べているとか……いや、まさか」
 あまりといえばあまりに拍子抜けの事態に、小柳参謀長からまで似合わない冗談が飛
び出す始末。
「とにかく、対空対潜警戒を厳にせよ。敵陣で何があったかは知らんが、いずれにせよ
必ず敵は現れるぞ」
 栗田中将が、白け始めた場の空気を引き締めるように命じた。


 ハルゼー艦隊は、敵襲の真っ只中にあった。ヘルキャットの防衛ラインをかいくぐり
猛烈な対空砲火を突破して来たのは、液冷エンジンの急降下爆撃機と大型の雷撃機。中
には、双発の中型爆撃機まで含まれている。彼らは二航艦の基地航空隊だった。
 次々と火網に絡め取られながらも、日本軍機は進撃を止めなかった。落としても落と
しても、次々と湧いて出てはしゃにむに突入してくる。目標は、シャーマン少将の第三
任務群。
「いいぞ、どんどん撃て!奴らを寄り付かせるな、マリアナ沖の二の舞にしてやれ!」
 五インチ両用砲が、四十ミリ機関砲が、唸りを上げて砲弾を送り出す。横殴りの吹雪
と称して相違ない密度で飛び交う各種の火箭。輪形陣に突入しようとした彗星や銀河が
片っ端から炎に包まれて海面へ突っ込み、あるいは空中で爆発四散して果てる。マリア
ナ沖で猛威をふるった射撃管制レーダーと近接信管は、ここでも存分に本領を発揮して
いた。
 だが、砲弾の威力そのものが上がったわけではない。突入してくる攻撃機に致命傷を
与えることはできても、時速三百キロ以上で突進する重量数トンの物体を完全に粉砕す
ることはできなかった。
 この隙を突いて、一機の銀河が突っ込んできた。左主翼が半ばから吹き飛び、機首の
キャノピー部は無残に叩き潰されている。両翼のプロペラは、もはや空気抵抗によって
空転しているだけだ。三名の搭乗員も全員戦死し、完全に死に体の鉄塊。だが、その落
下する先にはしっかりと軽空母プリンストンが捉えられていた。
「敵機一、プリンストンに突入──あぁっ、神様!」
 見張り員の報告は、途中で悲鳴に変わった。
「何だ、何が起きた!」
 突如輪形陣の中で上がった火柱。それに伴う衝撃波が、シャーマン少将を高揚状態か
ら現実へと引き戻した。
 たった今までプリンストンの存在していた位置には、巨大な火柱が発生していた。
 八百キロ航空魚雷を抱えた銀河は彼女のアイランド脇の飛行甲板に斜めから着艦する
ような角度で激突し、飛行甲板に半ば埋もれるような位置で弾倉に抱えていた魚雷を炸
裂させた。
 なんとも間の悪いことにプリンストンの甲板上では、栗田艦隊への第二次攻撃隊とし
て出撃準備中のTBMアヴェンジャー雷撃機四機が雷装のまま待機していた。飛行甲板
とギャラリーデッキの両方で発生した爆風は、瞬く間にこの四機を巻き込み、ここから
生じた新たな爆炎は、排水量一万トンの艦全体を呑み込んだ。そして格納甲板でも連鎖
的に誘爆が発生するに及んで、哀れな軽空母の上構は完全に吹き飛ばされた。露天甲板
と化した格納庫から猛烈な勢いで火災炎と黒煙を噴出しながらプリンストンは燃え続け
た挙句、三十分後に雷爆弾庫の誘爆が発生。消火と生存者救出のために横付けしていた
巡洋艦バーミンガムの上構中央部を巻き添えになぎ倒し、真っ二つに折れて沈んでいっ
た。

 ハルゼーは、決断を迫られていた。
 現在のところ、叩くべき相手は二つ。ルソン北東沖の空母部隊と、シブヤン海を東進
してくる水上部隊だ。
 彼の脳内では、猛烈な勢いで判断材料が積み重ねられていた。猪武者の代名詞のよう
に言われるハルゼーだが、それは上辺の性格だけのこと。実際の彼は、頭脳明晰で決断
力と闘志に溢れた優秀な指揮官だ。
 シブヤン海を東進してくる水上艦部隊には、戦艦五隻が含まれているという。だが、
この艦隊には航空機の上空援護がない。ジャップが何を考えているかは知らないが、仮
に本気でレイテまで突っ込ませるつもりなら、戦闘機を積んだ軽空母の二、三隻は随伴
させているはずだ。
 いっぽう、北からやってくる空母部隊。連中の空母はこっちのものよりも若干搭載機
数が少ないらしいが、八隻もいるというからには、艦載機総数は常識的に考えれば三百
機はくだらないはずだ。これだけの機数に殴りかかられては、いくら我々が大軍を誇る
といえど無事では済まない。現に、シャーマンはプリンストンを失った。ましてやレイ
テ湾の輸送船団のことを考えればなおさらだ。結論。倒すべき相手は決まった。
「本命は北から来る奴だ。サンベルナルジノには水上砲戦部隊を残置して本隊はこのま
ま北上、ジャップの空母部隊を叩く。今日中にカタをつけるぞ、全員気を抜くな!」
 ハルゼーは将旗を戦艦ニュージャージーからマッケーン隊の重巡ボストンに移すと、
戦艦六・巡洋艦四・駆逐艦十二の兵力をサンベルナルジノに残して指揮をリー中将に委
ね、全速力で北上を開始した。


 第七艦隊のキンケイド長官は、正直なところ困り果てていた。
 手持ちの兵力をどう配置すべきか、まったく判断がつかないのだ。
 彼の手元にあるのは、オルデンドルフ少将麾下の第七七・二任務群(戦艦六、巡洋艦
八、駆逐艦二一)およびトーマス・スプレイグ少将麾下の第七七・四任務群(護衛空母
十六、駆逐艦二一)。合計して戦艦六、巡洋艦八、空母十六、駆逐艦四二といえば第三
艦隊に匹敵する大艦隊だが、その内実はお寒い限りだった。
 まず、戦艦群は対地支援砲撃を重視して榴弾ばかりを積んで来たため、徹甲弾を用い
た対艦戦闘はせいぜい一会戦が限度だった。
 護衛空母にしても、商船に毛が生えた程度の低速小型艦ばかりで、搭載機はTBM雷
撃機はともかくとして戦闘機は一世代前のF4F、おまけに搭乗員は技量未熟な新米が
ほとんどであり、対艦攻撃力としてはほとんど期待できない。
「シブヤン海からの出口は、リーの戦艦部隊が抑えている……スリガオ海峡の動向が掴
めれば結論も出せるんだが」
 ちょうどそこに、索敵機からの情報がもたらされた。
「……戦艦だと? こっちにもいたのか!」
『ボホル島南南東二十マイルに敵艦隊を発見。戦艦二、巡洋艦一、駆逐艦五。ベクター
二七〇、十四ノット』
 キンケイド中将は、さらに判断に迷うこととなった。戦艦が南からやってくるとなれ
ば、手持ち兵力はスリガオ海峡に張り付けた方が得策だ。だが、サンベルナルジノの方
はそれで大丈夫なのだろうか。キンケイド中将の脳裏を、一抹の不安が掠めた。


 一五二〇時、二航艦からの第二次攻撃に合わせて小沢艦隊も攻撃隊を放った。瑞鶴と
隼鷹が搭載していた攻撃機は、彗星艦爆十三機、天山艦攻十六機の計二九機。これに、
護衛として零戦三四機(うち爆装二十機)が随伴することになっていた。
 だが、日本という国家の力がこの時期大々的に地盤沈下を起こしていることを象徴す
るかのように、彗星四機と天山一機、零戦二機が発動機の故障で出撃できず、彗星一機
と零戦二機が機体の不調によって進撃途上で引き返す羽目になった。最終的に米艦隊に
到達したのは、彗星八機、天山十五機、零戦三十機だった。これに、二航艦が送り出し
た一式陸攻二八機、銀河十二機、天山七機、紫電十三機、零戦十九機が加わる。昼前の
第一次攻撃で三七機を失っていたものの、空母一隻撃沈の戦果を挙げたことが幸いして
士気は依然高かった。
 いっぽう、これとクロスカウンターの形でハルゼー艦隊も攻撃隊を出していた。こち
らは艦戦四七機、艦爆五八機、艦攻六四機。合計一六九機の堂々たる戦爆雷連合だ。
「今度こそ決着をつけるぞ!存分に戦って来い!」
 旗艦ボストンの艦橋から、ハルゼーは出撃する搭乗員達を親指を立てて見送った。
 米海軍航空隊の通例に漏れず、彼らは艦隊上空で形ばかりの緩い編隊を組むと、飛行
隊単位での進撃を開始した。
 大空に放たれた攻撃機たちは、まだ目的地上空で何が自分たちを待ち構えているのか
予測していなかった。


 スル海を東進する西村部隊が米軍機による二度目の触接を受けたのは、いいかげん日
も傾きかけた一五五五時のことだった。
「この調子なら、日没までに二波というところか」
 西村中将も、いささか拍子抜けといった風情だ。レイテまでの最短コースを突進する
ルートを選択していただけに、道中で戦艦の一隻も空襲で失うくらいの覚悟でやってき
たのだが。
 ところが、そこからの展開はまたしても不可解なものとなった。
「敵機来襲ー!」
 見張り員の叫び声に、対空戦闘の喇叭が鳴り響く。北東の空にぽつぽつと現れた黒い
点のような単発の機影は、まぎれもなく米艦載機の証し。
 しかし、それにしては様子が妙だった。
「おい……連中、太陽を背にする程度の基本を知らんのか」
 山城の高射長が憮然とした顔でぼやいた。
「戦雷連合、雷撃機はアベンジャー。戦闘機は……グラマンですが、古いほうです!」
 扶桑の対空見張りの表情にも、若干の緩みが見られた。
 おまけに、どう見ても敵機の編隊はあきらかに統制を欠いていた。編隊の機体間隔は
ムラが多いし、全体に密度が薄いのだ。
「どういうことだ?」
 山城の艦橋では、全員が顔を見合わせていた。

 いっぽうそれとほぼ同じ頃、第三八任務部隊が放った戦爆雷連合一六九機は、小沢艦
隊の上空へと到達しかかっていた。だが、そこで彼らは、小沢艦隊の上空直掩戦闘機隊
七七機と正面衝突した。お世辞にも練度の高い編隊ではなかったが、なにしろ数が多
い。数群に分かれた米軍の攻撃隊にとっては、これだけの機数が一度に殴りかかってく
るとどうにもならなかった。
 第一波として突入したのは、F6F艦戦十四を露払いとするSB2C艦爆十三、TB
M艦攻九の一群だったが、たちまち乱戦に巻き込まれて散り散りになってしまった。そ
の後も五月雨式に来襲する米軍機は、直掩隊の層に阻まれて効果的な接敵ができずにい
た。
 もっとも、攻撃の効果がなかったわけではない。雲龍と天城にそれぞれ魚雷一本が命
中。雲龍のほうは若干の浸水と速力低下程度の被害で済んだが、天城は当たり所が悪
く、速力が二二ノットに低下。同時に、左舷に四度の傾斜を生じて艦載機の発着が不可
能となった。
 このほか、千歳の飛行甲板前部に五百ポンド爆弾一発が命中。彼女も一時的に艦載機
の発着ができなくなったが、なにしろ小沢艦隊で攻撃機を搭載しているのは瑞鶴と隼鷹
のみ。他の母艦は、全艦爆弾庫を空にして出てきている。故障で居残っていた零戦が火
災のあおりを受けて炎上したが、内務班の対応が迅速だったために早期消火に成功し、
危険な事態とはならなかった。
「緒戦は最小被害で切り抜けたな。あとは攻撃隊が頑張ってくれればいいんだが……」
 小沢中将は、南の空を見上げて呟いた。


 ハルゼー艦隊は、この日二度目となる空襲を受けていた。
 来襲したのは、陸攻と銀河合わせて四十機、彗星・天山が三十機、戦闘機が六二機。
 むろん、この全機が一度に来襲したわけではなかったが、合計一三〇機以上の戦爆雷
連合の攻撃力は決して侮れるものではない。
 いっぽう、過去数次に渡る空母戦によって磨き上げられた米艦隊の重厚な防空網も、
その真価を発揮していた。電探管制による直掩戦闘機隊の効率的運用は、同時期の日本
軍には到底真似のできない芸当だ。まず、先陣を切って飛び込んだ彗星の一群が瞬く間
に直掩のF6Fたちが織り成す十二.七ミリの火網に絡め取られて散った。続いて低空
から侵入を試みた四機の銀河も、高度一千で待ち構えていた一個飛行隊の毒牙に掛かっ
た。
 だが、それと時間差気味に突っ込んできた一式陸攻の一団は止められなかった。彼ら
は、電探の覆域より低い高度を突進してきたからだ。ようやくスコープが彼らの姿を捉
えたときには、既に警報の発令すら間に合わなくなっていた。狙われたのは、ボーガン
少将率いる第二群。対空砲火によって三機が撃墜されたが、残る六機が軽空母インディ
ペンデンスを狙える雷撃位置への占位に成功し、魚雷を投下した。左舷に水柱。命中魚
雷は一本だったが、場所が悪かった。左舷艦尾付近に突き刺さって炸裂した魚雷は、爆
圧で推進軸二本をへし折ったのだ。おまけに、それでなくとも復元性に難を抱えていた
クリーブランド級巡洋艦の船体に嵩張る空母の上構を載せたこのクラスの弱点が、はっ
きりと出てしまった。浸水量自体はたいしたことはなかったのだが、それでも彼女は左
舷に六度の傾斜を発生。艦載機の発着ができなくなった。
「ジャップめ、嫌なときに空襲を仕掛けてきやがる。すぐに反撃するぞ、準備できた奴
からどんどん上がれ!」
 攻撃を終えた日本軍の航空隊が引き上げていくのを見ながら、ハルゼーは顔をしかめ
た。インディペンデンスの状態は思ったよりも悪く、ウルシーに廻航してドック入りさ
せる必要があると言ってきた。昼過ぎの空襲で爆沈したプリンストンとあわせて、これ
で第三艦隊は空母二隻、およそ八十機分の攻撃力を喪失した計算となる。ここはなんと
しても、カウンターパンチを放って空母の一隻も仕留めなければなるまい。
 米艦隊から放たれた二の矢は、艦戦五二・艦爆四九・艦攻七十。計一七一機の大編隊
が、五群に分かれて大挙北上していった。攻撃隊を送り出した各空母の艦上は、続いて
燃料補給のローテーションで降りてくる直掩隊の交代機を送り出す作業で大混雑となっ
た。
 そこに、ルソンの基地航空隊が放った三の矢が飛び込んできた。陸攻十一、銀河六、
彗星八に零戦十六という小勢だが、彼らはちょうど、交代時間が迫って気の緩みが生じ
た直掩隊の隙を突く絶妙なタイミングで突撃を開始した。
 半ば不意を討たれた形の直掩隊は効果的な迎撃が行えず、二五機の攻撃機のうち半数
以上が突入に成功した。米艦隊にとっては最悪の状況だった。攻撃隊は発艦直後の直掩
機と入り乱れる形になったため、対空砲火も満足に撃つことができない。攻撃隊のうち
最終的に離脱に成功した機体は九機に過ぎなかったが、彼らはマッケーン隊の正規空母
ワスプに五百キロ爆弾二発を叩きつけることに成功。これが甲板上に並んでいたF6F
の燃料に引火し、ワスプは艦首からアイランドにかけてを猛火に包まれた。
 幸い、ワスプの火災は二十分ほどで鎮火した。三十名ほどの死傷者が出たものの、戦
闘力発揮に問題はなかった。格納庫の機体にも被害はない。だが、甲板上で消し炭とな
った戦闘機の処理と爆弾による被害の応急処置のため、ワスプの飛行甲板は二時間に渡
って使用不能となった。彼女は正規空母であるだけに、ハルゼーにとっては実に頭の痛
い状況だ。
「ええい、くそっ!忌々しい奴らだ!こっちが陸上基地にまで手を出してる余裕がない
ことを知ってやがるのか?」
 ハルゼーの言う通り、第三八任務部隊の現状は日本空母への攻撃で手一杯だった。と
てもではないが、ルソン各地に散らばった航空基地を叩いている余裕はない。
 だが、それらの基地に展開している兵力の素性を知ったとすれば、ハルゼーの血圧は
さらに上昇していただろう。彼らは、一週間前に第三艦隊が攻撃を行った台湾と沖縄の
基地航空隊の生き残りから再編成された部隊なのだ。言うなればハルゼーは、先日の食
べ残しからしっぺ返しを食らったようなものだったのである。
 ──畜生、奴らを甘く見ていたか。
 ハルゼーは思った。今日中にカタをつけるつもりだった空母部隊への攻撃だが、これ
で明日にずれ込むことは確実だ。これではまるで、ジャップの思う壷じゃないか。くそ
ったれ。
 各空母の艦上では、アクシデントによって遅延された直掩隊の交代作業が大車輪で続
けられていた。直掩機の中には、空戦によって燃料を浪費したことで不時着水を余儀な
くされたものも少なくなかった。


 その頃、西村艦隊もスプレイグ空母部隊の空襲を受けていた。ところが、はるか北方
で繰り広げられているものとは対照的に、こちらの戦いはどうにも締まらない様相を呈
し始めていた。
 まず、米軍機の編隊……というか集団は、西村艦隊に到達した時点で、既に編隊とし
ての統制を半ば失いかけていた。彼らは、海岸線の沖合数十キロから発進して地上の防
御陣地や補給拠点を各個に叩くような任務の経験はそれなりにあったが、島嶼群を飛び
越えて長駆数百キロを進出し、敵艦隊を攻撃する任務はこれが初めてだった。
 また、彼らの中で最大の対艦攻撃力を持つTBM飛行隊は、護衛空母部隊にとっては
虎の子ともいえる雷撃部隊だったが、彼らはこれまでの任務上出撃回数そのものがそれ
ほど多くなく、航法や編隊維持をはじめとする基本的な操縦技術の点でかなりの不安が
あった。
 さらに直衛のFM−1は、原型機であるF4F譲りともいえる空力特性の悪さと、武
装強化による大々的な重量増が祟って巡航速度が極めつけに遅く、TBMに随伴して進
撃するのも一苦労だった。このため、ただでさえ練度の低い搭乗員に操られている編隊
が、さらに拡散する結果となってしまった。
 しかも攻撃機の多くは、艦隊接近の報を受けてとるものもとりあえず飛び出してきた
ために、吊下している爆弾は小型のものがほとんどで、中には陸用爆弾を積んでいるも
のまでいた。これでは対艦攻撃力には期待できない。
 かくして対空戦闘は、お互いに低威力で当たらない攻撃を闇雲に繰り出す形で終わっ
てしまった。米軍の挙げた戦果は、駆逐艦満潮に陸用小型爆弾の命中一発だけだった。

「被害知らせ」
「艦尾に爆弾一を被弾、爆雷投下軌条が使用不能です。小規模な火災が発生しましたが
まもなく鎮火の見込みで、機関・舵とも損傷ありません。人員は戦死なし、負傷者六」
 上がってきた報告に、満潮駆逐艦長の田中少佐は安堵の息をついた。
 既に太陽はずいぶんと西へ傾き、水平線は橙色に染まりつつある。空襲を仕掛けてき
た米軍機があらかた西村艦隊の上空から姿を消し、三十分が過ぎようとしていた。
「今日の空襲はこれで打ち止めかな。これ以上遅いと、帰艦が日没後になるだろうし」
 田中少佐は、北東の空を見上げた。深い藍色に染まりつつある空には、気の早い一番
星が光を放っていた。

「スリガオ海峡突入の予定時刻ですが、ずいぶんとずれ込みました。正確なところはま
だ出ておりませんが、おそらく明朝〇六三〇頃になる見通しです」
「昼過ぎから空襲を受けっぱなしでしたからなぁ。幸い被害らしい被害もありませんで
したが、回避運動に思ったよりも時間を食われてしまいました」
 航海参謀の報告に、砲術参謀がぼやいた。
「すると、昼間砲雷戦を覚悟せねばならんか」
 西村中将は腹を括った。味方の航空偵察によれば、スリガオ海峡からレイテ湾にかけ
ての海上には戦艦六・重巡九を含む優勢な敵艦隊が控えているという。この小勢でどれ
だけ戦えるかは分からないが、今はとにかく一隻でも敵を討ち減らすことを考えるのみ
であった。


 小沢中将は、直立不動で無言のまま左舷の海上を見詰めていた。そこでは、二十分前
まで空母天城であったものが、箱型の篝火と化して海面下に没しようとしていた。
 ハルゼーが放った第二波攻撃隊は、攻撃目標分散の愚を冒した第一波の失敗を踏まえ
てか、左翼に位置していた一航戦に攻撃を集中した。具合の悪いことに、一航戦は第三
艦隊でもっとも練度が低い部隊だった。直掩の零戦隊も奮戦して少なくとも十機以上の
撃墜を記録していたが、一二〇機以上の攻撃機を全て食い止めるには至らなかった。稚
拙な回避運動をあざ笑うかのように爆弾と魚雷を次々と叩きつけられた天城は、あっと
いう間に五発以上の直撃弾と無数の至近弾を浴び、消火不可能な大火災と十度以上の傾
斜を生じて海上に停止。加えてダメージコントロールに失敗し、機関室への火災延焼を
許したことが致命傷となって、僅か二ヶ月余りの短い生涯にピリオドを打たれた。
 また、僚艦の雲龍も、第一波で受けた損傷に加えて千ポンド爆弾二発と魚雷一本を被
弾し、火災とさらなる速力低下に見舞われている。
「雲龍は台湾にでも避退させたいところなんだが……護衛に割ける艦が居らんしなぁ」
 やはり、一駆連を引き返させたのは失敗だったか。苦渋の表情を浮かべる小沢中将の
耳に見張り員の報告が届いた。
「天城、沈没します!」
「各艦、溺者救助を急げ。日没まであまり時間がないぞ」
 小沢中将はそう命じると、未練でも残したかのように海面に突き出したままなおも数
分間粘っている天城の舳先に向かって、見事な敬礼を送った。


 すっかり日も暮れようかという一八一〇時、ハルゼー艦隊はこの日四度目の空襲を受
けた。水平線に落ちかかった西陽を背にしての薄暮攻撃である。夕暮れ時の赤光を闇色
の海面が乱反射するという状況は、低空を進撃する攻撃隊の視認には最悪のコンディシ
ョンだった。米艦隊は電探によって攻撃隊の接近を察知することはできたが、肝腎の直
掩戦闘機隊が攻撃隊の発見に手間取り、またしても日本軍機は輪形陣への投弾に成功し
た。
 今回来襲したのは、陸攻四・銀河六・天山六および零戦・紫電合わせて八という小編
隊。第一、第二両航空艦隊の搭乗員から天測航法に長けた腕利きを選抜しての一発勝負
だった。中には、T部隊の生き残りまで混じっている。
 昼間の攻撃で無傷だったデビソン隊に襲い掛かった彼らは八機を撃墜されたものの、
軽空母サンジャシントに五百キロ爆弾の直撃一、至近弾二および魚雷命中一の戦果を挙
げた。サンジャシントは飛行甲板こそ大きな被害を免れたが、アイランドへの直撃弾で
艦長以下首脳部人員のほとんどを失ったため、一時的にダメージコントロール機能が麻
痺。このため浸水に対して有効な対策が打てずに被害が拡大し、結局隊列から脱落して
ウルシーへ逃げ帰る羽目になった。


 この一撃を最後に、後の戦史書にて第一次エンガノ岬沖海戦と呼ばれる戦いは一段落
した。だが、戦況そのものはここから急激に動き始めていた。フィリピン海域全体に散
らばっていたホット・スポットが、一点に収束しようとしていたのだ。場所は、サンベ
ルナルジノ海峡。両軍最有力の水上砲戦部隊が、正面から相見えようとしていた。




#191/598 ●長編    *** コメント #190 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  02:56  (364)
暁のデッドヒート 2   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:14 修正 第2版
「合戦準備、夜戦に備え!」
 栗田長官が、快活な声で発令した。昨日パラワン水道で乗艦だった愛宕を撃沈されて
以来一睡もしていないはずだが、その疲労を微塵も感じさせない。
 無理もなかった。ソロモン海域で喫した不名誉な敗北以来、実に二年ぶりに帝国海軍
の戦艦部隊がその汚名をそそぐ機会が巡ってきたのだ。時刻は二二五〇時。雲間から覗
く月明かりの元には、サンベルナルジノ海峡の太平洋側出口に陣取る米艦隊の姿が見て
取れた。


「海峡入口に複数の大型艦反応!」
 旗艦ニュージャージーのCICに詰めているリー中将の元に、対水上電探からの報告
が飛び込んだ。
「来たか!」
 誰かが声を上げた。
「最大戦速、右砲戦。敵は手強いぞ、先頭艦から集中射撃で潰していけ!」
 リー中将の指示が下された。
「A、B両砲塔、射撃準備よし」
「X砲塔準備よし」
「敵先頭艦まで三三〇〇〇ヤード!」
「まだだ、しっかりと引き付けて確実に仕留めろ!」
 ニュージャージー以下六隻の戦艦群は、慎重に間合いを測っていた。


 大和級戦艦にとって最適な砲戦開始距離は、三六〇〇〇と言われていた。彼女を先頭
に、武蔵・長門・金剛・榛名と続く艦列は、サンベルナルジノ海峡の狭水路に突入する
前から戦闘準備を完了していた。その中には当然、主砲の射撃準備も含まれている。
 もっとも、夜戦という環境においてはその距離は必然的に短くならざるを得ない。日
本製の電探は射撃管制に光学照準を併用しないとまともな諸元を出せなかったし、いく
ら日本海軍の夜間見張り員が極めつけに優秀とはいえ、肉眼での視認距離は二万メート
ル強が限界だった。
 だが、これは専用の射撃管制電探を装備している米艦隊とても同じこと。いくら光学
機器に頼らず射撃可能とはいえ、電探だけで精度を出そうと思ったら二五〇〇〇までは
詰めなければ命中は覚束ない。
「艦長、行けるか?」
「全砲門、射撃準備よし。さっきからお待ちしておりますよ」
 宇垣中将の問いに、森下少将が楽しくてたまらないといった様子で応じた。
「よし、おおいにやろうじゃないか」
 大きく頷くと、栗田中将は大音声で発令した。
「撃ち方、始め!」
「テ────ッ!」
 一瞬の間をおいて夜戦艦橋の窓から閃光が差し込み、艦全体を激しい衝撃が覆った。
就役より三年の時を経て、この凶悪で優美な巨獣が生涯初めて敵に向かって炎を吐き出
した瞬間だった。

 リー中将率いる第三四任務部隊は、戦艦ニュージャージー以下、アイオワ、サウスダ
コタ、マサチューセッツ、アラバマ、ワシントンを中核に、巡洋艦ニューオーリンズ、
ヴィンセンス、マイアミ、モービル、駆逐艦十二隻で構成された、米海軍では最強の戦
力を擁する純粋な水上砲戦部隊だ。戦艦部隊が単縦陣を組んで海峡出口から二二〇〇〇
メートルのラインに丁字を描くように布陣し、その前方に巡洋艦と駆逐艦がスクリーン
を張るという隊形で日本艦隊を待ち構えていた。
 これに対して栗田中将率いる第一遊撃部隊は、旗艦大和を先頭に武蔵、長門、金剛、
榛名と続く戦艦群を先頭に立て、その後方から重巡および水雷戦隊が追従する形となっ
ていた。本来なら夜戦では偵察艦の前衛を立てるのがセオリーではあったが、今回は海
峡出口に敵艦隊の存在が確実視されていたため、最も耐久力の高い戦艦を先に立てる作
戦だった。

 大和が距離二二〇〇〇メートルで前部砲塔から放った四発の砲弾は、駆逐艦や巡洋艦
の頭上を飛び越えて、旗艦ニュージャージーの左舷に着弾した。
「だんちゃーく、遠、遠、遠……全て遠!」
「下げ二、苗頭そのまま!」
「敵艦、発砲!」
「一番、二番、射撃準備よし!」
「テ────ッ!」
 その直後、大和に続いて後続の武蔵も射撃を開始した。


 アイオワの右舷艦橋ウィングに配置されていた見張長は、その一撃に目を見張った。
ちょうど二年前のガダルカナル海戦。彼は戦艦ワシントンの見張員としてあの海戦に参
加し、霧島の十四インチ砲による砲撃を目の当たりにしていたのだ。
 今回目の前に出現している水柱は、あのときのものよりも確実に二回りは大きかっ
た。
(ちょっと待てよ、おい)
 彼は嫌な予感がしていた。どうも話が違うんじゃないか?情報では、ジャップの新型
戦艦の主砲は十六インチ砲だという話だったんだが。こいつは、ひょっとするとそれ以
上かもしれん。
 敵の先頭艦が、主砲を斉発するのが見えた。発砲炎の光芒の中に浮かび上がったその
姿は、彼には地獄の底から這い出してきた魔獣のように思えた。
「敵一、二番艦はヤマト級。その後方にナガト級一隻が後続。以下、コンゴウ級戦艦二
隻を認む」
「第三斉射、目標を夾叉!」
 リー中将は、口元に満足気な笑みを浮かべた。なんとか海峡通過前に捕まえることに
は成功した。
「あとは、料理人の腕次第だ……こいつは大物だぞ」
「第四斉射、目標に命中弾、少なくとも一!」
 ニュージャージーのCICに、興奮とも感嘆ともとれないどよめきが発生した。

 ニュージャージーが放った重量一.二トンのスーパーヘビーシェルは、二二〇〇〇メ
ートルの距離を軽々と飛び越え、大和の第二砲塔左舷側の上甲板に命中。短遅動信管が
作動して、巨弾を炸裂させた。
 ヴァイタル・パートの装甲を貫くには至らなかったが、居住区画を中心に少なからぬ
破壊がもたらされ、可燃物が炎上する。
「消火急げ! 先を越されたぞ! 何をやっとる!」
 森下艦長が砲術科員たちを叱咤する。くそっ、これが電探管制射撃ってやつか。よほ
ど優秀な夜間見張り員が揃っていても、なかなかこうは行かんぞ。
「武蔵第四斉射、敵一番艦を夾叉!」
「第五斉射、弾着、今……近・近・遠・近・遠・遠!」
 おお、という誰かの声が上がる。見事な夾叉だった。
 間髪をいれず、第六斉射の三発が放たれる。その直後、アイオワとマサチューセッツ
が放った合計九発がほとんど同時に着弾。一発が直撃したが、これは第一砲塔の前楯が
難なく跳ね返して明後日の方向へ消えていった。
 そして、武蔵の第五斉射がニュージャージーを捉えた。第二煙突基部に命中。近距離
での十八インチ弾の破壊力は絶大だった。両用砲二基が消失し、上構そのものにも大穴
が空く。損傷した煙路から排気が噴出し、ニュージャージーの後檣から後ろは煙に包ま
れた。それを振り払うようにニュージャージーは斉射を放ったが、直後に今度は大和の
第六斉射が落下。前檣楼直前を直撃して艦橋を半壊させ、上にあった対空射撃指揮所を
吹き飛ばした。


 艦橋上部を襲った直撃弾の衝撃に、CICに詰めていた要員は大半が床へと投げ出さ
れた。照明が明滅して非常灯に切り替わる。
 指揮官用座席から転がり落ちたリーは、頭を振って立ち上がった。
「損害報告!」
 艦長の指示に、艦内を連絡が飛び交う。
「艦橋上部被弾。航海艦橋が全滅です!」
「前部対空射撃指揮所、応答ありません!」
「通信アンテナ損傷! 無線が不通です!」
「衛生班を艦橋に向かわせろ。応急班は通信の復旧を急げ」
「マサチューセッツに発光信号。『我に代わり砲戦指揮をとれ』」
 旗艦が通信能力を失った以上、復旧までの間代理指揮をとる艦が必要だ。第三四任務
部隊の指揮権は、一時的に戦艦マサチューセッツに座乗するバジャー少将に継承され
た。
「CICより後檣楼。敵一番艦に変化はないか?」
「小規模な火災が数箇所に認められますが、速力・砲力とも衰えていません──あっ、
敵艦、第八斉射」
 リーは唸った。さすがに新型艦ともなると装甲が厚い。既に五発は命中弾──それも
十六インチSHSのハードパンチ──を叩き込んでいるはずだが、想像以上にタフな奴
だ。あるいは、我が方のサウスダコタ級やアイオワ級に匹敵する重防御を施されている
のかも。
「先陣切って突っ込んでくるだけのことはあるな。日本軍の自信作というわけだ」
 その直後、朗報がもたらされた。
「敵五番艦に命中弾、大爆発しました!」


