AWC お題>うどん    舞火


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#86/569 ●短編
★タイトル (kyy     )  03/05/09  20:47  ( 89)
お題>うどん    舞火
★内容                                         03/05/11 16:50 修正 第3版
〜藤の花咲く郷の風景〜

 明るい緑の中に、紫、白、赤紫、ピンク、そして大好きな藤色が、空間を彩ってい
た。
 けぶるほどに辺りを染めて咲き誇る藤を愛でようと、この時期多くの人がここを訪れ
る。
 人のみならずクマンバチまで引き寄せてしまうきつい藤の香りを少し苦手に思ってい
たけれど、今日はそれも気にならないほどになんだか心地よい。見事な満開の花々とそ
の芳香に、もとより幸せに包まれていたわたしはすっかり酔ってしまったのだろう。そ
れくらいに心が浮き足立っていた。
 いつまでも眺めていたいと思ったけれど、そぞろ歩くことも疲れてきて、わたしはそ
っと藤の花ののれんをくぐった。地面すれすれまで伸びた花に触れて、なおいっそうの
芳香に包まれる。
 それでも数歩進めばあっという間に残り香も消え失せて、残念に思いながら振り返っ
て花を眺めた。
 後少しで先まで咲ききってしまう藤の花の見頃はもう少し。
 そうなれば、次にこの風景が拝めるのは一年後。そう思うとひどく感傷的になってし
まう。
 だけどちょうどその時、風向きが変わっておいしい匂いに包まれた。
 それが売店のうどんの匂いだと気付いた途端に、現金なお腹が欲しがって、わたしは
羞恥に顔を熱くした。

 藤の開花時期に合わせて開かれる祭りの期間、その売店は営業する。
 うどんと寿司と飲み物と。
 訪れた観光客向けのその品々は、”花よりだんご”の言葉の通り飛ぶように売れてい
た。
 馴染みの店員からうどんとはしを受け取って、もっとも見事な藤棚が眺められるテー
ブルにつく。
 綺麗な景色においしいうどん。
 こんなことで充分幸せだと思えるのだから、わたしも結構手軽な人間なのかも知れな
い。それこそ入園料プラスうどん代が苦にならないのだから。
 ついでにこれでいい男でも傍らにいれば最高だとは思うけど。哀しいかな、平日のこ
の時間にいい男などいる訳もない。
 それでもうどんをすすりながら、そっと辺りを見渡した。
 ちょうど昼時のせいか売店前のテーブルは満席で、あちらこちらに芝生に敷布を広げ
ている姿も目立つ。やはり圧倒的に女性が多い。
 それでなくても少ない男達でわたしのおめがねにかないそうなのは、藤のアーチの向
こうで熱心に写真を撮っている男性くらいだろうか。
 そういえば、どことなく若い頃のおとうさんにも似ていると、懐かしさが込みあげ
る。できたばかりのこの公園に連れてきて貰ったときはさっそうとして、藤に手を伸ば
して微笑む姿はひいき目でなく格好良いと思ったのに。
 今では”とど”のあだ名があんなにも似合う人は他にはいないだろう。
 哀しい思いにとらわれて思わず漏らしたため息に、うどんの湯気が流された。ついで
に懐かしさしかない思い出も振り払う。
 そんな思い出に浸るためにここに来たのではないのだから。
 と、どこからか黒電話のベルの音が聞こえた。
 あら、懐かしい、と郷愁を覚えるその音色に思わず耳を傾け──って。
「あらっ」
 慌てて手提げをかき回す。取り出した携帯のディスプレイを確認すると急いで通話ボ
タンを押した。
「……もしもし」
『もう、母さんっ、どこに行ってんのよっ!』
 耳に響く高い娘の声に堪らずに携帯を遠ざけた。
「うるさいわねえ。今、おうどんいただいてるのに」
『またあ?ってそれはどうでもいいんだけどっ。今日は前撮りの写真を一緒に確認しに
行くって言ったじゃない。忘れたのっ?』
 言われて、思わず藤棚を見つめた。
 柔らかな藤色のドレープが動くたびに新しい模様をつくって、それがどんなに似合っ
ていたことか。感動に胸を締め付けられて、込みあげる熱い涙を我慢するのにどんなに
苦労したことだろう。
『早くしないと彼が来てしまうわ』
「忘れてたのよ……あらやだ鼻が出ちゃって……」
 うかんだ思いを気取られないように、微かに笑って返した。
『もう、うどんなんか食べるからよっ!』
「すぐ戻るわよ。まだあちらは誰も来られていないんでしょう?」
 本当は、忘れてなんかない。忘れるわけないではないか、娘の大事な慶び事にまつわ
ることを。だけど、それでもここに来たかった。大好きな藤色の花を見ながら、幸せに
浸りたかったから……。
『そりゃそうだけど』
「おとうさんは?何しているの?」
『……似たもの夫婦って母さん達のことをいうのよね……』
 脳裏に浮かぶのは、のんべんだらりと昼寝をしている姿だ。それに小さく笑う。
「まあ、間に合うわよ。まだ1時間はあるじゃない。だから食べたら帰るわね」
『かあさ〜んっ!!』
 娘の絶叫をしりめにさっさと携帯を切った。
 目の前のうどんはまだ半分以上はあって、急いで食べるには熱すぎる。
 それでも娘を困らせるのは本意でなかった。
 わたしの好きな藤色をわざわざドレスの色に選んだ娘は、本当はとっても優しい娘な
のだ。そんな娘の幸せにケチなんかつけたくない。
 だから、急いで食べてしまうしかないだろう。

 でも……やっぱりうどんは熱くって。


 藤色のドレスに身を包んだ幸せそうな娘の写真を見たときにわたしが静かだったの
は、感動していたせいだと皆思ってくれたようだけど。
 実はやけどの痛みに喋りたくなかったのだとは、一生娘には言えやしないだろう。
  
[了]





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