AWC 日常と狂気と猟奇(1/3)  目三笠


        
#254/598 ●長編
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日常と狂気と猟奇(1/3)  目三笠
★内容

 身体が痺れて動かなかった。
 いつから記憶が途切れたのだろうか、そんな事をぼんやり考えていた飯島景
子の耳に、聞き慣れない女性の声が聞こえてくる。
「ようやくお目覚めかな」
 重たい瞼をなんとか開けようとしても、視界は閉ざされたままだった。声を
上げようとしても、呻き声すら出せやしない。
「今の内に処理してあげる。はっきりと目が覚めたら、面白いものが見られる
よ」
 だんだんと覚醒してくる意識のおかげで、身体の感覚も元に戻りつつあった。
そのおかげで、目の前が真っ暗であるのは瞼が開けられないのではなく、目隠
しのようなものをされていることに気付く。
 両目を覆っているものを排除しようと右腕を動かしかけ、そこに何か違和感
のようなものを感じた瞬間に動きは固まる。どうやら、拘束具のようなもので
固定されているようだ。右腕だけでなく左腕も数ミリ程度しか動かない。
 頭から血の気が退いていくのを彼女は感じていた。自分は何者かに誘拐され
拘束されているのだと。
 叫び声を上げようとしたその時、左腹部にチクリと痛みを感じた。
 しばらくして、下腹部が何か重いもので圧迫されたかのような、それでいて
感覚がすべて麻痺したかのような状態に陥る。
「なにしてるの?」
 ようやく景子の口から出た言葉。悲鳴ではなく質問だったのかは、漠然とし
た恐怖心からだ。彼女には何が起きているのかがわかない。視界も感覚も遮断
され、今は聴覚に頼るしかない。第三者が側にいるのなら、質問をするのが手
っ取り早いだろう。ましてや、その人物は今のところその言葉には脅しや怒り
は込められていないのだから。
「お楽しみは後にとっておいた方がいいよ。それから今はあまり喋らない方が
いい」
 二十代の女性だろうか。少し低めのアルトヴォイス。その口調からして男性
の高い声、もしくは子供の声とは思えない。
 景子は今のところ目隠しをされ身体を拘束されている以外は、取り立てて辛
い思いはしていない。頭がはっきりしないとはいえ、徐々にそれも取り戻しつ
つあり、気配としても側にいるのが誰だかわからない女性が一人だけのようだ。
まさかレイプされているわけでもないだろう、彼女はそう考えていた。
 数十分後、腹部の上に何かが乗っていたような違和感が取り除かれる。それ
でもまだ下半身は麻痺しているように感覚だった。
「そういえばあなたの着ている服って、幻想的なイメージを彷彿させるけど、
そういう世界に憧れているの?」
 耳元で再び声がする。それは景子が好んで着ているゴスロリファッションの
事についてだった。彼女は自分の趣味について質問されたので意気揚々とそれ
に答えようとする。
「憧れというか、これがあたしのスタイルなんです。ゴスロリっていうんです
けど。もちろん、中世ヨーロッパの貴族を元にしたファッションで」
 景子の説明を遮るように質問が投げかけられる。
「ねぇ、ゴスってどういう意味か知ってる?」
「ええ、ゴシック的なものを言うのですよね。中世ヨーロッパとか」
「違うよ」
「え?」
「流行に躍らされたお嬢さんは、自分のファッションの基本すら知らないのか
ね」
「どういうことですか?」
「ゴスを象徴するには少し物足りない。だから、あなたが本当にゴシック的な
ものをわかっているというのなら、このプレゼントはとても気に入ると思うよ」
「プレゼントですか?」
 口調は終始穏やかだがその内容はよくわからない。だが、危害を加える気が
まったくないように思える。
 彼女は優しく景子の目隠しを外してくれた。
「あれ?」
 ついでに拘束も解いてくれたのだと思っていたのだが、両腕は固定されたま
まだ。下腹部は痺れたままなので力が入らない。
 視界がひらけたが、何かがおかしかった。
 自分は黒い服で身を包んでいるというのに、それ以外の色が見える。
 赤いリボン?
