#455/598 ●長編 *** コメント #454 ***
★タイトル (AZA ) 13/12/30 23:02 (340)
お題>旅行(下) 永山
★内容 14/03/24 19:46 修正 第2版
昼食もこれまでの二回の食事と同様、ダイニングで摂る。
当然、第三の事件もこの昼食の間に、何らかの動きがあるのではと心の準備
をしていたのだが、見事に透かされたようだった。警察発表がいくつかあった
だけで、平穏無事に終了した。
ただ、最後に司会の大沢が、「三時まで自由行動可としますが、外出は控え
てください」と言ったのが、意味ありげである。ちなみに、三時からは近所に
ある有名なレストランで、お茶の時間を取っているという。そこでまた何か事
件が起きるのか、情報発表の追加があるに違いない。
とにもかくにも、ゲーム参加者としてルールには従わねば。私の部屋で桑藤
と二人、またまた検討会を開く。
「さっきの昼食時間では、たいした材料は与えられなかった気がする」
桑藤はそう言いながら、持ち歩いている大学ノートを見開きにし、書き付け
始めた。
・二階堂夏子の死因は、刺殺による失血死に確定。薬物の類は検出されず。
・夏子の死亡推定時刻は、午前三時から五時の間。
・この時間帯に、関係者の中でアリバイを有する者は皆無。
・刑事達捜査関係者は犯人ではない。
この程度だった訳だが……。
「夏子に対し殺害動機を持つのは誰か、考えてみよう」
「いいね」
私の呼び掛けに応じ、桑藤は続けて答えながら筆記を続けた。
「まず、金のことで揉めていたという秘書の五代。次に、不動産業の一ノ瀬は、
投資話をご破算にされて恨んでいた」
「その程度のことを取り上げるのなら、同じ二階堂家の人間も外す訳に行くま
い。財産が絡んでいるのだから」
「そうか……何だ、関係者全員じゃないか」
「うむ。金が絡めば、だいたいはそうなる。三鷹も含めていいだろう。父親の
春彦だって、娘の収集癖を疎んでいたと捉えれば、排除を考えておかしくはな
い」
「しかし、そんな理由で親が子を殺すかねえ?」
「フィクションの世界なのだから、その辺りは気にすべきではないんじゃない
か?」
「かもしれないが」
我が相棒の桑藤は、小説で食っている割に、リアリティにこだわりすぎる嫌
いがある。もう少し自由な発想で書けば、今よりもずっと売れるだろうに。
と、そのとき身体に多少の揺れを感じた。そういえばこの旅行に出る前から、
小さな地震が各地で頻発していたなと思い出した。落ち着かない。
「現実世界の情報も仕入れておくとしよう」
リモコンを操作し、テレビを付けた。偶然にも、ちょうど画面の上の方にテ
ロップが入っていた。速報は最大で震度4の地震が起きたと伝えている。
「ここからはだいぶ離れているな」
言いながら、ニュースをやっているところを探す。見たことのないコマーシ
ャルが次々と移り、結局、地上波ではニュースをやっていなかった。衛星放送
に切り替え、ようやく見付けた。当然のごとく、今し方の地震を報じている。
速報レベルなので時間は短く、次に大きな交通事故を伝え出した。幸い死者は
出ていないようだが、二桁の車が巻き込まれている。
「雪でスリップか。気を付けないとな」
当たり前の感想を口にする桑藤。昨晩、アルコールでダウンしていた分を取
り戻したいのか、イベントの謎解きに気持ちが傾いているようだ。
私はニュースに集中した。最後まで見終わり、名探偵が乗り出すべきタイプ
の事件は報じられていないと判断した。
「犯人は単独犯なんだから、四谷と夏子を殺したのは同一人物。被害者双方に
殺害動機があるのは……やはり全員か」
「動機で絞り込めないのは、謎解きでは当たり前じゃないのかね。動機の有無
だけで容疑から外すのは、あまりロジカルではない」
「その通り。一見、動機がなさそうな者が犯人だった、というパターンも結構
多いし」
「だったら、この謎解きイベントは、動機のなさそうな者がいない分、楽とも
言える」
私の冗談に、桑藤も笑みを浮かべた。
しかし、解決の糸口はまだ見えていないようだ。
ここで正直な心情を明かす。
実は、おおよその見当は、とうに付いていた。当初はモニターとしてきちん
と役目を果たそう、名探偵として恥ずかしくない結果を出そうと意識して、身
