#945/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (FEC ) 88/ 3/29 9:44 (100)
ベルリンは交錯の雨 ひすい岳舟
★内容
クワイトフスがベルリンから逃れ出て来た頃には雨は土砂降りに近く、道は川と化し
ていた。彼が何度足を取られて転倒したことか。体のしんまで冷えきっていて思うよう
に体が動かない。呼吸さえもたえだえである。しかし、止まればいつ殺害されるか分か
らなかった。
疲労は極限に達していた。彼は目標物を決めては体をごまかしてそこまで辿り着き、
そこからまた目標物を決めて進んでいた。記憶が飛びそうになり、そのたびに現状を口
で言って思い出す。そう様相は墓場をうろつく亡霊のようである。
つい、この前まではうわっぱりを見れば大抵の者は下でにでたものだった。あれは、
夢だったのだろうか。いや、そんなことはない。私は確かに国家社会主義ドイツ労働党
党員そしてアドルフ・ヒットラー親衛隊隊員であった。私は陸軍の視察官であり、ドイ
ツ国内のほぼ全ての師団に対して調査する権限を与えられていた。私の家族は立派なゲ
ルマン民族であり、ことに私の父は貴族の流れを組んでいた。私の息子クリフは成績優
秀なヒットラー・ユーゲントだった。配給制になってからも私は食物には困らなかった
。あれは実際にあったことなのだ。
なのになんなのだ。この事態は。クリフは馬鹿な女に溺れ、死に到った。妻は既にド
イツを出国していた。そして、国家社会主義ドイツ労働党は崩壊した。つまりは下等民
族に我々が負けたということなのだ。
クワイトフスは路肩の葡萄畑に身を投げた。これ以上進み続けるのは不可能なことで
あった。彼は泥の中で体を回転させながら、奥へと体を隠れさせた。雨は葡萄の葉をは
げしく叩き、そうそうたる音を建てていた。そのためか、いくらか降り注ぐ量は減った
ようだ。彼はそんな中、ゆっくりと眠りについた。
もうろうとた意識の中で彼は温かさを感じていた。重い目蓋を明けると何やら輝ける
ものがちらちらと揺れている。なんだろう?それをしっかと見ようとしたが、目蓋がく
やしいことにも降りてきてしまう。駄目だ、俺は疲れているのだ。
少しして物音がした。右の方から足音がして、それは一時止まり、蝶番が悲鳴を上げ
たのちに再び続き、彼の前で止まった。そして、左の方に何か置いているらしく、コト
ンという音が何度もした。その人間が動くたびに、目蓋の裏が明るくなったり暗くなっ
たりしているので、クワイトフスにもそれがいるということが視覚的にも分かった。
「………お、おい………」
彼がありったけの声を出すと、音も暖炉の影も止まった。あるのはパチパチとなる薪
の音ばかり。彼は何となく、言葉を出したことを後悔し始めていた。
「………ここはどこだ………」
「私の家ですよ。」声は艶のある女のものであった。「貴方が葡萄畑で倒れていたで
お連れしたのです。」
「そ………そうか。そいつはすまなかった………」彼は目を開けずにそう言った。「…
……時に、今は何時なのだろうか?」
「11時です。家に運び込んでから5時間になります。」
「そうか………うむ。」
「まだ疲れているのでしょう、ゆっくりお眠り下さい。」
「………」
男は言われるまでもなく、寝いっていた。外の雨はあいかわらず、全てのものに対し
て容赦なく雨粒は叩きつけていた。
再び気が付いた時には薪が炭になって赤々と、しかし静かに燃えていた。彼は先程よ
りも意識がはっきりしていたので、彼がソファに厚手の毛布をかけられ寝かされている
ことをすぐに知った。部屋を見回すと、ソファの横に丸テーブル、暖炉の上に一枚のみ
すぼらしい油絵、左手に食器棚となんかの棚がひとつふたつ、そして彼の後ろには窓が
ある、極めて飾り気のないものであった。どうやら葡萄畑の主らしかった。
窓から見ると多少雨は小降りになったようだ。夜明けが近いためか、雲の薄い所が、