 砲戦指揮を継承したバジャー少将は、アラバマとワシントンの二隻に分火を命じた。
いくらレーダー管制射撃が可能とはいえ、六隻もの戦艦が狙いを集中していては、まと
もな弾着観測ができなくなってしまったからだ。
 命令を受けたアラバマとワシントンは、日本側戦艦群の最後尾を進んでいた榛名に狙
いをつけた。距離は約二六〇〇〇ヤード。初弾でいきなり夾叉を出し、第三斉射以降つ
ぎつぎと命中弾を送り込んだ。
 改装を受けて合計一七〇ミリもの厚さに増強されている金剛級戦艦の多重甲板装甲は
超大重量砲弾の威力によく耐えた。だが、新造時から変更されていない舷側装甲にとっ
ては、これは限界を遥かに超える打撃だった。舷側を叩き破った徹甲弾が艦内で炸裂す
るたびに、夥しい鉄片と人間が海上へと撒き散らされ、無数の火災が発生した。榛名も
負けじと撃ち返すが、艦齢にして三十年近くも若い新型艦の相手は、この老嬢には荷が
勝ちすぎた。かろうじてワシントンの両用砲塔と機銃座数基を破壊したが、そこで限界
が訪れる。アラバマの放った十六インチ砲弾が艦中央部の舷側装甲区画を貫通。艦内奥
深くで発生した爆発は、タービン二基をスクラップに変え、隣接したボイラーまでも打
ち倒した。立て続けに発生した大爆発に、三二〇〇〇トンの巨体が悲鳴をあげる。一気
に足が鈍ったところに、今度はワシントンの主砲弾が第四砲塔真横の上甲板を直撃。艦
内の隔壁を次々と突破し、バーベット下部を貫通した砲弾は、後部弾薬庫の一番深いと
ころまで転がり込んで信管を作動させた。
 大正四年竣工のベテラン戦艦は、戦闘中の艦艇全てを揺るがすような大音響と火柱を
上げ、四分五裂に引き裂かれて波間に消えた。


「榛名、沈みます!」
「くそっ、仇は討つぞ!」
 重巡群の先頭を進む利根の戦闘艦橋で、艦長の黛大佐は彼方の米艦隊を睨みつけた。
 内側から弾け飛ぶように船体を分断された榛名は、もはや海面に広がった重油の膜の
ほかは海面に突き出た舳先を残すのみだ。
「後続、海峡部抜けました!」
「よぉし。突撃、突撃だ!」
 旗艦熊野に座乗する白石少将からも、発光信号で突撃命令が下された。重巡七隻と軽
巡二隻、駆逐艦十二隻が三五ノットの最大戦速で突っ走る。米艦隊前衛も砲力を総動員
して迎撃。個艦の砲力では米軍に軍配が上がるが、なにしろ日本側は破壊力と頭数で勝
っている。各艦合計六六門の二十サンチ砲を振りかざし、重巡部隊が先陣切って突っ込
んでいく。その後に、軽巡矢矧と能代に率いられた駆逐艦部隊が続く。
 真っ先に、ニューオーリンズがめった打ちに遭った。八インチ砲搭載艦で防御力に優
れる故に戦隊旗艦に位置していた彼女だが、いくらなんでも自艦の七倍以上の火力を浴
びて平気な設計などされていない。たちまちのうちに二十発になんなんとする直撃弾と
無数の至近弾を浴び、右舷に大傾斜を生じて炎に包まれた。沈没は時間の問題だった。
 日本側も無事ではない。重巡群の二番手を航行していた鈴谷がクリーブランド級巡洋
艦三隻の集中砲火を浴び、艦橋から後檣にかけてをボロボロに食い破られて炎上。動き
が止まったところに駆逐艦が放った魚雷二本を叩き込まれ、あっという間に転覆して姿
を消してしまった。

「デンヴァーより報告。敵巡洋艦・駆逐艦部隊、突入してきます!」
「食い止めろ! 戦艦に近寄らせるな!」
 次々と迫る日本軍の水雷戦隊。砲撃で追い払って好射点を取らせまいとするが、それ
でも連中はしゃにむに突っ込んでくる。重巡の一部が放った酸素魚雷が命中。駆逐艦二
隻が一瞬で消し飛んだ。
「なんて威力だ!」
 目にしていた僚艦の乗組員たちは、その光景に目を奪われた。
 突入してきた重巡部隊は、さらに周囲の駆逐艦に向けて手当たり次第に二十サンチ砲
を乱射していった。特に鳥海の射撃は凄まじく、瞬く間に一隻を撃沈、もう一隻にも後
甲板から火柱を上げさせた。パラワン水道で潜水艦の雷撃を受けて為す術なく撃沈破さ
れた三隻の姉達の分まで、彼女は撃ちまくった。
 いっぽう、水雷戦隊は巡洋艦部隊に向かって突撃を開始した。途中早霜と雪風を失っ
たものの、ヴィンセンスに魚雷三本を叩き込むことに成功。ボイラーと前部弾薬庫がま
とめて誘爆した彼女は、被雷から三分も経たないうちに三つに折れて轟沈。二年前のサ
ヴォ島沖海戦で沈んだ先代の後を追った。
 これに対して、米艦隊は集中射撃で日本軍の巡洋艦戦力を削りに掛かった。無数の六
インチ砲と五インチ砲で袋叩きにされた筑摩が血祭りに上げられる。主砲塔、艦橋、煙
突周辺、後檣、飛行甲板と次々爆砕された艦上は、さながらスクラップ置き場だ。
 さらに能代が、次発装填を終えたばかりの魚雷発射管に直撃弾を受けて誘爆。瞬時に
艦全体が巨大な火球と化し、沈没する間もなく四散して果てた。


 水雷戦隊同士の死闘が繰り広げられる一方で、戦艦同士の戦いは一気に天秤が傾きつ
つあった。
 榛名を撃沈して意気上がる米軍ではなく、日本側にだ。
 手始めは、それまで半ば戦闘の蚊帳の外に置かれていた長門が放った四発の十六イン
チ砲弾のうちの一発だった。
 一六〇〇〇メートルの距離を飛翔した砲弾は、米艦隊臨時旗艦となっていたマサ
チューセッツの右舷艦首付近に命中。非装甲区画を突き抜け、反対舷の水中部分外鈑に
突き刺さって爆発した。
 これが、マサチューセッツに厄介な損傷をもたらした。艦首水中部分が前方に向かっ
て捲くれ上がるように開口したために一気に大量の浸水を生じ、ほとんど停止同然の状
態にまで行き脚が落ちてしまったのだ。
 そこに、後続艦のアラバマが追突。二隻合計で八万トンの水圧は、かろうじて海水を
食い止めていたマサチューセッツの隔壁を吹き飛ばし、さらなる浸水を招く。被弾と衝
突によりマサチューセッツが呑み込んだ海水は、七〇〇〇トンにも及んだ。
 たまらず艦首を沈み込ませる彼女に追い討ちを掛けるように、長門と金剛の砲弾が降
り注ぐ。マサチューセッツばかりでなく、その艦尾に突き刺さったまま動きの取れない
アラバマにも容赦なく巨弾が命中した。主砲身がちぎれ飛び、両用砲塔がなぎ倒され、
中央構造物が炎上する。続出する被害の前には、米軍が誇るダメージコントロール班の
力を以ってしても対処は不可能だった。被害個所が多すぎるうえに、ダメージコントロ
ール班そのものの人数が被弾による死傷のため激減していたからだ。ついには、消火が
追いつかなくなった火災の延焼によってマサチューセッツの後部弾薬庫が誘爆し、二隻
の姉妹艦は折り重なるように海底へと引き込まれていった。

 マサチューセッツとアラバマがまとめて沈んだことで、米軍の指揮系統は大混乱に陥
った。バジャー少将に次ぐ第三席次の指揮官もまたアラバマに乗っていたためだ。総旗
艦であるニュージャージーの通信機能が回復するまでの間、第三四任務部隊を統率する
人間がいなくなってしまったのだ。
 ようやくニュージャージーの通信機能がある程度回復し、リー中将の指令が飛び始め
るようになるまでに、第三四任務部隊はさらに駆逐艦一隻を失っていた。
「巡洋艦と駆逐艦は防戦に努めよ。戦艦部隊は敵にダメージを与えることを優先しろ」
 指揮権を把握したリー中将は、素早く指示を下す。
 ニュージャージーとアイオワの砲撃は、既に大和に対して十発以上の命中弾を出して
いた。これだけ撃ち込めば、いくら大和級戦艦の装甲が重厚だとはいえ、それなりのダ
メージが通る。第一副砲塔はターレットリングの開口部を残して消滅していたし、主檣
は炎の中で倒壊しかかっていた。
 さらに、第三砲塔の前楯付近でニュージャージーの放った砲弾が炸裂。三本の砲身が
アッパーカットを食らったように跳ね上がり、根元から真上に捻じ曲がった。噴き上が
る炎に映るその姿を見て、米戦艦の甲板上で大歓声。しかし、それは長くは続かなかっ
た。今度は大和の砲弾がニュージャージーの後甲板に落下。X砲塔の天蓋を吹き飛ばし
て内部で爆発した。ターレットアーマーが構造材ごと飛散し、砲架から転がり落ちた砲
身が甲板上に横たわる。砲室内部で発生した火災は揚弾架伝いに弾薬庫に迫る勢いだ。
堪らず、ニュージャージーは後部弾薬庫に注水。彼女は砲力の三分の一に加えて速力と
予備浮力まで失うこととなった。


 大和に続いて、今度は金剛に命中弾が発生した。榛名を撃沈したワシントンが目標を
変更して射撃を開始していたのだ。距離は一五〇〇〇メートル。戦艦主砲にとっては至
近距離もいいところの間合いだ。
 第三斉射で夾叉を得たワシントンは、第五斉射から命中弾を出す。いきなり第三砲塔
を反対舷の海上に弾き飛ばすというクリティカル・ヒットを見舞った。金剛も負けては
おらず、ワシントンの第二煙突を蹴り倒し、右舷側の両用砲塔群を壊滅させ、艦尾の航
空設備を船体から引き剥がして海に叩き込んだ。だが、軍配はワシントンに上がる。
十六インチ砲弾が金剛の前檣楼を直撃。鈴木義尾中将、島崎利夫艦長ら指揮要員をこと
ごとく討ち取った。
 ワシントンは、二年前のガダルカナル海戦で金剛の姉妹艦である霧島を撃沈してい
る。また、先ほど榛名に引導を渡す一弾を放ったのも同じワシントンだ。ここで金剛に
とどめを刺せば、単艦で同一クラス戦艦三隻撃沈のハットトリックという近代海戦史上
空前の記録が見えていた。
 なおも砲撃を送り込もうとするワシントンだが、直後に足元を襲われる。重巡鳥海と
熊野を露払いに、軽巡矢矧、駆逐艦浦風、浜風、磯風がエスコート艦の阻止隊列を突破
してきたのだ。迎撃すべきワシントンの補助火力は、先程からの榛名と金剛の砲撃によ
って壊滅状態だ。四十ミリ機関砲は生き残っていたが、航空機ならともかく艦艇に対し
てこの火力はあまりに貧弱だ。焦ったワシントンは、主砲を直射弾道で発射。これが鳥
海の船体を中央から真っ二つにへし折るラッキーヒットとなるが、その直後、熊野以下
の五隻が放った魚雷のうち四本をまとめて右舷に食らった。ノースカロライナ級戦艦は
水中防御が泣き所であるだけに、これは致命的だった。被雷から十二分後、ワシントン
の傾斜は十五度を突破。復旧の見込みなしと判断した艦長は総員退艦を発令した。ワシ
ントンが水中へと姿を消したのは、その三十分後だった。


 サウスダコタと長門の対決は、さながら足を止めたボクサー同士の殴り合いという様
相を呈していた。お互いに他艦の介入のない一対一。十六インチ砲弾が飛び交い、装甲
を次々と抉り取っていく。
「だんちゃーく! 命中、すくなくとも一!」
「左舷士官室付近の火災、鎮火に向かいつつあり!」
 伝令の声を掻き消すように破壊音が響き渡り、衝撃が襲う。
「左舷中央部被弾! 三番高角砲座、全員戦死! 探照灯使用不能!」
「畜生、押されてるぞ……」
 兄部艦長が苦りきった表情を見せる。
 既に、両艦とも少なくないダメージを負っている。サウスダコタは後檣から艦尾に掛
けての非装甲区画をのきなみ叩き潰されており、長門は左舷側の副砲と高角砲のほとん
どを失っていた。だが致命傷はない。サウスダコタの防御は潤沢なリソースを集中した
きわめて堅牢なものだったし、長門は多層防御の完成形とでも言うべき強靭な耐久力を
誇っていたからだ。どちらもまったく力の衰えを見せずに、砲身も焼けよと撃ちまく
る。
 だが、砲火が派手な割には、どちらも決定打を相手に見舞うことができない。サウス
ダコタの舷側に十六インチ徹甲弾が命中するが、外鈑は破るものの防御区画への突入を
果たせず、装甲に僅かな窪みを作っただけで弾き返されてしまう。逆に長門に命中した
弾も、外側の装甲を破るものの、内部での爆発は多層化された堅牢な防御区画で食い止
められて致命的なダメージとならない。
 もっとも、火災だけは山ほど発生していた。消火班が飛び交う破片や爆風をものとも
せずに駆け回っている。装甲区画外で発生したものでも、放置しておけばどこに延焼す
るかわからない。そしてこの火災への対処という点においては、ダメージコントロール
のノウハウと実績に勝る米軍のほうに一日の長があった。
 全艦火達磨の長門と、右舷側が痘痕面となったものの深刻な火災には見舞われていな
いサウスダコタ。互いに交わした斉射は二十回以上を数えている。このまま長門のほう
が力尽きて勝負がつくか。そう思われたとき、前方で信じられないほど大きな火柱が上
がった。
 彼らの前方で繰り広げられていた二対二の戦いのほうが、先に決着したのだ。

 ニュージャージーに有効打を与えたとみた第一戦隊司令官の宇垣中将は、武蔵に敵二
番艦への分火を命じていた。しかしこれに機先を制したアイオワは、一足早く武蔵に対
して砲撃を集中。四斉射で三発が直撃し、うち一発が煙突下部を、もう一発が艦首喫水
線直下を大きく抉った。武蔵の速力は、これで十六ノットにまで低下した。
 だがその直後、アイオワは自らが繰り出した打撃の報復を受け取ることになった。武
蔵が全門斉発で放った第三射九発のうち、二発が直撃。一発目は上甲板とインターナル
アーマーの隙間から第一砲塔のバーベットを貫通し、もう一弾は艦中央部の内部装甲を
突破。機関室にまで到達して爆発した。
 さらに、手前に着弾したうちの一発が水中弾となってアイオワの艦腹を食い破り、後
部罐室に飛び込んで信管を作動させた。連続して発生した打撃に二七〇メートルの巨体
が鳴動し、中央部に開けられた大破孔から火の手が上がる。
 だが、アイオワを襲った災厄はここからが本番だった。
 ボイラーとタービンが連続して破壊されたところに、水中弾の開けた破孔を通って数
百トン単位の海水がなだれ込んできたのだ。これが破壊されて高熱を発散していたボイ
ラーに触れ、瞬時に気化。水蒸気爆発とそれに伴って艦内を荒れ狂った高熱蒸気によ
り、二七〇〇名を数えたアイオワのクルーは、一瞬で一〇〇〇名以下にまで減少した。
そして何より、この水蒸気爆発は彼女の長大な船体を第二煙突直下から真っ二つに両断
してしまった。その直後に発生した前部弾薬庫の誘爆は、規模こそ大きかったが結果的
にはこの大破壊の余禄に過ぎなかった。高熱と浸水に蹂躙された艦内に数百名の生存者
と二三〇〇名あまりの死者を閉じ込めたまま、アイオワは黒煙と大渦を残して地上から
姿を消した。

「アイオワ、沈没します!」
「サウスダコタより信号! 浸水により、速力十四ノットが限界!」
 報告を受けて、リー中将は唇を血の味がするほど噛み締めた。畜生、この残存戦力で
は奴らに勝てない。残ったのは、傷を負ったニュージャージーとボロボロのサウスダコ
タだけだ。だが日本軍は、新型二隻を含む戦艦四隻が健在。このまま戦闘を継続しても
勝利は望めない。
「一時後退だ。隊形を立て直して再戦を挑む」
 幕僚達が息を飲む。リー中将にとっては、まさしく苦渋の決断だった。ここで自分達
が退けば、あとはレイテ湾まで日本軍の行く手を遮るものは、第七艦隊の戦艦部隊しか
残っていない。確かにオルデンドルフ少将率いる彼らは、旧式とはいえ戦艦六隻を擁す
る有力部隊だが、新型戦艦六隻を僅か三十分余りで蹴散らしてしまった日本艦隊の実力
は計り知れない。果たして、阻止することができるのだろうか。
「これ以上戦っても、彼らを阻止することはできない。我々がここで全滅するわけには
行かんのだ。それに、陣形再編後に追撃を掛ければ、第七艦隊の戦艦群との挟撃も期待
できるだろう」
 それが希望的観測以外の何物でもないことは、口に出したリー中将自身が一番よく分
かっていた。部隊の被害状況を確認して陣形を再編するだけで、一時間は掛かってしま
うだろう。それから速力の落ちた戦艦で追いかけたところで、果たして間に合うのか。
 そのとき、見張りから報告が入った。
「敵戦艦、増速しています!」
 リー中将の表情が歪んだ。


「武蔵は十六ノットが限界か」
「金剛も、足を引き摺っている模様です」
 第一遊撃部隊司令部には、砲戦での被害報告が続々と集まっていた。ここから先は、
空襲の危険を最小限とするために全速での行軍となる。さもなければ、夜が明けてしま
い戦機を逸する可能性が高い。たとえ砲戦能力が十分に残っているとしても、速力が落
ちている艦を連れて行くわけには行かないのだ。
「本艦の被害知らせ!」
 森下艦長の声に、しばらくして報告が返ってきた。
「第一副砲塔全壊。第三砲塔も使用不能ですが、機関・操舵とも異常なし。全速発揮可
能です!」
「よし!」
 宇垣中将が破顔した。
「長官、行きましょう!」
 小柳参謀長が促す。
 栗田中将は大きく頷くと、命令を発した。
「武蔵と金剛を分離。第五戦隊と三一駆、それに秋霜を護衛につけ、指揮は第五戦隊司
令官がとるものとする。本隊はこれより全速でサマール島を回り、〇五〇〇時を以って
レイテ湾に突入を期す!」
 第一遊撃部隊の残る戦力は、戦艦が大和および長門、巡洋艦熊野、利根、矢矧、駆逐
艦藤波、浜波、浦風、磯風、野分、清霜。隻数こそ出撃時の三分の一にまで減っていた
が、最後の大勝負を前に戦意は極めて旺盛だった。




#192/598 ●長編    *** コメント #191 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  02:56  (410)
暁のデッドヒート 3   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:16 修正 第2版
 第七艦隊に属する各任務群の司令部は、いずれも混乱の只中にあった。
「ジャップの新型巨大戦艦がこっちに向かってくるだって!?」
「第三艦隊の戦艦群が全滅したぞ!」
「TF34のリー中将が戦死したそうだ!」
 状況報告に混じって誤報が乱れ飛び、サンベルナルジノの状況はさっぱり判らない。
 ただ確実なのは、早急にオルデンドルフ隊の配置と護衛空母部隊の避退をおこなわな
ければ、第七艦隊は日本軍の戦艦部隊によって破滅させられることだ。
 揚陸指揮艦ワサッチに座乗するキンケイド司令長官は、頭を抱えていた。
「オルデンドルフ隊は、とりあえず北に配置する。どう考えても日本軍の主力はそっち
だからな……うまくいけば、返す刀で南の部隊も迎撃できるかもしれん」
 先にやってくることが確実な敵に、最大の戦力を備えさせるしかない。
「スプレイグに──あぁ、トーマスの方だ──伝えてくれ。さっさと逃げろ、でないと
巨大なハンマーに叩き潰されるぞ、と」


「どうしろというんだ……」
 その頃、リー中将も頭を抱えていた。
 CICのレーダースコープには、南東の海面に陣取った二隻の大型艦の反応が映し出
されていた。陣形を再編してさっさとレイテに向かった日本艦隊の後を追うつもりだっ
たのだが、そこに現れたのはさっき日本艦隊の隊列から脱落した戦艦が二隻。うち一隻
は、先程アイオワを一撃で屠ったモンスターだ。
 リー中将の目論見は、この時点で完全に頓挫していた。この二隻を片付けなければ、
彼らはレイテの救援に向かうことができないのだ。
 敵先頭艦の巨大な三連装砲は、無言で威圧するようにリー艦隊を睨んでいた。


 西村部隊の司令部に第一遊撃部隊の捷報が届いたのは、〇二三〇時を回った頃だっ
た。
 米新型戦艦と交戦という一文に、一同が感嘆の声をあげる。
「さすがは大和級だ、霧島の仇を見事に討ってくれた」
「戦艦四隻撃沈か。負けてはおれん」
 戦果の代償として栗田部隊の損害も大きなものだったらしいが、我々と力を合わせる
ことができれば戦艦は四隻。大和級の戦闘力を考えれば、決して敵に見劣りするもので
はない。
「レイテ湾で決戦だ!」
「本隊と合流できるぞ!」
「真珠湾の死に損ないに、今度こそ引導渡してくれよう!」
 西村部隊の士気は、否が応にも高まった。


 いっぽう、トーマス・スプレイグ少将麾下の第七七・四任務群は、士気を云々する以
前の状態だった。この部隊を構成するのは、商船改造の護衛空母ばかり十六隻。速力は
相当に無理をしても十七、八ノットが限界というシロモノだ。当然、戦艦を含む水上部
隊と殴り合って勝負になるような戦力ではない。
「急げ、夜が明ける前にここから脱出するんだ!」
 栗田部隊の針路上に位置する形となってしまった彼らは、全速で東に向かって撤退を
開始していた。だが、その足は悲しくなるほどに遅い。
「ナッシュビルから緊急信です。状況知らせ、勝手に下がるな、と」
 スプレイグ少将は、伝令を怒鳴りつけそうになったのを超人的な努力で堪えた。メッ
センジャーである彼に責任はない。
「いいから引っ込んでろと伝えろ。上陸部隊には指一本触れさせんとな」
 口調は務めて穏やかだったが、スプレイグのこめかみには真っ青な血管が浮き上がっ
ていた。


 第七七・二任務群指揮官のオルデンドルフ少将は、不安と緊張に苛まれていた。
 彼の麾下にあるのは、ウェイラー少将率いる戦艦六隻。これに、旗艦ルイスビル以下
八隻の巡洋艦と二一隻の駆逐艦がつく。突入してくる日本艦隊の編成と比較しても、決
して見劣りしない。
 だが、目下彼らは南北から挟撃されつつあった。これが判断を難しくしていた。どち
らか一方に対処している間にもう一方がレイテ湾に突入してしまっては、元も子もない
からだ。
 艦隊主力の二分も考えたが、これは問題外だった。北から来るのは、リー中将の新型
戦艦を叩き潰したモンスター達だ。数に勝るとはいえ旧式艦揃いの手持ち兵力を分割す
るわけには行かない。
 とすると、残るは一方を足止めしている間に相手を各個撃破する手しかない。オルデ
ンドルフは第七九任務部隊のウィルキンソン中将から第五四駆逐連隊の駆逐艦七隻と魚
雷艇三九隻を借り受けると、自分の麾下にあった戦力からオーストラリア海軍籍の巡洋
艦シュロップシャーと駆逐艦六隻を加えてスリガオ海峡に配置することにした。魚雷艇
部隊は操船も危ういような新兵部隊だったが、哨戒程度の任務ならなんとかなりそうだ
と判断されていた。
「本隊はこれより北上、南下してくる日本軍戦艦部隊主力を迎撃する!」
 迷っている時間はなかった。行動のために残された時間も、そう多くはなかった。だ
が、現状でのベストを尽くすべく、オルデンドルフは麾下の二八隻を率いてサマール島
東方へと向かった。


 東の空がうっすらと白み始めていた。十月二十五日の夜明けが、約三時間後に迫って
いる証だった。
「敵艦、針路変更なし。突破を図るようです」
 まあ、この状況じゃそうするよりほかはないわな。
 第五戦隊司令官の橋本少将は、米艦隊の指揮官に少し同情した。
 こっちはレイテに向かう航路を塞ぐ形で布陣してるんだから、敵さんとしてはウチの
艦列を突破するしか味方の救援に向かう方法がない。
 だが、その正面に立ちふさがっているのは、足が鈍っているとはいえ主砲火力が完全
に残っている武蔵と、大破状態とはいえ戦闘可能な金剛。傷物の戦艦二杯でどうこうで
きる戦力でもないはずだ。
 もちろん、我々には突破を許してやる義理など微塵もない。
「武蔵に連絡。照準完了次第撃ち方始め」
 我ながら蛇足だろうと思いながら、橋本少将は命じた。猪口君の性格と武蔵の性能な
ら、とうの昔に射撃準備など終わっているはずだ。
 その直後、艦橋の外で閃光が走った。
「あ、いかんっ」
 橋本少将が叫ぶのと同時に、見張りから報告が届く。
「敵一番艦、発砲! 続いて二番艦も射撃開始しました!」
「くそっ、先を越されたか! 全艦撃ち方始め! 羽黒と駆逐隊に通信! 突撃、我に
続け』だ、急げ!」
 間合いを計るように静まり返っていた艦橋の空気が、俄かに慌しさを増す。直後、武
蔵の周囲に四本の水柱が出現した。その大きさは、戦艦クラスの主砲弾でなければ発生
不可能なサイズだった。


「第二斉射、目標夾叉!」
「続けて撃て。とにかく敵の足を止めろ」
 サウスダコタのCICで、リー中将は表情を緩めることなく命じた。
 一時後退の間に、彼は通信機能に多大なダメージを受けたニュージャージーからサウ
スダコタに旗艦を移していた。第三四任務部隊の二隻の戦艦は、使用可能な十五門の十
六インチ砲を用いて日本艦隊に射弾を送り込んでいる。
「敵補助艦艇群、突入してきます」
「敵戦艦部隊、発砲開始しました」
「補助艦艇はマイアミとモービルで押さえ込め。戦艦は射撃続行。駆逐艦部隊は敵巡洋
艦を優先的に牽制せよ」
「第三斉射、命中弾一!」

 それから間髪をいれずに、サウスダコタの三五〇〇〇トンの巨体が大きく揺さぶられ
る。
「敵艦第一射、着弾! ……夾叉されました!」
 見張りが信じられないといった口調で報告してくる。
「おい、たっぷり二八〇〇〇ヤードは離れてるんじゃないか?」
「この条件下で初弾からやるかね……」
 ほとんど夜間射撃といってよいコンディションだ。砲術長と艦長が呆れた。
「弾着……敵一番艦に命中弾、少なくとも二! ……化け物め、まだ平気なのか!」
「しぶとい奴め……」
 リー中将も思わず唸る。重量一.二トンの徹甲弾を何発も直撃されていながら、武蔵
は目立った被害を出すこともなく戦い続けていた。


 武蔵は、距離二四〇〇〇メートルで最初の命中弾を得るまでに七発の命中弾を受けて
いた。左舷側に無数の小火災が発生し、外鈑が各所で捲れあがっている。見た目のダ
メージは相当なものだ。
 だが、武蔵の戦闘力はほとんど失われていなかった。九門の巨砲が限界近い発射速度
で次々と射弾を送り出す。
「だんちゃーく! 近、遠、遠……命中! 敵一番艦前甲板で爆発!」
 よし!
 武蔵の砲術長が、ぽーんと手を叩いた。
 入れ違いに米艦隊からの射撃が着弾。二発が命中したが、有効弾は一発のみ。左舷後
部を直撃した砲弾は、負傷者の収容所となっていた士官室を吹き飛ばして、そこに居合
わせた負傷者や衛生兵など四十名余りを消滅させた。
「諸元そのまま、どんどん行け!」
 猪口艦長が声の限り砲術科を鼓舞する。その声に応えるように、武蔵は主砲を斉発し
た。サウスダコタの中央部を二発が襲い、マック構造の煙突の後ろ半分を噛み千切り、
メインマストを根元からへし折って海中に倒壊させる。
 一方、この被弾の直前にサウスダコタが放った六発の十六インチ砲弾は、武蔵の左舷
中央部に連続して直撃した。舷側の機銃座群が薙ぎ払われ、高角砲座のスポンソンが大
きく傾ぐ。さらに艦内電話の交換器が衝撃で故障し、令達系統が一時的に機能低下を起
こした。
「さすが新型艦、一筋縄では行かんということか」
 そう言いつつも武蔵の夜戦艦橋では余裕さえ漂っていたが、その数分後に不気味な報
告が届いた。

「右舷防水区画に浸水中!なおも拡大しています!」
「なんだと……!?」

「右舷中央? どうしてそんなところから……」
 そこまで言いかけて、砲術長が突然はっとしたように顔色を変えた。
「昼間食った魚雷か!」
 昼間の空襲で、武蔵は右舷中央部に魚雷一本を受けていた。応急注水と隔壁閉鎖によ
ってその損傷による影響は最小限に留められていたのだが、これまでの砲戦で生じた衝
撃や船体の歪みによって水密区画の隔壁が破れ、漏水が始まったのだ。
「応急班急げ! 砲戦に影響が出る前に食い止めろ!」
 副長の加藤大佐が怒鳴った。
 武蔵の応急リソースは、砲戦による被害に対応するために左舷に集中されていた。こ
れを一部とはいえ右舷に振り分けなおすのは、並みの苦労ではない。
 その間にも、サウスダコタの放った砲弾が着弾する。さらに自艦の砲撃による衝撃。
世界最強の四六サンチ砲が仇となりつつあった。強固な装甲区画へのダメージはほとん
どないが、進行しつつある浸水被害は、繰り返し加えられる衝撃によって一層酷くなろ
うとしてていた。
「本艦が力尽きるのが先か、敵艦に引導を渡すのが先か……」
 副長の表情は険しい。
「武蔵の力を信じよう……今はそれしかない」
 猪口少将が祈るように、または自らに言い聞かせるように唸った。
 その直後に武蔵が放った砲弾は、サウスダコタの艦首付近上甲板と艦尾喫水線付近を
直撃。いずれも無視できない破壊と若干の浸水を彼女にもたらした。
 だが、それを意に介さぬかのようにサウスダコタが撃ち返した三発のうち一発が、武
蔵の後甲板を直撃。発生した火災が第三砲塔への幹線電路に延焼し、後部へ向けて広が
り始めた。まずいことにこの区画の応急班は、右舷の被害部分へと抽出された直後だっ
た。交代の応急班が駆けつけるまでの数分間で火災は電路伝いに拡大し、後部副砲弾薬
庫に迫ろうとしていた。
 武蔵にとっての破滅へのカウントダウンが、一気に加速し始めた。


 サウスダコタは、限界に近づきつつあった。彼女の装甲防御は、ひょっとすると決戦
距離での十八インチ砲弾の直撃にも抗甚しかねないほどの強固なものだったが、いくら
なんでもこれほどの長時間に渡ってウルトラ・ヘビー級の強打を浴び続けることは想定
されていなかったからだ。
「罐室に火災発生、なおも延焼中です!」
「右舷艦首区画、浸水が拡大しています!」
「後部主ポンプ区画、電圧低下!注排水系統が機能しません!」
 最後の報告は致命的だった。サウスダコタの後檣からうしろは、先の長門とのノーガ
ードの殴り合いによって、既に笊と表現して差し支えないほどの無数の破孔を舷側に生
じている。絶えず流入する海水から予備浮力を守るために、注排水ポンプの力は不可欠
だったからだ。そのポンプが、動きを止めた。このことがいったい何を意味するかとい
えば──
「傾斜復旧、間に合いません! 現在右舷に一度!」
「速力低下中! 十二ノットに落ちます!」
 機関室とダメージコントロール班から、悲痛な報告が寄せられる。
「CIC、X砲塔。電圧低下のため揚弾機が動きません!」
「だめなのか……!」
 リーが無力感に苛まれかけたとき、それまでの被弾によるものとは質の異なる衝撃が
CICの床を通して伝わってきた。
「て……敵二番艦、消滅……轟沈、轟沈です!」
 米艦隊各艦の艦上で、一斉に歓声が爆発した。