 腹部にそんなようなものがちらりと見える。
 だが、彼女はそんなものをつけた覚えはない。
 何か嫌な予感をして、そこから本能的に目を逸らす。そして、側に立つ人影
を見上げるように確認した。
「ここはどこですか?」
 視界に映るのは細身の女性だった。景子と同じ黒い服を着ているがゴスロリ
ではない。顔立ちの整った色白の美人だ。その右肩に何か違和感を抱く。いや、
その部分の黒い塊は生きていた。
 鳥だ。黒い大きな鳥。鴉だろうか。
 女性の服と一体化しているように一つの塊と見えてしまう。
 とても不気味であり、その女性の醸し出す雰囲気はまるで魔女のようでもあ
った。
 その綺麗な口元が歪んだ。
「とある廃屋の中だよ。山の中だから半径一キロ以内民家はない。だから叫ん
だところで助けはこないよ。もっともあまり腹に力を入れて声を出すとそれだ
け大変な事になってしまうからね」
 片方だけ吊り上がった唇。
 じわじわと恐怖がこみ上げてくる中、それをさらに加速させるかのように、
鴉が不気味な鳴き声を上げる。


every day - 1

 温かい飲み物でも飲もうと一階に降りてきた僕は、ソファーで大きな絵本の
ようなものを広げている巫女沢を見かけた。
 その向かいの位置には清野が座り、テレビ画面を夢中になって見ていた。手
元にはゲーム機のコントローラが握られている。
 日付が変わるまであと数分というこの時間にしては、リビングにいる人数は
少なくも感じられた。
 二人とも集中していたこともあって、邪魔をしては悪いと思い、声をかける
わけでもなく無言でキッチンへと入ろうとする僕をふいに巫女沢が呼び止めた。
「あれ? なおのすけ、夜食でも作るの?」
「コーヒー煎れるだけだよ」
「あ、だったらお湯湧かすよね。あたし小腹空いたからカップ麺食べたいんだ」
「へいへい」
 そう答えて少し多めの水を薬缶に注いでから火にかける。食器棚から自分専
用のマグカップを取り、冷蔵庫脇にある『カンパ棚』とかかれた戸棚の中にあ
ったインスタントコーヒーの缶を出した。
「あ、コーヒー煎れるならオレにもよろしく」
 巫女沢との受け答えをして数分経ってから清野がそう告げる。多分、ゲーム
の方が一段落ついたのだろうか。
 僕は再び食器棚に向かい『智秋』と書かれたマグカップを取り出す。それに
水を入れて沸騰しかけた薬缶の蓋を開いて足りないと思われる量を注ぐ。
「ミルクたっぷりだっけ?」
 記憶が曖昧だったので清野に対してそう質問するが、その質問自体が不満だ
ったのか、えらい勢いでそれを否定された。
「コーヒーはブラックに決まってるだろが!」
 僕はミルクたっぷりのカフェオレが大好きなので、清野の考えには同意しな
い。通は何かと純粋なものを好むらしい。混じりっけのないものがそんなにい
いものなのだろうか。
 そんなくだらないことを考えながら、しばらくキッチンでお湯が沸くのも待
った。
 薬缶が悲鳴を上げたのを聞きつけ、巫女沢がキッチンへとやってくる。そし
て、電子レンジの上に置いてある『絵里の!』と書いた白い札のついている篭
の中に手を伸ばし、カップ麺を取り出した。通称『絵里篭』。別名、非常時持
ち出し篭とも言う。絵里がこの下宿に来る前は確か後者の呼ばれ方だったよう
な気がした。
 僕は二杯分のインスタントコーヒー(もちろん一つはミルクたっぷりのカフ
ェオレ)を作るとマグカップをトレイに載せ、リビングに移動する。
「サンキュ、なおちん」
 ソファーに座った清野はゲームをすでに終えていて声をかけてくる。テレビ
の電源は切られ、ゲーム機自体も『お片づけ箱』と書かれた段ボール箱に無造
作に仕舞われている。
「またゲーム買ってきたの?」
 僕はあまりそういう娯楽に興味はないので、ほとんど社交辞令的に口を開く。
「そうそう、今日朝一で並んで手に入れたんだよ」
 清野はゲームソフトの入ったDVDケースとメモリーカードを大事そうに抱
えていた。基本的にゲーム機本体は共用品であり、ゲームソフトに関しては個
々に管理すべきものらしい。とはいえ、先輩住人が置いていったゲームソフト
