AWC もうひとりの私(tp version) [1/7] らいと・ひる


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#226/598 ●長編
★タイトル (lig     )  04/07/26  00:01  (351)
もうひとりの私(tp version) [1/7] らいと・ひる
★内容                                         05/05/26 21:24 修正 第2版
 制服に守られていた頃。

 そこには自分たちだけの花園が存在していた。

 甘やかで純粋な、汚れなき一途な感情は今でも忘れない。



■Side A


 由衣がその少女を改めて認識したのは、まだ暑さも残る九月の終わり頃で、
彼女があまり興味を持てないでいた文化祭の事でした。

 彼女が部活の友人に誘われて、暇つぶしにと見物に行った初日の演劇部のス
テージ。
 そこで一人だけあきらかに違う雰囲気を漂わす少女が、スポットライトを浴
びて熱心に何かを演じていたのです。
 由衣は途中から入ったこともあって、舞台の上でどのような設定の物語が行
われているかなどとは理解できるはずもなく、ただただ、その場の雰囲気に圧
倒されながらステージを見入っていたのでした。
 舞台上の少女は、由衣と同じ腰まで長さのあるストレートの黒髪、そして同
じようなソプラノヴォイスです。
 ややつり目がかった顔立ちは、どちらかというと美人の部類に入るのでしょ
うか。身体の線を細く、手足も長いのでどちらかというとモデルのような印象
を受けました。
 だけど、かわいらしく演じるその少女の声は、舞台から客席全体に伝わり、
何かを魅了するように観ている者の心を掴み取っているかのようでした。豊か
で力強く生き生きとした声には、切なさや穏やかさやいろいろな想いが込めら
れていました。

 でも、舞台上で輝いている少女を見て、由衣は少しの嫉妬と羨ましさを感じ
ていたのです。
 その頃、バレーボール部に所属していた彼女は日々の練習に追われていたこ
ともあって、校内で盛り上がっていた文化祭という行事にもあまり興味を持て
ないでいました。もう二年生だというのにレギュラー入りができず、ずっと補
欠でいたことも精神的に余裕がなかった理由の一つかもしれません。地道に練
習を重ねて、それでも彼女は試合にすら出られない。そんな想いが、まったく
違った舞台に立つ彼女への嫉妬や羨ましさに繋がったのかもしれません。
 舞台が終わって友人に「さっき主役やってた子って……」とあの少女につい
て聞こうとすると「堀瀬さんと同じクラスの香村ゆかりさんでしょ。話したこ
とないの?」なんて答えが返ってきました。「クラスメイトの事も覚えていな
いなんて、天然ボケにもほどがあるよ」と友人は笑います。
 舞台に立つ彼女はまるで別人のようにも感じ、同級生ということすら忘れて
しまうほどでした。
 ただ、もともと自分に興味のない事にはとことん興味の持てない性格だった
ことも、理由の一つなのかもしれません。


 文化祭が終わって由衣は改めて教室を見渡しました。今までまったく意識を
していなかった少女がどんな子なのか、少しだけ興味を抱いたからです。朝
「おはよう」と教室に入ってクラスメイトに挨拶を交わした後、彼女はなにげ
なく教室内を確認し、少女がまだ来ていないことをちょっぴり残念に思いなが
ら一限の数学の用意をしていました。すると、始業ベルが鳴る寸前にゆかりは
教室に入ってきたのです。しかし、誰とも挨拶を交わすわけでもなく、静かに
中に入り、そっと席につきました。
 ゆかりは休み時間になっても自分の席から立とうとしません。机を枕がわり
に眠ってしまっているようです。近くの席の子も声をかけることもありません。
 一言で表現すれば孤高の人。
 独りでいることに何ら問題すら感じている様子ではなく、それからずっと放
課後になるまで、彼女は誰とも口をききませんでした。気付くとゆかりの姿は
教室から消えていました。彼女も部活へ行ったのでしょうか。