 ニュージャージーと金剛の殴り合いは、かなり金剛にとって分の悪い戦いと思われて
いた。
 当然だ。かたや就役から一年程しか経っていない最新鋭の十六インチ砲搭載戦艦。か
たや、艦齢三十年に達しようかという十四インチ砲搭載巡洋戦艦。攻防性能に差があり
すぎる。
 だが、大方の意に反して金剛は粘った。アイオワ級が採用した十六インチ五十口径砲
は、スーパーヘビーシェルの宿命ともいえる射程距離の短さを、長砲身化によって初速
を高めることで解決した、合衆国の砲熕技術を象徴する大傑作だったが、たった一つだ
け致命的な欠点があった。戦艦主砲にとってもっとも重視される、二万〜二万五千前後
の中距離における対甲板打撃力が低下してしまったのだ。三十年代の改装によって老巡
洋戦艦が身に纏っていた一七〇ミリの多重甲板装甲は、決戦距離でのニュージャージー
の砲撃に辛うじて耐えていた。途中で第一・第二砲塔を相次いで破壊されたが、これに
よって時間を稼いだ金剛はその間に神懸り的なまでの戦闘力を発揮した。九斉射四六発
の十四インチ砲弾のうち、十九発という驚異的な数をニュージャージーに命中させたの
だ。命中率四一パーセント。この数字は、艦砲による射撃としては空前絶後の大記録だ
った。むろん、この全弾が有効打となったわけではなかったが、一弾が命中するたびに
ニュージャージーの戦闘力は目に見えて低下していった。脆弱な艤装品が破壊され、甲
板上の被害に対処するダメージコントロール班が吹き飛ばされる。B砲塔は二発を同時
に直撃されたことで旋回部に損傷を受けて動作不能になり、前檣楼頂部への直撃弾は主
砲射撃指揮所を叩き潰した。さらに、着弾の衝撃が船体に歪みを与え、無数の漏水を引
き起こしたばかりでなく、操舵特性にも影響をおよぼし始めた。
 一時は旧式の十四インチ砲艦が、最新鋭艦を追い詰めるかとまで思われたが、結局こ
れは死を前にしたひと花にしかならなかった。金剛が最後に残った第四砲塔から十斉射
目を放つ直前、ニュージャージーの砲撃が着弾。このうち一発が直撃弾となり、それを
証明した。
 ニュージャージーが放った十六インチ砲弾が落下したのは、金剛にとっては考えうる
限り最悪の場所──先程ワシントンの砲撃で舷外に弾き出された第三砲塔跡の開口部だ
った。

「金剛、沈みます!」
 見張りが泣き出しそうな声で報告してくる。
「くそっ、敵討ちだ!」
 秋霜艦長の中尾少佐が、怒声を上げた。眼前に迫ってくるのは、アイオワ級戦艦の長
大なシルエット。
「距離、九五〇〇──!」
 秋霜の後方には、第三十一駆逐隊の岸波、沖波、浜波が追従していた。少し離れた右
舷前方を、島風が突進しているのが見える。
「九〇〇〇!」
「左舷砲雷戦、用──意っ!」
 薄闇を切り裂いて、赤や緑に光る曳光弾が正面から次々と飛んで来た。ニュージャー
ジーも必死だった。金剛との砲戦によって右舷側の両用砲塔は三基が鉄屑の塊となって
いたし、運良く破壊を免れたものも電圧低下や給弾機の故障によって射撃速度の著しい
低下を引き起こしていた。残された武器は、ボフォース四十ミリ、エリコン二十ミリの
各種機関砲。本来対空用に装備されていたそれらが水平に倒され、突進してくる駆逐艦
たちに少しでもダメージを与えるべく砲弾を送り出す。
「八五〇〇!」
 秋霜の艦首付近で、四十ミリ対空砲弾が爆発した。だが、本来空母部隊直衛を任務と
するニュージャージーの補助火器群は、対艦・対舟艇戦闘用の徹甲弾を先程の交戦で完
全に射耗し尽くしていた。VT信管で起爆された榴散弾は至近弾となり、駆逐艦に対し
て有効な被害を与えられない。
「八〇〇〇!」
 前方を行く島風が面舵を切るのが見えた。
「おもかぁーじ、用──意!」
 中尾少佐の号令に、操舵員が身構える。
 五インチ砲弾が二発飛んで来た。一発目の着弾は秋霜から五十メートルも離れた位置
に水柱を上げたが、もう一発が第一砲塔を直撃する。断片防御しか施されていない駆逐
艦の十二.七サンチ連装砲塔が弾け飛ぶ。VT信管は対艦用としては過早爆発に過ぎる
が、五インチ砲弾ともなればこの程度の芸当は可能だった。
「七五〇〇──!」
「面舵いっぱぁーいっ!」
 中尾少佐は、腹の底に溜まったものを搾り出すかのように、声の限り叫んだ。

 ニュージャージーは窮地に立っていた。敵水雷戦隊の突撃を食い止めるはずだったモ
ービルとマイアミは、妙高と羽黒の相手て手一杯となってしまっている。あとは駆逐艦
群が頼りだったが、サウスダコタとニュージャージーの二隻を同時に護衛するには数が
足りない。
 事実上の戦力分散に陥った米軍駆逐艦部隊の阻止線を苦もなく突破した島風以下の五
隻は、距離七〇〇〇〜七五〇〇で一斉に転舵すると、次々と魚雷を放った。いずれも炸
薬量六〇〇キロ以上を誇る九三式二型魚雷だ。
「敵艦、転舵!」
 日本海軍が持つ常識はずれの高性能魚雷のことは、長い戦争の中で米軍も察知してい
た。だからこそ、この報告にニュージャージーの指揮官は震え上がった。先の金剛との
砲戦で甚大なダメージを負った彼女は、舵機の出力低下と船体の歪みによって、操舵応
答性が極端に低下していたのだ。
「フルスターボード! 右舷、雷跡に注意!」
 CICから飛ばされる指令に、見張り員たちが海面に目を凝らす。だが、日本軍の魚
雷は酸素駆動。「ブルー・キラー」の渾名通り、炭酸ガスの気泡程度しか雷跡を曳かな
い。しかも、周囲は払暁にすら届いていない明け方だ。海面はまだ真っ暗だった。
「雷跡……そんな、どこにも……!」
 新人の見張り員がうろたえたように口走るよりも早く、浅海中を青白い何かがニュー
ジャージーの舷側に向かって突っ込んできた。
「雷跡、三!」
 見張り長が絶叫した直後、臓腑を抉るボディブローのように二本が右舷中央部と後部
に命中した。ニュージャージーの巨体は大きく揺さぶられ、甲板上にいた不運な者達を
海上へと振り落とした。
 ただでさえ回頭性の悪化していたニュージャージーは、二発の被雷によってさらに動
きが重くなった。漏水を起こしていた隔壁が各所で次々と引き裂かれ、怒涛のように海
水が流入してくる。速力は八ノットにまで低下していた。
 そこへ、秋霜以下の四隻が放った三十本が突っ込んできた。命中したのは二本だった
が、ニュージャージーの悲運はここでその頂点に達した。彼女は、二本の魚雷の射線が
ほぼ交差する位置にいたのである。さらにこの二本は、直前に島風の魚雷が抉った破孔
に飛び込み、船体奥深くの水密隔壁を貫通。一本目は爆発によって内部装甲に亀裂を入
れ、直後にそこを通り抜けた二本目は両用砲弾薬庫の直下にまで頭を突っ込んで信管を
作動させた。
 立て続けに同一箇所に対して発生した打撃によって、ニュージャージーの船体は右舷
中央部から艦底部にかけて、直径二十メートルあまりに渡って砕け散った。さらに両用
砲弾薬庫の誘爆による衝撃が原因で発電機が停止し、注排水ポンプが使用不能。発生し
た火災のため電路が各所で寸断され、艦内の令達すら不可能となった。それ以前にCI
Cそのものが、至近で発生した弾薬庫の爆発による衝撃と破砕効果で壊滅状態となって
いた。
 ここまで同時多発的な被害が発生しては、いかに合衆国海軍のダメージコントロール
能力が高くとも復旧の努力は無意味だった。最後の被雷から五分が経過した頃になっ
て、ようやく生き残りの中で最先任であった信号長によって総員退艦が発令され、乗員
が次々と甲板から身を投じ始めたが、その直後にニュージャージーは一気に右舷側へ転
覆。二五〇〇名以上を冥途の道連れに、海底へ向かって最後の航海を始めた。

「ニュージャージーが……!」
 サウスダコタからその光景を目撃していた者は、一様に絶望感に囚われた。十数分前
まで金剛を撃沈して意気揚がっていたのが嘘のように思われた。
 第三四任務部隊旗艦を務めていた最新鋭艦が、炎に包まれてくず折れるように海面に
横倒しとなり、艦首から水中へ引き込まれていこうとしている。誰もが信じられない思
いで眼前の光景に見入っていた。
「本艦の被害知らせ!」
 艦長が、何かを吹っ切るような悲痛な叫び声で命令を下す。
「X砲塔、動力完全に停止しました! 使用不能!」
「左舷区画への注水は限界です! 現在傾斜一.五度!」
「三番罐室、浸水により放棄! 機関出力が低下します! 速力限界七ノット!」
 サウスダコタもまた、最後の刻を迎えようとしていた。武蔵の砲撃が着弾。うち直撃
弾は二発。一発は使い古しのアルミ鍋のようになった舷側装甲が辛うじて弾いたが、も
う一発はA砲塔の前楯と砲身の隙間から砲塔内部に飛び込んで爆発。装填作業のインタ
ーバルだったために誘爆は発生しなかったが、砲尾の装弾機を砲塔要員ごとなぎ倒し、
砲塔室内部に火災を発生させた。
「A砲塔、防火壁閉鎖! 急げ!」
 これで砲力は三分の一だ。それでも、サウスダコタは足掻くようにB砲塔から二発の
十六インチ砲弾を発射。うち一発が武蔵の艦首水中部分を刺し貫いた。
 だが、その返礼として返された六発の十八インチ砲弾のうち二発が、サウスダコタの
中央部舷側を相次いで貫通。一発は罐室の一つに飛び込んで高圧ボイラーを倒壊させ、
対処不可能な大火災を引き起こした。もう一発は後檣とX砲塔の中間から機関室の直後
に飛び込んで爆発。推進器への延長軸を取り付け部付近から叩き折った。
「機関室、火災を食い止められません!」
「中央幹線電路、延焼中!」
「右舷両用砲弾薬庫、三番および四番、温度上昇! 注水の許可を!」
「艦橋区画、電圧保ちません! レーダーをシャットダウンします!」
「右舷への傾斜、三度を超えました! これ以上は危険です!」
「速力を落としてください! 浸水の状態が悪化しています!」
「前部兵員室区画に浸水! 隔壁が破れかかっています!」
「船体に歪みが発生しています! 水密扉が密閉できません!」
 次々と入ってくる被害報告の種類は、徐々に変質しつつあった。サウスダコタの戦闘
力の低下を伝えるものから、艦そのものの生存に関わるものが目に見えて増え始めてい
たのだ。
「……ここまでだな」
 なおも怒号のように指示と報告が飛び交うCICで、一通りの対処指示を出し終えた
艦長が呟くと、傍らのリー中将に向き直った。
「本艦は完全に戦闘力および行動能力を喪失しました。手遅れになる前に総員退艦の許
可を願います」
「……総員退艦を許可する」
 リー中将は、ゆっくりと頷いた。
「戦闘旗降ろせ。総員退艦!」
 CICの喧騒を貫くように、この時ばかりは凛と命令が下された。CICは数秒の間
しんと静まり返ると、次の瞬間それ以上の慌しさに包まれた。


 同じ頃、サウスダコタから三万メートル余り離れた海面では、島風が右舷に傾いた状
態で黒煙を上げて停止していた。ニュージャージーに雷撃を見舞ったのちに三九ノット
の快速で逃走に移ったが、その先でよりによって巡洋艦マイアミの目の前に飛び出して
しまったのだ。
 出会い頭だったが、巡洋艦の対応は素早かった。前甲板の主砲と両用砲の一部を迎撃
に割り振って、電探管制のもとで圧倒的な火力を浴びせてきた。
 従来型駆逐艦の概念を覆す高速と重雷装を備えた丙型駆逐艦として建造された彼女だ
が、十五本の魚雷を撃ち尽くしてしまえば、あとはちょっと足の速い甲型駆逐艦と変わ
らない。六インチ砲弾二発と五インチ砲弾五発を叩き込まれ、自慢の高温高圧罐が火を
噴いて足を止められた。破孔から浸水も始まり、命運が尽きるのは時間の問題だった。
 だが、続々と退艦して行く乗組員達の表情には、疲労こそ隠せないものの悲壮感はま
ったく見られなかった。確かに武運拙く艦を失うことになりはしたが、最後に戦艦に必
殺の一撃を見舞うことができたのだ。思い残すことはなかった。
 やがて、退艦中の将兵の中から自然発生的に海ゆかばを口ずさむものが現れ始めた。
最初のうち遠慮がちなようにも聞こえていたそれは、次第に唱和するものが増えるにつ
れて近在の僚艦にまで響く大合唱となった。誇らしげに胸を張って舷側から身を躍らせ
る者、傷ついた戦友に肩を貸して縄梯子を降りる者、退艦の間際に乗艦に向かって敬礼
を送る者、さまざまな思いを抱きながら、男たちは島風を去った。
 彼らの無事を見届けたかのように、島風は総員退艦が完了した十五分後に艦尾からし
ずしずと沈降していった。刀折れ矢尽きた兵士達への労いでもあったのか、彼女はその
最期にあたって、渦や水中爆発といった生存者救助の妨げとなるものを一切残さなかっ
たという。

「島風の生存者収容を完了しました」
「そうか……妙高のほうはどうだ?」
「航行には支障ありませんが、上構の被害が激しいようです。主砲塔は全て使用不能。
橋本少将は艦上で戦死されたとの連絡がありました」
 猪口少将は瞑目しつつ溜め息をついた。妙高は、米巡二隻から六インチ砲二四門の集
中砲火を浴びせられていた。沈没に直結するような被害は受けなかったようだが、艦橋
や主砲塔をはじめとする上部構造物を徹底的に叩かれ、廃墟の輸送船といった有り様と
なってしまっている。これで、この部隊では自分が最先任か。
 戦艦二隻を続けて失った米艦隊は、旗艦から脱出した生存者を収容すると北方へと引
き上げていった。結果的に巡洋艦二隻と駆逐艦四隻を取り逃がす形となったが、日本側
にも追撃の余力は残っていなかった。それに、日本艦隊もまた、先に南下していった本
隊を追求しなければならない。
 だが、今の戦闘で武蔵はさらに激しい損傷を受け、浸水によって速力が八ノットにま
で低下していた。もう亀の這うような速度しか出せない。
 加えて、後部艦内区画で発生した火災によって幹線電路の四割近くが焼け落ち、三番
砲塔が使用不能に追い込まれていたほか、温度上昇による爆発を避けるために後部副砲
弾薬庫に注水していた。何ヶ所かの火は未だに鎮火せず、後甲板に開いた破孔からは灰
色の煙が何条も立ち昇っている。
「妙高は秋霜を付けて後退させよう。羽黒と三一駆は本艦と共にレイテに向かう」
 ──とはいったものの。
 猪口少将は、武蔵がレイテに到達できる可能性は限りなく低いことを理解していた。
左右両舷の浸水は、既に限界近くに達しようとしていた。トリム注水によってすら、そ
の復舷は完全には成功しておらず、左舷に一度近い傾斜が生じている。予備浮力も残り
少ない。立て続けの戦闘によって船体の各所に歪みや隔壁の緩みが発生しており、そこ
を経由しての浸水も相当な量となっている。
「さて……追いつけるかな」
 猪口少将は、それだけを口にすると前方の海上に目をやった。東の水平線は、もうす
ぐ顔を出そうとしている太陽に照らされて一筋の流れのように白い光を帯びていた。
(──三途の川の渡し舟にしては、やけに豪勢じゃないか)
 ふと浮かんだ冗談じみた考えを、猪口少将は首を振って脳裏から追い払った。まだ川
を渡るには早い。




#193/598 ●長編    *** コメント #192 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  02:57  (252)
暁のデッドヒート 4   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:17 修正 第2版
 時刻は〇四三〇時になろうとする頃合だった。太陽は水平線近くにまで昇っているは
ずだが、水平線近くの遠景はようやく藍色が広がりつつある程度だった。
 重巡最上は、前路掃討のために駆逐艦朝雲、山雲、満潮を率いて隊列前方へ突出して
いた。周囲はまだ視界十分といえるほど明るくなっていない。さらに問題なのは、低く
垂れこめた密雲と、広範囲に渡って断続的に降り注ぐスコールだった。視界が一面に煙
ってしまい、スリガオ海峡奥側の状況がほとんど掴めない。
「参ったな。ここまで進出しておきながらレイテ島も見えんのか」
 前衛隊の指揮を任された最上艦長の藤間大佐が、弱りきった声を上げた。前路警戒も
ままならない状況で突入すれば、奇襲を受ける可能性が多分にある。ましてや、敵艦隊
は戦艦六隻を始めとする大兵力だ。スリガオ海峡の狭水道出口で、我々が姿を見せるの
を今や遅しと待ち構えているに違いない。
 そこに、左舷見張りから報告が飛んできた。
「パナオン島方向より魚雷艇、三!」
「来たな!」
 砲術長が口元に笑みを浮かべる。
「左舷撃ち方! 各個に敵小艇を撃退せよ!」
 号令一下、舷側の高角砲が速いペースで十二.七サンチ砲弾を送り出す。ほどなく、
後続の満潮も撃ち始めた。前衛の隊列から五〇〇〇メートルほどの位置に、水柱のスク
リーンが出来上がる。その間隙を縫うように接近してきた魚雷艇群は、距離四〇〇〇〜
四五〇〇から次々と魚雷を発射した。
 だが、この攻撃は明らかに腰が引けていた。発射された魚雷の殆どは、とんでもない
方向に向かって駛走していく。
「腕はそれなりだが……度胸がついてきておらんな」
 満潮艦長の田中少佐が、安堵の息をついた。

「九〇度方向、魚雷艇二!」
「リマサワ水道方向より、魚雷艇三!」
「やれやれ、こりゃあ千客万来だ」
 朝雲艦長の柴山中佐は、帽子を被りなおすと大音声で怒鳴った。
「左砲戦! あんな小艇ごとき寄せ付けるな! 一隻しとめるたびに、砲術科に酒五升
出すぞ!」
 その途端、一番砲から大歓声が上がる。現金なことに照準まで正確になり始めた。信
じられない集弾率で次々と水柱を上げる十二.七サンチ砲弾。その中で続けざまに閃光
が走り、機関を撃ち抜かれた魚雷艇が火柱を上げる。まともに大穴を開けられたフォー
ド製のガソリンエンジンはよく燃えた。泡を食ったクルー達が、艇を捨てて次々と海に
飛び込んでいく。
 朝雲の甲板上で、さっきよりも大きな歓声。
「よぉし、まず一隻! どんどん行け! 一斗樽三個くらいはせしめて見せろ!」
 砲術長がめちゃくちゃな鼓舞を送って砲員達を叱咤する。米軍の魚雷艇部隊こそいい
迷惑だ。炎上した艇が照明となって、僚艇を煌々と照らし始めた。そこを狙って、最上
以下の四隻が次々と射弾を送り込む。もはや攻撃どころではない。炎上した艇から近い
位置にいる順に次々と魚雷を投棄同然に発射すると、四隻は艇首をめぐらして一目散に
逃げ出した。
「なんじゃい、張り合いのない。次の目標はまだか!」
 砲術長が拍子抜けした声を上げたところに、見張りから次の報告。
「前方、魚雷艇らしき船影、二……いや、三! 右舷方向に抜けます!」
「砲術長、少なくとも目標に不自由することはなさそうだぞ」
 柴山中佐が楽しげに声を掛けた。


 オルデンドルフ少将も、当初から魚雷艇部隊の攻撃力には期待していなかった。彼ら
は頭数だけは多いものの、その実態は予備士官たちに率いられた新兵部隊で、訓練も碌
に行っていないような状態だったからだ。
 実際、彼らの多くは自らの任務を哨戒と足止めの牽制くらいのものだろうと理解して
いたから、この認識はあながち的を外れたものではない。
 だが、そうは考えない猛者も存在していた。
 他ならぬ魚雷艇部隊指揮官のレッスン少佐である。
「いいかお前ら! 手順は教えたとおりだ、そう難しいもんじゃねぇ! ここはひと
つ、ジャップの奴らに一泡吹かせて俺達の力を見せてやるぞ!」
 隊内無線機に向かって怒鳴るレッスン。駆逐艦で構わないから、一隻でも食って意地
を見せてやるつもりだった。
「腰を引くなよお前ら! 安心しろ、ちっぽけな小船っつったってなぁ、積んでる武器
はちゃぁんとした魚雷なんだ。駆逐艦や雷撃機の連中に負けるもんじゃねぇ! いい
な! 俺達はできるんだ! 俺達はやれる!」
『そうだ、俺達は強い!』
 乗せられた隊員たちの鬨の声がレシーバーから返ってくる。
 レッスン少佐はヤケクソじみた高笑いを上げた。正論とも暴論ともつかない鼓舞だ
が、隊員の士気を高める効果は確かにあったらしい。
 狂戦士と紙一重の兵士達に操られた三隻の魚雷艇は、第四駆逐隊の左舷前方から四十
ノットの快速を飛ばして隊列に切り込んでいった。

「星弾用意、撃──ッ!」
 星弾に照らし出された海上に、接近してくる魚雷艇数隻の姿が散見される。まともに
至近から照らされた二隻が急激に艇首を巡らせ、離脱に掛かった。
 だが、それを追いかけるように十二.七サンチ砲弾が次々と着弾。吹き上がった水柱
の中で火球が膨れ上がり、飛び散った雑多なものの破片が海面に飛沫を上げた。後半分
を齧り取られた八十フィート型が、炎に包まれて漂流を始める。
 この明かりを利用して襲撃を掛ける小隊もあったが、目ざとくこれを発見した山雲の
探照灯が狙い違わず光芒を浴びせた。急に閃光を食らった一隻が幻惑されたように動き
を鈍らせたところに、最上の高角砲が水平射撃で放った一弾が炸裂。艇首デッキを吹っ
飛ばされた魚雷艇は、よろめきながら離脱していった。
「次から次へと。一体何隻いるのやら」
 満潮の田中艦長が呆れたように呟く。
「前方、雷跡一!」
「雷跡だと──あぁ、大丈夫だ。あれなら当たらん」
 艦の針路から百メートル近くも離れたところを駛走して行く。発射したと思しき敵
は、最上の主砲の弾着のあおりを食って大きく揺られながら、レイテ方向に遁走してい
くところだった。
「それにしても、腰の座っておらん連中だ。敵ながら見ちゃおれん」
 そこに、上ずった声で左舷見張りから報告が飛び込んだ。
「左舷、スコール中より魚雷艇、三! 近い!」

「行け!あいつを血祭りに上げてやれ!」
 スコールを隠れ蓑に突っ込んだレッスン小隊の三隻は、第四駆逐隊の先頭を進んでい
た満潮を狙って六本の魚雷を放った。咄嗟のことで、駆逐艦のほうでも対処を取りかね
ている。距離は二〇〇〇。これなら、米軍の魚雷でも命中を期待しておかしくない。満
潮の田中艦長は、一発や二発被雷する覚悟を固めていた。

 ところが。

「──へ?」
 雷跡を追っていた者達の目が、一様に点になった。
「あ、あらっ?」
 ジャイロが故障でもしていたのか、魚雷のうち四本が発射直後からそれぞれあらぬ方
向に逸れて行ってしまったのだ。魚雷艇クルー達の士気は確かに極限まで高められてい
たが、肝腎の魚雷のほうは、急造の新編部隊に適当に割り当てられた年式落ちの欠陥品
に過ぎなかったということらしい。
「助かった……」
 田中少佐は胸をなでおろし、
「畜生、ツイてねぇっ!」
 レッスン少佐は指揮官席のブルワークを殴りつけて叫んだ。
「雷跡、艦尾かわりま──す」
 残る二本も、一本は航走途中でスクリューが止まって沈降し、もう一本は満潮から百
メートル以上も離れたところを走り去った。
「よし、新手に備え……」
 そう発令しようとした田中少佐の声を、前方から響いてきた轟音がかき消した。
 最上の艦尾に、水柱が上がっていた。

「何だ、何が起きた!」
「判りません! 突然、右舷至近距離に雷跡が現れて……!」
 最上では、突然の被雷に混乱が起きていた。
 無理もない。通常なら絶対に当たるはずのない魚雷だったからだ。
 最上に命中した謎の魚雷の正体は、レッスン隊が満潮に向けて放った六本のうち、ジ
ャイロの故障で正規の射線を外れた一発だった。ジャイロどころか速度調定装置まで故
障していたそれは、三三ノットと言う超低速で前衛の隊列を大回りし、右舷艦尾方向か
ら曲線軌道を描いて最上に突っ込んだのだ。
 この詐欺のような一撃で、最上は舵機室に浸水を生じて一時的に操舵能力を失った。
「艦尾、浸水状況知らせ。内務班は舵機の復旧を急げ!」
 副長の指示が慌しく令達される。
「機関停止! 見張りを厳にせよ。右舷、雷跡に注意!」
 藤間大佐も、息をつく暇がない。速力の落ちた最上は、敵にとっては格好の標的とな
るに違いないからだ。
 案の定、両舷から各一個小隊がしたい寄り、合計九本の魚雷を放ってくる。
「右舷前方、雷跡二!」
「左舷より、雷跡三!」
「くそっ!」
 見事なまでの連繋攻撃と言うほかなかった。右舷の海面を見て、藤間艦長の顔が蒼ざ
めた。五本も魚雷を食らっては、たかだか一万トン余りの重巡は一堪りもないだろう。
 畜生、弱敵と侮ったのが運の尽きだったのか……
「──な、何っ!」
 その眼前に、黒い影が滑り込んできた。見間違えようはずもない、業物の小太刀のよ
うな甲型駆逐艦のシルエット。
「莫迦野郎!」
 藤間大佐が血相を変えて怒鳴った。
 前衛隊の左右両舷から打ち込まれた魚雷は、二本が目標をそれ、残る三本が命中し
た。
 左舷からの一本は、最上の艦首付近に。
 そして右舷からの二本は、射線上に割り込んだ満潮の中央部舷側に。

 幸い、米軍の魚雷艇部隊が装備していた魚雷は年式落ちの欠陥品だった。最上の左舷
艦首付近に命中した一発と満潮の右舷に命中したうちの一発は、船体外鈑を破りはした
ものの爆発せずに動作を止めた。
 だが、満潮に命中した二本目は正確に信管を作動させ、爆発の衝撃によって、傍に突
き刺さっていた一本目の不発弾をも誘爆させた。
「満潮が……!」
 後続する朝雲の見張り員が、呻き声を漏らした。
 満潮の右舷側で立て続けに二つの閃光が弾け、続いてメインマストよりも大きな火球
が船体を内側から引き裂いて膨れ上がった。引き裂かれた船体の破片は宙高く舞い上げ
られ、後続の僚艦に向かって霰のように降り注いだ。
 合計四五〇キロ余りの炸薬の爆発によって、満潮は罐室を吹き飛ばされたのみならず
竜骨を真ん中から叩き折られた。若干排水量二〇〇〇トンの甲型にとっては、この一撃
は致命傷以上のなにかとなった。
 満潮は船体中央部から捻れるように折れ曲がり、雷撃で抉られた破孔──というより
もはや船体外鈑を丸ごと毟り取られたに等しい──から猛烈な勢いで黒煙と火災炎を吐
き出して、断末魔を迎えた竜のごとく海面をのたうっていた。既に浸水も手のつけられ
ない勢いとなっており、上甲板が目に見えるほどの速度で沈下していく。
「生存者救出を急げ!」
 朝雲艦長の柴山中佐が絶叫する。あの様子では、あと五分持つかどうかもわからな
い。満潮の左舷に横付けした朝雲は、直ちに道板や縄梯子などを手当たり次第に渡し、
続々と艦内から脱出してくる生存者の救助に掛かった。
 だが、殆ど停止状態となった両艦を狙って四隻の魚雷艇が襲撃を掛け、八本の魚雷を
発射。うち一本が迷走の挙句、満潮と朝雲の船体の間に割り込むように満潮の左舷に命
中した。この一撃によって二隻の間に渡されていた足場が爆風と水柱で吹き飛び、数十
名が海上へと投げ出された。さらに満潮は船体を完全に分断され、三十名以上の生存者
を乗せたまま、一気に二つに折れて中央部から沈み始めた。


「前衛は何を騒いでいるんだ?」
 後方に位置している山城の司令部では、混乱した状況を把握しかねていた。
「最上と満潮が被雷したとは言って来たが……」
 前方の海上には、奇妙な方向を向いた駆逐艦のシルエットが炎の中に浮かび上がって
いるのが確認できたが、なにせいい加減日の出の時刻を過ぎようかというのに全く明る
くならない気象条件のおかげで、透視距離はひどく短くなっている。そこに幾重にも折
り重なって視界を塞ぐスコールが加わり、海峡部の見通しは最悪だ。
 ──と、露払いの時雨が照明弾を打ち上げ、続いて猛然と主砲を撃ち始めた。
 その直後、見張りが報告を入れてくる。
「ミンダナオ方面より魚雷艇、二!」
「副砲、追い払え。右舷砲戦! 左舷の見張りも怠るな!」
 山城の篠田艦長が大音声で令達する。
「最上より至急信。『艦隊前方に複数の駆逐艦を見ゆ』!」
「歓迎が派手になってきたな」
 そうこなくては、という調子で西村中将が不敵な笑みを浮かべた。

「不発弾の処理を急げ!」
 内務班が慌しく駆け回る中、最上は高角砲だけで駆逐艦部隊と渡り合っていた。艦首
に刺さったままの不発魚雷が振動で起爆するのを避けるために、主砲はまだ使えない。
 前衛隊は魚雷艇部隊との乱戦の渦中にあった。小口径砲弾や機銃の曳光弾が乱れ飛
び、双方の艦影に火花を上げる。
「何だ、意外と度胸のない連中だな」
 最上の藤間艦長が怪訝な顔をした。確かに前方の米軍の駆逐艦部隊は、明らかに動き
が悪かった。前方一万メートルほどの距離から、照明弾を上げつつ遠巻きに散発的な砲
撃を浴びせてくるだけで、あとは魚雷艇に任せきりと言わんばかりの按配だ。
「何を考えとる……」


 米軍駆逐艦部隊の不活発さは、故あるものだった。
 彼ら──マクメイン大佐麾下の第二四駆逐隊は、前日までの上陸支援砲撃によって主
砲弾の大半を射耗し尽くし、残弾は各種あわせて各艦百数十発程度にまで減少していた
のだ。おまけに、ミンダナオ方面でのネズミ輸送の駆逐艦狩りや対潜掃討のために、魚
雷の充足率も相当に低下していた。
 彼らとて決して戦意が低かったわけではないのだが、活発な阻止戦闘など望んでも不
可能な状態だった。
 もちろん、だからといって日本側が攻撃を躊躇する理由にはならない。星弾が打ち上
げられ、最上と山雲の一二.七サンチ砲が浮かび上がった艦影に向かって砲弾を送り出
す。まともに前甲板に食らったデイリーが一番砲をひっくり返されて炎上し、後続のバ
ッシェも中央部で火災を発生。誘爆を恐れたバッシェは魚雷五本を無照準のまま次々と
発射したが、当然ながらこれは一本も命中しなかった。
「艦首、不発弾の応急処理終了しました!」
「よし、奴らは及び腰だ。一気に畳め!」
 それを聞いて、藤間大佐の威勢が急によくなった。主砲が使えるのならば、もう怖い
ものはない。
「主砲、撃ち方始めぇっ!」
 砲術長が、それまでの鬱憤を晴らすかのように怒鳴る。それに応えて轟いた主砲の砲
声も、どこかすっきりとした響きを帯びていた。
「だんちゃーく! 至近の遠!」
「よっしゃ、幸先いいぞ! どんどん撃て!」
 それまでとは比較にならないほど大きな水柱が乱立する先では、米軍駆逐艦が煙幕を
張っては次々と艦首を翻していた。