ところどころ白く光っていた。彼はふと、無意識にもベルリンの方へと目がいっていた
。
しばらくして、部屋から出てみることにした。いつまでもは寝ていられまい。
クワイトフスは畳んであった軍服のうわっぱりをはしょり、スリッパをつっかけて廊
下に出た。廊下は鍵状に曲り、そのまま玄関になっていた。廊下には幾つか部屋があり
、彼がいたのが一番奥の部屋ということらしい。玄関に向かうと、ちょっとした階段が
上に向かってあった。2蓋というほどでもないのだろうが、屋根裏にも部屋があるらし
い。クワイトフスは一寸見上げた後、そのまま玄関に立った。
玄関のドアには新聞がはさみ込まれていた。彼はそれを抜き取った。見ようとしたが
どうも目がなれないためか、それとも室内が暗いためかまったく読めない。仕方がない
ので、ドアを開けた。ザァーという騒音とともにヒャーとした冷気が流れ込む。暖炉の
前で馴らしてしまった体はブルブルブルッと震え上がった。しかし、それよりも震え上
がる事実があった。新聞の見出しには、かくあった。
「敗戦
我国は、アドルフ・ヒトラーに魔やかしによってヨーロッパ近隣諸国及びアメリカ
諸国に多大なる損害と迷惑をかけてしまった。しかし、それは昨日終結した。連合国の
統治下に置かれることになったのである。この終結の最終的きっかけはアメリカ軍の“
超爆弾”投下宣言であった。この超爆弾は同国の先端技術の粋を集めたもので、一発の
爆弾で一つの都市を破壊することが出来るおそるべきものである。(すでにドイツ国内
に投下されたという未確認情報がある。)
アドルフ・ヒトラーの行方は不明である。ナチス崩壊後、自決を計ったとも………」
「あら、おきていたの。」
彼は背後からの救いの主の挨拶にびっくりした。そして、現実に戻ったことを認識し
た彼はどのように対処したら良いか、迷った。きっと、助けたということはこの事をし
らないのかもしれない。いや、そうだ。SSの階級章を付けている者を、敗戦を知って
いるならば助けるものか。と、いうことはこれはまったく最悪の事態ということに……
とっさに彼は新聞紙の持っている指から力を抜いた。そして僅かに、外にほうりだす
ように弾いた。新聞はばらけ、そのまま水溜まりに落下した。みるみるうちに泥水色に
なってゆく。そしてパラパラパラという雨が当たる音。第2面のハーケンクロイツにバ
ッテンをペンキ屋が付けるという風刺絵が最後に泥水に埋まったとき、彼はしゃがみ込
み、泥水の中に手を突っ込んだ。そして新聞を拾うかのようにして、引き裂いていた。
泥は跳ね上がり、スリッパに雨は染み込んでいった。彼はある程度バラバラにすると、
残っているあの記事はないか捜し、それを破った。それは、昔、名前を忘れた友人とや
った砂遊びのようだった。
「どうしたの!!」彼女は彼が狂ったかに思えたのだろう、かけよって彼を引き上げ
ようと方に手をかけた。
「貴方の声にびっくりして落としてしまったのです」クワイトフスは震えた声を発し
た。「………まだ手があやふやだ………取ろうとしたのにこんなにしてしまった……」
彼はそういって地面をバシンと叩いた。泥すが跳ね上がり、彼女のガウンを汚した。
彼女はなだめの声をかけながら芝居をうつクワイトフスを玄関に取り合えず入れた。
「本当にすいません………新聞代を払いますので………」
「まだ本調子じゃないのでしょう、仕方がないことですわ。さあ、入って下さい。」
「あ、すいません、トイレは何処でしょうか?……冷えたようです。」
「あそこです。」といって女は廊下の一つのドアを指した。
クワイトフスは礼をしてすごすごと入った。女が外から「さっきの部屋に来て下さい
ね。」と行って去ったのを確認した後に彼は軍服のうわっぱりを脱いだ。そして階級章
を引き千切った。服は無惨にも裂けてしまったが仕方がない。彼は千切った階級章を便
器にほうり込んだ。これで取り合えず良いだろう。
彼は服を再び着、部屋に向かった。
.