がいくつか残されている。それは単純なパズルゲームだったり、みんなで遊べ
るアクションゲームだったりした。
「そういえば、これって巫女沢のかな?」
 僕はテーブルの上にあった画集を手にとってペラペラとめくる。パノラマ的
に描かれたその中には多くの少女たちが登場していた。内容は、源氏物語絵巻
のように客観的な視点による戦争などの場面だ。少女たちは戦い、そして殺さ
れ、その間を縫うように平和なひとときを過ごしている。少し前に、僕はこの
作者の作品の展示会を見に行った覚えがある。たしか名前を『ヘンリー・ダー
ガー』といった。
「なにそれ? ちとキモくない?」
 覗き込んできた清野がそんな感想を漏らした。
 今開いているページには、惨殺された少女の絵がたどたどしく描かれている。
殺された彼女たちは腹部を切られ、はらわたが飛び出していた。一言で言うな
らば凄惨。
 そしてこの作者が描く少女たちの何よりの特徴が、ペニスを持っていること
だろうか。
 無論、絵だけが残っていたのならこれは「少年」であるという可能性もあっ
ただろう。描かれる少女には胸のふくらみもないのだから。
 だが、ダーガーが残したものは絵だけではない。同時に一万五千ページ近く
のテキストを書き残しているのだ。この画集の絵は挿絵に過ぎない。だからこ
そ、そこに描かれている人物が少女だと特定できるのだ。
「お夜食、お夜食、いつ食べよう〜」
 妙な歌を唄いながら巫女沢がリビングへと戻ってくる。
「このダーガーの画集って巫女沢の?」
「うん。そだよん。えへへ、ネットの通販で買っちった」
 テーブルに置いたカップ麺をズルズルと食べ出す巫女沢に、清野が怪訝な顔
で質問した。
「よくそんなグロテスクな絵を手に入れる気になったね」
「……」
 巫女沢はそんな言葉は無視して食べることに集中している。食欲を方が優先
しているのか、それとも聞こえなかったのか。
「ダーガーの絵は確かに印象が強いからね。一部の人間には惹かれる部分も多
いんじゃないの」
 首をすくめながら当たり障りのない意見で僕はお茶を濁す。
「しっかし、意味わかんねぇ。少女っぽいけどチンポ付いてるし、和やかな雰
囲気があったと思ったら、惨たらしい殺され方してるし」
 切り裂かれ、腸をぶちまけたその絵に清野は眉をひそめる。そういえば、こ
いつ医学部とか言ってなかったっけ……いや、違う、それは巫女沢か。
「アウトサイダー・アートだからね。常人の感覚で描かれているわけじゃない
から」
 ダーガーの絵を知っている僕としては、巫女沢の代わりに解説をしなければ
ならないのだろう。
「なにその……アウトサイダー・アートって?」
「精神病患者とか、正規の美術教育を受けていない、独学自修の作り手たちに
よる作品だよ」
「へぇ、詳しいじゃん。あれ? なおちん工学系の専攻だよね」
「僕のは美術を学問として興味を持っているんじゃなくて、単純に好奇心から
だから」
「じゃあ、えりちんは?」
 ひたすら食っている巫女沢は話に加わろうとしない。というか、今は腹を満
たすことに集中したいから、とオーラが出ているようにも感じる。
「さぁ、単なる趣味の問題でしょ。スプラッタもの好きだし」
 僕と清野は巫女沢の顔をまじまじと見つめる。といっても、彼女のその目は
カップ麺に集中している為に、見られていることさえ意識していないだろう。
 僕らはまるで、ペットのネコが餌を食べているのを見るかのように、微笑ま
しく巫女沢の喰いっぷりをしばらく眺めていた。
「闇の衝動だよ」
 スープまで全部飲み干した巫女沢が、食した直後にぼそりと呟いた。
「へ?」
 間抜けな声が清野から漏れる。
「乾いた心を癒すの。残虐であればあるほどあたしの心は癒される。だってさ、
誰でもそういう闇の部分は持ってるじゃん」
 それは多分、清野が最初に質問した事への答えだろう。画集を手に入れた理
由を巫女沢はそう考えている。
「否定はしないけど、生理的に受け付けないって奴もいるだろう。えりちんは
そうかもしれんけど、オレは趣味じゃない」