構えて臨んでいた。だが、始まってしばらくする内に、所詮はクイズだと思い
直すと、意外と簡単に正解らしきものが見えてきたのだ。
無論、私の推理が正解だとは限らないが、相棒や他の参加者の様子を観察し
たくて、分かっていないふりをすると決めた。手記の方も、桑藤が覗き込む可
能性があるため、同じく分からないふりの記述に徹した。
だが、そろそろ、私の本当の推理を明かす頃合いだろう。具体的な筋の通っ
た仮説一つ出さずに、開始から二十四時間を迎えるのは、私のプライドが許さ
ない。参加者の中にも、「分かったかも」的な発言をしている人が、ちらほら
出てきているようだが、彼らに後れを取ることも我慢ならない。
一方で、現段階での推理披露は、この手記を読む人の楽しみを奪うものかも
しれない。
そこで、私は相棒に推理を伝えたという事実のみを記す。詳しい内容は、第
三の事件のあとにでも綴るとしよう。
「――なるほど。筋は通っている」
「ロジックとしては実に頼りなく、いかにもイベント的、ゲーム的ではあるが
ね」
口では謙遜気味に言いつつ、桑藤が感心してくれたのを見て、内心少なから
ずほっとした。推理作家の桑藤が頷くということは、謎解き推理の常道から外
れていない証だ。現実の事件とは勝手が違い、手応えが分からない。
「動機の点で、やや瑕疵があると思うけれど、それはこういうイベントでは大
目に見るべきなのかな」
相棒のこうした疑問は、お茶の時間に解消されることになる。
レストランでは、新たな事件こそ起きなかったが、二名の刑事から、今まで
に判明したこととして、様々な発表がなされた。
・四谷は二階堂家の関係者の誰かから、内情を提供されていた節がある。
・夏子の遺体を調べたところ、利き手である右手の人差し指に血が付着してお
り、血文字は彼女の意思で残したものにほぼ間違いない。ただ、血の痕跡から、
通常とは異なる筆運び(指運び)をした可能性が高い。
・四谷の毒はカプセルで与えられた物ではない。
・春彦は子宝に恵まれなかった。夏子と秋雄は養子である。
・一ノ瀬は夏子に見返りを渡すことを約束して、再び投資話をまとめようとし
ていた。
・三鷹は春彦に頼まれ、夏子や秋雄夫婦の動向を探っていた。
・主治医の町野は第二の事件において、急患を診ていたというアリバイが成立。
この中で参加者達から特に注目されたのは、三鷹が夏子や秋雄らを見張って
いたというくだりだった。刑事の補足説明によると、春彦が、自分のいない場
で子供達がどんな言動をしているのか、知りたがったとのことである。
次いで注目度が高かったのは、夏子の血文字の件だ。通常とは異なる筆運び
とは具体的にどうなのか、参加者から質問が飛んだが、これには答えられない
という返事。代わりに、想像力を逞しくせよ、とのヒント?があった。
最後は、「徹夜してでも推理したい方は、今の内に睡眠を取ることをお勧め
します。事件はまだ残っていますし、解決のために必要な情報も出揃っていな
いのですから」とのアドバイスで、お茶会はお開きになった。
四時二十分に宿へ戻った。参加者が次に集まる時刻は、例によって夕食時だ。
それまで外出はできない。どうやって過ごすかを思案した結果、桑藤はアドバ
イスに従い、一眠りすると決めた。私はラウンジに出向くことにした。他の参
加者と話がしてみたくなった。
初めて足を踏み入れたラウンジは、個室以上に豪華に映った。夜間はバーが
開くというカウンターや、高価な器を飾ったケースは重厚な木目調。天井も同
様に見えたが、実は絵で、プラネタリウムを投影できる仕組みになっているそ
うだ。広々とした空間に配されたテーブルは広く、椅子もゆったりと腰掛けら
れた。無論、座り心地も言うことなし。奥にはピアノが置いてあり、誰でも触
っていいようだ。尤も、実際に弾こうなんて人はなかなかいまい。
窓際の席を確保し、さてどなたに声を掛けてみるかなと、ラウンジを見渡す。
と、先手を打たれた。
「ちょっと失礼をします。もしやあなたは」
背後、上からの声に振り向くと、柔和な顔の中年夫婦が、前後に列ぶ風に立
っていた。夫婦と断定したのは、名所巡りの折に、彼らの会話を小耳に挟んだ
からである。
「探偵のN**さんではありませんか」
男性の方が聞いてきた。
私は一応頷いてから、「ここでは堀詰を名乗っていますので」と注意気味に