 由衣はいつものようにバレー部の部室へ行き、いつものようにユニフォーム
に着替えて体育館へと向かいます。それが彼女の日常です。あの少女を羨まし
いと思ったり、気になったことさえ忘れてしまうような日常です。
「堀瀬! ぼさっとしてない。もっと機敏に動く!」
 顧問の先生から、いつもの檄が飛びます。部活の時の彼女は深く物事を考え
ません。それをやったら落ち込んでしまうという事に気付いているのかもしれ
ません。
 部活の終了後は仲の良い友達と、疲れを癒しながら歓談するのが日課となっ
ています。
「それってさ、城島くんに決まってるよ」
 仲間の一人の吉井慶子はおしゃべりで噂好きなところがあります。肩より長
い髪を両脇で縛ってツインテールにしているのが彼女の特徴です。
「へぇ、そうなんだ」
 と、人なつっこい笑顔が印象的な島津浩子は聞き上手なタイプです。肩口ま
であるややクセのある髪質で、朝セットするのが大変だといつも漏らしていま
す。
「でもあいつってさ」
 しっかりものの浅田成美には頭が上がらない部分もあったりします。性格は
鋭くあっさりで、強力な早口と理屈を論じたがるのが武器でしょうか。
 見た目は三つ編みのおとなしそうなタイプなだけに、そのギャップに最初は
驚く人も多いようです。
 たわいのない会話ですが、補欠としての負い目を感じながらも由衣の居場所
はしっかりとそこに用意されていました。彼女はもともと友人に誘われてバレ
ーボール部に入ったようなものなので、居心地の良いと思える場所があるだけ
贅沢な話なのかもしれません。


 ある日の事です。部活もなくまっすぐに帰路についていた途中でした。
 由衣が歩道橋を上がった時、ちょうど下の方から猫の鳴き声のようなものが
聞こえてきたのです。ふと、つられて下の方を覗くと、髪の長い少女が遠くの
方にいる猫に向かって「おいでおいで」と手招きするようにしています。どう
やら猫の鳴き声もその子が真似ているようでした。
 必死になって猫を呼び寄せようとしている姿は傍目に見てもかわいらしく、
由衣は思わず微笑みをこぼします。横顔がちらりと見え、それがあの香村ゆか
りである事に気付きました。
 知った顔ですが、気軽に声をかけられる雰囲気でもなかったので、しばらく
ぼんやりとその少女を眺めます。すると、ふいにその子の視線が彼女の方へと
向きました。そして、由衣の事に気付くと、恥ずかしそうに目を逸らしてその
ままどこかへと走り去ってしまいます。
 残された由衣は、辺りをぼんやりと眺めながら頭の中ではその子の事を考え
ました。
 自分は今時のアイドルの男の子にときめくようなミーハーな女の子だし、今
日まで同性の知人を意識したこともありません。でも、なぜかその子の事が気
になり始めていたのです。
 きっかけはちょっとした嫉妬だったのかもしれません。自分とは全く違う舞
台に立つ彼女への憧れと苛立ちです。
 しかし、由衣の中にはもうその感情は消え去り、別の感情が生まれようとし
ていました。


 教室では誰とも口もきかずにゆかりはおとなしくしています。そんな彼女を
由衣は時々どうしても気になって様子を窺ってしまいました。半年もクラスメ
イトをしていて今更ながら意識をし始めるなんて、自分でもどうしたことかと
戸惑っています。
 でも、基本的に由衣の性格は、気になる事をとことん追究するタイプなので
す。その反面、自分に興味の持てないものに対してはとことん関心がなくなる
というのも些細な欠点ではありますが。
 その日は掃除当番で一緒だった松井聖が、香村ゆかりと小学校が同じだった
ということを知り、由衣はなんとなく話を聞いてみたくなりました。
「あのさ、素朴な疑問なんだけど。香村さんて昔からあんな感じなの? イジ
メとかで無視されているわけじゃないよね?」
 唐突な質問に彼女は目を丸くします。由衣も、もう少し質問の仕方を考えれ
ば良かったと少しだけ後悔しました
「は? なんでそんなこと聞くの?」
 サバサバとした喋りは聖本来のもの。別に怒っているわけではないようです。
キャラ的に同じ部活の成美と似ていると、由衣は思っていますが、聖は外見か
らして『いかにも気の強そうな』感じなので成美ほど違和感はありません。
「うん、だから素朴な疑問」
 由衣は素直に答えます。
「ふふ。まあ、ほっちゃんぽい質問ではあるかもね」
 聖は含み笑いをするような表情を見せます。ちなみに「ほりせ」だから「ほ
っちゃん」ね、と愛称をつけたのは彼女だったりします。
「え? それはどういうこと」
「自覚のない人には説明してもしょうがないんですけどね」
 天然ボケなんだからとでも言いたげな彼女の視線に、由衣は少しだけ気分を
害しながらも話を続けます。
「私の事はどうでもいいよ。実際どうなのかな?」
「どうなの……っていっても。見たまんまだよ。誰かあの子をいじめているよ
うな素振りを見せた?」
 クラス委員でもある彼女は、クラス内のことはほぼ把握しているようでした。
「うん、そりゃ見たことないけど」
「でしょ? だからイジメなんてないって。ただ、あの子友達いないからね。
そういう風に見えるのかもしれないね」
「え? でも、部活の方とかで」
 確かにクラス内には友達と呼べそうな人物は見あたりませんでした。でも、
彼女は演劇部に所属しています。部活の方で親しい友人がいるのだと、由衣は
考えていました。
「いないんじゃない。あの子さ、結構ウザイとこあるからさ」
 それまでゆかりに対してあまり関心のなかった口調が、急にトゲのある言い
方に変わります。
「うざいって……?」
「言葉の通り。なんかさ、お子ちゃまなのよ、あの子。だから一緒にいると疲
れるんだよね」
 由衣自身、ゆかりとは言葉も交わしたこともなければ、本当の性格さえ把握
していません。けれどなぜかその言葉は、自分自身の事を言われているかのよ
うにショックでもあり、悲しくもありました。