「なおのすけは好きそうだけどね」
 巫女沢は口元を片方だけ吊り上げて僕の方を見る。同類とでも言いたげな素
振りだ。
 同意はできないので、しかたなく口を開く。
「ダーガーの絵は、個人的にはあまり好きではないね。でもね、それは残酷だ
からとかそういう問題じゃない。だって僕はゴヤの【我が子を食うサトゥルヌ
ス】は大好きだもん。ダーガーの絵が好きになれないのは、その世界が閉じて
しまっているからだと思う。それはすごく悲しい世界なんだ。だから、嫌悪感
を抱きつつ、目が離せなくなってしまっている。好きとは違う種類の感情だ」
「井の中の蛙、大海を知らずってか?」
 世界を知らないという事と、世界が閉じているという事の意味。清野の言い
たいことと僕の考えは微妙にズレていた。
「されど空の青さを知る、とも言うよね」
 そう言ってリビングに入ってきたのは、この家のオーナーである御影さんだ
った。
「それって、単に他の誰かが考えた付け足しで正式な句じゃありませんよ」
 僕はそう呟く。「空の高さを知る」とか、様々のものがあったはずだ。
「そう? でも、私は彼が描く空の青さは好きだな。彼がいくら世界を拒絶し
ていても、その空の青さまでは拒絶していないよ」
 それは僕や巫女沢とは違った捉え方だった。
「なおのすけだけじゃなくて、晴海姉さまもダーガー知ってるんだ」
「いちおう経済学部だからね」
 巫女沢の質問に御影さんはさらりとそう答える。
「なんでやねん」
 美大の学生でもないのに関連がないじゃないか、とでも言いたそうな清野の
ツッコミだった。
「あら、私はダーガーの死後、彼の部屋から作品を見つけてアウトサイダー・
アートとして売り出そうとした家主のビジネスマンとしての目利きにこそ、興
味を持っているんだけどね」
 ダーガーが生涯孤独で過ごしてきた背景を御影さんはよく知っているようだ。
 家族も友人もなく、五十年近く病院の皿洗い兼掃除夫の仕事をしながら、社
会との接点がほとんどなかった彼の孤独な人生。彼の創りだしたアートは、彼
自身の為に創られていたのだ。
 そういえば、ダーガーは人に作品を見せることを嫌がっていたそうだ。彼の
死後、それが尊重されることなく公開されてしまっている。確かにビジネス的
には成功したのだろうけど、彼の意志はどうなってしまうのだろう。
 ダーガーの絵を素直に認められない僕だが、それでも彼が自分自身の為に創
りだしたアートには同情してしまう。いや、同情ではない。僕は彼の絵を見た
時に思ったのだ。この絵は他人が見ていいものではないと。
「彼のアートは彼だけのものですよ」
「すべての創作物は単独では意味がないの。第三者に公開することで芸術とな
るのだから。彼らは創造者であり表現者なのよ。表現するのがこの世界でない
のなら、なにもこの現実世界にそれを生み出す必要がないんじゃない? 脳内
だけで満足なはずよ。そうであれば、彼の世界は制約を受けることなく広がっ
ていくじゃない。でもね、制約を受け入れて現世に具現化するのなら、それは
立派な芸術品なのよ」
「でも……」
「テキストにせよ、絵画にせよ。現実世界で表現をしているのだから、彼はア
ーティストなの。それともなに? 彼を人間的価値のない妄想者だとでもいう
の?」
 アートの価値は他人が評価するもの。それは間違いではない。だが、ダーガ
ー自身そんな事は関係なかったのだろう。
「人間的価値は関係ないですよ! 彼にはそれが生きる糧だったと思いますよ」
 ダーガーの絵を否定していたというのに、いつの間にか擁護の立場に立たさ
れてしまっていた。
「うふふふ。普段冷静なのに、時々熱くなるよね伊丹って」
 御影さんの余裕の笑みには、勝てる気がしない。
「……」
 僕は次に続けようとしていた攻撃的な言葉をいったん飲み込んでしまう。
 すると御影さんは、勝ち誇ったかのような笑みを浮かべてこう言った。
「頭を冷やすついでに簡単な問題を与えてあげようか。狂気と芸術の差ってな
んだと思う?」
 しばらくの僕は考え込む。それは『差』などあるのだろうか?