 スリガオ海峡の留守部隊を指揮するバーケイ少将は、正直なところ貧乏籤を引いたと
思っていた。確かに、巡洋艦シュロップシャーを筆頭に駆逐艦一三、魚雷艇三九という
手元の戦力は必ずしも無力なものではないが、スリガオに突入してくる敵艦隊には、二
隻の戦艦が含まれている。
 おまけに、手元の戦力の実態は額面と異なり、いずれも訳有り品ばかりだった。魚雷
艇部隊は訓練不十分の弱兵だし、駆逐艦部隊は一方は弾薬不足、もう一方はよその部隊
からの編入で戦術連繋に難がある。だいいち旗艦シュロップシャーにしてからが、そも
そもオーストラリア海軍籍で本来の指揮系統を外れた存在であるし、それを抜きにして
もロンドン級の条約型巡洋艦に属する彼女は艦齢二十年になんなんとする老兵だ。艦内
設備はあちこちガタが来ているし、射撃指揮装備も骨董品。おまけに機関出力は定格の
八割程度しか出ないときている。
(早い話が、俺達は足手纏いの厄介払いかい)
 もっとも、北上した本隊とて楽な戦はできないだろう。なにしろ北からやってくるの
は、合衆国が誇る新型戦艦を叩き潰した怪物だった。質的にはるかに優勢な敵相手に時
間を稼がねばならない留守居部隊とどちらが大変かは、判断に迷うところだ。
「第二四駆逐隊より連絡。敵巡洋艦一隻および駆逐艦一隻、突入してきます。後続には
戦艦二隻、駆逐艦一隻を認むとの情報」
(くそっ、こいつは止められるかどうかギリギリの線だぞ。おい)
 迎撃シフトの指示を出しながら、バーケイ少将は心の中で呪詛の声を上げた。
 だが、その直後に既定の方針を根底からひっくり返す一報が入った。
「ミンダナオ方面哨戒区より入電! 敵主隊後方に複数のレーダー反応を確認! 巡洋
艦らしき中型艦三、小型艦すくなくとも三! 速力約三十ノットにて接近中! なおも
後続の反応あり!」




#194/598 ●長編    *** コメント #193 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  02:58  (264)
暁のデッドヒート 5   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:19 修正 第2版
「何処のどいつだ?」
 山城では、後続してくる艦隊の正体を計りかねていた。
(しまった。敵情を掴み損ねていたか……)
 西村中将は青ざめた顔をしている。ただでさえ、前方から次々と新手を繰り出してく
る小艦艇部隊の相手で押され気味なのだ。このうえ背後から挟撃されてはひとたまりも
ない。
「後部、主砲副砲撃ち方用意!」
 西村艦隊主隊の殿を務める扶桑の阪艦長が後部第五・第六砲塔と後部副砲郭に指示を
送る。
 そのとき、後檣の見張りから報告が飛んできた。
「後続艦より発光信号! 『ワレ那智。貴艦扶桑ナリヤ』」
「那智? 第五艦隊がなんでこんなところに……」
 一瞬、扶桑・山城の艦内で時間が止まった。
 その直後、全てを悟った者が歓声を上げる。それは、瞬く間に第二戦隊の全艦に伝播
した。彼らは今まで、自分たちに後続する味方がいることを知らなかったのだ。誰もが
寡勢での敵中枢突入を覚悟していただけに、この意外な援軍は士気の高揚に凄まじい効
果を発揮した。
「第二遊撃部隊だ!」
「味方の援軍が来たぞ! これで百人力だ!」
「このまま一気にスリガオを突破できるぞ!」
 勢いを得た日本艦隊は、第二戦隊の戦艦二隻に加えて那智以下の志摩部隊の巡洋艦が
並走するかたちで、単縦陣をとってスリガオ海峡最狭部の米艦隊隊列へと突進を開始し
た。

「どこから湧いて出たんだ、あいつらは!」
 バーケイ少将が悲鳴じみた声で叫ぶ。
 シュロップシャーの米艦隊司令部は、恐慌に陥っていた。
 第七艦隊は先頭切ってミンダナオ海を突進してくる西村部隊に気を取られ、後続の志
摩部隊をほとんどノーマークにしていた。そのため、ここでようやく哨戒線に引っかか
った志摩部隊の出現は、ほとんど戦術的奇襲にもひとしい衝撃を彼らにあたえていたの
だ。
「第五四駆逐隊より司令部! 新たな敵部隊はミョウコウ級ないしタカオ級巡洋艦二
隻、および小型巡洋艦一、駆逐艦四! なおも後続艦あり!」
「敵戦艦、発砲しました!」
「マクデルマットより報告! アオバ級巡洋艦一隻を確認!」
「敵勢力の確認急げ! 重複があるかも知れんぞ!」
「モンセンに爆発発生! ……畜生、沈みます!」
「第五四駆逐隊より続報! 敵艦隊第二陣後方に巡洋艦二隻および駆逐艦一隻が後続
!」
「クソッタレ、どっちを向いてもジャップの艦だらけだ!」
 バーケイは、自分達がのっぴきならない窮地に立たされたことを自覚した。これはも
うオンボロの巡洋艦一隻と三個駆逐隊程度の戦力でどうこうできる相手ではない。彼
は、海図盤を殴りつけると叫んだ。
「ルイスビルに連絡だ! 敵艦隊は戦艦二、巡洋艦少なくとも四を含む! 当方独力で
の阻止および遅滞戦闘は不可能! 急げ!」


 既に志摩艦隊は戦闘加入していた。旗艦那智以下、足柄・阿武隈・曙・潮・不知火・
霞の順に並んだ単縦陣が、第二戦隊を追い抜くように突出していく。
 強行軍の直後だったが、彼らの士気・技量はスリガオに突入した日本艦艇の中でも図
抜けていた。元々志摩中将麾下の第五艦隊は空母直衛艦として選りすぐられた精鋭であ
るから、これは当然だ。
 堪ったものではないのが、まともに彼らの突撃を正面から受け止めることになったカ
ワード大佐麾下の第五四駆逐隊だ。志摩艦隊の練度は、西村艦隊とはわけが違った。
「くそっ、なんて集弾率だ!」
 露天艦橋でその光景を見て、カワード大佐は罵声を上げた。旗艦ルメイの右舷側に
は、凄まじい密度で水柱が立っていた。
「畜生、奴らエリートだ。よく訓練されてやがる」
「マクデルマットよりルメイ。モンセン被弾により航行不能!」
「メルヴィン、爆発しました!」
「左舷、駆逐艦二隻反航中」
「撃て! とにかく撃て!」
「シュロップシャー、射撃開始しました」
「よっしゃ、命中だ! 敵先頭艦に水柱!」
「マクデルマットより報告。モンセン沈没します!」
「右舷、雷跡二!」
「面舵一杯、回避!」
「敵駆逐艦、前甲板に爆発!」
「ハッチンスよりルメイ。砲戦により被害甚大、これ以上は支えきれない!」
「シュロップシャーよりハッチンス、なんとか粘れ! ここを抜かれたらレイテ湾まで
一直線だぞ!」
「どっちを向いてもジャップだらけだ、くそったれ!」
 その直後、旗艦ルメイの艦橋付近に一二.七サンチ砲弾が命中。カワード大佐は命に
別状なかったものの、重傷を負って医務室に担ぎ込まれた。志摩艦隊の突破は、成功し
つつあった。


 バーケイ艦隊が発した悲鳴のような一報に、オルデンドルフ少将は顔色を失ってい
た。
 スリガオ海峡を制圧しつつある敵艦隊の勢力を考えると、留守居部隊でこれ以上の時
間稼ぎは無理だ。おまけに、自分達が引き返すとしたら時間的な余裕は全くないに等し
い。
(何という希望的観測をしていたんだ、俺は)
 オルデンドルフ少将にしてみれば、悔やんでも悔やみきれない判断ミスだった。
 とにかく、ここは即決での判断が第一だ。とはいえ、現在二つある選択肢のどちらに
も問題があった。このまま北上してモンスターたちと一戦交えるとすると、それから引
き返したときにスリガオを突破してくる敵の来寇に間に合わない。仮に間に合うとすれ
ば、それはもう一つの選択肢──すぐに南へ取って返してレイテ湾口で合流する敵を迎
撃するというオプションを取った場合のみだった。だが、この場合北から迫るモンス
ターに背後を取られるばかりか、まごまごしていると南北から挟撃を食らう恐れもあっ
た。何しろ自分達が率いているのは、全速で二十ノットそこそこしか出ない旧式戦艦な
のだ。

 しかし──

「くそっ、選択の余地はないのか!」
 悪夢を見る思いでオルデンドルフ少将は反転を命じた。自分達が本分とすべきは、輸
送船団を守り抜くこと。そのためには、敵がレイテ湾に侵入する可能性を少しでも減ら
す選択肢を取るしかなかった。
 だが、もうすぐレイテ湾が見えてくるという所まで差し掛かったところで、オルデン
ドルフ少将は信じられない光景を目の当たりにした。彼は指揮官としての冷静さを保つ
ことも忘れ、頭を掻き毟るようにして絶叫した。
「なんでお前らがこんなところにいるんだ────!」
 オルデンドルフ少将率いる砲戦部隊は、第七七・四任務群の護衛空母部隊と鉢合わせ
していた。遠目には艀か筏のような小型空母達の船体は、おりからうねりの増した海面
に揺られて頼りなげに浮いていた。


 バーケイ少将は、生気の抜けかかったような表情で戦場を眺めていた。
 既に、彼に出来ることはいくらも残っていなかった。麾下の駆逐艦部隊は必死の奮戦
を見せているが、敵艦隊の戦闘技量がその上を行っている。特に、後方から進出してき
た二隻の巡洋艦の砲火の手際のよさは群を抜いていた。彼女達の主砲が火を噴くたびに
フレッチャー級駆逐艦が至近弾で煽られ、あるいは直撃弾を受けて火柱を上げる。両舷
に搭載された高角砲は的確な弾幕を構成し、群がる魚雷艇群を寄せ付けない。
「敵駆逐艦群、突入してきます」
「デイリー被弾! ……くそっ! 誘爆が発生した模様!」
「敵戦艦、発砲しました!」
「弾着! 敵巡洋艦に命中、すくなくとも一!」
 敵の前衛は、大きく三群に分かれていた。先頭を突進してくる二隻の駆逐艦と、その
後方から本隊を追い抜いて突出してきた巡洋艦二隻。それに、すこし遅れて単艦でやっ
てくる損傷した巡洋艦だ。
「あの飛行甲板付きを狙う。弱った奴から潰していけ!」
「ハッチンスより連絡! 『我、主砲弾の残弾ゼロ! これより避退する!』」
 山城の主砲弾が着弾した。シュロップシャーの両舷に四本の巨大な水柱が立つ。
「夾叉されました!」
「くそっ、狙ってきやがったか! 間に合え!ファイア!」
 見張りの報告に、艦長が怒声のような号令で応えた。
 シュロップシャーの装備する八門の八インチ砲が、一斉に砲弾を送り出す。
「敵巡洋艦、発砲!」
「弾着! 目標中央部に火災発生……あっ、爆発しました!」
「ストライク! 魚雷にでも当たったか!」
 次の瞬間、シュロップシャー全体を強烈な衝撃が襲い、艦橋にいた全員がその場から
放り出された。山城が放った十四インチ砲弾のうち一発が直撃し、後甲板に大穴を開け
ていた。
 バーケイ少将は、砲弾の飛来音で我に返った。誰かが「伏せろ!」と叫んだような気
がした。しまった、と思う間もなく強烈な衝撃が襲い掛かり、艦橋にいた全員を床に打
ち倒す。どこかから強烈な硝煙の匂いが漂ってきた。艦長が素早く起き上がり、飛び込
んできた伝令に対処指示を伝えていく。
 だが、シュロップシャーに命中した敵弾は、山城のヘビーパンチだけではなかった。
 後甲板が捲れあがった彼女の内部で応急班が活動を始めてから一分後、今度は満身創
痍の最上が放った八インチ砲弾六発のうち二発が直撃し、うち一発が艦橋後部で炸裂し
た。左舷の見張り員が宙に舞い上げられて悲鳴をあげながら上甲板に落下していくのが
見え、次いで戦闘艦橋の天井が抜け落ちて内部に爆風と無数の鉄片が吹き込んできた。
 バーケイ少将の意識は、そこで途切れた。


 シュロップシャーに一撃を見舞ったものの、最上もまた深刻な打撃を受けていた。
 艦中央部で発生した魚雷の誘爆は、装甲区画を吹き飛ばして奥深くの機関室に致命的
な損傷を与え、中央部全体に手のつけられない大火災をもたらしていた。破砕された船
殻部材や上構の破片は艦橋にまで飛来して旗旒甲板の信号員を全滅させ、メインマスト
は煙突ごと上半分を毟り取られて松明のように炎上していた。
「いかんですな、水蒸気が出とります」
 中央部の様子を窺っていた副長が渋い顔で報告する。
「こりゃぁ、足が止まるか」
 藤間艦長は、仕方ないね、と応じた。
「それならそれで戦いようはあるさ。皆、戦いはこれからだ!」
 意識して発せられた陽性の声だったが、それだけに艦橋を明るい空気が包む効果は高
かった。鬨声の代わりとでも言うのか、前甲板の主砲が一斉に咆哮する。最上の砲戦能
力は、なお健在だった。


 衛生班員の呼びかけでバーケイ少将が意識を取り戻したとき、シュロップシャーの艦
橋内部の様子は彼が見慣れたものとは大きく異なるものとなっていた。敵弾は、メイン
マスト基部で炸裂して艦橋上部の防空指揮所を吹き飛ばしたらしい。脱落した指揮所の
構造物が艦橋の屋根に大穴を開け、内部はほとんど全滅状態だった。
(──被弾からそれほど長い時間は経っていないのか)
 最初に感じたのはそれだった。
「艦長は?」
 バーケイ少将の問いに、水兵は首を横に振った。
「艦橋に居合わせた士官で、生存者は少将だけです」
「……そうか」
 一瞬だけ瞑目すると、バーケイ少将は立ち上がった。切り傷や打撲だけは山ほどある
らしく身体の節々が痛んだが、幸いにして致命傷というほどの傷は負っていないよう
だ。ならば、士官として為すべきことは一つしかない。
「本来なら指揮権継承の外もいいところだが、そうも言ってはおられんか」
 どのみち、味方はもう部隊の体を為していない。ならば、最先任士官の務めとして旗
艦の指揮を引き受けなければならないだろう。
「本艦の指揮は、これより私が執る。まずは航海艦橋へ移動だ。それと、被害報告を急
いでくれ」
 バーケイ少将は、ふと艦長在任時代の昔に帰った気分になった。状況はあのときとは
比較にならないほど悪かったが、そう考えるだけで不思議と気分が楽になり、戦意が湧
いてくるのを感じた。
「主砲塔、いずれも健在です。後部に火災を生じていますが、鎮火の見込みです」
「よし、まだ行けるな。諸君、戦いはこれからだ!」
 奇しくもそれは、対面している巡洋艦の指揮官と同じ台詞だった。


「右舷前方、味方重巡炎上中」
「ひどいな、こいつは……」
 志摩艦隊に続いて第二戦隊を追い越してきたのは、左近允中将率いる第十六戦隊。
 重巡青葉、軽巡鬼怒、駆逐艦浦波で構成された小部隊だった。
「陸兵など乗せずにさっさと出てきたのは正解だったな。こりゃあ激戦だ」
「被弾して陸さんに人死にでも出た日には、かないませんからな」
 彼らの眼前にある最上は、既に軍艦としての原型を半ば近く失っていた。中央部は特
に状況がひどく、旗旒塔から後檣楼にかけての上構は悉く倒壊し、鉄骨や鋼鈑の無秩序
な堆積となって炎に包まれている。
「無理しよるわい」
 青葉の砲術長が、未だに最上の前甲板から主砲が砲撃を行っている様子を見て呆れ
た。最上の被害は、既に艦を捨てる決断が下されても不思議ではない状態だった。ター
ビンを破損したらしく、中央部の残骸の山の間からは水蒸気まで立ち昇っている。
 そんな状態であるから速力も出るわけはなく、最上はほとんど行き足を失って漂流同
然の有り様だった。
「だんちゃーく……敵巡洋艦に命中弾!」
 見張りの声が弾む。最上の斉射がシュロップシャーの周囲に水柱を上げ、うち一発が
中央部の煙突を蹴り倒し、傍のカタパルトを引き千切って宙に舞い上げた。
「左舷前方、駆逐艦一、魚雷艇二!」
「来たな、左砲戦!」
 青葉もまた、戦闘の渦中へと突入しつつあった。反航から砲撃を浴びせてくる駆逐艦
に主砲で応戦しながら、第十六戦隊はスリガオの向こうへ舳先を向けた。

「如何されましたか?」
 篠田艦長が問い掛ける。西村中将は、浮かない顔をしていた。
「妙だと思わんか?」
「は?」
「敵の布陣だよ」
 そう言われて篠田少将は、はっとした。
「そういえば……戦艦が見当たりませんな」
「それだけじゃない、少なくとも六隻が確認されている巡洋艦も一隻しかおらん。とす
ると、残りは何処へ消えた……」
 西村・志摩両部隊は、スリガオ海峡を制圧しつつあった。敵部隊の士気はおおむね低
調で、駆逐艦部隊は散発的な砲雷撃を仕掛けてきただけで早々と後退を開始していた。
残るは足元をうろつく魚雷艇部隊と海峡出口付近に居座った巡洋艦だが、魚雷艇は増援
を受けて密度の増した阻止砲火網を突破できずにいるし、巡洋艦のほうも各所から火災
を生じて廃艦五分前といった有り様だ。各所で炎上する艦艇が周囲を照らし出し、うっ
すらと白み始めた周囲の光景を、コントラストによって再び闇に沈めている。
 これだけ前衛を叩けば、いい加減後方の本隊が援護に現れてもおかしくない。だが、
スリガオ海峡の奥から新手が現れる気配は一向に見えなかった。
「サンベルナルジノ海峡を突破した本隊が南下していますから……そちらに向かったの
では?」
「希望的な観測ではそうなるが……油断は出来んな。各艦、対潜・対水上警戒を厳にす
るよう伝えてくれ」
 窓の外では、スコールの勢いが一層激しくなりつつあった。何時の間にか、断片的に
散在していたスコールは一つにまとまり、スリガオ周辺の海域一帯を北方から覆い始め
ていた。
「この調子だと……レイテ方面の天候は大荒れですな」
 山城の航海長が、ぽつりと呟いた。


 一万トン級の重巡クラスにとっては、一発一発の被弾が馬鹿にならないダメージとな
る。
 最上艦長の藤間大佐は、そのことを今さらながらはっきりと痛感していた。
 既に最上は、廃艦も同然の有り様だった。これまでの戦闘での被害は、八インチおよ
び五インチ砲弾が合計して十発以上、魚雷二本。最上の戦闘力に影響を与えなかった被
害はひとつもない。足が止まった時点では無事だった主砲も、結局一番砲塔が破壊さ
れ、三番砲塔が電気系統の故障で動きを止めている。中央部は火の海と化し、星弾や機
銃弾が炎の中で弾け飛ぶ危険な状態だ。魚雷は誘爆を避けるために全て投棄してしまっ
ており、一本も残っていない。
 だが、そんな状態にもかかわらず最上は二番砲塔だけでまだ戦っていた。副長が「沈
まないほうが不思議ですよ」と首を傾げながら応急に走り回っているが、現実に彼女は
持ちこたえている。
「ま、状況は向こうも同じか」
 双眼鏡越しに対面しているシュロップシャーの様子を見ながら、藤間大佐は苦笑いを
浮かべた。なんとか、相打ちには持ち込めたかな。

 シュロップシャーは左舷に傾斜を始めていた。最上との砲戦は互角以上に進めていら
れたのだが、山城から食らった二発目の十四インチ砲弾がまずかった。左舷の喫水線付
近を打ち下ろしのボディブローのように深々と抉った一撃は、彼女の戦隊外鈑から罐室
までを丸ごと削り取ったのだ。
 このため、シュロップシャーは左舷に十度以上の傾斜を生じて戦闘不能となってい
た。よろめきながら海峡北側へと脱出を図っているが、どうやらそれは果たされること
はなさそうだった。
「さて、時雨に信号だ。生存者収容を頼もう」
 藤間大佐は、ようやく艦を捨てる決断をした。
「先鋒の栄誉に与って、結果的に敵巡一隻と相討ちだ。恥じることもあるまい」




#195/598 ●長編    *** コメント #194 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  02:59  (428)
暁のデッドヒート 6   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:20 修正 第2版
 皆既日食かと見紛うほど重く低く垂れ込めた密雲のために日の出は地上から確認でき
なかったが、時刻は既に、太陽が東の水平線から顔を出していることを示していた。
 クラークフィールド基地の上空は小雨雑じりの悪天候だったが、飛行作業には支障な
さそうだ。
「昨日の航空戦における諸子の敢闘により、米機動部隊には少なからぬ損害を与えるこ
とができた。そして本日の戦闘が、この決戦における最後の正念場となるであろう。既
に味方水上部隊は、レイテ湾突入への最終行程に入りつつある。どうか……どうか今一
度、諸子の力を貸して欲しい!」
 大西長官の出撃前訓辞は、懇願にも似た力の入ったものだった。
 昨日の判定戦果は、敵空母二隻撃沈、二隻撃破と伝えられている。敵空母機動部隊の
勢力は空母十六隻と報告されているから、昨日の戦いでは四分の一を倒した勘定だ。
 そしてそれ以上に大きかったのが、敵空母主力を完全な遊兵に仕立てられたことだっ
た。一直線に内地から南下してくる小沢艦隊を発見した敵は、見事にこの餌に食らいつ
いた。だが、この餌にはしっかりと釣り針が仕掛けられていた。直掩戦闘機隊にかまけ
て空母本隊を攻めあぐねていた敵艦隊に一航艦の陸攻隊が襲い掛かり、これを拘束。そ
の間に、第一遊撃部隊は見事サンベルナルジノ海峡の突破を果たしたのだ。
 無論、犠牲も大きかった。現在クラークフィールド基地から作戦可能な機体は、昨日
飛来した第三艦隊の艦載機まで含めても五十機に満たない。昨日朝の時点では陸攻と銀
河だけで四十機以上、戦闘機まで合わせれば百機近くを保有していたのだから、その戦
力低下ぶりは見るに堪えないものがある。
 だが、そうであるにも関わらず彼らの士気は最高の状態にあった。昨日の戦果を受け
て高揚しているばかりではない。誰もが、この戦いが海軍航空隊としての事実上最後の
戦闘になると肌で感じ取っていたのだ。
(あるいは体当たり攻撃の実施も覚悟していたが……)
 大西中将は思った。この調子なら必要なさそうだな。既に味方水上部隊は、自分たち
の力が及ばないところまで進出を果たした。あとは、ルソン東方の空母機動部隊を叩い
て小沢艦隊を援護するほかに一航艦が出来ることといえば、戦艦部隊の武運長久を祈る
ことくらいしか残っていなかった。


 ハルゼーは、自分たちがとんでもない罠の中に飛び込んでしまったことを悟ってい
た。
「やられたよ。くそっ」
 第三艦隊は、まさに進むも地獄、退くも地獄という状況に置かれていた。既にハル
ゼーの元には、キンケイド第七艦隊長官を始めとして、第七七・二任務群のオルデンド
ルフ少将、第三四任務部隊のリー少将、果てはハワイのニミッツ長官に至るまで、あり
とあらゆる指揮レベルから救援を訴える通信が押し寄せていた。
 だが、第三八任務部隊は動けなかった。ここで反転すると、未だに空母七隻の戦力を
持つ日本機動部隊に背後を晒すことになるからだ。一個任務群を分離してレイテへ送る
オプションも選択肢としては存在したが、陸上航空隊も相手にしなければならないこと
を考えると兵力の分散は論外。ハルゼー艦隊は、嫌でもここに腰を落ち着けて、目の前
の日本空母と殴り合わなければならなくなっていた。
 おまけに、フィリピン海域の天候はどんどん悪化していた。風と海面のうねりは強く
なる一方で、至るところに激しいスコールが散在している。
(畜生、泣きっ面に蜂とはこのことだ……)
 艦載機の発着は、不可能と言わないまでも相当に困難で、直掩隊の発艦作業も遅々と
して捗らない。
「ピケットより通報! ベクター一七〇、距離三〇マイルに航空機らしきレーダー反
応、約四十! 目標速度、約一五〇マイル!」
「クソッタレ、最悪だ!」
 ハルゼーは喚いた。方位と距離からすると、発見された目標はジャップの攻撃隊に間
違いない。これで朝一番で出す予定の攻撃隊を発艦させる暇がなくなってしまった。
「接触まで三十分……直掩隊は何機上げられる?」
「これまで上がったのが十八機ですから……およそ三十機です」
 お世辞にも十分とは言えないか。ハルゼーは決断せざるをえなかった。
「各艦、ハンガー・チームは攻撃隊の爆装解除を急げ。今から上げても間に合わん!」

「えぇい、何をしておる!」
 オルデンドルフ少将は、掌に爪が食い込むほど拳を握り締めて喚いた。
 クリフトン・スプレイグ少将麾下の護衛空母部隊ともろに鉢合わせした第七七・二任
務群は、隊列が大幅に乱れていた。数十隻の大部隊同士でお互いの針路が交錯する形と
なったため、各艦が複雑な衝突回避運動を強いられている。
(これでは……レイテに間に合わんっ)
 いや、それ以上に背後から迫るモンスターの方が恐ろしい。
 このように隊列が乱れた状態では、ろくに統制も出来ないまま叩かれて終わってしま
う危険が大きい。おまけに、まともな戦闘力も持っていない護衛空母に至っては、砲雷
戦の足手纏いにこそなれ、絶対にプラス要素としては働かないだろう。第一、モンス
ター達の砲撃に遭えば一撃の元に消し飛んでしまうに違いない。
(そうなる前に、何とか隊列を収拾してジープどもを分離しないと……)
 回避機動と混乱、そして天候悪化に伴う海面状態の時化のために、艦隊速度は大幅に
落ちていた。レイテへの到着見込み時刻は、もはや見当もつかない。少なくとも当初の
見込みよりも大幅に遅れることだけは確実なのだが。
 そして焦燥に駆られるかのように旗艦ルイスビルの艦橋の窓の外に目をやったオルデ
ンドルフ少将の耳に、艦の全力航進に伴って艦橋が風を切る音に混じって雷鳴のような
音が飛び込んできた。雷かと思ってそちらに視線を向けた彼は、最悪の事態が到来した
ことを悟った。
 隊列の最後尾付近を進む巡洋艦ボイスが、無数の巨大な水柱に包まれていた。
 サンベルナルジノでリー艦隊の新型戦艦たちを叩き潰したモンスターが、追いついて
きたのだ。

「命中! 敵甲巡一、撃破と認む」
 水柱の中から現れたボイスは、C砲塔付近で真っ二つに千切れていた。切断部分から
ものすごい勢いで黒煙と蒸気を吐き出している。
「前方、戦艦一……いや、二! 空母三、まだ他にいますっ!」
 見張りから報告。
「空母だって!?」
 予想外の報告に、大和の艦橋がどよめいた。
「戦艦と空母が一緒にいるとは……敵は相当混乱しておるようですな」
 小柳参謀長も予想外の事態に驚きを隠せない。
「なんにせよ、敵空母を仕留める絶好の機会には違いない。水雷戦隊、突撃だ!」
 栗田長官も目の色が変わっていた。敵艦隊は、戦艦の艦列に空母群が入り混じってお
り、統制の取れていない単縦陣の切れ端が彷徨っているような状態だった。
「敵巡洋艦、沈没します!」
「おぅ、見事だ!」
 二つに千切れたボイスの前半分が、舳先を高々と掲げて沈んで行こうとしていた。ま
るで松明の芯のように、轟々と燃え盛る炎の中で真っ黒なシルエットとなって浮かび上
がっている。その様子を見ていた者たちは、沈んでいく船体の表面で海水が瞬時に沸騰
して弾ける音までが鮮明に聞こえたような錯覚に捕われた。
「十一時方向、敵戦艦二! まっすぐ向かってきます! 距離二〇〇〇〇!」
「飛び出してきたか?」
 双眼鏡を向けた視界の隅で、またしても複数の巨大な水柱が奔騰した。
 巡洋艦フェニックスを狙った長門の射撃が着弾していた。


「ウェイラー! 早く隊列を立て直すんだ! 殺られるぞ!」
 オルデンドルフ少将は、TBSの送話器を握りしめて絶叫した。うちの中古艦でモン
スターに対抗するには、隊列を整えて統制射撃で撃ち合うしか道はない。
 だが、戦艦部隊の隊列は護衛空母群との交錯によって分断されていた。そこに後続の
巡洋艦と護衛空母部隊の駆逐艦が入り乱れて、手のつけられない混乱が発生している。
「うわっ……ボイス、二つに折れました!」
 後檣から見張りが上ずった声で報告してきた。
「フェニックス被弾! 戦艦クラスに狙われています!」
「敵水雷戦隊、突入してきます!」
「スムート隊に連絡! 迎撃急げ!」
「デンバー、射撃開始しました」
「ポートランド被弾! 誘爆が発生した模様!」
 その直後に隊列の中で閃光が走り、水柱が奔騰した。数秒遅れて、轟音と衝撃波が続
く。スプレイグ隊の護衛駆逐艦が、全艦炎の塊となって真っ二つに折れているのが見え
た。
「ブルー・キラーだ!」
「だめだ、あれじゃ助からん……」
「落ち着けっ!」
 ルイスビルの艦長が怒鳴りつけるが、浮き足立った艦橋の空気は容易には収まらな
い。まさに士気崩壊の一歩手前。
 そのとき、着弾のものとは質の異なる轟音が響き渡った。彼らにとっては、慣れ親し
んだ音だった。
「ウ……ウェストバージニア、射撃開始しました!」
「メリーランド、射撃開始!」
 安堵の余りほとんど涙混じりとなった声で報告が入る。米艦隊の反撃が始まった。

 ウェストバージニアは、滅茶苦茶に入り乱れた隊列の中で強引に回頭をかましてい
た。とりあえず艦尾方向を敵に向けている状態を、なんとかしなければならなかったか
らだ。
 だが回頭の最中に、スプレイグ隊の左翼を進んでいたガンビア・ベイが目の前に飛び
出してきた。
「莫迦野郎!」
 艦長が叫ぶが、もう遅い。正面衝突で戦艦部隊旗艦が行動不能になるという最悪の事
態こそ避けられたものの、金属同士が擦れ合い変形する甲高い耳障りな音を残して、ウ
ェストバージニアはガンビア・ベイの舷側を削っていった。
 さらに、ガンビア・ベイの不運はこれだけに留まらなかった。舷側通路や銃座をごっ
そりと削ぎ落とされて船殻に亀裂まで入った彼女の左舷に、後続のメリーランドまでが
衝突していったのだ。
 この一撃が致命傷となった。舷側の亀裂から流入した海水によって機関が丸ごと水没
し、足が止まってしまったのだ。そもそも本格的な戦闘などに投入されることを考えて
設計されていないカサブランカ級護衛空母は、機関のシフト配置など行っていない──
いや、それ以前に商船構造の彼女は単軸推進だ。
 あっという間に浸水と傾斜を生じて海上に停止した彼女に対し、左翼を突進してきた
利根と熊野が距離一二〇〇〇から八インチ砲を浴びせる。続けざまに飛行甲板や格納庫
側面を突き破った砲弾は格納甲板で炸裂し、艦載機を破壊してタンクに残っていた燃料
を炎上させた。ガンビア・ベイは上構を炎に包まれ、ありとあらゆる破孔から激しく黒
煙を噴いて最期の時を待った。

