AWC どうして犬は   多田秀介


        
#1307/1336 短編
★タイトル (WCM     )  01/02/19  01:36  ( 99)
どうして犬は   多田秀介
★内容
オフィスの昼休み。わたしは屋上にあがって、朝のうちに買っておいた
パンをかじっていた。このところの異常気象のため、日差しはなんとも暖
かく、風も気持ちがいい。こんな日は、この時間を屋上で過ごす人間も多
い。
 ワイシャツ姿の男が二人、ベンチに座っている。わたしの耳に、彼らの
会話が聞こえてくる。
「…………ねえ、実はちょっとした気味の悪い話があるんだが、聞いてく
れないか」
「気味の悪い話?」
「うん…………きみは、どうして犬は人間の数万倍も鼻が利くのか知って
るかい?」
「さあ」
「答えは単純なんだ…………でもその答えを言う前に、僕の話を聞いてく
れ」
「なんなんだ、いったい?」
「きみは、僕が毎朝山手線で通勤しているのを知ってるよね?」
「うん」
「つい最近、韓国で航空機が墜落したのも知ってるよね?」
「当然さ」
「よし、それなら僕の話もわかりやすいだろう」
 これはこれは、非常に興味深い会話ではないか。わたしは彼らのほうへ
耳を向けた。
 男は続けた。
「…………実は、僕が毎朝通勤に使っている山手線の車両に、きまって乗
り合わせるサングラスの女がいるんだ。僕の話というのはその女のことな
んだが、その女は色白で、つやつやした長い髪を顔の両側に垂らしている
。服装も趣味がいい。そして、いつも大きめの真っ黒なサングラスをかけ
ているんだ。彼女は車両に乗り込むと、必ずドアに張りつくようにして立
つんだが、電車が動きはじめ、ホームを出ると、おもむろにサングラスを
外すんだ。もっとも僕には彼女の後姿しか見えていないから、サングラス
を外すような仕種をするとしか言えないがね。彼女は電車が動いているあ
いだ、じっと窓の外を見ているんだ」
「ふんふん」
「そしてね…………彼女は時折、小さく笑うんだよ。彼女がいったい何を
見て笑っているのか、僕は以前から気になっていた。だからこのあいだ僕
は、彼女のすぐ後ろに立って、彼女と同じように窓の外をのぞいてみたん
だ。ところがね、彼女が窓の外を見て笑うとき、どこを見ても、笑うよう
なものは何もないんだよ」
「確かに気味が悪いね」
「いや、まだ続きがあるんだ。彼女はそうやって電車の動いているあいだ
じゅう、窓の外を見ているんだが、やがて電車が次の駅に差しかかると、
またサングラスをかけるんだ。まるでホームに立つ人たちに、自分の顔を
見られたくないようにね。そして再び電車がホームを出ると、また同じよ
うにサングラスを外す。それを繰り返しているんだ」
「顔に自信がないんじゃないのか? その女は窓の外を見るのが趣味だけ
ど、自分の顔に自信がないから、人にあまり顔を見られたくないとか……
……」
「僕もはじめのうちは、そんなふうに考えていたよ。両側の長い髪も、
ちょうどまわりの人間から彼女の顔が見えないようにうまいこと垂れてい
るしね。でも、彼女はいったい何を見て笑っているんだろう? 僕にはそ
れがわからなかった。頭のおかしな女でもなさそうだしね。ところがつい
最近、その秘密がわかったんだ」
「ほう?」
「…………きみも覚えていると言ったけど、この前、韓国で航空機が墜落
したよね? ちょうど僕が電車に乗っている時間に」
「ああ、朝早くだったね」
「あの朝、僕はやっぱり彼女のすぐ後ろに立っていたんだ。彼女はいつも
のように、大きなサングラスを外して、窓の外を見ていた。すると彼女の
口から、『あっ』という小さな声が聞こえたんだ。僕は彼女の顔が向いて
いるほうをながめてみたけど、そこには別に何も見えなかった。彼女はそ
のあとで、『落ちる…………』とつぶやいた。僕には何のことやらさっぱ
りわからなかったよ。ところが会社に着いてみると…………テレビの速報
を見た誰かが、航空機の墜落の話をしていた。詳しく聞いてみれば、墜落
した時間というのが、まさに僕が電車に乗っていた時間じゃないか」
「あははは…………それじゃあなにかい、きみは、その女がそれを見たっ
て言うのか?」
「そうさ」
「おいおい、山手線の線路から韓国まで、いったい何百キロあると思って
るんだい?」
「しかし、そう考えると納得がいくじゃないか。彼女は韓国で航空機が落
ちるのをその目で見たんだ。いつものように、何か面白いものを探して窓
の外を見ているときに」
「本気で言ってるのかい?」
「僕も今朝までは、冗談半分だったよ」
「と、いうと?」
「…………今朝僕は…………彼女の顔を見たんだ。電車の揺れによろけた
ふりをしてね…………顔を見られた彼女は、そそくさと次の駅で降りて
いってしまったよ」
「…………ほう…………」
「…………きみは僕の最初の質問を覚えてる?」
「『どうして犬は人間の数万倍も鼻が利くのか』、だろ?」
「うん…………もう一度聞くけど、どうしてだと思う?」
「…………さあ…………」
「答えは単純なんだ…………答えはその顔のつくりにある…………」
「…………ふむ…………」
「犬はね、顔の半分が鼻なんだよ…………」
「…………」
 
 わたしは手に持ったパンの最後のひと切れを口に放り込んだ。わたしの
心に、なにやら幸せのようなものが、微かに膨らみつつあった。
 日差しも暖かく、気持のいい日だ。わたしはううんと伸びをした。
 向かいのビルの屋上にいたさきほどの二人の男たちは、やがてどこかへ
行ってしまった。
 わたしのすぐ後ろのドアを開けて、誰かが出てきた。今年入社した新入
社員だ。彼はわたしに気がつくと怯えたように、。…………こんにちは…
………」と言い、おかしなつくり笑いを残して、そそくさと立ち去った。
最後にわたしの耳をもう一度ちらりと見た。
 しかし、わたしと同じような境遇の女性がいたとは。
 山手線か。思い切って声をかけてみようか。



 続き #1308 Re: どうして犬は   多田秀介
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