「境界線なんかないんじゃない?」
 清野は僕と同じ考えのようだった。
「じゃあ、言い方変えるわね。芸術を職業として成り立たせる為に必要最低限
の事は?」
 いささかクイズじみてきたが、真面目に考えることにする。
 もしかしたら、単純な答えなのかもしれない。
 すると、巫女沢がニッコリと手を挙げる。
「ハイ!」
「はい、絵里ちゃん」
 まるで小学校の先生のような口調の御影さん。教職は取らなかったっていう
けど、もしかしたら彼女は教師に向いているのかもしれない。それは、子供に
好かれる良い教師というのではなく、子供を巧みに操ることのできる優秀な教
師という意味だ。
 指された巫女沢は微かな笑みを浮かべる。それは、片方だけが吊り上がった
歪んだものだった。
「それは、法を犯さないことです」


death - 1

 一人目は草野知恵。
 復讐の手始めにと、帰宅途中に拉致。道を尋ねる振りをして車で彼女に近づ
く。お礼に家まで送ると嘘を吐いた。同性ということもあって、彼女から警戒
心は消えていたのだろう。喉が渇いたと途中の自動販売機の前で止まり、前も
って睡眠薬を仕込んでおいたジュースをその場で買ったものとすり替えて彼女
に渡す。飲まなければ別の方法を考えたが、渡されたものを彼女は素直に飲み
干した。上着のポケットの中には保冷剤を入れておいたので、不審がられるこ
とはなかったようだ。
「ほんとに覚えてないんだ」
 初めは復讐の為にただ痛みつけてやるだけと思ったが、五年前の事をあまり
にも覚えていないので知識としてあった拷問の方法を試してみる。
 まず手始めにポピュラーなものでもある爪の間に針を刺す方法だ。椅子に座
らせた彼女は両手を肘掛け部分に縛られて固定されているので、実行するのは
簡単である。
「これでも思い出さない? 自分が何をやったか」
 地味であるがかなり苦痛なはずだった。指先は感覚器官の集中する箇所であ
り、本来なら爪で保護されている部分を傷つけるわけだから、その痛みは尋常
なものではないだろう。だから、恨みを込めて一本一本丹念に処置していくつ
もりだった。
 だが、彼女は右腕の親指から初めて三本目の中指ですぐに気絶してしまった。
なんともつまらない。春香が受けた精神的苦痛はこんなもんでは済まなかった
はずだ。単純に身体の痛みだけでもこれの数十倍は受けていたはず。
 気付くまで待っていられないので、拷問を続けた。拷問と言っても、何を自
白させるわけでもない。昔自分が何をやったか思い知ればいいだけだ。
 右手の薬指に針を刺す。身体がびくんと動き、縛り付けてあった椅子ごとガ
タンと飛び跳ねた。呻き声が漏れるがまだ完全に覚醒していない。さらに小指、
そして左手の親指を刺したところで擦れそうな声で「やめてよぉ」と彼女は呟
いた。
 そんなことはお構いなしに次の指に移る。
 人差し指を掴んだところで、「やめなさいよ! ふざけんな! やめろって
んだろ!」と、まるで逆切れした子供のように彼女は大声で喚き始めた。
「あんた自分の立場わかってるの?」と冷静に冷徹に問いかける。生殺与奪権
は完全にこちらにある。逆らうという行為がどんな影響を及ぼすかを理解でき
たのか、一瞬にして草野知恵は沈黙する。
「まだ思い出さない?」と最初の質問を繰り返す。彼女が春香のことを思い出
し、過去の自分の行いを反省してくれるのなら、命までは取るまいと考えてい
た。
「……思い出せません。それはいつの話なんですか?」と初めは弱々しい返答
だった。ところが、高校時代に虐められていた子だということを話すと、他人
事のように笑い出した。そんな彼女を見ているとじわじわと怒りがこみ上げて
くる。
 彼女は春香の事を今のカレシの元カノジョだと思っていたらしい。彼女の笑
い声はさらに高まった。「ずいぶん昔の事を持ち出すのね」とまるで他人事。
 その一言で自分の中の何かが切れたような気がした。
 彼女から逸らした視界の端に、鈍く光る刃が映る。
 森の中を歩くのに邪魔な小枝を切り開こうと持ってきていた鉈だった。ほぼ
無意識にそれを手にしていた。
 もうまどろっこしい事はやめよう。そう自分に対して言い聞かせると、両手
で握った鉈を彼女の左手首部分に叩きおろした。
「うぎぃぃぃぃぃぃぃ!!」
 耳を劈くような悲鳴。その声が苛立ちに拍車をかける。
 一度だけでは気が収まらず、何度も何度も叩きつけた。血液は飛び散り、そ
のうち肘掛けは破壊され、左手首から先はぼとりと床に転げ落ちた。なにやら
生暖かいものが身体に降り注いでいる。