■Side B

(なんか知らないけど、同じクラスの堀瀬さんがゆかりの方を見て笑っていた。
そりゃ、幼い子みたいに道端にしゃがんで猫寄せやってるほうも悪いかもしん
ないけど、でもなんかムカツク)
 ゆかりは一人になって、行き場のない怒りを心の中で吐き出した。
 もやもやとした気分のまま帰路について、彼女はため息まじりで玄関を開け
る。
 家に帰って部屋に入ると「疲れた……」と呟きながら制服のままベッドの上
へと倒れた。
 あとはいつものように夕食までだらだらとベッドの上で過ごして、食後は再
び部屋に戻るとミニコンポの電源を入れる。そしてFMラジオにセットしてい
つもの番組を聴くことにした。
 スピーカーからは二十代半ばくらいの男性の声とともに番組のテーマソング
が流れてくる。
 ゆかりにとっては、至福の時間でもあった。なぜなら、彼女はこのパーソナ
リティに対してある種の憧れを抱いていたのだ。
 彼はとても言葉を大切にしていて「言葉を伝える事を生業としている」とい
う事をよく言っていた。発音や言葉の意味などを正確に伝える事に力を入れな
がらも、肩の力を抜いたような気軽に聴ける話をしてくれる。そんな彼のディ
スクジョッキーをゆかりは毎週楽しみに聴いていたのだ。そして時には羨まし
くも思ったり、自分もそういう仕事ができたらなぁ、なんて考えたりもする。
 彼女は基本的にはラジオが好きであった。特に深夜に面白い番組があると、
次の日の事も考えずに夜通し聴いてしまうこともある。結果、寝不足となり授
業中に居眠りをする事もしばしばあった。

 学校でのゆかりは、どちらかというと地味なタイプに当てはまるかもしれな
い。人見知りが激しいせいか、未だにクラスに仲の良い友達はいない。
 いちおう演劇部に所属し、放課後になると部活動に勤しむ。視聴覚教室が学
校から定められた部活動の場であり、そこに真面目に通う模範的な部員でもあ
る。
 今は文化祭が終わって一段落したせいもあって室内は閑散としていた。数人
が集まってお喋りをしたり漫画を読んだり、個々に暇を潰しているにすぎない。
次の演目も決まっていないのだからそれも当然であろう。
 ゆかりは仲間内の中でも自分らしさを出せないでいた。クラスメイトよりは
親しくできても「部活動の仲間」以上にはなれないでいる。歓談の場に積極的
に参加しないのは、彼女の内気な性格が災いしているからだ。
 気軽に仲間に加わりたいという気持ちもないわけではない。ただ、彼女の性
格からして「その場がしらけるのがイヤ」とか「あまり馴れ馴れしくしすぎる
と拒絶されるかも」と深く考え過ぎてしまうのだ。
 小さい頃、仲の良い友達に裏切られ、心に深く傷を負った事も原因の一つな
のかもしれない。

