AWC 『Angel & Geart Tale』(3) スティール


        
#2128/5495 長編
★タイトル (RJM     )  93/ 6/16   0:54  (140)
『Angel & Geart Tale』(3) スティール
★内容

          『漆黒の闇』 第三章

  話を、本題に戻しましょう。【理想の自己と現実の自己のギャップ】を埋めるこ
とが、有意識、無意識にかかわらず、人々の欲求や衝動の源になっています。人の
みならずあらゆる生物は、そのギャップを埋めようと、無意識のうちにでも、行動
します。しかし、その行動の結果は、必ずしも、ギャップを埋めることになるわけ
ではありません。かえって、ギャップが拡がることも、ありうるわけです。【理想
の自己と現実の自己とのギャップ】が埋まらないことは、人の心の中で、ストレス
その他、精神の動揺に転化します。暑さ、寒さなどが、体に悪影響を及ぼすだけで
なく、ストレスになるのは、誰でも理解できると思います。人間のこのストレスは、
実はこのようなプロセスを経て、生み出されているのです。

 理想の自己は、もちろん、ひとつのはずなのですが、いざ、行動や欲求として、
具現化し、現れてきたときには、矛盾することもよく、あります。例えば、寒いと、
人は、暖房を入れます。しかし、この暖房というものは、通常は金銭的な支出を伴
います。ここで、金銭の支出と寒さというジレンマというものが、生ずるわけで、
これも、ストレスの一因として、挙げることができます。

 多くの場合、人は、現実の自己のほうを、理想の自己のほうに近づけようとしま
す。物を取得したり、生理的な欲求を満たしたり、願望を満たしたりする行動のこ
とです。わかりやすく言えば、おもちゃを買ったり、暖房を入れたり、という行動
のことです。賢明な方々は、このことをすぐ理解なされるでしょう。

 しかし、逆の試みというものもあります。すなわち、現実の自己を不変のまま、
理想の自己を、現実の自己に近づけるという試みです。これは、行動というよりも、
精神的な行いと言ったほうがいいでしょう。分かりやすい例を挙げれば、自分の理
想の目標を下げるといったことです。先ほどの例で言えば、おもちゃを買いたいと
いう気持ちを忘れるとか、部屋の気温が明らかに低くても、寒いとは感じないとい
うことです。

  この逆の試みは、宗教的な行いとしては、よく見られた行為です。宗教に身を捧
げる僧や牧師は、世俗の欲を捨て、利己心を捨てます。これは、尊いというだけで
なく、たいへん、理にかなった行為と言えます。座禅も、心を無にして、座るわけ
ですから、現実の自己と理想の自己の完璧な一体化を図るのには、これ以上最善な
行為はないかもしれません。もしも、完璧な座禅というものに成功すれば、その瞬
間だけは、ストレスがたまることはないでしょう。

 それから、余談になりますが、興味深い話があります。当然のことながら、どの
宗教でも、飲食や排泄は禁じていません。しかし、イエス・キリストや仏陀は、何
十日も断食をしたと言われています。もしも、無心のまま、断食を続けたなら、現
実の自己と理想の自己は、完璧に一体化し、もう二度と乖離しないかもしれません。
一体化する、もうひとつの方法としては、【死】が考えられますが、これは、精神
自体が消滅する可能性があるので、あまり、お勧めできません。

 さて、三つ目の部分に入る前に、精神と物質との関連について、触れておきたい
と思います。精神的な豊かさというと、いままでの世間の議論では、あたかも、物
質的な豊かさを我慢して、精神での充足を図るような言われ方をしてきました。し
かし、私が、ここで述べてきたように、少なくとも、プロセスという面で見る限り、
そのようなことはありません。問題となるのは、【現実の自己と理想の自己のギャッ
プ】です。精神が貧しい人というのは、おそらく、精神面でのギャップを大きくし
ても、物質的なものを満たすためことをいとわないために、自分の良心を無視した
ことなどによるストレスで、自らの精神面を犠牲にしている人のことを指すのでしょ
う。
 また、どんな汚い手を使っても、自己の欲望を満たしたいという人もいます。こ
のような現象を例に挙げて、【理想の自己】に到達するプロセスは、きたならしく、
卑しいのだ、という人もいるかもしれません。しかし、これは、その人の【理想の
自己】自体が、きたならしく、卑しくても構わない状態であることが、原因なので
あって、決して、高い目標を持ったことが、原因ではありません。【理想の自己】
が、清く正しいものであれば、その行動も、おのずから、清く正しいものになりま
す。もしも、ある人が、どんなにきたないことをしても、お金を儲けたいと、思っ
たのなら、その、ある人の【理想の自己】自体が、問題なのです。お金を儲けるこ
と自体は、決して、卑しく、ダーティーなものでは、ありません。

 精神面での充足の追及と物質面での充足の追及は両立すると、私は考えています。
つまり、精神面で、どれだけ向上しても、直接的には、物質面では、何も、失うこ
とはありません。また、物質的に、どれだけ満足しても、直接、精神が影響を受け
ることはありません。何度も繰り返すようですが、問題となるのは、【理想の自己
と現実の自己のギャップ】を埋めるということです。このギャップを埋めるための
【意志決定、行動決定】のプロセスは、例え、精神に異常をきたしてとしても、死
ぬまで、変わらないでしょう。