 なんだか気持ちが良い。目の前では、彼女が狂ったように同じ言葉を吐き続
けていた。
「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてや
めてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて
やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめ
てやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてや
めてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて
やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめ
てやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてや
めてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて
やめてやめてやめて」
 どれくらい眺めていただろうか。彼女の声はだんだんと弱くなり、唇は青紫
色に変色していく。生命が失われていくその様はぞっとするような美しさを持っ
ており、何時間もそれを見ていても飽きることはなかった。
 気付くと、彼女の足下は血が水たまりのようになっている。
 そして、彼女の瞳からはいつの間にか光が失われていた。


every day - 2

「………行方不明になってもうそんなに経つんだ」
 リビングに行くと、ソファーで膝を抱えて座っている御影さんが携帯電話で
声を潜めて何か喋っているのが見えた。夕食の自炊でもしようかと思ったが、
何か聞かれてはまずい内容なのではと気を利かせ、そのまま外へ出かけようか
と考えたところで彼女と目が合ってしまう。僕は軽く会釈してそのまま方向を
転換した。
「んじゃ、みーちゃんにもよろしく言っておいてね」
 話し終えたような会話が聞こえてくるとすぐ、僕に向かって御影さんは呼び
かけてきた。
「伊丹、いいよ。夕食作るんでしょ?」
 僕は苦笑しながら、再びリビングに入る。
「電話終わったんですか?」
「そんなに気を遣わなくてもいいよ。聞かれたくない電話だったら、自分の部
屋でかけるよ」
「そうですね」
「そうだ。食材奢ってあげようか?」
 御影さんはおもむろにそんな事を言ってくる。とはいえ、前にも似たような
事は言われているので対応に困るということはない。
「あ、それは助かりますね。でも、カップ麺とかそういうのはやめてください
ね。今、そういう気分じゃないんで」
 前に食材と言われて期待していたら、段ボール箱に一杯のカップラーメンだっ
た。生ものじゃないだけましなのかもしれないけど。
「そんなケチくさいことを私が言うと思ってるの? 実はね、知り合いにもらっ
た魚を捌いてもらおうと思ってね」
 御影さんはそう言って床に置いてあったクーラーボックスをテーブルの上に
置く。蓋を開けると中には四十センチほどの鯛が数匹入っていた。
「こりゃ、見事ですね」
「伊丹って料理得意でしょ。実家が食べ物屋とか言ってたじゃない。魚の解体
もお手の物じゃないの」
「まあ、父さんに仕込まれてますからね。出刃一本もあれば簡単ですけど」
「じゃあ、お願い。ああ、ついでに私やみんなの分も作ってくれると助かるけ
ど」
 一人で食べきれる量ではなかったので、そんなことではないかと思っていた。
この下宿の中で料理がまともに作れるのは僕と政夫ぐらいだから、お鉢が回っ
てくるのも仕方がない。
「じゃあ、兜煮と鯛飯でも作りますか。今日は何人ぐらい帰ってきてます?」
「絵里ちゃんと清野と稲垣ぐらいかな、プラス私とあんた」
 人数分のレシピを頭の中で組み立てながらクーラーボックスを担ぎキッチン
へと向かう。
 魚を捌き始めて五分と経たないうちに御影さんがキッチンへとやってきた。
冷蔵庫にある飲み物が目当てかなと思っていたら、なにやら僕の手元を観察し
始めた。
 ウロコを落とし終わり、尾びれの付け根にちょうど包丁を入れている時だっ
た。刃物を扱っていたのでそのまま作業を続けていく。
 尾のほうを手前にして頭のほうに切り裂いていき、包丁を返して上身をおろ
す。下身も同じ手順でおろして、内蔵を中骨から剥がしていく。
 頭を切り落としたところで、それを口部分が上になるようにまな板に置き、
上前歯の中央に包丁の刃を入れ、まっすぐに下ろす。コツさえ分かれば身を潰