答えた。
「ああ、そうでした。申し訳ない。私は上田善行(かみたぜんこう)と言いま
して、地方の大学で教壇に立っております。こちらは妻の」
「美智子(みちこ)です。初めまして」
見事な連携で自己紹介をする上田夫婦。この奥さんの方には見覚えがあった。
記憶の戸棚を開け、思い出す。
「料理研究家をなさっている? テレビで幾度か拝見しましたよ」
「はい。どうもありがとうござます」
この二人は札に本名を書いたらしい。少なくとも奥さんの方が世間に顔を知
られているのだから、それでもかまわないと判断したのかもしれない。探偵業
は、できれば顔を出したくないのだが、ときには公に出ざるを得ない事態も起
きる。
夫妻が同席の可否を尋ねてきたので、快く応じる。
「暇であれば、実際の事件で何か興味深い話が伺えると期待するところなので
すが」
苦笑交じりに始めた上田善行。髪の白さに目が行くが、よく観察するとさほ
どは齢を重ねていない気がした。専門は何だろう? そういえば名刺をもらっ
ていないが、私が本名云々と言い出したから、引っ込めてしまったのだろうか。
「今は、謎解きイベントのことで頭がいっぱいです。恥ずかしくない程度には、
解答をこしらえねばなりませんからね」
「主人も私も、テレビのサスペンス物は好きなのですが、謎解きだの犯人当て
だのとなると、からっきしなんですよ」
「まあ、こういった謎々に対する、一般の知識人層のレベルを見るサンプルに
は、ちょうどいいんでしょう。その点、えっと、堀詰さんは本職のようなもの
だから、お茶の子さいさいなんでしょうねえ」
「いえいえ、実際とは違いますから、難儀していますよ。目星は付けましたが、
まだ事件が一つ残っている訳ですし、保留です」
「それでも私どもよりは、遙かに先を行かれているはず。そこでというのも何
ですが、道標のようなものをお願いできませんか。平たく言えば、ヒントがい
ただけると助かります」
「ちょっと待ってください。私の考えが当たっているとは限りませんよ」
「かまいません。私達の推理なんて何の足しにもならんのは明らかですから、
このイベントに挑む探偵として協力し合ったというのにも該当しないはず。あ
なたの評価を下げるものじゃありません」
「……では、先にお二人の推理を話してくださいますか? 私の推理と異なる
点があれば、その中から一つか二つ、お伝えしましょう」
「それでも充分です」
にこやかに頭を下げる上田夫妻。二人は顔を見合わせた後、短く微かなボデ
ィランゲージを経て、夫の方が喋り出した。
「第一の事件の毒殺トリックは、ウェイターが絡んでいるとにらんでいます」
「ほう……」
いきなり、意表を突く推理が述べられた。
「四谷が死ぬ前後の場面を思い出してみると、あのタイミングで薬を飲むかど
うかは、本人以外には分からない。ですから、事前に毒を仕込むとしたら、薬
しかない。だが、捜査の結果、薬から毒は検出されず。となると、毒は水に仕
込んであり、四谷の死亡後、みんながざわざわしている隙に、ウェイターが毒
の付着していないグラスに、こっそり取り替えたんじゃないでしょうか」
「ウェイターは何が目的で、水に毒を入れて用意していたのですか?」
「ウェイターは、実は一ノ瀬を殺害しようと目論んでいたんです。一ノ瀬から
渡されたグラスで、四谷は薬を飲んだんですから。ウェイターは当てが外れた
が、今更止められない。とりあえず自分の身を守るために、無害のコップとす
り替えた。いかがでしょう?」
「うーん、私の考えとは違います」
「やはり」
「それに、仰る方法だと、床に広がった水からは毒が出なければいけません」
「そこなんですよねえ、ネックは。この引っ掛かりのせいで、自信が持てなく
て」
なるほど、そういう訳か。
「ユニークな推理だと思いますよ。第二の事件に関しても、聞かせてください」
「まず、単独犯なのだから、犯人はウェイター。第二の事件の謎は、ダイイン
グメッセージ。ウェイターとあのメッセージを結び付ける理屈を考え出そうと、
頭を捻りました。ところで、堀詰さんはダイイングメッセージ、なんて書いて
あるように見えました?」
「一文字の方は、筆記体のyもしくは4。二文字あるように見えた方は、XV
もしくはXYです」
「おっ、ほぼ同じだ」