 味方の護衛空母一隻を踏み潰して無理矢理砲戦態勢を整えたウェストバージニアとメ
リーランドは、全主砲を右舷に指向して初弾を斉射した。
「撃ってきたぞ!」
 大和の艦橋で、誰かが叫ぶ。
 初弾は苗頭が甘く、全弾が大和の左舷前方に水柱を上げた。
「この水柱は、四〇サンチ級……メリーランド型がおるな」
「どこから撃ってきた!」
 米艦隊にとっては絶体絶命の状況だったが、日本側にとっても手放しで歓迎できる事
態ではなかった。これだけ相手の隊列が入り乱れていると、最優先で叩くべき目標であ
る敵戦艦がどこにいるのかがさっぱり掴めない。
「一時方向……煙幕で正確には判別しかねますが、ニューオーリンズ級甲巡の向こう側
からと思われます。距離、二〇〇〇〇!」
「畜生、これでは狙いの定めようがないぞ!」
「構わん、主砲撃ち方! 撃てば何かに当たる!」
 横を見た森下艦長は、我が目を疑った。普段は鉄仮面のように表情一つ変えないこと
で知られる宇垣中将の顔が、紅潮していた。
「左舷側、敵戦艦二隻回頭しつつあり!」
 森下少将は、表情を引き締めた。米軍も、むざむざとやられるつもりはないのだろ
う。
 その直後、大和の四六サンチ砲が火を噴いた。左翼に飛び出してきたカリフォルニア
級戦艦の周囲に水柱が上がる。
「よぉし、初弾から夾叉か。縁起がいいぞ!」
 砲術長の声が弾んだ。

「テネシー、夾叉されました!」
「くそっ、奴ら腕がいいぞ」
 ウェイラー少将は悪態をつきながら砲戦を指揮していた。
「第三射、弾着……敵先頭艦を夾叉!」
「よし、この諸元だ!」
 ウェストバージニアとメリーランドは、大和に向けて四度目の斉射を放った。
「弾着……敵先頭艦に命中一!」
 双眼鏡を向けた砲術長は、しかし次の瞬間溜め息をついた。
「何て奴だ、砲塔で弾きやがった」
「敵二番艦はナガト級!」
「敵先頭艦、発砲!」
 報告が重なる。再びテネシーの周囲で大量の海水が天高く吹き上げられ、その中で閃
光が走り、海水以外の何かが弾け飛ぶのが見えた。
「テネシー、通信途絶しました!」
 通信室から第一報。
「アンテナをやられたか?」
 それどころの騒ぎではなかった。数十秒が経って水柱が崩れ落ちたとき、そこにあっ
たものを見たウェイラー達は己の目を疑った。
 瀑布のように落下する水幕の中から白煙とともに現れたのは、前後に分断された船の
形をした炎の塊だった。
 ウェイラー少将もオルデンドルフ少将も、絶句したまま次の動作を忘れてしまった。
 いや、その光景を目にした多くの者が、同様の状態にあった。
 ──戦艦とは、これほどまでにあっさりと葬られてしまう兵器だったのか。
 彼らの目の前で、テネシーは立て続けに誘爆を起こした。B砲塔とX砲塔をそれぞれ
下から粉砕して火柱が噴き上がり、巨大な火球となって甲板上にあったものを火炎とい
わず上構といわず舐め尽くす。
 爆風の直撃を受けた前檣楼が、まるで風化した古木のように分断された船体の狭間に
向かって崩れ落ち、海面で飛沫を上げた。
 空中高く膨れ上がった火球を突き破るように、その内側から無数の新たな火球が膨れ
上がり、既に原形を留めないほど破壊された船体を四分五裂に引き裂く。その裂け目か
ら新たな炎の雲が火砕流のように水平方向に噴出し、百メートル以上も離れた位置にい
た味方駆逐艦を呑み込んで一塊の焚火へと姿を変えさせた。
 そして次の瞬間、巨大な白いリングとなって海面を走ってきた想像を絶する衝撃波が
戦場海域に存在する全ての艦艇を揺るがした。
「──耳が潰れるかと思った」
 戦後にこう証言したのは、テネシーから四〇〇〇メートル以上も離れた位置にいたペ
ンシルバニアの乗組員だった。
 もはやそれがどんな形をしているのかすら判別しかねるほど徹底的に破壊され尽くし
た真っ赤な鉄塊は、そこでようやく海面下へと姿を消して劫炎から解放された。だがそ
のあとですら彼女は水中で数度の大爆発を起こし、誘爆に巻き込まれた僚艦から脱出し
た数少ない生存者を衝撃波と破片で殺傷した。

「もっと突っ込んでください! せめて、あと五〇〇〇ヤード! でないと奴には効き
ません!」
 射撃指揮所で、砲術長が戦闘艦橋への伝声管に向かって怒鳴る。
 第七七・二任務群の戦艦部隊の中で、もっとも巧みな戦術運動を見せていたのはミシ
シッピーだった。
 これには訳がある。大西洋艦隊から回航されて来た彼女は、戦艦部隊の中では唯一真
珠湾を経験していない。このため、損傷艦の修理に伴って他の艦に転属されていった開
戦前からのベテラン達が、彼女にだけは大勢残っていたのだ。
 ミシシッピーの砲術長は、掌砲長の大尉時代から彼女の五〇口径十四インチ砲と付き
合ってきた超ベテランだった。
 二二〇〇〇ヤードで十六インチを弾いたとすると、モンスターの装甲は四百ミリを超
える超重防御ということになる。ミシシッピーの十四インチ砲でこれを破るには、
一〇〇〇〇ヤード以下まで肉薄するしかない。
 内心で、とんでもないことを言ったもんだと冷や汗をかく。戦艦主砲で一〇〇〇〇。
拳銃なら銃口を相手の身体に押し当てて撃つに等しい距離じゃないか。その距離に突っ
込むまでに、モンスターや後続のナガトから最低五回は斉射を浴びるんじゃないか?こ
っちが浮いていられるかどうか。
 彼の脳裏に、引火した軽質油タンクのような大爆発を起こして沈んでいったテネシー
の姿が浮かぶ。
「縁起でもねぇや」
 砲術長は、潮焼けのひどい髭面に憮然とした表情を浮かべて呟いた。せめて、モンス
ターの砲塔の一個くらいとは刺し違えてやる。

「しかし、戦艦でこんな戦い方をする羽目になるとは……莫迦野郎揃いだな、俺達は」
 突出を始めたミシシッピーを見て、ウェイラー少将もまた麾下のウェストバージニア
とメリーランドに突撃を命じていた。
 彼の脳裏には、数時間前に連絡を絶った第三四任務部隊のことがこびりついていた。
知将として知られるリー中将のことだから、サンベルナルジノ海峡から出てくる敵に対
して丁字を描くという、これ以上はないというほどの絶好の態勢を確保していたに違い
ない。にも関わらず、リー艦隊はほとんど一方的に叩き潰されてしまったという。
(要は)
 ウェイラー少将は推論を立てていた。恐らくリー艦隊の敗因は、通常の砲戦距離で交
戦に及んでしまったことにあるのだろう。あのモンスターの装甲は、中距離で放たれた
十六インチ砲弾に対しては、ほとんど完璧といって差し支えないほどの強靭な防御力を
発揮しているはずだ。
「……ならば」
 ウェイラー少将は思わず口に出していた。こっちは通常の砲戦距離から外れたレンジ
で戦ってやる。遠距離側は命中を期待できないから、この場合は接近しての殴り合い
だ。
「そっちが一撃の重さで来るなら、こっちは数で勝負だ」
「距離、一七〇〇〇ヤード!」
「よぉし、どんどん撃て! 一発でも多く当てろ!」
 右舷やや前方に指向されたウェストバージニアとメリーランドの十六インチ砲十六門
が、一斉に火を噴く。そのまた右舷方向には、ミシシッピーとカリフォルニアが全力で
海上を疾駆する姿が見てとれた。
「うぉっ!」
 だが、突進を続けるウェストバージニアの鼻先に四本の水柱が次々とそそり立った。
 大和の後方に位置していた長門が、未だ健在な砲力を米戦艦部隊に対して振るい始め
ていた。


「挟み撃ちとは味な真似を……」
 左舷前方からニューメキシコ級戦艦。右舷からはコロラド級が二隻。それよりもかな
り遅れて左舷からカリフォルニア級が一隻。
 ──と、そこに後方から轟音が飛んでくる。ほぼ同時に右舷から向かってくるコロラ
ド級の鼻先に、次々と水柱が上がった。大和は左舷のテネシーに向けて発砲していたか
ら、この一撃は彼女の射撃によるものではない。
「長門より信号。『右翼は任されたし』」
「ほう。なんとも頼もしいことだ」
 後檣からの報告に、栗田長官の口元がほころんだ。
「よし、本艦は左舷を相手にする。主砲撃ち方!」
 森下艦長の号令。前甲板で二基の巨大な三連装砲塔が動作を始めた。島風級駆逐艦に
匹敵する重量を持つそれらが、ゆっくりと旋回して狙いを定める。一八〇〇〇メートル
ほどの距離でメリーランドから十六インチ砲弾が飛んでくるが、彼女が使っているのは
新型戦艦で採用されているようなSHSではなく重量一トンそこそこの通常弾だ。この
距離では大和の主要部装甲を貫通できない。
「一番、二番、射撃準備よし!」
「目標、左舷ニューメキシコ級戦艦!」
「よし! 撃ぇ──っ!」
 短二回、長一回のブザーとともに、猛烈な発砲音と衝撃波を残して一トン半の巨弾が
飛んでいく。距離が詰まっているだけあって弾着までの時間は早かった。
「だんちゃーく! 遠、遠、遠……」
「下げ一、苗頭そのまま、第二射用意!」
「射撃準備よし!」
「テッ!!」
 再び轟音。その直後にミシシッピーからの砲撃が着弾。一発が司令塔上部を襲った
が、こんなところを十四インチ砲弾に抜かれる大和ではない。
「だんちゃーく! 近、近……目標に命中!」
 ミシシッピーに命中したのは、艦砲としては地上最強を誇る重量一.五トンの超大口
径砲弾だった。この直径四六サンチの凶器は、この世に存在する殆ど全ての戦艦に容易
く致命傷を与えるだけの威力を持つ。これは、先程テネシーの艦中央部甲板を貫通して
一撃で彼女を葬った実績によって裏付けられている。
 命中個所は、艦中央部舷側。誰もが致命傷を覚悟するような一撃だった。
 だが、ミシシッピーはこの打撃に辛くも耐えた。入射角の妙と言うべきだった。三四
三ミリの舷側装甲に対して、砲弾の入射角は前方四五度。さらに、この弾道には十度以
上の落角もついている。垂直に立った舷側装甲は、通常の一.七倍──約六〇〇ミリ相
当の耐弾性能を発揮した。
「何ッ」
 森下艦長が、あんぐりと口を開けた。
「弾いたぞ!」
 艦橋が騒然となる。
「うろたえるな、勝負はこれからだ! 次弾装填まだか!」
 宇垣中将の叱咤が飛ぶ。
「あり得ない話ではないが……この距離で弾くか。旧式艦とはいえ侮れんな」
 既に彼我の距離は一五〇〇〇メートル近くにまで縮まっている。口径の劣る砲での射
撃効果を得るために、米戦艦部隊は全速で大和との距離を詰めていた。
「射撃準備よし!」
「撃ぇ──っ!」
 再び大和の砲撃。ミシシッピーの周囲に五本の水柱が立つ。つまり、一発の直撃弾が
生じていた。煙突直後の舷側装甲をぶち抜いた四六サンチ砲弾は、船体内部で炸裂。直
下から突き上げられた両用砲塔が台座ごとすっぽ抜けて、独楽のように回転しながら嵐
の中に消えていった。
「よし、有効弾は出ているぞ!」
 戸惑いに近い空気が漂いかけた昼戦艦橋に、活気が戻ってくる。
 だが、その直後に大和は激しい水柱と不気味な振動に襲われた。
 メリーランドが距離一六〇〇〇で放った十六インチ砲弾が、艦首喫水線付近を貫通。
やや鋭敏気味にセットされていた短遅動信管が船体内部で作動し、魚雷艇が通り抜けら
れそうな大穴を開口させていた。
「艦首部被弾! 浸水発生!」
「くそっ、応急急げ!」
 メリーランドから食らった一発は、隔壁閉鎖が行われるまでの数分間で大和の船体内
に五〇〇トン以上の海水を流入させていた。
「内務班、被害知らせ!」
「浸水は食い止めましたが、十八ノット以上は危険です!」
 森下艦長と栗田長官が、むぅ、と同時に唸った。
 さらに、左舷艦橋脇にミシシッピーの放った砲弾が直撃。貫通には至らなかったもの
の、これで先程のリー艦隊との撃ち合いで大被害を受けていた左舷側の補助火器群は、
機銃座数基を残して完全に壊滅した。
「だんちゃーく……近、遠、近、近、遠、近!」
「当たらんなぁ」
 栗田長官がぼやく。急速に双方の距離が詰まっているうえに、この荒れ模様の天候
だ。射撃諸元はお互いに乱れがちだった。射撃距離と使用砲門数の割には、米艦隊の射
撃もじれったいほどに当たっていない。
「敵がどんどん突っ込んで来てますね。あまりくっつかれるとまずいですが……」
 森下艦長がそう言ったとき、距離一二〇〇〇メートル弱で放たれた斉射のうちの一発
が、ミシシッピーの左舷後部舷側を貫通。上甲板が後部主砲塔の姿を覆い隠すほどに激
しく広範囲にわたって捲くれ上がり、艦内から火の粉の混じった黒煙が湧き出した。
 このとき、縦隔壁数枚を突破した砲弾はX砲塔とY砲塔のバーベットの中間で炸裂。
ミシシッピーは、せっかく大和を射界に収めたばかりの後部主砲塔を、初弾発射前に旋
回不能にされてしまった。


 三万トンを超える戦艦クラスならともかく、たかだか一万数千トンの巡洋艦以下はこ
の悪天候の中では相当にがぶられる。
「畜生、射撃の間合いが取りにくいこと甚だしい」
 利根艦長の黛大佐が悪態をついた。艦の動揺のために、主砲の散布界はえらく悪化し
ていた。おまけに全体的な弾着位置も、狙った通りの位置に集まらない。
 せっかく敵艦隊列の真ん中に切り込んだのに、これでは接近戦の優位が思うように活
かせていない。
(だが)
 黛大佐は思った。もう一つの利点のほうは十分に活かせているようだ。
 弾着がばらついているのは、相手も同じだった。おかげで、護衛空母を楯代わりに走
り回っている利根と熊野に対して、敵からは有効な砲撃が飛んでこない。同士討ちを恐
れているのだ。
「前方、敵空母! 距離一〇〇〇〇!」
「砲術、行けるか!?」
「射撃準備よし!」
「よし、撃ぇ──っ!!」
 利根と熊野を合わせて十門の二十サンチ砲が一斉射を放つ。目標とされたホワイトプ
レーンズこそいい迷惑だ。この二隻は、栗田艦隊の重巡群のなかでもとりわけ砲戦技量
が高かったのだ。特に、練度の高さで知られる日本海軍にあって砲術の大家と目される
黛大佐が艦長を務める利根の射撃は、凄まじい命中率を示した。日本製としてはさして
射撃精度の優秀な部類ではない二十サンチ砲による射撃で、三斉射十二発のうち四発を
命中させたのだ。
「第三射、弾着、今──っ! 命中! 敵空母、爆発っ!」
 見張りが興奮した声で報告してくる。航空燃料タンクに引火したホワイトプレーンズ
は、艦中央部から後部にかけての上構を爆炎に包まれて、木造船かと思うほどの勢いで
炎上を始めた。

 快調に戦果を挙げていく巡洋艦部隊と裏腹に、駆逐艦部隊は苦戦を強いられていた。
サンベルナルジノ突破の際に、多くの艦が最大の武器である魚雷を殆ど射耗してしまっ
ていたためだ。
 本隊に随伴してきた六隻のうち、魚雷を残しているのは浦風と磯風の二隻に過ぎず、
しかも次発魚雷は残っていなかった。最大の牙を失った駆逐艦部隊は、圧倒的な数的優
勢を誇る米駆逐艦隊の前に押されていた。ドサクサまぎれとはいえスプレイグ隊の合流
によって、米軍側の駆逐艦の駒はDEまで含めて十六隻に増加している。いくら水雷戦
隊旗艦の矢矧が援護についているとはいえ、その程度でどうにかできる数量差ではなか
った。
「左舷十五度、敵駆逐艦二隻!」
「左舷一三〇度、同じく二隻!」
「くそっ、次から次へとキリがない」
 さすがに砲戦能力でも世界最高峰の甲型駆逐艦だけあって、米駆逐艦との撃ち合いで
負けてしまうようなことはなかった。五十口径一二.七サンチ砲は、元来が平射砲だけ
あって対水上目標での効果はたいしたものだ。門数だけで見れば米駆逐艦も同数を装備
してはいるが、向こうは三八口径の両用砲。砲威力の点で大きな差があった。
「だんちゃーくっ!」
「やったか?」
 駆逐艦列の先頭を進む藤波の艦橋で、全員が左舷の海上に目を凝らす。
「──いや、まだだ!」
「敵艦、発砲!」
 駆逐艦六隻の集中射撃の中から、敵艦──スプレイグ隊所属のフレッチャー級駆逐艦
ジョンストンだった──は果敢に撃ち返してきた。藤波の周囲に水柱が五本立つ。続い
て、他の敵艦からも射弾が飛んでくる。
「撃ち負けるな!」
 藤波に座乗する大島駆逐隊司令が叫ぶ。
 だが、その声を掻き消して轟音が響き渡り、新たな水柱が立った。藤波ではなく、矢
矧の周囲に。

 崩れ落ちた水柱の中から現れた矢矧は、残骸と化した中央部から激しく黒煙を吹いて
海上に停止していた。その惨状に絶句する駆逐艦隊の将兵の眼前に、巨大な影が悠然と
姿を見せる。
「なんてこった……戦艦が残ってやがった」
 誰かがうめいた。
 彼らの前に現れたのは、戦艦部隊の僚艦からはぐれて行動していたペンシルバニアだ
った。前甲板のA、B砲塔からうっすらと発砲煙を靡かせている。
 さらに、ペンシルバニアにはデンバーとコロンビアが続航していた。二四門もの六イ
ンチ砲が一斉に旋回して、六隻の駆逐艦を睨みつける。さしもの猛者たちも、このとき
ばかりは震え上がった。駆逐艦にとって最大の武器である魚雷を失った状態では、あま
りに強大な相手だ。
 たちまち、最後尾の清霜が着弾の水柱に包まれる。艦橋を叩き潰された彼女は、急激
に取舵を切って隊列から外れ、迷走を始めた。
「畜生。面舵! 一旦離脱だ」
 大島大佐が指示を下し、藤波以下の四隻が回頭を始める。だが、それを追いかけるよ
うに野分に射撃が集中された。巡洋艦の六インチ砲のみならず、両用砲の五インチ弾ま
でが嵐のように飛んでくる。艦上各所に数発ずつがまとめて着弾し、瞬く間に野分は大
火災に見舞われた。
 さらに、逃がさんとでも言うかのように藤波の行く手に特大の水柱が奔騰。ペンシル
バニアが目標を変更して、駆逐艦を狙い始めていた。
 大島大佐のこめかみを冷汗が伝う。水雷戦隊の壊滅は、時間の問題であるように思わ
れた。




#196/598 ●長編    *** コメント #195 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  02:59  (419)
暁のデッドヒート 7   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:22 修正 第2版
 彼我の距離は、短いところで一〇〇〇〇メートルを切っていた。大和の桁外れの防御
力を目の当たりにした米艦隊の果敢な突出が、このような交戦距離を現実のものとして
いた。
 大和の左舷中央部に、次々と十四インチ砲弾が飛び込む。さすがに一二〇〇〇以上も
離れているカリフォルニアからの射弾は装甲で弾き返されたが、九五〇〇で放たれたミ
シシッピーからの一撃は、四一〇ミリの傾斜装甲を貫徹して主要区画内部で炸裂した。
 ただし、ここまでの間に大和はミシシッピーに対して五発の四六サンチ砲弾を直撃し
ていた。煙突は上半分が消失し、上甲板はいたるところで吹き飛ばされ、水線下を抉っ
た一発は一〇〇〇トン以上の浸水をもたらしていた。
 さらにこのときクロスカウンターで放たれた六発の四六サンチ砲弾は、うち二発がミ
シシッピーを直撃。一発はB砲塔の前楯を叩き潰して正面衝突したコンボイのような姿
に造り替え、もう一発は後檣楼をまるごと粉微塵に粉砕して右舷側の海上へと吹き飛ば
した。
 正面から殴り合っていた二隻の巨艦が、ほとんど同時に左舷中央部付近から炎と黒煙
を吐き出して悶える。
「消火急げ!」
「弾着……命中、少なくとも二!」
 応急班が駆け回って火災と浸水の対処にあたり、いまだ健在な主砲が眼前の敵に引導
を渡すべく大重量の徹甲弾を弾き出す。
 ニューメキシコの舷側に新たな破孔が開いた。前檣楼直下を深々と抉った一撃は、罐
室二つを丸ごとスクラップにして下部艦橋に火炎地獄を現出した。さらにもう一発が左
舷前部をA砲塔のバーベットごと正貫して前部弾薬庫で炸裂。この一撃がミシシッピー
にとっての致命傷となった。
 主砲の残弾に榴弾が多かったのが災いしたのか、誘爆は盛大なものだった。船体の破
壊が進行していたこともあって爆風は破孔から逃げ、外面的な構造的破壊はそれほどで
もなかったものの、人員の被害は凄まじかった。さらに、猛烈な火災が発生してダメコ
ンの手がつけられない。艦内の殆ど全ての区画を炎と海水に蹂躙されたミシシッピー
は、目標・大和まで九〇〇〇メートルの地点で左舷に傾斜して動きを止めた。


 ウェイラー少将は、敵艦の指揮官に素直な羨望を覚えていた。味方が置かれた圧倒的
な劣勢を覆し、数に勝る相手と互角に殴りあった末の最期。
「戦士の誉れってやつだな、あれは」
 ビッグ・セブン同士の戦いは、決着の時を迎えていた。長門は確かに、現在でもなお
世界最強クラスの戦闘力を備えた強力な戦艦だった。だが、先にサウスダコタとの激闘
で深手を負った彼女にとっては、ここでまた二隻のコロラド級戦艦を相手に至近砲戦を
演じるのは限界を超える離れ業だった。
 数限りない打撃を受けた装甲、そして戦闘配置につきっぱなしの乗組員達の疲労。一
晩経っても鎮火していない火災による被害も、決して無視はできない。高熱に晒された
装甲板や隔壁は、本来の強度を失っていたからだ。
 それらの消耗がもたらした結果が、この現実だった。
 前楯五〇〇ミリの装甲でがっちりと固められた砲塔は未だに前甲板の二基とも生きて
いたが、前檣楼は三発の命中弾を受けて大破し、跡には無意味なねじくれた鉄塊の寄木
細工のような物体が立ち尽くしている。補助火器は左右両舷とも完全に薙ぎ払われ機銃
一丁残っていない。さらに艦首部にまとめて開いた破孔のために五〇〇〇トン近い浸水
が生じ、上甲板は海水によって洗われていた。
 長門の主砲が、装填を終えたのか仰角を掛け直すのが見えた。状況からしてまともな
照準が付いているとは思えないのだが。
「これ以上見ておれん」
 一瞬だけ瞑目してそう呟くと、ウェイラー少将は命じた。
「楽にしてやれ。丁重にな」
 ウェストバージニアの二基の主砲塔が咆哮した。残る二基は、黒煙を吐き出す噴火口
のような大穴に姿を変えている。
 僚艦のメリーランドが放った分と合わせて、十二発の十六インチ砲弾が着弾。水柱と
閃光に包まれた長門は、しかし最後の力を振り絞るようにして、炎の中から八発の四一
サンチ砲弾を送り出した。
 それだけを為し終えて彼女は力尽き、動きを止めた。だが、その主砲身だけは、なお
も誇らしげに高々と掲げられていた。


 最接近してきたミシシッピーを片付けたものの、大和の被害状況は想像以上に深刻な
ものだった。艦首からの浸水は、荒天による波浪の勢いも手伝って一〇〇〇トンに達し
ていた。舷側からの貫通弾で艦内区画に発生した火災は、左舷高角砲弾薬庫に迫ろうと
している。度重なる主砲発砲のために甲板上の消火作業も困難を極めていた。
「まずいな……」
 森下少将が呟く。
 右舷のコロラド級戦艦二隻が、艦尾方向に回り込みつつあった。第三砲塔が使用不能
となっている大和にとっては、絶体絶命一歩手前とでも言うべき事態だ。まずいことに
甲巡や駆逐艦までがぽつぽつとこちらに向かってくるのが波間に見えた。つまり、彼等
を押さえ込んでおくべき味方の水雷戦隊は、その任務の遂行に支障をきたすほどの損害
を受けたことを示している。
 さらに、このような場合に最後の防壁として機能するべき重巡戦隊は、突撃開始当初
から水雷戦隊の補強策として敵隊列への斬り込みに投入してしまっており、現在は護衛
空母を追い掛け回すのに熱中している。殿の長門はコロラド級二隻との殴り合いで沈没
寸前だ。本陣と言うべき大和は、丸裸の状態で敵中に孤立しつつあった。
 森下少将は、接近しつつある敵部隊の陣容にざっと見当をつけた。コロラド級は、第
一戦隊の隊列の背後に向かっている。左舷からは、ニューメキシコ級戦艦の残骸の陰に
隠れるようにして、カリフォルニア級が一隻。さらに、前方から重巡が二隻。波間に見
え隠れする駆逐艦の群れは、もう数える気にもなれない。
 このときばかりは、前年に行った対空火力強化のための改装が悔やまれた。この状況
でもっとも威力を発揮したであろう両舷の副砲塔が撤去されてしまっていたからだ。舷
側の補助火器群は、左舷側はほぼ全滅、右舷側も著しく数が減少している。おまけに艦
首方向に据えられていた一番副砲塔はリー艦隊との砲戦で吹き飛ばされてしまってい
た。大和の火力は右舷側の高角砲数基と後部の四番副砲塔をのぞけば、威力こそ絶大な
もののひどく取り回しの悪い主砲しか残されていなかった。

 炎上を続けながら浮いていた長門が、一気に艦首を沈み込ませた次の瞬間に大爆発を
起こして二つに折れた。
「長門、爆発しました……!」
 後檣からの報告は涙声だった。古参の下士官の中にも、硝煙や血糊などで汚れた頬を
濡らす者が少なくない。「日本の誇り」とまで謳われた大戦艦の喪失は、それを目にす
るものに大きな衝撃を与えていた。
(くそっ、いよいよもって敵中孤立だ)
 宇垣中将と森下少将は、揃って眉根を寄せた。なにかこの状況を打破する手立てはな
いものか。
 左右から挟み込むように敵戦艦が回ってきている。それに甲巡が後続。殿として後背
を任せていた長門は、見てのとおり沈んでしまった。畜生、これで味方の戦力は前方の
乱戦の真っ只中にしか──
 ……前方?
「あ」
 思わず、間の抜けた声が森下少将の口を突いて出た。
(なんだ、そんなことか)
 宇垣中将も、突然気付いた。
 前方の味方と合流してしまえばよいのだ。確かに敵戦艦は両舷から後方へ回りつつあ
るが、逆に言えば真正面は駆逐艦が何杯かいるだけでガラ空きだ。長門という重石が取
れたことで、大和は行動のフリーハンドも得ている。なにより、このままこの場に居座
って後方至近距離から戦艦主砲で撃たれるよりも、乱戦の中に潜り込んでしまったほう
が状況ははるかに改善するだろう。
「長官、突破しましょう!」
 森下少将の声に、栗田中将も頷いた。
「最大戦速!」
「しかし艦長、それでは浸水が」
「構わん、一〇分も持てばいい! 艦首部、浸水増加に備え!」
 数秒後、六四〇〇〇トンの巨体が僅かに震えて徐々に速力を上げ始めた。
「しまった!」
 やおら増速した敵艦を見て、ウェイラー少将は己の過失に気付いた。
「艦長、面舵変針!メリーランドにも連絡だ!あいつを射界から外すな!」
 それまで十二ノットそこそこで緩やかに前進していた大和が、二十ノットを超えると
ころまで速力を増していた。
(ナガトにとどめを刺したのが裏目に出やがった!)
 右舷の海上を見つめる彼の視線の先で、カリフォルニアとのすれ違いざまに距離
一〇〇〇〇で大和の主砲が火を噴いた。直後に生じた命中弾はカリフォルニアの司令塔
を爆砕して、ウェイラー少将の後悔をより裏付けのあるものとした。
 正面から突っ込んできた巨艦の姿に驚いたのか、数隻のDEが算を乱したように転舵
して針路を外す。右舷側に逃れた一隻には、生き残っていた高角砲が行きがけの駄賃と
ばかりに砲弾を撃ち込んでいく。マスト基部に命中して火災が発生。機銃座で誘爆が発
生したのか、曳光弾が放物線を描いて飛び散った。左舷側の一隻には、後部の四番副砲
から十五.五サンチ砲弾が放たれる。水線付近に直撃を受けた護衛駆逐艦は、左舷に傾
斜を生じてよたよたと危なっかしい様子で離脱を始めた。
「逃がすな!」
 メリーランドとウェストバージニアが発砲。距離は一三〇〇〇まで開いている。一発
が第三砲塔に命中したが、前楯と天蓋の境目付近に命中した唯一の直撃弾は、そのまま
天高く弾かれていった。
 さらに、後続するオルデンドルフ少将の旗艦ルイスビルと僚艦ミネアポリスが八イン
チ砲を撃つが、こっちは牽制にもならない。
「やはり化け物だ……」
 青ざめるオルデンドルフ少将に追い討ちを掛けるように、緊急の通信が飛び込んでき
た。
「スプレイグ隊より緊急! ベクター一一○に新手の敵艦隊を発見!巡洋艦三、駆逐艦
すくなくとも三、ならびにフソウ級戦艦一! 我、砲撃を受けつつあり! 至急来援を
乞う!」

 クリフトン・スプレイグ少将が座乗するファンショウ・ベイは、やっとのことで利根
と熊野の魔手から逃げ延びていた。追いすがるように二十サンチ砲の水柱が後方に上が
るが、もう大丈夫だろう。駆逐艦部隊をあらかた制圧して戻ってきたペンシルバニアが
側面から援護してくれている。二隻の敵巡洋艦は、そちらに気を取られて護衛空母への
追撃の手を緩めざるを得なくなっていた。
「どうやら、ジープを棺桶にする羽目にはならずに済んだな」
 安堵の息をつくスプレイグ少将。
「空母部隊を集合させろ。早いところ退散するぞ」
 このまま一目散にレイテへ逃げ込んでしまうに限る。火器らしい火器も持っていない
こんな船では、駆逐艦が相手だって絶体絶命の危機なのだ。戦艦同士が殴りあうような
戦闘に巻き込まれて、沈められたのがガンビア・ベイとホワイトプレーンズだけで済ん
だのは奇跡かもしれない。
 味方の駆逐艦が張った薄いスクリーンの向こうから、セント・ローとキトカン・ベ
イ、すこし遅れてカリニン・ベイが姿を見せた。どの艦も硝煙で薄汚れ、至近弾で損傷
してはいるものの、戦闘航行に支障のある損害を受けた艦は皆無だ。
「どうやら、本格的に我々は運がよかったみたいだな」
 そうして航行隊形を発令しようとしたスプレイグ少将の視界が、一瞬で灰色のスク
リーンのようなものに覆い尽くされた。一瞬遅れて、叩きつけるような轟音と衝撃波が
続く。
 スプレイグ少将の表情が凍りつき、数秒ののちにそれは恐怖と絶望へと変化した。
 願わくば、これがペンシルバニアの誤射であってくれないものか。そんな混乱した思
考が辿り着いた望みも、たちまち否定された。
 左舷方向に現れた複数の艦影。そんな方角に味方はいない。スプレイグ少将の目に
は、それは破滅の使者のように見えた。
 ほっそりとしたパゴダ・マストを従えて、三隻の巡洋艦と無数の駆逐艦がこちらに向
けて突撃を開始していた。

