#9/569 ●短編
★タイトル (paz ) 02/02/01 04:14 (124)
『人間的なアナタへ』 …… パパ
★内容
「頭にきた!」
独り言なのは百も承知している。言いたくないのに口をつく。
小春日和なのに、私の心から暖かいものが消え失せていった。楓並木の身の
隙間から人影が移ろっても、あの人は来なかった。腕時計に目をやるたびに、
唇を噛まずにいられない。何度も握りしめた携帯は、今オフにした。足下にた
まった吸い殻を踏みつけると、もう一度「頭にきた!」と叫びたくなった。
振られたみたいで格好悪い、とささやく声に耳をかし、言葉を飲み込んだ。
踵を返しても、振り返り探さずにはいられない。
「貴之の馬鹿野郎。電話くらいくれてもいいじゃない……」
自分自身がyesと答えている。
「私の誕生日って、特別な日じゃない……どうして2時間も連絡よこさないの」
考えるほどに怒りがこみ上げてくる。
「恋人って特別な人じゃない。違うの?」
怒りがため息に、やがて哀しみに変化を遂げた。
――貴之はいつもそうだった。時間にルーズで、約束も満足に守れない男だ
った。それでも、今日だけは約束を守ってくれると、そう信じていた。――
薄手のコートを翻し、淋しさを紛らわせようと、同類を捜し求めた。
周囲を見渡してから、公園のベンチに座っている男性に焦点を定めた。彼は
2時間前も同じ場所に腰掛け、通りを歩く人を眺めていた。
まちぼうけ。彼も私と同じに決まっている。浮気してやる、ざまあみろ、だ!
私は彼の前に立ち止まり、「こんばんわ」といった。彼は一瞥すると、視線
が私を通り過ぎ背後に向けられた。こめかみに引きつったものを感じる。
気を取り直して彼の横に座り、もう一度挨拶を繰り返した。
彼はそれを無視して、遠い視線を演出していた。
私にも意地がある。
彼の鼻前に、自分の顔を差し出し、「捜している人、来ないんでしょう?」
と、尋ねた。
彼の視点が私に向けられ、初めて恥ずかしくなった。彼の瞳は赤ん坊と同じ
く無垢だったのだ。大人が汚れのない瞳を持つなど、想像もしてなかった。
「その通りだよ」
彼は私を見つめたまま返答した。
「綺麗な人ですか?」
間が抜けた質問だったと思う。彼は首を振り、
「人間をさがしているんだ」と、いった。
私はベンチから通りを歩く人を眺めた。林立したビル群に電飾看板の明かり
が点り、その中を人の群れが右に左に行き交っている。
「?」
「機械ではない人間をさがしているんだ。でも見つからない」
私はどういった態度をとればいいのか、迷っていた。このまま立ち去るのが
一番良い気もする。反面、もう少し話をしたい気もする。一つだけ質問して、
さよならしようと心に決めた。
「私は人間でしょう?」
当然縦に振られると思った動作が、横に振られてしまった。
「君も機械だよ。相手が時間に遅れたら、必ず怒る。怒りたくなくても必ずそ
うする。機械だから機械的に繰り返すことしかできない」
きっと彼は、私が2時間も同じ場所にいたことを知っていたに違いない。
「では街ゆく人たちは、どうして全員機械なの?」
彼は目を細めながら、
「みな同じさ。頭はテレビ、胸にはDVD-ROM。腹部は書き込まれたディスクが
保管されている」
想像して、小さく笑ってしまった。
「アナタには、そう見えるのね」
私が問いかけると、彼は沈黙してしまった。
「私にはアナタが眼が二つ、鼻が一つに口が一つ。厚手のパンツにGジャンを
羽織ったちょっと見た目の良い男性に見えるわ」
彼が何も答えないので、
「アナタが自分を鏡で見たら、どう映るのかしら?」と話を継いだ。
「僕は自分が何をしているか知っている。でも、君はすでに忘れている」
意外な展開だが、それが面白かった。
「私が何を忘れているって言うのかしら?」
「浮気相手を見つけて、憂さ晴らしに飲みに誘う、ということを忘れているだ