上田は年齢に似合わず、子供みたいに嬉しそうに微笑む。妻も一緒に笑みを
浮かべていた。
「私どもはそれぞれ4とXYと解釈しました。ウェイターの名前は志賀大作だ
から、『し』と4をかけて、4と書いた。さらにそれだけでは伝わりづらいの
で、ウェイターの頭文字Wを示唆するXYと書いた。XYに先んじるアルファ
ベットはWです」
「どうして直接、Wと書かなかったんですか。それに、志賀の『し』を表した
いのなら、Sで事足りる」
「犯人に勘づかれて、消されてしまうと考えたんでしょう」
「うーん。まあ考え方の一つではあると思いますが……」
「いいじゃありませんか。こちらの考えは誤りと承知で話しているんですから。
さあ、あなたの推理と比較した上で、優れたヒントをお頼みしますよ」
請われた私は、どんなヒントがよいかを、しばしの間沈思黙考した。
「じゃあ、それぞれの事件について、一つずつヒントを出します。第一の事件
は、毒はコップと薬瓶それぞれの外側にも付着していなかったのか。もし付着
していたとすればどうなるか」
「はあ……」
首を傾げつつも、メモを取る上田夫妻。
「第二の事件は、ダイイングメッセージが通常とは異なる筆運びで書かれたと
いう情報に注目して……そうですね、ここまでは言っていいかな。二階堂夏子
は犯人に壁際まで追い詰められた刹那、壁に後ろ手で書いたのかも」
「後ろ手?」
「言えるのはこの程度です。お役に立つでしょうか」
「うーん、正直、ぴんと来ませんな」
上田善行が苦笑いを浮かべ、頭をなでる。
「でもこれ以上のヒントはなしなんですよね? だったら、自分達でじっくり
考えるとしますよ」
「ありがとうございました」
上田美智子がすっくと席を立ち、お辞儀をした。時間が惜しいようだ。案外、
本気になって取り組んでいるのが分かる。微笑ましく感じながら私も立ち上が
り、見送ろうとした。
その瞬間、大きな揺れが衝撃となって、空間を襲った。
目の前でバランスを崩した上田美智子を受け止めようとして、私は無様に転
倒してしまった。しかも運悪く、テーブルの角に側頭部を打ち付ける始末だっ
た。
〜 〜 〜
意識を失っていたようだ。
目を開けると、こっちを心配げに見下ろす桑藤と上田夫妻、大沢司会、それ
にもう一人、見知らぬ顔があった。視線を左右に振り、自分がラウンジの大型
ソファに横たえられているのだと把握した。
「具合はどうです?」
「大丈夫……だと思います」
話す内に、この見知らぬ男が医師だと分かった。宿に常駐の医師らしい。彼
から「問題ない」とのお墨付きをもらい、まずは一安心だ。
すると残る四人から次々と気遣いの言葉を掛けられた。頭はすっきりしてい
るし、痛みも消えている。逆に聞き返した。
「何分ぐらい、意識を失ってました? イベント、というか事件の方は?」
「ええっと、五分程度です。事件の方は、堀詰さんの回復待ちでしたよ」
大沢は答えながら、徐々に笑顔になっていった。大事にならずに済んでほっ
とした、そんな感情がよく表れている。
医師からもOKをもらい、イベントの進行が再開された。
* *
皆さん、第三の殺人が起きてしまいました。
犠牲になったのは、二階堂秋雄さんで、彼の寝泊まりする七〇七号室が殺害
現場です。皆さんご存知の通り、七〇七号室は夏子さんが殺された七〇六号室
と、全く同じ間取りで、中の設備や家具、備品にも差はありません。
死因は絞殺、凶器はカーテン留めのロープで、現場に残されていました。こ
れは七〇七号室の物だと判明しています。
死亡推定時刻は、四時半から五時の間。奥さんの冬美さんによって発見され
たのが五時十分。冬美さんの話によると、元々五時にラウンジに出る約束をし
ていたのに、いつまで経っても姿を見せないため、部屋まで行き、ノックをし
たが返事がない。さらに施錠されており、ドアが開かない。中にいるのは間違
いないので、すぐさま司会進行の私、大沢を通じて刑事を呼び、マスターキー
で開けてもらったところ、遺体となった夫を見付けたという流れです。
察しのよい方もそうでない方もお分かりと思います。第三の事件で用意され
た謎は、密室の謎です。犯人は密室をどうやって作ったのか。これをお答えく
ださい。
なお、この第三の事件に関して、アリバイを有する者はいません。また、殺