 三つ目の部分に入りましょう。三つ目は、理想自我、です。理想自我というのは、
簡単に言えば、理想の自己の姿のうち、後天的に形成された部分を指します。この
理想自我というのは、単純に、幸福の姿だけを具現化したものではありません。本
人の強迫観念や、深層心理をも、包括的に含んでいます。つまり、なんら必要性を
感じないのに、何度も手を洗うとか、そういう行動です。本能とよく似た部分もあ
りますが、理想自我のほうは後天的に形成されたものです。

  私は今日、みなさんに言いたいのは、このことです。人類のすべての人々にとっ
て、改善すべきは、この理想自我です。さきほど、述べたように、理想の自己を変
化させて、現実の自己に近づけるのも、大変すばらしいことです。

 しかし、私が問題にしているのは、そのことでは、ありません。私が問題にして
いるのは、この、【みなさんの理想自我が、どのように形成されて、保有されるに
至ったのか】です。
  これまで、説明してきた【本能】や【理想の自己と現実の自己のギャップを埋め
るための、行動決定や意志決定のプロセス】というものは、完全に、先天的なもの
で、個々人の努力では、もう、変えようが、ありません。
 いま、この世界でも、教育が行われています。マスコミなどの様々なメディアを
通じて、情報があふれています。我々の理想自我というものは、じつは、そのよう
な教育、マスコミ、世間の流行やその他のものからも、作り上げられているのです。


 誰でも、みな、脅迫観念を持っているはずです。いままで、私も、なにか、おぼ
ろげな、実体のない恐怖におびえていました。いつも、私の心の中で、声がしてい
ました。それに、時を刻む、時計の音を、私は嫌っていました。子供のころは、そ
れがいったい、なんなのか、わかりませんでした。
 この何年か、小説家として、心を無にして、小説を書き、創作に取り組むことで、
いままで、見えなかったことが、やっと見えてきました。私の心の中にあるものが、
だんだんと、わかってきたのです。私の心の奥深くに、時限爆弾のようなものがあ
るということを、悟ったのです。
 持っているのは、おそらく私だけではなく、他にも持っている人は多いはずです。
もしかすると、ほとんどの人が持っているのかも知れません。
 嘘だと疑う人がいるのなら、いますぐ、試してみることを、私はお勧めします。
そう、いま、あなたが、独りで部屋にいて、音がする時計が、あなたの傍らにある
のなら、いますぐ、試してみることを、お勧めします。
 すべての窓を閉じて、すべてのカーテンを締め切り、時を刻む時計以外のすべて
の音を消して、目を閉じて、横になり、時計の音に耳を傾ければ、あなたの心の奥
底に潜む恐怖は、必ず、あなたを訪れます。心の奥襞から、間接的また象徴的に、
あなたの深層心理に恐怖を与え、心をさいなむのをやめ、必ず、その獰猛で邪悪な
顔を出すでしょう。
 シャワーを毎日浴びたいとか、少し寒いとか、他人にとって、どんなにささいな
ことであっても、誰しもが、落ち込み、心が貧しくなり、人に助けてもらえず、ま
た、人を助けず、他人を憎み、この世を呪えば、その瞬間に、あなたの心の中の魔
が動き出すのです。なぜ、人の心に、魔が生じるのでしょうか? 私は自分自身の
経験から、やっと、その魔の正体に、気づきました。その魔とは、人の心にあるも
のです。
 誰の心の中にも、強迫観念のかたまりのようなものがあります。その強迫観念の
かたまりこそ、我々の持つ理想自我なのです。一見すると、快楽の追求や、欲求の
充足と思えるものでも、その実態は、我々の持つ理想自我なのです。そして、私た
ちの心の中で、時限爆弾のように、いつも時を刻んでいます。そして、いつも、そ
の醜悪な顔を出す機会を窺っています』

 そこまで話した時、数メートル前にいたHTVのアシスタント・ディレクターが、
両腕で、バッテンを作った。私の持ち時間を過ぎたのだろう。今日は、ここで、話
を打ち切り、この話の続きについては、後日、何かで発表しようと、私は思った。


『大変残念ですが、時間なので、私の話はここで終わります。私は香港の人々の幸
運を心から祈っています』

 演説の数時間後、中華航空の飛行機は、私を乗せ、啓徳国際空港を飛び立った。
私は、目を閉じて、シートに座り、半分寝ぼけながら、音楽を聴いた。
 日本ではなく、シベリアのウラジオストック行きの飛行機に、私は乗っていた。
私は、空港のロビーで時刻表を見ながら、思いつきで、ウラジオストック行きの飛
行機に乗ることに決めた。ウラジオストックから、列車に乗り換え、パリまで行こ
うと、私は、思いたったのだった。何週間か、かかるが、それも、また楽しいもの
だろう。そんなことを考えているうちに、私は、いつのまにか、ファーストシート
をベッド代わりに、眠りに落ちていた。




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