ろう。君の見えざる左手にはディスクが握られている。刻まれたラベルにはそ
う書かれている。君の胸に現在、ディスクは挿入されていない」
確かに忘れていた。彼との会話に興味を持ち、内容に好奇心が移ったからだ。
「でも……」なんと言えばいいのか分からなかった。
「君の見えざる右手はディスクを後生大事に抱えてる。ラベルには『遅れたら、
怒る』と書かれている。すぐにでも挿入できるように準備されているんだ」
「……」
「彼にあった時、そのディスクは挿入される。ROMには過去にあった時間に遅
れられた思い出や、そのときに感じた感情が全て刷り込まれているんだ。それ
が読み込まれたとたん、君は機械的に怒り出す」
「機械だから?」
「そう機械だから、機械的に物事を行うんだ。そのとき、自分が何をしている
のか人間なら分かる。間違っても、怒りたくないのに怒る、なんてことは口に
しないし、言いたくないのに語ったりはしない。自分が何をしているのか分か
るなら、自分のことは自分でコントロールできるからね」
「人間だから?」
そうだ。彼は短く答えた。
目を伏せ、もしかすると僕は狂っているのかもしれない、といった。
私はベンチに座したまま、肘を膝につけ、考え込んでしまった。比喩として
は面白い話ではある。でも現実的にそれが見えているとなると話は別だ。それ
でも異常とは言い切れないものを彼から感じていた。狂人は自分を正常だと言
い張る。でも彼は違った。
「DVDに刷り込まれた感情がテレビ画面に映し出されるということになるのか
な?」
私が彼の耳元に声を届けたとき、通りから貴之が息せき切って走ってくるの
が目にとまった。私は駆け寄った。
激情が私を包み込む。無数の刃が躯から飛び出ようとしていた。
「ディスク……」私は胸のスロットにディスクを入れた姿を想像していた。
「えっ、何?」
膝を曲げ、息を荒くした貴之は苦しそうだった。
今、私は、怒ろうとしている。怒りに身を任せようとしている。ディスクが
挿入されたからなのだろうか? 理由も問いたださずに、怒って、それでいい
のだろうか……。
「ごめん、電話いれようと思ったけど、どうしても君の顔を見て喋りたくてさ」
「どうして?」そう尋ねるのが精一杯だった。
「誕生日だし。それにこれを受け取って欲しかったし」
私は彼がポケットから差し出したケースを見て、中身が指輪だと悟った。
「一生そばにいてくれれば嬉しいなあ、なんて。そばにいるだけで、いいんだ
けど」彼の言葉は流暢ではなく途切れ途切れだった。なんて不器用なんだろう。
一報をいれれば、私も怒ったりすることなくいられたのに。でも、私は不器用
なまでに誠実なところが好きだったのだ。
「私ね。怒りたいの。でも、嬉しいの。怒りたいのに泣きたくて、一体どうし
てくれるの?」
私が涙をうっすらと浮かべただけで、彼はしどろもどろになった。
貴之、アリガトウ、と答えると、彼は頭を掻いて耳を赤く染めてしまった。
私は無邪気に彼の胸に飛び込んだ。視線を感じて振り返ると、先ほどの男性
が笑みを浮かべて立ち上がろうとしていた。ゆっくりと手を挙げ、軽く振ると
そのまま去っていった。
あれ以来、名も知らぬ男性に会うことはなかった。
貴之と結ばれ、子供を授かった今も時折思い出さずにはいられない。
「ママ!」叫んだ息子は三歳になった。テーブルにはジュースがこぼれ、コッ
プが倒れていた。
私は想像する。今、私は『粗相をしたら叱る』というディスクを挿入した。
だけど『怒りにまかせて叱る』ことはしない。躾は虐待の別名ではない。私は
自分が何をしようとしているのか知っている。息子を抱きしめ、言って聞かせ
る。うん、わかった。そういって子供は飛んでいく。そしてまた、なにか問題
を起こす。それでいいのだ。
叶わぬとしりながらも、もし彼に質問できるなら、もう一度発したい。
「私は人間でしょう?」
彼はなんと答えるのだろうか?
−−了−−