「前方、敵空母が炎上中」
「水雷戦隊は、派手に暴れたようだな」
 乱戦に突入した大和の眼前に現れたホワイトプレーンズは、油を浴びた枯れ木のよう
な凄まじい火炎に包まれていた。火勢が強すぎて消火の駆逐艦も近寄れず、見捨てられ
た艦の周辺には、舷側から海に飛び込んだ数少ない生き残りが浮いている。
「味方艦を探せ!」
 放っておいてもあの空母は沈む。そう判断した森下少将は、味方との合流を急いだ。
駆逐艦にせよ、重巡にせよ、合流してしまえば戦場を一気に制圧してレイテに急行する
こともできるだろう。
 それが、知らず知らずのうちに油断に繋がっていた。
「くそっ、煙が邪魔だ」
 見張りが悪態をつく。航空燃料タンクに引火したホワイトプレーンズの残骸は、猛烈
な黒煙を吐き出していた。一帯に立ち込めたそれはちょうど煙幕となり、戦場の視界を
遮っている。
 そのため、大和の誰も発砲炎を見ることはできなかった。
 ペンシルバニアが煙の塊の反対側から電測によって距離八五〇〇で放った第一斉射
は、完全な奇襲攻撃となったのだ。
 十二発の十四インチ砲弾のうち、命中したのは一発だけだった。
 だが、この一撃は大和の艦首付近、露天甲板直下の非装甲部を左舷前方から抉るよう
に貫通して信管を作動させ、クリッパー式の舳先から優美なシアを描いていた艦首部分
を力一杯絞った雑巾のような無残な姿に変えてしまった。
「戦艦だと!」
 奇襲を受けた衝撃も大きかったが、それ以上に大和にとっては被弾によるダメージの
ほうが深刻だった。二四ノットの全速航進によって負荷の掛かっていた隔壁が、被弾の
衝撃と船体の歪みによって一気に破断し、さらに二〇〇〇トン近い浸水が発生していた
のだ。
「まずいぞ、応急班急げ!」
 副長が、血相を変えて叫ぶ。
 各所に亀裂の入った艦首部分からの浸水は、一向に収まる気配がなかった。都合の悪
いことに、大和級戦艦は構造的にこの近辺の隔壁強度があまり頼りにならない。
「砲術、測距まだか!」
「今やっとりますっ」
「敵艦、視認! ペンシルバニア級戦艦一!」
「敵甲巡二、左舷より突入してくる!」
「砲術!」
「一番、二番、射撃準備よ「撃ェ──っ!!」」
 射撃準備完了の報告ももどかしく、森下艦長が怒鳴った。その直後に、ペンシルバニ
アからの砲撃が着弾。前甲板をぶち抜いた十四インチ砲弾は兵員室で炸裂し、露天甲板
を数メートルの範囲にわたって吹き飛ばした。
 加えて、そこにデンバーとコロンビアからの六インチ砲弾がばらばらと飛んでくる。
装甲を破る威力こそないが、弾量が多いために甲板上での作業が危険になっており、応
急に掛かることができない。それに、万一破孔にでも飛び込めば致命傷になりかねなか
った。
(ぬかったわい……!)
 森下艦長が顔を顰めたとき、敵隊列後尾のコロンビアが大口径砲の水柱に包まれた。
「左舷に複数の大型艦っ」
「識別急げ!」
「これは……山城! 第二戦隊です! 続いて発光信号!」
『ワレ第三部隊。遅参御容赦サレタシ』

 志摩中将麾下の那智と足柄は、砲戦を確認すると同時に戦闘加入に向かっていた。左
近允少将麾下の第十六戦隊を引き連れて、西村艦隊本隊の前方を突進する。レイテは目
前だったが、敵水上部隊と邂逅したからには交戦を躊躇する理由は存在しない。
「前方、敵空母四、戦艦一、甲巡二、駆逐艦四!」
「好餌! 全艦突撃だ!」
 そう叫んでしまうあたり、彼らの戦意は極限といえるまでに高揚していた。こちらは
重巡三隻、軽巡一隻、駆逐艦一隻の小勢に過ぎないというのに、那智以下の五隻は脇目
も振らずに敵隊列目掛けて薩摩示現流よろしく斬り込んで行く。
 その頭上を追い越して、山城と扶桑の十四インチ砲弾が飛ぶ。
 悲惨なのは突撃を食らった米艦隊のほうだった。ブリキ缶のような護衛空母の周囲に
次々と超特大の水柱が奔騰し、巡洋艦と駆逐艦には中口径弾の雨が降り注ぐ。
「戦艦部隊は何処に行ったんだ!」
「助けてくれ、ビッグガンに狙われてる!」
「神様! 僚艦がやられた!」
 スプレイグ隊の護衛空母から悲鳴のような通信が発せられた。旗艦ファンショウ・ベ
イは艦尾の五インチ砲座をスポンソンごと毟り取られ、セント・ローは飛行甲板から舷
側に貫通する大穴を開けられた。カリニン・ベイに至っては、艦首部分の船体そのもの
をごっそりと持って行かれてしまい、大傾斜を生じて停止している。
「なんてこった……」
 カラカラに乾いた声で、スプレイグ少将はようやくそれだけの言葉を喉から搾り出し
た。彼の目の前では、艦首を沈み込ませたカリニン・ベイの格納庫に開けられた破孔か
ら搭載機のアヴェンジャーが、周辺の甲板や壁面にしがみついた乗組員を巻き込み、踏
み潰しながら、次々と海へ落下していた。


「だんちゃーく! 近……近……命中一!」
 見張りの口調からも、着弾観測に手間取っているのがわかる。いくら三〇〇〇〇トン
を超える大型艦とはいえ、この時化の只中で前檣楼のトップともなれば揺れ方は相当な
ものだ。扶桑・山城とも、新兵の大半は船酔いでへばっているような状態だった。たっ
た今報告を送ってきた古参の兵長にしても、双眼鏡の焦点を合わせるのにずいぶんと苦
労していた。
「砲撃効果あり! 敵空母、大傾斜!」
「何ッ」
 つられて双眼鏡を構えた西村中将の視界の中で、艦首から上構前部をごっそりと削り
落とされた敵空母が、艦首から海中に突っ込まんばかりに傾いているのが見えた。
 うねりに乗って下を向いた破孔から艦載機と一緒に、引火した航空燃料らしき炎の帯
と、人間の形をしたものが零れ落ちる。
「やった……やったぞ!」
 誰かの感極まったような叫び声をきっかけに、山城の昼戦艦橋で鬨声が上がった。
「浮かれるな、敵はまだ残っているぞ!」
 篠田少将の一喝で空気は引き締まったが、直後にそれを裂いて飛翔音が響き渡り、四
本の水柱を出現させた。敵部隊を射程内に捉えた扶桑が射撃開始。一番奥に位置してい
た空母のアイランドが、蹴飛ばされた積み木細工のようにバラバラになって遠くの海上
へ飛んでいった。
「一時方向、敵甲巡に魚雷命中!」
「敵駆逐艦群、避退中の模様」
 さらに報告は続くが、その直後に不吉な一報が入った。
「四時方向、敵戦艦すくなくとも二隻接近しつつあり! 大和に敵弾集中!」

 さすがに主力艦隊旗艦だけあって、ペンシルバニアに対する大和の反撃は迅速におこ
なわれた。西村・志摩両艦隊の牽制の下で、素早く照準を定めて発砲。至近距離での四
六サンチ砲弾の破壊力は絶大だった。ペンシルバニアの舷側中央部、主要区画の中で一
番装甲の厚い部分をまともに貫通した重量一.五トンの凶器は、ボイラー一基を背後の
隔壁ごと吹き飛ばして隣接する罐室にまで飛び込み、そこでようやく信管を作動させ
た。
 結果、ペンシルバニアの推進器のうち右舷側二軸が停止。二〇ノット近く出ていた速
力が一気に六ノットまで低下した。
 そこに大和からの第二撃が炸裂。中央部上構を連続して抉り取った二発の着弾は、煙
突が存在していた位置に中甲板まで届く大穴を開ける。撃ち返した十四インチ弾は明後
日の方向に消えていった。心臓部を丸裸にされて停止したペンシルバニアに対し、第三
射が放たれる。直撃弾は三発。前檣楼から後の上部構造物が吹き飛ばされ、バーベット
の半分以上を齧り取られたA砲塔が艦首方向に向かって横倒しになり、既に停止してい
た右舷二軸のタービンが残骸となった。あおりを食って、船殻水中部分にまで何箇所も
の亀裂が入る。
「ばっ……化け物だ!」
 報告を受けたペンシルバニアの艦長は震え上がった。直撃を受けた個所ばかりでな
く、近辺の船殻まで引き裂いていくとは。
 隔壁ごと毟り取られた船殻の亀裂から、ペンシルバニアは二五〇〇トンに達する海水
を一気に飲み込んだ。
「左舷注水! 隔壁閉鎖!」
「だめです、間に合いません!」
「傾斜、五度を超えました! 揚弾機使用不能!」
「畜生!」
 砲術長が卓を殴りつける。せっかく十四インチ砲でもモンスターに通用する距離まで
詰めたのに、ここまでなのか。
 そのとき、彼はふと気付いた。四斉射目が飛んでこないのは何故だ?

「右砲戦! 主砲旋回急げ!」
 重量二五〇〇トンの構造物が、慌しく旋回する。
 大和は、砲火の止まったペンシルバニアに構っていられる状態ではなかった。先ほど
全速航進で引き離したウェイラー少将直率の本隊が、追いついてきたのだ。
 周囲に着弾。六本の水柱が上がる。
「敵艦はカリフォルニア級! 後方にメリーランド級二!」
 単縦陣回頭の手間を嫌ったウェイラー少将は一斉旋回頭で大和を急追してきた。その
結果隊列は前後が入れ替わり、カリフォルニアを先頭にメリーランド、最後尾に旗艦ウ
ェストバージニアの順で後続している。
「カリフォルニア、射撃開始しました」
「距離、一二〇〇〇ヤード!」
「よし、詰められたぞ! ファイア!」
「オーケー、こっちも捕まえた! モンスターに引導を渡せ!」
 メリーランドとウェストバージニアの姉妹が、釣瓶打ちに十六インチ砲弾を放った。
右舷やや後方からの好射点。初弾からいきなり夾叉。クルー達の歓声が上がる。
 だが、大和にとってはその程度のことではかすり傷にすらならない。メリーランド達
が再装填を終える前に、大和の四六サンチが咆哮。カリフォルニアの舷側に大穴が開
き、叩き潰された両用砲塔が火を噴いた。
 その直後に米戦艦群の第二射。距離が近いため、着弾までの時間はきわめて短い。大
和の右舷側に一発、二番砲塔の前楯にもう一発の直撃が生じた。だが、彼女の堅牢な装
甲はこのダメージを通さない。
「畜生! 奴は不死身か!」
 メリーランドの見張長が罵る。サンベルナルジノ突破以来、大和に生じた命中弾は各
種口径あわせて五十発近くに達していた。だが、それでもなお彼女は十分すぎるほどの
戦闘力を残している。
「これでも通らんのか! もっと距離を詰めろ!」
 ウェイラー少将が叫んだ。


 大抵の戦艦の設計指針の例に漏れず、大和級戦艦の装甲防御は「自艦の主砲による決
戦距離での砲撃に耐えうるもの」とされていた。だが、日本海軍が大和級の図面を引く
にあたって見積もった四六サンチ砲弾の貫徹力は、実際の値よりもやや過大なものだっ
た。
 その結果、大和級戦艦の装甲厚は舷側で傾斜四一〇ミリ、甲板で二〇〇ミリという、
他の艦とは一線を隔した値となっていた。
 彼らが直面している防御装甲は、そのような代物だった。
「まだ弾いてやがるぞ!?」
 一〇五〇〇ヤードから放たれた十二発の十六インチ弾のうち、目標である大和に命中
したのは三発。一発は艦尾の非装甲区画を貫通して水上機格納庫に小規模な火災を発生
させ、もう一発が上構中央部に破孔を開けたが、残りの一発は舷側のアーマーに弾かれ
て消えた。
 ウェイラー少将をはじめ、米艦隊将兵の誰もが戦慄の表情とともに呆れかえった。
 無論、モンスターとてダメージは負っているのだろう。うねるようにねじくれた艦首
部や中途で叩き折られた後部砲塔の主砲身を見れば、それは遠目にも判る。
 だが、奴が実際に受けているダメージは見た目ほどではないのではないか?
 そんな疑問を抱いたものは少なくなかった。なにしろ、現に大和は前部砲塔からこち
らに向かって景気よく巨弾を放って来るのだ。
「畜生、いい加減にくたばれ!」
 ウェストバージニアの砲術長が、ヤケクソ気味に叫んで方位盤射撃装置のトリガーを
引いた。射距離九七〇〇ヤード。直撃弾一発が生じ、大和の一番砲塔直前の露天甲板と
上甲板の間に飛び込んで炸裂。クレバスのような破孔を出現させた。

 米軍将兵の感想はともかく、大和のほうでも決して楽な戦はしていなかった。
 過剰なまでの重防御とはいえ、それが施されているのは限られた主要区画だけの話。
それ以外の区画の大半は、軽巡か駆逐艦並みの耐弾力しか持っていないのだ。
 問題は、その部分に被弾したことによって生じた大規模な火災だった。とくに艦首部
の艦内区画は、火の回っていないところを探すほうが難しいのではないかと内務班員達
が錯覚するほどの状況だ。舳先、シア部前半、一番砲塔直前と三箇所が斧を振り下ろさ
れたようにざっくりと横方向に裂かれ、簾のように開いた数多くの破孔からは噴煙のよ
うな闇灰色の煙が濛々と湧き出している。
「艦首部、浸水止まりません!」
「速力、十ノットが限界です!」
 弾幕射撃のようなペースで被害報告が次々と飛び込むたびに、大和の寿命は確実に削
り取られていく。撃ち返される四六サンチ弾もまたカリフォルニアの舷側を抉り、上構
を片っ端からなぎ倒してはいたが、既に受けているダメージの絶対値が違いすぎる。
「だんちゃーく! 命中三!」
 双眼鏡の向こうに捉えたカリフォルニアは、後甲板で火柱が上がるほどの大火災を起
こしていた。だが、前甲板の主砲は未だに砲撃を止めようとしない。おまけに、カリフ
ォルニアの後方には、さらに有力な戦艦が二隻も控えている。
 実効戦闘力の落ちた大和にとっては、この劣勢は死活問題となりつつあった。このま
までは、敵戦艦一隻を仕留める前に艦の死命に関わる被害が生じかねない。

「カリフォルニア、面舵に変針」
「何をやっとる!」
 ウェイラー少将の怒声に報告が続く。
「信号旗が上がっています!『我、舵故障!』」
 ──くそっ、また一隻減った。
 前を行くメリーランドの向こうに見えるカリフォルニアの姿を見て、ウェイラー少将
は思わず目を瞬いた。煙突が二本に増えたような印象を受けたからだ。
 無論、それは彼の錯覚に過ぎなかった。本来の煙突の後方から濛々と煙を吐き出して
いるのは、ターレットの構造物を完全に失ったX砲塔の残骸だった。そこから艦尾にか
けての舷側には、さらに二個の大穴が貫通している。
 ウェイラー少将の目の前で、カリフォルニアにはさらに三発の命中が生じた。舷側装
甲を貫徹した二発が上構を真下から粉砕して空中高く放り投げ、艦橋上部を襲った一発
は、前檣楼基部を対空射撃指揮所ごと吹き飛ばし、艦橋に向けて倒壊させた。
 指揮系統を潰されたカリフォルニアは、それでもなお前部砲塔から斉射を放ったもの
の、その数十秒後に降って来た四六サンチ弾が水線下をぶち抜いて発電機を停止させた
ことによって、完全に沈黙させられてしまった。
 全艦炎に包まれたカリフォルニアが動きを止めるのを見届けたかのように、大和の前
甲板に並んだ三連装砲塔が後方のメリーランドとウェストバージニアを睨む。ウェイ
ラー少将は、氷よりも冷たいなにものかが背筋を駆け降りるのを感じた。自分の乗艦が
行った斉射の轟音と振動にも、まったく気づかないほどの動揺ぶりだ。
 そのため、その戦果は唐突に現れたように見えた。

 大和の二番砲塔後方の右舷側に青白い閃光が走り、大ぶりの破片が多数飛散した。こ
れまでの命中弾では見られなかった反応だった。
 米戦艦艦上の将兵の視線が集中する。
 続いて、かつて一番副砲塔が存在していた位置から、真っ赤な火炎が渦を巻いて垂直
上方に向かって突き上げた。
 六四〇〇〇トンの巨体を有する巨獣が放つ悲鳴のような轟音が、戦場を揺るがした。

 閃光と火炎の中から姿を現した大和を見て、ウェイラー達は呆気に取られた。
 つい今しがたまでありとあらゆる砲撃を弾き返し続けていた艦中央部の様子が、それ
までとまったく異なるものに変化していたからだ。
 モンスターの持つ強大な戦闘力を象徴しているかのようだった前檣楼は、夜戦艦橋の
あたりをごっそりと抉られ、前のめりになっている。
 さらに、右舷を指向していた二番砲塔は側面の装甲板をまるごと剥ぎ取られ、バーベ
ットもろとも艦橋に向かって倒壊していた。その下から、猛烈な勢いで火災炎と灰色の
煙が立ち昇っている。
 遠目にもはっきりと、大和の指揮能力と砲戦能力に重大なダメージが及んだことが見
て取れる状況だった。
「やった……の、か……?」
 誰かが、恐る恐るといった調子で口にする。
「……そうだ、俺達はやったんだ……!」
 その一言をきっかけに、戸惑ったような感嘆の声がメリーランドとウェストバージニ
アの艦上を満たした。それまで不死身と思われていたモンスターが示した艦容の変化と
は、それほどまでに強烈なインパクトを持っていた。

 なかば放心状態に近いところから米艦隊の将兵を現実に引き戻したのは、至近で発生
した轟音だった。
 メリーランドの左舷に水柱が立つのを見て、ウェイラーは自分たちの油断を悟った。
爆発から暫く動きを止めていた大和の一番砲塔が急旋回し、射撃を再開していた。深手
を負った巨獣は、しかし、まだ戦意も行動能力も失ってはいなかったのだ。




#197/598 ●長編    *** コメント #196 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  03:01  (379)
暁のデッドヒート 8   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:24 修正 第2版
 この時点で、大和の前檣楼は壊滅状態だった。大佐以上の階級にある者で、生存者は
一人もいない。艦の指揮は、後檣から副長がとっていた。当然ながら前檣楼頂部の射撃
指揮設備も使用不能となっている。
 だが、この点に関しては事実上被害は無意味化していた。大和と米戦艦の距離は、既
に七五〇〇メートル程度にまで縮まっている。日露戦争ばりの直射弾道で狙いがつけら
れるのだから砲側照準でもまったく問題ない。
 二斉射目で、早くもメリーランドに直撃一発が生じた。錨鎖庫で発生した爆発によっ
て鋭角を成していたクリッパーバウの舳先が弾け飛び、ハリケーンバウのような扁平な
形状に造り替えられる。
「なんてモンスターだ。面の皮が厚いだけじゃないのか」
 呪詛の声じみた悪態を掻き消して、十六インチ砲弾が飛んでいく。あれほど強靭な耐
弾力を示していた舷側装甲が、障子紙ででも出来ているかのようにあっさりと貫通され
る。
 大和の右舷後部で再び大爆発。船体外鈑が内部装甲や隔壁ごと飛散し、放物線を描い
て周囲の海面を叩く。高角砲弾薬庫に火が回ったらしい。
 さらに艦載艇収容口が叩き潰され、煙突の上半分が消失し、航空機格納庫で大火災が
発生した。艦首部から中央、艦尾に至るまで広範囲に発生した火災は、全艦を覆い尽く
さんばかりだ。
「ストライク! 今のは効いたぞ!」
 ウェイラー少将が拳を振り上げる。その声に押されてあらたな十六インチ砲弾が飛ん
でいく。大和の前部舷側に二発が命中し、それぞれ巨大な破孔を開口させた。
 その直後、メリーランドとウェストバージニアの乗組員達は新たな砲弾の飛来音を聞
いた。散々聞き慣れた四六サンチ砲弾のものよりも明らかに軽い音。だが、数は今まで
の比ではない。
「ちっ、喜ぶにはまだ早いってか」
 ウェストバージニアの艦長が唸る。左舷二五〇〇〇ヤードの位置には、合計二四門の
主砲をこちらに指向する二隻の戦艦の姿があった。
「突撃! 大和を救え!」
 扶桑と山城は、それまで標的さながらの気楽さで撃ちまくっていた護衛空母を放り出
し、一気に米戦艦との距離を詰めに掛かっていた。ようやく本領発揮の場を見出した十
四インチ砲が、開放感さえ感じさせる勢いで唸りを上げる。
 これに対しては、ウェストバージニアの砲塔が急旋回して応射。メリーランドと山城
の周囲に水柱が乱立し始めた。
 そして、周囲の砲声を圧するかのように強烈な音が轟く。数こそ少ないが、存在感は
圧倒的だ。それを聞いた誰もが、信じられない思いで音の主に目を向けた。
 大和は、まだ沈黙していなかった。艦容の原型はとうの昔に消えうせ、全体を火炎に
覆い尽くされている。それでも第一砲塔はまだ生きていた。この状態で艦がまだ浮いて
いることはおろか、中に生きた人間がいることすら信じられない者さえいたが、その疑
念を吹き飛ばして七〇〇〇メートルの距離を飛び越えた四六サンチ砲弾はメリーランド
の後部舷側を撃ち抜いて上甲板を下から粉砕し、舵機室に及ぶ勢いの大火災を発生させ
た。
 そこに扶桑と山城の十四インチ砲弾が落下。うち一発が大和の砲撃で事前に吹き飛ば
されていた甲板装甲の穴を直撃し、隔壁を捏ねまわす。さらに大和の砲弾が飛来。数は
三発だったが、揚弾の過程でどのような判断があったのか、この三発のうち二発は三式
弾だった。一発は見当違いの場所に花を咲かせたものの、もう一発がメリーランドの艦
橋外壁を直撃。これを貫通して内部で炸裂したから堪らない。一瞬で彼女の上構前半は
火達磨と化し、炎と高熱によってあらゆる可燃物が焼き払われてしまった。無論その中
には、艦橋に居合わせた人間も含まれている。
 だがそれとほぼ同時に、クロスカウンターでメリーランドの斉射が大和に降り注い
だ。直撃弾は二発。その両方が第一砲塔付近のヴァイタルパート舷側を貫通して炸裂
し、不気味な轟音と共に内部構造を引き裂く。
 それから数秒後、大和は被害を意に介さぬかのように主砲を斉射したが、異変はその
瞬間に起きた。

「え?」
 真っ先にそれを目撃した山城の見張りが、間の抜けた声を上げた。あきらかに、何が
起きたのか理解できていない。
 発砲の閃光を発した大和の第一砲塔が、まるで「ずぶり」と音を立てかねない様子で
船体内部に向かって沈み込んだ。
「あ」
「お?」
 続いて、扶桑と山城の艦橋内でも戸惑いの声が上がる。
 そんな莫迦な、という響きがあった。
 同時に、大和の前部船体から無数の甲高い破断音が続けざまに発生した。さらに一瞬
おいて、左右両舷に大きな水飛沫が発生。魚雷が命中したのかと思った者もいたが、水
柱と言うには様子が違った。
 いや、ひょっとすると魚雷が命中していたほうがまだよかったかもしれない。
 このとき大和の艦内では、数限りない命中弾でバーベット周辺の内部構造に入ってい
た複数の亀裂が、第一砲塔の発砲による衝撃で一気に拡大していた。強度を失った船体
構造材は数千トンの砲塔重量を支えきれずに次々と破断し、ついには船殻にまで大穴が
開くに至ったのだ。
 信じられない思いで見守る敵味方の将兵の目の前で、大和の船体は、完全に内部に埋
没した第一砲塔のところから二つに裂けた。続いて、半ば横倒しになっていた第二砲塔
が、吸い込まれるように破断位置の狭間に滑り落ちる。そして、襤褸のように切り裂か
れた艦首部が横倒しとなった。
「そんな……」
「嘘だろ、おい……」
「あああ……」
「大和が……」
 誰もが、空虚な無力感に苛まれ、滂沱の涙を流しながらその光景を見つめていた。

「モンスターの最期だ……」
 ウェストバージニアの艦橋もまた、粛然とした空気に包まれていた。
 不思議と、達成感や充実感はなかった。ただ現実の中から巨大なものがぽっかりと欠
落したような虚脱した雰囲気だけがあった。
 堂々たる強敵だった。ウェイラー少将は、前半部が横倒しとなった大和に目をやっ
た。
(アメリカが誇る戦艦部隊がよってたかって、このザマだものな)
 新型戦艦を蹴散らしてサンベルナルジノを強行突破し、ここレイテでまた神話の巨獣
のごとく暴れ狂って見せた。自分の目の前で、テネシーが一撃で吹き飛ばされ、ミシシ
ッピーが叩き潰され、そしてカリフォルニアが波間に消えようとしている。対峙してい
る敵手とはいえ、畏敬の念さえ生じさせる奮闘ぶりだ。
「敵艦とはいえ……勿体無いことだ」
「?」
「……いや、ただの気の迷いだな。さぁ、あと一息だぞ」
 やや訝る様子の幕僚を前に、ウェイラー少将は自分を戒めた。
 なにより、敵艦はまだ二隻残っている。油断している暇はない。
「敵先頭艦、一八〇〇〇ヤード」
「よし、ファイア!」
 ウェストバージニアに残された二基の砲塔が火を噴いた。先航するメリーランドがそ
れに続く。山城の周囲に十一本の水柱が立ち、その陰で閃光が走った。水柱が収まった
とき、現れた山城の艦影は、中央部からうっすらと薄煙を靡かせていた。


 扶桑と山城の火力は十四インチ砲だったが、ここまでこの戦場で唯一無傷を維持して
いるアドバンテージは大きい。
「目標敵先頭艦、距離一五五〇〇」
「右舷に被弾、中甲板に火災発生!」
「応急いそげ! 砲術、照準まだか!」
「敵艦、第二射発砲!」
「下げ一つ、苗頭そのまま」
「射撃準備よし!」
「撃ぇ──ッ!」
 山城が先ほど受けた十六インチ砲弾は、副砲のケースメイトを貫通して装甲区画を突
破し、機関室直上に火災を発生させていた。だが、主砲火力に影響はない。そのまま扶
桑とあわせて二四発の砲弾が発射される。
 メリーランドの周囲に次々と水柱。三発が直撃して、それぞれが強烈な有効打となっ
た。元々舷側装甲厚十四インチという冗長性のある防御設計をされているとはいえ、さ
すがにこの距離での戦艦主砲の砲撃に耐えぬくのは辛い。
 次々と爆炎に吹き飛ばされた破片が宙を舞い、両用砲塔が断頭台で撥ねられた首のよ
うに舷側から転がり落ちる。
 負けじと撃ち返された十六インチ砲弾は、山城の舷側に二発が命中した。プレ・ワシ
ントン型日本戦艦の例に漏れず、扶桑級戦艦もまた三〇年代の改装によって甲板装甲を
一五〇ミリ以上の厚さに強化していたが、舷側装甲は三〇五ミリのまま手がつけられて
いない。
 ケースメイト式の副砲が砲郭ごと船体からもぎ取られて海面に落下し、短艇が引き千
切られて飛んで行き、煙突が探照灯架を将棋倒しにしながら倒壊した。
 近距離での最後の撃ち合いは、完全に日本側の手数と米軍側の破壊力の激突となっ
た。
「だんちゃーく! 近、近、遠、近、命中一、いや、二!」
「諸元よぉし、次弾装填急げ!」
 扶桑と山城は、自らが軍艦として発揮しうる最大限の性能を揮っていた。二四.五ノ
ットの最大戦速と、各艦一二門の十四インチ砲による全力射撃。距離が一六〇〇〇メー
トルを切った辺りから命中率も急激に上昇しはじめた。斉射一回ごとにメリーランドの
各所で閃光が湧いて鋼鈑が抉り抜かれ、炎とともに飛散する。
 だが、三発、五発と続けざまに命中弾が発生する派手な見た目に反して、決定打はな
かなか与えられない。威力の専らを砲弾落角に頼るところの大きい四五口径砲は、距離
一五〇〇〇から二〇〇〇〇メートル近辺での対舷側射撃があまり得意ではないからだ。
 これに対して米戦艦が装備する主砲はさすがの威力だった。旧式とはいえ腐っても十
六インチ砲、一トンを超える砲弾重量は伊達ではない。
 山城の艦橋基部と第三砲塔至近に、立て続けに命中弾が発生した。射距離は一五五〇
〇ヤード。垂直装甲を軽々とぶち抜いた徹甲榴弾が短遅動信管によって主要区画内部で
炸裂し、衝撃波と爆炎、そして無数の鉄片を振りまく。山城自身の砲戦能力へのダメー
ジは軽微なものだったが、それ以上に重大な損害が生じていた。
 被弾の衝撃で床に叩きつけられた第二戦隊首脳陣が何とか起き上がったとき、その報
告はもたらされた。
「通信系統故障! 電路損傷! 送受信とも不能!」
 報告に続いて、再度の被弾の衝撃が山城を揺るがした。

「山城、通信途絶!」
 利根の戦闘艦橋に報告が飛び込む。
「やられたか!」
 入り乱れる黒煙と乱立する水柱。海面のうねりも強く、戦場の見通しは全く利かな
い。駆逐艦二隻は仕留めたと思ったが、さっきペンシルバニアからめった打ちに遭った
際に利根もまた大きな損傷を受け、思うように速力が稼げなくなっている。
 僚艦の熊野は原形を留めないほどに上構を打ち砕かれ、利根の遥か後方で松明のよう
に炎上していた。白石少将の墓標だった。
「指揮系統がさっぱり分からん……どうなっとるんだ」
 黛艦長も、大和がやられたところまでは把握していた。だが、そこから先の指揮権が
どう継承されているのやら、さっぱり状況が掴めない。先任順から行けば、最上位に位
置しているのは第五艦隊の志摩中将なのだが、那智との連絡はさっきから途絶えたまま
だ。その次に序列が来るのが山城に座乗する西村中将だったが、こちらもまた連絡が取
れなくなってしまった。
「ってことはだ……」
 黛大佐の想像は当たっていた。このとき、日本艦隊の戦隊指揮官以上のレベルで戦闘
指揮が可能な人間はいなくなっていたのだ。
「左舷、大型艦が炎上中」
「どこのどいつだ……何っ」
 双眼鏡を向けた黛大佐は、思った以上に状況が悪化していることを悟った。
 現れたのは、左舷に大傾斜を生じて炎上する那智と、真っ二つに折れて海中に引き込
まれようとしている青葉の姿だった。その向こうでは、ペンシルバニア級戦艦を含む米
軍の大型艦隊列と足柄率いる味方駆逐艦部隊が砲火の応酬を繰り広げていた。

 重巡部隊をここまで追い込んだものは、フェニックスの“死んだふり”だった。
 長門の十六インチ砲弾を前檣楼と後檣楼に相次いで直撃され、指揮系統が麻痺状態に
陥った彼女は、戦闘のこの段階に至ってはじめて息を吹き返した。
 無論、戦闘能力のすべてを取り戻したわけではない。上構中央部は瓦礫の山と化して
いたし、各所で発生した火災は広がる一方だ。艦の指揮を執っている生き残りの最先任
士官は、主計長という有り様だった。
 早いはなしが、演技をしている余裕などなかった。フェニックスはこのときまで、本
当に死んでいた。だがそれだけに、この欺瞞効果は大きかった。日本艦隊は、黒煙と火
災炎を吹き上げて殆ど漂流しているも同然の彼女を、既に無力化されたものと見なして
いたからだ。
 航行能力が低下しているペンシルバニアを避けて回り込もうとした重巡部隊の横合い
至近距離から、フェニックスは六インチ砲十五門の猛射を浴びせた。完全な奇襲攻撃。
射距離五〇〇〇メートルを切っているような条件下では、外すほうが難しい。瞬く間に
十発以上の直撃を見舞われた青葉の中央部で大火災が発生。フェニックスの主砲装弾の
手違いから、この中に数発の榴弾が含まれていたことも災いした。投棄する間もなく誘
爆した魚雷がさらなる誘爆を引き起こし、青葉は中央部の船体構造を丸ごと吹き飛ばさ
れた。
 無論、フェニックスへの報復は迅速におこなわれた。日本海軍は、射界に捉えた敵に
砲雷撃を叩き込む技量にかけては未だに世界最高のレベルにあった。重巡二隻の主砲が
猛然と吼える。さらに、旗艦を失った鬼怒と浦波の復讐の砲火までが加わった。魚雷も
遠慮なく放り込まれる。
 結果、フェニックスは五〇発を超える八〜五インチの各種砲弾と三本の魚雷を受け、
右舷側の構造を数分間で完全に破壊し尽くされた。彼女が倒れ伏すように海面にその姿
を横たえたのは、那智と足柄の射撃開始から七分後のことだった。

