AWC プラチナの足枷              蓮見 琳人


        
#122/569 ●短編
★タイトル (hri     )  03/11/05  02:40  (130)
プラチナの足枷              蓮見 琳人
★内容
『朝』

 ‘ビューティフル・サンデー’を口ずさみたくなるような、爽やかに晴れ上がった日
曜。
 季節は、心地良く涼しい風が、部屋へ吹き込み始めた初秋。
 気分爽快に目覚められそうな、このシュチュエーションの中、僕は一人、ベッドの上
で苦悩していた。
 僕にとって一つの足枷である、この大切な一時を捨てるべきか、否か。
 ボーッと窓の外を眺めながら、タバコを吹かしていた僕は、近所を走り抜けた救急車
の音で我に返った。
 指元を焦がしそうな程、短くなったタバコに気付き、慌てて灰皿に押し付ける。
 隣で寝息を立てている、彼女の寝顔をそっと見つめると、一つ溜め息が漏れた。
「もう少し、このままで居よう。」
 僕が、心に決めたのと同時に、彼女が気だるい声を上げながら、目を覚ました。
「おはよう。ヒロ。」
 一度大きく伸びをすると、直ぐさま顔を顰め、米神の辺りを押さえる。
 昨夜、ベロンベロンに泥酔した状態で帰宅したのだから、当然の反応だろう。
 僕は、キッチンへと向かい、グラスにミネラルウォーターを注ぐと、ベッドの上の彼
女に差し出した。
「アズ、昨夜は、ご機嫌だったね。」
 多少の皮肉を込めて言ったつもりだったが、今の彼女には、理解不能だろう。
「あぁ。ちょっとね。」
 彼女は、昨夜の失態を恥じる事無く、僕が差し出したグラスを受け取ると、一気に飲
み干した。
 ここまでは、いつもと同じパターン。
 とことん酔って帰宅した割に、反省の色が無い彼女に嫌気が差し、別れを考え始め
る。
 元来、我儘な性格の彼女のことだ。
 僕が振り回されるのは、何も酒に限ったことでは無い。
 しかし、お決まりのパターンは、ここまでだった。
 彼女は、空になったグラスを僕に手渡すと、スルリとベッドから抜け出し、バスルー
ムへ向かった。
 バスルームのドアノブに手を掛けると、彼女は、そのままの姿勢で突拍子も無いこと
を口にした。
「ねぇ、ヒロ。結婚しようか?」
 僕は、自分の耳を疑わずには、居られなかった。
 彼女は、愕然として立ち尽くす僕に、悪戯っ子のような笑顔を一度向けると、そのま
まバスルームへと消えていった。
「ケッコン?」
 僕の頭の中は、その単語で埋め尽くされた。
「僕が?アズと?結婚?」
 グラスを握り締めたまま、ベッドの前に立ち尽くしていた僕は、バスルームの扉が再
び開かれた音で我に返った。
 彼女のシャワータイムが終わったということは、かれこれ二十分余りも立ち尽くして
いたことになる。
 彼女は、僕が先刻と同じ状態でフリーズしている姿を見ると
「まだそうしていたの?大丈夫?」
と、僕の目の前で仁王立ちになり、身体に巻かれていたタオルを開いて見せた。
「おい!何だよ、急に!」
 カーテンが開け放たれ、外から丸見えのこの部屋で裸になるとは、覗いて下さいと言
っているようなものだ。
 慌てて止めに入った僕に、彼女は
「あ。何だ、大丈夫だね。」
と、屈託の無い笑顔を見せ、タオルを巻き直す。
 彼女は、静かに僕の横を擦り抜けると、ベッドの脇に置かれていた自分のバッグか
ら、タバコとライターを取り出した。
 毎日、シャワーを浴びた後、のんびりと味わうようにタバコを吹かすのも、彼女の日
課だった。
 しかし、何故か今日は、取り出したタバコとライターを、僕に差し出した。
「え?」
 訳も解らぬまま、空いている左手で受け取ると、 
「もう直ぐ三ヶ月だって。」
と、彼女が囁くような小さな声で言った。
「何が?」
 僕は、とにかくグラスだけでも片付けようと、キッチンへ向いながら問い掛けた。
 彼女は、クローゼットから服を取り出しながら
「赤ちゃん。」
と、答えると、開け放たれていたカーテンを閉め始めた。
「ふ〜ん。何処の赤ちゃん?」
 グラスを流しに置いて、ベッドの前に戻って来た僕の言葉に、彼女は少し考えるよう
に 天井を見つめると、僕に視線を移し
「此処の。」
と、答えた。
「へぇ〜。赤ん坊なんて居たっけ?何号室?」
 彼女は、僕の言葉に、些か呆れながら苦笑を浮かべると
「○号室。」
と、僕等の部屋の号数を言った。
「ぁえ?」
 ベッドに腰を下ろしていた僕は、ずり落ちそうになりながら、言葉にならない声を上
げた。
「だから‘結婚しようか?’って聞いたんだけど、嫌なら別に良いよ。」
と、あっさりと言い切る彼女に、僕は
「‘別に良いよ’って、嫌だって言ったらどうするつもりだよ?」
と、問い掛ける。
 彼女は、再び天井を見つめると
「籍を入れなくたって一緒には暮らせるでしょう?子供は、私の籍に入れれば良い訳だ
し。」
と、これまたあっさりと答えた。
「あのなぁ……。」
 僕は、呆れてしまって続きの言葉も出せなかった。
 そんな僕に引き換え、彼女は、スッキリとした面持ちで着替え始めた。

―― 十五分後 ――

 身支度を整えた彼女は
「じゃあ、考えておいてね♪」
と、弾むような足取りで玄関へと向う。
 出勤前は、いつもこうだ。
 二日酔いだろうが、何だろうが、ご機嫌で足取りも軽い。
 十五分前と同じく、ベッドに座り込んでいた僕は、慌てて彼女を追い駆けると、今、
正に開け放たれ、閉まり掛けていたドアを擦り抜け
「ぼ、僕をパパにして下さい!」
と、玄関先で叫んだ。
 彼女は、僕の咄嗟の台詞に、暫しゲラゲラと笑い転げた後、満面の笑みで
「じゃあね、パパ。行って来まーす。」
と、手を振った。
 笑顔で手を振り返した僕は、隣近所数件のドアから、ご近所さん達の顔が覗いている
ことに、やっと気付いた。
 赤面しながら、そそくさと自分の部屋へ逃げ込もうとする僕に、誰かが
「パパ、がんばってね〜。」
と、言う声が届いた。
 勿論、その声に返事を返す勇気など、今の僕には残されていない。

 こうして、いつもと少し違う朝を迎えた売れっ子脚本家の‘水上 アズサ’は、今秋
から始まる連ドラの打ち合わせに向かった。
そして、平凡なサラリーマンの僕、‘岬 博次’は、ご近所の有名人となった。
 彼女に振り回されることは、時に僕の重い足枷となるが、‘売れっ子脚本家’のあど
けない寝顔を拝めるのは、今のところ僕一人だ。
 その事実に、僕は彼女を大切な光り輝く『プラチナの足枷』だと考える。
勢いで別れを切り出さなくて正解だった。
 僕は、部屋へ戻り、再びベッドに腰を下ろすと、左手に握り締めていたタバコとライ
ターを見つめて呟いた。
「パパ、かぁ。」
 もう一つ増えた小さな足枷と共に、僕の『プラチナの足枷』は、今日も光り輝いてい
た。










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