#44/569 ●短編
★タイトル (hir ) 02/12/10 21:15 ( 67)
お題>書き出し限定/拘束 闇川出雲
★内容
ここには天井がなかった。あるはずのものが、あるべき場所にないのは、なんだか気
持ちが悪い。昨宵の大風で、飛んでいってしまったのだ。さいわい此の地方は雨が降ら
ず、北の国で育った私には年じゅう暑いほどの気候であるため差し支えはないが、余り
に開放的になり過ぎているし、机の上に散らかした資料が、風が吹くたびに暴れ騒ぐこ
とには、閉口した。文鎮にするための石を拾いに、森へ出掛けた。
真白い紙ばかり見詰めていた目に、森の深い緑が沁みる。鬱蒼と繁った木々の合間か
ら、遙かに五千メートル級の山が見える。あの山が雨雲を遮っている。高みに降った雪
が地下水となって潜み、泉に湧き出て大地を潤している。目の端に黒い影が過ぎる。見
上げると、繁った葉の揺れが、擦れ合う音と共に遠くへと移動していく。姿は見えない
が、猿か何かだろう。気にも留めず、森の奥へと足を運ぶ。
急に明るく開け、泉に出る。手頃な石を三つばかり拾い、泉の水で軽く洗う。白い
石、緑の石、黒い石。小屋へと引き返す。窓辺に石を並べて乾かす。濡れていたときに
は色濃く輝いていた石が、白っぽく乾いていく。死ぬとは、乾き輝きを失うことなのか
もしれない。ならば私は、もう死んでいるようなものだ。私は愛したものを失い、ちょ
うど此の地に森林観察員の職を見つけ、故郷を去った。閉ざした心は渇き、嘗て抱いた
愛なぞという感情の手触りすら、記憶から消えている。
「なぜアタシを置いて行ったの」「待てよ、君が私のもとを去って彼と……」「いい
え、彼とはほんの遊びだったのよ」「……」「あなたは私のもの。私は、あなたのもの
じゃない。私が彼と付き合ったからって、あなたが私を置いて行く理由にはならない
わ」「……それは、勝手なんじゃないか」「ええ、そうかもしれない。でも、あなたも
私が勝手なことは、解ってたでしょ」「きっと疲れたんだよ。そんな君に」「あなたは
アタシのもの。逃がさないわ」
真っ赤な唇を舐め回す彼女に戦慄し、身を起こす。目の端に黒い影が走る。見上げる
と、何もない。天井だった場所に星空が広がっている。夢だったらしい。彼女の引き締
まった肢体は、いつもバックから姦することを求め、私に背を向け四つん這いになっ
た。そんな彼女の性に溺れ狂おしく貪っていた日々を思い出しても、乾いた心は、何の
感興も催さない。いや却って、其の獣的な態度に、今更ながら恐怖すら覚える。
恐怖のためだろうか、一週間ばかり続けて同じ夢を見た。いつも同じ箇所で目が覚め
る。いつも、初めの夜と、すべてが同じなのだ。警戒心からだろう、夢を見ながら、其
れを夢だと感じる意識も併存している。熟睡できていないようだ。熱さと睡眠不足で、
疲労が溜まってきた。辺りが暗くなる。微睡みに沈む。同じ夢だ。夢だと感じる意識は
ある。でも、起きられない。今夜は、夢が終わらない。彼女は舌舐めずりすると、私の
股間に顔を埋め、舌を遣い始める。下卑た音を立て吸い込み、根本を握ったまま頭を前
後する。
彼女は目を上げて見下したような笑みを浮かべ、唇を離した。背を向けて四つん這い
になり、尻を高く掲げる。見事な曲線を、艶やかに張りつめた膚が覆っている。私は腰
を掴み、貫く。彼女は低く唸り、身を固める。昇り詰めた瞬間のホワイトアウト、そし
て空虚。私は身を横たえる。彼女は満足したような表情で、四つん這いのまま私の首筋
に唇を寄せる。ふと顔を上げ、私を覗き込んで、ニヤリと笑う。私は頷き、目を閉じ
る。
夜毎、壁の上から覗き込んでいたのは、雌豹となった彼女だったのだろう。私を独占
するため、私を喰らい体内に取り込む積もりだ。既に彼女を愛してはいなかったが、抜
け殻となった私には、死ぬことを拒む理由はない。こういう時には恐怖を感じるものだ
ろうと思っていたが、別段、何の感情も湧かない。理由もなく、窓辺に乾かした石のこ
とを思い出す。彼女が大きく口を開ける気配がする。
轟音と共に、生暖かいものが降り注ぐ。「何やってるの。喰い殺されるところだった
わよ」。彼女の声だ。不審に思って身を起こすと、猟銃を手にした彼女が、扉を開けて
立っている。私の横には、頭部を撃ち抜かれた雌豹が倒れている。「どうしたんだ、い
ったい」私が身を起こすと、彼女は捲し立てる。私の行方を捜したこと、此処へ来る途
中に車の故障で到着が遅くなったこと。猛獣を撃ち倒したことで、興奮してしまってい
るらしい。身を寄せると私のシャツを乱暴にたくし上げ、押し倒してくる。
私を搾り取った彼女は覆い被さり、頭を抱いて口づけてくる。「あなたはアタシのも
の。アタシだけのもの。逃がさないわ」。低い笑みを含んだ声は、決して逆らうことを
許さない。
いっそ、私を、殺してくれ。
(了)by Q-saku