すことなく二つ割りができる。
「なんですか?」
 一段落ついたところで、後ろを振り返る。
「生き物を解体する時の気持ちってどんな感じ?」
 まるで子供のように、ニヤニヤと笑いながらそんな質問を投げつけられた。
「死んでるじゃないですか。それにこれは食材ですよ」
「へえ、伊丹はこの魚が生きていたことを否定するのかい?」
 いつものごとく哲学的な問いかけ。とはいってもこの人はどこまで本気かは
わからない。
「御影さんが食材って言ったんじゃないですか。それに僕にとっては、この魚
が生きていた時の事なんか関係がない話です」
 適当にお茶を濁す。真面目に答えてもしょうがない。
「もしさ、無人島に私とあなたしかいなかったとするじゃない。で、食料はす
べて食べ尽くしてしまったとする。一ヶ月後には船が通る予定なのを知ってい
て、でも今は餓死寸前の状態。その場合、相手を殺して食べる?」
 魚を捌くことと何か関係があるのだろうかと疑問に思うが、そんなことはも
しかしたら考えるだけ無駄なのかもしれない。特に御影さんが相手では。
「相手にもよりますね」
「どういうこと?」
「とても大切な友人や家族であるならば、そんな事はしません」
 それが模範解答だろう。マスコミにインタビューを受ければそんな事を言う
に決まっている。
「そう。だったら、憎しみを持った相手ならば躊躇はしないってことね」
「……そうですね」
 何が言いたいのだろう。まあ、御影さん相手にまともに議論しようと思わな
いのが得策だろう。

「ゴローちん、醤油とって」
 稲垣から受け取った醤油を清野は兜煮の入った器にかけようとしたので、僕
はとっさにその腕を止める。
「なにすんの?」
「いや、味薄いから」
 清野はのほほんとそう答える。というか、味オンチなのかこいつは。
「あははは。智のすけ、濃い味好みだからね。この前カップ焼きそばにソース
足してたし」
 巫女沢はそう言って笑い飛ばす。
 リビングにはこの下宿に暮らす人数の三分の二ほどが集まっていた。誰かが
作ったおかずを囲んでというのは月に一度あるかないかの出来事だ。住人はそ
れぞれ個性が強いので、まったりと団らんというわけにはいかないけど、これ
はこれで居心地の良い空間でもあった。
「あ、ちょっとニュース見ていい?」
 巫女沢が立ち上がってテレビの電源を入れる。映し出された番組はちょうど
夜のニュースだった。
『現代に蘇る拷問鬼〜猟奇殺人事件を追う』とテロップが流れ、そのままCM
へと突入する。連日報道されている殺人事件の特集のようだ。
 新聞の報道によれば、G県の山中にある廃屋で二人の遺体が見つかったらし
い。一人は椅子に縛られた状態で左の手首から先を切断され出血多量で死亡。
もう一人は両手両足を生きたままの状態で切断され、その後首を切断されて死
亡したらしい。遺体の状態から拷問を受けたものではないかとの見方が強まっ
ているそうだ。
「まだ犯人捕まらないの?」
 稲垣が不安そうな声を出す。巫女沢とは性格が正反対。とにかく恐がりで、
オカルトやホラーには嫌悪感を示すタイプだった。
「そんなに簡単に捕まったらつまんないよ」
「絵里、それは不適切な言葉だよ」
「そうそう、国民の大半は犯人に早く捕まって欲しいと思っているんだから」
「大半?」
 清野の言葉に御影さんが何か含みを込めたように、その場の空気へと問いを
投げかける。
 最初に反応したのは巫女沢。それは「早く捕まって欲しい」という意見とは
まったく逆のものだった。
「それは上辺の感情でしょ? 大半のひとたちは自分に危害が加わらない限り
警察が犯人を捕まえる事には興味がないよ。それよりも捕まらず第三、第四の
犯罪を犯してくれることを望んでいるんじゃないかな。もっと凄惨にもっと残
虐にって」
「危害が加わらないって……でもさ、えりちん。遺体の見つかった場所って、
隣の県だよ。現代社会においてこの程度の距離、そもそも日本国内であれば犯
人は簡単に移動することができるんだ。イコール、犯人の行動範囲は限定され
ているわけじゃないと思う。この近くに犯人が居たってなんの不思議もない世
の中なんだから」
「あたしはね。犯人見てみたいかなぁ、とか思ってる人だから。それはそれで
いいと思ってるの」
 巫女沢の反応に、清野は苦笑いのような引きつった笑みを浮かべた。きっと
彼女の思考が理解できないのだろう。





 続き #255 日常と狂気と猟奇(2/3)  目三笠
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