「──魔女の大釜だな、こりゃ」
 オルデンドルフ少将は、戦場の様子に呻いた。現実は、彼が口にした形容ですら生易
しいと思えそうなものだった。
 ホモンホン島とサマール島に挟まれた狭い戦場海域に、敵味方あわせて数十隻になん
なんとする艦艇が入り乱れて殴り合っている。そのなかには、既にスクラップと化して
動きを止めたものがすくなからず混じっている。左舷二〇〇〇〇メートルほどの距離で
炎上している巨大な鋼塊が、その最たるものだ。自分たちはほんの小半刻ほど前まで、
その前衛芸術のようなしろもののことをモンスターと呼んでいた。
「見たまえ、なんとも頼もしい眺めじゃないか。ええ?」
 傍らに立つ旗艦ルイスビルの艦長に向かって、精神的な余裕を取り戻したオルデンド
ルフは敢えておどけた口調で言った。彼は、前檣楼から前が断ち切られたように消失し
た大和を指差していた。それはもはや、あらゆる意味において米艦隊の脅威とはなりえ
ない。少なからぬ犠牲があったとはいえ自分たちは任務を完遂しつつある。オルデンド
ルフは、それを艦橋内の者達に示そうとしていた。
「ですが、我々の仕事はまだ残っておるようです」
 朗らかな笑顔で頷きつつ、艦長は答えた。最大の脅威を取り除いたとはいえ、敵には
まだ有力な艦艇が多数残っている。可能な限り、ここで食い止めなければならない。
「そのとおりだ。牧童の義務を果たすとしよう」
 オルデンドルフ少将の言葉に応えるかのように、いくつもの報告が届いた。
「フェニックス、爆発! 転覆しました!」
「左舷一七〇〇〇ヤード、ミョウコウ級重巡二、軽巡および駆逐艦二、接近します!」
「突撃! 左砲戦!」
 オルデンドルフ少将が威勢よく命じた。旗艦ルイスビルとミネアポリスが、合計一八
門の八インチ砲を唸らせる。
「見張り員は海面に注意! ブルー・キラーの雷跡は白くないぞ、見逃すな! 大丈夫
だ、相手だって同じ巡洋艦だ!」
 とはいえ、相手は条約型巡洋艦の中で最も重武装の一族である妙高級。その砲力は圧
倒的だった。鬼怒と浦波も容赦なく砲弾を送り込んでくる。先頭を行くルイスビルに数
発が直撃。艦上の各所で、悲鳴とさまざまなものが壊れる音が響く。
 だが、オルデンドルフ少将は今まで感じていた恐怖が消えていることに気付いてい
た。最強と恃んでいたモンスターを潰されて、連中も動揺している。そんな確信があっ
た。
「左舷後方に味方艦!」
「よし、いいところに来た!」
 現れたのはなんと、先ほど敵巡洋艦の砲撃を中央部に食らって誘爆を起こしたポート
ランドだった。盛大に黒煙を噴いているが、深手を負ったグリズリーのように手のつけ
られない勢いで主砲を乱射しながら突っ込んでくる。
 それに続いて、見慣れない小型艦。
 ──いや、よく見るとフレッチャー級駆逐艦だった。度重なる命中弾で上構を徹底的
に破壊され、艦容が変貌してしまったのだ。
「あれはジョンストン……エヴァンズか。無茶をする」
 ジョンストンの戦意は旺盛だった。那智の左舷に水柱。片方だけ残っていた五連装魚
雷発射管から放った最後の魚雷が、艦腹を深々と抉った。続いて罐室が爆発。煙突基部
の上甲板を引き裂いて火柱が上がる。
「……何て奴だ……」
 一部始終を目撃したオルデンドルフ少将は、声を失った。大破状態の駆逐艦で、巡洋
艦一隻を仕留めやがった。
 だが、日本側も黙ってやられたわけではなかった。クロスカウンターで放たれた酸素
魚雷がポートランドに命中。死に損ないの彼女に、今度こそ引導を渡した。
 さらに、新手の気配。
「右舷後方、新たな敵巡洋艦!」
 オルデンドルフ少将は唸った。


「そりゃっ、撃て撃て! 駆逐艦なら酒一斗だ!」
 朝雲は、僚艦の山雲を引き連れて戦場を駆け回っていた。訓練でもお目にかかれない
ような速射率と命中率で、五インチ砲弾が嵐のように吐き出される。砲術長以下、砲術
科員達の士気は天をも突かんばかりの勢いだ。
 これまでの砲術科のスコアは、魚雷艇撃沈二、撃破一、駆逐艦撃破二。ここに、新た
に駆逐艦一隻が追加されようとしていた。駆逐艦長の柴山中佐は、そろそろ自分の懐の
心配をしなければならなくなっていた。
「だんちゃーく! 命中一、二……敵艦、傾斜!」
 目標とされたのは米艦隊で唯一生き残っていたDE、ジョン・C・バトラーだった。
彼女は米軍艦の例に漏れず、護衛駆逐艦といえども生残性にずいぶんと配慮した造りと
なっていたが、それにも限度がある。なにより、生残性の発揮に不可欠な発電機と消火
用のポンプを初弾でスクラップにされたのが痛かった。
 発生した火災を消し止めることができないまま、舷側を次々と抉られたバトラーは、
左舷に大傾斜を生じて停止。それを見た朝雲の艦上で歓声が爆発した。これで酒一斗追
加。
「よし、よくやった! 次の酒を探せ!」
 砲術長が率先して双眼鏡を手に見張りに立つ。とはいえ、その動機がかなり不純では
あった。米軍艦は、もはやすっかり酒樽扱いである。
 朝雲は、前方に展張された煙幕を回り込むように大きく転舵。ところが、その先で思
わぬ相手と鉢合わせした。
「右三〇度、敵駆逐艦!」
「なんだ、あいつは?」
 彼らの目の前に現れたフレッチャー級駆逐艦は、少将旗を高々と掲げて南西方向から
戦場海域に突き進んできた。


 山城に限界の時が迫りつつあった。
 既に中央部の砲塔二基を粉砕され、直撃弾を受けた煙突と後檣は炎の中に融け崩れよ
うとしている。
 隊列の先頭に位置していた彼女には、メリーランドとウェストバージニアからの砲撃
が集中した。十数分間に渡る砲火の応酬の末、彼女はメリーランドに十五発を超える命
中弾を与えてその上構の過半を廃墟に造り替えていたが、自身もまた十発近い十六イン
チ砲弾の直撃を受けていた。
「三番主砲火薬庫、温度上昇止まりません!」
 火災は貫通孔を穿たれた上甲板から中甲板に拡大し、ヴァイタルパート内部を次々と
侵食していった。内務班が駆けつけて放水を開始したところに次の砲弾が飛び込み、消
火に従事する人間もろとも区画を吹き飛ばす。
「注水はどうした! さっき命じたはずだぞ!」
「ポンプが動かんのです! 散水器もだめです!」
 新たな十六インチ砲弾が着弾。高声電話の応答が途切れる。篠田艦長は、通話器を叩
きつけた。
 中央部の艦内は、もはや区画が意味をなしていなかった。隔壁の断面を晒していた破
孔がさらに抉り取られ、三番砲塔のバーベットが歪む。下層甲板まで貫いた爆風は、続
いて周囲に存在した可燃物を片っ端から炎上させていった。
 さらにもう一発。今度は中央部の横腹が抉られた。短遅動信管によって砲弾が炸裂し
たのは、注排水区画のど真ん中。水線付近の船殻が内側から弾け飛び、続いて海水の流
入が始まった。
 昼戦艦橋の高声電話が再び鳴る。相手は中央部で応急作業の陣頭指揮に当たっている
運用長だった。
「隔壁を開くだと!」
『幸か不幸か、海水がすぐ隣まで来ておるんです。ここの水密を解けば、三番の火薬庫
は助かります!』
「それは」
 篠田少将は絶句した。閉鎖中の水密扉を開き、隣接区画ごと三番火薬庫に注水する。
確かに有効な手段ではある。それはそうだが。
『ポンプもスプリンクラーも駄目です。火勢が強くて人力じゃ追いつきません。これし
か方法が残っておらんのです!』
 運用長が切迫した声で訴える。篠田少将は唇を噛みしめると、凄絶なまでに強張った
表情で言った。
「……わかった。やってくれ!」
 運用長の覚悟が尋常のものでないことは、篠田少将にはよく解かっていた。水密扉を
開くには、人力しかない。水圧の掛かっている扉を開放すれば、取り付いていた人間は
一堪りもなく鉄砲水に飲み込まれてしまうだろう。
「だんちゃーく! 命中一、二……!」
 戦場音楽に負けじと張り上げられた見張りの声が響く。
 篠田少将は、内心に湧き上がる何かに必死で耐えていた。
 三番火薬庫付近の区画からひっきりなしに寄せられていた危機の情報は、止まってい
た。
 高声電話で連絡がくることも、二度となかった。


「扶桑、前に出まーす」
 浸水で速力の落ちた山城に代わり、扶桑が隊列の先頭に踊り出る。
 いっぽう当座の危機を乗り越えた山城は、健在な八門の主砲を用いてその間に三回の
斉射を行った。三発、二発、三発と、まとめて発生する命中弾。メリーランドの船首楼
は既に海水に洗われていた。前檣楼は倒壊寸前。艦上の過半を炎に覆われてもいる。
 それでもメリーランドは、沈黙することを拒みつづけていた。連装四基八門の十六イ
ンチ四五口径砲は、設計上与えられた限界速度のままに、融けたグリスとともに重量一
トンの鋼鉄と火薬の塊を撃ちだした。自他共に認める旺盛な敢闘精神を誇る日本海軍の
将兵をして戦慄せしめたほどの底力だった。
 だがそれは、艦を救うために払われるべき努力が砲戦の継続に振り向けられているが
ゆえの成果でもあった。応急の徹底を指示するべき人々は、先ほど艦橋に叩き込まれた
三式弾が放った炎の中で、一握りの炭と化していた。
 そして、三十発を超える巨弾の打撃に耐えてきた彼女の命数は遂に尽きた。扶桑が放
った十四インチ砲弾が二発、水線直下の舷側を立て続けに抉り取った。一発は改装によ
って増備されていたバルジを突破して艦内に踊り込み、甲板二層を貫通して爆発。キー
ルを前三分の一ほどのところで叩き折った。もう一発はY砲塔のバーベットと後部機械
室の中間で爆発し、衝撃で発電機を半壊させた。
 この一撃によって、それまでメリーランドを救うために現場レベルの判断で行われて
きた応急の努力は一瞬のうちに無意味となってしまった。折れたキールが艦底を突き破
って対処の難しい浸水を引き起こし、それを食い止めるべき排水ポンプが動作をとめて
しまったからだ。
 さらに、推進軸用の電動機も左舷側の二軸が停止。なおも動いていた右舷の二軸が発
生したモーメントによってメリーランドは左舷に回頭を始めたが、そこに扶桑と山城の
斉射が同時に降り注ぎ、既に原形を失っていた艦首を完全に吹き飛ばした。
 次の瞬間、キールを折られて強度が失せたメリーランドの船体は、A砲塔とB砲塔の
中間から目に見えるほどの速度で捻れ始めた。一刻も早く総員退艦を開始すべき状況だ
ったが、その指示を出すべき人間はこの事態を確認できるレベルには存在していなかっ
た。

「メリーランド、針路変更しました!」
「畜生、やられたか」
 戦術行動としては明らかに不自然な転舵だ。ウェイラー少将は状況に見当をつけた。
 指揮系統にとどめを刺されたか、操舵機能をやられたか、あるいは片舷の推進器が止
まったか。外見から正確なところは掴めなかったが、どのみち結果は一緒だ。
「ペンシルバニアに合流急げと伝えろ!」
「さっきからやっとりますが──今、傾斜復旧に成功したそうです」
 ウェイラー少将は不満気な唸り声を発した。遅い。
 ウェストバージニアは、長門の艦命を賭した猛射を受けた際にA砲塔とY砲塔を粉砕
されている。いくら問答無用の威力を誇る十六インチ砲とはいえ、たった四門では二隻
の戦艦を相手取るには火力が足りない。
 あるいはここが自分たちの墓場となるか。
 ウェイラー少将が観念しかけたそのとき、艦橋から連絡が入った。
「敵戦艦、転舵! 反対舷で砲戦中!」
「どこのどいつだ。ジェスの本隊か?」
「いえ、駆逐艦です。フレッチャー級が三隻……なんてこった、少将旗を掲げてる!」
 続いて通信が入った。
『われスリガオ方面部隊旗艦ルメイ。これより戦闘加入す──』
 追伸の文面を目にして、ウェイラー少将は自分の涙腺が熱くなるのを感じた。



 ──ウェイラー、あとひと踏ん張りだ。諦めるな。
                                   バーケイ







#198/598 ●長編    *** コメント #197 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  03:01  (179)
暁のデッドヒート 9   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:25 修正 第2版
 左舷に指向した扶桑と山城の副砲が、雨霰と六インチ砲弾を浴びせてくる。だが、照
準が定まっていない。
「よし、効いているぞ!」
 連中は動揺している。バーケイ少将は確信した。
 旗艦シュロップシャーを最上との相討ちで失った彼は、指揮官のカワード大佐が負傷
したことによって宙に浮いていた第五四駆逐隊旗艦のルメイに将旗を移し、残存艦の中
で戦闘可能なものを率いて全速力で北上していた。
 彼に従うのは、旗艦ルメイ以下マクデルマットとバッシェのみ。少将の身でありなが
ら、麾下の戦力は駆逐艦三隻に過ぎない。
 だが、彼の戦意は却って燃え上がっていた。火災による投棄で雷装を失ったバッシェ
を先行させ、襲撃行動をとらせたのだ。日本軍の戦艦は、まんまとこの欺瞞に引っかか
って隊列を乱した。
「バッシェを後退させろ。マクデルマットに連絡だ。突撃! 友軍を救え!」
 二隻のフレッチャー級駆逐艦は、大きくうねる海上を三五ノット以上の全速で突進し
た。艦中央では、右舷を指向した五連装魚雷発射管が発射の瞬間を待っていた。
「一〇〇〇〇ヤードです!」
「つかまえたぞ! 主砲撃ち方始め!」
 五インチ両用砲が唸る。扶桑の舷側に、幾つかの命中の閃光が走った。しかしこの軽
い打撃はあくまで牽制。本命は必殺の二一インチ魚雷だ。
「九〇〇〇ヤード!」
「右舷雷撃用意!」
 だが、そこで後方から轟音。
「マクデルマット被弾しました!」
 艦尾から火を噴いている。
「くそっ、ここまで来ておきながら……何!」
 バーケイ少将の目が丸くなった。
「バッシェが……!」
 見張りが驚いた声をあげる。
「あの莫迦、退避しろと言ったはずだぞ!」
 牽制役のバッシェが、そのまま五インチ砲を放ちながら敵戦艦に向けて接近を続けて
いた。

「副砲、左舷砲戦!接近させるな!」
 阪少将が叫ぶ。
 扶桑と山城の副砲火力は、内懐にまで飛び込んできたバッシェに集中された。六イン
チ砲弾が降り注ぎ、小癪な駆逐艦の上構を次々と毟り取っていく。だが、自艦の数倍の
火力に晒されているにもかかわらずバッシェは果敢だった。四基の五インチ単装砲が、
片っ端から火柱を上げて爆砕されながらも、高角砲ならではの速射率で撃ちまくる。扶
桑の舷側に数発が集弾し、ケースメイト一基が砲身を根元から折られて沈黙した。
 だが、バッシェにできたのはそこまでだった。後部に三発がまとめて命中し、艦尾砲
を爆雷投下軌条ごと千切り取った。バッシェはなおも四十ミリ機関砲まで振り上げて扶
桑に攻撃を加えたが、山城からの六インチ砲弾までが直撃するに及んで、ついに罐室が
全滅し、バッシェは火柱と水蒸気に包まれてその場に停止した。
「よし、これであいつは黙らせた──」
「左舷雷跡!」
 ──くそっ、残りの奴か。
 阪少将は舌打ちすると、回避を命じた。
「山城の左舷に水柱っ」
「おのれ、逃がすな!」
 扶桑の副砲指揮所に怒声が沸き、六インチ砲が猛然と吼える。
「敵先頭艦に命中!」
 退避コースに乗っていたルメイに命中弾。後甲板から火の手が上がった。
「雷跡、艦尾かわった」
 どうやら扶桑には被害は出なかったらしい。そう思った矢先。
「──な、何ッ」
 強烈な衝撃を感じたと思った次の瞬間、艦橋の床がひっくり返った。
 雷撃の騒ぎに紛れて五五〇〇ヤードまで突っ込んだウェストバージニアが至近距離で
放った十六インチ砲弾が、扶桑の前檣楼を直撃。上部三分の一が蹴飛ばされた積み石の
ように転がり落ち、残りが轟音を立てて崩壊した。
「ばかな……こんなところで!」
 狼狽する間もあらばこそ、阪少将の意識と肉体は、昼戦艦橋になだれ込んで来た爆風
の中に消えた。
 脳髄を失った扶桑は、梯子を滑り落ちるように戦闘力を失っていった。転がり落ちた
前檣楼上部は二番砲塔を真上から直撃して叩き潰し、続いて打ち込まれた十六インチ砲
弾が三番砲塔と五番砲塔を相次いで爆砕した。まるでこの戦場で最後まで無傷を保って
きた幸運の揺り戻しが一気に襲ってきたかのように、彼女の艦内のあちこちで致命的な
被害が続出した。
 そして指揮系統の混乱を見て突っ込んできた駆逐艦三隻が、両舷から包み込むように
魚雷十五本を発射。対する扶桑はこの一番致命的な場面に来て、生まれ持ったその最大
の欠陥である対被害抗甚力の低さをまともに露呈していた。上甲板から中甲板に及ぶ大
規模な火災の延焼によって、放棄せざるを得ないケースメイトが多数あらわれていたの
だ。駆逐艦たちはまともな妨害を受けることもなく、腰溜め同然に必中距離まで踏み込
んで魚雷を放った。
 回避機動もままならない扶桑に対し、三本がほぼ同時に中央部へ、続いて後部に二
本、前部に一本が命中。爆圧で崩壊した中甲板から、炎上中の可燃物が雪崩を打って防
御区画内に滑り落ちた。
 さらに、この一撃で中央部の電源が一斉に落ち、細々と続けられていた被害対処作業
が完全にストップ。応急作業の停止と隔壁崩落による艦内通気の開通という二つの要因
に助けられた火災は、驚くほどの速さで三番砲塔の弾薬庫に及んだ。
 被雷から数分後、急速に炎に包まれた扶桑は船体中央部で大爆発を起こして二つに分
断された。後半部は、仕掛花火のように次々と吹き上がる火柱と衝撃波によって自らを
爆砕し、瞬く間に波間へと没した。
 だが、前半部はその直後、誰もが驚愕するような挙動を示した。一番砲塔から二発の
十四インチ砲弾を放ったのだ。照準など定めようもない一撃だったが、このうち一発が
奇跡的な確率でウェストバージニアのX砲塔前楯に命中。衝撃で砲耳が破損した右側砲
が俯角位置にまで落下した。
 そして一矢報いたことに満足したかのように、前半部船体もまた右舷側へ倒れ込み、
艦首を突き上げて沈んでいった。


 扶桑の最期は山城からも目撃されたが、山城ではそれに構っているどころではなかっ
た。豪雨のように降り注いでいた十六インチ砲弾に加えて二本の魚雷まで叩き込まれた
彼女の艦内では、僅かな予備浮力を必死で遣り繰りして戦闘能力と航行能力を維持する
ための作業が続けられていた。
 そんな内務班の挺身の努力に応えるかのように放たれた十四インチ砲弾が、三五〇〇
ヤードまで接近したウェストバージニアに次々と炸裂。X砲塔の二本の砲身が相次いで
折れ飛び、舷側を貫通した一撃は両用砲弾薬庫の隣接区画に大火災を引き起こしてダメ
コンチームを慌てさせた。
「だんちゃーく……命中! 一、二、三……!」
「よし!」
 修羅場と化した山城の昼戦艦橋に、久方ぶりに明るい声が響いた。
 ウェストバージニアの前甲板に直撃が集中し、大きな火柱が吹き上げていた。

「A砲塔、電源が落ちました! 旋回・発砲ともに不能!」
 ダメージ・レポートが届けられたウェストバージニアの艦橋に絶望的な空気が流れ
た。
「復旧の見込みは!」
「全く不明です! 原因が掴めておりません!」
「畜生、ここまで来て!」
 砲術長が悲痛な罵声を上げる。ウェイラー少将は状況表示盤を睨みつけた。山城は、
沈黙したウェストバージニアに目もくれず、レイテ方向に遠ざかりつつあった。奴の進
撃を止めようにも、山城に対抗可能な戦力であった自分の乗艦は、完全に攻撃力を失っ
てしまった。
 そのとき、ウェイラー少将は不意に気付いた。ジャップの戦艦は脚を引き摺ってい
る。
「艦長、本艦の速力はどうなっている?」
「は……全速二〇ノットを発揮可能ですが……まさか」
 そこまで言った艦長の顔色が変わった。
「そのまさかだ。牧童の義務を完遂するにはこれしかない。取舵、機関全速!」
「しかし、それでは相討ちに」
「構わん! 奴さえ止めれば俺達の勝ちだ!」
 放てる砲弾を失ったウェストバージニアは、自らの船体を最後の徹甲弾と化し、山城
の艦尾に向けて突進を開始した。

 ウェストバージニアの猛追に山城が気付いたのは、二隻の距離が二五〇〇ヤードを切
った地点だった。慌てたように急旋回した後部砲塔が、十四インチ砲弾を水平射撃で送
り出す。
 両舷至近に水柱。それを意に介さず、ウェストバージニアは相対速度十ノットで突進
を続ける。
 距離一五〇〇ヤード。左舷を向いたまま機能停止していたA砲塔の右側面に直撃弾。
ターレット天蓋が吹き飛び、砲身が砲架から転げ落ちる。
「総員、対衝撃防御!艦首区画は退避急げ!」
 通常の戦闘配備とは異なる指示が次々と飛ばされる。前檣楼頂部に命中。最早無用の
長物と化した射撃管制レーダーが主砲射撃指揮所とメインマストごと微塵に爆砕され、
中央部甲板に向けて落下した。
 一〇〇〇ヤード。山城が取舵に変針を開始した。だが、遅い。浸水と速力低下のため
に彼女の回頭性は極端に悪化していた。ウェストバージニアからの衝突回避コースには
乗れていない。
「捉まえたぞ、ジャップ!」
 ウェイラー少将が叫ぶ。行かせてたまるか。このうえレイテに戦艦の突入を許した日
には、合衆国海軍は世界海戦史上に永遠に消えない汚点を刻み込まれてしまう。自分が
そんな愚行の記憶に名を刻むわけにはいかない。距離八〇〇ヤード。もはや、戦艦では
なく戦車の交戦距離だ。
 その直後、文字通りのゼロ距離で放たれた十四インチ砲弾が真正面からウェストバー
ジニアの艦橋を直撃。CICの直上で二発続けて炸裂した。ウェイラー少将を含めた要
員の肉体は、この一撃で周囲の内装機器ごと砕け散り、続いて落下したCICの天井に
よって圧搾された。
 だが、ウェストバージニアはもう止まらなかった。
 速力を落とすことなく最後の五〇〇ヤードを走破したクリッパー型の舳先は、山城の
後方右舷八度方向から、悲鳴のような破砕音と共に彼女の船体に深々と突き刺さった。


 山城の艦尾に突っ込んだウェストバージニアは、不気味な沈黙を守っていた。甲板上
は瓦礫と炎に覆われて生者の気配はなく、前方を指向している火器も残っていない。
 いっぽうで山城の状況は、どう控え目な表現を用いても「絶望的」と言うべきものだ
った。艦尾付近からのし掛かるように突入したウェストバージニアの艦首は、右舷二軸
の推進軸と左舷内側の一軸を完全に踏み折り、残る一軸にも大きな損傷を与え、とどめ
に舵を舵機室ごと踏み抜いていた。
「被害報告!」
 床に投げ出された篠田艦長が起き上がりざまに怒鳴ったが、全艦にわたって船体の構
造材が歪むほどの衝撃が走り、電源まで落ちた状態では、伝令の移動も思うに任せなか
った。
 散発的に届いた報告を聞いて、篠田少将は山城の命運が尽きたことを悟った。
 先ほどからの砲戦によって各所で発生していた火災は、未だに鎮火の目処がたってい
なかった。おまけに衝突の衝撃によって消火用の送水配管が各所で寸断され、注排水系
統も壊滅状態。これでは応急の余地すらない。
「これまでか……」
 篠田少将はしばし瞑目すると総員退艦命令を出し、自分は艦に残ると宣言した。副長
が説得を諦めて退出した後に、まだ残っている人影。
「私も残ろう。せめてもの責任を果たさねばならんからな」
 西村中将だった。さすがに篠田艦長も、これには否とは言えない。
 だが、彼等が末期の杯を交わしている時間はなかった。
 甲板上で「わぁっ」という声が挙がったように聞こえた直後、山城は先ほどの衝突に
劣らぬ激しい衝撃と轟音に見舞われた。突き刺さったままのウェストバージニアの前部
弾薬庫が誘爆したのだ。
「うぉっ!」
 大きく傾いた昼戦艦橋の外壁が衝撃で丸ごと剥がれ落ち、その向こうから海面が眼前
に迫ってきた。羅針儀に身体を縛り付ける間もなかった。二人は、そのまま海中へと投
げ出された。




#199/598 ●長編    *** コメント #198 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  03:02  (126)
暁のデッドヒート 10   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:26 修正 第2版
「山城も沈没した模様──!」
 悲痛な声で寄せられた報告に、利根艦長の黛大佐は「ふむ」と声を上げた。
「水雷戦隊の掌握を急げ。大型艦の残存はどうなっている?」
「足柄もやられました。重巡以上で健在なのは本艦だけです」
「足柄もだと……あれか」
 右舷後方に、妙高級重巡の形をした鉄屑が浮いていた。誘爆を繰り返すそれに向かっ
てペンシルバニアがしつこく砲撃を浴びせ続けている。
「容赦がないのぉ」
 砲術長が呆れた声を上げた。
「魚雷が残っていれば、やっつけてやるところなんですが」
 水雷長も悔しそうにしている。先ほど敵重巡の隊列に殴りこんだ際に、利根の魚雷は
全て撃ち尽くしていた。見たところ、米戦艦の方もダメージは相当なものだ。上構のう
ち装甲化されていないものは大半が崩れ落ち、中央部では時折誘爆まで発生している。
主砲塔だけが防御力に物を言わせて健在ぶりを示しているが、軽快部隊で足元をかき回
してやれば仕留められるのではないか。
「ない物ねだりをしても始まらん。……それに、主砲も相当まずいことになっとる」
 黛大佐は表情を険しくした。正確にカウントしていたわけではないが、砲術で飯を食
っている者のたしなみとして自分が命じた斉射の概数は記憶している。あまり携行数が
多いとはいえない重巡の主砲弾は、そろそろ底を尽いているはずだ。
「阿武隈から連絡! 『我、艦隊指揮をとる。各艦状況知らせ』」
「一水戦?すると木村さんか」
 

 どうにもならなかった。ペンシルバニアの砲力を軸に、米軍はよく連携された阻止砲
火ラインで日本側の水雷戦隊の活動を封じていた。巡洋艦同士の潰しあいで戦力を消耗
した軽快部隊に、デンバーとコロンビアの六インチ砲弾の嵐が襲い掛かる。曙と潮が果
敢に肉薄雷撃を試みたが、返り討ちされて二隻とも爆沈の憂き目に遭った。
 なおも荒れ狂う砲火の嵐。日本側の戦艦を全て仕留めた米艦隊は嵩に掛かっていた。
ミネアポリスを筆頭に、三隻の巡洋艦と五隻の駆逐艦が水雷戦隊を追い立てる。隊形を
崩したところをペンシルバニアが狙い撃つ。圧力にたまりかねて米戦艦の主砲射界に踏
み込んだ鬼怒が、上構に二発の直撃を叩き込まれて吹き飛んだ。
「やれやれ、たまらんな」
 艦橋を根こそぎにされて火達磨の状態で沈んでいく鬼怒を見て、木村少将は溜め息を
ついた。あれでは殆どの者は助からんだろう。
「利根より通信です。『第七戦隊残存は本艦のみ。只今発揮しうる最大速力二五ノッ
ト、主砲弾の残弾僅少、魚雷は全て射耗』」
「すると、残るは利根と本艦、それに四駆、一七駆、一八駆、二七駆、三二駆、それに
浦波……駆逐艦九隻か」
「いえ、八隻です……今、時雨が沈みました」
 木村少将は困った顔になった。これでは勝負にならんじゃないか。
「先任参謀、どう思う?」
「引き返すのが至当でしょうな。戦艦と甲巡があわせて四ハイもいる中に、正面から突
っ込んでもレイテには行けません。それに……」
「弾薬も残り少ないと来るか。レイテに行けたとしても、輸送船何隻沈められることや
ら」
 そして旗艦阿武隈の見張り員が、撤退の決断を迫る最大の要因の到来を告げた。
「敵機来襲! 二時方向、戦雷連合およそ一五! まだ他にいますっ」
 トーマス・スプレイグ、スタンプ両護衛空母隊の艦載機が、悪天候を衝いて救援に駆
けつけたのだ。
 戦場海域に飛来したのは、FM−1が七機とTBMが十機。機数こそ少なかったが、
彼らは護衛空母部隊の航空隊をまともな飛行隊らしく行動させるために乗せられていた
貴重なベテランばかりだ。眼下で戦っている艨艟たちに比べれば微々たる戦力に過ぎな
かったが、それでも騎兵隊としては十分だった。
「左舷、雷撃機二、突入してくる!」
「面舵三〇!」
 逃げるしかない、木村少将はそう決心した。飛んできたのは、近傍に存在する空母部
隊の艦載機に違いない。これはつまり、今まで自分たちの味方となってきた天候が艦載
機の発着が出来る程度にまで回復していることを意味する。ここからレイテまでの距離
を考えると、突入の成就は絶望的だ。
(レイテは、遠かったか……)
 そのとき、見張りが「あっ」と声を上げた。
「反跳!」
「なに!?」
 突入してきたのは確かにアヴェンジャー艦攻だったが、雷撃ではなかった。銀灰色の
翼が翻り、四発の五〇〇ポンド爆弾が次々と投下された。元々雷撃に備えて転舵してい
たために投影面積は小さかったが、それでも一発が阿武隈の艦尾を飛び越えて上構前半
部に直撃し、艦橋を中破させた。
 衝撃でなぎ倒された艦橋要員を、駆けつけた衛生班員が助け起こして歩く。弾片を受
けて倒れた木村少将の脳裏を、一年前のダンピール海峡の光景が過ぎった。
「司令、手当を行いますので医務室へ」
「莫迦者、この艦隊に残った将官は儂一人だぞ。負傷したからといって持ち場を離れら
れるか」
 木村少将は衛生兵の手を振り払って自力で立ち上がると、艦橋の窓から外を睨んだ。
幸いにして、味方の回避運動は的確だったようだ。藤波が上構から黒煙を吹いているほ
かは、損害らしい損害は出ていない。
「敵駆逐艦三隻、向かってきます!」
「水雷戦隊、迎撃せよ。全艦、右舷砲戦!」
 追撃を掛けてきた米駆逐艦に砲撃を浴びせながら、日本艦隊の残存はスリガオ海峡方
面に針路を取った。