 その日、ゆかりは部活に顔だけ出して様子を窺うと、すぐに視聴覚室を後に
する。
「一週間後ぐらいに次の演目決めるから、香村さんも考えといてね」
 帰り際に、部長が近づいてきて彼女に声をかけた。
 みんなとお喋りしたかったなぁと、少し未練がましく思いながら彼女は帰路
につく。途中、猫と目が合って、どうしても触りたくなって猫寄せのマネゴト
をしてみた。人恋しさを紛らわす為に生き物に触れたがるというのはどうなの
だろう? と一瞬考えるが、そんなむなしい思考は停止して、すぐに鳴き真似
に没頭する。
 家の猫でさえ寄ってくる確率が低い技だが、そのことは彼女自身がよくわか
っている。しばらくたってふいに我に返ると、なにやら上の方から視線を感じ
た。
 ふとそちらを見ると、陸橋の上から見覚えのある顔が彼女の方を向いている。
そして、なにやら笑っているらしい。
「……」
 瞬間的に顔が熱くなるのをゆかりは感じた。
 クラスの子に見られるなんて、しかもよりにもよってあの堀瀬由衣になんて
……と彼女は隙を見せた自分を後悔する。

 ゆかりは堀瀬由衣のことが苦手だった。言葉も交わしたこともなければ彼女
の人柄をよく知っているわけではない。でも、優等生的な笑顔と八方美人的な
交友関係があまり好きにはなれないでいた。
 そしていつの頃からだろう、『苦手』が『嫌い』になってしまったのは。


■Side A

 大会が近いこともあって、由衣はしばらく部活に専念しなければならない日
々が続きました。心身共に疲れ切って帰宅し、家では食事と寝るだけの生活で
す。そんな事もあってゆかりへの興味も頭から次第に薄れていきました。
 大会に出場できるレギュラーは六人で、控えを入れても正式なメンバーは九
人です。
 うちの部の総人数は四十名近い大所帯で、由衣の選手としての技術を考える
とレギュラー入りはかなり難しかったりもします。それよりも由衣自身、自分
より上手い子がたくさんいるので『その人たちを蹴り落として何が何でも』と
いう気もありませんでした。
 レギュラー入りが難しいといわれる、同じ境遇の子が何人かいるので、彼女
はその事にそれほど苦を感じていないのかもしれません。実際には心の奥底で
悔しい思いをしていますが、表面上の由衣はいつもそんな感じで乗り切ってい
るのでしょう。
 中でも仲の良い成美と慶子と浩子は、彼女と同じく身体を動かしたりバレー
の話をしたりするのが好きな人たちなのです。
 練習の後に歓談をしたり寄り道をしたりするのは決まってこのメンバーだっ
たりします。
 そんな半ば諦めに入っている由衣達とは別に、レギュラー入りができるかで
きないかの瀬戸際の人たちもいるのです。
 例えば水菜香織と川島美咲は、選手としてそれなりに優れてはいるものの、
同等の技術力を持っているので常にレギュラーの座を争っていたりします。し
かも、今年入った一年生の中にはかなり実力を持つ子もいるので、その子がレ
ギュラー入りしてもおかしくない状況なのです。
 果たしてどうなるか? 誰がレギュラー入りするのかを予想するのも由衣達
のような『諦め組』の楽しみでもあったりします。
「堀瀬ってさぁ、欲がないよね」
 成美はよく由衣に向かってそう言います。
「へ?」
「だって、あんた見かけの割には運動神経悪くないでしょ。それなりに努力す
ればレギュラー入りも目指せるのに」
「それなりの努力はしてるんだけどな」
「それは凡人の努力の仕方でしょ。もっと気合い入れてだね」
「マイペースでやらないと精神的にまいっちゃうから」
「だぁ! あんたって子は」
「ほんとは私、もっと別な事がやりたかったんだけど……」
 由衣は思わずぽろりと本音がこぼれてしまいます。だからといってバレーが
嫌いなわけではありません。
「別な事?」
 成美が訝しげな顔をします。
「え? うん。そんな大したことじゃないし。そう……話すほどのことでもな
いから」
 由衣は苦笑いしながらなんとかごまかしました。この年になってあの事を話
したら笑われてしまうに決まっています。そんな子供じみた願望は誰かに話す
ことなく心の奥底に沈めてしまいました。
 すぐにいつものお喋りに戻ります。学校の話、TVドラマの話、芸能人の話
に他人の色恋沙汰。
 たわいのない会話は嫌いではありません。誰かに話を合わせるのだって、楽
しければそれでいいと彼女は思っています。
 たまに、そんな由衣の性格に気付いていろいろと忠告してくる人もいました。
「八方美人ってさ、誰からも愛されるようでいて、結構損する場合も多いよ。
本当の自分を理解してもらえなくて『何考えてるんだかわからない』とか『調
子がいい奴』とか勘違いされたりもするし」
 でも、彼女は今のままで満足しています。楽しいことだけ感じて、嫌なこと
は忘れてしまえばいいんですから。
 ノンキだねって、友達にはよく言われます。