害方法は絞殺でしたが、女性にはできないとは限りません。全員にやりおおせ
るチャンスがあったとお考えください。
このあと、解答用紙をお配りします。書式に従って、欄を埋めてください。
必須項目は三つの謎に対する答えと、犯人の名前、そう推理する理由となって
おります。他にもお気付きの点があれば、どんどん列挙していってください。
内容によっては、大きく加点される場合があります。
* *
1.毒の混入方法の謎
犯人は四谷ではなく、二階堂夏子を狙っていた。彼女の飲んでいたアイステ
ィにはキューブアイスが多数入れてあったが、あの氷の中央部に、毒が仕込ま
れていたのだ。恐らく、犯人は厨房に忍び込んで、細工をしたのだろう。とこ
ろが、氷が溶けきる前に、四谷と何人かの揉め事が始まり、夏子は四谷に飲み
物をぶちまけた。夏子が飲んでいた間は溶け出していなかった毒が、四谷に浴
びせた時点では溶けていたのである。
そんな毒入りの液体を、四谷は素手で拭った。そして手をしっかりと拭かな
いまま、薬を手のひらに取った。当然、薬には毒が移る。これを飲んだがため
に、四谷は死亡した。
2.ダイイングメッセージの謎
被害者の夏子が遺したメッセージは、筆記体のy、及び通常のXVと読めた。
夏子はこれを壁に書いていた。遺体発見時には、ベッドに倒れていたのに、何
故、壁に書かれていたか。
想像するに、夏子は犯人に襲撃され、軽傷を負った段階で壁際に追い込まれ
た。そのとき、後ろ手で文字を書いた。後ろ手で書くと、文字は上下左右が逆
になる。つまり、筆記体のyとXVはそれぞれひっくり返して読まないと、死
者の真意は伝わらない。
XVをひっくり返すとへX。縦に並べて書くと、ある漢字になる。父である。
また、筆記体のyに同様のことを施すと、筆記体のhになる。hは春彦のイ
ニシャルである。
では何故、夏子は同じ人物を指し示す父とh、二通りのメッセージを書いた
のか。それは夏子が春彦の養子であるからと推測できる。最初に父と書いたが、
これだけでは実父と誤解される可能性がゼロではない。そこで急いでhと書い
たところで、犯人に追撃され、メッセージは中断。命を奪われたのだ。
3.密室の謎
これが最も難しかった。その理由は、殺害現場が密室と化したのが犯人の作
為ではなく、偶然の産物であるからだと推察する。
そもそも、犯人は秋雄を絞殺という明らかに他殺と分かる方法で殺害してお
いて、部屋を密室状態にする必要があるのか? ない。一刻も早く、部屋から
立ち去ったに違いない。
ではいったい誰が密室を作ったのか。ここで思い出したいのが、宿全体を襲
った大きな揺れである。あれは秋雄殺害後に起きた可能性が高い。
あの揺れは、たちのよくない鉄道マニアが、我々が寝泊まりしているここ――
九州一周イベント専用豪華寝台列車の写真撮りたさに、踏切内に入り込み、運
転士が非常ブレーキを作動させたためと判明している。これにより起きた急制
動で、力が列車の進行方向へと掛かる。それは奇しくも、スライド式の閂が、
ロックされる方向と同じ。さらに言えば、七〇〇番台の部屋はどれも古く、閂
錠も緩めだった。開いていた閂が締まってしまうのに、急ブレーキを元とする
力で充分だったと考えられる。
4.犯人の名前、その他お気付きの点
主にダイイングメッセージに関する分析を理由に、二階堂春彦を犯人と名指
しする。
なお、二階堂家の内部情報を四谷に漏らしていたのは、春彦である可能性が
高い。混乱を引き起こすことで、二階堂家とその周辺に多くの殺意を生じさせ、
自らの殺意を隠す狙いがあったのだろう。
また、四谷が薬を飲むのに使ったコップ及び薬瓶の外側を子細に調べれば、
毒が検出されるはずである(四谷の手から毒が移ったと考えられるから)。も
しこの仮説が事実と合致すれば、最初に毒で狙われたのが四谷ではなく、夏子
だったことの傍証になる。
最後に、この推理劇の仮題『殺人者、東方より来たる』だが、内容にそぐわ
ないなと感じていた。しかし、終了まで半日ほどとなって、はたと気が付いた。
このタイトルは『オリエント急行の殺人』を意識しているのではないだろう
か。共通点は列車内で事件が発生するというだけだが、それを暗示するために、
オリエントを日本語に直してみたのではないかと思うのだが、いかがだろう?
――終着