「おっと、そうは行くか!」
 先頭を行くルメイの露天環境で、バーケイ少将が不敵な笑みを浮かべる。
「駆逐艦から全艦隊を指揮か。こいつはとんでもない先例になるな」
 TBSの通話器を握り締めたバーケイ少将は、自分の乗艦よりも五倍以上は大きな麾
下の艦に向かって指示を送り始めた。
「巡洋艦は右翼に先行、敵の側面に回れ。ペンシルバニアは無理をするな。駆逐艦は
ジープ共の生き残りの救助だ。マクデルマットはついてこい!」
 数時間前の姿から見る影もなく勢衰えた日本艦隊の最後尾から、数隻の駆逐艦が分離
して向かってくる。
「骨のある奴が居やがる。連中、まだ潰走しているわけじゃなさそうだ」
 バーケイ少将はにやりとすると、砲戦用意の号令を掛けた。

「面舵、右舷砲戦!」
 撤退する日本艦隊の殿軍を務めるのは、比較的損傷の浅い朝雲と山雲だった。
「畜生、年貢の納め時か」
「年貢の納め時? 莫迦を言うな!」
 砲術長が悔しがるのを見て、朝雲艦長の柴山中佐は語気を荒くした。
「まだ、お前らに酒を奢っておらんだろうが!」
 艦橋内の時間が一瞬停止し、次の瞬間笑い声と歓声が弾けた。
 自分たちは絶対に生きて帰れる。根拠もなく、そんな確信が生まれていた。


 西村中将と篠田少将は、裏返しになった救命筏に掴まって波間を漂っていた。黒い英
字が刻印してあるところを見ると、米艦のものらしい。
「不思議なもんですな。死ぬ覚悟を固めたつもりでも、一旦助かってしまうとなかなか
思い切れない」
 重油にまみれた顔で、篠田少将が溜め息をつく。山城の艦橋から海中に投げ出された
ときは無我夢中で手近な漂流物にしがみ付いていた彼らは、その後何度か入水を試みた
ものの、重油を浴びたことによる浮力と無意識の生存本能に阻まれて果たせずにいた。
「私も驚いていた。我々の覚悟とは所詮この程度のものだったのか、と」
 西村中将が同意したとき、
「ジャップか?」
 救命筏の反対側から英語が飛んできた。重油の塊のようになった頭を海面から突き出
して、一対の青い瞳が彼らを見つめていた。
「大したもんだよ、お前らは。おかげで俺も、艦を沈められてこの有り様だ」

 最初は一時的に緊張が走ったが、争いは起きなかった。ゴム製の救命筏は三人がしが
み付いてもびくともしないほどの浮力を有していたし、溺者同士で戦っても意味はなか
ったからだ。
 だが、救助にやってきた米軍の駆逐艦に引き上げられたとき、二人は同舟していた相
手の正体に仰天した。
「ようこそ、駆逐艦ホエールへ。君たちには戦時捕虜としての正当な待遇を保証する」
 ジェス・オルデンドルフ少将は、顔にへばりついた重油を拭いながら疲れた笑顔を浮
かべた。
 もっとも、数分後に驚くのはオルデンドルフ少将も同じだったのだが。




#200/598 ●長編    *** コメント #199 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  03:03  (192)
暁のデッドヒート 11   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:27 修正 第2版
 小沢艦隊は壊滅しようとしていた。雲龍と隼鷹の姿は既に海上になく、千歳と龍鳳も
大傾斜を生じて炎上している。
 事態がここまで悪化した原因は、第一航空艦隊との連絡の失敗にあった。彼らは、一
航艦が未明に攻撃隊を出していたことを掴んでいなかったのだ。
 無論、一航艦は攻撃隊の発進とその戦果を伝える電文を発していたが、これを肝心の
旗艦瑞鶴が受信できていなかった。その結果、日の出と同時に米艦隊が攻撃隊を繰り出
してくるものと考えていた直掩隊が交代するまさにそのタイミングで、遅れて発進した
ハルゼー艦隊からの攻撃隊が飛来した。
 日本側にとっては、前日仕掛けた時間差フェイントを、そっくりそのまま返された格
好となった。さらに、初動で隼鷹に直撃が集中したことも災いした。隼鷹は、直掩隊第
一波の半数近くの整備補給を引き受けていたのだ。
 一〇〇〇ポンド爆弾三発の直撃によって給油中の搭載機が次々と炎上し、格納庫甲板
からその二層下にかけて大火災が発生。ここで彼女が本来の意味での正規空母である
か、あるいは攻撃機を搭載していない龍鳳以下の他空母であればまだ生残の目もあった
のだろうが、不幸にも隼鷹はそのどちらでもなかった。さらに、客船から改装されたと
いう隼鷹の経歴がまともに裏目に出た。軍艦にあるまじき良好な艦内通風性に助けられ
た火災は、瞬く間に弾薬庫へと延焼。内務班が手を回す間もなかった。
 戦争中期以降の第三艦隊の屋台骨を支え続けた殊勲艦は、立て続けに船体外鈑を引き
裂いて膨れ上がる火球に呑み込まれ、二十数機の零戦を道連れとして海上に四散した。
 第三艦隊の直掩機は、この日朝の時点で八〇機余りにまで目減りしていた。瑞鶴に少
数ながら積み込んでいた補用機まで繰り出しても、この数にしかならない。昨日の航空
戦は、それほどまでに熾烈なものだった。
 この残存のうち、直掩隊の第一波として上がっていたのが三七機。隼鷹は、このうち
十機以上を道連れに沈んだことになる。
 それを境に、小沢艦隊の防空体制は一気に破綻した。真っ先に、陣形から落伍しかけ
ていた雲龍が血祭りに挙げられる。損傷を受けて速力と運動性の低下していた彼女に
は、ハルゼーが怒りに任せて送り込んできた戦爆連合一三四機の攻撃から逃れる術はな
かった。十一発の爆弾と七本の魚雷で嬲りものにされた雲龍は、初弾の命中から二〇分
と経たずに横倒しとなり、余勢を駆った米軍攻撃隊は護衛についていた霜月にも爆弾二
発と魚雷一本を撃ち込んで撃沈した。
 さらに、第二波として戦爆雷連合一二七機が飛来。三〇機足らずの直掩隊第二波に、
これを阻止する手立てはなかった。攻撃は、隼鷹の抜けた穴のために陣形の外翼で孤立
していた千歳と、もともと直衛艦の割り振りから漏れていた龍鳳に集中した。龍鳳に向
かった米軍機に対しては五十鈴が対空砲火を分火したが、これによって米軍機の攻撃は
五十鈴自身にも向けられる結果となり、彼女の行動は沈没艦を一隻増やすだけに終わっ
た。
 それから一時間後に第三波一一三機が襲来した頃には、直掩機は一〇機そこそことい
うところまで減少していた。被弾によって使用不能となる機の多さに加え、回避運動を
強いられる母艦の中では補修作業が思うに任せなかったため、稼動機数は極端に低下し
ていた。
 ほとんど妨害を受けなくなった米軍機の攻撃は、生き残りの空母ばかりでなく護衛艦
艇にも容赦なく向けられた。手始めに、第二駆逐連隊旗艦の初月に爆弾四発が命中。後
部弾薬庫と汽罐が爆発した初月は、二つに折れて波間に姿を消した。
 それとほぼ同時に、瑞鳳の左舷に魚雷五本が次々と命中。直衛にあたっていた秋月の
阻止砲火を強引に突破しての強襲だった。当然ながら、排水量一万トンの軽空母がこれ
だけの打撃に耐えるのは無理な話だ。艦尾から沈み始めた瑞鳳には、なおも一〇〇〇ポ
ンド爆弾二発が命中し、砕かれた船体もろとも退艦中の将兵を海上へと弾き飛ばした。

「瑞鳳、沈みます!」
「龍鳳より信号! 我、舵損傷」
 次々と寄せられる悲痛な報告。小沢中将は、じっと艦橋の窓の外を見つめていた。
「遊撃部隊からの連絡はまだか?」
「ありません。先ほど、レイテ突入準備完了の報を受け取ったまでです」
「四時間ほど前だったな」
 小沢中将は、油断なく戦況を確認しながら素早く計算を巡らせた。
 四時間前に突入開始の一報を送ってきたということは、突入そのものが成功したか否
かにかかわらず、戦闘の結果は出ているはずだ。にもかかわらず来援の要請がどこから
も──一航艦からも出ないということはつまり、この戦場における第三艦隊の役割は、
すでに完遂されていると思っていい。
「そろそろ潮時か」
 そこに、上ずった声で立て続けに報告が飛び込んだ。
「対空電探に感! 新たな敵編隊、すくなくとも一〇〇機以上! 方位一五〇、距離お
よそ五五〇〇〇!」
「同じく新たな編隊! 方位二六〇、距離五〇〇〇〇、およそ五〇機!」
「方位二六〇? 敵は南西側にまで回り込んだのか!?」

「次から次へと。まったく際限のない連中だ」
 伊勢艦長の中瀬大佐は、対空戦闘を号令しつつ毒づいた。
「艦尾噴進砲群、次発装填が未了です」
「仕方あるまい、装填待て。作業中に被弾して誘爆でも起こされてはかなわん」
 高射長が、むぅ、と唸る。
「左舷よりの敵、雷爆連合およそ三〇!」
「来よったか……しんどいのぉ」
 砲術長のぼやきを他所に、報告は続く。
「艦首方向、新たな編隊!」
「機種知らせ!」
 そこで、見張りが言葉に詰まった。
「どうした!」
「訂正! 正面の編隊は敵機にあらず!」
「なんだって?」
 中瀬艦長は、慌てて双眼鏡を構えなおした。視界に飛び込んできたのは、長年見慣れ
たシルエット。
「零戦だと!」
 しかし、第三艦隊には追加の直掩機を上げられるほどの余裕はないはずだ。すると、
この味方機は……
「一航艦か……!」
 状況を悟った将兵の中には、目頭を押さえるものすら少なくなかった。

 既に、上空では熾烈な空戦が始まっていた。一航艦がルソン全島からかき集めて送り
出した戦闘機隊は、零戦三五機、雷電一四機、紫電九機。元々一航艦自体がこの作戦に
合わせて全国から技量優秀な搭乗員を選抜して編成されていただけあって、その戦いぶ
りは素晴らしかった。三倍の敵を相手に一歩も引かず、数に勝るヘルキャットを圧倒し
ていく。
 だが、七〇機をこえる攻撃機を全て阻止することは不可能だった。一航艦の戦闘機隊
に捕捉される前に突入を開始した編隊も少なくない。
「左舷前方、雷撃機三!」
「取舵三〇!」
 狙われた伊勢が慌しく回頭を始める。主要目標であった空母をあらかた片付けてしま
った米軍機は、四航戦の伊勢と日向にも食指を伸ばしていた。
「寄せ付けるな!」
 日向の飛行甲板から、装填が間に合った噴進弾が放たれる。先頭のアヴェンジャーの
鼻先で炸裂した噴進弾は、後続の一機まで巻き込んで叩き落した。
 この派手な一撃が注目を惹いたのか、四航戦にはそれまで以上に激しい攻撃が加えら
れ始めた。手始めに、左右両翼から挟み込むように七機のTBMが来襲。しかし、この
攻撃は完全に及び腰だったために命中魚雷はなし。直後に伊勢の艦尾方向から機銃を乱
射しながら肉薄してきたF6Fがいたが、飛行甲板両舷に増設された機銃群の弾幕に正
面から突っ込み、堪らず退散していった。
 それとほとんど同時に中高度からヘルダイバーの一群が飛び込んできた。
「直上、急降下!」
 対空見張りの絶叫。これに対しては野村艦長の操艦が冴える。一二発が投下された
一〇〇〇ポンド爆弾を、日向は見事に躱して見せた。
 しかし、最後に思いもよらない番外が残っていた。伊勢を狙っていたヘルダイバーの
一機が高角砲弾の至近爆発で体勢を崩し、一〇〇〇ポンド爆弾二発を抱えたまま日向の
前檣楼に激突したのだ。

 前檣楼に体当たりの直撃を受けた日向に、攻撃隊の各機は殺到していった。なにより
被害箇所がまずかった。二発の一〇〇〇ポンド爆弾と大量のガソリンによる爆発は、日
向の昼戦艦橋から上の軟構造部分をそっくり吹き飛ばしたのだ。これだけはっきりとし
た損傷が発生していれば、上空から一瞥しただけでも被害状況は察しがつく。
 米軍搭乗員たちの予想通り、日向の指揮系統に発生した被害は深刻だった。艦長の野
村大佐以下、艦橋に居合わせた要員は軒並み即死。日向は対空射撃統制も回避運動も不
可能な状態だった。
 砲側照準で散発的な対空砲火を撃ち上げながら直進するしかできなくなった日向は、
それからさらに四発の爆弾と三本の魚雷を受けた。


「日向の速力は浸水のため四ノットが限界。舵も損傷を受け、操艦困難とのことです」
 参謀長の大林少将が、うーんと唸った。
「処分するしかありませんな……惜しいですが」
 機関、主砲ともに完全に生きている状態の戦艦を自沈させねばならないという事態
は、ソロモン海の比叡に続いて二例目だった。
「四航戦司令はどうなった?」
 小沢長官が尋ねる。
「松田少将は即死は免れたようですが……全身に火傷を負っており、助かる見込みは薄
いそうです」
 それから、と前置きして、通信参謀が電文を読み上げた。
「四航戦司令から直々の言葉です。『第三艦隊各艦の武運長久を祈る』」
 小沢中将は瞑目した。先の見通しも立つかどうか怪しい武運の長久などよりも、一人
の部下の無事のほうがどれほど有難いことか。
 瑞鶴の後方では、千歳が艦尾から沈んでいこうとしていた。


 第三八任務部隊の攻撃力は尽きかけていた。CAP任務の直掩機に労われるように帰
還してくる攻撃隊は、見る影もないほど疲弊している。
「畜生、あと一隻分あれば……」
 ハルゼーは歯噛みした。日本空母部隊へ差し向ける攻撃隊は、先ほど発艦した第五次
攻撃隊一二四機で打ち止めだった。ここに本来ならば、のべ機数でさらに七〇機余りを
加えることができたはずだ。それだけあれば、空母の一〜二隻程度は戦果に付け足すこ
とも可能かもしれない。
 だが、日本軍の最後の一撃は予想以上の痛手だった。
「デビソン隊より連絡。フランクリンの火災はさらに拡大、CIC付近および機関室に
まで火が回って手がつけられない模様です。司令部はエンタープライズに移乗しまし
た」
 一航艦による最後の反撃は、デビソン隊の正規空母フランクリンに集中していた。攻
撃隊の未帰還率は七割に達したが、それと引き換えに彼らは、フランクリンに対して爆
弾三発、魚雷一本を命中させた。
 合衆国海軍が誇るダメージコントロールのノウハウが集約されたエセックス級中期型
に属する彼女は、本来この程度の命中弾で無力化されることはないはずだった。だが、
反跳気味に飛び込んできた三発目の五〇〇キロ爆弾が致命傷だった。この一発は繋止位
置に立ち上がっていた舷側昇降機を貫通して格納庫内部に突入し、燃料満載状態での待
機を強いられていたヘルダイバー四機の真中で炸裂したのだ。
「続報です。フランクリンは両用砲弾薬庫で誘爆が発生。先ほど総員退艦が発令されま
した」
 一番艦の就役以来不沈を誇ってきたエセックス級の神話が、ついに崩れ去った瞬間だ
った。
「全機収容にはどれくらい掛かる?」
「第五次攻撃隊まで含めますと……約三時間後の予定です」
「……よし。索敵機を今のうちに出そう。シブヤン海からサマール東方沖を重点的にや
る。生存者の捜索と救助は念入りにな」
 戦いはすでに、残敵掃討の段階に移ろうとしていた。レイテ沖海戦の通称で呼ばれる
一連の海戦は、このときを以って実質的に終結した。


 米海軍の公刊戦史には、武蔵は二五日夕刻に第三八任務部隊搭載機の空襲を受けて、
サマール島東南東沖で沈没したとある。
 だが、この記述には不可解な点が指摘されている。戦後行われた聴取によると、サマ
ール東方沖の日本艦隊への攻撃に参加した搭乗員の多くが「自分はモンスターが攻撃を
受けて沈む様子を見た」と証言しており、これが上記の記述の根拠となっているのだ
が、肝心の「自分が武蔵を攻撃した」と主張する搭乗員が一人もいないのだ。
 真相を知ることができたのは攻撃された日本艦隊の将兵だけであろうが、彼らの中に
生者はいない。米軍機はこの小艦隊に徹底した攻撃を仕掛け、羽黒をはじめ駆逐艦一
隻、救命艇一艘に至るまで、完膚なきまでにフィリピン海溝の底深く叩き沈めてしまっ
たからだ(なお、シブヤン海を回航中の妙高と秋霜も、ハルゼー艦隊の空襲を受けて撃
沈されている)。
 こういった経緯から戦史研究者の間では、武蔵は二五日早朝から午前にかけ、サンベ
ルナルジノ海峡海戦で受けた損傷箇所からの浸水増加により、サマール東方沖にて沈没
したとする説が有力視されている。
 だが、不可解な消え方をした彼女の最期は、現在に至るまで多くのミステリーや幻想
の題材とされてきた。あるときは謎の漂流船として。またあるときは、現代によみがえ
った救世主として。そして果ては、異星のテクノロジーを身に纏って銀河を股にかけた
星々の大海へと漕ぎ出すに至るまで、彼女は人々の想像の海原で、今も終わりのない戦
闘航海を続けている。




#201/598 ●長編    *** コメント #200 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  03:03  (183)
暁のデッドヒート 12   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:28 修正 第2版
 十一月。

 利根は朝雲と藤波を従えて、ブルネイから馬公への航海の途上にあった。
「明石が健在なら、こんな苦労もないんだがなあ」
「この程度の損傷でも、佐世保あたりに回航しないと修理できませんからね」
 三九隻でレイテを目指して出撃した第一遊撃部隊は、四分の一以下の九隻にまで目減
りして帰ってきた。残存艦は利根と阿武隈のほかは駆逐艦七隻。無傷の艦は一隻もな
い。機動部隊も、空母六隻のほか、日向、大淀、五十鈴を立て続けに撃沈されて壊滅。
瑞鶴が上構を大破されながら呉に帰り着いたのは奇蹟と言ってよかったが、日本が保有
していたまともな艦隊兵力は、この一戦で完全に再起不能となった。
「そのついでに、輸送艦の護衛もやってくれってか。まあそれならそれで否やはない
さ。しかし、こりゃどういうことだ?」
 実際の面積のわりに広さを感じさせる利根の飛行甲板には、軽質油を満たしたドラム
缶がこれでもかと敷き詰められている。朝雲や藤波でも、状況は似たようなものだっ
た。商船を恐ろしい勢いで撃沈され続けている日本では、輸送用の船腹の絶対数が不足
しているのだった。
「護衛とは名ばかりで、これでは戦うこともできん。フィリピンがまだがんばっている
とはいえ、ここもいつ敵機が飛んでくるかわからんしなあ。対空、見張りを怠るな」
 既に、ルソン海峡で輸送船が艦載機に襲われる事件が数件発生しているという。
 だが、黛大佐がそう命じた直後。
「う、右舷雷跡!」
「なっ!?」
 艦隊に忍び寄った米潜シーライオンが放った魚雷だった。完全に注意が空を向いてい
た利根には回避の余裕はなかった。中央部に命中。虚を突かれた内務班が応急にかかる
前に高角砲弾薬庫で最初の誘爆が発生し、後部に満載されていたガソリンに引火した。
 利根が噴き上げた火柱は、僚艦で巻き添えによる死者が発生するほどの規模だった。


「すまん、ウィリス!庇いきれなかった……!」
 机に両手をついたハルゼーが、リー少将に向かって深々と頭を下げた。
 米海軍は生贄を求めていた。日本が保有していた外戦兵力はフィリピンを巡る一連の
戦いで完全に消滅し、現在は中立国経由で非公式に講和──事実上の降伏──に向けた
予備交渉が行われている。
 だが、その戦いで米海軍は、建軍以来最悪の犠牲を払わなければならなかった。戦艦
十一隻、空母七隻をはじめ、あの悪夢のような三日間で米海軍が失った艦艇は七〇隻を
ゆうに超え、戦死・行方不明者に至っては三五〇〇〇名を数えた。最終的には上陸船団
を守りきるという戦略目的は達成され、対日戦のスケジュールに致命的な遅延を生じる
最悪のシナリオは回避できたが、損害比率だけを見ると、この戦いは日米どちらが勝っ
たのか判らないほどの大損害を米海軍にもたらしていた。誰かがその責任を取らなけれ
ばならなかった。
 査問会の席上、ハルゼーは「全ての損害の責任は自分にある」と主張し、自分の北進
がなければどれだけの損害が防げたかという推定結果まで提出して他の指揮官を弁護し
た。確かに説得力のある主張ではあった。誰もがハルゼーの覚悟に敬意すら抱きつつ、
査問会は彼の責任を認める方向で結論を固めようとしていた。
 しかし、そこに政治が介入した。ハルゼーは将兵から絶大な信頼を寄せられているカ
リスマ性の高い指揮官であることがその理由だ。このとき米政府は、戦後を睨み海軍の
大幅な縮小を予定していた。人員削減に伴う著しい士気の低下を抑えるためにも、ハル
ゼーの在任は不可欠と考えられたのだ。第三八任務部隊が日本空母六隻を撃沈し、勝利
と呼べる戦果を挙げていたことも、この決定を後押しした。
 こうして、スケープゴートは決定された。主力艦戦力で優勢にあったにもかかわら
ず、麾下の戦艦全てを失って日本艦隊主力の突破を許したリー少将。彼が、全軍で唯一
敗北を喫した指揮官とされ、第七艦隊に生じた損害の責任まで被せられる形で前線指揮
官の任を解かれた。おそらく、このまま予備役編入されることは間違いないだろう。
 ハルゼーにとっては、これは自分が降格されるよりも辛い処分だった。誰よりも自分
自身が負うべきであると信じていた責任を、全部部下一人に押し付ける形となってしま
ったからだ。こと責任感については強烈な自意識を持っていた彼にとっては、これは精
神的な拷問にも等しかった。ハルゼーはついにはニミッツ長官に直訴までしたが、結局
裁定が覆ることはなかった。

「査問会でのことはニミッツ長官から伺いました。どうか気を落とされないでくださ
い。私が日本軍に敗北を喫したことは事実ですし……それに、予備役になればなった
で、私もいろいろとやりたいことはありますから」
 リー少将は、悟り切ったような穏やかな表情で言った。
「戦争も終わりましたからね。これから、我が軍はどんどん人減らしに掛かる筈です。
そのときに発生する士気の低下を食い止めるのは、あなたにしかできない仕事だとニミ
ッツ長官は仰っていました。どうか……合衆国海軍を、よろしくお願いします」

 こののち、予備役編入と同時に退役したリー少将は、レーダーの運用と設計に関する
論文を発表したことが認められてマサチューセッツ工科大学に客員講師として招かれ、
自動火器管制システムの父と呼ばれることになる。
 一方のハルゼーは元帥位を得たのちに、軍縮に伴う士気低下という病魔に侵されつつ
ある合衆国海軍の重鎮として、一九五〇年まで現役を務めた。その後の戦役において合
衆国海軍が示し続けた高い士気は、彼が苦心して維持したものであると評価されてい
る。


 横須賀工廠では、瓦礫の後片付けが始まっていた。クレーンは倒壊しているわ、建屋
は焼け落ちているわ、岸壁は崩落しているわと惨憺たる有様だが、作業に当たっている
人員の間には、むしろさばさばとしたような生気が満ちている。
「まあ、これだけ派手にやられると諦めもつくわな」
 よくもまぁ、と感心した様子すら伺える表情でため息をつく小沢中将。エンガノ岬沖
から帰還した直後に、壊滅した第三艦隊の司令官から軍令部次長に異動していた。
「十月にあれだけの戦をやったあとでこれですからなぁ」
 艦政本部長の渋谷中将が同意する。この惨状を現出したのは、レイテ沖海戦から僅か
一ヶ月で再建された米太平洋艦隊主力だった。最後の余力までレイテで使い尽くした日
本に、この急進撃を押し留める力は残っていなかった。巡洋艦以上で本土に残っている
艦は軒並み入渠中あるいは艤装未了だったし、航空隊は本来教官クラスとして温存が図
られるべき腕利きまでレイテで消耗しきってしまっていたからだ。
 おまけに、そんな状況を知ってか知らずか大胆にも浦賀水道に突入してきたのは、戦
艦ノースカロライナを筆頭にインディアナ、ミズーリ、ウィスコンシン、コロラド、ニ
ューメキシコ、アイダホの面々。
 さすがに空襲や潜水艇の襲撃を警戒してか長居はしなかったものの、七隻合計六八門
の巨砲による艦砲射撃は日本第二の大軍港を瞬く間に炎上させ、そこにスプルーアンス
中将率いる第五八任務部隊の空母艦載機が仕上げを行った。
「その中を生き残ったんだから、たいしたもんだ」
 二人が視線をやった先には、上構に損傷を受けながらも堂々たる存在感を放っている
基準排水量六二〇〇〇トンの空母信濃の巨体があった。
「あれは、レイテ沖の滅茶苦茶な損害が不幸中の幸いでした。造ったはいいものの、使
い道が決まらずに右往左往している間に、棚上げされていた水密試験だけでもやってし
まおうという話が出ましてね」
 渋谷中将が頭を掻きながら話す。
「いや、先月の水密試験で不具合が見つからなければ、危ないところでした。万一あの
まま外海に出して敵潜の雷撃でも受けていたら、どうなっていたことか」
 この時点で、日米のどちらも大筋では戦争の継続を望んでいなかった。
 日本は、レイテ沖の戦いによって外戦兵力の全てを失い、これ以上の対米戦遂行はど
う足掻いても無理だった。陸軍はまだマニラを拠点としてルソンで頑張っていたが、そ
れも程度問題だった。既に今上帝からも「もうこのあたりでよかろう」という勅旨が下
されている。
 一方の合衆国でも、異変が起きていた。フランクリン・ルーズベルト大統領が、健康
状態の悪化から職務遂行が事実上不可能となっていたのだ。そこへもってきてレイテ沖
の大損害が報じられたことが、この状況にとどめを刺した。十一月に行われた大統領選
挙での大敗である。ルーズベルトは、政治家としての生命と生物としての生命を、ほと
んど同時に絶たれることとなった。
 日本国内の講和派にとっては、この状況は一種のチャンスだった。合衆国は、既に大
方でケリのついた太平洋戦線よりも、いまだ激戦の続く欧州戦線を重視し始めていたか
らだ。敵味方をとりまく全ての状況は、講和を是認する方向に動き始めていた。
「とはいえ、止めの刺し方は少々手荒かったな」
 小沢中将は複雑な表情になった。
 米艦隊の母艦機は、横須賀と同時に呉にも襲い掛かった。陸軍機を中心とした日本軍
の迎撃も激しいものだったが、正規空母九隻を擁する米艦隊の攻撃力は圧倒的だった。
横須賀では軍港・工廠施設が大きな被害を受けて在泊艦艇がほぼ壊滅した。呉では建
造・艤装中の阿蘇と葛城が破壊され、フィリピンから生還した瑞鶴と千代田も大破着底
の憂き目に遭っていた。
「まあ、戦力再建の目処も立たなくなったからこそ、講和の話も現実味を帯びてきたよ
うなものだが」
「比島への兵站線も途切れがちと聞きますからな。このうえ御聖断まで下ったとあって
は、陸さんも文句は言いにくいでしょう」
 そこへ、艦政本部次長が姿を見せた。手渡された電文に目を通した渋谷中将の頬が緩
む。
「やりました。大筋で講和の話がまとまったそうです」


「どうしてでしょうね」
 第二艦隊司令長官の伊藤中将は、空襲の後片付けが一段落した呉鎮守府庁舎の窓から
海を眺めていた。艦隊とはいえ所属する軍艦がいないものだから、第二艦隊司令部は鎮
守府の一角に間借りしている。
「何がかね?」
 問い返したのは、海軍次官の井上大将。
「いえ、何もかも失って負けたはずなのに、むしろ爽快ですらあるというのが不思議な
気分でしたので」
「無理もないさ」
 出せるだけの戦力を全部使い潰して戦い抜いた結果だからな、と井上大将は笑った。
 日米間での停戦が正式に発効してから一ヶ月。シドニーで行われている講和(事実上
の条件付き降伏)条約の本交渉は紛糾していたが、これまでの数年間に両国の間で交わ
された砲火に比べれば、微笑ましいほどにささやかなものだった。
「それはそうと、今日の本題だが」
 やや言い辛そうにそう前置きして、井上大将は続けた。
「司令部は、さしあたって酒匂に置いてもらうことになると思う」
「伊勢ではないのですか?」
「あの艦は、あちらさんが賠償艦に指定してきた。何に使うつもりかは知らんが、連中
よほど我々に戦艦を持たせておくのが怖いらしい」
 伊藤中将は、思わず吹き出した。
「栗田さん、少々気張りすぎたのと違いますか」
「でなかったら、我々がこんなところでこんな話もしておらんだろう」

「そうそう、それから」
 井上大将が付け加える。
「西村君と篠田君が生きとったよ。六月予定の捕虜交換の第一陣で帰ってくるそうだ」
「なんと」
 兵学校同期の消息を聞いた伊藤中将の表情に驚きが浮かぶ。
「どうやら、然るべき人物と縁ができたらしいな」
「それはまた」
 思わせぶりに目配せをした井上大将の表情に、伊藤中将の笑いが大きくなった。彼も
米海軍には親友というべき知己をもっていたからだ。ほかならぬ、レイモンド・スプル
ーアンス米第五艦隊司令長官である。
「やはり、戦争が終わってよかったのでしょうな」
 久々に旧交を温める機会があるかもしれない。伊藤中将は、そのことの意味を実感し
ていた。五年間も戦っていたせいで感覚は麻痺しかけていたが、これからはそれが当た
り前になる。
「だが、立て直しもいろいろあるしな。これから忙しくなるよ」
「鎮守府も艦隊もボロボロですからね」
「それよりも、まずは疲弊した日本を何とかするのが先だろう。支那の戦も残っておる
ことだし」
「支那に馬来、仏印、蘭印、それに内南洋だってどうなることやら。世に片付けの種は
尽きまじということですか」
「米国と戦っていたことを考えれば、せめて気が楽さ」
 そう言って、井上大将は眩しそうに窓から外を見た。
 三月の暖かな陽光を照り返して、瀬戸内海が銀色に輝いていた。


                       ── 暁のデッドヒート 完 ──






#202/598 ●長編    *** コメント #201 ***
★タイトル (amr     )  03/12/03  03:05  ( 34)
暁のデッドヒート 後記   いくさぶね
★内容                                         03/12/03 03:29 修正 第2版
〜 主要参考文献 〜
・レイテ沖海戦(上)(下)(佐藤和正、光人社)
・戦艦武蔵の最期(渡辺清、朝日新聞社)
・帝国海軍将官総覧(太平洋戦争研究会、KKベストセラーズ)
・歴史群像 2002年10月号(学研)
・米軍提督と太平洋戦争(谷光太郎、学研)
・中学社会科地図帳(帝国書院)
・世界史年表・地図(吉川弘文館)
・連合艦隊1941〜1945(光栄)
・艦船名鑑(光栄)
・戦艦名艦(光栄)
・空母名鑑(光栄)
・航空機名鑑1939〜1945(光栄)
・第二次大戦のアメリカ軍艦(世界の艦船別冊、海人社)
・近代戦艦史(世界の艦船別冊、海人社)
・近代巡洋艦史(世界の艦船別冊、海人社)
・日本航空母艦史(世界の艦船別冊、海人社)
・映像の世紀第二集 大量殺戮の完成(NHK)
・映像の世紀第五集 世界は地獄を見た(NHK)
・太平洋戦争年表(それでも連合艦隊、同人誌)
・大東亜戦争研究室(http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/home.html)


 このほか、多数の著作ならびにwebページを参考にさせて頂きました。この場を借り
て御礼申し上げます。
 なお、本作は完全なフィクションであり、正史において存在したいかなる人物・団
体・事件・物品・記録およびその他諸々とも一切無関係です。また、本作中における設
定の相互矛盾および基本的物理法則に対する考証の誤りなどについては、その全ての責
は筆者に帰するものです。



                           原作初出 二〇〇三年八月
                        AWC用改訂 二〇〇三年十二月




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