 でも、心の奥底ではそんな上辺だけの楽しい世界から一人、抜け出したくな
ることも……。


■Side B

 ひとごみは嫌いだけど、ゆかりは人間が大好き。ひとりは嫌いだけど、とき
どき他人が理解できなくて怖くなる。
 たまにどうしようもなく誰かを好きになることもあったりして、それはもし
かしたら男女間の恋愛感情とは違ったものなのかもしれない。男の子だけでは
ないし、むしろ女の子の方が多かったかもしれない。
 でも、自分の感情をどうすることもできずに寂しくなったり悲しくなったり、
情緒が不安定なところを悟られまいと無理に平静を装ったりもした。
 誰かに会えないと寂しいけど、誰かに会うことは不安でもある。

 それはゆかりにはきちんと『友達』と言える人がいないから?

 『友達』って何? 楽しくお喋りに加わればそれでいいの?

 ゆかりの事、なんにもわかってくれなくてもそれでいいの?

 でも……それはワガママなことなのかな?


 雨が降っていた。
 授業中、教師の話は難しすぎて理解できないので、ゆかりは教室の窓からぼ
んやりと校庭を眺める。
 数学の授業は子守歌。雨の音もそれをかき消すことなく、良い感じで伴奏を
奏でている。

「ふわぁ、ねむいにゃ」
 彼女は小さなあくびをして放課後の事を考える。
(冬に演劇のコンクールがあるから、それの演目を決めるのが来週の話。今週
はみんな、まったりと雑談かなぁ。お菓子とか持ってけば、すんなり仲間に加
われるかもしれないけど、ゆかりはなに話したらいいかわかんなくなっちゃう
し……。早くこういう臆病な性格も直さないと。昔みたいに、なにも考えずに
話しかけられたらどんなに良かっただろう)
 考え事をしていると睡魔が襲ってきた。彼女はいつの間にか船を漕いでいた
らしい。うつらうつらしているところで運悪く教師に見つかってしまう。名指
しされて、今黒板に書かれた問題の答えを質問される。
(もう、最悪だ)
 ここは素直に謝ろうと思ったそのとき、後ろからぼそりとその問題の解答ら
しき言葉が聞こえる。
 こうなっては仕方がないと、ゆかりは恐る恐るその答えを言ってみた。
 ところが、教師は不満げな顔をしながらも背を向けて黒板に向かい、今彼女
が解答した問題を説明し始めた。
 危ういところで難を逃れたゆかりは、『授業が終わったらお礼を言わなくて
は』と律儀にそう思うことにした。
(後ろの席ってたしか……)


「さっきはありがとう。助かっちゃった」
 教師が出て行くと、すぐにゆかりは後ろへと振り返る。
 その席は髪の短いボーイッシュな女の子。たしか、バレー部の川島美咲であ
った。
「お礼はいいよ。単なる気まぐれだから」
 彼女は機嫌がいいのか、笑いながらそう言ってくれる。
 ゆかりはそんな些細な事でもうれしくてお礼がしたくて「ゆかりにできるこ
となら何でもするから遠慮なく言って」なんて大げさな事を言ってしまう。
 美咲には「律儀なんだね」とケラケラと笑われてしまった。
 だけど、ゆかりにはこういう、人の何気ない温かい気持ちはとても大好きで
心地よくも感じられた。






 続き #227 もうひとりの私(tp version) [2/7] らいと・ひる
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